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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第二部第1章
25/32

原点

成れ果てた理由。

憧れたその地。

 九時間半ほどのフライトで、智和と小百合が乗った飛行機はサンフランシスコ空港に到着した。入国審査を済ませ、荷物を受け取る。アメリカ同時多発テロ以降は荷物検査が厳しくなり、運輸保安局が荷物を調べる為に鍵を壊す――旅行ガイドにも書かれている――。鍵は壊されていないので中は開けられていないようだ。

 サンフランシスコ空港国際線ターミナルは北米最大規模。世界の三十以上の都市に直行便が運行され、また七十以上の国内都市乗り継ぎもできる程だ。空港内には様々なショップもあり、レストランやギフトショップがある。

 小百合は慣れているように進み、智和は後を着いていく。IMIでの智和の立場上、いつも前を歩いているので、後ろを追いかけることに違和感を抱いてしまう。

「サンノゼに引っ越したんだよな」

「正確にはクパチーノ。とても便利だし、お母さんとの二人暮らしでも注意していれば安心だよ。車場荒らしもまだないし」

「あってたまるか。それに、あんなクソ高い物価の街によく住めるな」

 そんなことを言う智和だが、母と姉が安全な場所に暮らしていることには内心安堵していた。軍人の父とIMIの子がいる為か、危険を回避する術は身に付けているだろう。

 ロビーに出ると、降りてきた乗客や、乗客を待っている人々で溢れていた。更にはターミナル間を移動する人もいる。成田空港も人が多かったが、流石は北米最大規模のサンフランシスコ空港だと智和は感心した。

 小百合が立ち止まったので智和も止まる。何かを探すように周りを見ていると、「あっ」と呟いて大きく手を振った。被っていた麦わら帽子も一緒に振るものだから、少しだけ恥ずかしかった。

 前から、人の波を避けながら来る女性を見付けた。日本人で、小百合よりも背が低い。黒のショートカット。優しい表情をしているのが、小百合に受け継がれたことがよくわかる。

「おかえりなさい。小百合。智和」

 二人の母親である沙織さおりは小百合に挨拶した後、智和を抱き締めて頬をつけた。

「本当に久しぶりね。おかえりなさい。会いたかった」

「背が低いからあまり無理しない方がいい。どうせなら顔を見せてくれ」

 少し小さめの小百合より背が低い為、背伸びしながら背の高い智和を抱き締めて頬をつけていた。

 背伸びを止めた沙織に合わせるように、智和が少し低くなって抱き締めた。

「ただいま、母さん。会いたかった」

「私も。無理して来てもらったみたいね」

「そんなことはない」

 中期生になると同時に日本IMIへと所属変更した為、まともに会うのは三年か四年ぶりになる。アメリカを発つ時も父親しか立ち会いがいなかった。

 長い間顔を見ていなかった筈なのに、すぐに我が子だとわかったのは流石母親である。

 三人は駐車場に行く。沙織が鍵を開けた車がトヨタのアクアだというのを見て、智和は沙織らしいと思った。逆にスポーツセダンや大型SUVにでも乗っていたら不安になっていた。

 荷物を積み、沙織が運転席に。小百合が後部座席に乗り、小百合に言われるまま智和は助手席に乗った。

 空港を出た車は国道101号線を進みシリコンバレー――シリコンバレーとはサンタクララバレーとその周辺地域の名称――方面に。多数の半導体メーカーやハイテク企業が集まり、IT企業の一大拠点である。

 沙織と小百合が住むクパチーノはサンタクララに位置する都市で、サンタクルーズ山地のふもとの小丘の中に広がる一部で、サンタクララバレー西端上にある。穏やかな気象地域であるクパチーノは、七月でも最高気温が二十七度程度だ。アップルの本社がある他、六十以上のハイテク企業が集結している。

 そんなハイテク企業を通りすぎ、車は住宅街へ。マンションのようなアパートの駐車場に車を停めた。ここが二人の住むアパートらしい。

 アパートの間取りは広く、二人暮らしには充分な広さと設備があった。二人分のベッドルームもある。

「智和には悪いけど、リビングで寝てもらうことになるわ。ソファーの背凭れを倒して」

 沙織が申し訳なさそうに言う。

「本当なら智和の部屋も用意したかったのだけれど、引っ越してきた時にはここしかいい所がなくて。ほら、ここ辺りは物価が高いから」

「別にいい。無理して使わない部屋のある場所に借りなくてもいいさ」

「ごめんなさいね。ちょっと着いてきて」

 沙織に言われるがまま後を歩く。来たのは沙織の寝室だ。部屋の隅に小さな金庫があった。

「護身用の拳銃が三丁保管してる。もしもの時、智和がいた場合は貴方が使って。私達より上手く使えるから」

 上手く使えるから。そう言った時、智和は少し複雑な表情をしてしまった。IMIなどという場所に送り込み、遠い島国で人殺しの術を学ぶ息子のことを、沙織がどう思っているのかを考えてしまった。

「指紋認証は無理として、暗証番号は5776。もしわからなくなったら、そこの机の右の引き出しの底に番号を書いた紙がある。鍵もクローゼットの下から二段目に隠してる」

「保管してる拳銃は?」

「それぞれ9mm口径、45口径、マグナム弾を使用する拳銃。弾と弾倉はクローゼットにある金庫の中に」

 指紋認証をして鍵を開けた沙織は、中から拳銃を取り出して智和に差し出す。

 グロック17拳銃。コルトガバメント拳銃。銃身の短い3インチモデルのリボルバー。一家庭の護身用としては充分過ぎる。

「品揃えが豊富だな。使わないことを祈る」

「今のところ、私達も使ったことはないわ」

 リビングに戻る。荷物を片付けた小百合が待っていた。

「ちょっと大学に行ってくる。お昼には帰ってくるから」

「そう。気を付けてね」

 バッグと紙袋を持って、小百合は出ていった。友達に頼まれた基盤を渡しに行くのだろう。

「腹が減った」

「朝は飛行機出なかったの?」

「足りなかった」

 機内食は充分な量だが、食べ盛りでかなりのカロリー消費をしている智和にとっては些か不満だった。それを聞いて沙織は少し笑う。

「それじゃ、何か作ろうかしら。簡単なもので我慢してね」

 沙織がキッチンに向かう。智和はソファーに座ってテレビを見ることにした。

 フライパンにスライスしたニンニク、唐辛子入りオリーブオイルと炒める。余熱で塩コショウ、バルサミコ酢、ベーコンを混ぜる。

 鍋を火にかけ、熱湯に塩を入れる。二人分のパスタを茹でて皿に移す。そこにフライパンで作ったソースをえれば、あっという間に完成した。

 テーブルについた智和にパスタとオレンジジュースを出す。二人分茹でたが、全て智和の分である。

 パスタをフォークで口に運ぶと、程よい辛さとニンニクが口の中に広がる。パスタの固さも丁度良い。完食するのに時間はかからず、沙織はその間ずっと智和を見ていた。

「日本での生活はどう?」

「問題はない。母さんの旧姓を使っているから、それほど違和感なく編入もできた」

 アメリカIMIから日本IMIへ編入する際、智和は沙織の旧姓である神原を名乗り、日本名で神原・L・智和とした。容姿が日本人とそれほど違いがなかった為だ。

「あっちでは……上手くやれてるのでしょうね。帰るどころか滅多に連絡もしてこないから」

「それについては謝る」

「いいの。わかってるから。日本IMIの生活はどんな感じ?」

「ジョージア地区と変わらない。個性的な人間も多い。そこで充分にやらせてもらっている」

「ふぅん」

 日本IMIにおける智和の立場は、かなり重要な立場となっている。平然と殺して汚名を受ける《特殊作戦部隊》のチーム1《クロウ》の隊長生徒であり、表には公表できない――公表する必要もない――作戦行動を遂行してきた。

 そんな部隊に所属していることを、沙織や小百合は知らない。日本IMIの最高機密として秘匿され、一般人には身内であろうが喋ることは許されない。何かしらの部隊に所属している、程度しか知らない。

 日本IMIに限ったことではなく、各国のIMIでも同じ措置がとられている。なんとなく存在が知られている部隊があれば、極端な例としてアメリカ陸軍のデルタフォースのように“存在が公認されていない”ような部隊も、IMIには存在しているのだ。

「母さん達はどうなんだ」

「あら。我が子に心配されているなんて、ちょっとお節介じゃないかしら」

 なるべく自然に話題を振ってIMIから遠ざける。智和の問いに沙織はわざとらしく口を開いた。

「小百合は知っての通りスタンフォードで楽しくやれてるわ。学費も払えてる。誰かさんのお節介でスコットの口座に振り込まれているお金には手をつけてない」

 智和は任務の報酬や手当を必要経費や生活用品に使って一定額を貯金した後、残り全てを父親名義の口座にドルで振り込んでいた。

 気を遣った訳ではなく、余った金額の使い道が思い付かなかったので振り込んでいただけだ。しかし、たった二人で生活することになってしまった母親と姉に知らずのうちに気を遣っていたのかもしれない。

