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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第二部第3章
31/32

動乱

唸りながら。唸りながら。声を張り上げる。

 目を覚ませば、泣いていることがよくある。

 だが憂鬱でもなければ悲痛でもなく、ましてや歓喜の感情ですら抱いていない。ぽっかりと穴が空いているような空虚感を、タカハシは毎朝抱いている。

 イヤホンを外し、一晩中起動させている携帯用音楽プレイヤーを充電器につける。六時に電源が入る設定のテレビはニュースを映していた。

 煙草をくわえて火をつけてソファーを見ると、フランチェスカが丸まって眠っていた。

《レッド・グループ》に絡まれた以降、フランチェスカはとても大人しくなった。ホテルには戻らず、タカハシの家で寝泊まりするようになっている。

 荷物も全て持ち運んでいた。ギブソンには了承を得ている為に問題ない。

 とはいえ、フランチェスカの荷物は非常に少ない。小さいボストンバックに下着などの替えがあるだけで、あとはライフルを入れたバッグ。それと追加で貰った弾薬と煙草の箱だけ。

 タカハシは音をたてないようベッドから起き上がり、拳銃とナイフをポケットに。台所で朝食を作る。もちろん二人分だ。

 いつもと同じように野菜を卵でとじて適当に炒めたもの。トーストがあれば充分だった。

 朝食を作っているとフランチェスカが起きた。小さな身体を必死に伸ばしている姿は、本当に猫のような小動物らしさがある。

 フランチェスカの前に朝食を置く。タカハシは横に座ってテレビを見ながら食べる。

 食べ終わるとタカハシは食器を片付け、フランチェスカは部屋の奥へと行く。

 荷物からライフルケースを引っ張り出す。部屋の真ん中に座ってライフルを取り出す。

 ブレイザーR93ライフル。大切にしている相棒を丁寧に分解してもう一度整備し始める。

「サプレッサー要らねぇだろ?」

「念には念を入れて欲しいんだけどね」

 フランチェスカはあまりサプレッサーを使いたがらない。装着した時、自分の身長と比較されるのが嫌だとのことだ。

 どうでもいい理由だと言ったら、「今度そう言ったら頭吹き飛ばす」と半ば本気で脅してきた。本人にしてみれば悩み事でもあるらしい。

 整備し終えて組み立てる。弾薬を弾倉に押し込み、無造作にバッグの中へ放り込んでいく。

 片付けを終えたタカハシも身支度を整える。いつものスーツに着替え、薄手のコートの下にナイフなどの装備を仕込む。

「その身なり、正直どうかと思う」

 服装を見るなりフランチェスカからそんなことを言われた。

「ジーンズとTシャツでいいじゃないか」

「自分なりの仕事着だよ。たまには私服でも仕事するけど」

 煙草に火をつけ、フランチェスカのいる部屋へ。

 万全ではないが、現時点では充分な情報収集は行えた。準備もできている。武力偵察という名目で動く。

「フラン。今日の段取りはわかってるね?」

「時間になったら周囲の監視。変なのがいたら即座に連絡。これでいいんだろ?」

「ああ。基本的に今日は、君に撃ってもらわない」

「黒井沙耶が出てきた場合でも?」

「公衆の面前で“花を咲かせる”のはいいが、そう簡単に狙える訳でも見つかる訳でもない。そもそも一般出入口から脱出する可能性も低い。地下駐車場から出るだろう」

「で、そこを襲うのか」

「偵察と言ってほしいね。時間はかけられない。囮の始末もあるし、騒ぎに乗じて俺達の離脱もしなくちゃいけない。レスリー達がどれだけ干渉できるかが鍵だ」

「へいへい。ま、アイツの強さに関しちゃもう疑ってないさ。目の前であんなの見せられちゃなにも言えない」

 フランチェスカはライフルをバッグに片付け、必要な道具を入れたリュックサックを背負う。

「お前もよくやるよ。本当に」

「炙り出すのは得意でね。知っている人間がいた方が効率的だ」

「タカハシの面倒事を引き受けるその性格。可哀想を通り越して尊敬するわ」

「誉め言葉として受け取るよ」

 靴紐を固く結び、自宅を出る二人。ほぼ同じタイミングで愛用のサングラスをかけた。

「さて、行こうか」

「おうよ」


――――――――――――◇――――――――――――


 いつも通りの時間に起床した沙耶はベッドから出ると、そのまま風呂場へと向かった。シャワーを浴びて、真奈美が作った朝食を摂る。千香も一緒にだ。

 朝食を済ませて準備をしていると、自宅警護の交代となった。同時に瑠奈と恵も来た。

 その中には、以前負傷して離脱していた男性ボディガードがいた。

「おはようございます~」

「おはよう。今日もよろしくお願いします」

 瑠奈の甘ったるい口調も気にならなくなる。恵も相変わらず口数が少ないが、いくらか親密になれた気はしていた。

 その無口が、今日は珍しく口を開いた。

「予定の確認を。今日の警護は私と瑠奈、宮下千香の他、復帰したボディガードの四名で行います」

「はい」

「展示会場ではIMIと《リスクコントロール・セキュリティ社》の警護はできません。その為、何か異変があればすぐに離脱します。万が一に備え、強行突破することも頭に入れておいてください」

「心得ています」

 恵の確認は、以前IMIに呼ばれた時に行われた警護会議で言われたものだ。

 展示会側の主張により会場内外の警護はできない。その為、隣接している複合ショッピングモールにて待機させる。外にも狙撃班を待機させるなど、主張を無視して配置させることも聞いた。

 主張無視の配置をしても、沙耶は特に意見を述べることはなかった。そもそも相手が問答無用で襲撃してくる為、IMIの配慮はむしろありがたい。

 沙耶は仕事用としているブラウスとロングスカートを着て、人前に出て対応するので軽く化粧もする。

 準備を終え、真奈美に見送られて会社へ向かう。

 会社に到着。展示会用に準備していた機材を車に積む。共に行く男性職員が運ぶが、沙耶と千香も手伝っていた。

 その間に恵と瑠奈は、会社を警備している《リスクコントロール・セキュリティ社》の職員と、簡単な打ち合わせを行う。会社も自宅も常に警備している為に問題はない。

「社長は事務所で打ち合わせしています。ホワイトも既に合流しているかと。その後はIMIに出向き、最終確認してからショッピングモールへ」

「わかりました。誠二さん達とIMI側の行動は把握しているので問題ないです。異変があった場合、会社の方はお願いします」

「心得ています」

 会社警備の責任者となる女性は優しく微笑む。

「……それにしても」

 恵は控え室となっている部屋の隅に目をやる。

 そこにはいくつもの保管用ガンケースが設置され、警備に使用する銃を保管していた。横には弾薬が保管してあるロッカーや、ボディアーマーや防弾盾も置いている。

 その銃の種類が異常だ。ショットガンやアサルトライフルはもちろん、ライトマシンガンやスナイパーライフルまで揃えていた。まるで戦争でもするかのような、充実した品揃えだ。

