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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第二部第2章
28/32

黄昏を認めず、黄昏を知らず、黄昏を分からず

その光景を思い出せず。思い出すことすら出来ない。

 渋谷近く、首都高速道路での銃撃戦を凌いだクロウ1、クロウ2。その後は敵勢力との接触もなく、なんとか無事にIMIへと帰還することができた。

 長谷川の指示で正面入り口ではなく、普通の任務では使用されない非常用出入口を使用してIMI敷地内へと入った。以前、民間軍事企業アックスが潜伏していた品川へと向かう際に使用されたものと同じ、一般には非公開の秘匿通路である。

 その地下通路を使ってIMI敷地内を走り、第一車庫へと到着。保護対象である沙耶と千香は、待機していた衛生科の生徒に傷がないか体を隅々検査された。智和たちも同様に検査を受けたが、彼女ら二人ほど細かくは受けない。目立った外傷があるかないか確認され、あった場合はその場で応急処置して衛生科が担当する病棟校舎へ移動する。

 全員、なんらかの外傷はある。車両同士の衝突で打撲や痣がある。飛び散った破片で切り傷ができたり、撃った時の空薬莢のせいか火傷もある。任務中は血圧が上がり、アドレナリンが分泌され、傷を負っても気付かないことがほとんどだ。骨折していたことがザラであり、時には撃たれていても気付かないものである。

 龍が、右肩を検査する為に衛生科生徒と一緒に病棟校舎へ。ベンも一緒に着いていく。他は特になく、あっても切り傷や打撲程度だった。

 簡単な検査を受けた智和達は車庫に残り、自分が置いた荷物の席で装備を外す。念入りにクリーニングを行い、マガジンに弾薬をこめ、次の任務に取り掛かれる準備を整えた。イリナは呆気にとられながらも同じように準備し、加藤は強希に連れられて車両を整備スペースへと移動させた。

 整備途中、長谷川がわざわざ愛車のランサーエボリューションで第一車庫までやってきた。琴美も一緒である。

 全員手を止め、向きを変えた。

「任務ご苦労。報告聴取は一時間以内に行う。それまで整備し、備えろ」

 智和が問う。

「目標の様子は?」

「今のところ問題はない。付き人もだ」

「ボディガードへの応援はどうなった?」

「《強襲展開部隊》が既に到着している。交戦したが、敵勢力はすぐ撤退した」

「50口径を備えたハンヴィー見たら誰でも逃げるだろ。普通は」

「まぁな。だから、こちらに損害はない。ボディガードに負傷者がいて、そちらもIMIに搬送中。重傷もいるが命に別状はない」

 予想していたであろう敵の襲撃とはいえ、沙耶のボディガード達は大した連中だと誰もが思った。

 ただ一人逃がすだけの囮であるのに、誰も心を折らず立ち向かい続けた。

 しかし、長谷川は緩めていた表情を任務時と同じ表情に戻して続けた。

「しかし、目標の囮となって行動していたボディガード一名が死んだ。何者かの狙撃によって。早急に対策を練る必要がある。相手は障害物を関係なく撃てる腕前を持っている。厄介なことこの上ないぞ。新一」

「なンスか?」

「今後の作戦立案、お前も加われ。可能な限りの狙撃範囲に対処する必要がある」


――――――――――――◇――――――――――――


 沙耶と千香は病棟校舎に連れられて衛生科生徒によって隅々まで検査させられた後、小さな会議室へ案内された。ただ休むだけの目的で案内されたのだ。

 そこに琴美が、先日と同じように紅茶道具一式を持って入ってきた。少しではあるが、見知った顔の人間がいることに二人は安心を覚えた。

 紅茶を淹れ、カップを渡す。沙耶はそれを受け取るが、飲む直前、カップを落としてしまった。

「……あれ?」

 太股に紅茶が少しかかったが、熱さよりも疑問がまさった。何故、自分の体は震えているのだろう。

「お嬢様」

「大丈夫ですか?」

 慌てて琴美はカップの破片を拾い、千香は沙耶に寄り添う。沙耶は自分の指先を見ると震えていることがわかった。

「私、震えてる」

「はい」

「私は……」

「はい。大丈夫です。ご心配なさらず」

 千香が宥めている間、破片を拾い集めた琴美がもう一度紅茶を淹れ直した。カップを渡し、沙耶が飲むまで手を離さなかった。

 マリアージュ・フレールのウエディングインペリアル。キャラメルやココナッツのような甘い香り。紅茶の香りとは言えないかもしれないが、口に含めば渋みが広がる。熱いものが喉を通り、思考が正常に働いていくのが身に染みて伝わってきた。

 思考が働かなくなるのは当然だ。一般人なら、銃撃戦に巻き込まれてまともに考えられなくなる。智和達の思考が失われない理由は、訓練をしているからだ。

 それを考えると、泣き叫ぶことも悲観することもなかった沙耶と千香の精神力は、一般人のそれとは違う域にある。

 カップの半分程の紅茶を飲み、沙耶は深呼吸をする。琴美は手を離した。

「落ち着きましたか?」

「ええ。お見苦しい姿を見せてしまいました」

「謝る必要はありません。謝るのは私達の方です。今朝から貴方達の行動を監視していました」

「監視、ですか?」

「無人航空機による位置測定。そして部隊による監視です」

「それでも、そのおかげで貴方達は間に合ったのでしょう。礼を言わなければなりません」

「いえ、そう言って頂けるのはこちらもありがたいことです。同時に謝罪を申し上げます。申し訳ありませんでした」

「頭を下げなくてもいいです。私達こそ、命を救われました」

 資料や性格から、沙耶は常識があり良心的部類の人間だと判明していた。この上なくやり易く、話のわかる人間だと理解している。

 頭を上げた琴美は本題へと移る。

「貴方達を襲った勢力について、よく知る必要があります。できれば部隊の報告聴取に参加していただけませんか?」

「報告聴取?」

 千香が口を開いた。

「口頭による作戦報告と状況分析の考察です。簡単に言えば、任務の報告に、何が良くて何が悪かったか――部隊担当教師が部隊生徒に問うような機会です。

 今回の敵勢力は些か不自然です。今後の為に、宜しければ同席頂けますか?」

 沙耶と千香は頷くことしかできない。前向きな検討に琴美は礼を言い、早速だ長谷川に連絡して車を出してもらう。

 報告聴取に二人を参加させること。長谷川からの命令をなんとかこなした琴美は、気付かれないように溜め息を漏らした。


――――――――――――◇――――――――――――


 三十分もせず、長谷川から智和に報告聴取開始の連絡を伝えられる。智和から全員に場所と時間を伝える。

 普通科校舎の会議室。広くないが狭くもない部屋に部隊生徒が集まる。少ししてから長谷川が、琴美と沙耶と千香を連れて入ってきた。適当に座るよう沙耶と千香に言う。琴美はホワイトボードに地図を貼った。襲撃場所や使用ルートに印がつけられ、時間など事細かに書かれている。

「まずは聴取を行う」

 長谷川が一人ずつ任務時の行動を聞いていく。例外なく、詳細に、だ。何が良くて何が悪かったのか。称賛されれば責め立てられることもある。今回の責め立て役は龍が標的となった。龍自身も馬鹿なことをしたと自覚しているから素直だった。そしてイリナが称賛された。それから新一だ。二人の功績は当然である。

 全員の聴取を終え、報告へと移る。こちらの方が情報量が多く、本番でもあった。

「今回の敵勢力についてだが、色々と面倒なことがある」

「面倒なのはいつもだろ」

 強希の言葉に智和は鼻で笑う。確かに、いつも面倒事であるのは間違いないと。

「いくつかある。まずは敵勢力の詳細が掴めない」

「遺体や使っていた物を回収して解析できないのか?」

「既に警察が動いて、襲撃場所や首都高を封鎖している。回収しても手掛かりは見つけられない。私達は鑑識や科捜研ではない」

 長谷川の言う通り。IMIは軍事方面――こと暴力にしか長けていない。九州IMIの部隊ならそういった研修や訓練をしている為に可能かもしれないが、今の段階で応援要請することはない。