 ともかく、智和が振り込んでいたことはとっくの昔にバレていた。

「そういう変な気を遣うことはやめなさい」

 今までの柔らかい表情が一変して、少し怒っているように見えた。そんな沙織を初めて見たものだから、智和は思わず手を止めてしまった。

「貴方が何を思って、何をするかはかまわない。だけど、アメリカに残したことに負い目を感じているのならすぐに忘れなさい。

 貴方は家族でしょう。私とスコットの子供で、小百合の弟。離れていても、家族は家族なの。わかった?」

 最後の一言で再び柔らかい表情に戻った。

 呆気にとられたように智和は間抜けな表情をしていて、今まで馬鹿なことをしていたと鼻で笑い、「ああ」と答えた。

 食事を終えて沙織が食器を片付ける。買い物をしたいとのことで、智和は二つ返事で着いていくことを告げた。やることはなく、どんな街なのか見るのも悪くないと思った。

「日本語講師は順調?」

「ええ。高校と、それから時々だけどアダルトスクール――無料の語学学校――に日本語と英語担当で呼ばれることもある」

「ボランティアであまり無茶することもないと思う」

「いいの。楽しいんだから」

 到着したスーパーは日本人も良く使うスーパーで、日本産の食料品が多く並んでいた。数日分の食料品を買う。荷物持ちは智和だ。

 少し遠回りして帰宅。地理を把握することはIMIでは必要なことで、移動している最中でも覚えることができた。ランニングに使えそうな道も見つけることができた。

 食料品を冷蔵庫に片付けると、沙織は仕事に行く準備を始める。夕方まで暇になってしまったので、智和はスポーツ番組を見ることにした。

 とはいえ、スポーツ中継がいつまでも続く訳がなく、なにもやることがなくなってしまった。ジョギングやウエイトトレーニングをしようかと考えたが、気分があまり乗らなかった。

 そこでふと、シリコンバレーに来たのだから歩いてみようと観光意識が生まれた。一日で回れる訳がないので一ヵ所行くことにした。せっかくの機会なので、小百合が通っているスタンフォード大学に行ってみることにした。適当に準備を整え、渡された合鍵で戸締まりする。

 サンタクララ郡には全域をカバーする路線バスとライトレイルがある。歩いてバス停まで行き、VTA22番バスルートでスタンフォードへ。一時間掛かるか掛からないで行ける。

 サンフランシスコから南に約48kmの街、バロアルト。それなのにスタンフォード大学が中心となっているせいで、周辺一帯を“スタンフォード”と呼んでいる。陽光が眩しく、智和は持参したシューティンググラスをかけてバスを降りた。

 キャンパスは広大で、緑が溢れるこの場所はサンフランシスコとはまた違った印象を与える。一日に二回、学生による見学ツアーがあるが、申し込んでいる筈もないので一人でキャンパスを歩く。

 ロマネスク様式の建物が点在し、メインクワッドやメモリアルチャーチなどの見所がある。しかし智和は観光案内書に載っているような場所には向かわず、ただ気の赴くままにキャンパス内を歩いて回り、適当な場所に座っては周囲を眺めていた。

 IMIにいると、どうしても時間に追われる生活になってしまう。休日や《特殊作戦部隊》の面々との遊びはあるが、基本的には智和のIMI生活は忙しい。

 任務での作戦内容考案や準備、報告書作成に報告。部隊の訓練内容考案に報告。使用車両の手配や報告――全ての事柄に報告書が付いて回る。更には訓練の考案書や車両の手配書、施設の使用許可書など、全てにおいて智和がしなければならない。部隊を率いる隊長生徒である為に当然のことだ。

 故に、今の智和にとってはとてもゆっくりできている。本来なら考えられない程にのんびりして、なんでもないキャンパスの自然を眺めている。とてもいい時間だった。もうこんな時間は訪れないと思う程に。

 時間を忘れて眺めていると、背後に人の気配を感じてすぐに目付きが変わる。腰に手を伸ばそうとして、いつも装備しているナイフがないことに気付いたので振り返った。

 前ならえのように両手を前に出していた小百合が、驚いた表情で見ていた。

「何してる」

「智和こそ、ここで何してるの?」

 相変わらず人の話を聞かないで、質問を質問で返してくることにうんざりしながらも答える。

「見学。暇でやることがなくなった」

「だからって大学に来ることもないでしょう。それに電話してくれれば案内してあげるのに」

「のんびりしたいんだ。それに用事があるんだろ」

「用事は終わったよ。あ、そうだ」

 何かを思い付いたように手を合わせ、智和の隣に座る。

「案内してあげる。研究室やゼミの皆に紹介したいの」

「俺は見世物じゃないぞ」

「いいじゃない。ほら、行こう」

 半ば無理矢理に手を引かれるが、特に断る理由がない為に智和は小百合の後を追った。

 小百合に導かれるままキャンパス内を歩き回った。ゼミ生に紹介されて、姉弟には見えないと言われた。似ていないと酷評された。研究室にも寄り、小百合が世話になっている先生にも紹介された。やはりそこでも似ていないと言われ、さすがの小百合も苦笑していた。

 ある程度回ってスタンフォードを出た。そのまま家へと帰った。夕方には沙織も帰ってきて、そのまま夕食の準備を始めた。小百合も手伝った。

 鶏肉が安かったので唐揚げにする。下味をつけて揚げていき、辛味のあるソースとさっぱりとしたソースの二種類を作った。他にもサラダを作り、ご飯も炊いていた。

 日本で食べているような食事だが、とても新鮮な感じで食べていた。何年も会っていない家族との食事だから当然で、母親の食事を味わうことなど幼い頃から数える程しかなかった。それほどまでに智和はIMIに没頭しており、殺しの知識と技術への執念は異常であったのだろう。

 夕食を済ませて後片付けを三人でした。入浴も済ませ、帰郷初日はリビングのソファーベッドで寝るだけになった。沙織が申し訳なさそうにしており、挙げ句の果てに同じベッドで眠ることを薦めてきたので丁重に断った。

 リビングを占領した智和は早々に寝ることにした。しかし眠れなかった。ソファーベッドが慣れないという訳ではない。寝ようと思えば完全装備のまま森の中で寝れるのに。

 起き上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口飲む。片付けた時に小百合がリビングに来た。

「眠れない?」

「少し」

「疲れてる筈なんだけど。時差ぼけかな。あ、そうだ」

 ソファーベッドに座った智和を、小百合は後ろから顔を出す。

「安らかに眠れるよう、お姉ちゃんが耳かきをしてあげましょう」

「永眠しそうだから遠慮しておく」

「まぁまぁ。ほら、横になって」

 部屋の灯りをつけ、いつの間にか耳かき棒とティッシュを持って隣に座り、智和を寝かせて頭を太股に置いた。こういう世話焼きに関しては無駄にやりたがる。

「刺すなよ」

「刺しません。ほら、動かないでね」

 最初は不安だったが、予想に反してとても気持ちの良いものだった。これはやる相手がいるなと確信した智和の考えを悟ったのか、「女友達だからね」となに食わぬ顔で言われた。

「IMIは楽しい?」

 少し奥の耳垢を掻き取りながら小百合は聞いた。

「楽しいと聞かれれば、少しわからない」

「どうして?」

「満足はしている。だけどそれは楽しいことを求めていない。羨望に近かった。近づきたかった」

 アメリカIMIジョージア地区から日本IMIへ編入した理由。それは榎本誠二――智和の先輩であり、本物の殺戮者がそこにいたからだ。

 テロリストの息子。本物の戦争と闘争を知って、母親と共に生き延びた男。

 当時の智和は異常な程、戦争というものに固執していた。学ぶだけでしか知ることのできない戦争。人を殺すとはどういうことで、どういう意味を成すのか。そして、殺した人間は何を思うのか。そういったことに、狂人と言われる程に異常な羨望を抱いて渇望していた。

 父親は何の為に銃を握って敵と戦い。

 榎本誠二は何を思って殺してきたのか。

 羨望と渇望は疑問となり、本人と相対したいとまで強くなった。神原・Leonald・智和――Tomokazu・Leonald・Evansは、そんな果てなき疑問を持って海に渡ったのだ。

 そして本人に会い、IMI海外派遣部隊の一員となって中東へと渡り、戦争を知った。殺戮を知った。

“あれはただの殺し合いでしかなかった”。

 手段を選ばない、殺し殺されの泥沼な戦争。教科書には決して載らないみにくい殺し合いでしかなかった。

 そうだと理解していた筈だった。相応の知識と技術を訓練で培ってきた筈だった。しかしそれはあくまで訓練で、体験した“それ”には遠く及ばない。

 人を殺すことが、あれ程恐ろしいとは思わなかった。

 故に智和は恵と逃避した。それが、いつの間にか恐ろしいとも感じなくなってしまった。やはり狂っていると、自虐のように鼻で笑った。

 小百合は深くまで聞かず、ただ耳を掃除しているだけ。本当ならば色々と聞きたかった。

 初めて見た時は元気そうで安心したが、手や腕の傷、風呂上りに見た智和の体の傷痕を見て一瞬固まってしまった。そして、やはり弟は別の世界にいるのだと確信せざるを得なかった。

「無茶、しないようにね」

 そんな言葉しかかけられず、耳にそっと息を吹き掛ける。

「はい、終わり。気持ち良かった?」

「ああ。いい感じに眠気がある」

「良かった。それじゃおやすみ」

 リビングを出た小百合は、廊下で話を聞いていた沙織と出会す。智和の心境と体を思い出し、不安になって今まで我慢していた気持ちが抑えきれずに涙が流れた。全てわかっていた沙織は小百合を抱き寄せ、落ち着くまで頭を撫で続けた。


――――――――――――◇――――――――――――


 目を覚ました智和は体を起こし、腕時計で時間を確認する。二人がまだ起きていないことを確認し、キャリーケースから運動用の短パンに着替えて家を出た。

 陽が出始めた頃のランニング。地理は沙織と買い物した時にほぼ把握しており、迷うようなことはなかった。

 なにもしなくてもいいのだが、体を動かさなければ気が済まず、鈍ってしまうように思えて仕方なかった。最初はペースを保ち、徐々に速くしていく。最後は全力で走る。近くの公園に入り、遊具で筋力トレーニングを行う。充分にトレーニングして、適当な木を見つけて構えると掌底や蹴りを放つ。織り混ぜていき、掌底も拳に変えて打ち込んでいく。