「よく許可出ましたね」

「社長もそう言ってましたよ。久し振りに完全装備するって」

 女性は笑うが、それは苦笑でなく屈託のない明るい笑顔だった。

 これだけの装備使用の許可が出るなど、なかなかないことは恵も知っている。余程の事態と考えているのかわからないが、装備が充実しているのは良いことである。

 荷物を全て積み込んで準備を終え、沙耶と男性職員を乗せたSUVが会社を出発。運転手は千香だ。

 会場に到着。朝が早い時間帯では、ショッピングモールの駐車場に車はあまりない。それに比べ、展示会場の駐車場には既に多くの車があった。全てという訳ではないが、ほとんどが展示会関係者だろう。

 その光景を横目で見ながら、千香は地下駐車場へと向かう。駐車し、沙耶と千香、男性職員が荷物を持つ。周囲を恵と瑠奈、男性ボディガードの橋本が警戒。

 当然ながら、入口には展示会の警備員がチェックをおこなっていた。地上でも同じである。

「銃は携帯していますか?」

「はい」

「申し訳ありませんが、こちらで預からせて頂きます」

「は?」

 唐突な要求に、恵は思わず威圧してしまった。ボディチェックされることは聞いていたが、そんな要求がされることは聞いていない。

「安全性を考慮した結果です。昨日、新たに決まったことです」

「そんなこと知ったこっちゃ――」

「こ、こちらの事情は把握されてる筈ですよね~?」

 瑠奈が慌てて喧嘩腰の恵を押し退ける。

「把握しています。それも安全性を考慮した結果です。終了後にお返しします。どうかご協力を」

「……わかりました~」

 ここで問題を起こすのは避けたい。瑠奈が拳銃を差し出したことで、千香と橋本も渡す。最後に恵も拳銃をテーブルに叩きつけるように置いた。

 ボディチェックを受け、ようやく通過することができた。

「くそ。腹立つ……」

「メグちゃん抑えて~……」

 そうは言う瑠奈だが、恵の気持ちもわかる。急な変更とはいえ、銃を没収されるとは考えていなかった。納得はできない。

 千香や橋本も不満な表情だが、決まってしまったことは仕方ない。今の状況で最善を尽くすだけである。

 エレベーターを使い会場へ。一階大型フロアが展示会場のメインとなる場所だ。各企業ブースが所狭しと並び、展示会開始に向けて準備していた。

 通路を歩いていると、他社の人間の視線が向いていることに気付いた。

 無人航空機業界に一石を投じ、襲撃された沙耶は今やちょっとした有名人だ。純粋な好奇心の眼差しもあるが、多くは腫れ物扱いのような嫌悪の眼差しだった。

 それでも沙耶は怯むことなく歩いていく。周囲に流されることはなく、むしろここ最近の出来事により良い意味でも悪い意味でも肝が据わっている。心配は無用だ。

 割り振られた展示ベースで準備を行う。展示商品はもちろん、開発した小型無人航空機。その他には女性用戦闘服やボディアーマーだ。

 少しずつだが女性用の装備は、需要が年々高まっている。イスラエルは女性徴兵があり、ノルウェーは短期間ながら女性にも徴兵を科した。

 今や女性でも戦地に向かう可能性があり、現にIMIの上位部隊の女子生徒は戦地に立ったのだから。

「すみません。ここは《ディ・マースナーメ》の展示スペースですよね?」

 準備があらかたできた頃、声を掛けてきた者がいた。綺麗な英語の発音だ。

細身の眼鏡をかけた白人は生真面目な雰囲気を漂わせながら、にこやかに近付いてくる。その横には護衛のような厳つい白人が立っている。

「貴方は?」

 反射的に間に入った恵の後ろから、手を止めた沙耶は聞いた。

「申し遅れました。私はルーカス・ギブソン。《ロウヤード社》航空部門を担当している者です」

 ギブソンは名刺を取り出し、にこやかに沙耶へ差し出した。

 沙耶は少し考えたが、恵を退けさせた。恵は抵抗せず、沙耶に従って横に立つ。

「航空部門……」

 名刺を受け取り呟いた沙耶に「はい」とギブソンは頷いた。

「航空部門とはいえ、戦闘機のようなものではない。貴方と同じ無人航空機を扱う部門ですよ」

 ギブソンの発言に恵はおろか千香も反応を示した。

 無人航空機部門で問題を起こしている沙耶に近付いてくる輩は、興味本意の馬鹿か、野望を持った狂人か、競売敵でしかない。例えそれ以外の純粋な人間だったとしても、“そういった人間しか近付いてこない”と教え込んだ。

 恵と千香は警戒を強める。瑠奈はふんわりとした雰囲気を放ち、笑みを見せながらも、音もなく近寄って沙耶を守れる位置に移動していた。

「ヨーロッパで開かれた展示会で《ディ・マースナーメ》の無人航空機を見まして。とても衝撃を受けました。その素晴らしい商品をまさかここで見られるなんて、夢にも思っいなかったので。つい声を掛けてしまいました」

「声を掛けて頂けたのはありがたいのですが、話し掛けてもよろしかったのでしょうか? 私が知る限り《ロウヤード社》は無人航空機の開発・販売を、軍需産業に限定すべきだと提唱していた筈ですが」

「よくご存知で。しかし私は中立ですよ。市場に回れば良い物は売れ、悪い物は淘汰される。軍需だろうが同じでしょう」

「軍需産業による武器販売は一概には言えないでしょう。悪くとも中古品ならば貧民国が買う筈でしょうから」

「成程。それはそうでしょう」

 分かりきったことを言われたギブソンは笑顔を保ったが、心の中では苛立ちを隠すように舌打ちをしていた。

「申し訳ありませんが、どのようなご用件で声を掛けたのでしょうか……?」


「航空部門と言えど様々な分類があります。戦闘機、輸送機、給油機などエトセトラエトセトラ……。関係する部品も航空部門と言えますね。

 私が受け持つのは無人航空機でして。大型とはいえ、貴方の会社で扱う商品を見て興味が湧いてきました。どんな人物なのだろう、と。そんな理由です。こんなにお若いとは。末恐ろしい」

