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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第二部第3章
30/32

静寂

静けさ漂い、死臭が広がる。

 いつも起きる時間帯に目を覚ました智和は、シャワーを浴びてから身支度を整えた。夏休み期間中なので私服に着替え、簡単な朝食を作って手早く済ませた。

 片付けを済ませ、パソコンのメールを確認。自分の携帯電話のメールも確認。沙耶の警護をしている恵から定時報告のメールがきている。「異常なし」と短い言葉だ。

 沙耶の警護から数日が経過する。襲撃らしい襲撃はない。問題なくできている。

 敵側も何かしら模索していると考えて間違いなかった。IMIが加わったことで慎重になっている。おかげで敵側の動きが静かになり、相変わらず正体を掴むことはできなかった。

 それでも、そろそろ調査の成果が出てくる時間でもある。今日は調査を頼んだ新一や《諜報保安部》から報告を貰う。何かしらの成果はある筈だった。

 その報告の前に済ませたいことがあった。場所を確保する為、徹夜続きの長谷川の携帯電話に電話を掛けた。

『私だ。どうした』

「徹夜明けに悪い。前に言ってた面接をやりたい。会議室空いてないか?」

『夏休みだぞ。ガラ空きだ。小会議室でいいな?』

「ああ」

『なら第一小会議室を使ってもいいだろう。鍵取りに来い。あと使用許可依頼書も』

「わかってる」

 電話を切ってから智和の作業は早かった。データ保存している使用許可依頼書を印刷して必要事項を記載。必要な物を小さなバッグに入れて部屋を出た。

 夏の暑さが増す炎天下。IMI敷地内でも蝉の鳴き声が喧しい。そして暑い。ようやく購入した自転車に乗って普通科校舎に向かう。

 当然だが、夏休み期間中の校舎には生徒の姿がなかった。なので私服でもかまわないし、どこか新鮮な気分にもなる。

 職員室に入ると教師達が仕事をしている。教師という職業には休みがあると勘違いしている輩がいるが、それは誤解だ。学校の長期休暇中でも仕事はあり、残業もする。

 いつもの席に長谷川はいなかった。代わりに、デスクには山積みにされた書類が置かれている。隅にはエナジードリンクの空き缶、ゴミ箱にはコンビニのおにぎりやサンドイッチの袋のゴミが捨てられていた。なかなか悲惨な状況だというのはわかった。

「平岡先生。おはようございます」

「あら、神原君。おはようございます」

 平岡は手を止め、智和に向きを直して挨拶した。いつもはスーツか地味な服だが、今日は少し印象が違い可愛らしく、本人の雰囲気が強調されていた。おそらく私服なのだろう。

「もしかして長谷川先生に用事?」

「はい。会議室の使用許可依頼書を渡しに。徹夜続きなのはわかってましたが……散らかり具合を見ると予想通りで」

 智和の表情に平岡もつられて苦笑する。

「長谷川先生は仕事を持ち帰らないからね。部隊任務指揮に報告書、更に《戦闘展開部隊》訓練試験の女子担当教官だから、やることはたくさん。今じゃ部屋にすら戻らないで仮眠室に寝泊まりしてるから……」

 職員室のある階には仮眠室がある。文字通り眠るだけの部屋だ。四畳ほどの個室にベッドと収納を兼ねた小さなクローゼットがあるだけ。

 同階には教師用の休憩室に更衣室の他、シャワー室などもある。一通りの施設が整っているので生活はできるのだ。

「まぁ、長谷川は極端かと。多分、前職よりマシだと思いますよ。気軽にインスタント食品食べれますし」

「それでも心配になってしまって。私は“そういったこと”には疎いから……他に何か、力になれることがないかいつも考えるの」

 IMIの一般科目担当教師は基本的に軍事には精通していない。軍事に精通していることが珍しいと言われる。

 日本IMIは国と連携が取れていない為、教師を揃えるには自分達で集めなければならなかった。条件として一般科目担当の場合は、教科別教員免許を取得していること。軍事科目担当に関しては条件付きで求人を出してはいたが、《GMTC社》などから引っ張ってくるのが主だった。

 平岡もその一人だった。最初は普通の教師を目指して教員免許を取得したが、配属した学校の同僚達からイジメを受けて鬱病に。一年で退職してしまった後、精神科医に通いながらなんとか克服。再び教師になりたいと思った矢先、IMIの求人広告を目にした。

 今ではうまくやれている。同僚達とも仲が良く、特に同部屋の長谷川とは長年の付き合いらしい。

 だからこそ平岡は長谷川のことが心配になり、何か役に立てないかと思うのだ。

「充分だと思いますよ、多分。それだけ考えて貰えれば長谷川も嬉しいでしょうし、平岡先生のことだから何か料理でも作って持ってくると思いますし」

「え!? あ、そのまだ長谷川先生には渡せてなくて、インスタントだけじゃ栄養偏るからって考えただけで、べべべ別に深い意味なんかないですよっ!」

 顔を真っ赤にして反論してくるあたり、既に作って持ってきていることに智和は気付いた。というより誰でも気付く反応である。

「担任を困らせて何をしているんだ、お前は」

 横から呆れた長谷川が歩いてきた。黒のパンツスーツに半袖のブラウス姿で、シャワーを浴びたのか髪は少ししっとりとして首にタオルをかけている。

 淹れたてのブラックコーヒーを飲んで自分のデスクの椅子に座る。智和から使用許可依頼書を受け取って確認し、承認の判を押すと鍵を渡した。

「長期任務になると物が多くなるのは相変わらずだな」

 デスクの状況を言われた長谷川は背凭れに体重を任せ、うんざりしながら告げる。

「重なり過ぎだ。任務指揮はかまわん。軍事科目テストの採点や結果報告書作成に成績をつけるのも仕方ない。ただ《戦闘展開部隊》の訓練試験が延びたのが痛い。日程やカリキュラムの見直しの為に会議ばかりとは……おかげで状況確認は琴美やお前に投げっぱなしだ」

「いいじゃないか。楽できるところは楽をした方がいい。訓練試験の女子担当で教師役できるのは、今のところ長谷川含めて数人の教師だけだぞ」

「担当が同性でなければならないなんて、生温いとつくづく思う。私が訓練してた頃は男しかいなかったんだぞ」

「現役の頃と今を比べるなよ。それとも、懐かしむぐらいに老けたか」

「殺すぞ」

「あ、あの……」

 二人のやり取りに平岡が恐る恐る入ってきた。両手には大きなタッパー二つと、ラップに巻かれた沢山のサンドイッチを持っていて、顔を俯かせながら長谷川に差し出した。

「忙しいのはわかりますが、せめて食事ぐらいはちゃんとしないと体に悪いので……よ、良かったら食べてください」

 初めはキョトンとしていた長谷川だが、平岡の気持ちを察すると柔らかい笑みを見せた。

「ありがとうございます、平岡先生。助かります」

 受け取って早速サンドイッチを食べる。「美味しいです」と答えると平岡は顔を真っ赤にして再び俯いてしまった。

「これだけ作るのは大変でしょう」

「い、いえ。簡単なものばかりですよ。それに長谷川先生の為なら喜んで……。全部食べ終わったら言ってください。また作りますから」

「では、お願いします」

「はいっ」

 気を遣わなくてもいいと言おうとしたが、余計なことは言わず素直に甘えることにした。平岡の笑顔を久々に見れた気がした。

「任務の報告がある為、少し席を外します」

「わかりました」

 サンドイッチをいくらか持ち、智和と一緒に職員室を出ていった。見送った平岡は長谷川に気に入ってもらえたことを確信し、にやけが止まらなかった。

 職員室を出た二人は四階の会議室へと向かう。途中で長谷川からサンドイッチを差し出され、智和は遠慮なく貰うと歩きながら食べる。

「このチキンカツサンド旨いな」

「だろう?」

 自慢気にした長谷川は既に二つ目のサンドイッチを食べ終えようとしている。

「中期生達の面接は何時にするつもりだ?」

「報告が終わった後の予定。午後には会議がある」

《強襲展開部隊》の所属訓練に関係する会議が午後にある。担当者全員を集める為、智和やララなども出席する。

「警護組から何かあったか?」

「問題はない。恵と瑠奈から定時報告は届いているし、誠二さんとも連携出来ている。問題あるなら――」

「敵の行動、か。相変わらず把握出来ていない」

「派手な銃撃戦のおかげで自粛しているだけならいいが、それにしては静か過ぎる。何か企んでる可能性もある。なにより、そんなことをしたのに手掛かりを掴めないのがおかしい」

「敵が有能かこちらが無能か。今回の調査報告で判明する」

「後者だったら泣きたくなる」

 集合場所にしていた会議室に入ると、既に新一と《諜報保安部》に所属する高期一年諜報科の倉田英人、中期三年諜報科の藤井香奈がいた。

 三人共私服だ。倉田と藤井は立って雑談していたが、新一は椅子に座って携帯ゲーム機で遊んでいる。

「新一が早いなんて意外だな」

「ちょっとプライベートで予定出来たッスから、さっさと終わらせにきたンスよ」

 携帯ゲーム機の電源を切って智和達に向きを変える。ポケットからスマートフォンを取り出し、タッチ操作していく。

「結論から言って、街の監視カメラは駄目ッスね。どういう訳か襲撃事件があった時間帯の、襲撃現場の映像記録が悉くなくなってる。証拠紛失とかのレベル超えて証拠隠滅ッスよ、もう」

「IMI偵察衛星の記録をあたっている。人手不足で人物の解析はまだできていない」

《諜報保安部》の慢性的な人手不足や、民間軍事企業アックスによる事件のせいで情報抹消の作業に追われていることを理解していた智和は文句など言わない。

「解析して人物特定できるとしたらいつ頃の予定だ?」

「早くやる、としか言えない。俺と香奈の二人しかいないんだ。我慢してくれ」

「わかってる」

「人物解析は二人に任せるとして、自分は黒井グループにクラッキングしてきた連中を調べてみるッスよ。そっちの方がやりやすいッスし」

「それでいい。何か必要なものはあるか?」

「いいッスよ。それぐらいはちゃんとあるッスから」

 答えた新一は何か思い出したのか、「あ」と呟いて智和に顔を向けた。

「横転した大型トラックはどうだったンスか?」

 沙耶と千香の逃走途中、大型トラックが横転して道が塞がれた。勿論、智和は調査してきたが、首を横に振った。

「ララと一緒に運輸会社の近くまで行った。当前だが警察が先に来ていた。出直してくる」

「ンー、IMIは捜査とか事情聴取とか許可ないと出来ないッスからねー」

「そもそも、この調査が非公式なモノだからな。公式なのは黒井沙耶の警護任務だ」

「ま、気長にやるしかないッスかねー。で、警護対象のお嬢様はどんな感じなンスか?」

 ちょうどサンドイッチを食べ終えた長谷川が答える。

「ここ数日はいつも通りだ。数社と打ち合わせし、会社で仕事をしている」

「女子高生とは思えない夏休みの過ごし方ッスね」

「近い日に防犯対策と銘打つ展覧会がある。一般向けの商品もあるが、テロ対策などを目的とした物もある。それに出席する為に出回っているのだろう」

「それってデカいショッピングモールの隣でやるヤツ?」

「そうだ」

《7.12事件》の被害区にて、巨大な複合型ショッピングモールが建設された。更に隣には、東京ビッグサイトには劣るが国際展示場も建設され、よくイベントなどが開催されている。

 その国際展示場にて毎年、防犯対策を目的とした商品の展覧会が行われている。ここ数年、沙耶の会社も出展していた。

「現在、展覧会の警備にIMIを介入させようと交渉している。……が、あまり期待できないだろうな」

「どうしてッスか?」

「一つ目は日が遅過ぎること。警備形態を根底から変えてしまうから仕方ない。二つ目は、この展覧会は軍需企業や防犯対策企業による集合体での出展ということ。警備とてIMIが介入すれば、展覧会全てにIMIが関わっているという事案を生む。日本IMIは関わらせたくないというのが企業側の本音だ」

「長谷川の言う通り、《都市治安部隊》の警護態勢は無理だろう。だから俺達で勝手にやる」

「うわ。智和さん。それバレたら色々とヤバいッスよ」

「“知るものか”」

 智和は即答し、口調を強めたまま続ける。

「既に先手は打たれた。俺達は後手どころから相手の駒すら見えない。相手から丸見えで打たれ続ける。埒を“明ける”には相応のやり方が必要だ」

「智和の言う通りだ。既に部隊の警備態勢計画は整っているし、全てのポイントも押さえた。新一、今回から狙撃ポイントについてもらうぞ」

「了解ッス」

「なんとしても展覧会での襲撃は防ぐ。やられたとしてもやり返す。何かしら状況が起これば何かしら証拠が残る。傷痕は残してもらうぞ」


――――――――――――◇――――――――――――


 新宿駅に程近いオフィス街。高層ビルに見下ろされるように《リスクコントロール・セキュリティ社》のオフィスビルはある。

 入口すぐにエレベーターに乗り四階へ。人懐こそうな受付嬢が出迎える。ドアが開いて顔を上げると、この会社の責任者でもある誠二がエレベーターから降りてきた。

「おはようございます」

「おはよう」

「今日はこちらでしたね」

「ああ。事務所の様子は?」

「変わりありませんよ」

 手短に雑談を済ませて中へ。

 七階建てのオフィスビルだが空き階もある。四階が主に使われる事務所スペースだ。向かい合うように個々のデスクが並び、少人数用の打ち合わせスペースがガラス板で仕切られて三つ。奥に誠二のデスクがある。