「やけに警察の動きが速いな。まだ一時間ちょっとだろう」

「敵と繋がってるってこと、忘れてるでしょう」

 ララの呆れ、強希は「あァ。そうだったな」と思い出したように呟く。まるで他人事だ。長谷川が続ける。

「正体を掴むなら《諜報保安部》に要請して探らせるが、時間がかかる。この時点で私達は後手に回っている。“胸糞が悪い限りだ”」

 最後の一言で長谷川の機嫌が悪いことを、本来の《チーム1クロウ》のメンバーだけ気付いた。新一を除く他の中期生や沙耶と千香は知らない。こういったことに関して、主導権を握られることを長谷川はとても嫌う。

「他には?」

「一番の重要だ。グローバルホークを撃墜された」

 全員の表情が険しくなる。

「連盟局を通して自衛隊に申請許可して飛ばせてもらったグローバルホークだ。攻撃能力がなかったとはいえ、日本の、東京の、真上で撃墜された。ミサイルを使って、だ」

 敵戦力にはそれだけの準備があるということ。それを考えると、マフィアなどが企てたとは思えない充実ぶりだ。

 ララが口を開く。

「撃墜に関して周囲は何か言っているの?」

 琴美が全員に資料を渡す。その中にはぼやけた画像があり、鳥のように見える。

「撃墜された直後、小型飛行機らしき物体が目撃されている。画像で見る限り、中国産の無人航空機の利剣に酷似している」

「おいおい。国絡みの可能性かよ。関わり合いたくねェな」

 強希の言い分はもっともだ。マフィアや暴力団、民間軍事企業との戦闘はいい。だが国の問題事に関わることだけはしたくない。前者は大義名分があり、IMIの正義――つまり“自分達の正義”にのっとって殺したのだ。殺されたから殺した。

 しかし後者は違う。いくら国と独立した行動を取っている日本IMIとて、国を相手にすることは避ける。相手にしたところで、なんの得もない。

「これに関して、自衛隊から内閣へ中国無人機の領空侵犯として伝えられた。中国に事実確認が行われる」

「それで解決する訳ないだろう。こんな画像じゃ認めないし認められない。論点をずらされる。口喧嘩ならあっちが三枚も上手だ」

「他に何かないの?」

「そうだな。撃墜されたグローバルホークの残骸による被害届が八件と苦情六件。あと、作戦のせいか正面入口前のデモ隊が増えた」

「見事に矛先向けられるな。嫌になってくる」

「それは警備係と生徒会の台詞だ」

 呆れて肘をついた智和に長谷川は静かに告げる。智和もそれは知っている。彼らは佐々木彩夏が死んだ日から、ずっと正面入口前で立っているのだ。言われようのない罵詈雑言とシュプレヒコールを聞き続けている。何の感情を見せず、内に感情を押し込めて。無表情に装っている。警備係と、好きではない生徒会に申し訳ない気持ちになっていた。

「無人機を撃墜できるほどの備えを持ち、人員と装備には余裕がある。更には中国と警察にも関係を持つ敵勢力……。正直、一組織がそれほど影響力を持っているとは考えられない。いくつかの組織が連携している可能性がある」

「だとしたら、厄介なのも混じっているな」

「一組織ではなく複数の組織による連携。これが妥当かと。でなければ無人航空機の撃墜も、狙撃も、納得がいかない」

 一つの組織でこれだけのことをできるとは考えられない。必ずどこかで行き詰まるものだ。限界が生じる筈である。

 かといって、複数の組織による連携なら完璧かと聞かれればそれも違う。多いということはそれだけ綻びが生じ、情報が漏れやすいものだ。

 長谷川は沙耶に向きを変えた。

「沙耶さん。貴方の命を狙っている者達は狡猾でありながら獰猛だ。もう貴方だけの手には負えない。豊富な人員に装備、情報に加えて優秀な狙撃手もいる。これだけ見るなら一個の軍隊だ。貴方をみすみす殺させる訳にはいかない」

 今回の攻撃は防いだ。しかし、次回の攻撃を防ぎきれるかはわからない。今の状況では充分な準備ができない。

 沙耶は俯き、少し間をおいて顔を上げる。諦めたような表情をしていたが、その目には覚悟が映っていた。

「わかりました。お父様の依頼ではなく、私から正式に護衛の依頼をさせていただきます」

「そう言って頂けて感謝します。私達はその言葉を聞きたかった」

 ようやく望む言葉を聞けて全員は安堵した。これで正式な依頼を受理したことになり、IMIは本腰で物事に当たれる。

 つまり、黒井沙耶を護衛する為なら何をしようが関係ない。その口実を手に入れたのだ


――――――――――――◇――――――――――――


 正式な依頼を受けたことで、必要書類への記載や契約内容、今後の行動について話し合うことになった。

 その前に、沙耶と千香は長谷川に病棟校舎――その施設内の遺体安置所へと連れていってもらった。

 衛生科教師に許可を貰い、付き添われながら部屋へと入る。中は薄暗く、空気がひんやりとしていた。場所だけに重く感じられる。

 部屋の中央。ストレッチャー式ベッドに、運ばれたばかりの遺体袋が台に乗せられていた。衛生科教師が「良いですか?」と聞き、沙耶と千香は静かに頷く。

 ゆっくり、遺体袋のジッパーを開けていく。中に入っていたのは沙耶と同じ学生服を着た死体だ。その死体は頭の半分がなくなっており、体を自分の血で汚していた。

 沙耶の囮役として行動していた、広永明美ひろながあけみが死体となって入っていた。

 実感は湧かなかった。だが直接見た瞬間、沙耶は力が抜けて膝から崩れ落ちた。慌てて千香が手を貸した。

「お嬢様、気をしっかり……」

 今朝、家を出る前に広永と話した。ボディガードチームの中で一番若く、沙耶ともよく話していたことがある。空手をしていて、人を守りたくてこの仕事に就いたらしい。学校の制服を着た時、「懐かしいけど恥ずかしい」と照れていた。