「いいえ。そんなことはありませんよ」

「ご謙遜を」

 ギブソンは腕時計を見る。

「準備の邪魔をして申し訳ありませんでした。以後、お見知りおきを」

「こちらこそ」

 沙耶も名刺を手渡す。受け取ったギブソンは会釈して、来た道を歩いていく。護衛の男も後を追う。

「やはり腹の立つ女だ」

 人混みに紛れた直後。呟いた言葉は雑音に掻き消された。

 ギブソンが去り、沙耶は渡された名刺を見つめる。『《ロウヤード社》航空部門 ルーカス・ギブソン』。連絡先もなにも書いていなかった。

 沙耶は作業を再開。千香も手を動かす。

「航空分野で成長してた会社だったよね~。レーダー機器や計測器、対空兵器察知機器とか」

「訓練用シミュレーターもあった。アメリカじゃ売れないからヨーロッパ方面だけど」

 恵と瑠奈が耳打ちする。警戒を弱めるが、恵は溜め息を漏らして呆れていた。

「あからさまな嘘つきね。無人航空機販売者が、“うちのお姫様”のことを知らない筈がない」

「調べてもらおっか~」

「智和に連絡して。私は誠二さんに伝える」

 接触してきた理由はわからない。本当に興味本意だったのかもしれない。

 だが敵となる可能性があるならば、徹底的に調べあげるのが基本だ。瑠奈は智和へ、恵は誠二へ連絡を入れた。


――――――――――――◇――――――――――――


 IMI。智和はいつも通りの時間に目を覚まし、いつも通りのランニングを行う。

 最近、ララと一緒にしている。朝のトレーニングは一人でしかしていなかったので、話し相手がいるのは良い。

 それ以上に競い合える相手がいるのが純粋に嬉しかった。体力面はまだ恵に劣るとしても、精神面に関しては充分。そもそも負けず嫌いなのだから智和に食らい付く。智和自身、嬉しくあり楽しくもあった。

 ランニングを終えて筋力トレーニング。一人だった智和は自室に戻っていたが、ララと一緒にいることで普通科校舎のトレーニングルームに行く。朝の早い時間帯では人もおらず、話ができるのが利点だ。

 トレーニングを終えて寮に戻った二人。私服に着替えて食堂で朝食を摂る。

 再び普通科校舎へ。会議室に向かう。既に琴美が準備をしていた。夏休みだろうが、乱れない制服姿はもはや尊敬の念を抱かせる。

 次々に各生徒が集まる。イリナ。龍とベン。強希と加藤。新一。そして最後に長谷川が入ってきた。

「注目」と長谷川が一声掛ければ、部隊の面々が前に出されたスクリーンに目を向ける。

「今日は《ディ・マースナーメ》が展示する会場の警備を行う。前々から話した通り、展示会会場ではなく外側だ。我々はショッピングモールに待機し、警戒する。会場内にいる黒井沙耶の護衛は恵と瑠奈が率いるボディガードに任せることになる」

 ララが手を上げる。

「装備はどうするの。今までの打ち合わせでは、結局答えを出せなかったじゃない」

「武装に関してだが、各自拳銃類の装備だけだ。IMI規定内の携帯義務に反しない装備をする様に。今回ばかりは無理を出来ない。事態が悪化した時、第三者への被害が大き過ぎる」

「最悪の場合になった時、私達は離脱しろってことね」

「その通りだが、口を慎めララ」

 被害が拡大し、沙耶が殺害された場合。監視役である智和達はなにもせず離脱せよ、ということ。ララが嘆くのも無理はない。

「ショッピングモール内に配置する《リスクコントロール・セキュリティ社》の面々は、既に準備を整えている。黒井沙耶も既に会場に向かっている。後は私達だけだ。

 指揮は私が行う。新一。ポイントDにて待機。気を緩める時間はないぞ」

「了解ッス」

「他はチームを決めてショッピングモール内を監視。待機ではなく監視だぞ。展示会会場だけに敵がいるとは限らん。

 チーム分けは私と琴美でしておいた。文句は受け付けん。設定通りにしろ」

 長谷川は小言を言うような性格ではないので、最後の言葉はあまり理解できなかった智和。

 だが、渡された資料を見て意味を知った。隣から覗き込んだララも同様に。

「俺とララの設定“恋人同士”って何だ。おい」


――――――――――――◇――――――――――――


 散々文句を言ったものの、結局、智和とララの意見は却下された。

 酷い横暴を見たような理不尽さに悪態をつくしかないが、決まってしまった以上は仕方ない。命令通りにやるしかなかった。

 会議を終えて、各自チームに分かれて準備を含めた行動をする。

 今回、新一はポイントD――すなわち、いくつか決めた狙撃地点での監視役を務める。そこまでの移動は指揮車両で運んでもらう。

「……し、新一君。今、ちょっといいかな……?」

 寮に入る手前。呼び止められて声がした方を振り向いた。

 同じクラスメイトで、仲良くしていた女子三人がいた。眼鏡をかけた華奢な少女――佐藤早苗もいる。

「やほー。おはよー」

「あれ。家帰んなかったッスか?」

「んー。まぁね。それよりさ。ほら、姫」

『姫』と呼ばれた佐藤は恥ずかしそうにしていた。西洋人形のように可愛らしい顔立ちと華奢な体、大人しい性格は、周囲の人間を過保護にさせる。故に『姫』と呼ばれているが、佐藤自身は大反対でやめてほしい。

「あ、あのね。今日、良かったらみ、皆と、遊びに……いかないかなって……」

 声が途切れ途切れで小さかったが、新一にはしっかり聞こえていた。

「いいッスねー。けどゴメン。ちょっと急な任務入っちゃったッスから」

「そ、そっか……うん」

「あちゃー。タイミング悪いなー」

「別の機会にまた誘ってくれッス」

「そうするよ。任務ガンバ」

 軽く手を振って新一は寮へ。残された三人は落胆――特に佐藤は残念そうにした。

「大丈夫だって姫。別に嫌いな訳じゃないんだからさー」

「今度は都合いい日を聞きな。それがいいよ」

「……うん。ごめんね。急に」

「いいっていいって。あたしらも家帰りづらいし、暇だし」

「まー。今日は三人で楽しもっかー」

 ひとまず女子寮に戻ることにした。佐藤は後ろ髪が引かれる思いで男子寮を後にする。

 自室に戻った新一はクローゼットを寝室の開ける。PCゲームやフィギュアの空箱が積まれた空間に、ガンロッカーが置かれていた。

 三つあるガンロッカーのうち、一つのガンロッカーの鍵を開けて取り出す。

 M24A3スナイパーライフル。M700ライフルを発展させたM24ライフルの新型スナイパーライフルだ。装弾数五発、338ラプア・マグナムの使用、29インチのロングバレル、倍率8.5から25倍まで変更可能なスコープを搭載など、長距離狙撃に適したライフルとなっている。これが本来、新一が使用するスナイパーライフルである。

 マガジンに弾を詰める。スコープは500メートルにゼロイン設定――狙った場所と着弾点が一致するように照準設定する作業――してある。

 詰め作業が終わり、アーミーグリーン色のバックパックにマガジンを入れる。他にはピストルとその予備マガジン、観測用に双眼鏡と、ライフルをカメラのように固定する三脚も入れた。

