表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第二部第3章
32/32

乱打

拳と拳。心と心。

 何だコレは。何なのだ、この茶番は。

 モニターに映し出される波多野の講演を、恵は生ゴミを見るような冷たい目で見上げていた。

 酷いなんてものじゃない。これではこちらがいい的だ。

「ふざけんな」

 小さく吐き捨てた恵はモニターから目を離す。もうこんなものを見る必要はない。見たくもない。

 振り返り、目を丸くした。沙耶が茫然とモニターを見上げたまま。少し口が開いている。

「……そんな。どうして」

 まずい。これはまずい。

 頭が良いだけに、波多野の講演内容を即座に理解してしまった。自分の立場を理解できてしまって、変化し続ける状況に頭が追い付いていない。

 これでは記者達が押し掛けてきても対応できない。上手い言い訳を考えられる筈もない。この場にいる意味すらなくなった。

「宮下千香」

 呼ばれた千香も呆けていたが、沙耶より重症ではない。

「この場から撤収する。すぐに片付けて」

「しかし途中退場は、会社の今後の状況を悪くする」

「そんなの後で考えればいい。今のお姫様が記者達の質問攻めにあったらまともに答えられると思う?」

「それは……」

「私もそれがいいかな~。それに周囲がちょっと騒がしくなってきたしね~」

 瑠奈も恵に同意見だ。すぐに立ち去り、対策を考えた方がいい。周囲もにわかに騒がしい。

「……わかった。すぐに片付ける」

「ハイエナ並のマスコミが来る前に撤収する」

 千香の指示の下、ボディガードの橋下も手伝って撤収作業を始めた。千香の言葉で沙耶は正気を取り戻したが、どこかまだ上の空だ。

 撤収作業が終了。恵を先頭に、瑠奈を後尾にして会場を後にした。直後、ショッピングモール内に警報が鳴ったとアナウンスが響いた。

 警報に対するアナウンスを聞いたギブソンは、作戦が開始されたことを知る。腕時計で時間を確認すれば予定時刻になっていた。

「それにしても……」

 可哀想なものだな、と思った。

 取引していた相手から知らない間に身元をバラされるなど、商売相手に情報を渡されるぐらいに腹立たしい。

 彼女が招いた結果だが、取引相手が大きすぎたのが予想外だ。まさか国と契約しているとは。

「評価を改めなければなりませんね」

 眼鏡を外してハンカチでレンズを拭いていた、その時。

「いやー。面白くなってきたじゃないの」

 聞き慣れた声。だがこの場に決していることが許されない筈の声。

 慌てて眼鏡をかけて振り返ると色の良い褐色の“彼女”がいた。

「ハロー、ギブソン。酷い顔。幽霊でも見たように真っ青よ」

「スティン=ジャンレナン・ハウエル!? 《GMTC社》のお前がどうしてこんな所に……!?」

 ギブソンの口に彼女は人差し指を添え、「しーっ」と小声で注意すると微笑んだ。長いウェーブがかった金髪も揺れる。

 ギブソンが取り乱すのも無理はない。スティン=ジャンレナン・ハウエル。《GMTC社》の人間であり、世界のほぼ全域を飛び回る正真正銘の武器商人。そして“死の商人”だ。

 そんなスティン=ジャンレナンだが、ホットパンツにTシャツ、サングラスという死の商人には見えない私服姿だった。それでも彼女はここにいる。それが問題だ。

「いったいどうやってここに……!?」

「ん? ちゃんとパスしてもらったわよ。まぁ、ちゃんとした出所じゃないけど」

 自慢気に首から下げていたカードを見せる。民間軍事企業のオーナーとして、偽名を使っていた。

 ここまでするとしたらすぐにはできない。何者かが知らせたのだ。

「……セイジ・エノモトか」

「半分正解。半分外れ。私は誠二に誘われただけ。足を運んだのは私の意思」

「ほざくな。何を今更、こんな場所に用などないだろう」

「なによぉ。素っ気ないわね」

 ギブソンの刺のある言い方にスティン=ジャンレナンは呆れて溜め息を漏らす。

 だがギブソンの耳に唇を近づけ、気持ちの悪い笑みを浮かべながらねっとりと、優しく問い掛ける。

「私にルートを取られたのがそんなに悔しい?」

 ギブソンのこめかみに青筋が浮かぶ。ようやく忘れたことを思い出され、ギブソンは歯軋りする。

「きゃはは! 正論みたいね。まったく生真面目の眼鏡君は相手にするのが楽しいなぁ」

「この女ぁ……!」

 怒りを込めて唸るギブソンを見かねて、ボディガードが一歩前に出る。だがそれをギブソンは制止させた。

 今ここで全てを犠牲にすることはできない。ましてや《GMTC社》の一幹部でもあるスティン=ジャンレナンに手を出そうものなら、ギブソンの命どころか《ロウヤード社》の存続すら危うくなる。それだけは避けなければならない。故に、ギブソンは必死に自制するしかなかった。