 既に五人の従業員が仕事をしており、手を止めて誠二に挨拶する。この五人のうち三人は外人だ。五人は確かに軍や警察関係者などであるが前線には出ず、事務専門の仕事に勤めている。

 誠二がデスクに着くと従業員の女性が、いつものようにコーヒーを持ってきてくれた。一口飲んでオフィスを見回す。

 来客用に区切られたスペースのソファに、堂々と寝っ転がって小説を読む少女を見つけた。コーヒーカップを持って彼女に向かう。

「朝から来客用ソファでごろ寝とはいい身分だな」

「この時間帯に来る人なんていないので。今の時間は私の聖域です」

 安っぽい聖域だと宣言した少女――伊藤みくは小説を退けて誠二を見上げた。瞳は相変わらず死んでいた。

「ほら、状況報告しろ」

 先程の女性にみくのコーヒーを用意させる。するとみくは仕切りからひょこっと顔を出して、コーヒーではなくミルクココアを要求した。

 誠二のデスクはガラス板で区切られている。誠二は自分の椅子に座り、みくは打ち合わせスペースから椅子を持ってきて、向かい合って座る。

 女性からミルクココアを淹れたマグカップを受け取って早速一口飲む。いつも飲んでいるホットのミルクココアはいつも甘く、美味しい。礼を言うと女性は嬉しそうに部屋から出ていった。

「どこまで進んだ?」

「正直、進展はそこまでありません」

 誠二の問いにココアを飲みながら答える。

「狙撃したと思われるポイントは前に報告した通り。あとは、まぁ、想像以上に結果が出ません」

「そうか」

 調査をするよう命じたのは誠二だ。結果が出ていなくとも落胆も叱責もしない。

 そもそも、十代である子供を個人で調査させても結果が出ないことは承知の上。限界がある。

 それでも調査させたのは、みくが誠二と“同じ世界”にいた故だ。殺しに精通し過ぎている彼女なら、何かしら見つけられるだろうと。

「誠二さんの見解で、あんなこと出来るスナイパーはいますか?」

「居る。国外に多数。国内なら数える程度」

「誠二さんが認める程のスナイパーが国内にもいるんですね。誰ですか?」

「自衛隊に数人。あとは新一か」

 即答した内容にみくは納得。確かに自衛隊にもいたし、新一の腕も確かだ。

 それでも、だからこそ、敵の狙撃手が異常だということがわかる。

 これから調査方面をどうするべきか悩んでいると、みくが思い出したように声を出した。

「成果という程ではないですが、ちょっとした近況報告」

「近況報告?」

「読ませてもらった報告書にマフィア関係があったので、自分で少しだけ調べてみたのです。最近、チャイニーズマフィアが拡大しつつあることは知っていたので彼らの――」

「“マフィアの縄張りに行ったのか”?」

 瞬間、誠二の表情から笑みが消えた。声から抑揚が消えた。それが怒りだということをみくは理解し、同時に恐れた。

 今まで軽い調子で話していたが、冷や汗を感じるほどに今の誠二が恐い。

「答えろ。マフィアの縄張りに行ったのか?」

「……えっと、あの。それ、は」

 誠二の冷たい目線が恐く、思わず目を背けて俯いてしまった。言葉が詰まって上手く喋れない。

「行ったのか?」

「……はい。行き、ました」

 ようやく捻り出した言葉は弱々しいものだ。次に何を言われるか恐くて何も考えたくない。

 が、みくの予想に反して誠二の口からは叱責ではなく呆れの溜め息が漏れた。

「みくがそこまでする必要はない。次からは提案という形で報告しろ。いいな」

「……怒ってます、か?」

「怒ってない。調査するよう指示したのは俺だ。どこまで調査しろなんては言っていない」

「嫌いになりましたか……?」

「嫌いにもなってない。みくに対する感情は変わってない。そうして欲しい時に俺は指示を出す。指示を受けてからでいい。わかったな?」

「はい」

 まるで年の離れた兄妹の説教だった。冷たいながらも最後に優しく諭した誠二に、いつもの感情を抱いたみくは調子を取り戻す。

「それで、マフィアの近況がどうだったんだ?」

「一、二ヶ月程前に数組の暴力団が襲撃されてからピリピリしてましたが、ここ最近は落ち着いてる様子でした。そんな中でジワジワと勢力を伸ばしているマフィアがいまして。《蜂蜜フォンミィ》って知ってます?」

「人身売買を扱うチャイニーズマフィア。中国に本部を置き、日本に支部を抱えている。アジア圏のみならずヨーロッパ方面からも商品を獲得してきて、高い値で売り捌ける組織だな。これがまた小児性愛者に好かれててな。最近じゃ闇サイトにまで出品してオークション方式で売買してるらしい」

「なんだ。私より詳しいじゃないですか」

「そんなむくれるな。IMI所属中に知る機会があっただけだ。で、どうしたんだ?」

「《蜂蜜フォンミィ》が大きな仕事をしているらしい、と。マフィアの縄張りで噂になってまして、他のマフィアが様子見しているらしいです。あと、《レッド・グループ》狩りを始めたらしいですよ」

「まだ小競り合いしてたのか。てっきり《レッド・グループ》は壊滅したと思ってたんだが」

「両者の対立を私は知りませんけど、まだ続いていた対立を終わらせるつもりらしいですよ。ですが大きな仕事をしつつですから、殺し屋を雇ったと」

「殺し屋、ねぇ」

「誠二さん。呆れた表情してますけど、この殺し屋の腕は確からしいですよ。今月に入って《レッド・グループ》の店を五件潰して、その倍以上の人数を殺しています。一人で正面突破。中には閃光手榴弾まで使ってるんですよ?」

「アクション映画じゃあるまいし……。というか、そこまで噂が広がってるのか?」

「《蜂蜜フォンミィ》の構成員から聞けました。ちょっと誘えばホイホイ付いてきたので、ベロベロに酔わせてから自白剤使わせてもらいました」

「お前何してんだ。というか自白剤どこから持ってきた?」

「前の仕事で使った残りです。大丈夫ですよ。してないです」

「してない、だろうな?」

「シテナイですよ。本当です」

 みくの余罪がないか後で追及する必要があると密かに決めた誠二は、コーヒーを飲んで頭の中を整理する。

蜂蜜フォンミィ》の勢力が年々強くなっていることは知っていた。池袋北口の繁華街はチャイニーズマフィアの温床となり、池袋を拠点とする《レッド・グループ》が弱体化した為に好き勝手やれる。

 そして《蜂蜜フォンミィ》の仕事上、様々な顧客がいてもおかしくない。例えば警察関係者だとしても、だ。

「この件に関してはIMIに報告してから決める。みくはもう勝手に調査をするなよ。いいな?」

「わかってます。誠二さんの言うことちゃんと聞きます」

 そう言ってミルクココアを飲んだみくは、気になっていたことを聞いた。

「私が聞くのは間違いだと思いますけど、銃器の使用許可って出ましたか?」

「いや。防衛省からはまだ正式に降りてこない」

 政府から民間軍事企業として銃器の所持・使用が認められている《リスクコントロール・セキュリティ社》だが、勝手に持ち歩いて武装し発砲して良い訳ではない。

 海外においての銃器所持・使用は、常に内閣と防衛省から許可されている為に何も言われない――そもそも内密に設立された為に表に出てはいけない事案でもある――。海外での銃器所持について憲法で触れていないから合法という意見もあるが、それは合法ではなくただルールがないだけに過ぎない。つまりはグレーゾーンである。そこからは国の仕事なので誠二は興味などなかったが。

 特殊な事例ということで国外では問題ないが、国内となれば話は別だ。銃器の所持は認められていない。

 故に、国内での仕事がある度に《リスクコントロール・セキュリティ社》から防衛省へ銃器所持・使用の申請を申し込む――誠二が企業したと同時に、防衛省でも密かに専用部署を設立したのでそこに申し込んでいる――

 早くて二日。普通なら五日程。遅くとも一週間以内には返事が来るのだが、沙耶の警護計画をした日に申し込んでもまだ返事がなかった。

 その理由も大体は察しがついていた。手を打つ必要があり、誠二は僅かに苛立ちを感じていた。

「どうしますか? 無断で使いますか?」

「駄目だ」

 即答した誠二は強い口調で続ける。

「俺達はもう無法者の集まりじゃない。IMIでもなければ軍隊でもない。一企業だ。この国で引き金を引いたその瞬間、俺達はただの犯罪者になる」

「でも事態が変わるとは思えませんよ。防衛省の波多野はたのというあの役人、考えていることが黒過ぎます」

 防衛大臣の波多野邦一はたのくにかず。企業設立に協力した形ではあるが、自衛隊隊員の海外派遣を秘密裏に行うことを条件として提示した。

 どちらにとってもハイリスクでありハイリターンな結果となる。それを承知で誠二は納得した。

「このまま黙っているつもりはない」

「頼もしいですね」

 これ以上みくは追及しなかった。誠二がすると言うなら必ずする。彼はそういう男だ。

 ミルクココアを飲み干したみくは話題を変えてみた。

「話変わりますけど、家に帰ってますか?」

「いや。ここの部屋に泊まってるが?」

 ここの部屋というのは、オフィスビル内にある個室の住居スペースのことだ。ビジネスホテルのようにベッドやクローゼットなど一通り設備が整い、着替えがあれば住めるようにワンフロアを改造した。シャワーやトイレ、台所まであって共同使用となっている。

 誠二の言葉を聞いた瞬間、みくは大きな溜め息を漏らしてわざとらしく呆れた。

「誠二さん……春奈さんがいるのに何してるんですか?」

「いや、仕事してるんだが」

「家族持ちの人達はちゃんと家に帰っているというのに……」

「それ事務所にいる人達だろ。現場組は未婚か離婚だぞ」

「誠二さんには帰る場所があるというのに帰らないなんて馬鹿ですか? 春奈さん心配してますよ。大事じゃないですか? 馬鹿ですか?」

「色々と言いたいことがあるが馬鹿じゃねぇよ。お前に言われる筋合いないだろ」

 みくは怯むことなく、あろうことか「いいえ、大馬鹿です」と更に食い下がってきた。

「IMI卒業して結婚したと同時に会社作って、時には海外を飛ぶ忙しい日々。誠二さんは充実してるでしょうが残された春奈さんはどう思ってるかわかりますか? 寂しいですよ、悲しいですよ。そのままセックスレスにならないかとてもとても心配です」

「前半に少し心が揺らいだのに後半で全部台無しだ。あとちゃんとシテる」

「誠二さん。どうせ事務所にいるなら一度くらい帰って、春奈さんを安心させてください。他の人もそう思ってますよ」

「わかった、わかったよ。家に一度戻る。これでいいだろ」

「本当ですね?」

「ああ」

「なんなら一回か二回ぐらいセックスしてくるべきかと」

「お前もう帰れ。学校行ってこい!」

「夏休み中です。それと学校行くの嫌です」

 誠二をからかうようにみくは立ち上がり、椅子とマグカップを持って出ていく。出る間際、振り返っては「本当に行くんですよね?」と念を押された。

 みくの対応で疲れてしまった誠二は小さく溜め息を漏らす。が、みくの言葉通り警護してから家には帰っていない。

 春奈のことだから心配が要らないのは誠二自身わかっている。しかし、彼女がどう思っているかまではわからない。

 一度家に帰ることに決めた。その前にやるべきことはやらねばならない。

 みくから報告された《蜂蜜フォンミィ》の近況。これはIMIの長谷川に連絡してから考える。もう一つは銃器の所持・使用について。

 誠二はデスクの隅にある電話から連絡をとる。

「《リスクコントロール・セキュリティ社》の榎本です。以前から申請している申し込みの件で連絡を。ええ。担当者でなくて構いませんよ。波多野邦一防衛大臣に伝えて頂ければ宜しいです」

 さっきまでの調子とは一変し、冷たい言葉の調子になっていた。


――――――――――――◇――――――――――――


 IMI普通科校舎の第一小会議室。面接の為に智和とララが簡単な準備をしていた。

 ララには前に話した際、立会人として面接に居合わせるよう智和が頼んでおいた。公式な警護任務として処理される為、集めた中期生達の面接内容は録音と録画がされる。

 二人は制服だ。智和は一度寮に戻って着替え直してきた。中期生達には私服でかまわないと伝えたが、二人は午後から《戦闘展開部隊》の所属試験に関する訓練会議に出席しなければならなかった。