 恵やララとの格闘トレーニングでもそうだが、民間軍事企業アックスの事件にて格闘技術を見直す結果となった。いつも拳銃やナイフを持ち歩く訳ではない。

 手や足が傷付いてもかまわずに打ち込んでいき、最後は後ろ飛び回し蹴りを打ち込む。これは先輩の榎本誠二から教えてもらった。

 ようやく体が思い出してきたところで、すっかり明るくなっていた。二人が起きているだろうと思いながら、駆け足で家へと戻る。

 家に帰れば沙織が朝食を作っている最中だった。帰ってきたことで把握したらしく、シャワーを浴びてくるように言った。

 シャワーで汗を流し、着替えてリビングへ。小百合も起きていた。三人一瞬に朝食を摂る。

「それで、集まるのはいつになるんだ?」

 パンを頬張ってオレンジジュースで流し込んでから智和は聞く。家族で過ごす為にアメリカへ来たが、三家族一緒に過ごすと聞いたから来たようなものだ。詳しい日程をなにも聞いていない。沙織はサラダを盛りながら答える。

「基地で合流して、その後はお爺様の家へ」

「フォートブラッグ?」

「ええ」

「俺やブライアンの家族はいいが、ティナの父親はちょっとまずくないか」

「大丈夫よ。現地集合。それに、貴方にはお使いを頼みたいの」

 お使いと聞いて嫌な感じを受けながら、怪訝な表情で沙織を見る。対して沙織はにこやかにしていた。

「ジョージア州でブライアンとクリスティーナを連れてきて」

「ふざけるな、コンチクショウ」

 智和は吐き捨ててコップをテーブルに叩きつける。

「サンフランシスコに来て一日も経たないうちにジョージア州に行けと。どれだけ非情なんだ」

「仕方ないでしょう。私達じゃIMIに入るのは限定的だし、そもそも手間が掛かる。智和なら同じ身分だし、知り合いもいるわ」

「だとしても移動は?」

「それについては問題ないわ。恩師のバーナード先生からチケットを貰っているから。IMIの関係者用ジェット機。費用も出してくれるのよ!

 ね、お願い?」

 母親の笑顔が悪魔の笑顔に見えて、智和は思わず目を逸らした。そんな笑顔で頼まれてしまれば、断りたくとも断れなかった。

 結局、智和はジョージア地区IMIへ出向くことになった。沙織と小百合は直接ノースカロライナ州のフォートブラッグへ向かう。仕事と大学は休むことにしている。

 荷物を纏めてサンフランシスコ空港へ。沙織、小百合の二人とは一時別れる。ノースカロライナ州行きの飛行機が飛び立っていくのを見てから、指定された場所で待っていると、IMI学生服を着用した男女生徒と男性一人が近付いてくる。手紙と学生証を顔の高さで見せる。すぐに下ろしたのは渡す意思がないことを示す。確認する為であろうが、学生証を渡すことは絶対にしない。

 怪訝な表情を見せる学生二人に対し、意思を汲み取った男は着いてくるよう手招きして歩き出す。特に言葉を交わすことなく智和も歩き出した。

 IMIの権限にて審査せずにゲートを潜り、用意されているIMI専用ジェット機に乗り込む。その後も、話すことなく空を飛ぶことにした。機内は不思議な雰囲気に包まれていた。

 四時間弱のフライトを経て、ジョージア州フォートベニング基地近くに設立されたアメリカIMIジョージア地区に到着した。

 ジョージア地区のIMIはフォートベニング基地に近い。フォートベニング基地には第75レンジャー連隊が駐屯しており、ジョージア地区IMIとの関係が強い。レンジャーの兵士や教官が教えることもある。

 基地と近いこともあり、ジェット機はフォートベニング基地の滑走路に着陸。里帰りというのに、二日目で基地や軍人を見る羽目になってしまって溜め息を漏らした。

 ジェット機から降りるとサングラスをかけた一人の老人が歩いてきた。年老いているものの体格は筋肉質で良く、足取りもしっかりしている。首が太い。まさに退役軍人のような人間。

 老人を見た男女生徒と男性は会釈するが、智和はあからさまに嫌そうな表情を見せた。

「元気そうじゃないかレナード。背も大きくなって体つきが良くなった。いい面構えだ」

「まだ生きてたんだな。とっくにくたばっていると思ってたんだが」

「こんな歳だ。もう這いずり回る機会はないし、できない。よく来た。歓迎するぞ、レナード」

「そりゃどうも。ミスターバーナード」

 そう言われて老人――ボブ・バーナードは笑い出す。

「お前からそんな呼び方されるとは思わなかった。成長したな! だが前の呼び方でいいぞ。楽にしていいし、私もそれがいい」

「死に損ないのクソジジイ」

「その調子だ。いいぞいいぞ!」

 バーナードは笑っているが、男女生徒と男性はにこりともせず智和に敵意を見せていた。それに気付きながらも智和は無視し、キャリーケースを引いてバーナードの後を着いていく。

 着いていけばブラックメタルボディのボルボXC90があった。車体回りが改造されていて、バーナードの車だとすぐにわかった。荷物を積んで智和は助手席、男女生徒と男性は後部座席に座る。バーナードの運転で滑走路から基地内を移動し、ジョージア地区IMIへと向かう。

「相変わらずSUVが好きだな」

「好きなんだ。いい車だろう」

「車回りだけじゃなくエンジン系統も弄ってる。防弾仕様。積載スペースの銃器保管。まるで護送車だ」

「仕方ない。銃を握るのが仕事だ」

「アメリカだろうが日本だろうが、考えることが一緒の教師がいる。酷いな」

「理解している良い教師だ。口振りからしてレナードの部隊担当教師だな。一度会ってみたい」

「やめとけ」

 二人が他愛ない会話をしている中、後部座席の三人は未だ智和への警戒を解くことはない。銃を抜いてもおかしくないほど、智和に注意を向けていた。

 智和自身、それには気付いている。しかし赤の他人であり、今は日本IMIに所属している身だ。それに本来は来る必要がないのに休み返上で来たのだ。知り合いならともかく、他のIMI関係者とあまり付き合いたくはなかった。

 バーナードも理解していた。智和の心境も、智和への視線も。

「そんな睨むことはない。私の教え子の一人だ」

 女子生徒が反論する。

「恩師にその口振りはどうかと思います。それとサングラスを外すのが礼儀かと」

「眩しいんだ。それくらい見逃せ」

「そんなに信用できないか」

「信用できません。これほどの特例が認められるような日本人とは思えません」

 そこでバーナードは呆れたように笑い出す。智和は変わらず窓の外を眺め続け、口を開いた。

「そもそもコイツら誰だ」

「憲兵科の生徒会メンバーだ。生徒は9th gradeでそいつは生徒会顧問の一人」

「十四か十五歳。IMIは縦社会だろ。先輩を敬え」

 日本の学校システムが6・3・3なのが一般的に対し、アメリカでは6・2・4や5・3・4などが一般的だ。1から12年生というように1th gradeから12th gradeと示す。

「まぁ知らんのも無理はない。名前も変えているし、日本に行ってしまった。しかし活躍は耳にし、情報も少なからず入っている」

「こんな日本人がいったい何を」

「アメリカIMIジョージア地区入学試験記録を筆記以外全て塗り替えた。射撃はもとより、遊びでやった試験官との模擬格闘で腕をへし折った。四年間のジョージア地区所属中、レンジャー特別訓練に参加。ノースカロライナ地区の“オペレーター訓練”に参加。ノースカロライナ地区に編入しないか誘われたら、日本IMIへ編入。

 日本IMIに所属し、IMI海外派遣部隊に選抜されて中東へ出向いた。今じゃ各国IMIの代表部隊生徒に名を連ねてる強者だ。悪いが、お前達じゃ話にならん」

 三人は信じられないような表情をしていた。

「……仮に本当だとして、何故記録に残ってないなですか?」

「ちゃんと残ってるさ。名前が違うのと、規制を掛けてな」

「一応言っておくが、俺は日本人じゃなく日系アメリカ人だぞ。アメリカ人と日本人の子供だ。本名を言う気はない。自力で探せ」

「相変わらずだな。そういう強気な態度は」

「ここだからだ。日本じゃ違う」

「どうだか」

 バーナードの言葉に反し、日本に渡る前と渡った後の智和は丸くなったと自分でも思っている。一部分だけだろうが、私生活は確実に変わっているだろう。

 二人が会話をしている間も、後部座席の三人はにわかに信じられずに戸惑っていた。生徒会顧問も、だ。しかしバーナードが嘘を言うとは思えず、無理矢理信じるしかなかった。

 フォートベニング基地から数分で、アメリカIMIジョージア地区の正面出入口ゲートに到着。バーナードが書類を見せ、簡単なチェックをして通過した。

 第一感想としては、懐かしいという気持ちが圧倒的だった。ノースカロライナ地区の入学は父親によって否定され、わざわざジョージア地区へと移動してまでやってきた。それでも智和の原点であることに変わりなく、人を殺すことに成り果てた理由の一つでもあった。

 ジョージア地区の施設は日本IMIとは違って密集している。効率化の為には必然であり、その点に関しては日本IMIは非効率的だった。車を駐車し、バーナードは男女生徒と男性顧問を帰らせた。三人は不満を顔に表しながらも、バーナードの命令には従わざるを得なかった。

 邪魔者がいなくなって精々しながらジョージア地区の敷地を歩く。

「目的はわかっている。二人に会いに来たんだろう」

「半ば強制的にな」

「やり手の母親だ。あの笑顔で何人の男を虜にしてきたか」

「本人は自覚すらしてないぞ」

「話が逸れた。連絡をとっていたから私の方から話はしてある。時間は早いが、おそらく準備はできて――」

「レッ、ナァァァドォォォ」

 後ろから叫びながら走ってくる男子生徒。バーナードは振り向いたが、智和は呆れて振り向きもしない。抱きついてこようとしたので、受け流して地面に叩きつけてやった。

「痛ぇな! 何する!?」

「こっちの台詞だ、ブライアン。相変わらず煩ぇなお前は」

 智和と同じぐらいの背丈に、少しだけ体が細い。だがそれは筋肉が引き締まっている証拠で、その気になれば筋肉量を増やせるのが彼の特徴だった。ブラウンの髪は少し長い。顔立ちは整っており、彫りが深い。父親譲りの甘いマスクで、幼さのある顔。

