故郷
遠くとも、同じ空に繋がっている。
アフガニスタンという国はなかなかに面白い。二年も過ごしてきたスコット・エヴァンズが抱いた感想はそれだ。
国土の大半が乾燥しており、夏は暑く、冬は寒い。四季があるのだ。夏になれば、民間人に紛れ込む為に生やし続けた髭が暑苦しくて邪魔になる。
しかし、そんな髭ともおさらばできる。二年の長い潜入生活もようやく終わりを迎えた。
「なにもない所だが、二年っていうのはあっという間だな」
そう言ってデイヴィッド・ブラッドリーは、薄汚れた中古のバンの荷台に人を押し込めた。スコットも同じようにもう一人を乗せる。
乗せた二人の頭には革袋が被せられていた。暴れたので、スコットは顔面を殴って大人しくさせた。
「お茶が旨かった」
「ああ。あの婆さんのだろ。なかなか良かった」
扉を閉じ、積んだことを伝える為に車を叩く。土埃をあげながらバンは路地を進み、混み合っている道へと消えていった。
「帰れるのは嬉しいが、あのお茶を飲めないのが心残りだ」
「そんなにか。俺はまったくない。早くアメリカに帰りたい。二年越しにリズを抱き締めて、熱い夜を過ごしたいんだ」
「だろうな。エリザベスもそんなだろうから、最早なにも言わん」
「そんなって何だ。失礼だな」
部屋の後始末を二人で素早く行う。余計な物はなく、任務で使用していた物は全て処分した。書類や写真、メモに至るまで、燃やせる物は燃やした。
後は少ない手荷物と、護身程度の拳銃だけを持つ。
「二年だぞ、二年。たまってるだろ」
「俺は歳なんだ。お前のように若くない」
「五つも離れてないぞ」
スコットとデイヴィッドは荷物を持ち、もぬけの殻となった部屋を出た。乗用車に乗り、狭い路地を走り出す。スコットが運転をし、助手席にデイヴィッドだ。
「長い休暇だ。久しぶりに集まろうじゃないか。ダグも休みなんだろう?」
「ああ。いいタイミングで休暇が取れたらしい」
ダグとはダグラスの略称であり、二人の仲間である。部隊は違えどその絆は固く、家族のようなものだ。
「だが、レナードはわからない」
「連絡したんだろ?」
「いいや。沙織や小百合に頼んだ」
「来れたらいいな。何年ぶりに顔を見る?」
「三年は見ていない」
「長いな」
「ああ、本当だ。何もしてやれなかった」
「大丈夫だ。プレゼントは送ったんだろ? 朴念仁のお前が一生懸命悩んで買ったんだ。気に入るさ。物が物だけに」
「そうだといい」
帰った後のことやスコットの息子のことを話していると、目的地に到着した。小さな飛行場に似つかわしくない、最新型の小型ジェット機が離陸を待っている。
「ようこそ。私の王国へ」
搭乗口で、スーツを着てサングラスをかけた男が笑顔で出迎えた。
「君達は私の客人だ。やるべきことをやり遂げた英雄だ。祝杯をあげよう」
「ビールが飲みたいね」
デイヴィッドは本気で答え、スコットは無言で機内に乗る。二人を乗せたジェット機は離陸し、いくつかの場所を経由して、彼らの故郷であるアメリカへと帰っていった。
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東京都西部の奥多摩とは、登山などにおいて東京都西部、埼玉県南西部、山梨県東部、神奈川県北西部にある秩父多摩甲斐国立公園の東側を形成する山岳地帯を表す言葉だ。その中央部に位置する雲取山と芋木ノドッケは、東京都の高峰として知られている。
高峰と言っても、登山やハイキングで登れる山だ。当然ながら準備は必要だが、健脚の持ち主なら日帰りできる。
そんな山々のルートから大きく離れた、木々が生い茂る手付かずの自然の中に、一つのテントがあった。派手な色ではなく、周囲に溶け込む色を選んでいる。
二人用の小さなテントの前で、少女がアルミ製の小さい飯ごうに入れた食事を、簡易コンロで温めていた。
十六歳の少女は日本人ではない。ドイツ人だ。絹のようなきめ細かい栗色の髪に、透き通るような白く綺麗な肌、宝石のような碧眼。日本人女子の平均を考えれば大きい身長に、スレンダーながらも鍛えられて引き締まっている体型は、並大抵の努力では得られられないものだった。
「……あっつい」
呟いて溜め息を漏らした少女――ララ・ローゼンハインは、二人分のヌードルを煮ると、フォークと一緒に持って奥へと歩いていく。
数歩の距離にあるのは、落ちていた太い木や枝、葉を利用して組み上げた小さなスペースだ。簡単な骨組みを作ってシートを覆い、また枝や葉を被せた小さなシェルターに、一人の少年が座っていた。
高い身長に、整った顔立ちからは歳の割りには似つかわしくない狼のような鋭い目付き。鍛え上げられた肉体に、淡褐色の瞳が印象的だった。
「煮れたわ」
そう言ってララは少年――神原・Leonald・智和の隣に座った。