 思い出し、口を手で隠すように覆う。自分で決断して見たのだからと、何度か深呼吸して落ち着かせる。

 ようやく立ち上がり、再び広永を見る。表情はわからなかった。

「広永さんの遺体は、どうなりますか?」

「司法解剖を行い、終わり次第お返しします。移送についてはまた連絡を」

「わかりました。後日、改めてご相談させていただきます」

 四人は遺体安置所を出た。衛生科教師が合金製の重い扉を閉め、施錠した。

 遺体安置所から二階の治療室へと移動する。傷を負ったボディガード達が治療を受けていた。命に別状ないが、満足に動ける者は少なかった。

 沙耶は一人一人に声をかけた。「ありがとう。ゆっくり休んで」と労う。先程のことを悟られぬように振る舞っていた。

 全員に声をかけ終わり、沙耶と千香は長谷川の運転で再び普通科校舎へと戻る。

 車内で長谷川が聞いた。

「死体を見るのは初めてでしたか?」

 なんて失礼な質問かと千香は怒鳴りそうになったが、沙耶は静かに返答する。

「はい。お見苦しい所を見せてしまいました」

「それが正常なのです。貴方達が正しい」

「……失礼ですが、貴方は見たことが?」

「はい。前職や現職関係なく、何度も見てきました」

 長谷川の立場上、あまり多くを語ることはできない。そもそも語りたくもなかった。

「だからといって偉いだとかではなく、優劣も決まりません。ただ、そういう仕事だった。そう割り切っています」

「強いのですね」

「強かったら前職は辞めていませんよ」

 自嘲気味に鼻で笑いながら言う。長谷川自身、そう思っていた。

 結局、自分は逃げただけである。目を背けただけである。

 普通科校舎に到着。二人を会議室へと案内する。会議室には既に智和と恵、ララと瑠奈に琴美がいた。

 三人が入ってくると、談笑していた智和達は向きを変えて姿勢を正す。正式に依頼主となったのだから当然だ。

 長谷川に座るよう促された沙耶。千香はその後ろに立ち、それを見てから全員座る。

 長谷川が切り出す。

「今後のこと……依頼内容についてですが、もう少し待って頂きたい。他に協力を要請しました」

 智和達も初耳らしく、怪訝な表情をする。

「今回の敵勢力は厄介です。IMIで遂行してもかまいませんが、数に限りがあります。質の問題もあります。護衛任務に適している者の数が少ない」

 IMIとて万能ではない。鑑識などを行える人物はほとんどおらず、適材適所と言えどそれは軍事行動におけることでしかない。故に日本IMIでは、護衛任務を行える者が少ない。

 少ない理由としては、そもそも護衛任務を想定した訓練をしているのが特定された部隊しかないのだ。《特殊作戦部隊》の他に《都市部治安維持部隊》という部隊しか訓練していない。

《都市部治安維持部隊》という仰々しい名前ではあるが、依頼されたイベントの警備や重要人物の移動警備などの、警備任務が主である。この部隊が一番、一般民衆に見られる部隊でもある。

「対応する為、とある企業にも話を持ちかけました」

「企業、ですか?」

「“そういった方面”のプロの企業です」

 名前を言おうとした矢先、会議室の扉が開いて遮られた。

 入ってきたのは二人の男性。一人は白人。大柄で、スーツの上からでも筋骨隆々なのがわかる。目つきは鋭く、短く刈りそろえた髪型などからまるで軍人の様。

 対して、扉を開けた男性は細く低く見える。が、それはあくまで白人を隣に置いた場合だ。日本人系の彼も背は高く、筋肉で引き締まっている体型は、スーツの上から細身に見せている。白人ほど厳つい顔立ちではなく、どちらかと言えば柔和な眼差し。

 どちらとも、身のこなしが異常だった。どちらも普通に見えるのだが、会議室に入ってくるまで気配がなかった。足音もなかった。隙がなく、対峙すれば怯むんでしまうような威圧感。ララは二人を見た瞬間、只者ではないと理解した。同時に、勝てないとも理解した。

 対して智和、恵、瑠奈、琴美は懐かしい人物に会ったように喜びの感情を抱いた。なんせ彼らの“先輩”なのだから。

「誠二さんの会社に協力要請するってことか」

「これ以上の適任者はいない。頼もしい」

 珍しく恵が呟く。二人が近づき、沙耶も立って向かい合う。日本人系の男性が沙耶の前に立つ。日本人系に見えるが東欧――ロシア系にも見える。最も印象的なのは琥珀色アンバーの瞳だった。

「黒井沙耶さん、ですね」

「はい」

「都内で危機管理コンサルタント会社の経営をしている榎本誠二えのもとせいじと申します。無口で無愛想ですが、彼も社員の一人ですのでご安心を」

 そう言って榎本誠二は名刺を渡した。受け取った名刺には『リスクコントロール・セキュリティ社社長 榎本誠二』と書かれている。

 まじまじと名刺を見つめた沙耶は顔を上げる。

「危機管理コンサルタントと言いますと、仕事内容は警備関係でしょうか?」

「仕事の一つです。業務内容としては要人向けボディガードの提供や、施設・物資の警備。一般企業一般人向け安全管理訓練を始め、プロ向けの特殊訓練などもしています」

「他の警備会社とあまり大差ないような感じですね」

「仰る通りです」

 誠二に促され、沙耶は椅子に座る。用意された椅子に誠二は座り、後ろに白人が手を垂らすように佇む。

 沙耶にとって、誠二達が呼ばれた理由が今一つわからなかった。この業界として普通の業務であり、ありふれた一会社でしかない。

 疑問を払拭するかのように、長谷川は口を開いた。

「ご安心を。彼らはIMIと直接関係を持っている会社です。IMIによる民間軍事企業の話はご存じですか?」

「《GMTC社》ではなくIMIによる、就職支援の一つで海外にいくつもあると」

 IMIの就職先として《GMTC社》専属警備員や軍隊関係が多いが、就職支援の一つとして民間軍事企業への就職がある。

「まさか彼らも?」

「日本IMI及びIMI連盟局、そして自衛隊による支援で作られた民間軍事企業です」

 長谷川の言葉に誠二は苦笑する。

「危機管理コンサルタント会社だ。人聞きの悪い」

「自衛隊が許可を?」

「正確には内閣からも。IMIの技術は《GMTC社》の戦闘員や、“そういった業界”の優秀な人間によって構築されます。とりわけ、榎本誠二は日本IMIにおいて最高の人材です。このご時世、彼をみすみす見逃すというのは阿呆です。それだけ榎本誠二は“優秀過ぎる”。

 プロ向けというのは、軍隊向けの軍事訓練。海外支社でもしています。自衛隊相手にも」

「……まさか日本国内で銃を所持できるなんてことは、無理でしょう?」

 沙耶の質問に長谷川は笑みを浮かべて即答する。

「“できます”。彼らの立場はIMI管轄下ということ。流通に関して一切同じ管理をし、使用においても同じ管理を用いています。これは一部の政治家と自衛隊の特殊部隊しか知りませんが、互いを利用し合う為の条件として提示しました。

 彼らの社員もIMI関係者だけでなく、元特殊部隊の人間ばかりです。故に問題はない」

 日本において、民間軍事会社の設立は違法ではないと言える。だが国内での銃所持はもちろん禁止であり、そもそもそういった業種の人間は民間軍事会社やらPMCなどとは呼んでいない。呼ばれることもあまり好かれない。国際的に統一されておらず、研究者やジャーナリスト、マスコミが言っているだけだ。

 民間のセキュリティ会社、リスク・コンサルティング会社などと位置づける。民間軍事会社などと言えばイメージが悪くなり、傭兵と言われればそれは別物だ。――そんな意味合いなど、同じ業界もしくは関係する人間達の間だけであり、一般人には違いなどたいして意味はないのだが。

《リスクコントロール・セキュリティ社》は日本に本社を置き、主に中東・アフリカ地域に支社を設けて、その地域の支援活動及び警備活動、訓練活動を行っている。

 そんな彼らが日本国内で銃を所持・使用できるのは、IMI管轄の会社だということ。内閣・自衛隊との設立会議にて正式に“認可された”こと。

 IMI管轄ということで、日本IMI、IMI連盟局、IMI本部から正式に認可されて設立された会社。故にIMIとの連携や関係は強く、資金援助なども受けている。またIMI設立となった《GMTC社》との関係も強く、《GMTC社》の運搬警備や慈善事業警備なども携わっている。

 そして一番重要なのが、内閣・自衛隊からの正式認可だ。民間人に銃を所持・使用させるなど許されることではないが、IMIの管轄という理由だけで認めざるを得ない状況だということ。これは誰の目から見ても異常だとわかる。

 これにはいくつかの条件があった。大久保俊明おおくぼとしあき首相、防衛庁長官の波多野邦一はたのくにかず、陸上自衛隊一等陸佐の岸俊彦きしとしひこが会議に加わり、設立及び銃所持と使用を認可した。これは一部しか知らされず、また、それ以上広がることもなかった。――広がることを“防いでいる”、と言ったほうが正しい。