 ライフルは別のライフルケースに。ハードタイプのケースには伸縮できる取っ手があり、小さいタイヤも付いているのでスリムなスーツケースにしか見えない。

 準備を整え、カジュアルキャップを被った新一は荷物を持って部屋を出た。

 暑い中を普通科校舎まで歩く。駐車場に着くと大型ワゴン車があった。

 後部座席を改造して、通信機器などを搭載させた特別車両だ。状況が悪化した場合に備えて装備も積んでいる。新一は荷物と一緒に乗った。

 輜重科の生徒が運転手を務めてIMIを出発。長谷川と琴美は残り、普通科校舎のいつもの部屋で指揮を執る。

 ポイントの近くまで移動。車両を降り、新一は徒歩で移動する。途中にあった自動販売機でコーラを購入した。

 新一の待機ポイントとなった場所は高層ビルが立ち並ぶ場所だ。非常階段で上がり、鍵をこじ開けて屋上へ。

 隣には更に高層ビルが並び、見下ろされているような感覚だった。ここからだとショッピングモールと展示会場は遠いが、見晴らしは良い。

 荷物を下ろして双眼鏡を覗く。駐車場は既に埋まり、ショッピングモールも朝早くから開店していた。夏休みでイベント行事が催されており、家族連れが多かった。

 ふと、家族のことを思い出した。幼い頃、ああやって母親に手を引かれてショッピングモールに出掛けた思い出。そこには父親もいて、兄と姉もいた。欲しい玩具があったが、頼めば父親に叱られるから言わなかった。そんな思い出。

 それでも楽しい時は楽しかった。今は特になにも思わない。“どうでも良かった”。

 ショッピングモールと展示会場は通路で繋がっているが、通路部分の外は大きな中庭となっている。普段は移動販売が並び、テーブルと椅子が並べられていた。

 双眼鏡を下ろし、買ったコーラを飲む。こんな炎天下での監視なんて最悪だったが、冷えたコーラを飲むのは最高に気持ちがいい。とても旨い。

 少しでも日陰にいたいので、貯水タンクの影にシートを広げる。バックパックから個人携帯無線機を出し、アンテナを広げて周波数を合わせる。耳栓替わりのヘッドセットを被る。

 ケースからライフルを取り出し、マガジンを装着。三脚に取り付け、脚の長さと角度を調節。バックパックをクッション替わりにした。

「こちら新一。こちら新一。通信のテスト、テスト、テスト」

『――ちら中継……。こちら中継車。駐車場に到着。通信良好を確認。暑いだろ?』

「マジで暑い。溶けるッス。本部に繋げてください」

 愚痴を漏らしてコーラを飲む。すぐに本部の長谷川と繋がった。

『こちら本部。状況を』

「司会良好。電波も良し。だけど人が多いッスね。特定の人物を探し出すってなれば時間がかかる」

『お前の今回の役目は監視だ。隈無く探し、危険を排除しろ。泣き言は聞かない』

「うへぇ。厳しいッスねぇ」

『これでも実力を買ってるんだがな。もうすぐチームが到着する』

「冷房がきいた中に入れるのは羨ましいッスね」

『無駄口を叩くな。今回、例の長距離狙撃手がいないとは限らん。むしろいる可能性が高い。一番に狙われるのは新一、お前だぞ』

 都市部にて900m以上もの長距離狙撃を、頭部に見事命中させた例のスナイパーがいるともちろん予想していた。

 狙われる可能性は充分にある。だが新一は笑みを消さなかった。

「知ってるッスよ。監視中は撃たないって言われたッスけど、スナイパー相手なら話は別ッスよね?」

『ああ。先制攻撃だ。“見付けたら殺せ”』

「了解ッス」

 思わず口端がつり上がる。長谷川の直球な物言いが新一は堪らなく好きだ。

 バックパックから携帯音楽プレイヤーを取り出し、USB端子に小型スピーカーを取り付ける。アニメソングを聴きながら、気長に監視をすることにした。


――――――――――――◇――――――――――――


 時間が経過するにつれて人も多くなってきた。その人波に紛れて、ショッピングモール待機組が現場につく。

 強希と加藤、龍とベンとイリナ、智和とララのIMI三組。誠二含む《リスクコントロール・セキュリティ社》が四組。駐車場にはIMIの特別車両が一台。《リスクコントロール・セキュリティ社》が用意した装備積載の特別車両が二台。監視として新一がポイントに配置された。

「……何これ」

 ショッピングモール一階にあるコーヒーチェーン店。窓側の二人用テーブルにて、ボヤいたララは小さく溜め息を漏らした。

「組み合わせの設定に文句言うなよ」

「言う訳ないでしょう。やることはやる」

 そこへ智和が注文したエスプレッソ二つを持ってきてララに渡した。

 礼を言ったララはエスプレッソを一口飲んでから、店内を見回して客が飲んでいるカスタムコーヒーを確かめる。

「こういうチェーン店でエスプレッソしか頼まないカップルっているの?」

「知るか。なんならカフェラテやキャラメルマキアートでも頼んでみればいい」

「嫌よ。甘いの苦手だもの。智和はよく来るの?」

「瑠奈に連れられてな。高いからたまに来る程度。必ず数人連れていくから長話になる」

「瑠奈らしいわね」

 エスプレッソを飲んだ智和は、ニューズウィークの雑誌を出して読み始めた。いつもはiPadの電子書籍で読んでいるが、今日は持ってきていないのでショッピングモール内の書店で購入した。

「相手がいるのに雑誌読むのってどうかしら。会話面白くないって思われそうで、ちょっと傷つくのだけれど」

「そう毒を吐くってことはお前、本当は楽しんでるだろ」

「想像にお任せするわ」

 いつもより貶されているような気がして目を細めるが、仕方ないと言った風に溜め息を漏らすと雑誌を下ろした。

「お前と付き合う男は大変だと思うよ」

「酷い言われようね。別に無理難題言ってる訳じゃないんだから」

「俺は平気で慣れてるからいいが、直球の物言いは人を選ぶぞ」

「悪かったわね。そもそも私は付き合ったことないわよ」

「あ?」

「あ、じゃないわよ。当然でしょ。私のプロフィール見たのならわかるでしょう」

 言われてみれば、ララのプロフィールやドイツIMI時代の話を聞く限り、深い関係となった人間はいなかった。

 興味があるかどうかはわからないが、そもそもの話、ドイツIMI時代は常に敵を作ってきたと言っても過言ではない。張り詰めた中で気を緩められる唯一の存在が家族しかいなかった。