 それが智和と幼馴染みで、IMI海外派遣時に中東で再会した少年――ブライアン・ブラッドリーである。

 コンクリートに体をぶつけた筈なのに、ブライアンは何気なく起き上がった。智和が手を差し出したので、遠慮なく手を借りて立ち上がった。

「久しぶりだなレナード。派遣部隊の中東で会った以来だな」

「お前も相変わらず元気だな。調子はどうだ?」

「変わりないさ。お前もだな」

「ああ」

 ブライアンは良く喋り、良くおどける。それはいい意味でもあり、ムードメーカーの存在になるにはピッタリの人材だった。

「レナード?」

 あともう一人を待っていると、疑問を含んだ言葉を掛けられて振り向いた。集団の中から一際目立つ女子生徒が驚きを隠せずに歩いてくる。

「本当にレナード?」

 誰に聞くでもなく発し、駆け足で智和に近付くと思いきり抱きついてきた。まるで長年会うことが叶わなかった想い人と再会したように、頬を寄せて懐かしんでいた。

「本当にレナード。レナードだわ! ああ、嘘。久しぶり。久しぶりね」

「ああ。久しぶりだな、ティナ。忘れていたと思っていた」

「忘れる訳ない。忘れられる訳ないわ。私とブライアンとレナード。忘れることはないわ」

 腰まであるブロンドの髪はきめ細やか。無駄な肉がなく鍛え上げられた肉体だが、女性として胸などが成長している。厳つい父親とは対照的な、少しつり目で整った美貌は銃を握るとは思えない顔だ。実際にファッション雑誌モデルのアルバイトをしていたこともある。

 少女――ティナこと、クリスティーナ・マクファーソンは、まだ旧友との再会に感動して抱きついたままだった。

「ティナ。そろそろ離れてくれ。苦しい」

「もう少しだけこうさせて。懐かしいの」

 クリスティーナは抱擁を続ける。智和としては、いくら幼馴染みと言えど女としての体に成長したクリスティーナと抱き合い続けるには気が引けて、周囲の視線も集まって恥ずかしかった。瑠奈でさえ抱きつかないのだから当然だった。

 満足したクリスティーナは頬に軽くキスしてから離れる。

「久しぶり、レナード。元気そうで良かった」

 満面の笑顔から嬉しさが伝わる。

「ティナも元気そうでなによりだ。姉さんが世話になった」

「サユリとはいつもメールしあう仲だから、相談に乗っただけよ。それに久しぶりに会えるかもって聞いたから、本当に楽しみにしていたわ」

「レナードに会えるからって、今まで落ち着かなかったんだぜ。今日の訓練だって、マガジンチェンジの際にマガジン落としてたしな」

「煩いわね。指で上手く挟めなかったのよ」

「お前ら三人いると、やっぱり賑やかになるなぁ」

 三人の会話を聞いていたバーナードは、まだ三人一緒だったから幼い頃を思い出す。今も幼いが、彼らは立派に育ってきた。“本職の人間が恐れる程の人殺し”に成長した。

 複雑な思いなどない。ただただ立派になった、とバーナードは思い出に浸っていた。

 智和は来た理由を思い出して話題を変える。

「話は聞いているらしいな。出発の準備は出来ているのか?」

 バーナードが答える。

「ああ。二人のIMI敷地外行動は許可が出ている。後は二人の準備次第だ」

「俺はできてる。荷物も持ってきている」

「私も準備はできてるわ。だけどちょっと……」

 クリスティーナが申し訳なさそうに口ごもって振り返る。先程まで一緒にいた集団が見ていた。

「レポートを出さなきゃならない。その後に荷物を取りに行くから」

「またライアン達か」

 ブライアンは呆れて溜め息を漏らす。

「ティナ。そろそろ邪魔だって言ってやれ。纏わりつかれて迷惑なのはお前だろ」

「でも彼は部隊への適性があるかもしれないの。そうも言ってられない」

「糞みたいにくっ付いて歩く奴が適性あるとは思えない」

「ブライアン。彼の前で言わないで。怒るから」

 軽く注意したクリスティーナは踵を返し、集団へと戻っていく。智和は小声でブライアンに聞く。

「誰だ」

「ハワード・ライアン。同じ歳。普通科。射撃はイマイチだがあのガタイの通り格闘戦が得意でな。レスリングやキックボクシング、総合格闘技もやってる。地区大会に出て優勝してる」

「IMIの生徒が一般人に混じって地区大会出るなんて馬鹿じゃないのか」

「馬鹿なんだからデカイんだろ」

 ハワード・ライアンは、誰が見ても大きかった。十六歳とは思えない筋肉量。百九十センチ以上はあり、短く刈った髪。あんなのが一般の大会に出場するだけで周囲に威圧を与える。

 智和が抱いた第一印象は気に入らない。それだけだった。

 人殺しを学ぶIMIの人間が、一般人に混じって大会に出場することが気に入らない。下手をすれば死ぬのだ。智和には、ハワード・ライアンという木偶の坊がそれだけ考えられる脳みそを持っておらず、どれだけ恥知らずなことをしているか理解していないとわかっていた。

「ティナのボーイフレンド?」

「まさか! ティナの好みとは違う。というか、お前が聞くか、それ」

「部隊の適性って、入隊素質の検査か?」

「ああ」

 ブライアンではなくバーナードが答える。

「候補の生徒リストを配って、素質があるかどうかを教師と隊長生徒で話し合う。実際に確かめる。ハワード・ライアンがその一人だ」

「で、その評価は」

「言えるか。……とはいえ、素質があるかと聞かれれば首を捻るな。射撃が下手なのはまぁいいが、短気だ。性格に難がある。取り巻きをつれて歩くのはいいんだが、地区大会優勝で自慢されてもな。評価対象だが、評価されることじゃない」

「素質があると勘違いしてるんだよ。ティナに付き纏うようにいつも後ろをついて、取り巻きもついてくる。もう部隊の一人と思い込んでる。最悪、ティナのボーイフレンドになったつもりだろう」

「完璧な馬鹿だな。ティナは何で黙ってる?」

「検査時期まで考慮して報告しなきゃならない。その時まで考慮しなきゃならない。そもそも、ティナが優しすぎる」

「部分的にはティナが悪い。隊長なら一線を引くべきだ。入隊検査は公平と平等でなきゃならない」

「相変わらず厳しいな、レナードは」

「当然だろう。ティナが悪い」

 二人の立場は知っている。ジョージア地区の最上位部隊の隊長であり、更にアメリカIMI本部ノースカロライナ地区の特殊部隊の隊長としても名を連ねる二人。実力は確かで、本来はこうやって気軽に話せるものではない。

 だからこそ、クリスティーナの対応が甘いと指摘する。最上位部隊ということは危険な任務を任され、仲間に命を預けるということ。命を預けられるかどうかの判断をクリスティーナが間違う訳ないのだが、判断を鈍らせる可能性は多いにある。故にクリスティーナに厳しくする。

 そして、幼馴染みに纏わり付いていると“子供のような理由”を聞かされて、智和の中で何かが耐えきれなくなった。

「ちょっとやりたいことがある。バーナード、いいか?」

 呼び方が昔に戻ったこと、今から何をしようとしているのか気づいたバーナードは「ああ」と笑みを含めながら許可した。

「ブライアン。手は出すな」

 ブライアンも気づいて、呆れながらもその表情は笑っていた。

 智和はクリスティーナ――

「“おい。そこの糞をつけた木偶の坊”」

 ――ではなく、奥にいたハワード・ライアンに言葉をかけた。

 周囲が唖然とする。クリスティーナは驚いて状況を飲み込めず、ハワードは睨み付ける。更に智和は続ける。

「聞こえなかったか。ストーカーの木偶の坊。お前だよ。デカイからわかるだろ」

「口の聞き方がなってないぞ、日本人。もう一度言ってみろ」

「女に纏わりつく阿呆な奴だって言ったんだよ、筋肉ダルマ」

「レ、レナード!」

 ハワードが怒りを込めて歩いていく。クリスティーナが慌てて二人の間に入った。

「待ってライアン。彼は私の友達で、ええと……英語に慣れてないの。汚い英語とか使い方しか学んでないの。初めての英語教科書がそれだったの」

「無駄に筋肉増やすこととティナを抱くことしか考えてないような面だな。脳みそも筋肉だろ、絶対」

「レナードっ!」

 ハワードがクリスティーナを押し退けて智和の首を掴みに来る。簡単に予想できた智和はバックステップで躱し、踏み込んできたハワードを逆に押し退けた。

 クリスティーナは倒れる直前にブライアンに支えられた。バーナードは面白そうに笑って見ているだけ。周囲に野次馬が集まってきた。

「本性が出たな、筋肉馬鹿。女性は大切にしろ」

「気に入らねぇ。気に入らねぇイエローモンキーだ。顔を潰してやる」

 二人は間合いを広げた。智和はサングラスを放り投げ、いつでも来いと手招きする。ハワードはレスリングの構えをとる。

「来いよ臆病者」

 智和のその挑発に我慢しきれず、叫びながら突進してきた。確かにレスリング経験者の体勢が低い、そして速く力強いタックル。加えてハワード程の巨体なら受け止めることは困難であり、躱すことも難しい。智和、そして恵でさえ真正面からの取っ組み合いは敵わないだろう。