 その様子を見てスティン=ジャンレナンは口を開く。

「勘違いしてるみたいだけど、私は手を出す気はないわよ。面白くなっても、ね。まぁ、仕事になったら考えてあげないこともない。だから私は傍観するだけ」

「何の証拠があってそんなことを言う?」

「貴方達があの子を消そうとしていること。マフィアばかりでなくユナイテッド・ステイツとも手を組んだこと。一切合切の事情を知らないふりしてあげる」

 ニタニタと笑うこの女がどこまで知っているかわからないが、ここまで言い当てられてしまえばなにも言えない。

「にしても、貴方も必死ね。確かに無人機市場は魅力的だけど」

「軍事大企業に身を置くお前にはわからないだろう。中小企業が生き残るにはなりふりかまっていられない。訓練用シミュレーターを本社に送り返された。地道に稼いだルートも、貴様の武力行為で全て消えた!」

「シミュレーターは元々テスト名目で取り寄せたって聞いたけど? ルートに関しては、まぁ奪ったには奪ったかな。それに貴方がひいきにしてた基地、評判悪かったじゃない。防衛拠点としても最悪。だから“更地に戻して道にしただけじゃない”。何が悪いの?」

 話す度にギブソンは苛立ちが募る。普通は基地を潰して更地になどしない。

 善悪がわかっているのかどうかすら危うい。まるで子供のように口にする。だがそれは口調と態度だけ。中身は別物。人間などではない化け物が潜んでいる。

「ま、いいや。とりあえず私帰るわ。面白いのも見れたし」

 踵を返したスティン=ジャンレナンは、振り返って手を振る。

「それじゃあね、ギブソン。商売敵にならないよう、精々頑張んなさいよね。Bye」

 挨拶までして堂々と正面入口からスティン=ジャンレナンは出ていった。

 ギブソンはテーブルを蹴りあげて苛立ちを爆発させる。蚊帳の外にいる筈なのに、無理矢理に蚊帳の中へ入ってきたようなデリカシーのなさ。

「……まぁいい」

 周囲から奇怪な目で見られながらも、ギブソンは落ち着いて腕時計を見る。作戦開始の予定時刻は既に経過していた。

――――――――――――◇――――――――――――


 地下駐車場から会場への通り道。警備をしていたガードマン二人は、警報アナウンスを聞いてどうするか話していた。

 駐車場から男の集団。六人はいた。こちらに向かって早足で歩いてくる。ガードマンが止めようとした時、男達が隠し持っていたナイフやブラックジャック――布袋に砂などを入れた鈍器の一種――を振り抜いた。