 好きな人間を見つけることなど、できる筈がなかった。

 今はどうかは知らないが、少なくともドイツIMI時代よりは友好関係を築けているのは間違いない。

「逆に、貴方のそういうのって興味あるのだけど」

「俺の話なんか聞いてどうする」

「いいじゃない。減るものでもないでしょうし」

 意地悪な笑みを見せているララは、心なしか楽しそうにしていた。わざとらしく咳払いした智和は、渋々といった感じに話す。

「恵だけだ。中期一年の夏から中期二年の終わりまで。一年半以上」

「へぇ。きっかけは?」

「……同じ部隊で、第一次部隊派遣に参加した。一ヶ月の中東地域へ介入して帰国。“最悪だった”」

 智和の表情が一瞬だけ曇り、声の調子も僅かだが重くなっていた。

「俺はPTSDになった。銃は握れたが、まともな実戦が半年以上できなかった」

 唐突なカミングアウトにララは「え」と驚き、目を丸くした。智和は続ける。

「恵は基地内にいることが多かった。それでもストレスはあったし、何より帰国してから母親と大喧嘩してな。昔のアイツは喋らないで溜め込む性格だったから、それまで溜め込んでたのが爆発したんだろ。荒れた。自暴自棄と破壊衝動が酷かった。

 恵と格闘のペアになった奴が悉く病棟校舎送りにされて、同学年でまともな相手が俺くらいしかできなかった。そこに強希が挑発したものだから、恵がキレてな。腕と指と鼻の骨を折った。挙げ句の果てには首の骨を折りかけやがった。

 長い謹慎処分中に、恵は俺の部屋に転がり込んでた。十代前半の男女で、片方が自暴自棄になってたからな。まぁ……やることはやる関係になってしまった。互いが互いの傷を舐めてるような、そんな関係になってた。

 恵の本心はわからない。ただ、俺は、好意があったかどうか問われれば答えられない。答えられないんだ」

 そのままの言葉通りだった。

 智和は恵のことを好きになったとは言いきれなかった。

 いくら二人の関係が、手を繋ぎ、腕を組み、唇を重ね、体を重ねようとも、智和には確実な関係性がわからないままだった。

 精神が病みながらも肉体が求める為に尚更質たちが悪い。

 周囲は二人を恋人同士と呼ぶ。もしかしたら智和もそう思っていたのかもしれない。好きだったかもしれない。

 しかし、智和にはわからない。ただ傷の舐め合いをしている、という感覚が強すぎるのだ。

「今になって、もうわからない。俺は恵に迷惑をかけてしまった」

 恵の好意には気付いていた。だからこそ、その好意を裏切ってしまった形に思えるのだ。

 ララはかける言葉が見付からず、エスプレッソを口にするしかなかった。こんなことを言われるとは予想していない。

 恵が智和への好意を持っていることなど、彼女の接し方を見ればわかる。今も変わらないのだろう。

 智和の言い分もわかる。中途半端な気持ちどころか、中途半端かどうかすらわからない。故に智和はわからないままである。

「白けたな。悪い」

「いいえ。無粋なことをしたわ。ごめんなさい」

「謝る必要はないさ」

『本部より各チームへ』

 なんとも言えない、気まずい雰囲気を拭うかのように、智和の右耳に装着している小型のイヤホンマイクから長谷川の声が聞こえた。

『会場は既に開催されている。予定通り行動せよ。通信はなるべくチームリーダーから伝達せよ。以上』

 智和は返事をすることはなかった。

「会場はもう開催してる。予定通りに動こう」

「そうね。ゆっくり回りましょう」

 例え周囲の人間が聞いていたとしても、不自然にならない程度の会話で行動を確認し合う。二人が動くルートを監視することの再確認。

 智和はスマートフォンを取り出し、画面を操作して雑誌の上に置いた。このスマートフォンは琴美が準備して、各チームリーダーへ渡されたものだ。専用のチャットアプリでチームへの伝達を自然に行えたり、本部からの情報が送信されたりする。

 画面には展示会の日程が表示されている。ララがスライドさせると会場の見取図や出展企業の他、警備体制やショッピングモールの情報まで載っていた。

「相変わらずあの人って凄いわね」

「まったくだ」

 琴美の完璧さにはつくづく驚かされ、二人は感心してしまう。

「行こうか」

「ええ」

 エスプレッソを飲み干し、智和は自分とララの空の容器を捨てる。店を出ると、二人は予定通り行動を開始した。


――――――――――――◇――――――――――――


 伊藤みくは二階のエントランスホールを見下ろせるフロアにて、スマートフォンを弄って暇をもて余していた。

 今回の任務、みくも参加することになった。暇だから参加したいと申し出たのはみくだが、彼女の情報収集能力や監視能力は高い。武器は持っていないが、持たなくとも充分な戦力である。

 任務の詳細をデータで眺めていると、ふと何者達かが近付いてくる気配を感じた。周囲に人はいるが、それでもみくにはわかる。

 三人の男性が近付いて囲んできた。見た目からして遊び呆けているような連中で、みくは敵ではなくただの一般人だと理解した。

「ちょっといいかな。君、暇そうだね」

 それも遊び目的のナンパだった。気を張っていた自分が馬鹿馬鹿しくなり、小さく溜め息を漏らしてスマートフォンをショルダーバッグに片付けた。

「待ち合わせ中ですので」

「友達と? 良かったらその友達も一緒に遊ぼうよ」

「そうだよ。皆で遊んだら楽しいからさ」

「俺達も暇なんだ。ちょっとだけでもいいから。なんならお茶だけでもしない?」

 食い下がる三人にみくは嫌な顔をしなかったが、心の中では馬鹿な三人と見下していた。

 待ち合わせ中、としか言っていないのに勝手に友達と待ち合わせしていると話を進めた。それに暇でもない。

 頭の悪い三人を相手にどうしようか考えていると、視線の先に一際目立つ存在を見付けた。待ち合わせ相手がようやく現れた。

「待ち合わせ相手が来たので」

 するりと脇の下を潜り抜けたみくは待ち合わせに駆け寄る。三人が振り向いて相手を見ると、今まで見せていた笑顔がひきつっていた。

 みくが抱き付いていた腕と脚は太く、胴体は更に丸太の如く太くて硬い。見上げる程の身長。短く刈り揃えた髪。細めの目は鋭さがあった。そして日本人ではない。外国人だった。