 準備が整い、時間まで余裕があった。二人はパイプ椅子に腰を下ろして、中期生達の情報が記載されている資料に目を通す。

 最近、智和とララの二人で過ごすことが多い。任務の役割であったり瑠奈がいない故にこうなったのだが、二人は特に意識していなかった。

 ――のだが、向かい合って座ればいいものを、何故か隣同士で座って資料を眺めていた。

「これ、琴美からの資料?」

 ララの問いに智和は「ああ」と返す。

「彼女が集めてくる資料って詳し過ぎる内容だとつくづく思うわ。いったいどこから探してるのかって思う程、調査対象を掘り下げてる」

「あの人は万能でな。色々と追及したい癖がある」

「前に言ってた科変更の話? 貴方だから正直に言うけれど、彼女のことは頭おかしいと思ってるわ。IMIの科をそんなに受講して一定以上の成績あげて、それ以外もそつなくこなすなんて。天才通り越しておかしいレベルよ」

「俺は琴美さんが本当の天才だと思ってる。天才と狂人は紙一重か、もしくはイコールだ」

「あら、じゃあ貴方も同じね。天才イコール狂人のたぐいよ」

「だったらお前もだろうが」

「まぁ、人殺しに関しては狂人よね。私達」

「残念なことだがな」

「なら、少なくともまずこの二名は狂人の領域になりつつあるってことね」

 そう言って、ララは見ていた資料をわざとらしく智和に見せた。

 イリナ・ヒルトゥネン。水下龍。この両名が、今後のやり方によっては二人の言う狂人の部類に含まれる。人殺しの達人という領域に。

「イリナのことを散々だと思っていたけれど、智和が連れてきた水下龍って中期生も散々ね」

「俺も想像してなかった。中期二年にしては肝が座ってると思ってはいたが、この経歴を見ると納得する」

「ここだけを見れば、やっぱりIMIって犯罪者予備軍の集まりなんじゃないかって考えるわね。日本のマスコミのことを下手に言えないわ」

「あのなぁ」

 談笑していると扉がノックされた。智和が入るように促すと加藤穂乃香が入ってきた。

「失礼します」

 強希にも面接のことは話している。彼が言うには加藤は無愛想と言われ、ついでにぼっちだからよろしく頼むという意味のわからないことも頼まれた。

 ダメージ加工されたホットパンツにオフショルの白い薄生地のシャツを着ている。強希の言う通りの私服だった。

「座ってくれ」

 加藤は部屋を見回しながらパイプ椅子に座る。ララは智和の隣から立ち上がり、出入口にパイプ椅子を置いて座る。面接される人間――つまり加藤の斜め後ろに――側に。

 智和は部屋の隅にあるポット型の浄水器から水を注いだコップを加藤の前に置く。ララに目配せをして録音と録画をさせ、面接を始めた。

「まず簡単に確認する。加藤穂乃香。輜重・航空科中期三年B組。母不明。父は長距離トラックの運転手。間違いないな」

「はい」

 加藤の母親はわからなかった。父親が抱いた人間であることは間違いないのだが、生まれたばかりの加藤がアパートの玄関に置かれていたこと以外は話してくれなかった。

 母親のことで嫌な顔をするかと思ったが、特に反応することはなかった。

「いくつか質問していく。録画と録音をしているから正直に答えるように」

「わかりました」

「小学生時代に教師とちょっとトラブルを起こしてるな。原因は?」

 昔のことを掘り起こされて、加藤はさすがに嫌な顔を見せた。それでも渋々説明する。

「父が小遣い稼ぎでAV男優やってた時期ありまして、出演してた作品をたまたま教師が見てわかったらしくて。『その子供だからこういうこと好きだろ』みたいな意味不明なこと言われまして」

 父親が副業としてAV男優をやっていたことは、当然ながら資料に載っていた。

「その教師は顔を見ただけで父親だとわかったのか?」

「それがあの親父、本名のまま出演しやがってました」

「すげぇな」

「おかげで教師に手を出されかけました」

「されてはいないんだな?」

「……まぁ、ショックでしたよ。そりゃ担任でしたし。慕われてた先生だったから余計に。いつも気にかけてくれてた理由がヤりたいだけなんて、誰だってショック受けます。

 別にいいかなーって抵抗しなかったんですけど、『君みたいな子はずっと独りぼっち』って言われた瞬間、悔しくて泣いてしまって。股間蹴ってました」

「とはいえ、教師が教え子に手を出そうとしたのは事実だったと」

「タイミング良く他の子や教師が見つけたので」

「正当防衛だな。その教師は懲戒免職になった、と」

「何か問題でも?」

 怯むことなく言い終えた加藤には、自分の行動は間違っていないという意思があった。無論、智和とララも同意件だ。

「問題ない。そのあと不登校になったり卒業式すっぽかしたりしてるが、特に問題視することはない」

「神崎先輩みたいにちょくちょく抉ってきますね」

 同じように毒を吐く目の前の先輩に加藤は溜め息を漏らすが、智和は気にせず面接を続ける。

「IMIに所属してからは特に問題行動はないな。成績だと座学は少し悪いな。軍事科目関係も」

「社会とか歴史がなかなか……。軍事科目関係は、まぁ、その、あまり興味ない分野なので最低限のことで充分かなと」

 加藤のように、軍事科目に興味などがなく成績が悪い生徒は多い。普通の進学や就職に関わることではないので、特に珍しいことではないのだ。

 しかし智和は否と答える。

「悪いが、部隊任務に参加するとなれば話は別だ。普通の最低限のレベルではなく、せめて部隊の最低限のレベルに合わせてもらわなくてはならない」

「はぁ」

 ただの任務参加ならまだしも、加藤が参加しているのは《特殊作戦部隊》の任務だ。本当ならばもっと求めるのだが、智和とて無理を言うつもりはない。

 だが、それでは駄目だ。部隊の一員として参加するなら、もっと実力をつけてもらわなければならない。

 でなければ部隊の誰かが、もしくは自分が死んでしまう可能性があるのだから。

「運転技術は強希に教わってるらしいな」

「はい」

「なら、軍事科目も強希に教えてもらえばいいな。そっちの方が加藤もいいだろう。強希からは俺から言っておく」

「あの、教えてもらうって何を?」

「射撃や格闘なんかを一通りだな。特別なことをする必要はないが、せめて及第点を取れるくらいにはならないといけない。運転技術の方も引き続き強希から教えてもらえ。

 前回の任務での運転は見事だった。おかげで恵達は難を逃れたと言っていい。本人や長谷川も言っていた」

 高速道路でのカーチェイスしながらの銃撃戦。加藤の一瞬の判断で状況が変化したのは間違いなく、打破のきっかけにもなった。

 自覚はしていた加藤だが、改めて言われても実感がなかった。「はぁ。ありがとうございます」と素っ気なく礼を言っただけだ。

 だが、人から褒められることなどなかった人生だ。信頼されて頼りにされると、どこか嬉しかったのも間違いない。

「あと、部隊内でのコミュニケーションはある程度しておくように。コミュ障やぼっちという理由は言い訳にならないぞ」

「ぼっちは認めますがコミュ障じゃないです」

「違うのか?」

「神崎先輩並みに酷い人ですね」

「同期が二人いる。イリナ・ヒルトゥネンに高橋新一。新一は任務で同じチームだったからわかるだろう。イリナはプラチナブロンドだ」

「……え。あの背高い外人ですか?」

「ああ」

「体型からして高期生の先輩だと思ってました」

「人見知りなんだ。かまってやってくれ。新一の方は……たまに扱いづらいが実力は保証する」

 イリナに関しては未だに信じられないが、新一の実力については加藤自身わかっていた。なんせ猛スピードで運転していても狙撃を当てるなど、素人から見てもおかしいことをしていた。

「個性的なメンバーが多いが仲良くやってくれ。加藤穂乃香、改めて部隊にようこそ」

 資料を下ろし、手を差し出された加藤はおそるおそる握手する。問題なく面接は終わった。

 面接終了と今後の行動を告げて加藤を帰す。部屋を出た加藤はまだ実感が沸かなかったが、初めて必要とされたことと、強希から色々と学べることが嬉しかった。

 とりあえず今日は暇なので街に行くことにする。目的などない。ただブラブラするだけ。機嫌良さそうにして、鼻唄混じりにゆっくりと普通科校舎を後にした。

 加藤が部屋から出ていくと、智和は次の資料を準備する。

「コミュニケーションが課題だが、なんとかなるだろう。普通に話せる」

「数日そこらで射撃や格闘の腕が上がるかしら?」

「基本レベルになれば充分だ。それに座学や軍事科目関係の成績が悪くとも、輜重・航空科での特別科目の成績は抜群にいい」

 智和の言う通り、加藤の成績は決して良くない。及第点を与えるのが精一杯と言える程だ。

 そんな彼女でも得意とする科目があった。輜重・航空科内の特別科目だ。乗り物にだけ関して言えば、加藤は同学年で上位にあたる。

「輜重・航空科の部隊に所属する意思がないのにこれだけの成績だ。おそらく、車好きなんだろ。強希と同じだ。アイツも酷かった」

「まぁ、運転手が増えるのはいいことね。そこは期待してる。次は誰の面接?」

「イリナ・ヒルトゥネン」

 イリナの名前を言われ、途端にララは不安になった。確かに皆が認める素質を持つが、はたして対面しても良いものか今でも悩んでしまう。

 不安な様子のララを見た智和は思わず笑ってしまう。

「ララがそわそわしてるなんて珍しいな」

「当たり前でしょ。長谷川に世話を頼まれたこともあるけど、どういう訳か彼女を放っておけない」

「自分と似ているから、と?」

 その言葉にララは深く溜め息を吐いた。

 ララとイリナの境遇は似ている。どちらもイジメによって壊された。

 お節介だろう、とララ自身思っている。似た境遇を生きてきたから、イリナが自分のことを鬱陶しく感じているのかもしれない。

 それでも放っておけなかった。

「ねぇ、智和。天才と狂人の結び付きって何かしら」

「一般論なら精神疾患とか言われるな。どうした?」

「私は、常に見られてるような感覚を抱いていた。常に危険が周囲にあるような緊張状態だってドイツの担当医が言っていたわ。それは天才? 狂人? ただの精神疾患?」

 言いたいことはなんとなくわかった。

 ララの“それ”は状況によって変わる。

 戦闘におけるなら“それ”は紛れもなく天才だ。敵を探しあて、危険を察知する第六感。

 日常生活ならば“それ”は必要ない。常に銃を持たなければならない程の狂人となり、緊張状態が解けない精神疾患となる。

 天才と狂人の定義など、そんな曖昧なものでしかないのだろう。最適な状況が当てはまれば称賛され、それ以外の状況ならば嘲罵されるだけ。

「天才か狂人を選べるなら私は狂人がいい。“こんな世界”でしか生きられない人間は天才と呼ばれる資格なんてない。底辺の屑みたいな、ただの人殺しを極めようとしている私達は狂人なのよ。

 私はイリナに狂人になってほしい。そう思うのだけれど、やっぱり彼女が選ぶのよ。それは」

「イリナ・ヒルトゥネンにそんな第六感があるとでも?」

「いいえ。ただ、彼女は育て方で変わる。それだけの素質がある。だから私は狂人に育てたい。ただ、ね……思ってはいけないことなのはわかるけど、可哀想と思ってしまう。私は最低な人間よ」

 イリナはなんでもできる。会ったばかりの智和ですらわかるほどに、彼女は優秀な人間であり素質ある人間であった。

 勉学に励めば大学を経て学者になれただろう。スポーツに励めばオリンピックでメダルが狙えるだろう。そう感じさせるほどにイリナ・ヒルトゥネンは可能性に満ちていた。

 そんな可能性を、ただ人を殺すことだけに全力を注がせる。狂人とさせる。それを可哀想と言わず何と言えばいい。

「イリナが変わりたいと言った。私はそれに応えたい。だけど私は私のやり方でしか変えられない。狂人以外で変えるなら、IMIを辞めるしかない」

「そんなものだよ。いたい奴はいればいい。いたくない奴は去ればいい。イリナはいることを選んだ。それに応えるべきだ」

「貴方は良くも悪くも真っ直ぐ言うわね。私はそこが好きなのだけれど、他の人間がどう思うか気にしない?」

「気にする必要なんかあるか。俺は部隊の隊長を任されてる。生き死にの世界に遠慮なんかしてられない。こっちが死ぬ」

「それは、貴方の経験よね」

「ああ。一部じゃ俺を天才なんか呼んでるが、ララの言う通り俺は狂人だ。批難されて否定されなきゃならない」

 殺しの天才と呼ばれる。それは称賛なのだろうが、智和にしてみれば侮蔑に近いものにしか感じなかった。

 殺しに天才などない。暴力に天才などない。“天才と呼んで称賛されるべきではない”。

“こんなものは狂っていると蔑まれるべきだ、と”。

 故に智和は己を否定する。自ら批難されて蔑まれる役割を担う。

 知っているからこそ、ララは問わずにはいられなかった。

「……ねぇ、智和。その生き方、疲れない?」

 問い掛けて智和の表情を見た瞬間、ララは後悔した。

 聞かれた智和の表情は、呆然としているようだった。

 何故そんなことを聞かれたのかという不思議も含まれている。だが、それよりも気付いて貰えたような“嬉しさ”をララは見つけてしまった。

 無理していることを理解してもらったような嬉しさと今までの疲弊を、智和の表情から見つけてしまったような気がする。

 おそらく暫く忘れることはないだろう。もしかしたら忘れることなどないかもしれない。それほどまでに、今の智和の表情は印象が強くて“酷かった”。智和自身、どんな表情をしているのかわかっていない様子だった。