 力任せにガードマン二人を刺殺、撲殺。近くにあった監視室にも押し入り、中にいたガードマン二人も同じように殺した。

 リーダーの男がスマートフォンで電話をする。

「制圧完了」

『了解した』

 電話の相手は李だった。

『こちらも終わった』

「本当に殺していいんだな?」

『ああ。相手は女に子供。殺しさえできれば好きにしていい。時間はかけるな』

「わかった。今仕掛ける」

 電話を切り、好きにしていいことを告げると仲間達は途端に興奮した。

 子供のボディガードなど恐るるに足らず。目的の女も、犯して殺せばいい。時間がないから全員はできないが、なんなら子供相手でも良かった。

「行くぞ」

 男達は駆け足で廊下を進む。


――――――――――――◇――――――――――――


 電話を切られた李は、この為だけに準備したスマートフォンを踏み潰して破壊した。

 相手は女に子供。嘘は言っていない。勝てるとも思っていないから構わない。

 地下駐車場にある二つある監視室の一つを制圧した李。部屋には死体が二つ。殴殺されているが、李は武器を持っていなかった。

 部屋を出て、廊下に倒れる死体を踏まないようにゆっくりと歩く。何事もなかったかのように、ゆっくりと。


――――――――――――◇――――――――――――


 恵を先頭にした沙耶達は、会場からエレベーターで地下へ。扉が開いて廊下を早足で進む。

 静かすぎる。警備員がいない。

 警報アナウンスは鳴っている。展示会場に被害がなくとも、何かしらのアクションを起こしても良い。むしろ“起こさなくてはならない”。

“ということは”。

 恵の警戒心が一気に上がる。アドレナリンと血圧も上がり、周囲の異変を見逃すまいと隈無く、素早く探す。

 途中にある部屋。『物置』と書かれたプレートが打ち付けられた扉。

 そのドアノブが回り、内側から開かれると男が現れ、手にはブラックジャック――“脅威”と判断した恵は、開かれようとしていた扉を蹴りで突き飛ばした。

「ひっ……!?」

「おごっ!?」

 沙耶の小さな悲鳴を掻き消す男の悲鳴。開けた扉が突き蹴りで勢い良く戻され、男は頭を強打。足や手を扉と壁に挟まれてブラックジャックを落とした。

 立ち上がろうとしたのか、扉がまた動く。させまいと息つく暇なく恵が再び突き蹴り。

 今度こそ倒れたのか、部屋からは棚から物が落ちる派手な音が聞こえてきた。

 様子を伺っていた別の男が驚きながらも、ナイフを持って飛び出した。

 目で見て確認した恵は、回し蹴りで男のナイフを蹴り飛ばす。履いている革靴の底には、警護用に作られた踏み抜き防止用の鉄板が入っている。安物のナイフならば刺さることはない。

 ナイフを落とされて硬直した隙に、男の顎に掌底を打ち抜く。女子供とは思えない威力に脳が揺さぶられる。体が硬直したまま膝から崩れ落ちるところを、恵は肘鉄をこめかみに叩き落とす。

 硬直失神した男を冷たい目で見下ろす恵だが、物置部屋から出てきた男に反応。振り下ろされたモップを易々と躱し、脇腹に拳を打ち込む。

 内臓にダメージが与えられて足がもたつくと、膝を崩して床に倒れた。

 それでもまだ立ち上がろうとしたので、恵は扉に手をかけると男の首を挟んで叩きつけた。

「寝てろ」

 恵は何事もなかったかのように歩き出す。最後尾にいた瑠奈は普通といった感じの表情で、「進みます~」と促す。沙耶や千香達は表情を引きつらせながらも、恵の後を着いていくしかなかった。

 間合いを詰めた男がパンチを繰り出す。ナックルダスターで打撃力が上がっているので、恵はブロックしないで躱す。

 パンチを繰り出して体勢が崩れた男の手首を掴み、引き込んで前のめりに。そのまま肘を鳩尾に打ち込んで息を詰まらせると、襟を掴み背負い投げの要領で地面に叩きつけた。

 前方の男二人が走り出す。恵は投げた敵の顔を踏み潰し、初めて構えた。

 一人目の男が振り下ろしたブラックジャックを躱す。三回目に振り上げるとよろけたので、突き蹴りで膝をへし折る。ゴキリ、と曲がり、男の悲鳴が駐車場に響く。

 すかさずブラックジャックを奪い取り、顔面を全力で殴り付けた。顔の骨が陥没、歯が折れて口内に刺さる。とても痛い、なんてものじゃない苦痛だが、男の意識は一瞬でなくなった。

 二人目がブラックジャックを投げてきた。恵は持っているブラックジャックで防ぐと、男はタックルを仕掛けてきた。

 懐に潜り込まれ、力任せに倒されてしまう。マウントポジションを取った男は不気味な笑みを浮かべながら、恵の顔めがけて拳を振り下ろした。

 が、恵は易々と躱してしまった。男は不思議に思いながら、もう一回振り上げる。

 拳は振り下ろせなかった。いつの間にか、知らぬ間に、恵が抜け出していたのだ。

 こんなこと、訓練で何百何千とやってきた。男と女では明らかで埋めようのない腕力と体重の格差があり、それを補う為に、不利にならない為に、訓練に訓練を重ねてきた。“死に物狂いで”。