 待ち合わせ相手――ホワイト・ゴードンが三人をじっと見下ろしていた。

「私のパパです」

 なんて似つかわしくない親子だろうと考える余裕すらなく、三人は「え……」と言葉をなくした。

 ホワイトの圧倒的な威圧感。無表情ながらも剃刀のような鋭い目付きで見下ろされれば、大抵の人間は対峙しただけで怯んでしまう。事実、怯んだ。

「パパ。男の子達から遊びに誘われてしまいました」

 ここぞとばかりに、みくはナンパされたことを告げた。ホワイトの無表情に耐えきれず、三人は「ひっ」と思わず後ずさった。

「あ、いえその……決して下心があった訳じゃなく……」

「バカ。誤解されんだろ! もう行こう!」

「す、すいませんでした……!」

 慌てて逃げていく三人。人混みに消えたことを確認したみくは、抱き付いていた腕をようやく離してホワイトの前に立つ。

「待ち合わせ早々、ご迷惑をお掛けしました。パパ」

「気にする必要はない。ただ、そのパパと言うのはやめてくれ」

「えー。本当のことだからいいじゃないですか」

 わざとらしく猫なで声で言い、再びホワイトの腕に抱き付いた。

「さて。ウィンドウショッピングしましょうか、パパ。あ、もちろん仕事もしますよ」

 困るホワイトを見てみくはとても楽しくなった。先程の三人のことなど、もう忘れてしまっていた。

 監視と巡回の任務を始める。さすがに腕に抱きついたままの移動は動きづらく、手を繋いで行動することにした。

「仕事は順調でしたか?」

「現在のところ支障はない。遅くなったが道具も揃った」

「それは良かったです。道具の調子は心配要りませんよ。なんせお得意様ですから、パパ」

「そのパパはやめてくれ」

「この呼び方嫌いですか?」

「戸籍ではその情報にしたが、私は父親と呼べる程の人間ではない」

 ホワイトとみくの戸籍情報は全て偽物だ。これらはお得意様の《GMTC社》の商人に用意させたものであり、本来の二人はまったくの別人である。

 ホワイトは日本国籍を取得したアメリカ人となり、誠二が紛争地域から連れてきたみくを養子として引き取らせた形にさせた。ここまでの法的処置や移動など、全てを商人に助けてもらったのだ。

 故に、偽物ではあるが二人は親子関係となっている。

 みくは手を離して前を歩く。ホワイトはその後を追う。

「私を助けてくれたのは誠二さんです。誠二さんには感謝しても足りないですし大好きです。私に人間として生きることを教えてくれました。春奈さんは女としての人生、教養を教えてくれました。他の人達からも大切なものを教わりました」

 立ち止まり、くるりと回って見上げる。

「ホワイトさん。貴方は私の面倒を見ると一番に名乗り出てくれたと聞きました。貴方からは家族としての触れ合いを教えてもらっています。家族がいた頃を思い出させてもらっています」

 宗教戦争などという事情により、みくがいた国は混乱の渦と化していた。そこへ勢力を広げたISISや狂信者、はてには反乱軍の介入により泥沼の地獄であった。

 家族はもういない。死んだかどうかわからないが、幼くして誘拐された時に死んだのだろう。他の妹達も慰み者になり、兄や弟は今もなお戦っているのだろう。

 みくは物心ついた時から慰み者となりながら銃を取っていた。体で敵を誘い、思う存分楽しませて利用した後に殺す。時には楽しませるだけ楽しませる。時には殺すだけ殺す。何人の男を相手にしたかなど、最早わからない。

 狂信者の慰み者として生きて、いつか死ぬ。麻薬で感覚と精神を麻痺させながらも抱いていた死と言う最後の“希望”を持って、みくは途方もない慰みと殺しをしてきた。

 そこに現れたのが誠二であり、彼らだった。武力介入と言う名目にて登場した彼により、みくは保護された。希望とした死を選ぶか絶望とした生を選ぶか迫られ――彼女は生を選んだ。苦悩の末、拒絶しながらも、彼女は生きることを選んだのだ。“絶望しながらも生きることを欲したのだ”。

 伊藤みくと言う名を授かり、国籍を与えられ、人生を与えられ、女性としての権限を与えられ、彼女は今を生きている。

 ホワイトとの共同生活。それは忘れ去り、消えていた儚い家族との生活を思い出す唯一のものだ。少ししかない思い出を噛み締め、また思い出させてくれる彼の優しさをみくは知っている。そうでなければ、面倒を見るなどと言わない。

「ホワイトさんの素性は詳しくわかりません。けれど、貴方は私のことをとやかく聞くこともなく、ただ一緒に生活してくれています。だから私も聞きません。ホワイトさんは優しいです」

 ホワイトは自問する。はたして、自分はそれに値する人間なのかと。

 数々の戦場を巡った。多くの生命を奪った。祖国に忠誠を誓い、祖国に戻ることなく、祖国の為に身も心も捧げた。その祖国に裏切られようとも、ホワイトの精神は祖国によって形作られている。

 故に思う。そんな言葉をかけられるべきではないと。

「私にはそんなものはない。私のような人間に掛けられる言葉ではない」

「それでもホワイトさんは優しいです」

「優しければ人を殺してなどいない」

「私はそうは思いませんね。優しい人ですら人を殺す世界です。貴方や誠二さん。会社の皆さんやIMIの方々。優しい人達ばっかりです。そんな人達が躊躇いもなく殺すので、ホワイトさんの意見に異論を唱えます」

 目の前で小躍りするように笑う少女の通りだ。今の世の中、人を殺す人間は数多い。優しかろうがなかろうが、どんな感情であれ傷つける人間がいる。

「私にとっては優しいです。それでは“パパ”、次はあの店を見ましょうか」

 みくは再び手を繋ぐ。まるで動物を相手にしているような感覚だが、ホワイトは黙ってみくに連れられることにした。


――――――――――――◇――――――――――――


 人混みに紛れていた誠二はスマートフォンを取り出し、監視カメラの死角に入ると電話をかけた。

『Hello!』

「相変わらず元気だな、お前」

『それが私の取り柄みたいなものだし』

 相手は若い女性だった。外国人らしく英語で話している。

「今何してる?」

『観光中。日本って何度来てもいいわ。とてもエキサイティングでクールな国よ。そうそう。商品はどうだった?』

「良い状態だ。中古品でも問題ない。相変わらずの良い仕事ぶりだ」

『あら、珍しい。いつもは貶してるのに。それで、女子大生みたいに世間話や暇を潰す為に電話かけてきた訳じゃないんでしょ?』

「朝にも言ったが、お前の商売敵がいる。会って話してみないか?」

『ふぅん。それだけ?』

「面白いものが見れるかもしれない。行ってみる価値はあるぞ、ジャン」

『そのジャンはやめて』

 苦言を漏らす女性は唸るように悩む。間を空けて数秒ほど。

『いいわ。行ってあげる。その代わり面白くなかったら食事奢ってもらうから』

「いいさ。何でも好きなもの食わせてやる」

『じゃあ中華料理がいい! 春巻きと麻婆豆腐をプリーズ!』

 言い終わる前に誠二は電話を切った。用件は済んだので、はしゃぐ子供の声など聞く必要はなかった。

「さて。どうでるか」

 敵側の出方を伺いながら、誠二はスマートフォンをポケットに片付けて歩き始める。


――――――――――――◇――――――――――――


 ショッピングモール内に待機していたタカハシは、スマートフォンで電話をかけた。相手は李だ。

「準備は?」

『万端』

「本当に使い捨てでもいいのかい?」

『奴らは“闇”。消えても問題ない。それに、組織裏切った。裏切り者は粛清する』

「わかった。予定通りそっちは任せる。合図したら頼むよ」

『我知道了(了解した)』

 電話を切り、すぐにまた掛ける。今度はレスリーだ。

『俺だ』

「どんな感じだい?」

『既に制圧した。よく見える』

「ショッピングモールにいるIMIと他の人間、見付けてもらうよ」

『簡単に言うものだ』

「君達だから任せたんだよ。そういうことは慣れてるだろ?」

『ああ。だが、本当に炙り出すだけでいいのか?』

「今回は武力偵察みたいなものさ。李がやってくれるならそれが良いが、あいにくと時間はない。それに、俺達はギブソンの喧嘩に付き合う義理はない。要は競争相手を撤退させればいい。君達もそうだろ?」