 ――“真正面の取っ組み合い、ならばの話だが”。

 タックルしてきたハワードにタイミングを合わせ、二、三歩の助走をつけた智和はハワードの頭に飛び右膝蹴りをお見舞した。

 歓声と悲鳴が聞こえ、ハワードは力の衝撃に耐えきれず滑るように地面に背中を叩きつけた。更には智和の飛び膝蹴りを頭に受け、軽い出血と目眩を引き起こしていた。

「流石に頑丈だな」

 余裕を見せる智和は構えず、頭を押さえて唸るハワードに吐き捨てた。

 真正面からの取っ組み合いなど智和はしない。恵もしないし、同じような立場と実力者もおそらくしない。圧倒的な力の差があるのに、わざわざ挑む馬鹿はいないのだから。

 タックルで押し倒し、顔面を叩きつけるのがハワードのやり方だと即座に見抜いた。だからハワードは馬鹿正直に突っ込んできた。なんの工夫もないタックルなど、合わせることは至極簡単なことだった。

 馬鹿だから膝蹴りを頭に喰らうんだと、少しでも考えれば皆が思うのは当然である。

 智和は取り巻き達に向きを変えて言う。

「ほら。ボスが困っているぞ。目眩と頭痛がして動けないでいる。助けてやれ。それとも、それすらできない根性なし共なのか。IMIに所属してるなら、それだけのモノは見せてみろ。おこぼれを貰って満足してるような小心者なら話は別だが」

「この野郎、好き勝手言いやがって。後悔させてやるぞ!」

 五人の取り巻き達が一斉に襲い掛かる。智和はようやく構え、笑みが消えた。

 一人目。右ストレートを受け流し、そのまま肘を顔面に突き刺す。鼻を折り、腹部と胸に素早く打撃を与えて突き飛ばす。

 二人目。左右のオーバーフックを躱し、右のミドルキックを受け止める。左手で足を持ち、右手でまた腹部や胸、脇腹に打撃を与え、両手で足を持つと振り回して投げ飛ばした。

 三人目。綺麗な右のハイキックをしゃがんで躱す。それだけではなく、左足を地面に滑らせるような水平蹴りで軸の左足首を“刈り取る”。背中を強打して息が詰まって動けなくなった。

 追撃しようとしたら四人目と五人目が襲い掛かってきたので、水平蹴りからのミドルキックにエルボーと二人に繰り出す。二人の動きが止まり、エルボーを喰らわせた相手の頭を掴み、脇腹にミドルキックを受けて蹲っていた相手の頭に叩きつけた。

 三人目がふらつきながらも立ち上がり、タクティカルナイフを抜いた。IMIの敷地内で訓練または授業、任務以外での銃器無断使用は禁じられている。例えナイフでも、だ。

 それでも智和は臆することはなく、逆に罰則を恐れない行動に称賛を送っていた。しかし手加減はしない。突き出した手首を掴み、周囲に危険が及ばないよう真下にタクティカルナイフを落とし、脇腹へ打撃を与える。よろめいたところを最後に、空中で三百六十度回転の飛び回し蹴りで決めた。

 相手にすらならなかった。彼ら五人は足下にすら及んでいなかった。

 それもその筈。取り巻き達はただのIMI生徒だ。部隊所属はしておらず、特に秀でている訳でもない一般的なIMI生徒。

 対して、智和は人殺しを学び続けて才能を開花させた正真正銘の強者。常に自分を高め、常に自分を追い込み、常に求めている。志から違うのだ。更に言うなれば、智和は先日に格闘戦を経験している。民間軍事企業アックスの社員と素手の殺し合いをしたのだ。勝てる見込みすらないのだ、彼ら五人は。

「……凄い」

 クリスティーナは観客の一人となって、幼馴染みの変貌に目を丸くしていた。

 いや、変わっていない。彼の意志は変わっていない。変わったのは強さだ。とてつもなく強くなっている。目指していた目標が更に遠くなった気がした。

 同時に、感動して興奮した。智和の戦いを美しいとさえ思い、格好いいと感激して全身に力が入っていた。

 智和は、ヒビの入っている治療中の肋辺りが痛んでいた。痛みに動きが鈍った訳ではないが、気にしていた瞬間を狙われた。

 まるで獣の咆哮かと思う叫びを挙げながら、血管を浮き上がらせたハワードが突っ込んできた。智和は振り向くが間に合わず、ハワードのタックルを真正面から受けてしまう。

 トラックか何かがぶつかってきた衝撃だった。筋肉の塊が全速力でぶつかってきた威力は凄まじく、智和の体が三メートル以上も吹っ飛ばされた。

 威嚇するように雄叫びを上げるハワードは怒りに満ちていた。自分の誇りを傷つけられ、泥まで被せられた。この日本人を叩きのめしても怒りが治まらないほど、我を忘れていた。

 対して智和は、タックルで突き飛ばされた『エクスペンダブルズ』のシルベスター・スタローンや『トム・ヤム・クン!』のトニー・ジャーの気持ちが少しわかったと、状況から考えてとても呑気なことを思っていた。

「殺す。殺してやる!」

「ああ……肋折れてるからクソ痛ぇ。“けど、いいな。その調子だ”」

 全身の痛みに耐えながら、笑みを浮かべて智和は立ち上がる。

「全力で来い」

「アアアアアアッ!!」

 智和が構え、ハワードが突っ込む。再びタックルを仕掛けるつもりなのは明確。だが躱すつもりはなく、今度は受け止めるつもりだった。

 そう考えていたのに、横から第三者がハワードの頭に左の膝を打ち込んでしまった。

「“面白いことしてるな。俺も混ぜろよ”」

 膝蹴りしたのはブライアンだ。まったく予想していなかった為に、ハワードの鼻が折れてコンクリートに体を叩きつけられる。智和は一気に気持ちが削がれてしまった。

「六対一は卑怯だろ? 六対二でいこうぜ」

 今更なことを智和に言って、立ち上がろうとしたハワードの頭を振り返り様に蹴り上げた。加減をしていない、本気の蹴りだ。

 ハワードの気持ちが完全に切れたのか、立ち上がることなく四つん這いで逃げ出した。だがブライアンは見逃さず、脇腹を蹴り上げて転がした。

「ノーノー。観客に混じってる手下に頼っちゃ駄目だろ。お前は強いんだろ? 大会で見せつけたように見せてくれよ、ハワード・ライアン。“強いだろう?”」

 わざとらしく、笑みを浮かべて侮辱していくブライアンへ、集団から数名の生徒が武器を持って飛び出した。

“ブライアンは、笑いながら、瞳孔を開かせて反応した”。

 相手は四人。一人目がバットを真上から振るってきたので躱し、真横に振るおうとしたので左手で肘をへし曲げ、離れたバットを右手で握ると柄頭を口めがけて突き刺した。歯が折れて、柄が抜けなくなった。

 腰に巻いていたチェーンを持った二人目が、鞭のようにチェーンを振るう。ブライアンは軌道を読んで簡単に躱すと、胸に掌底を打って動きを止める。チェーンを奪って後ろに回り込み、首に回して交差させて持ち上げた。

 三人目がナイフを抜いて刺そうとしてきたので、首を絞めていた二人目を盾にする。ナイフの刃が右太股に深く突き刺さり、叫び声が上がる。

 動揺した隙に二人目を突き飛ばし、倒れていた一人目の口に挟まっているバットを無理矢理引き抜いて、全力で振り抜く。間に合わずに受け止めようとしたのが三人目の運の尽きで、受け止めた左腕の骨が砕かれた。更にブライアンは左膝を叩き折り、腹部へバットを叩きつけた。

 後ろから襲ってきた四人目にもバットを叩きつけ、回し蹴りをこめかみに打ち込んで意識を刈り取った。

 あっという間に四人が倒され、ブライアンの周囲は惨たらしい結果になっていた。

「お前の手下は弱いなぁ、ライアン。お前は強いよなぁ、ライアン?」

 怯えるハワードにブライアンは顔面を蹴る。泣きじゃくろうがお構い無しに踏みつける。

“ブライアン・ブラッドリーとはこういう男だ”。

 彼の残虐性は昔からあったものであり、それを嬉々として行うのだから尚更質たちが悪い。こと暴力において、ブライアンの残虐性は誰より抜きん出ている。

 残虐性を有効活用できるからこそ、ブライアンのIMIの立場は重要な位置にある。活用できないばかりかコントロールできないとなれば、とっくの昔にIMI本部に連行されている。

「やり過ぎだ。ブライアン」

 バーナードが口を挟む。ハワードを哀れに思ったり、危険を感じたから止めに入ったのではなく、ブライアンに呆れて仕方なく止めた程度だ。溜め息を漏らし、ハワードや倒れている生徒には目もくれていない。

 そこにクリスティーナが近寄って、苦笑いしながら言った。

「そうよブライアン。やるにしても手加減するようにって、あれほど注意してたでしょう。それで骨折したの忘れた?」

 ハワードは耳を疑った。クリスティーナの言葉を聞く限り、ハワードへの心配はまったくない。寧ろブライアンの心配をしていた。相手が違うのではないかと言いたくなった。

「ティ……」

 呼ぼうとしたら、クリスティーナはしゃがんでハワードの顔を見る。その笑顔は、どこか吹っ切れたように清々しいものだった。

「その名前で、あまり呼んでほしくない。その名前は家族や、友達や大事な人からしか呼ばれたくない。貴方の適性を検査する為に一緒にいたけど、適性はないと判断した。弱いとかじゃないの。“必要なモノ”がなかったから」

「な、なに言って……」

「だからもうおしまい。大丈夫。ライアンなら他できっとできる。安心して」

 違う。ハワードが求めていた言葉と違う。ただ心配される言葉を想像していた。それが哀れに思われていてもかまわなかった。

 それなのにクリスティーナは、心配などしていない笑顔で適性検査の結果をハワードに通告した。“それが当然”のように、ブライアンの残虐性を、智和の喧嘩の吹っ掛けを咎めることはなかった。