 抜け出した恵は下半身を浮かせ、脇の下と首に足を固定。男の上腕部を掴み、男と自分をうつ伏せにするように体重をかけて腕挫十字固めを極めた。

 容赦などしなかった。腕を力任せに回転させて骨をねじ曲げ、更に反対方向にへし折る。立ち上がり、男の頭をサッカボールキックで蹴り上げて頭蓋骨を砕いた。

 ――“何なのだ、これは。現実なのか”。

 最後の一人になった男は目の前の光景が信じられなかった。相手を女子供だ。なのに何故、こんなことになっている。“何故自分は怯えなくてはならないのだ”。

 ナイフを持つ手が震える。足がすくむ。それでもやらなければ。やらなければ。やらなければ。

 鼓舞するように叫びながら走り出す。がむしゃらになった男に、恵はゴミを見るような哀れみの目を向けていた。

 男がナイフを振るう。しかし宙を切るだけ。体勢を低くして躱した恵は遠心力の要領で、男の脇腹に回し蹴りをお見舞いした。

 踵が深く突き刺さる。肋骨を折るだけでなく、内臓にもダメージを与えられる一撃。蹴り飛ばされた男はナイフを落とし、吐き気を催して足の自由がきかずに壁に凭れる。

 顔を上げた瞬間。走ってきた恵が飛び掛かり、右膝を顔面に突き刺した。

 鼻と歯を折り、鼻血が止まらない男の意識を刈り取るには充分すぎる攻撃だった。

 たった数分の出来事。武装した六人の男を恵は一人で、かつ素手で制圧してみせた。

「クリア」

 ゴミ掃除が終了したように軽い調子で言った。瑠奈は満足そうにしているが、他は恵の強さに圧倒されていた。

 特に千香は衝撃を受けた。正直なところ、恵の実力を疑っていた。身辺警護の人間にしては無愛想で、千香とは敵対することが多かった。

 何故IMIや《リスクコントロール・セキュリティ社》の人間が恵を称賛するのか。紛れもなくこの“強さ”のことだった。

 残念ながら、これほど圧倒的に戦える人間はいない。他のボディガードはもちろん、千香自身もだ。純粋に羨ましい。評価を改めなくてはならない。

 恵は倒した男達を見下ろして冷静に考える。

 おかしい。襲撃されることは予想の範囲内だが、あまりにも稚拙過ぎた。

 六名の襲撃犯は確かに手慣れているが、ナイフやブラックジャックでしか武装していなかった。なりふり構わず銃を撃ってきたのに、今更こんな襲撃をしてきた。

 そうだ。相手は手段を選ばない。街中で狙撃し、銃撃戦をする奴らだ。なのに何故それを抑えたのか恵にはわからない。

「……移動する」

 嫌な予感が消えないまま移動を再開する。この場に留まり続けるのはまずい。

 移動しようとした時、革靴の音が静かに駐車場に響いた。恵達ではない。

 前から一人の男が歩いてくる。スーツを着た男はアジア人で、背が高く体型も筋肉質だ。両手に手袋を嵌めていた。

『これはまた。素晴らしいな』

 中国語で呟く男――李は、自分が差し向けた部下が悲惨な目に合っていて思わず感心した。

 新手に警戒を強める恵達。対して李は落ち着いたまま歩き続ける。

 倒れていた部下達が李に気付き、手を伸ばして助けを求めた。

 李は手を取らず、腰のベルトに無造作に指していたリボルバーを取り出す。恵は沙耶を守る為に盾となるべく射線上に立つが、あろうことか李は沙耶ではなく部下を撃った。

『な、何で……!?』

 混乱する男達だが、李はなにも言わず。ただ銃口を頭に向けて引き金を引いていく。

『貴様達は金を盗み、仲間を売った。貴様達は裏切者だ。裏切者には容赦しない。組織の父を裏切った償いは死をもって償え』