『荒事はしたくない。というよりできない。まったく、お前は勘がいい』

 褒められたのか嫌味を言われたかはわからないが、レスリーも予定通りに進んでいることがわかった。あとはタイミングを待つだけ。


 その間にタカハシは煙草を吸おうと喫煙室に入った。忙しくなれば吸う暇もないからと、惜しむように火をつけた。

 煙草に火をつけた直後、スマートフォンに着信がきた。定時報告などは特に指定していない。

 画面を見るとフランチェスカからだ。何か怪しいものでも見つけたのか気になり、電話に出た。

「どうした?」

『お前が煙草吸ってる気がした』

 くだらない理由で電話してきたことに、タカハシは肩を落とした。

「そんな理由で電話してきたのか」

『アタシにとっては重大なことだよ。火が点かねぇ!』

「ライターあっただろ? まさかもう使いきったのか」

『コンビニで買ったやつ。もう点かねぇ。おかしい。数日前に買ったばかりなのに』

「それは君が度を越えたヘビースモーカーだからだろ」

『うぉぉ……煙草吸いてぇ……!』

 電話越しのフランチェスカの唸り声を聞き、割と深刻な状態にあるとわかった。とは言え、ライターを買ってきても良いとは言えない。彼女は周囲を見張る“眼”なのだ。一時でも離れてしまえば困る。

「我慢してくれ。後で充分にライターあげるから」

『本当だな。本当に本当だな!?』

「必死すぎる」

『アタシの生命線だ。だったらタカハシ、お前も吸うな』

「わかったよ。終わったらすぐに向かう」

『イェーイ!』

 はしゃぐフランチェスカに溜め息を漏らし、タカハシは電話を切った。言われた通り、火をつけたばかりの煙草を灰皿に捨てた。“別に吸わなくてもいいからすんなりと”。

「会場はどんな様子かな」

 スーツの内側から片耳イヤホンを取り出して左耳に装着。展示会場の様子を聞けるようになっていて、予定通りならばイベントが開催される時間だった。


――――――――――――◇――――――――――――


 時間通り、展示会場は開催した。

 各国企業による出展を、各国の人間が見る。警備会社や大手企業、記者、軍関係者や警察関係者が主にやってきては商品を吟味していく。

 最新型の装備がズラリと並ぶ中、沙耶率いる《ディ・マースナーメ》の商品があった。

 小型無人機。掌サイズの物はもちろん、更なる小型化が図られた無人機に参加者の目が惹き付けられた。

 実際、今回の目玉は無人機だ。《ディ・マースナーメ》の他にも五社の企業が無人機を出展している。

 沙耶自らが参加者に商品説明をしている間、護衛を任された瑠奈と恵はブースの両端で目を光らせていた。千香は沙耶の秘書も兼ねているので隣に立っている。男性職員には復帰した大柄なボディガードの橋本がついていた。

 今のところ問題はない。会場内の人数が多くなっているが、対応が遅くなるようなこともない。通信も充分可能だ。

 警備をしながら今後の状況を考えていると、ブースにとある集団がやってきた。瑠奈と恵は思わず目を丸くした。

 スーツに身を包んだ集団は記者ではない。企業でもない。警備会社の人間とは違う人種だ。“自分達と同じ目がイカれている部類の人間だった”。

 その狂人集団の先頭に立つ男は、防衛大臣の波多野である。

 波多野の後ろに立つ男は瑠奈と恵もよくわかる。訓練と実戦で鍛え上げられた見事な体格を持つ冷静な男は、陸上自衛隊の岸俊彦一きしとしひこ等陸佐だ。

 防衛大臣の波多野が訪れることはまだ理解できる。だが何故、自衛隊の一等陸佐がついているのかが理解できない。

「お久しぶりです。黒井さん」

「こちらこそお久しぶりです。どうしてこちらに?」

 二人の戸惑いなど知らず、沙耶は波多野と会話を始める。自衛隊も取引相手なのだから当たり前だが、防衛大臣と知り合いというのは少しおかしい。

「今回の展示会に少しばかり顔を出すことになっていました。展示会のスケジュールには書いていなかったので、驚かせてしまったようで」

「知っていたらご挨拶に伺っていたのに」

「いえいえ。そこまで気を遣わなくとも。それではこのあたりで」

 話を切り上げた波多野はブースから離れていく。岸が瑠奈と恵を一瞬だけ見た。笑顔だったが、瑠奈にはおぞましいものを見たように悪寒を感じた。恵も同じで、信用してはならない人間だと判断した。

 小娘二人の感情を読み取った岸は、ブースが離れたことを確認して波多野の隣を歩く。

「可愛らしいお嬢様だ。現場を歩いたことがないのがすぐわかる純粋な目だ」

「だからこそだ」

「貴方も酷いですね」

 鼻で笑う岸だが、沙耶のことを“可哀想”とはまったく思わなかった。

 波多野達が去った後、恵の傍らに瑠奈が歩み寄った。

「波多野邦一……何で防衛大臣が民間の展示会場なんかに」

 民間展示会場に軍や警察関係者が訪れるのは珍しくないが、日本国内で、更には防衛大臣が現れるなど大変なことだ。野党やマスコミから叩かれる材料になり得るこの場所に、自衛隊員と共に平然と姿を現すなど。

「長谷川先生に連絡しておく~?」

「お願い。予定すらないのに来たってことは、何かしら仕出かす可能性がある」

 恵の判断で、瑠奈は長谷川に連絡する。

 防衛大臣の訪問を主催者側しか知らないのであれば、面倒ではあるがなかなか好機だ。

 もし敵が襲撃を企ているならば、このタイミングでは襲いづらい筈だった。国の一大臣がいるこの場でそんなことをすれば、敵対勢力がたちまち拡大してしまう。一組織から一国家になりかねない。

 今は大丈夫の筈。

 警戒は解かないが、恵は人混みの先に消えた波多野達を眺めた。

 何か悪い予感がする。胸騒ぎが治まらない。

 その後も展示会が続く。問題なく次のプログラムへと移行した。

 各社・関係者による講演である。

 パンフレットに記載されている講演者数はざっと八つほど。それも同時進行が殆どだ。時間も重なっている為、参加者はどの講演を聞くか前以て考えておく。

 あいにくと沙耶は聞く側ではない。聞いてみたい気もしたが、講演中に人が来ないということはない。先程も記者達が数名来て、ようやく対応を終えたばかりだ。

『全ての講演が終了いたしましたが、これより特別講演を開催致します』

 そんなアナウンスが流れた為、会場にいた者達は珍しそうな顔をしていた。パンフレットには載っていない。

『波多野邦一防衛大臣による講演となります』

 アナウンスが続けられようが、恵と瑠奈は顔を見合わせた。

 パンフレットには載っていないスケジュール。更には防衛大臣による特別講演。どうも話が出来すぎているようがしてならない。

 とは言え、護衛役の二人に何ができる訳でもなかった。ただ連絡するだけだ。

「こちら恵。本部へ。波多野邦一防衛大臣が講演する」

『こちら本部。本当か?