「レナード。怪我はない?」

 クリスティーナは、無事な二人の心配をする。ハワードには三人が人間には思えない何かを覚え、恐怖した。

「あれが上の部隊の人間だ」

 バーナードがハワードの横に立ち、顔も見ずに静かに話す。

「IMIの上位部隊に、本部認定の部隊に名を連ねる奴は、大抵ああいった“壊れた奴”が多い。“狂人”って奴だ。

 楽しくて残虐をする奴、自分が大切にしてるモノしか大切にしないで興味すら抱かない奴、殺しの意味に捕らわれて海すら渡って人殺しを学ぶ奴……そういった狂人だ。あの三人は」

 そう。IMIの上位に位置する人間は狂人に等しい。“人を殺してもなんとも思わないのだから当然だ”。

 子供の頃から人殺しを学んで実践して、常識を持った人間である筈がない。歯車が正常に噛み合うわけがないのだ。故に狂人と呼ばれ、狂人と認知される。

 クリスティーナのからだに興奮して付きまとっていたハワードは、バーナードの話を聞き、実際に体験して恐怖した。同じ人間とは思えなかった。クリスティーナの躰に興奮することはもうなかった。

「ま、結果は残念だったがチャンスはまだあるにはある。お前が望めばな」

 迷惑極まりない提案だった。誰があんな“異常者集団”の仲間になるものか。取り巻きが倒れている中心で、和気藹々と会話する三人のような――

「――要はその程度ってことだ」

 静かながら、強い口調でバーナードは続ける。

「上位部隊には狂人と異常者しかいない。なんせ殺しても平然としてる奴ばっかりだ。お前には向いてないってこと。クラスの猿山の大将やってた方がまだいいよ、お前」

「狂ってる。何だお前ら。何なんだ……!?」

 理解できず、理解したくもなく、よろめきながらもハワードは全力で逃げていく。醜態を晒してでもこの場から、あんな三人と同じ場所にいたくなかった。

 それを見ていた三人は、なにを言ったか聞こえなかったので会話を続けることにした。

「レナード、大丈夫?」

「ああ。相変わらずブライアンは横槍入れてくるな」

「いいだろ。楽しそうだったし。それにアイツは前々から気に入らなかった」

「おい、そこの三人組」

 呼ばれて三人は振り向く。バーナードは呆れながらも笑っていた。

「憲兵と生徒会が来る前に離れておけ。後処理は心配しなくていい。そもそも挑発に耐えられなかったコイツらが悪い」

 バーナードはブライアンとクリスティーナに書類を入れた封筒を渡す。

「外泊許可証に地区州外銃器携帯許可証。必要なモノは揃ってる。いない間は気にしなくていい。こっちで対処する。荷物を持って車に乗れ」

「ありがとうございます、バーナード先生」

 送ってくれるらしく、ブライアンとクリスティーナは準備していた荷物を持ち、智和と一緒に乗り込む。正面出入口まで送ってもらう。

 簡単な手続きをしていると、女子生徒がこちらに走ってきた。憲兵科か生徒会の生徒かと智和は警戒したが、他の三人の反応を見ると違っていた。

 女子生徒はブライアンの名前を呼び、ブライアンも女子生徒の名前――メイと呼んで抱き合ってキスをし始めた。

「誰だ」

 大方の予想ができたが、智和はどちらという訳でなく呆れているクリスティーナとバーナードに聞く。クリスティーナが答えた。

「メアリー――メイは略称――。ブライアンのガールフレンド。見ての通りハムエッグが出来そうなくらいに熱々で」

「父親と同じだな。好みが似てる」

「そう思うわ。そのうち公然猥褻で逮捕されそう」

 抱き合い続ける二人をバーナードが無理矢理引き離し、ブライアンを先に敷地外へと出した。

「とんだ災難だったな、レナード」

「慣れてる。喧嘩を振ったのは俺の方だ」

「お前は強くなった。誇りに思う」

「短い時間だったが世話になった」

 最後にバーナードと握手し、クリスティーナと共にIMIを出る。バーナードは三人を見送り、少しだけ寂しさを感じた。

 IMIを出た三人はタクシーを捕まえてコロンバスへと向かう。そこから更に公共交通機関に乗り換えてアトランタに向かった。

 ジョージア州州都で最大の都市。北米南東部を代表する世界都市であるアトランタは、まだ森が多い為に市郊外の土地開発が進んでいる。映画『風と共に去りぬ』の舞台でもある。

 ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港の近くにあるホテルにチェックイン。ノースカロライナ州ファイエットビルに向かうのは明日にした。連絡は済ませており、三人はIMIで得た報酬などで充分な金銭を持っている。

 IMI学生証の電子マネー機能で支払いを済ませる。一人一部屋のシングルだ。

 久しぶりに三人揃ったので街を歩くことにした。智和は荷物を置き、必要な物だけを所持して部屋を出てロビーで待つ。ブライアンとクリスティーナは制服から私服に着替えている。目立つ身なりでの行動は避けたかった。

 コーヒーを飲んでいると二人がロビーにやってきた。ブライアンはTシャツにジーンズ、クリスティーナはタンクトップにホットパンツ、オークリーのベースボールキャップを被ってきた。二人ともラフな格好だ。

 三人はホテルを出た。コカ・コーラ、デルタ航空、CNNなど全米や国際的ビジネスを展開しているアトランタだが、犯罪発生率は全米でも高い水準に位置している。これでも良くはなった方であり、2000年代前半はワースト五位の常連都市になってしまっていた。主な理由は貧困と失業だ。幼少からギャングに加わったり薬物中毒だったりと、典型的な犯罪都市でもある。

 中心部を歩いてはいるが、智和は自分が見られていることに気づいていた。IMIの人間、ということではなく、日本人として、肌の色が違うことで見られている。

 それを考えれば、ジョージア地区IMIにいた頃の方が違和感を抱いていたことを思い出した。肌の色が違うことによる孤独。アジアの国で、日本人か中国人か韓国人かという問題ではない。ただ色が違うことでマイノリティの対象となる。それを智和は感じていた。

 今見ている者も同じことを思っている。何故ここを黄色人種が歩いているのか。そう思いながら奇怪な目を向けて。

「レナードっ」

 そんなこと知ってか知らずか、クリスティーナが智和の肩に手を回してきた。手にはチケットが握られている。

「久しぶりに集まって、遊ぶ時間もあるのよ。ベースボール見に行きましょうよ」

 チケットはMLBのアトランタ・ブレーブスの観戦チケットだ。午後からの試合でまだ充分に余裕がある。

「レナードはベースボール見てたでしょう。ちょうどチケットもあるんだし」

「取ったのは俺だけどな」

「煩いわね。どっちでもいいでしょ」

 言い争いを聞いて相変わらず煩い二人だと思いながら、自分もその中にいるとわかって溜め息を漏らした。だが同時に、二人が認めていると理解して笑みをこぼした。

 そう。ブライアンとクリスティーナは差別しなかった。公平かつ平等にして、信頼できる仲間であった。肌の色、宗教などという些細な違い――少なくとも智和はそう思っている――で、人を判断する人間ではなかった。

 そんな彼らとショッピングモールを回り歩き、MLBの試合を観戦した。夕食を済ませ、ホテルでも智和の部屋に集まって談笑した。充実した一日だったのは言うまでもない。


――――――――――――◇――――――――――――


 翌日。起床して腹筋や腕立て伏せの軽い筋力トレーニング、シャドーボクシングのように近接格闘のイメージトレーニングを行い、シャワーを浴びて朝食を済ませた。荷物を持って部屋を出て、ロビーでコーヒーを飲みながら二人を待つ。昨日と同じような状況だ。

 二人が来てホテルをチェックアウト。バスでハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港へ向かった。世界中で一番忙しい空港というだけあって、朝でも人が多い。デルタ航空便にて、ファイエットビル地域空港へ直接向かう。

 手続きを済ませて飛行機に乗り込む。

「右側の通路側。レナードは私の隣で窓側ね」

「そうだな」

「俺一人で通路挟むのかよ」

 席に関しては飛行機に乗る前に、ジャンケンで勝った順にチケットを選ぶやり方にした。チケットは裏側のまま。ランダムだ。

 結果、機体の右側窓席が智和、隣の通路側席にクリスティーナ、通路を挟んでブライアンになった。とはいえ、ファイエットビルは近い。数時間となれば、昨日までの移動とは比べ物にならない近い距離だと智和は思っていた。

 談笑していると、あっという間にノースカロライナ州ファイエットビル地域空港に着いた。

 ノースカロライナ州。ファイエットビル。カンバーランド郡の都市のファイエットビルは、ノースカロライナ州自治体の中で六番目の人口規模を誇る。

 自然や文化、歴史で語れる都市だか、何より特筆すべきなのは“軍人家族にとっての聖域社会”ということだろう。そしてブラッグ砦やポープ空軍基地、そこに滞在する空挺部隊やアメリカ陸軍特殊作戦コマンドの存在だ。

 第一特殊作戦部隊デルタ分遣隊。デルタフォース。それがここにいる。“正式に認められない存在”がそこにいる。

 手続きを済ませてロビーに出た三人。アトランタ国際空港と比べれば人の多さは段違いだった。

「智和。こっちこっち」

 懐かしい声の方向を向くと、小百合が麦わら帽子を振っていた。隣には沙織もいる。はしゃぐ姉を見て無視したかったが、クリスティーナが走っていって小百合と抱き合っていた。呆れて、渋々とブライアンと一緒に歩いていく。

「ありがとうね。智和」

「難儀した」

「久しぶりブライアン。大きくなったわね」

「久しぶり、サオリ。相変わらず母子は綺麗なままで」

「デイヴィッドとそっくりね」

 小百合と抱擁し終えたクリスティーナは今度、沙織と抱き合う。

「久しぶりですサオリさん。元気でした?」

「ティナちゃんも元気ね。すっかり大人になって」

 充分な抱擁と挨拶を交わして五人は空港を出た。車はワゴン車であり、誰かから借りたものだとすぐにわかった。ワゴン車は301号線を進んでファイエットビルへと入り、街の中心部を抜ける。