 最後の一人を撃ち、李は前を見る。リボルバーを構え――。

 ――構えることはせず、弾倉から空薬莢を落とすとリボルバーを投げ捨てた。

 空薬莢は六つ。ここで四発撃ったということは、あと二発はどこかで撃ったということ。先程の光景を見ていると、廊下で制圧した男二人も撃ってきたと想像できた。

 涼しい顔をしてやっていることがえげつない男に対し、恵は覚悟を決めた。

「行って。食い止める」

「しかし……」

「固まってる最中に襲撃されたら、私や瑠奈でも対応しきれない。指揮は瑠奈に任せる」

「気を付けてね」

 即決した瑠奈はそう言うと、沙耶を連れて反対方向に駆けた。千香達も後を追う。

 瑠奈の判断は非情でありながら合理的だ。襲撃の“波”がまない確証がない限り、急いで撤収するべきだ。事実、今まで第一波・第二波の襲撃を受けた。

 そして、第三波の襲撃が目の前にある。

 恵は望むべくして一人になった。負けるつもりも、死ぬつもりも毛頭ない。目の前に立つ男を殴り落とす。もしくは絞め落とす。それしか考えていない。

『自ら残る。その潔さ良し』

 李は手袋を嵌め直す。胸が高まる感情は久しぶりだ。

 この子供は強い。恐怖と興奮と歓喜が渦巻いていることを、李は感じていた。“いつ感じても良いこの感覚”。

 互いはゆっくりと間合いを詰める。言葉はない。乾いた革靴の音が緊張の現れのように響く。

 どちらの攻撃も届く間合いで、二人は静かに佇む。様子を伺うように。必殺を見舞う為に。

 李の雰囲気が変わる。目付きが変わる。呼吸が変わる。

 微かな変化を察した恵は背中に悪寒を感じた。“これはまずい”と、久しぶりに死の感覚を嗅ぎとった。

 李の右手が、動く。


――――――――――――◇――――――――――――


 ショッピングモール内に火災警報が鳴り響き、タカハシの周囲にいる客が不思議そうにアナウンスを聞いていた。

 相変わらず危機管理が薄いことにタカハシは心の中で笑う。レスリーや李、フランチェスカと連絡をとったスマートフォンとは別の携帯電話を取り出す。

 旧式の携帯電話は実に良い。簡単に爆弾を起爆させる発信器になる。

 今はレスリー達が監視カメラを押さえている。人混みに紛れているので人の目にも触れない。発信器用の携帯電話を操作。

 李が用意した部下が、清掃員に扮してゴミ箱の中や座席の下に、紙袋に入れた爆弾を置いた。爆弾と言っても煙幕を出すだけの装置だが、ボヤ騒ぎにするには丁度良い。

 起爆させて煙幕が立ち昇ると、客達が騒ぎ出して一斉に動き出す。

「さて、この状況で炙り出せるかな」

 目的はあくまで武力偵察。武力行為もするがあくまでも偵察。釣られて顔を見せてくれればそれでいい。レスリー達が見つけてくれさえすれば、今後の作戦もやりやすくなる。

 人員を変えられる可能性は充分にあるが、《特殊作戦部隊》の人員はそう簡単に変えられるものではない。優秀な人間は簡単には育たないし育てられない。

 その優秀な人間を今から釣ると言うのだから、タカハシは思わず苦笑して歩き出した。


――――――――――――◇――――――――――――


 強希と加藤の二人は決められたルートを見て回っていた。暇潰しに関係のない店も見ていたが、任務なので真面目にやっている。

 今はショッピングモールの円形ホールにて開催されているイベントを見ていた。見なくても良かったがルートに決められており、また人混みもできているので遠目から監視していた。