 初めて見た表情にララは後悔し、同時に智和の内に秘めていたモノに触れたような気がした。

「イ、イリナ・ヒルトゥネンですっ!」

 どちらかが声を振り絞ろうとした時、部屋の外からイリナが叫んだことで二人の正気が戻った。

「……イリナ・ヒルトゥネンの予定時間になってたな」

 腕時計を見るとイリナの面接時間になっていた。

「そうね」と呟くようにララが答え、椅子から立ち上がると浄水器から人数分の飲み物を用意。「入れ」と智和が入室を許可すると、おどおどしながらイリナが部屋に入る。かなり緊張していて、既に顔が真っ赤になっている。

 だが、すぐに二人の異変に気が付いた。

「……あの、何か、ありました……か?」

 他人を避ける為に他人を見続け、その場の雰囲気にも過敏になっているイリナなら気付くだろうと二人は知っていた。事実、気付かれた。

「大丈夫よ。座って」

 笑顔のララに促されてイリナは座る。智和は気を引き締め直し、既に表情はいつも通りになっていた。コップを置いたララは椅子に座り、水を一気に飲み干して資料に目を向ける。この時だけ、智和の顔を見れなかった。

 私服で良かったが、イリナは制服だった。無難だと思っただけで、特に理由はないだろう。

「簡単な確認をする。イリナ・ヒルトゥネン。フィンランド出身。普通科中期三年D組。両親は同じ会社の電気通信機器メーカーに勤めていて、アジア地域の担当ということで日本へ。祖父はフィンランドに。間違いないな?」

「ま、間違いないです」

「祖父は軍人だったのか」

「職業軍人でした。祖父の父が第二次世界大戦で戦ってました。冬戦争や継続戦争でソ連やナチスと戦ったり共闘したりしてた……らしい、です」

 第二次世界大戦中のフィンランドは冬戦争・継続戦争と呼ばれる戦時下だった。独立の為に多大な犠牲を払いながらも、戦った相手国にも甚大な被害をもたらした。

 因みにイリナとは関係ないが、新一や狙撃講習を受けている生徒達が大好きなシモ・ヘイヘは冬戦争で活躍した。

「こう言うのもなんだが、イリナの祖父が戦時下で生きてきたなら、よくロシアに知り合いいたな。しかも軍人で」

「祖父が軍人だった頃は戦争が終わっていたので……。祖父の父が旅行好きということもあり、よくロシアやスウェーデンにも出歩いていたと言ってました」

「大戦終わった後によく行ったな。スゲェ」

 感心して次の話へ。今度はイリナ自身のことだ。

「10歳の時に祖父からロシアの知り合いを通じてロシアIMIモスクワ地区へ入学。間違いないな?」

「はい……」

「二年間在籍した後、両親の仕事の関係で日本へ。祖父はフィンランドに残ったと」

 返事をするイリナの声が少しずつ小さくなっていく。智和はかまわず進める。

「座学の成績は優秀だな。モスクワでも一番か。軍事科目の座学も同じだが実戦授業だと下がってる。まぁ平均点貰えてるからいいか。個人なら申し分ない。というか本当になんでもできるんだな」

「い、いえ! そそそそんなことないです! ただ一生懸命にやるしかなくて……」

 一生懸命にやることで、周囲からの集中を紛らわしたかった。

 元々、頭の出来が良かった。子供の頃から大学に行くことを目標にしていた程だ。

「一生懸命になれるのはとても大事だ。

 とはいえ、やっぱり性格はいくらか見直して欲しいな。対応は別にいいが、せめて相手の目を見ろ」

 先程から智和とは目を合わせず、俯き加減にして面接していた。特に気にはしないのだが、イリナの今後を考えるなら直さなければならない。

「人と話すことから慣れろ。お前と同学年が二人いる。一人はぼっちだからお前からかまってやれ」

「ふぇええ!?」

「何だその悲鳴は……。とにかく、能力に問題はないから自信を持て。少なくとも俺達は認めている。

 説教みたいになったが、イリナ・ヒルトゥネン。改めて部隊にようこそ。歓迎する」

 智和が手を差し出すと、イリナは戸惑いながらも「よ、よろしくお願いしますっ……」と泣きそうになりながら両手で握り返した。無事に面接を終えたことでララは安堵した。

「おめでとうイリナ。これからよろしくね」

「い、いえ! こちらこそご、ご指導お願いしますっ!」

 ララの手を両手で握り、深々と頭を下げる姿はまるで日本人のようだった。

「イリナの訓練は今まで通りララに任せる。いいな?」

「それに関しては私からお願いするつもりだったから寧ろ好都合よ。私が責任を持ってイリナを一人前にさせる」

「頼もしいな」

「お、お願いしますっ!」

 イリナは姿勢を直し、改まって礼をする。

 正直、今までのイリナならばここまで言えなかった。彼女の人見知りな性格も相俟って、対人恐怖症に近いものだったのだから。

 しかし、今ではちゃんと自分の言葉が言えている。それが所々しかなくとも、目を合わせないなどもあるが、少しずつ確実に変わっている。

 極めつけは先日の銃撃戦だ。あの時のイリナは素晴らしい働きをした。指示されたことを的確かつ素早くこなし、冷静に状況を把握していた。

 でなければ智和とララ、ここにいない強希や沙耶に千香は、ロケット弾によってバラバラになり死んでいた。

 イリナは変わってきている。智和も認める程の人材になりつつある。

 同時に、イリナを見抜いた長谷川の洞察力と、短期間でここまでのレベルにさせたララの指導力にも感心する。

「呼び出しがあるまでは自由でいい。ただ、呼び出しがあればすぐ来れるようにして欲しい。すぐ来れなければ俺かララに連絡を」

「わ、わかりました」

「面接はこれで以上だ。戻っていい」

「ありがとうございましたっ!」

 気合いが入ったのか声が大きい。礼をして部屋の扉を開ける。

「ごはぁっ!?」

「きゃあっ!?」

 勢いが良く扉を開けた瞬間、何者かの顔面を殴打したらしく悲鳴が漏れた。更に、何者かが倒れたせいでイリナは足を引っ掛け、そのまま前へと倒れてしまった。

 殴打された男子――ベン・ウォーカーはイリナの全体重――特に胸が顔面にのし掛かり窒息しそうになった。傍にいた水下龍は少し驚いていた。

「す、すすすすすいませんっ!! だ、だ大丈夫ですかっ!?」

「……や、ヤベェ。オッパイ押し付けプレイとか初めてやった。わりと良い」

「きゃあああっ!?」

「平常運転だから無事だな」

 いつも通りの様子だったので龍はすぐ表情を戻した。

 まるで変質者を見たような悲鳴をあげたイリナはすぐ立ち上がる。涙目になって顔を真っ赤にしていた。

「……白い肌に黒の下着はよく似合うなぁ」

 ベンの呟きが、最初は何を言っているのか全員わからなかった。しかしイリナの表情と動きが固まった。

 暫くの沈黙。イリナの瞳から涙が流れた。

「うわああああんっ!!」

「危ねぇ!?」

 とうとう泣き出してしまったイリナは両手でスカートを押さえながら、思わず右足をベンの頭目掛けて全力で振り抜いた。

 スレスレでなんとか躱したベンは転げ回り、立ち上がって次に備えた。だがイリナは泣きながら部屋に戻ると、ララの胸に飛び付いた。

「Hey! 危うくサッカーボールキックされて昇天するトコだったぞ!?」

「お前のせいだろエロ白人。色々と余計なんだよ」

「だって似合ってたんだぜ!? 口に出すだろそりゃあ!」

「やっぱり蹴られろ。脳味噌グチャグチャにされれば煩悩だらけの思考回路は出来ないだろ」

「それじゃ俺死ぬだろ」

「アンタ達ねぇ……!」

 イリナを抱き締め、優しく頭を撫でているララから怒気が放たれていた。大事な後輩が傷つけられたとあっては無理もないが。

 このままでは鉛弾が飛ぶ危険がある。見過ごす訳にはいかず、智和が間に割って入ることにした。

「そこの馬鹿者。余計なこと言わずに素直に謝れ。ララも落ち着け。イリナには悪いが、今回は事故としてなんとか抑えて欲しい。次あったのなら、容赦なく蹴りあげていい」

 隊長の指示ならば仕方ない。ベンは素直に謝った。ララも智和に言われたのなら仕方なく抑えることにした。イリナもなんとか泣き止んだ。

 イリナには早急に去ってもらう。これ以上いれば何をされるかたまったものではない。

「ベン・ウォーカー。先に面接する。悪いが水下龍は十五分程待っていてくれ」

「わかりました。大丈夫です」

 智和の指示に龍は素直に従い、部屋に入らず外で待つことに。

 イリナが泣きながら退室し、部屋には智和・ララ・ベンの三人が残る。

「録音と録画はしなくていい」

 ララにそう言って智和は椅子に座る。促されてベンは椅子に座る。ララがコップに水を注ぎ、力を込めてテーブルに置いた。怒っているのは明らかで、水の半分以上が溢れていた。

「では面接を始める。簡単に確認するぞ」

「OK」

「ベン・ウォーカー。普通科中期二年C組。アメリカ人の父とイタリア人の母を持つハーフ。仕事の都合で日本に来た際、日本IMIへと所属。以降は可もなく成績は横這い……所々右肩下がり、か。成績も特に秀でたものはないな」

「他の奴らと違って凡人以下で申し訳ないですね」

 特に悪びれる様子もなく、ベンは悪戯する子供のような無邪気な笑顔を見せた。

「“表向きは、な”」

 智和の一言で無邪気な笑みを見せていたベンは、「ん?」と怪訝な表情に変わる。智和とララは手にしていた資料を捲る。

「本名ベン・アッシュフィールド。十六歳。上に二人の兄と姉を持つ末っ子。母親は元ハリウッド女優でドレスメーカーを営むローズ・アッシュフィールド。父親はアメリカ海兵隊フォースリーコン、第二海兵遠征軍に所属するエドガー・アッシュフィールド大佐。

 一番目の兄はバージニア地区IMIを卒業して海兵隊に所属し、フォースリーコン訓練課程を修了。二番目の兄もバージニア地区IMI卒業して海兵隊に。同じくフォースリーコン訓練課程を修了。しかもスカウトスナイパー。姉はオックスフォード大学に入学したのか。

 まだ続けるか?」

「Oh……Impossible(あり得ない)。マジか。マジかー」

「俺の部隊の情報収集能力は伊達じゃないぞ」

 自分ではなく琴美が全て調べ上げたのだが、自慢気に言って資料をベンの前に放り投げた。ベンは手に取って読むが、やはり真実が記されている。

 自分の素性を調べられたのが余程ショックだったのか、資料を投げて椅子の背凭れに体を預けた。

「ということは、全部知ってるってこと」

「ああ。ベン・アッシュフィールド。九歳にジョージア地区IMIへ入学。授業態度は悪いが、テスト結果は満足以上の出来。なのに部隊所属の勧誘や通知を悉く拒否。ノースカロライナ地区編入の話もあった。

 が、十二歳の時に同級生に対する発砲事件を起こして退学。アメリカIMI所属を永久禁止された」

「おお、スゲェスゲェ。そこまで調べられればもうお手上げだ」

「ここから真面目な話だぞ、ベン・アッシュフィールド。発砲事件の詳細についてだ」

 今まで気軽に話していた智和の表情と調子が、些か厳しいものへと変わる。

 部隊参加に相応しいか判断するこの場にて、ベンの経歴詐称は決して見逃せるものではない。それ以上に問題なのは、同級生に対して発砲したという事実だ。疑いなどではない。

「事件の詳細までは把握出来ていない。資料もデータも残っていないんだ。あるのはお前が同級生五人をリボルバーで撃ったという事実。死者はいないが四人は銃を握れなくなり、一人が回復したもののIMIを自主退学している。

 ベン・アッシュフィールド。勝手に巻き込んで申し訳ないが、俺達は理由を問いただしたい」

「嫌だ、と言ったら?」

「この件をIMI本部へ通達する。詐称だけで充分な証拠となり、そこからお前のことも全て把握されるだろう」

 明確な脅迫だった。真実を隠せば通達され、話したとしても通達される可能性はある。

 ベンにしてみれば理不尽極まりない選択だ。いや、そもそも選択などではない。ただの強制である。

 それを理解したからこそ、ベンは無駄な対応はしなかった。残念そうに溜め息を漏らし、姿勢を少し直して口を開く。

「イジメてた奴らだった。同級生だったがクラスは違う。イジメてる奴らってことで顔は知ってただけだ。相手にすらしてなかった」

「イジメられていた方が知り合いだったから撃った、と?」

 するとベンは意外な返答をした。

「“いや。全然”」

 思わずララが口を開いた。

「知り合いじゃなかったの?」

「その日まで顔も見たことなかった。友人達と廊下を通り掛かった時、たまたま外を見た。何も気にかけなかった窓から。立入禁止の倉庫に奴らが、同級生の女子学生を連れていったのを見た。窓から降りて後を追って倉庫に入ったら、昼間から“くわえさせよう”としてた。“だから撃った”」