 ある喫茶店で車が停まる。小百合は窓を開け、外でコーヒーを飲んでいる家族に話しかけた。

「クラリッサ。ダグラス。お待たせ」

 名前を呼ばれた男女は席を立ち、三人の子供を連れていく。するとクリスティーナが車から飛び出して家族へと駆けていく。

「久しぶりパパ、ママ。元気だった!?」

 クリスティーナは父親――ダグラス・マクファーソンに抱きつき、母親――クラリッサ・マクファーソンは横で微笑んでいた。同じブロンドの美しい髪だった。

「久しぶりだな、ティナ。元気そうでなによりだ」

「パパも元気そう。いつこっちに?」

「ついさっきさ。クラリッサには迷惑をかけた。ほら、弟と妹達にも挨拶を」

 クリスティーナはダグラスから三人の弟と妹にも挨拶をする。

 180センチ以上ある身長に筋肉質の体。髪は歳に似合わず薄くなってきたが、髭を生やしたことでジェイソン・ステイサムのようだとクリスティーナからは好評だった。それがクリスティーナの父親のダグラスだ。

「子宝だな」

「親父より精力あるんじゃねぇかと思う」

 車から覗いていた智和とブライアンは好き放題に言っていた。

 挨拶を終えて、マクファーソン一家のSUVとワゴン車二台は中心部を走る。そして抜けて出てくると、目の前にフォート・ブラッグ基地があった。ゲート付近に一台のランドクルーザーが停まっており、二人の男性と一人の女性がいた。

 二台が近くに停まる。ブライアンは荷物を持っていき、智和は一人の男性を見て懐かしさを思い出した。

「元気だったか、ブライアン」

「久しぶり。前よりクールになってるわね、ブライアン」

「相変わらずイチャついてるな、親父とお袋は」

 ブライアンは挨拶をして父親――デイヴィッド・ブラッドリーと母親――エリザベス・ブラッドリーと軽く抱擁する。歳の割に若く見られる二人で、二十代前半に間違われることもあった。デイヴィッドはダグラスより身長が高い。細身だが、それは無駄な贅肉がなく引き締まった証拠。軍人よりモデルが似合う優男である。

 その隣、智和の父親であるスコット・エヴァンズが腕を組みながら車に凭れていた。

「久しぶりだな。三、四年ぶりか」

「ああ」

「よく戻ってきた」

 智和とスコットは抱擁せず、握手を交わした。父親の手は傷だらけで皮が厚く、大きかった。

 高くはなく、平均的な身長。筋肉質な体は生きる為に自力で得たもので、まるで木のように太く岩のように硬い。短く揃えた濃い茶色の髪に、無表情のように変化の少ない顔つき。だが目は鋭く、常に周囲を監視しているようだ。無口なこともあり、仲間や智和から『監視カメラのような男』とも揶揄される。それが智和の父親だ。

 そして改めて、三人の父親が集まったことでなかなか面白い絵面になった。

 第1特殊作戦部隊デルタ作戦分遣隊に所属するスコットとデイヴィッド。そしてNavy SEALsネイビーシールズに所属するダグラス。アメリカ軍の最高水準である各部隊の人間が、こんな場所に集まっている。なんともおかしな状況だった。

「また日に焼けたな。ダグ」

「いつものことだ。そっちは中東にいたのだろう」

「ああ。ようやく髭を剃ることができた」

 三人が会話をしている中、少し離れた場所でその息子二人と娘が眺めていた。

「よく考えたら、デルタとシールズの人間っておかしな組み合せよね」

「そもそも予定合ったのが奇跡的だ。てっきりイスラム国にでも行くものかと思ってた」

「うは、おっかねぇ」

「ほらほら。皆、移動しましょう」

 小百合の一声により雑談は一時中断。各自、車に乗って来た道を戻ることにした。

 今まで乗っていたブライアンとクリスティーナは、自分の家族の車に荷物を移して乗り込んだ。三台の車はファイエットビル中心部を通ってから街を出た。

 数時間走ると山道へと入っていく。住宅もない。あるのは整備されながらも曲がりの多い山道だ。

 そんな道を進んでいくと、一件の射撃場が見えた。規模の小さい射撃場で、隣には二階建ての家もある。三台の車はその駐車場に停まった。

 close(閉店)と書かれた札が店の出入口に下げられている。車を降りたスコットは家の玄関に向かった。

「父さん。今帰ったぞ。いないのか。母さん?」

 扉を叩きながら呼んでいると、中から眼鏡をかけた老人が出てきた。小太りではあるが、首が太い。

「ああ、スコット。よく来た。おい母さん、スコット達が来たぞ。おいカーラ!」

「聞こえてるわよ。ああスコット。お帰りなさい」

 もう一人、老婆が出てきてスコットと抱擁する。この二人が射撃場を運営するスコットの両親、トレヴァーとカーラである。

 二人がいたことで、デイヴィッドやダグラス、その家族が車から降りてくる。

「久しぶり、トレヴァーにカーラ。相変わらず元気そうだ」

「いつもお世話になります」

「デイヴィッド、ダグラス。よく来てくれた。君達はスコットの親友以上の関係だ。私達の家族の一員だよ」

「サオリにサユリ。まぁ、レナード! 立派になって!」

「おお、レナード! 何年ぶりだろうな」

 全員と抱擁していき、智和を見た二人は声を上げて喜んだ。孫の顔を久しく見ておらず、海を渡ってしまったのだから当然の反応である。

 智和自身も、トレヴァーとカーラに会うのは久しい。そもそも会う機会がこんな時しかないのだ。

「早速準備しましょうか。サオリ、サユリ、手伝ってもらえるかしら」

「ええ」

 沙織と小百合はカーラの後を着いて家に入る。残りは車から荷物を持ってトレヴァーの後に着いていく。

 射撃場施設の裏に回ると、小さな野外射撃場がある。その横はベンチやテーブルがあり、更にはバーベキューコンロやバーベキューグリルが置いてあった。

 毎年、三家族集まってはトレヴァー宅で寝泊まりしてバーベキューをしている。スコット、デイヴィッド、ダグラスの三人が出会った年から毎年、だ。

 離れた場所に寝泊まり用の大型テントを張る。テントを張り終えると、カーラ、沙織、小百合が食材を持ってきた。大きな牛肉の塊だ。トレヴァーが品質の良い肉を購入している。

 上質な肉を焼くのもいいが、せっかくなので調理することにした。担当は沙織と小百合だ。いつも同じ二人で担当する。

 その間、カーラやエリザベス、クラリッサは二人を手伝う。スコット、デイヴィッド、ダグラス、トレヴァーは適当に肉を焼きながらビールを飲む。ブライアンはクリスティーナの弟と妹達――トーマス、アラン、クレアの相手をする。毎年、こんな感じに過ごすのだ。

 智和はというと、少し離れた場所に一人でいた。椅子に座り、iPadでネットニュースを見ながらくつろいでいる。父親達に混ざるのは遠慮し、ブライアンと混ざろうにもクリスティーナの弟と妹達には顔が知られていない。更には肋骨はまだ完治していない。

 そもそも、年数が経ってしまっている。一人だけ、違う空間にいるようだった。

「なに一人でいるのよ」

 ネットニュースを見ている最中、クリスティーナが後ろから抱きついてきた。頭に顎を乗せられたせいで振り向けなかった。

「肋骨がまだ完治してないんだ。無理言うな」

「それ、シナガワの銃撃戦で?」

「知ってるのか?」

 意外な返答に少しだけ驚いた。クリスティーナはiPadを借りて操作していく。

「IMIニュースで見たわ。こっちでも報道機関が放送した」

「日本IMIに新聞部みたいなのはないぞ」

「あるわよ。公式じゃないけど。それで知った」

 IMIのホームページにアクセスし、日本IMIへのページへ。確かに日本IMIのニュースが少ないながらも掲載されていた。

 そして、詳細は伏せられていたが被害者が出ていることも書かれている。

「初めての被害者公表だったでしょう」

「ああ。任務の軽重傷者、死亡者は関係者意外に知られないよう別部隊が隠蔽していた。今回は状況が悪過ぎた。死亡者と重傷者を出してしまった」

「仕方ない。私達の世界では切っても切れない事柄の一つよ。私達は国の保証も受けられるけど、日本IMIは連携が悪いから風当たりは強い」

「入口前がデモ隊と報道記者で邪魔だ」

「それが普通なのよ。私達が銃を握って人を殺すのだから尚更。だけど、そうじゃなきゃ駄目になってしまった」

「ああ」

《7.12事件》による世界影響。特に日本は最初の被害国であり、《進行不可区域》と《準進行不可区域》というあやふやな危険区域が生まれてしまった。手段はあった筈なのに、犯罪の温床になることを防げなかった。

 日本IMI程、国との連携が出来ないIMIはない。学園長の如月の方針であるにしろ、存在の在り方が異質過ぎる。まるで“一つの国”である。

「日本も不安定になってきた」

「マシにはなったんだ。それでも襲撃事件なんかはザラにある」

 日本のネットニュースで『貿易会社の御令嬢、襲撃される』との見出しの記事を見ながら言う。こういった事件も珍しくなくなった。なんとも悲しいことではあるが。

 適当にニュースを探していると、ふと気になったことがあった。IMIのホームページである。アメリカIMIジョージア地区のホームページにて『エキサイティングなバトル』との見出し記事で、無料動画サイトへのURLが貼られていたので飛んでみた。