 火災警報アナウンスが流れる。イベントが止められ、歌っていたアイドルや観客がざわつき始めた。加藤も同じ反応を見せたが、強希は冷静に周囲を監視し続けた。

 自分達と同じ遠くから円形ホールのイベントを眺めている男がいた。眺めているにしては目付きはきつい。肩で呼吸をしている。汗をかいているが上着を着ている。

 念の為に、連絡用スマートフォンで智和に電話した。

『どうした』

「一匹いた。クソムカつく目付きだ。どうすりゃいい?」

『動きがあれば任せる。その場合、速やかに離脱しろ。展示会も動きがあった。ただの騒動じゃないぞ』

「了解」

 電話を切って、コーヒーショップで買ったコーヒーを一口飲む。

「……あの、先輩?」

 薄々感付いて不安になった加藤は声をかけた。

「何事もなく終わる訳……ねェよなァ」

「あの」

「加藤。動くなよ。ちょっと行ってくる」

「え? は? あの、先輩、ちょっと」

 加藤の声を無視し、強希は面倒臭そうにしながら歩き出す。事実、面倒臭い。

 頭を掻きながら溜め息を漏らす。それでも仕方なくやる。プライベートで妹に会う為には素直にやるしかない。真面目にやれば報酬も入る。

「こういうの、智和の役割なンだけどなぁ」

 いつもならやらない。助けるなどもしないし、大抵の自分は見殺しにする役割だ。

 ただ、丸腰の人間を襲うこと。そして、“薬漬けのイカれた目”が気に入らない。“とても気に入らないのだ”。

「釣られてやるかぁ」

 損な役割だとボヤきながら、強希は男の下へ静かに歩いていった。


――――――――――――◇――――――――――――


 やるしかない。やるしかなかった。

 体も人生も壊したクスリを手に入れる為には、最早こうする以外になかった。

 金なんかなかった。闇金融にも借りてしまい、金を工面しようと挙げ句の果てには密売人の真似事をしてマフィアに捕まってしまった。

 捕まって、殺されるかと思った。

 だが殺されなかった。

 交渉された。少しの間言うことを聞けば、借金返済分と小遣い、そしてクスリを報酬として渡すと。即座に首を縦に振った。

 やったのは簡単な訓練だった。刃物や鈍器で人を襲う訓練。人混みに紛れて静かに近づき、殺して逃げる訓練。

 訓練に訓練を重ねて、一回の実戦で成功すればそれでいい。それでいいと言われた。

 なんだ。簡単じゃないか。初めはそう思った。

 だが今になるとわかる。足が震えている。興奮より恐怖が勝る。怖い。怖い。怖い。隠し持っているナイフを捨てたくなってしまう程に怖い。

 今から人を殺す。ナイフで刺し殺す。そうするだけでいいんだ。――だけど怖い!

 怖い。怖い怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いけど借金返さなくちゃいけないし怖いし怖いしクスリ欲しいしハイになりたいしハイになりたいし昇天したいしハイになりたいしセックスもしたいしクスリやって気持ちよくなりたいしだけどやっぱり怖いしだけどだけどやっぱりやっぱりクスリが欲しい。

 荒い息をしながら人混みの中を歩く。アイドルオタクの熱気を受けながら、男は血走った目でステージ上のアイドルを睨む。

 名前も知らない女。クスリの為ならどうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。今から殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すんだそうだ殺すんだ殺して殺して逃げる殺して逃げる殺して逃げる殺して逃げる殺して逃げる殺して逃げる殺して逃げる――

「おい、ジャンキー」

 目の前に、サングラスをかけた男が突如現れた。金髪で、ピアスをしている青年。まるでそっちがジャンキーのような格好だと思った。

「“煩ェんだよ”」

 青年――強希は間髪入れず、持っていたコーヒーを男の顔にぶち撒けた。

 完全に油断していた。アイスコーヒーが目に入って痛い。耐えきれず上着の内側に伸ばしていた手を下げてしまい、膝を崩してしまう。

 強希は下げた手を掴むと関節を極め、膝に足蹴りをお見舞いして組み伏せた。

 難なくこなせたのは訓練のおかげだ。智和や恵にやられてばかりだったが、数年間もやられていれば要領がわかる。

 極めた手から折り畳みナイフがこぼれた。この時点でナイフ不法所持などにより拘束可能だ。

「クソっ、離せ。離せよ!」

「離すかクソ野郎。瞳孔開いたテメェの目がスゲェムカつくンだよ、クソジャンキー。暴れンなよ」

「僕が何したって言うんだ、クソ!」

「後で聞いてやる。だから黙ってろ」

 手首を捻り、男が悲鳴をあげる。片手でナイフを拾い、警備員にさっさと引き渡そうと立ち上がった。

 その時、ステージ上で変な光景を見た。

 怯えるアイドルに、襲い掛かろうとしている別の男。それはまだいい。

 だが、アイドルの盾になるように加藤がいた。

 何してやがる。動くなッつッたのに。お前何してンだよ。“ナイフ持った奴に丸腰でどうすンだよ、チクショウ”!

「“穂乃香ァ”!」

 男を突き飛ばし、強希は近くにあった簡易椅子を持つと、無我夢中で力任せに投げていた。


――――――――――――◇――――――――――――


 強希が人混みの中に消えて、加藤は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 騒ぎが起きかけているこの状況で、部隊に所属していないどころかまともな訓練も受けていない加藤が、冷静な判断で動ける筈もなかった。ただ強希の言うことを聞くしかない。