「顔も知らない女子学生の為に、お前は発砲したと」

「ああ。周りから“お前は馬鹿だ”とこっぴどく言われた。親父や兄貴達も同じだ。黙っていればいい、やり方を考えろ、と散々言われた。

 だけど後悔なんかしてないさ。女の子は嫌なことをされ続けて泣いてたんだ。“助けるのは当たり前だろう”。その為なら殺してやろうとさえ思ったが、女の子が怖がるから手や足で勘弁してやった。

 後悔なんかしてない。お袋や姉貴からは“よくやったわね”と誉められたし、女の子から“ありがとう”と言われた。IMIを辞めてしまったけど、今じゃ普通の学校で楽しくやれてる。とても良いことさ。撃った甲斐がある」

 撃った理由を語るベンの瞳と表情はとても柔らかく、優しいものだった。

 更には自分の行動に一切の疑問を持っていない。自分の行動を肯定していないが後悔はなく、自分の選択による結果を素直に受け止めている。

 これがベン・ウォーカー――もとい、ベン・アッシュフィールドのさがなのだろう。

 女子への対応の優しさや甘さも、自分の行動に対する責任と自覚も、即決する行動力全てが、彼を形成する大事な要素なのだ。

「そんな理由で引き金を引ける人間は、はたしていくらいるものか」

「さぁてね。俺みたいなクズな馬鹿はともかく、そういう人は良い人だと思うさ」

「何を言う。お前の行動によって救われた人間がいるのは確かだ。

 ベン・アッシュフィールド。その行動と勇気は称賛に値する。疑ってすまない」

「やめてくれ。勇気なんかじゃない。困ってる女の子を放っとけないだけさ。泣いてる子なんか尚更だ」

「それじゃ、貴方が泣かしたイリナにはどんな対応をしてくれるのかしら?」

「いや、あれは不可抗力でして」

 イリナのことを引き合いに出された途端、ベンは苦笑しながら必死に言い訳を始める。

 ただ、そんなことを言ったララだが、呼び方が「貴方」と変わった。ベンの話を本当だと信じ、彼の意思を理解し、尊敬に値する人間だと判断したからだ。ララなりの表現の仕方である。

 そんな様子を見て思わず笑ってしまった智和は、資料を整理しながら口を開いた。

「IMIに所属したのは、エリート家系に生まれたからか?」

「エリート? 何が?」

「海兵隊大佐にフォースリーコン所属の兄二人。元女優に英才。エリート以外に何と言う? IMIに所属したのは軍人に憧れて目指した理由でも?」

「憧れ? 全っ然ないさ、そんなもの。残念ながら演技の才能はなかったし、姉貴ほどの脳味噌もなかった。親父に無理矢理入れさせられたからだよ」

「だとしたら、バージニア地区じゃなくジョージア地区に所属した理由は?」

「兄貴達と同じ場所に行きたくなかった。軍人は色々と好きになれない。特に海兵隊は」

「何故?」

「あんな“ジャーヘッド共”が親父と兄貴が目指した先にあるなんて世も末だから」

 海兵隊の蔑称でジャーヘッドという言葉がある。外見は屈強でも中身は空のただの馬鹿、という魔法瓶ジャーの意味合いなどで、ジャーヘッドと軽蔑される。

 実の父親と兄達を蔑称で呼ぶあたり、ベンは本当に海兵隊が嫌いなのだろう。

「親父がどうしても入れっつったからジョージア地区に入ってやった。陸軍嫌いだから最高だった!」

「おいおい……」

「まぁ、事件起こしたのを揉み消したりしたことだけは感謝してる。とはいえ、やっぱり親父と兄貴達だけは好きになれないな。親父は権力の虜だし、兄貴達は暴力の虜だ」

「どうやって揉み消した?」

「ほら、親父は大佐なんでね。“色んな方面にお友達がいるのよ”。全権力を使って息子と面子とその他色々を守ったって訳」

「そりゃあ難儀だな。色々と」

 ここだけ、ベンにではなく父親に同情してしまった。

「IMI辞めてからは放浪してた。クラブでボディガードしたりバイトしながらの生活を二年したら、親父がまた言ってきてな。面倒だからお袋に相談して日本IMIに来たって訳。偽造プロフィールも使わせてもらった」

「それでベン・ウォーカーになった、と。同部屋の住人は知ってるのか?」

「龍や同居人も知ってる。というかバレた。まぁ、そこは気にしない連中だ」

「なら、ベン・ウォーカーとして接すればいいな」

「そうしてくれ」

「よし。今からベン・ウォーカーとして面接を始める。手短に済ませたいし、面倒になりたくないのはどちらも同じだろう?」

 智和の笑みに思わずベンも笑ってしまった。

「OK。面倒は嫌だね、先輩」

「よし。ララ、録画と録音を始めろ」

 ベン・ウォーカーとして面接を開始。偽造プロフィールの確認と、当たり障りのない質問をする。ベンも一応気を付けて受け答えするあたりやはり優秀だった。

 五分も掛からず面接は終了。ボロが出ることもない。

 録画と録音を止め、今までと同じようにベンと握手をかわす。ララも握手した。

「次泣かせたら許さないから」

「後輩思いで。あと万力のように力込めるのやめてください。痛っ、いたたたた!? マジでやめて!」

 悪魔のような笑顔で握るララに、ベンは絶対逆らわないよう決めた。

 そんな二人のやりとりを見ていた智和は、少しだけ引っ掛かることがある。

 ベン・アッシュフィールド。ジョージア地区に所属していた十六歳なら智和と同い年であり、わかる筈だ。

 わかっているのか知らないのか、本当のところは不明だがベンは何も言わなかった。だが智和の頭の中に、アッシュフィールドという名前が引っ掛かる。海兵隊大佐の息子、という訳ではないのは確かだ。

 いくら考えてもわからないので、一先ず忘れることにした。後でブライアンかクリスティーナに聞くことを決める。

「ベン。龍と交代だ。ほらララ、離してやれ」

 ようやく万力地獄から開放されたベンは右手の無事を確かめる。骨が折れてないことを確認したら、「折る訳ないでしょう」とすかさずララが言う。

「龍。交代だぞ」

「失礼します」

 ベンと入れ替わりに龍が部屋に入る。

 龍を座らせ、同じように水を注いだコップを差し出す。

「よし。早速を始める」

「よろしくお願いします」

 面接開始。ララが録画と録音を開始する。

「水下龍。普通科中期二年C組。十四歳。親は離婚し、母親に引き取られた。間違いないか?」

「ありません」

「普通科目の成績はまぁまぁ良い。軍事科目の成績は良い。実戦訓練も文句ない。ララから何か気になることあるか?」

「特にないわね。欲を言うなら軍事科目の座学ももっと上へ目指せると思う」

「努力します」

 今までの面接者と比べると一番真面目な受け答えができている。成績は問題ない。元々が秀才だということを、小学校時代の資料を読んで思った。

 問題ない。

 成績“は”。

「申し分ない。だが問題もある。任務時におけるお前の行動だ」

 龍の表情は静かだった。おそらく指摘されるとわかっていた。

「過剰攻撃だ。撃ち合いはともかく、素手での制圧は場合を考えなければならない。ボランティア活動が嫌だったか?」

「そんなことはありません」

 中期一年生で任務をするとなればボランティア活動ぐらい。余程の特例がない限り、他の任務は受けられない。

「中期二年になってからの数回はまだ許されるだろうし、良しとしよう。だがお前の場合、その数回でボーダーラインを決めたな。“ここまでやれば駄目。ここまでなら大丈夫”」

 図星らしく、龍の表情が少し焦りを見せた。聞いていたララは、まるで昔の自分のことを言われたような気がして思わず溜め息を漏らしてしまった。

「別にボーダーラインを引くな、とは言ってない。むしろ引くべきだ。俺やララもそうしている」

「まぁ、一応ね」

「なら――」

「俺が言いたいのは、自ら引いたボーダーラインを守れということ。ボーダーラインを自ら越えれば意味はない。

 五月に入ってから怪しい。六月には苦情が多くなり、七月からは自制できてないぞ。榊原先生も言っていたが、被疑者を被害者にしている」

「自制は……確かに、できてはいません」

 否定しようとしたが、調査されているなら隠しようがないと諦めて素直に認めた。

「被疑者に対する過剰攻撃。龍、お前《狂犬》なんて呼ばれてる」

 IMIの人間は、上位部隊や実力のある有名人に対して、敬称であろうが蔑称であろうが何かしらの別称をつけたがる。

 智和なら《殺しの天才》など様々な敬称――本人にとっては蔑称――で呼ばれる。

 龍は《狂犬》という蔑称。誰彼構わず噛み付き血を流させる。

「知っています。ですが、周りが何を言おうが関係ありません。自分の問題です」

「それはそうだが今のままでは駄目だ。IMIでの居場所がなくなる。任務を受けられなくなるのは相当辛いぞ。金銭面でも進学も」

「どちらも自分でなんとか出来ます。自分はもっと強くなりたいから行動しているに過ぎません」

「それでもだ。強くなりたいなら頭も賢くなれ。吠えて噛み付くだけの犬なんて煙たがれるだけだ」

「“それでもいい”。俺は強くならないといけないんです。強くなって母さんを守る。

 強くなって、弟を馬鹿にした奴らを見返して――」

「“仇をとる、と”」

 その一言で、龍はこの二人が自分の過去を知っていることを理解した。

「……知って、ましたか」

「ああ。弟がいたことも死んだことも。そのせいで離婚したことも」

 智和は確認の時、わざと母親のことしか触れなかった。それ以外は龍の気持ちを汲んで言わなかった。

 龍は俯き、ジーンズを握る手を凝視しながら口を開く。“思い出す度に嫌になる”。

「二歳離れた弟はイジメられて自殺しました。入学してからずっとです。俺が六年生になった春の入学式。四年生の弟は四階の自分の教室から飛び降りました。

 学校側はイジメがないと言い張った。大半のクラスメイトも。だけど調べていけば、確かに弟はイジメられていた。四人の男子生徒、三人の女子生徒。その中に市議会議員の親がいた為、担任は黙認していた。四年間、四年間もッ。

 俺は、俺はアイツらを――」

 龍が禁句を言う前に智和は右手を差し出す。

「面接を終了する。ララ、録画と録音を止めてくれ」

「お疲れ様」

 わざとらしく区切りの言葉を放ってから録画と録音を止める。

 これから先の話は録画と録音をさせる訳にはいかない。資料も必要ない。智和は率直に問う。

「イジメていた奴らを殺したいか?」

「はい」

 即答した龍の言葉は強かった。

「弟は……りょうは、物を隠され、壊されました。絵の具を食べさせられました。虫を食べさせられました。トイレで水をかけられ、便器を舐めさせられました。踏みつけられました。殴られました。叩かれました。

 高田純平たかだじゅんぺい朽木勇人くちきはやと小野崎大翔おのざきはると吉村彰よしむらあきら高坂弘美こうさかひろみ村岡陽葵むらおかひまり辻乃愛つじのあ。担任の佐々木義弘ささきよしひろ。弟を追い詰めて、俺と母さんから奪って、奴らはのうのうと生きている。

 父は、あの男は、弟を見放した。イジメられているなんて恥だと、弟に、母さんに責任があると抜かしてッ、罵声を浴びせて離婚しやがった。職場の浮気相手と再婚して、遠くに行きやがった!」

「裁判はしなかった。というより、出来なかったか」

「……母さんは気弱な性格で精神も脆かった。結婚して親戚にも気を遣っていたのがよくわかる。それを寄ってたかって、あの男や親戚だけじゃない。マスコミやネットでさえ言われようのない罵詈雑言を浴びせやがった。

 母さんは精神を病んでしまって、裁判どころじゃなかったです」

 資料によれば、龍の母親は精神病院に入院している。

「他人が口を出すことじゃないが、自宅療養は出来なかったのか?」

「本当ならそうしたかったです。ですがネットで住所を特定され、面白半分の奴らが物を投げてきたりした。とても居られる環境じゃなかった。

 俺は親戚に引き取られましたが、母親は精神病院に押し込められました。確かに情緒不安定でしたが、入院させるほど酷くなかった。一緒にいて看病すれば良くなる。なのに、身内は誰も助けなかった」

 だから、と。

「誰かに期待なんてしなくなった。自分ですることにした」

 その時の龍の表情。一瞬、ララは寒気がした。憎悪に満ち溢れながらも一切の感情を見せない無表情に。

「IMIの存在を知って進学しました」

「六年生の時期に、ただひたすらボクシングジムに通っていたのはその為か」

「はい。IMIに入学して、人を殺す技術と知識を学びたかった。身に付けたかった。弟を殺した奴らを殺したい為に強くなりたいです」

「目的を知っている人間は他にいるか?」

「ベンは知っています。アイツ、普段は不真面目ですが、真面目に聞いてくれました。肯定も否定もしませんでしたが、何かあったら頼れと言ってくれました。

 こんなことで入学した自分を、貴方は軽蔑しますか?」

「いや。しない」

 即答した智和だけでなく、ララも同じ意見だった。

「復讐をすればそれはイジメた奴と同じ。そうほざく奴がいるのも知っています。“それでいい”。殺すしか頭にない自分は最底辺の人間でいいです。それで奴らを殺せるなら。大事な物を奪われた苦しみと悲しみを、奴らにも与えてやれるのなら。俺は喜んで同じになります」