 見てみると、智和がハワード達との格闘が動画にされていた。ブライアンの乱入までバッチリと。

「あー、撮られたのね」

「このホームページは誰でも見れるのか?」

「ええ。関係者以外でも。IMI関係者なら大概見てるんじゃないかしら」

「最悪だ。長谷川に何を言われることやら」

 休養としてアメリカに来ているのに、これでは日本とやっていることが一緒だと嘆く。日本に戻って、動画を見た同級生や先輩に何かと言われることを想像すると、一気に帰りたくなくなってしまった。

 帰国した後を考えていると、ブライアンに世話するよう頼まれた。智和はクリスティーナに手を引かれる形で、渋々椅子から立ち上がる。弟と妹達に挨拶し、無理をしない程度にボール遊びをした。

 時間が経ち、沙織と小百合が作っていた料理が完成した。更には父親達がビールを飲みながら何度も辛味の強いソースを塗り、手間暇かけて牛肉を焼きあげていた。ここにきて、ようやくアメリカらしい食事をしたと智和は思った。

 そんな調子が夜まで続く。父親達が飲んだアルコールの空瓶が増えていく。智和、ブライアンもビールを数本飲んだ。

 満足して、シャワーを浴びて寝る準備に。トレヴァーとカーラは家へ。五つあるテントのうち、三つは三家族の両親が、一つはクリスティーナの弟と妹に小百合が、もう一つは智和、ブライアン、クリスティーナで別れる。別れるとはいえ、近くで眠るのでなにも問題はない。

 テントは充分な広さで、三人寝てもまだ余裕がある。クリスティーナが真ん中で寝て、左右に智和とブライアンが寝る。

「あー、楽しかった」

「ティナの弟と妹達は元気だな。はしゃぎ回る」

「レナードはどうだった?」

「疲れた。だけど良かったよ。レナードと呼ばれるのも久しぶりだった」

 親しい者からは智和ではなくレナードと呼ばれる。スコットも呼ぶ。呼ばないのは沙織と小百合ぐらいなもので、どうやら日本名で呼ぶより英語名が呼びやすいとのことだった。

 智和はふと、気になったことがあって二人に聞いてみた。

「将来、どうする?」

 IMIを卒業した後、何の道に進むのか。

 ブライアンは自信に溢れて言う。

「陸軍に入隊する。今のままならすぐにレンジャー訓練を受けられるし、その上の訓練も受けられる可能性がある。そしてオペレーター(デルタフォース)を目指す。場合によれば、ノースカロライナ地区に編入も考える」

「ティナは?」

「私もパパのような兵士になりたいと思う。広告ポスターには載りたくない。女性での特殊部隊員は厳しいけど、SEALsへの道を考えたい」

「SEALs初の女性隊員。いいね。応援するよ」

「レナードはどうするの?」

 クリスティーナから聞かれ、智和は少し考えてから口を開いた。

「正直、どうするか決めていない」

「意外。決まってると思ってた」

「現状には満足していない。だからといって目指すものが明確とは思えない。勢いで海を渡って、学ぶことは未だに多い」

「じゃあ、アメリカには帰らないの?」

「おそらく。帰らないだろうな。二人のように軍隊を目指しているのかもわからない。何をしたいんだろうな」

「焦らなくてもいいだろ。明確に決めるのは一年先でもいい」

「ブライアンの言う通りよ。アメリカに来ないのは寂しいけれど、レナードが納得できる答えなら応援するわ」

「二人と知り合って良かった。今そう思った」

「ありがとう。さぁ、そろそろ寝ましょう」

 話を終え、クリスティーナはランタンの灯りを消した。智和は先のことに悩むことを止めて、明日に備えて眠ることにした。


――――――――――――◇――――――――――――


 陽が昇って朝を迎えた。先に目が覚めたのは沙織とスコットで、二人で朝食の準備を始めた。グリルコンロでパンやベーコンを焼き、野菜を炒めて簡単なサンドイッチを作った。匂いに誘われるように各テントから出てきて、サンドイッチと用意されたオレンジジュースやコーヒーを飲んだ。

 朝食を済ませると器材をいったん片付けた。射撃場を使う為だ。ここに来てもやることは変わりなかった。

 スコット、デイヴィッド、ダグラス。そして智和、ブライアン、クリスティーナの六名は、短パンとシャツに着替えてランニングする。ただのランニングではあるが、この六名は誰よりも負けず嫌いだと思い込んでいる六名で、自然と勝負し合って全力疾走する。

 最初は三人良い勝負だったが、後半になると体力面で劣っているクリスティーナが離される。それでも根性で智和とブライアンに着いていく。智和とブライアンは互いを見ながら全力で走り、僅差でブライアンが先にゴールした。

「くそ。脚力も父親譲りか」

「ああ、もう! 最後だなんて!」

「ティナ。着いてこれただけで充分すげぇから」

 我が子に負けず劣らず、父親三人も意地を見せていた。子供三人よりも遥か前方を走っていた。途中一気にデイヴィッドが抜けてそのまま一番に。二番はダグラス、三番はスコットだった。

「相変わらず脚の速さが尋常じゃない。何だそれ」

「……歳だな。もう速く走れない」

「俺にしちゃ、一番歳上なのに追い付きそうだったスコットが意味わからねぇ。歳じゃねぇだろ」

 親が親なら子も同じように、常に勝ちを求めていた。

 ランニングを終えて、今度は射撃訓練をする。親が子に教えていくのだ。

 ブライアンとクリスティーナは自前の銃を持ってきていた。ジョージアIMIから出る前、バーナードから渡された書類に『地区州外銃器携帯許可証』と『地区州外銃器使用許可証』があった。これは自分が所属するIMI地区もしくは州外へ移動する場合、銃器を携帯しての公共交通機関の利用や、銃器使用が許可される。州によっては銃の規制が違う為、手っ取り早く独自の許可証を認可させたのだ。

 各自、射撃をしてアドバイスを貰っているのに対し、智和とスコットは少し違っていた。射撃場から借りたM4A1ライフルやコルトガバメント拳銃を黙々と撃ち、スコットは後ろで見ているだけ。ほんの僅かに注意するだけで、特に言うことはしなかった。

 スコットとはこういう男だ。口数が極端に少ない。必要なことしか話さない。智和もあまり会話しないことは幼い頃から知っていた。

「レナード」

 一マガジン撃ち尽くして交換しようとした際、呼ばれて手を止めた。

「今までなにもできなかった。誕生日も祝えなかった」

「何だ、いきなり」

 突然何を言い出すのかと、気味悪がって振り返った。スコットは真剣な表情のままだった。

「直接渡せば良かったんだが、問題があると思って日本に送っておいた。多分、気に入るとは思う。

 改めて、よく戻ってきた。顔を見れて、成長している所も見れて良かった」

 改まってそんなことを真面目に言われ、「ああ」と返した智和は気恥ずかしくなって顔を戻した。監視カメラと言われるような父親だから、余計に。

 マガジンを交換して拳銃を構える。今思えば、スコットとの会話はこのようなことでしか話していない。ネット通話はしない。メールもしない。話したのはジョージア地区にいた時だ。更にスコットの長期任務などを考えると、長い間会っていなかった。

 日本に発つ際、色々と準備をしてくれたのはスコットだった。小百合の旧姓を使って日本名を名乗ることもスコットの提案である。

 そこまでしてもらい、智和はなにもしていない。まだ父親は超えられない。超えたいが、寡黙なその背中は簡単には許さなかった。

 考えながら撃っていると携帯電話に着信がきた。確認すると長谷川からだ。わざわざ掛けてきたということは何かあったと考えるべきであり、知らず知らずのうちに目付きが変わっていた。拳銃を置いて、射撃場から離れて電話に出る。それを見ていたスコットはなにも言わず、遠くから見ていた沙織と小百合が心配そうに見つめる。

「もしもし」

『私だ。帰郷中、本当にすまない。すぐに日本へ帰国してくれ』

 特別、驚くことはなかった。

「何かあったんだな」

『ああ。電話では話したくない。詳細はお前のiPadに送信する。居場所はお前の恩師から聞いた。ノースカロライナでいいな?』

「バーナードか。ああ、合ってる」

『アメリカIMIノースカロライナ地区に行って、専用機で帰国してくれ。手筈は整えている。Mr.バーナードには無理をしてもらった』

「すぐに戻る」

『……すまないな。家族と過ごす時間を奪ってしまって』

「かまわない。それに、充分な時間を貰った。すぐに行く」

 長谷川から連絡を受けた後の行動は早かった。家族に事情を説明し、帰国することを告げた。突然のことに動揺していたが、最終的には理解してくれた。

 荷物を纏め、トレヴァーやカーラ、ブライアンとクリスティーナの家族に別れの挨拶をしてIMIノースカロライナ地区へ。ブライアンとクリスティーナ、智和の家族と一緒に。

 ノースカロライナ地区IMIは、ファイエットビルのフォートブラッグに隣接されている。規模は小さいものの、その重要性は高く秘匿されていることも多い。アメリカIMIの代表がノースカロライナ地区なのだ。

 出入口ゲートの警備委運に転手のスコットが自分の身元と智和の事情を説明し、智和も学生証を手渡す。警備員は快く通し、関係者の通行も許可してくれた。警備員の指示に従い後を着いていくと滑走路に到着した。滑走路には既に小型ジェット機が用意されている。

 車を降り、智和は改めて別れの挨拶をする。ブライアン、クリスティーナは笑顔で、沙織と小百合は心配そうな表情で。スコットは相変わらずの無表情だったが、息子を信じていることに変わりない。

「また戻る。今度はちゃんと休みを取る」

 また来ることを約束してジェット機に乗った。離陸するまで家族と親友は見送ってくれていた。

 アメリカを離れ、iPadに送信されたデータに目を通す。そこには見たことのある名前と、一連の事件、現在までの状況が事細かに記されていた。つい前日にネットニュースで見た、貿易会社の御令嬢に関するものばかりだった。

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