「パンフレットには載ってなかった。しかも自衛隊幹部も一緒だった」

『……了解した。引き続き警護に徹しろ』

「了解」

 胸騒ぎが治まらないまま通信を終了した恵は、会場の天井からぶら下げられているモニターを見上げた。そのモニターには、講演会場の準備が映し出されていた。


――――――――――――◇――――――――――――


 報道陣や関係者が詰めかけた会場に、防衛大臣の波多野が悠然と脇から現れた。

『今回の展示会において、過去に開催された中で大きい規模の展示会だと聞き、私は今緊張しながらも興奮を隠しきれません。

 この展示会には各防衛産業企業だけでなく、民間企業や政府機関までもが参加する巨大なマーケットとなっています。故に様々なアイデアや技術が所狭しと並んでいます。

 今回、私が講演するに至った経緯は至極簡単。積極的平和主義の推進、緊張を高める現状を懸念するが為であります。暴力に任せた威嚇、強制、牽制、行使は許されるものではなく、反対されるべき愚行でもある。

 ここに出展されている方々は、時には緊張を高める要因となってしまうだろう。しかし、だからといって身を引いてはいけない。皆が平和を願わなければ叶わない故に貴方達がいる。願わないが故に、私達は必要としている。

 話が逸れました。本日の出展、数多くの企業や機関が並んでいます。その中には日本の企業も複数あります。その中でも優秀な企業との協力の下――我が国は現在、“ステルス無人機による開発を行っています”』

 波多野の言葉に会場はどっと沸き上がる。

“日本がステルス無人機開発を明言した”。

『現在、X-2におけるデータ収集を主にしており、それらを元に開発・研究を行っている段階です』

 会場が暗くなり、波多野の背後にあるスクリーンに画像が写し出される。それは新型無人機の試作段階時の画像であり、当然、沙耶も見たことのあるものだった。

『残念ながら、我々は後手になっていた。純国産はおろか国際共同開発を推し進める程に。一昔前まで。

“そう。一昔前まで”。ここに出展している日本企業は世界の技術を持っている。エンジン、レーダーなど、純国産で生産できる手前までにいる。

 私は誇りに思います。“彼女ら”の功績と心掛けは、私達だけでなく世界が誇ることになると』

 波多野がミネラルウォーターを飲むと、一斉に質問の挙手になった。

 眼鏡をかけた記者が当てられて立ち上がる。

『国産ステルスを開発できた、とのことでしょうか?』

『試作段階です。未だデータ収集の段階ですが、いずれは。次の方』

 別の記者が当てられた。

『いつ頃から開発していたのでしょうか? 開発費用は?』

『正確には答えられませんが数年前から。費用も詳細はお答えできませんが、X-2開発費用と考えていただければ。次の方』

『防衛費が年々増加している要因はステルス開発ですか? 議会での承認は?』

『要因の一つでしょう。議会の承認もあります。そもそも、国内外に防衛費増加の要因が山程あることをお忘れなく。次の方』

『開発による各国の反応はどのような考えになると? 強引な考えとは思わないのですか?』

『安全保障による最低限な考えとしています。強引と思うならば、先日の東京都上空の無人機撃墜を追求すべきでしょう。次の方』

 くたびれた感じの男性記者が問う。

『ステルス無人機、ということは無人機市場への参入も視野の一つですか? それとも牽制の意味合いでも? 発表もいくらか早い気がしますが、何か目的でもありますかね?』

『国防目的による開発です。発表はこの場が適切だと判断したからこそです。次の方――』


――――――――――――◇――――――――――――


「これはこれは」

 展示会場の音声を聞いていたタカハシは、思わず笑ってしまう。

「なんて酷い。発表している口振りじゃないか」

 なんとも酷い言い回しだ。隠そうとしながらも隠そうとしていない。そうなると、“隠そうとすらしない”と考えるのが妥当だろう。

「お嬢様にとっては予想外だが、君達にとっては明確な宣戦布告だろう? レスリー」

『――ああ。素敵な宣戦布告だ。クソッタレ』

 スマートフォンで通話していたレスリーは悪態をつく。

『おかげで手を引けなくなったぞ』

「君達の上司が聞いているからね。酷いものさ。それも見越してるよ」

『良いだろう。買ってやるともその喧嘩。“ステイツの、我々の喧嘩をやってやる”』

「おお。怖い怖い」

『そろそろ時間だ。ある程度の目星はついたがデコイもあるだろう。送るぞ。それに、黙って見ているのが悔しくてたまらない』

「頼むよ」

 電話が切れ、スマートフォンにレスリーから画像データなど情報が送信される。歩き回ってある程度は気付いたが、データの多さからやはり本職の人間には叶わないと痛感した。

 直後、警報が鳴り響いた。タカハシはイヤホンを外し、仕事へと移った。


――――――――――――◇――――――――――――


「あの野郎」

 展示会場の講演を聞いていた誠二は悪態をつく。

 何が知られたくないだ。これでは“わざと知らせている”みたいではないか。

 明確な企業名は伏せたまま。内容も重要なものを隠しており、必要最低限の情報しか発表していない。

“しかし。しかしだ”。

 この展示会場に出展していること。そして“彼女”と口にしたことで、答えを言ったに等しいではないか。

 成程。確かに。敵を作ってもすぐに切り捨てられる。小さな民間企業故に、敵の目を向けられているが故に、そういう判断なのだろう。

「何が上手く立ち回れだ。クソッタレ」

 波多野に対する苛立ちをなんとか抑え、誠二は警備に集中する。

 周囲を見回し、監査カメラを見つけた。骨伝導型の小型無線機でホワイトに通信。

「何か見つけたか?」

『何も発見できない』

「警備室に向かう。指揮はリック、頼むぞ」

『了解。無茶はするなよ、ボス』

 指揮を別チームに任せ、誠二は関係者用通路に入る。

 通路の入口を監視していると、関係者に見えない外国人が入っていくのを見たのだ。その直後、ショッピングモール内に警報が鳴り響いた。

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