 黙って言うことを聞くしか選択肢がない中、加藤はあるものを見つけた。

 人が動く方向に、男がいた。外国人。外国人だから気がついた訳ではない。人の波に逆らうように、正反対へと歩いていったのだ。

 何をしているんだろう。逃げるなら逆だろうにと、他人事のように考えていた。

 時々、男とすれ違った人が倒れた。つまずいて転んだと思ったが、よく見ると何人もいる。倒れた人から“血が溢れている”。

「――――え?」

 一瞬、何をしているかわからなかった。だが次々と倒れている。悲鳴が聞こえている。男の手に、血に濡れたナイフが握られていた。

 男は真っ直ぐに逃げ遅れたアイドルに向かっている。

 ――別に助ける必要もない。関係ない人間だ。アイドルなんて人間に興味がない。

 ただ、ナイフを目にした彼女が怯えた顔がはっきり見えた。泣いた顔がまるで自分みたいにブサイクで、昔の自分みたいで、どういう訳か走り出していた。

 外国人の男はゆっくり歩いていた。大抵の人がいなくなっていたので間に合った加藤は、彼女の前に立って手を広げた。

 後悔した。改めて対峙すると男の身長が高く、体型もがっちりしている。赤く濡れているナイフが無骨な恐怖を示し、刺されるイメージしか浮かばない。足が震える。

 けれども立ってしまったのだから仕方がない。逃げることもできたかもしれない。だけど逃げない。“逃げたくない”。

「“穂乃香ァ”!」

 名を叫ばれた次の瞬間、強希が投げた簡易椅子が男の頭にクリーンヒットした。

 簡易椅子が男の頭に直撃してよろめいた。ナイフを持ち続けたままなのは流石だが、強希が駆けつけて構えた。

「何してンだ。コラ」

 ヤンキー口調ではあったが、それには確かな殺意があった。外国人の男はそれに逆らわず、ナイフを片付けるとさっさと人混みに紛れてしまった。

 追おうとした強希だが、後ろで加藤が尻餅をついたことで足を止めた。

 加藤自身、あの体験は初めてだった。初めて襲われる恐怖を味わった。

 それを知った強希は深追いをしなかった。追撃をやめ、加藤に手を伸ばして立たせる。手を握ったまま、アイドルに「邪魔したな」と言うとイベントホールを後にした。

「あの、先輩!?」

 ようやく正気を取り戻した加藤だが、強希は無視して歩いている。もはや失敗に近い結果だ。

「さっさと抜けるぞ。捕まえたクソ野郎がいない。襲いかかった奴もだ。監視カメラに映っちまった。とりあえず横歩いて彼女の振りしてろ」

 加藤は無理矢理引き寄せられて悪い気はしなかった。それでも任務失敗に近い形での撤退なので、加藤はなにも言わない。

(さっきの先輩、カッコ良かったな……)