 特殊部隊の海外派遣による軍事研修。

 特殊作戦群と、隠密に組織されたもう一つの部隊。以前、岸が長谷川にこぼした部隊の、経歴を隠蔽して戦闘地域による実践訓練を、彼らの会社で行うことを条件の一つに加えた。死ねば民間人と発表され、会社の責任追及となるだけだ。認めるなら銃所持と使用を認める、と。

 つまり、彼らは互いの弱みを握らせながら利を一致させたのだ。

「話を戻そう」と誠二。差し出された紅茶を飲んで一息入れてから話す。

「今回の襲撃犯、複数と考えるべきだな。それも複数の組織による共犯。共謀。でなければ都市上空で無人機を飛ばして撃墜したり、執拗に追い掛けてくることもない」

「やはりか」

「厄介な敵だ。対策を考えなければならない」

 誠二は沙耶に向きを変えた。

「沙耶さん。貴方を狙う敵は実に狡猾で獰猛だ。相応の準備をしなければ食い殺されるのは必然です」

 誠二の言っていることは決して誇張ではない。そのままの意味だった。事前に資料で目を通した程度の情報だが、即座に理解した。

 沙耶と千香は静かに頷く。こんな状況をわからない馬鹿ではない。

「正式に依頼されたということで、今後の警備計画を設立します。今後の沙耶さんと《ディ・マースナーメ》の予定を、詳細に教えてください。それによって警備計画を明確にします。沙耶さんの都合にも、できるだけ対応する為です。ご了承を」

「わかっています」

 今度は長谷川が沙耶に話す。

「申し訳ありませんが、最低でも今晩はIMIで過ごしていただきます。必要なものがあれば、可能な限り用意させます」

 その言葉に沙耶は少し考え、思い出す。

 自宅には使用人が一人待っていた。襲撃犯が自宅に強襲しないとも限らない。

「使用人が一人、自宅で待っています。その人を呼ぶことは可能でしょうか?」

 沙耶の心配を汲み取った長谷川は静かに頷いた。

「IMIに入るということでチェックは受けますが可能です。必要な物を持たせてもかまいません」

 長谷川から了承を受けた沙耶は紙とペンを借りる。必要な物を記したメモを長谷川に渡す。

 少し時間が要る為、沙耶と千香は琴美に案内されて部屋を出ていった。

 出ていったことを見届け、その場にいた人間の雰囲気がいくらか和む。気が楽になった。

 長谷川も足を組み、いつもの態度になる。

「という訳だ、誠二。お前達にも協力してもらう」

「引き受けよう。詳細は警備計画会議の時に決定させる。人員や装備は問題ない。会議は何時に?」

「昼食を済ませた後でいいだろう」

「わかった。俺達は一度会社に戻る。会議の時間が決まったなら連絡してくれ。ホワイト、帰って皆に連絡だ」

「Да(はい)」

 ホワイトと呼ばれた白人は返事をし、誠二と共に部屋から出ていく。

 それを見届け、ララの緊張はようやく解けた。

「誰?」

「そういえばララは初めてだったか」

 紅茶を飲んでいた長谷川が思い出したように話す。

「榎本誠二。IMIの卒業生で《特殊作戦部隊》設立に貢献した一人。誠二と恵の先輩であり、《チーム1クロウ》の元隊長。こんなIMIの中でも一番の“狂人”だ」

「ああ。そういうこと……」

 すんなりとララは理解した。呆れるように、恐れるように。

 智和や周囲から何度か聞いたことがある。智和の師。部隊の設立。テロリストの子であった出生。それらを含めて、彼は戦場に身を置き続けた人間。

 殺戮の世界を渡り歩いてきた狂人。

 だからだろう。ララは恐かった。苛められた時のような恐さではない。身が凍るような恐さ。実際、柔和な表情だろうが彼の瞳は冷たかった。


――――――――――――◇――――――――――――


 沙耶と千香は琴美の運転によって平屋へと移動した。この平屋は衛生科病棟校舎と、重度の精神障害患者治療施設と近い場所にある。近いと言っても患者が来ることはない、適度な距離を保っている。

 使用人にはIMI教師と生徒が迎えに行ったことを告げられたが、それで心配が消えることはなかった。

 鍵を開けて部屋へと入る。シンプルだが数人が生活しても充分な広さと道具があり、ガス・水道・電気も完備していた。

「念の為、チェックをさせていただきます。ご了承を」

「かまいませんよ」

 快く琴美が頷くと、千香は部屋に危険物がないかチェックを始める。家具の隙間、棚やクローゼットの中は勿論、調理器具やテレビ、電話機などに盗聴器や監視カメラが仕掛けられていないかなども、だ。

 IMIだから心配ない。そんな慢心を千香は早い段階で捨てていた。助けてもらった立場だが、平然と殺せる連中に気を許すことなどできなかった。

 千香がチェックをしている様子を、琴美と沙耶は離れたところで伺う。ふと、琴美がおもむろに口を開く。

「この建物は、元々治療用として建てられた施設です」

「治療用?」

「近くに衛生科病棟校舎と、平屋を幾つか見ましたよね」

 沙耶は頷く。

「病棟校舎は授業や訓練、任務において負傷した生徒を治療しています。IMIには医療関係の出身教師がいます。手術経験もあります。重軽傷でも問題なく治療できます」

「平屋の治療施設は何を目的に?」

「重度の精神障害用の治療施設です。精神科医と生活しながら治療を行います。今は一人、使用していますね」

「その方はPTSDですか?」

「プライバシーに関わるので詳しく言えませんが、PTSDとは違う精神障害です」

 精神障害。琴美は治療として生活しているセナを思い出す。一応、障害と言えば障害だろう。何一つ間違ったことは言っていない。

「重度ではありませんが、病棟校舎で精神クリニックを受けている生徒は多いです。IMIという環境は特異なもので、普通の学校とはまた違うものです」

「集団生活や苛めに加え、銃声なども聞いていればそうでしょう。任務に参加するなら尚更かと思います」

「その通りです。精神障害がとても起こりやすい。一時期は悲惨でした」

「一時期?」

「私が中期二年から中期三年頃。各国IMIが《狂信の者達》打倒として連合部隊を設立し、各地に部隊を派遣しました」

「覚えています。第一次部隊派遣。日本では確か……六月二十日でしたか。日本IMI第一次部隊派遣」

「よくご存じですね」

 琴美も覚えていたが、沙耶の記憶力には驚いた。興味を持っていたのかもしれないが、日にちまで覚えている者はなかなかいない。

「日本IMIは中東に派遣されました。イラクに一ヶ月。私は米軍基地で無線受信や解析の手伝いとして。当時の部隊生徒であった神原・L・智和、新井恵、榎本誠二などの《特殊作戦部隊》の面々は最前線に出ていました」

「質問を。何故最前線に? いくらIMIでも最前線は任されないでしょう」

「反発はありました。米軍からも当然。しかし当時隊長の榎本誠二は、中東の言葉に長けていた。様々な種類のアラビア語を理解しては話せます。土地勘もあった。現地住民とコミュニケーションを取れるのは重宝されるんですよ。通じるか通じないかで、撃つか撃たれるか、話し合いできるかになるので」

 琴美の苦笑に、沙耶はそれが実際の経験なのだろうと悟った。

「一ヶ月の派遣を終了し、第二次・第三次・第四次・第五次の派遣がありました。実力を認められた生徒が派遣された結果、多くがPTSDになってしまった。当時の私達は、戦争を知らなかった。知ったつもりでしかなかった。殺し殺され、殺戮の本質をわかっていなかった。

 平屋施設はその名残です。管理されていますが、今はほとんど使われません。その一部を、来賓用の仮住居として提供しています」

 中東派遣により、多数の生徒がPTSDとなった。重度のPTSD患者の為に平屋の治療施設を増設し、IMI本部から精神科医を寄越してもらって治療した。時には一般の精神科医をも呼んだ程に数が足りなかった。