 最早、龍を説得することは不可能だ。少なくとも智和とララには。どれだけ言おうとも龍の心は、意志は揺るがない。

 弟の涼を奪った彼らを赦さない。必ず殺す。

 その為だけに、水下龍はIMIに足を踏み入れたのだ。

 たった四人の男子。たった三人の女子。たった一人の担任。確実に殺す為に日本IMIで六年間を過ごす。日々殺しの技術を磨いている。

 本当なら今すぐ殺したいだろう。そうしないのは、出来ないからだと自覚しているせいだ。全員を殺す前に逮捕されると。

 そうならない為に。全員を殺す為に。龍は牙を隠し続けている。

「今でも、夢に見るんです」

 ふと、龍の表情が柔らかくなった。

「俺と涼と、母さんと、父さん。四人で食事をしている。父さんは厳しかった。涼と母さんはいつも叱られていた。それをいつも俺が割って入って。そんな場面をよく夢で見ます。

 そんなことをいつまでもしていたかった。いつまでも四人で、一緒にいたかった。家族四人で」

 龍の瞳から涙が溢れた。無表情のまま、拭うこともせず頬をつたって滴が落ちる。

「赦せない。奪った奴らが赦せない。奴らの大事な物を奪って、目の前で壊してやりたい。殺したい。殺してやりたい。赦せない。赦せない。赦せない――」

 声が震える。握る拳が小刻みに震える。悔しさで顔が歪む。

“自分を殺してやりたくなるほどに”。

「――俺自身が赦せない。気付けなかった自分が赦せない。一番近くにいたのに、涼のことを見ていたのに。わかっていた気になって何もわかっちゃいなかった。涼の心の声を聞けなかった。

 涼は、そんな俺に絶望して死にました。自宅の勉強机の引き出しから日記を見つけて、誰にも期待しなくなっていたことを知りました。俺が涼を殺したと同じです」

 自殺をして遺品整理をしていた時、偶然見つけた弟の日記。ボロボロになった学習ノートが八冊。好奇心で開いてしまった。

“見なければ良かった”。

 一年生から四年生の間。イジメられていた内容。イジメていた生徒と担任の名前。自分の心境。それが淡々と書き連ねていた。

 助けて貰いたかった。聞いてほしかった。気付いてほしかった。

 だが両親には言えなかった。厳しい父に言えば叱られるから。

 兄にも言えなかった。勉強もスポーツも出来る兄に対して、どちらもあまり得意ではないことを理由にイジメられていたから。それがエスカレートして、ただのストレス発散の対象とされていた。

 言えばもっと酷いことをされると思った。だから言わなかった。

 それでも気付いてほしかった。

 それでも聞いてほしかった。

 助けて貰いたかった。

 だが、それは叶わないと気付いた。

『兄ちゃんは気づいてくれない』

『期待なんてしなくなった』

『どうでもよくなった』

『死にたくなった』

『明日死のう』

『今日死のう。さようなら』

 日記の内容を全て見た龍は酷く震えた。寒気が襲い、嗚咽が止まらなかった。

 龍は赦せない。犯罪者ではなく自分自身が赦せない。犯罪者に自分の面影を重ね、自らの拳で殺す程に。

 涼を死なせた自分こそ犯罪者で、死ぬべき人間だと。

「……ここからはオフレコ。俺の意見だ。聞き流してもいい」

 泣き出すことを必死に抑える我慢の声が部屋に響く中、智和は静かに口を開いた。

「死ぬべき人間はいる。世界中を見渡せば巨万ごまんといる。手を差し伸べようが歌を歌おうが無駄な人間がいる。その人間の在り方がそうなっているから無駄なんだ。変わることなど決してない。魂が腐った人間はそのままだ。故に殺すべきだ」

 断言した智和の目に迷いなどない。確信している強い目だ。世界を見てきた彼の目にはそう映る。

「俺には姉がいる。大切な姉だ。母も父も、祖父母も、友も全て大切だ。奪おうとするなら俺は全身全霊で阻止する。殺そうとするなら殺し返す。それは決して揺るがない俺の意志であり大義だ。

 その心を忘れるな。望みを果たせ。必ずやり遂げろ。意志を持ち続け、正義ではなく大義を掲げろ。決して忘れるな。やり遂げろ。これは命令だ」

「はい」

 涙を流しながらも、涼の表情には決意が表れていた。智和なりの激励を受け、迷いが完全になくなった。

 必ずやり遂げる。必ず殺す。

 全員が成人になるまでの辛抱。それまでは殺しの技術を磨き、殺しの知識を深める。奴らの情報も集め続ける。

 龍は涙を拭い、もう一度口を開いた。自分に誓う為に。

「必ず殺します。必ず」

 そう、宣言した。


――――――――――――◇――――――――――――


 龍との面接が終わり、智和とララは会議室の後片付けをする。智和は机と椅子を片付け、職員室から借りてきた浄水器を移動させる準備を行う。ララは録画と録音の機材を片付け、資料をまとめる。

「はい、これ」

 機材を専用ケースに片付けたララは、データを保存したUSBメモリ二本を智和に渡す。

「全部片付いたか?」

「大丈夫。機材類は全てケースに入れたし、資料も全て纏めたわ」

「良し。悪いが機材をこの階にある機材保管室に運んでくれ」

「任された」

「鍵は職員室に戻してくれ」

 投げられた鍵をララは片手でキャッチ。場所もわかるので問題ない。

 移動させる物を持って会議室を出て施錠をする。

「資料は俺が処分するから、終わったら戻っていいぞ」

「……ねぇ、智和。話の続きなんだけど」

 ララが言いづらそうに放つ。それでも確かめておきたくて。どうしても。

「貴方は、そんな生き方をして苦しくないの?」

 智和はララを部隊に誘う前、自分達は烏のように蔑まされるべき存在だと言った。暴力に頼る自分達は愚かだと。

 確かにそうだろう。ろくな解決策が殺戮と暴力なのだから。《特殊作戦部隊》の主な任務であり、十八番であるのが“ソレ”なのだから。

 ララも充分に理解している。彼女も殺してきた。沢山の人間を葬ってきた。故にわかる。

 しかし、智和の生き方は極端過ぎる。ララでさえそう思う。

 智和の生き方、在り方が酷く歪になろうとしている。蔑まされようと“無理をしている”ようにも見えるのだ。

 彼の師である榎本誠二の影響もあるのだろう。が、それでも智和は貪欲に求め続けている。

「“大丈夫だ。わかってる”」

 そう答えて、ララは息を飲む。

 以前、瑠奈から智和のことを好奇心で聞いたことがある。

 瑠奈が智和に抱いた印象が、淀みなく歪んでいるということ。言動と行動と思考が限りなく歪んでおり、しかしながら淀むことなく真っ直ぐ。故にそう思った。

 簡単に自分を捨てられるのだろう。

 簡単に自分を壊せるのだろう。

“それでも求め続けるのだからたちが悪い”

 心配した瑠奈への返答が、先程言った言葉だった。一字一句、同じだった。

 背中を向けていた智和は荷物を持って歩き出そうとする。

 知らず知らずのうち、ララの右手が伸びてワイシャツの裾を握っていた。本当なら背中部分か襟部分を握れば良かったが、躊躇してしまった。

「大丈夫じゃない」

 俯きながら、ララは続ける。

「大丈夫な訳、ないじゃない……」

「何でお前が泣きそうになってるんだよ」

 呆れながら、しかしどこか嬉しそうな智和は振り向く。

 振り向き様、丸めていた資料でララの頭を小突く。顔は上げなかったが手を離した。見られたくないのがわかって、少しだけ本音を吐いた。

「気にするな。俺の問題だ」

 そう言って、智和は階段を降りていった。

 残ったララは壁に凭れ、力をなくしたように座る。体育座りになって、足に顔を押し付ける。

「答えたようなものじゃない。馬鹿」

 最後の言葉。あれだけで充分わかってしまった。

 ようやく落ち着いて深呼吸。気持ちを切り替えたララは機材を入れたケースを持って、機材保管室に早足で歩いていった。


――――――――――――◇――――――――――――


 とある森林公園に誠二は来た。駐車場にシルバーで塗装された愛車の日産GT-R R35を置き、公園の奥へと歩いていく。

 木々に囲まれた道を抜けると大きな池が現れた。数人が外周をランニングしている。

 いくつか置かれているベンチを見回すと、目的の人物が座っているのを見つけた。

 そのベンチに向かい、誠二は男性と少し離れて座る。

「二人でいる所はあまりよろしくない。手短に済ます」

「それならさっさと許可を出せばいい。波多野防衛大臣」

 男性――防衛大臣である波多野邦一はたのくにかずは、手にしていた缶コーヒーを飲み干した。

「IMIによる新宿と品川、更には渋谷と首都高による銃撃戦。これだけ事を大きくされては、こちらとしても簡単に許可を出せる訳がない」

「それと会社は関係ない。面子を優先させる余裕があるのか? 黒井沙耶とは取引相手でもあるのはとっくに知ってるぞ」

「だからこそだ。黒井沙耶の会社は重要関係になっている。彼女の警備を厳重にすれば知られる可能性が高まる」

「国産の無人爆撃機でも作るつもりか」

「将来的には」

「そんな話、俺達には関係ないぞ。仕事で命を賭けるが、弊害で命を無くすことになるのは腹立たしい」

「我々もその弊害であるIMIに苦しめられている」

「散々揉め事をたらい回しにしただろ。自業自得だ」

 二十代の青年にここまで言われ、苛立ちを隠さずわざとらしく舌打ちした波多野。

 とはいえ、誠二の言葉通りでもあるのは確かだ。防衛省と黒井沙耶とは秘密裏に取引関係となっている。取引相手に危機が及んでいることは、少なからず防衛省にも危機がせまっていることでもある。

「今回の相手に国外諜報組織が加わっている可能性がある」

「中国か韓国、北朝鮮関係か?」

「わからん。IMIのグローバルホーク撃墜時に発見された無人機が、利剣に酷似しているから中国かもしれん。だが調査によれば、CIA(中央情報局)が関わっている可能性もある」

 誠二は驚くことはしなかった。沙耶が民間による無人機の開発・販売を提唱したことにより、マークされることは不思議ではない。

「黒井沙耶と取引してるのがバレてるじゃないか」

「接触していることは知られていい。だが中身を知られることだけは避けねばならん」

「国産爆撃機作るって言ってるものだな」

「不用意に言葉にするな。監視されてる可能性もあるぞ」

「見回したがいないから来た」

「食えん奴だ」

 小さく溜め息を漏らした波多野は空き缶を持って立ち上がる。

「中国や韓国、北朝鮮ならば良かった。CIAが関与しているならNSA(国家安全保障局)も乗り出しているかもしれん」

「全部に『かもしれん』付けてるぞ。ハッキリしない」

「アメリカを敵に回すことだけは避けねばならん。その状況下で上手く立ち回れ。明日に銃器の使用許可を認可する。下手をすれば、貴様等を切り捨てる」

「やってみろ」

 波多野の警告に対し、誠二は臆することはない。寧ろ中指立てて挑発し返した。

《リスクコントロール・セキュリティ社》を切り捨てたところで、防衛省には何もメリットはない。誠二と波多野の両者が理解している。

 波多野は何も言わず歩いていく。誠二も用事を終え、波多野とは反対方向の自分が来た道を戻って公園を出た。

 会社には戻らず自宅のある目黒区へ。

 駒沢公園に近い閑静な住宅街。その一角に住居兼喫茶店舗の自宅がある。

 ガレージを除いた左右対称形の建物形状。三階建て地下室ありの建物だ。一階が喫茶店スペースとなっており、店内が覗けるよう一部がガラス張りの壁面になっている。今はブラインドが下げられ、店舗玄関の窓から『holiday』と書かれた小さな看板が見えた。

 休みだと知って車をガレージへ。ガレージの隣には二台分の客用駐車スペースがある。

 ガレージには妻が乗っている軽自動車があった。ガレージからも店内の厨房に入れる搬入口があり、見れば店内に数人いた。妻の後ろ姿も見えた。

 特に声をかけることなく、着替えなどを入れたバッグを持ってガレージの奥へ。食品などのストックルームがある横から自宅に入り、階段を上がる。

 二階と三階が住居スペースとなっている。二階はキッチンと一体になったリビング。バスルームは水漏れしても喫茶店の営業に問題のない位置にある。

 そのまま上がって三階へ。二人の寝室と書斎部屋、空き部屋が二つ。

 寝室に入り、仕事用の着替えを準備し始める。

 後ろから誰かが忍び足で近付いているが、気配といつもの経験からわかっていたのでそのままにしていた。

「挨拶もなしに家に上がるなんて良くない泥棒さんだね」

 すっ、と後ろから手で目隠しされる。柔らかい言葉と手の感触に思わず誠二は微笑んだ。

「後ろから泥棒に手を出すなんて良くない住人だな」

 振り向き様、相手の腰に手を回して持ち上げるとそのままベッドに押し倒す。

「ごめんごめん。ギブアップ!」

 言葉ではそう言いながらも、まんざらではない笑顔で相手――妻は誠二の首に手を回す。

「おかえり。誠二」

「ただいま。春奈」

 軽くキスをして妻の春奈はるなは笑った。

 誠二は少し茶色がかったセミロングヘアーに触れ、パッチりとした瞳を見つめていると、もう一度キスしたくなったのでぽってりとした唇に自分の唇を重ねた。春奈も拒まず、少し長めに重ね合った。