 呑気なことを考えている加藤に気づく筈もなく、強希は智和に離脱を告げてからショッピングモールを後にした。


――――――――――――◇――――――――――――


 火災警報アナウンスが放送されている中、智和は強希からの報告を受けて撤退を命じた。スマートフォンを片付けると、横にいたララが口を開いた。

「アイドル刺す為にここまですると思う?」

「あからさまな誘導だ。囮を使って、わざと注目させて釣らせたんだろうな。ということは」

「監視カメラを見る目と、囮の監視役がいるってことね」

「もしくは状況把握の為、か」

 二人の視線は同じ方向に向けられた。そして同じ人物を見ていた。

 サングラスをかけたスーツの男。薄いとはいえ、夏なのにロングコートを着ている。ブーツを履いており、ただのサラリーマンには見えない。

「あのコートの奴」

「ああ。何気なく回っているようで、上手い具合に同じ場所を歩き回ってる」

「囮役にしては自由すぎる。監視役かしら」

「さぁな。ただ、俺達が釣られる側にいるとしとしても、アイツを拘束すればわかることだ」

「そうね」

 智和とララは目を合わすとそれだけで意志疎通できたらしく、なにも言わず行動を開始した。


――――――――――――◇――――――――――――


 レスリーからの通話にタカハシは来たかと確信し、スマートフォンの通知ボタンを押して耳に近づけた。

『後方に二名。IMIらしき子供。男女だ』

「距離は?」

『約20メートル。近いぞ』

「なに。色々と探りはできた。どうにか抜け出してみせるよ」

『ああ。……こちらも感付かれた。離脱する』

「了解。予定通り会議にて顔を合わせよう」

 電話を切ってスマートフォンを片付ける。ただゴミ箱に捨てると回収され、破壊したとしても残骸からデータを回収されるのでまだ捨てない。

 それでもまだ手はある。

「煙幕だけじゃ、説得力がないんでね」

 古い携帯電話を取り出し、番号を入力して通話ボタンを押した。

 三階の西側廊下にある休憩スペース。自動販売機横のゴミ箱に入れられていたパイプ爆弾が爆発した。発煙でも閃光でもない本物の爆発により、近くにいた人間が負傷。

 更に連鎖的に爆発が起こり、瞬く間にパニックが起こった。

 爆発が起きたことを《リスクコントロール・セキュリティ社》の人間が見ており、状況を報告すると即座に全員へ伝えられた。無論、智和とララにも。

『店内にて爆破事件発生。負傷者多数』

「こちら智和。不審人物を発見。追跡する」

『無理はするな』

「了解。ララ」

「わかってる」

 手短に済ませ、智和とララは少し距離を空けてタカハシを追う。

 智和が前を歩き、ララは離れた後ろの位置にいる。

 移動しながらもタカハシは周囲にある鏡や、商品ケースの反射で様子を見ていた。火災警報アナウンスや爆発が起きながらも、冷静に追跡されていたことに感心する。

 だが予想の範囲内だった。

(派手になるが仕方ない)

 相手はIMIが誇る《特殊作戦部隊》。そんな奴らに手加減する暇などなく、出し惜しみもするような生温い者達ではない。

 タカハシはコートの内側から黒い筒状の物体――閃光手榴弾を取り出すと、安全ピンを外して後ろへ高く投げた。

 走り出したタカハシを追おうとした智和だが、その僅かな隙を突かれて閃光手榴弾に気付くのが遅れてしまった。

 一般人に注意を叫ぶ前に閃光手榴弾が炸裂。激しい目眩と耳鳴りが智和と一般人を襲い、悲鳴と混乱を引き起こした。

「クソッ……!」

「智和!」

 ララは離れた位置にいた為に反応でき、それほど影響がなくすぐに動けた。

「構うな追え!」

 駆けつけたララに智和は叫ぶ。心配をしていたララだがすぐに切り替え、智和の肩を軽く叩いてタカハシを追った。まだ耳鳴りが治らない智和だったが、視界は見えてきたので人を避けながら後を追う。

 人混みを掻き分けるタカハシと追うララ。無駄に長い廊下を走り続けても意味はないが、決めていた脱出ポイントに真っ直ぐ向かっても意味がない。

 追跡を振り切る為に余計なルートを通り抜けることになるが、それも計算には入っている。

 タカハシは人で詰まっているエスカレーターの取っ手側から滑り降りる。しかしララも真似して滑り降りてきた。智和も回復し、少しずつ距離を詰めていた。

 振り切れず、このままではまずいと察したタカハシは、店内の催し物や配置図を思い出す。

 大丈夫だと確信し、手摺に向かって走り続ける。激突することはなかったが、あろうことかタカハシは躊躇することなく二階から中央ホールへと“飛び降りた”。

 智和とララは驚きを隠せなかった。まさか飛び降りるとは考えていない。

 しかし、タカハシの落下地点には中央ホールで開催されていた露店があり、固いながらもクッションになった。受け身もきちんと取り、すぐに立ち上がったタカハシはなに食わぬ顔で走り出す。

 二階から見下ろしていた二人は唖然としながら、タカハシの背中を見てから真下を見た。

「酷いものを見た」

「ああ。アクション映画並みの受け身だった」

「そこじゃないでしょ。で、どうする?」

「決まってる」

 問いかけに答えた智和は迷いなく手摺を飛び越え、露店をクッションにして飛び降りた。

 呆れるララだが仕方なく同じように飛び降りる。飛び降りれる時点で彼女も普通ではなかった。

 高所からの降下訓練を重ねてきた智和には、なんてことない高さだ。ララも同じで、訓練は積んでいたが受け身が取れれば大丈夫という考え方だった。

 いまだ追い掛けてくる二人を疎ましく思いながらも、流石はIMIの部隊と称賛していたタカハシ。

 仕方がないと諦めると、コートの内側から取り出した物を近づいてくる二人に投げた。

 小さな楕円形のような深緑色の物体。宙を舞うそれを目にした智和とララには見覚えのある、とてもよく知っている物だった。

“まるで手榴弾のようだ”。

 二人は咄嗟に近くにいた客に叫び、身代わりの盾となって覆い被さった。

 ごとり、と落ちる手榴弾。爆発すれば殺傷範囲内の為に助かる見込みはない。

 ――が、爆発しなかった。

 代わりに、タカハシがその後に投げた閃光手榴弾が空中で爆発していた。

 智和とララは見事に視力と聴力を奪われ、身動きが取れなくなってしまった。

 動けなくなったことを確認したタカハシは全速力で走り、ようやく脱出ポイントを使ってショッピングモールから抜け出すことに成功した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