 智和もその一人だった。重度ではなかったものの、今まで望んでいた戦争の本質をまざまざと見せつけられた結果、挫折した。

 その挫折から見事回復し、今では誠二が担っていた《特殊作戦部隊》の《チーム1クロウ》の隊長を努めている。他の者も大抵はそうだ。地獄を見て、這い上がった。少数の者は挫折したまま。最悪、IMIを辞めていった。

 余談だが、平屋で共に生活する目的として、治療の他に監視も含まれていた。以前、患者生徒が自殺した為だ。

 話を聞いていた沙耶は、IMIの内部を聞いて圧倒され無言だった。

「お待たせしました」

 確認し終えた千香が二人の下へ。

「危険物のようなものは一切見当たりませんでした。失礼を謝罪します」

「いいえ。ここにあるものは自由に使ってください。冷蔵庫や棚の中に一通りの食材を準備していますが、こちらで食事を用意してもかまいません」

「食事はこちらで。お気遣い感謝します」

「連絡手段としてこれを」

 制服の上着内ポケットから、小型のスマートフォンを千香に渡した。

「警備会議に出席して頂く為に、昼食を済ませてください。その時間あたりに一度連絡します」

「わかりました」

「では」

 琴美は礼をして、音をたてず扉を閉めた。二人きりになって、沙耶はようやく緊張が解けたようにソファに座った。

「大丈夫ですか?」

「ちょっと疲れただけ」

「飲み物を用意します」

 千香は冷蔵庫を開ける。琴美の言う通り、中には充分な量の食材が入っている。オレンジジュースのパックを取り出し、注いだコップを沙耶に渡す。

「ありがとう。千香も休んで」

 沙耶の好意に甘えて千香もオレンジジュースをコップに注ぐ。

 沙耶は一口飲み、なんとなくリモコンを手にとってテレビの電源を入れる。すると都内と首都高で銃撃戦が緊急ニュースとして放送されていた。どの番組もそうだった。

 教育番組でも上空からの現場映像が放送されていた。少しだけ嫌な気持ちになり、BSチャンネルに変えた。見ることのないメジャーリーグの試合を放送していて、何故か安堵してしまった。沙耶の気持ちを察していた千香はなにも言わず、メジャーリーグの試合を一緒に見ていた。

 時間が経ち、インターホンが鳴った。カメラを確認すると、若い男性と荷物を持った若い女性が立っていた。

『使用人の清水真奈美さんをお連れしました』

 千香が対応して玄関を開ける。男性からは煙草の臭いが染み付いていた。使用人の清水を引き渡した後、男性は車に乗って戻っていた。

 部屋に案内された清水は沙耶を見た瞬間、声を大きくして駆け寄った。

「お嬢様。怪我はありませんでしたか?」

「大丈夫。真奈美さんも無事でなにより」

「はい。IMIの岡嶋さん……という方に連れられて。最初は不安でしたが、お嬢様がIMIに保護されたとわかった時にはもう嬉しくて……。ああ、そうだ。お嬢様に頼まれた物です。それから千香さんの着替えもあります」

 荷物の中は着替えの他に、沙耶が使用しているタブレット型ノートパソコンや大容量USBメモリ七本。予備の携帯電話が一つ。書類が綴じられた分厚いファイルが三冊に、清水の気遣いで読書用の本が入っていた。

「ありがとう。これで会社の皆に連絡できる」

「いいえ。お嬢様の為なら」

「真奈美、早速で済まないが昼食を作ってくれないか。私も手伝う」

「はい」

 千香と真奈美はキッチンへ。沙耶はパソコンを起動させる。その間、打ち合わせで訪問予定の会社に謝罪の電話を済ませた。


――――――――――――◇――――――――――――


 昼食を済ませようと智和、ララ、瑠奈、恵の四人は、寮に隣接した食堂にいた。

 夏休み期間中でも食堂は一応空いているが、品目は二、三種類しかない。また、夏休みでも寮にいる生徒の為に残り物を提供している。

「ねぇ。あの人の詳細を教えてよ」

 ララが、今日のメニューのカレーを盛りながら智和に聞いた。

「あの人?」

「榎本誠二。貴方と恵が良く知ってるのでしょう? 私は少ししかわからない」

 話を聞いていたとしても、抽象的なことしかわかっていない。ララはもっと具体的に、榎本誠二の詳細を知りたかった。

 そうすれば、智和が誠二に入れ込む理由もわかる気がしたからだ。

 少し悩みながら、智和は近くの席に座る。三人も同じ席に座った。今は誰も利用しておらずとても静かだ。

「俺や恵も誠二の詳しいことはわからないぞ」

「知ってることでいい」

 頑ななララに智和は諦めを見せて、一口カレーを食べてから話した。

「生まれたのはアフガニスタン北東部の山岳地域らしい。だが民族の生まれじゃない。ロシア人の父親と日本人の母親だ」

「ロシア人と日本人?」

「日本人の母親は医療ボランティアの人間。ロシア人の父親は軍人だったらしいが、辞めた理由はわからない。辞めた後はテロリストと同じようなものだったと。戦闘に参加しては物を奪い、誘拐して身代金を取っていた」

「日本人の母親は?」

「それも誘拐らしい。ボランティア団体のキャンプを襲撃して、そのままだ。身代金の要求はなかった」

「誘拐したまま孕ませた赤ん坊が榎本誠二、という訳」

「ああ。母親は十年近く軟禁状態だった」

 カレーを食べ、また話す。

「名前は色々あった。部族の人間からはアブド、父親からはヴィクトル、他にも色々とあだ名があった。誠二は母親がつけた名前だ。榎本の名字も母親のものから。

 物心付く前から銃に触れていた。AKの分解・組立、撃ち方を覚え、人を撃つ箇所を覚え、次々と覚えていった。一人でAKの製造もできる程になったらしい。何をやっても人より速く、効率良く、何倍もの成果を出した。あの人は何をやっても天才なんだと思う」

「そんな天才がこんな世界でしか生きられないのだから大概よね」

「ああ。転機になったのは父親が殺された時。一応纏めていたグループが無秩序になり、あの人は虚弱な母親を連れて逃げ回った。その後、IMIの関係者に発見されて日本IMIに来たんだ」

「母親は?」

「IMI専用の病院にいる」

「で、IMIに来てはまた色々とやったと」

「数年前までの日本IMIはまだ微妙な実力だった。そこに戦争を知った人間が手を加えていき、みるみるうちに変化していった。《特殊作戦部隊》設立もその頃なんだ。だからまだ日は浅い」

「やっぱり貴方って、野蛮な知り合いしかいないのね」

「最後まで聞いてその答えかよ」

「事実でしょ」

 至極全うなララの受け答えに智和はなにも言えなかった。聞いていた瑠奈は苦笑し、あまり興味なく受け流していた恵は三杯目のカレーをお代わりしにいった。

 その後、雑談をしながら昼食を済ませた四人は一度寮へと戻った。一時間ほど暇をもて余していると、警備計画会議の連絡が伝えられた。

 先に長谷川と、会社から戻っていた誠二とホワイト。次に琴美に連れられてきた沙耶と千香。部隊生徒と中期生はバラバラに来たが、時間に遅れたものはいなかった。

「集まったな。これより会議を行う。まずはチーム編成だ。恵、瑠奈は沙耶さんの警護チームに」

「私と一緒に行動するということですか?」

「はい」

「千香だけでは駄目でしょうか。仕事上、威圧行為はあまりしたくないのです」

 長谷川は即答する。

「駄目です。敵の詳細が掴めない以上、使用人一人で周囲を固めるのは危険すぎる。何重にも固めることで、ようやく対応できます。ご安心を。この二人は身辺警護に長けた人材です。粗相の心配もありません」