「駄目。これ以上してると離れたくなくなっちゃう」

「残念だが同意だな」

 さすがにこれ以上キスしていると、盛り上がってしまうと気付いて自制した。

 起き上がり、春奈はそのまま着替えの準備を手伝い始めた。

「あれ。持っていった着替えは?」

「いつものクリーニング店に出して家に届けてもらうようにした」

「私が洗濯してアイロンがけしようと思ってたのに」

「むくれるなよ。今度から持ってくる」

「今日は事務所?」

「ああ」

 着替えを纏めて部屋を出た二人は階段を降りる。ガレージに戻り、バッグを助手席に置いた誠二は搬入口から店を見る。

 店内に数人おり、よく見ればそれはアルバイトの学生である男女二人と、スタッフの女性の三人だ。誠二もよく話す。

「店は休みか」

「うん。いつもしてるけど念入りに掃除して、買い出しに行く予定」

「そうか。気を付けてな」

 運転席に乗ってエンジンをつけた時、春奈が屈んだので窓を開けた。

「今日、帰ってこれる?」

「ああ。帰るよ。夕食を頼む」

「うん。準備して待ってる。行ってらっしゃい」

「行ってくる」

 最後にもう一度キスをしてからガレージを出る。みくの言う通り、春奈と会って話せばリラックスできた。波多野と話して感じていた苛立ちなど、微塵も残っていなかった。


――――――――――――◇――――――――――――


 渋谷区の駅南側にある《ディ・マースナーメ》。十二階建てビルの八階大型フロアに事務所を構えている他、その上の階全てを会社専用として有している。

 従業員三百名弱の中小企業の位置付けだが、場所と設備が充実している。従業員もレベルが高い。海外IMIや警備会社と複数契約しているだけの実力はあるのだ。

 オフィスでは沙耶が仕事をしている。千香は沙耶の秘書もしているので一緒にいる。

 そんなオフィスの隅には、スーツ姿の《リスクコントロール・セキュリティ社》の社員が二人一組で監視している。互いの死角を補うようオフィスには三組――計六人の社員がいた。

 社内とはいえ一切の隙を見せない彼らに、従業員は落ち着かない様子で仕事をしている。これでも気にしなくなったのだ。

 そんな中、恵と瑠奈は沙耶の事務室に隣接する小会議室にいた。ここは待機室や休憩室などで提供された部屋で、遠慮なく使わせてもらっている。

 現在は恵と瑠奈の二人だけ。誠二は明日の昼まで会社の事務所に、厳ついロシア人のホワイトは近くの拠点で指示を出しながら周囲の監視もしている。

「……はぁ。定時報告メンドい」

「こらこらこら~」

 遠慮ない恵の嘆きに瑠奈は苦笑する。

「そういえば、今日って《戦闘展開部隊》所属訓練試験の会議だったよね~、全員参加の」

「智和とララが行くってさ。今年から二人も強制参加ね。訓練生徒と一緒に走る役」

「大丈夫かな~?」

「問題ないどころか物足りないでしょ。基礎体力はトップクラスだし。ララだって問題ない。楽にこなせる。

 それより、色々と重なり過ぎて正直辛い。終わったら寝そう」

「しないってわかってるけど、任務中は寝ないでね~?」

「わかってるわよ」

 雑談していると扉をノックしてから千香が入ってきた。

「お嬢様が呼んでいる。来てほしい」

「わかりました~」

 快く返答する瑠奈とは対照的に、恵はムスッとしたまま後に続く。それに千香は目を細めながらも二人を案内する。

 護衛をして日にちが経つが、どうも恵と千香の相性が悪い。仕事ができる最低限のコミュニケーションはしているが、それ以外となると合わない。瑠奈が必死に仲介をする為、余計に疲れてしまう。

 沙耶の部屋に通される。それほど広くない沙耶の事務室だが、余計な物がない為に広く見える。デスクは奥にあり、中央に来客用ソファとテーブルが置かれている。

「お嬢様。二人をお連れしました」

 沙耶はデスクでの作業を一旦やめた。

「待機中にごめんなさい。ちょっと相談があったの。ソファに座って話しましょう」

 警護のことに対する相談かと思いながら二人はソファに座る。向かい合って沙耶が座り、後ろに千香が手を後ろに組んで立つ。

「相談って何でしょう~?」

「今は無人航空機を中心に活動しているけれど、一部のチームは装備の研究開発を進めているの。それで、IMIの生徒を対象にした新型のタクティカルベストを作るけれど、良かったら貴方達の意見を取り入れたい。あと、女子生徒用の新型タクティカルベストや装備衣服の意見も欲しいの」

 本来の《ディ・マースナーメ》は、IMI女子生徒を対象にした商品や専用プログラム機器などが主力である。

「私達でいいなら協力しますよ~」

 瑠奈は快く返答するが、恵は少し考えてから口を開く。

「商品開発の意見協力。今以上に良い物が提供されるなら私も協力は惜しみません」

「そうですか。良かった」

 安堵する沙耶だが「ですが」と恵は続ける。

「私達二人の独断で協力はできません。長谷川などに連絡し、IMIから正式に許可を頂いた方がよろしいと思います」

「私もそう思っています。後ほどIMIへ交渉する予定です。商品開発の許可を得た場合、二人の協力が欲しい」

「IMIが許可したなら快く受けます」

 話が一通り纏まった時、恵の携帯電話に着信がきた。「失礼」と一言口にして席を立つ。

 部屋を出て携帯電話を見る。相手は誠二からだ。

「もしもし」

『任務中悪い』

「何かありましたか?」

『展示会警護の会議が早まった。俺と長谷川で出席する。終了次第、会社に立ち寄って説明するから、彼女の予定をなるべく空けておいてほしい。ホワイトには伝えてある』

「わかりました」

『あと、秘書とは仲良くしろよ』

「敵意むき出しの奴をどうしろと」

『そういう好き嫌いが恵の悪い癖だ。上手く付き合え。また後で連絡する』

 先輩からのアドバイスはごもっともだが、恵は嫌いな人間は嫌いという頭でっかちな性格をしている。恵自身、そうだと確信しているし、仲良くなる必要はないと思っている。

 無駄に馴れ合うのは嫌だなと思いながら、通話を終了した携帯電話を懐に入れて部屋へ戻った。


――――――――――――◇――――――――――――


 防犯対策展覧会を行う会場の会議室で、一時間半ほどの会議が行われた。日程の流れは勿論、会場内外の警備についても打ち合わせする。

 その会議に長谷川と誠二も参加していた。《ディ・マースナーメ》が出展するという理由で参加できた。

 会議が終了した時には、既に十二時を過ぎていた。とりあえず腹ごしらえする為、二人は近場のラーメン屋に入った。

「何て頭の固い連中だ」

 注文して早々、長谷川の口からそんな言葉が出た。誠二は苦笑する。

「相変わらず強引にねじ込むのが好きだな。怖いもの知らずというか、なんというか」

「《都市治安部隊》の介入はおろか、会場内外の警備にも加えさせないんだぞ。そうまでしてIMIの介入が嫌なのか、あの企業連中は」

「そりゃIMIは悪名高き《GMTC社》と関係が強いからな。ただでさえ防犯対策展覧会の中止デモや署名活動があるのに、軍事大企業と関係のあるIMIが警備につけばイメージ悪い。それをネタにマスコミやら反対派なんかに煩く言われたくないだろうしな」

「そんなことはわかっている。ただ、警護対象につける警備人数も制限されるなんて論外だ。阿呆だぞ」

「自分達は襲われないと思ってるんだろうな。だが、街中だろうが高速道路でも撃ってくる相手だとわかっていない」

「黒井沙耶には恵と瑠奈。秘書ともう一人のボディガードか」

「銃撃戦で軽傷のボディガードが復帰した。彼をつけて四名だな」

「煮干し醤油ラーメンネギチャーシュー大盛麺硬めと、同じく煮干し醤油ラーメンネギもやし大盛麺普通になりまーす」

 女性店員が二人が座るテーブルに注文したラーメンを運ぶ。

 空腹なので、一旦会話をやめた二人はしばらく無言でラーメンを食していた。

 味の評判が良い店でもあり、二人はあっという間に完食してしまった。

「チャーシュー丼大盛追加」

「硬めの麺のお代わりを。あとネギともやしのトッピング追加で」

「ネギともやし好きすぎだろ。相変わらずだな」

「好物なんだから仕方ない」

 誠二の指摘に長谷川はそう答え、替え玉とトッピングを追加してまた箸を進める。誠二にも追加注文したチャーシュー丼大盛が運ばれた。

 今度は無言ではなく、箸を進めながら話し始めた。

「会社側としてどうするつもりだ。まさか引き下がる訳でもないだろう」

「当たり前だ。会場内外の警護をさせてもらえないなら勝手にやるまでだ」

「だと思ったよ。私達としても最初からそのつもりだ」

 朝に智和達の報告を受けた際、展覧会の警護について軽く話した。予想できていた事態になにも焦ることはない。

「なら話は早い。俺達は展覧会の警護ではIMIの指揮系統下に入る方がいいだろう」

「そうしてくれれば助かる」

「詳細は後日、警護対象の予定を見て話そう。明後日の午前が狙い目か」

「こちらはいつでもいい。彼女の都合に合わせよう」

「長谷川も大変だな。試験官に部隊指揮に」

「もう慣れたよ。それに《戦闘展開部隊》の会議には智和とララが出席する。楽なものさ」

 食べ終えた二人は満足して会計を済ませる。店を出ると駐車場に直接向かわず、適当に歩くことにした。

 人のいる店内では話せないことを話す為の散歩だ。こちらが本題でもあった。

「《蜂蜜フォンミイ》は知ってるな」

「《レッドグループ》と争っていたチャイニーズマフィアだろう。一昔前だが記憶にある」

「ウチの職員がシマに入って色々と探ってきた。どうやら活発に動いているらしい」

「今回の事件と関係がある、と」

「可能性は高い。そこを重点的に調べれば面白いかもしれない」

「やってみよう」

「それと、国外諜報機関が動いている可能性もある」

「諜報機関、か。成る程」

 納得するように頷く長谷川。

「“道理ではえたかっている訳だ”」

 後方。近すぎず離れすぎない距離を保ちながら、何者かが二人の後を追っていた。

 数は二人。もしかすれば更に離れた場所に仲間も待機しているかもしれない。

 会場に着いた時から二人は気付いていた。どんな人間なのか確認する為、誠二は長谷川を昼食と散歩に誘った。

「二人だな」

「誘い出して捕まえるか」

「やめとけ。偵察を兼ねた情報収集だろう。任務中もあんな輩が度々いた」

「追い掛けられるのは面倒だぞ」

「そこは上手くやるしかない。愛車を乗りこなせれば問題ない」

 あたかもコンビニに用事があったように入り、適当に商品を購入。その間に打ち合わせをして二人は別れた。追跡者も二手に別れて尾行を続ける。

 大量のお菓子が入ったビニール袋を助手席に置いた誠二は、その動作中にミラーで追跡者を確認。

 車に乗って駐車場を出れば案の定、追跡者も車を使って尾行し続ける。

 会社に戻る道を走っているのは追跡者もわかっていた。故に左へ車線変更して次の道を左折しようとした時も、なんの疑いもなく同じように車線変更した。

 車線変更したことを確認した誠二は、ハンドルを左ではなく右へ切ってアクセルを踏み込む。

 運転しているGTーRは、最新テクノロジーによる0.2秒での自動シフトチェンジ。VR38DETT型3.8L V6ツインターボエンジンからなる高出力の馬力により、僅か二秒ほどで100km/hに達する。