「……わかりました。よろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします~」

 瑠奈はにこやかに挨拶したが、恵は目配せだけして挨拶しなかった。冷たい印象を沙耶は受け取ったが、千香は恵の第一印象が気に入らなかった。

「次に周辺警戒チーム」

 警護チームや別チームへの報告連絡、また状況による迅速な行動が必要とされる要のチームだ。

「智和。お前に任せる」

「了解。人材は?」

「自由に選べ。但し多すぎるな」

「ララ、補佐を任せていいか?」

「ええ」

「主要となるのはこの二チームだが、沙耶さんの予定から考えると幾つかのイベントがある。チームを増やす必要がある。一つでも見落とすと大惨事になるぞ」

 テーブルに地図と、イベントに使用される施設の地図を広げる。会議室の隅に飲み物や菓子類が置いてあることを確認した智和は、久し振りに長丁場になることを確信した。


――――――――――――◇――――――――――――


《ロウヤード社》ビル。いつもの広く、机が規則的に並ばれた会議室に襲撃犯の面々はいた。

 護衛をつけたギブソンが前に立つ。レスリー、タカハシ、フランチェスカ、チェンに彼の右腕のリーも同席していた。

 各々の表情は様々だ。ギブソンは営業で使っているような愛想の良い表情。レスリーと李は静かな面持ち。タカハシはサングラスで表情が見えない。フランチェスカはニタニタ笑いながら、足をテーブルに上げていた。ただ一人、陳だけが苦虫を潰したような表情をしている。

「さて、まず経過報告です」

 ギブソンは手にした報告書の内容を淡々と説明する。

「交戦した現場は《蜂蜜フォンミィ》と繋がっている警察により、既に封鎖されています。死体から我々に行き着くという問題はない。回収された武器も然り。ただ……暴れ過ぎた、でしょうね。いや、でしょうではなく暴れ過ぎた」

 レスリーが口を開く。

「報道機関がIMIに注目しているとはいえ、これだけ騒がれると身元を隠し通しての依頼達成は難しい。なにより、IMIが本腰を入れてくる」

「それなんだが」

 煙草の煙を吐いたタカハシが話に加わる。

「そのIMI、警備の為にIMI認可の民間軍事会社に協力要請して正式に決定した。《リスクコントロール・セキュリティ社》だ」

「……エノモトセイジか。また面倒極まりない相手だな」

 レスリーは頭を抱えるが、知らないフランチェスカはタカハシに聞いた。

「誰それ?」

「テロリストの息子という肩書きの男だ。日本IMIに所属していた。中東派遣を第五次全て行っている。《特殊作戦部隊》を設立した祖だよ。あれほど“狂人”や“化物”と言った言葉が似合う人間はいない」

「ははぁん。成る程。面倒なヤツの更に面倒なヤツか。そりゃ人間じゃねぇな」

 他人事のようにフランチェスカは笑いながら煙草に火をつける。ココナッツミルクの甘い匂いが会議室に漂う。

「で、その悪魔みたいなのを召喚しちまった馬鹿野郎の責任は?」

 紫煙を漂わせ、フランチェスカは“憎たらしい笑み”を浮かべ、わざとらしく言った。

 責任――つまり、無駄な追撃をして、無駄な負傷者を出し、無駄に物事を大きくさせた。

 その馬鹿野郎である陳はフランチェスカを睨むが、彼女にはそんなもの通用しない。幾度となくされた行為故に慣れている。

「おっかねぇなぁ。怖すぎて漏らしそうだ。いっそ漏らした方がいいか? それを舐めるような変態商品扱ってるぐらいだしなぁ!」

「このガキ言わせておけば……!」

「そこまでです。二人とも落ち着いてください」

 一触即発の状況をギブソンが冷ややかにたしなめる。

「フランチェスカ。貴方の性格は知っていますが、無意味な挑発はやめていただきたい」

「へいへい」

「Mr.陳。貴方には少々失望しました。IMI介入の時点で《蜂蜜フォンミィ》の追撃をやめるべきだった。まさかIMIの実力を知らない訳ではないでしょう」

「戦いには好機がある。それに日本人は信用できない」

「タカハシの指揮に従っていただきたい。理由なしに指揮者を選びません。タカハシは東京都の地理と情報に長けているからこそ選んだのです。彼を甘く見て毛嫌いし命令に背いた結果、多くの同胞は死んでいった。違いますか?」

 強い口調で訴えるギブソンの言葉に陳はなに一つ言い返せない。歯軋りし、納得いかない様子で椅子に座り直した。

 くすくすとフランチェスカは笑いながら、ギブソンにバレないようタカハシを壁にして陳に中指を立てる。タカハシに注意され、面白そうにしながら腕を組み直した。

 レスリーが口を開く。

「状況は厳しい。IMIと《リスクコントロール・セキュリティ社》が協力し合うというなら、相当の準備が必要だ」

「他にもある。黒井沙耶の予定にはイベント出演や展覧会での販売出演、ホテルでの会食などもある。会場警備にはIMIの《都市治安維持部隊》も駆り出されるだろう。手数が多過ぎる」

 タカハシの説明を聞いたフランチェスカは「あー」とボヤき、天井を見上げた。

「なぁ、もうやめようぜ。別に殺すの今じゃなくていいだろ。海外でも行く時に殺ればいい。爆弾とかで。楽だし」

「そんな簡単なことでもないだろうに」

 レスリーが溜め息を漏らすが、フランチェスカの意見に反論はしなかった。

「が、同意だな。爆殺した方が早い。難易度が高い」

「ホラ。アタシもたまにはいいこと言うだろ?」

「難易度は高くなった。だが“無理じゃない”」

 予想に反してタカハシが異議を唱えた。煙草をくわえて火をつける。

「他部隊まで駆り出すが、すぐに連携が取れる訳ではない。結局は子供だ。重要なのはIMIの網を掻い潜れる速度と判断。面倒な連中は《特殊作戦部隊》と《リスクコントロール・セキュリティ社》の面々だ。

 それに、俺達はまだ正体を知られていない。一番の武器だ。正体を掴めないからこそ他部隊まで駆り出した。中国の仕業とチラつかせていればいいし、生憎と一部の警察はこちらの味方だ。融通は利く」

 タカハシの意見に皆耳を傾けていた。毛嫌いしていた陳でさえ、傾けざるを得なかった。

 ギブソンは問う。

「具体的な案が?」

「単純な陽動だよ。騒ぎを起こしてそちらに目を向けさせる。そのうちに網を掻い潜る」

「無茶苦茶なことを」

 レスリーが吐き捨てた。

「奴らはそんな馬鹿じゃない。優秀の中の優秀な集まりだぞ」

「ああ。作戦を練る必要はある。だが無理ではないさ。IMIとて穴がある。完璧などない」

「断言されても良いのですか?」

 わざとらしいギブソンの問いに、タカハシは「ああ」と即答する。それは自信や確信に似ているが、どちらかといえば哀れむような言い方だった。

「IMIは完璧ではない」

「良いでしょう。タカハシの言葉、信用に足りると受けましょう」

 レスリーは呆れて頭を抱えた。

「おいおい。本気か?」

「本気もなにも、黒井沙耶となにかしらの形で決着をしなければならない。軍事企業が民間企業に劣るイメージを払拭しなければならない」

「黙ってついていくとでも?」

「思っていませんよ。皆さんの報酬を三倍に引き上げます。また、個人の要望にはできるだけお応えします。レスリー。抜けることは貴方達もできないでしょう?」

「……仕方あるまい」

「三倍? “足りねぇな”。五倍にしろ」

「いいですとも。フランチェスカの腕は認めています」

 破格の要求がすんなり通り、フランチェスカは目を丸くしていた。だがすぐに表情は戻る。元の嫌らしい笑みに。

「いいだろ。気に入った。タカハシに乗った」

「俺は変わらないよ」

「そして、《蜂蜜フォンミィ》は?」

 陳が答えに苦悩する。今まで沈黙していた李が口を開いた。

「ああ。変わらない」

「李!?」

 李は中国語で陳に話す。

「『ボス。もう後戻りはできない。《蜂蜜フォンミィ》が拡大する為にはこの地に拠点を築き、道を作ること。彼らの対価は手に入れなければ』」

「『我々は失い過ぎた』」

「『まだ失っていない。それに、死した同胞の魂をどう癒すというのか。仇を討たねばならない』」

 李の言葉は静かだが、一つ一つが強く、重かった。

蜂蜜フォンミィ》拡大の為にはギブソンの報酬と対価が必要不可欠。拠点の構築と商品売買ルートの確立は絶対的な要だ。

 そして、IMIに挑み死んでいった仲間が報われない。

 李の言葉を受け、陳は顔を手で覆う。少し考え、手を退けた時には覚悟を決めていた。悩む必要などなかった。

「良いだろう」

「感謝します」

 全員が同意し、再び依頼を再開させることができる。一度ほどきかかった綱を繋ぎ直したような、覚悟を持ったより強固な結び目となって。

「ではタカハシ。作戦立案を貴方に任せます。今の段階で具体的な案はありますか?」

「情報を収集するべきだ。黒井沙耶、《ディ・ナースマーメ》だけでなく、関係するそれら全てを把握しなければ。IMIの手の伸び様は速く広く長い。レスリーの会社に頼むのが一番だろう」

「いいだろう。なるべく細かに収集してみる」

「《蜂蜜フォンミィ》には警察からの情報収集を頼みたい。敵がIMIだけとは限らない」

「努力しよう」

「アタシは?」

「Mrs.アルバーニは待機でかまわない。事が決まるまでは大人しく自由行動だ」

「なんだよ。つまんね」

「ただし、決まったら働いてもらう。君の狙撃は威圧だけでも充分な威力だ。

 ギブソンからは必要機材や装備の補給したい。依頼主だろうが働いてもらう」

「結構です。望む物を揃えて与えましょう。楽しみになってきた」

 まるでゲームのように、ギブソンは笑って呟いた。彼の捉え方の問題だろうが、決して軽薄なものでなければ油断の感情もない。

“講習”を終え、レスリーは先に部屋を出た。ギブソンも護衛と共に出ていく。

 陳は廊下で待っていた部下と去り、李はそれを見送った。

「君らしくない」

 陳と部下がいなくなったと確信した時、タカハシは新しい煙草に火をつけていた。

「君はもっと合理的な人間だと思っていた。生まれなど関係ない本当の合理性を持っていると」

「人の形は、全てで決まる。生まれ、文化、宗教、知識……そして己自身。最後は、やはり、己の強さ」

「己の強さ、ね。間違っていたよ。君はやはり合理的且つ、芯のある人間だ」

 以前から、タカハシは李の存在に違和感を抱いていた。

 李という男の存在が、やけに完成されている。気配は薄く、しかし時として存在感を示す。霧のようにも岩のようにも思える酷くあやふやな人間。ただ者ではない。

「君も含め、《蜂蜜フォンミィ》の実力を再確認したい。攻撃部隊となるのは結局君達だ。力量を知らなければ作戦を練ることはできない」

「同意する」と李。

「我々の評価を改めねば。今夜、襲撃の予定ある。着いて来ればいい」

「抗争か。また呑気なことで」

 一つに集中することもできないのかと呆れるが、興味が生まれたことは確かだった。

 結局、タカハシも含めて襲撃に参加することとなった。

 時間と場所を指定して、李は去っていった。最後にタカハシとフランチェスカが一緒にビルを出る。

 外は既に陽が傾いていた。予想していた以上に長く話していたらしい。空が赤く染められて、夜を迎えようとしていた。

「もうこんな時間かよ。長ぇな相変わらず」

 腕時計で時間を確認したフランチェスカは悪態づき、背伸びをして体をほぐす。欠伸も漏らし、つまらなそうに空を見上げる。

 ふと隣のタカハシに目を向ける。彼も同じように空を見上げていた。サングラスをかけているので表情はわからない。

「Mrs.アルバーニ。君は、この空をどう思う」

「あ?」

 突然そんなことを聞かれた為、フランチェスカは間抜けな声を出してしまった。そもそも、タカハシがそんなことを聞くような人間と考えていなかった。

 真面目に答えるかどうか悩み、結局、真面目に答えることにした。

「なんとも。気にしちゃいない」

「そうか」

 タカハシは煙草をくわえ、火をつける。煙を吐いて口から煙草を離し、空を見上げる。

 この空を見る度に、タカハシは胸がしめつけられる。血のように赤い空に思いを馳せているように、何か――何かとても大事なものがあった気がする、と。

 その黄昏を、タカハシは思い出せない。思い出そうとすればノイズが走り、考えをやめてしまう。

 思い出せない。

「なぁタカハシ。飯食いに行こうぜ。ジャパニーズソウルフードのスシを食ってみたい」

 フランチェスカにせがまれて、タカハシは空から意識を戻した。「ああ」と了承し、吸っていた煙草を落とすと踏みつけて火を消した。

 特に場所は考えなかった。そこ辺りにある回転寿司のチェーン店でいいだろうと思い、フランチェスカと二人で歩き始めた。

――――――――――――◇――――――――――――


 IMI普通科校舎。黒井沙耶の警備計画会議は陽が傾いても続いていた。運ばせた食事を会議室で済ませ、一通りの決定までには更に時間を要した。

 沙耶と千香を琴美が送り届ける。誠二とホワイトは会社に戻り、社員との打ち合わせを行う。

 長谷川はそのまま職員室に直行し、書類の作成や連絡を行う。明日までに仕上げると言っていたので、おそらく徹夜するのだろう。

 智和達IMI生徒も軽く打ち合わせし、各自の役割を確認してから解散。そこから更に準備を始める。

 部隊隊長である智和は更に仕事がある。部隊による任務行動の為に報告書の作成、必要物資手配の為の連絡――長谷川が殆どを準備するが、それ以外の物資を必要とする場合、智和の人脈で揃うこともある――等。主に書類作成が多くなる。それでも楽な部類の書類作成であるのだ――警察の場合、銃を使った報告書は事細かに記載する必要がある為に厄介である――。

 書類作成を終えてシャワーを浴びる。コーラを飲みながら銃やナイフ、装備品の手入れを念入りにする。全て終え、やるべきことの確認をして、明日に備えて眠ることにした。

 琴美に送られた沙耶と千香。長丁場の会議だけあって、さすがに疲労を隠せなかった。ソファに座った沙耶は背凭れに体を預け、溜め息を漏らして天井を見上げる。

「……ちょっと、疲れた」

 待っていた清水が飲み物を差し出す。

「お風呂の準備はできています。今日はもう休まれたほうがいいですよ」

「真奈美と同じ意見です。明日に備えて、もう休まれるべきです」

「……二人が言うならそうするわ」

 飲み物を一口飲んだ沙耶はコップをテーブルに置き、荷物を置いている寝室へと向かう。寝室は二部屋あり、一部屋に沙耶、もう一部屋に千香と清水の二人だ。

 沙耶が浴室に入ったことを確認して、千香は清水に向きを変える。

「お嬢様があがったら、真奈美も入った方がいい。明日からまた疲れる」

「私より千香さんが先に済ませるべきでは? 貴方も疲れてる」

「祐一様や、会社に連絡しなければ。それにちょっとやりたいこともある」

「わかった。あまり無理しないようにね」

「すまない」

 真奈美に軽い夜食を作ってもらう最中、千香は沙耶の父親である祐一や会社に状況を報告した。

 沙耶は風呂からあがり、そのまま寝室に向かうとベッドに倒れ込む。今日あった出来事を思い出すが、疲労が勝って重い瞼が下がっていき、いつの間にか眠ってしまった。

 真奈美が風呂に入り、そのまま就寝。連絡を終え、リビングに一人だけとなった千香は上着を脱ぎ、上まで掛けているワイシャツのボタンを二個外す。オレンジジュースを飲み、真奈美が作った夜食を口にしながらノートパソコンの電源を入れる。