 一気に加速して、右車線から出ようとした車の前を横切り、そのまま反対車線に入った。

 クラクションを鳴らされながらも誠二は涼しい顔をしており、窓を空けて手を出すと中指を立てた。追跡者に対するあからさまな挑発だ。

「くそ。あの野郎」

「追うな。そのまま左に曲がって路肩に停めろ」

 追うことなどできる筈がなく、二人の追跡者を乗せる車は左折して停車。運転する男は舌打ちし、助手席に座る男は携帯電話で電話する。

「俺だ。パッケージ1をロストした。見事に出し抜かれた」

『こっちもだ。パッケージ2をロスト。くそ、あのアマなめやがって……』

 どちらも振りきられたが男は気にしない。気付かれていた可能性は予想しており、事実そうだった。だがある程度の情報収集ができたので良い。監視も追跡も必要ない。

「追跡中止。これ以上は必要ない。戻れ」

『了解』

「俺達はどうする。レスリー」

「同じだ。戻るぞ。ギブソンの用事も果たせた」

 携帯電話を片付けた髪を短く刈り揃えた黒人の男――レスリー・テルフォードは撤退を命じた。


――――――――――――◇――――――――――――


 午後にあった《戦闘展開部隊》の会議を終えた智和は自室に戻っていた。戻ったのは生徒だけで、教師達はまだ会議を続けている。長谷川は遅れて会議に参加していた。

 会議でララと顔を合わせた。午前にあったことで気まずくなるかと思っていたが、本人は気持ちを切り替えていたので杞憂に終わった。

 任務の報告も既に受け、今後の行動も予定通り。装備の点検に整備も完了している。少ないながらも自由時間をもて余していた。こういった時には射撃訓練や格闘訓練をしている。

 今からでも出歩くべきか迷っていると、ベンのことをふと思い出した。

 ベン・アッシュフィールド。ジョージア地区所属の同い年。聞いたことがあるようなないような、引っ掛かりを解消するには良い機会だった。

 一番わかるのは身近にいた人間。ブライアンやクリスティーナだろう。

 とは言え、ジョージア州の時差は約十四時間。サマータイムでめ十三時間はあるので、流石に電話をすることは躊躇う。

 メールを送信することに決めた智和は、ブライアンに送信しようとパソコンを起動する。

 すると無料ネット通話のアイコンに、新しい連絡先の追加を承認するかという表示が出ていた。

 また迷惑メールかウイルスかと思いながらクリックする。

 相手はどちらでもなかった。差出人は『クリスティーナ・マクファーソン』となっていた。智和に対するメッセージが添えられていたので本人に違いなかった。

 承認して新たに連絡先を追加。その直後にクリスティーナが通話をしてきた。あちらは夜中の筈だが、断る理由もないので智和は『通話する』のボタンをクリックした。

『Hello!』

「煩ぇ!?」

 第一声の音量が耳を攻撃するような大きさで、思わずヘッドセットを外してしまう程だ。

『ごめんごめん。ちょっとテンション上がって』

「そっち夜中だろ。いいのか?」

『大丈夫よ。訓練もないし』

 本人が良いのなら心配することはない。早速、本題に入ることにした。

「なぁ。ベン・アッシュフィールドって知ってるか?」

『あら。また随分懐かしい名前ね』

 反応からしてクリスティーナは知っている。

『レナードが聞いてきたってことは、彼のことは覚えてないってことね』

「有名だったのか?」

『交流関係は広かったわよ。特に女性。かといって女性問題を起こしてるとかはなかったわね。むしろ紳士的。男性には気さくだった。私も話しかけられたし、特に嫌ではなかった。流石は元女優の子供って感じ』

 逆に言えば、十歳かそこらの歳なのに女性へ積極的に声をかけていたということ。智和は凄いと呆れの両方を抱いた。

『でもそれ以上に、彼の早撃ちが凄かったわ』

「早撃ち?」

『ええ。いつもピースメーカー――回転式拳銃のコルト・シングルアクション・アーミーの通称――を持ち歩いていたガンマン。射撃訓練でもしないから滅多に見れないのだけれど、本当に凄いんだから! あの歳であれだけ速く撃てて命中精度も正確なんていないわよ。見れた人達は皆して『ボブ・マンデン二世』とか言ってた』

「そんなにか」

 ボブ・マンデンは早撃ちの生ける伝説。生半可なものでなれる訳ではない。ただでさえIMIの生徒に称えられるなら凄腕の持ち主だ。

『今はわからないけど、当時ならレナードよりベンの方が凄いと思う』

 旧友であり、信頼できるクリスティーナの言葉に智和は「へぇ」としか答えられなかった。

 当時から早撃ちに関して智和は無駄に上手かった。ブライアンやクリスティーナの他に、智和が知る限りではいなかった。

 入学時期から智和は、“そういうこと”に関しては誰よりも上手かった。射撃、格闘に関してはスコットから少し教えられただけで覚えられた。早撃ちに関しては特に、同年代だけではなく上級生や教師にも負けなかった。

 ブライアンとクリスティーナもわかっていることだが、それでもベンの方が凄いと称されたことに対して、智和は少しだけ嫉妬を覚えた。

『あ。もしかして妬いてる?』

 どういう訳かクリスティーナは智和の心情に気付いていた。それどころか楽しんでいるような口調であるった。

「楽しそうに言うな」

『いいじゃん。でも彼の早撃ちは本当に凄いんだって。レナードも見る機会があれば見た方がいいって!』

 クリスティーナが珍しくはしゃいでいる。智和も少し見てみたい気がしたが、本人に無理を強いることはしたくない。

『で、何で彼のこと聞いたの?』

 ベンの素性を言うべきかどうか。悩んだ挙げ句、クリスティーナなら漏らすことはないと信用して言うことにした。

「ティナだから言うが、ベン・アッシュフィールドが素性を隠して日本IMIにいた」

『え。彼そっちにいたの?』

「年齢と家庭環境の全てが偽プロフィールだった」

『へぇ。彼のことだからIMIに関わりたがらないと思ってた。それ多分、大佐のせいよね』

「そうらしい」

『何度か顔を合わせたことがある。あの人は上昇思考が強い。周りを巻き込んで上にいくことしかないわ。諜報機関まで手が伸びる』

「嫌になってこっちにきたんだと」

『ベンは軍隊とか嫌ってるから。レナードがいなくなった後、ベンが同級生を撃ったっていう事件はショックだった。けど内容を知れば「ああ。やっぱり」って思った。彼の行動は讃えられるべきよ』

「そこは本人と話をした。頼むから周りには話すなよ。わりとデリケートな問題だ」

『わかってるわよ。彼の話はおしまい?』

「一応な。聞きたいことは聞けた」

『それじゃ、私の話を聞いてもらおっかなー。沢山話したいことあったのに、レナード途中でいなくなるし』

「わかったわかった。時間が許す限りかまわない」

 呆れながらも、智和はクリスティーナの要望に応える。長谷川から会議の通達が来るまで、他愛ない雑談をしていた。


――――――――――――◇――――――――――――


 翌日。

 いつもなら事務所で寝泊まりする誠二は自宅に帰り、春奈と二人きりの時間を満喫していた。

 朝食を済ませて二人で食器を片付ける。スーツに着替えた誠二が出発する時、春奈は笑顔で送り出した。

 事務所に行くと受付嬢に挨拶して中へ。案の定、みくがいつも通りにソファーに寝っ転がって小説を読んでいた。

「昨晩はお楽しみでしたね」

「煩い」

 特に反論してこなかったことを見るに、本当に楽しんでいたとわかったみくはわざとらしく口をへの字にして笑ってみせた。

 それが妙にムカつく表情だったので、デスクに向かう前にみくの額にデコピンしてやった。

 暴力反対と泣きそうになりながら叫ぶみくを尻目に誠二はデスクへ。その上に一通の封筒が置いてあった。

「それ、今朝速くに届けられたものですよ」

 従業員の女性が告げて、いつものように淹れたコーヒーを渡す。受け取った誠二は一口飲んだ。

「宛名すら書いてない」

「急ぎで社長に渡してくれと言われたもので。名刺とかは出さなかったですね。服装も私服でしたし」

 一通り聞いて、封筒を出してきた人物をある程度は予想できた。

「受け取っても良かったですかね?」

「ああ。ありがとう」

 女性が出ていき、誠二は早速封を切った。

 中には十数枚の書類が入れられている。出して確認してみると防衛省に申請した銃器の所持・使用許可に関するものだ。

 いつもなら軽装備止まりの内容だが、軽く目を通すと重装備を所持・使用可能という内容になっている。これは流石に予想できなかった。

 全ての書類には防衛大臣である波多野の印が押されていた。

 有言実行はした。ただ、貸しを作ったつもりだろうが、誠二にしてみれば守ってくれと言っているようなものだった。

「みく。ちょっと来い」

 呼ばれたみくはデコピンされた額を押さえながら誠二の下へ。

「私は額に致命傷を受けて危ういのですが。というか泣くぐらい痛かったです、こんちくしょう」

「煽るからだ。それよりも」

 持っていた書類をみくに見せる。最初はわからなかったが、内容や印を見て銃器の所持・使用許可だとわかった。

「ようやくだ。今回は重装備でいける」

「いいですね。滅多にないことです」

「ホワイト達に連絡して物を昼までに揃えろ。移動できるようにだ」

「了解です」

「あと午後に用事を頼みたい。十三時半までに、事務所の人間と一緒に港へ行って商品を注文してきてほしい」

「魚でも食べるんですか?」

「いつもの“お得意様”だよ」

 場所と時間。注文内容を書いたメモを渡す。みくは内容を見て、「あー」と思い出したように納得した。

「そういえば今日来るんでしたっけ」

「ああ。こっち来る時は相変わらず連絡してくる。こんな時だから余計にややこしくなる」

「《GMTC社》の商人なら、誰だろうとややこしいでしょうに」


――――――――――――◇――――――――――――


 情報収集を始めてから数日。タカハシは自宅の一部屋で作業していた。

 拡大して印刷した東京都の地図を壁一面に貼り付け、沙耶の本社や取引会社、普段使うルートや移動時間など事細かに記載されている。

 また別の壁には人物の画像と情報が、同じように事細かに書かれている。

 その中には警護任務についているIMIや《リスクコントロール・セキュリティ社》の画像もあった。が、顔だけしかわからず詳細不明である。

 榎本誠二やホワイト・ゴードンの評判は知っているが、IMIの女子二人は未だに判明しない。《特殊作戦部隊》の一員とは考えているが、残念ながらわからないままである。

 タカハシは部屋の中央に座り、煙草を吸いながら地図を眺める。いつも着ているスーツではなく、ジーンズとTシャツ姿だ。

 吸い終えた煙草の火を、傍らに置いてある吸い殻で満杯の灰皿に押し付けて揉み消す。

「お前もよくやるね。こんな地味な仕事」

 横からそんな声がして顔を向ける。壁一面の引き違い窓を開けてベランダにいたフランチェスカが、煙草を吸って気怠そうにしていた。

 いつも着ている薄着の黒パーカーを脱ぎ捨て、今はデニムのショートパンツとタンクトップだけだ。横にはタカハシと同じような吸い殻満杯の灰皿と、箱で買ってきた安売りのコーラの空き缶が何本も置いている。

「仕方ない。そもそもこれは事前にやるべきことなのに、それを怠っていた故の結果だ。地味なことだが必ずしなくてはならない。特に今回の相手だと念入りに、ね」

「やっーぱりあの時殺せれば良かったじゃないか。《蜂蜜フォンミイ》連中め」

「IMIの介入を許したのはこちらの不手際もあった。責めてばかりは意味がないよ」

「で、情報収集はうまくいってんの?」

「レスリー達のおかげで捗っている。やはり“本職”の人間は手際がいい」

「《蜂蜜フォンミイ》は何してる?」

「内通してる警察関係者に協力させる為に商品を仕入れている。武器もだ」

「武器なんてギブソンから買えばいいじゃん」

「会社の商品を直接使うのはまずい。以前使用した無人航空機は中国の管理下で、バージョンキットも中国軍が購入したものだ。売った形跡は残るが買った側が何に使おうが、ギブソンの会社は気にもしない」

「やだねぇ軍需産業は」

 興味無さそうにボヤいたフランチェスカは煙草をくわえたまま立つと、冷蔵庫に行ってコーラを取り出した。

 一本は自分。もう一本をタカハシに渡し、横に座って缶を開ける。

 口に含めば甘味ある炭酸が弾け、一気に喉を通る快感がたまらなく爽快だった。これは炭酸飲料だろうがアルコール飲料だろうが変わらず、暑い夏場ならば尚更だ。

 コーラを一気に飲み煙草を吸う。フランチェスカにとっては至福の一時である。

「で、どうするよ?」

 同じようにコーラを飲んで煙草を吸うタカハシは、煙を吐いて静かに告げる。

「今回は偵察かな。IMIがどの程度の規模で動いているのか。展示会でIMI介入はないと報告はきたが、IMIが黙って見ている訳がない」

「なぁ。やっぱり爆殺とか駄目なのか?」

「駄目だね。一匹狼の商人やアウトローが相手ならともかく、IMIや多方面に関係を持った黒井沙耶を派手に殺すのはやめた方がいい。もしかしたら、最後になればギブソンは殺す気がなくなると思う」

「何で?」

「黒井沙耶を無人航空機業界から撤退させるのが最低目標だ。技術とルートを手に入れれば、撤退を条件に見逃す可能性が高い。ああ見えて、ギブソンもかなり危ない綱渡りをしてるからね」

「ふぅん。アタシはそういうことわかんないから別にいいけどさ。今はまだ殺す気あるんだろう? なら、アタシは引き金引けばいいだけさ。簡単だ」

「ああ。展示会では待機だがフランにも来てもらうよ。偵察と言えど武力偵察だ。排除できるなら排除するに限る」

「まぁた暑い中待機かよ。クソだな」

「小型扇風機でも買ってあげるから我慢してくれ」

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