 ネットニュース一覧を見ると、今日の出来事に関するニュースがずらりと出てきた。街中での銃撃戦、高速道路での銃撃戦など。そこから狙われた人物の関係性や、IMI批判へと関連ニュースが出ていた。

 ネット検索においても同じようなことだった。専門やスレッドにおいても同じようなことしかない。

 半日が経とうとしているのに、襲撃犯の情報が何一つ出てきていない。襲撃犯と絡んでいる警察が抑えているのだろう。でなければ、証拠が無さすぎる。

 これ以上は無理だとわかった千香はノートパソコンの電源を切り、夜食を食べ終えて手早くシャワーを浴びた。明日の予定は警備計画会議の時に決まっている。

 気を引き締めると同時に、体をゆっくりと休めるべくベッドに潜り込んだ。沙耶のことが心配だが、意外と早く眠ることができた。


――――――――――――◇――――――――――――


 東京都の繁華街は眠らない。

 言葉通りの意味だ。常に人は動き、金が動く。欲望が渦巻き、権力と暴力が共にいる魅惑の街。世界中の国にそういった場所があり、日本にも存在する。

 そんな街中で、人の波の中にいる三人。タカハシ、フランチェスカ、李。タカハシは相変わらずサングラスをかけている。フランチェスカは愛銃のライフルを持っておらず、自衛用の武器すらも持っていない。李も同じく手ぶらだ。

「君は誘われてないだろう」

「いいじゃん。面白そうじゃん。他人の殺し合い」

 フランチェスカの物騒な興味にタカハシハ苦笑する。彼女の性格をだいたい掴めてきたタカハシだが、彼女のことはまだわからないことばかりだった。

 李の先導で狭い道へと入っていく。表通りの喧騒は遠のくが、完全に消える訳ではない。人はいるがまばらで、ピンク通りと言うべき場所だ。

 李の携帯電話に着信が入る。

「私だ」

『準備できた。いつでも』

「わかった。そっちも好きにやっていい」

 電話を切る。中国語で話しており、おそらく部下だろうとタカハシは思った。

 李が立ち止まり、二人も止まる。三階建て雑居ビルで、風俗店などの看板が立っている。

「ここの店。≪レッド・グループ≫の店」

 片言の日本語で簡潔に話す。その店に襲撃を仕掛けるのだ。

 薄汚れた暗い階段で二階へ。李は嵌めていた手袋を確かめ、拳を作る。二人は李が武器を持たないことに疑問を感じながらも何も言わず、彼の後ろを黙って追う。

 店の入口には二人の男がいた。≪レッド・グループ≫の一員の証である赤い物を身につけている。

「あ?」

 三人に気付いて、二人は威嚇する。暴力を振るう時にいつも使っているのか、錆びついた金属バットを手にして李の前に立つ。

 目の前に立った瞬間。李の雰囲気が変わった。目つきが変わる。“呼吸が変わる”。

 一切の構えなしから、李の右の拳が男の腹部を抉るように突く。何か弾け、砕けるような音が響く。突きを受けた男が血を吐きながら吹き飛ばされ、ピクリとも動かなくなった。

 もう一人の男はおろか、タカハシとフランチェスカでさえ目を丸くしていた。なんせ李の攻撃が“まったく見えなかった”のだから。

 反撃する暇もなく、呆然としていた男のこめかみに李の左の肘が叩き込まれる。この攻撃はなんとか見えたが、それでも速さが尋常ではない。また、頭蓋骨が砕けた音もした。

 何食わぬ顔で李は店へ。タカハシは死体を見る。腹部への打撃で血が吹き出している。こめかみへの肘撃により頭蓋を粉砕し、頭を潰している。どちらも即死だ。

 後を追って店内へ。李が受付の男の顔を一撃で潰した為、中は既に大騒ぎになっていた。接客していた女性達が裸で逃げていく。

 騒ぎを聞き付けた《レッド・グループ》の人間が、ナイフなどを持って襲い掛かる。だが李は悉く返り討ちにしていった。

 ようやく李は構えを取った。八極拳のような構えから次々と繰り出される攻撃は凄まじく、一撃で命を奪う破壊の拳だ。同時に、華麗で淀みのない足運びは音がなく、まるで舞を踊っていると見間違える。死の舞踊である。

 一撃で死に至らしめる拳を、李は敵に叩き込んでいく。呼吸に乱れがない。目に迷いがない。拳に邪念がない。

 李が敵を薙ぎ倒していく様を、タカハシとフランチェスカは後ろから眺めていた。

「彼の手袋の中を見たことはあるかい?」

 タカハシの質問にフランチェスカは首を横に振り、煙草に火をつけた。

「いんや。アイツずっとしてるし」

「俺もだ。おそらく、彼の拳は石だろう」

 中国拳法を習得し、更なる修業を重ねてきたのだろう。そうすれば手は自然と皮膚が厚く、硬くなる。まるで石のように。その拳で木を砕き、岩を砕き、人を砕いてきたのだろう。

 李のそれは、いったいどれ程の年月を経て完成したのだろう。いや、未だ完成には程遠く、極めるには更なる修業を積まなければならないだろう。

 それでも素晴らしいものだ。おそらく、幼い頃から鍛練してきたのだろう。それしかしていなかったのだろう。“それしかなかったのだろう”。でなければ、この若さでここまでのものにはならない。

 後ろからナイフを振り下ろす男のその手に裏拳。骨が砕かれ、手にしていたナイフを落とす。振り向くと同時に掌底を頭に叩き込むと、男の頭が大きくへこんだ。陥没し、眼球が浮き出て血が吹き出す。

 左から気配。右の掌底を放とうとしたが、敵の体が揺れて倒れた。

 タカハシがコートの内側からPMR-30拳銃を抜き、男を撃ったのだ。

 横目でタカハシを見た李は、最後に残った《レッド・グループ》の男の両膝を折り、後頭部を肘で突いて気絶させる。

「助ける必要、なかっただろう」

「ああ。俺の気が変わっただけだ」

「そうか」

 李は気絶させた男の首根っこを掴み、死体の山と血の海と化した店を出た。

 タカハシは相変わらず表情がわからない。フランチェスカは先程の戦闘からずっと笑っている。

「いいね。いいね、お前。そういうの嫌いじゃない」

「どうするんだ、それ」

「見せしめ。痛め、殺し、バラして送る」

 突如。遠い場所から爆発音が響いた。外の人々が慌てて現場を見に行く。

「仲間。《レッド・グループ》の店吹き飛ばした」

「吹き飛ばしたぁ? なんだお前ら。やればできるんじゃん。最ッ高に面白い」

「《蜂蜜フォンミイ》の部隊。なかなか優秀だ」

 今後の方針も据えて、考えながらタカハシは煙草を吸う。フランチェスカも煙草を吸った。

蜂蜜フォンミイ》の仲間が外にワゴン車を用意していた。後部座席に《レッド・グループ》の男を放り込み、三人は車に乗り込むとすぐにその場から離れていった。

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