ただでさえ狭いのに余計に狭苦しくなった。おかげで智和とララは密着するように座っているが、二人はそんなことをまったく気にしていない。
「何だ、この色。赤いぞ」
「トマト缶があったから入れてみた。どうせ同じのばっかりだと飽きるでしょう?」
「チキンラーメンに入れなくてもいいだろ。シーフードに入れろよ」
フォークと飯ごうを受け取った智和は、覗いていたスポッティングスコープから目を離してヌードルを食べ始めた。ララも同様に食べ始める。
――国際軍事教育機関(International Military an eduicational Iinstituuion)。通称、IMI。二十年前の世界テロ《7.12事件》を起こした《狂信の者達》打倒の為だけに設立された、暴力を象徴する存在。二人はそこに所属する生徒である。
二人はIMIの制服ではなく、IMIが採用している森林迷彩の戦闘服を着ている。暑くとも上着を脱がないのは虫が多い為だ。
「やっぱり、トマト入れるものじゃないわね」
「今更か」
わかりきっていた答えに智和は呆れ、スポッティングスコープを覗く。
「見ろ」
目を離して告げる。ララは体を寄せるようにして覗き、智和は後ろに仰け反るように退いてヌードルを食べる。
ララが見る視界には、小屋に数人の男達が集まって何やら作業している光景が映っている。
彼らが行っているのは抽出精製だ。それもコカインの抽出精製である。彼らの周囲にはコカインの元となる、コカノキと言うニメートルから三メートルの木樹があり、その葉からコカインを抽出している真っ最中だった。
IMIに連絡が来たのが数日前。山奥で麻薬栽培をしているという情報が本部から報告され、智和とララの二人が選ばれて任務に就いた。
「こんな山奥でよくやるわね。というか育つの?」
「育つかは微妙だな。抽出する為に山奥を選ぶのは、まぁリスクを考えれば納得できるが」
「納得しないで。どうせなら熊に喰われてしまえばいいのよ。私達の手間が省ける」
「焼かなきゃならないんだ。どのみち移動しなきゃならない」
「わかってる。言ってみただけ」
「これ食ったら行くぞ」
ヌードルを食べた二人は準備を始める。
テントから装備を取り出す。M4A1カービンにSIG SAUER P226拳銃の確認を行い、マガジンの入ったチェストリグを装着。拳銃をホルスターに納め、二人は右太股に装備する。
ライフルには光学機器や照準器などのアクセサリーが付けられている。全て二人の私物であるが、拳銃とホルスターはIMIの武器保管所と言う施設から借りてきたものだ。
カモフラージュすることもなく、二人は目的地に向かって歩き始める。真っ直ぐではなく、視界に入られないよう回り込む。到着した場所は目的地からニ十メートルもないが、木々が生い茂り、高低差もあって見下ろすようになっているので相手からは見えない。
敵の数は見た時に三人。情報では八人いると聞いており、その通りの人数がいた。警戒している敵は三人。三人共、コピー製品のライフルで武装している。他の五人は抽出作業中だ。
正直なところ、二人は拍子抜けしていた。
麻薬畑と聞いていたからどれだけ警戒されているかと思えば、たった三人の警備しかいない。それに畑の規模も小さい。あれでは家庭菜園でもしているものだと、智和は内心で呟く。
「これ、私達来る必要あった?」
「……」
「二日間も山奥で寝泊まりして?」
「やめろ。落胆させるな。俺だって思ってるさ。肋骨にヒビ入ってるのに何してるのか、自問自答したくなる」
「早く片付けましょう」
「ああ。手前の奴を狙え。奥は俺が狙う」
「もう一人は?」
「片付けた方から」
「了解」
ライフルを構え、引き金を絞る。
サプレッサーを付けていないので、銃声がよく響く。谺のように反響し、波のように周囲に広がる、その感じ。衝撃を与え、消えてなくなる儚い刹那にも思える瞬間。
ほぼ同時の射撃は、吸い込まれるように別々の男の頭を撃ち抜いた。ピンク色の血が噴き出して、二人の男が崩れ落ちる。
予想すらしていないことに残りの男達は慌てた。だが銃声が反響している為に、智和とララを見つけることは容易ではなかった。そんな時間で、二人には長過ぎる程に充分だ。
二人が武装した男を撃った。僅かに早くララが男を仕留め、智和が遅れた。残りは反撃はおろか、隠れることもせず四方へ一斉に逃げ出した。
慌てることなく、智和は左側に逃げた二人を、ララは右側に逃げた二人を狙い撃つ。狩猟ですらない。よくて鴨撃ち程度の難しさだった。
十秒も掛からず、八人の男が屍となった。銃を撃たせることも構えさせることもせず、一人も逃がすことなく、無慈悲に全員を撃ち殺した。
殺して、少し黙る。まだ何者かがいるかもしれないことを懸念したが、誰も出てこないことで情報通りだと確信する。
「私の方が早かった」
「そうみたいだな」
先に撃たれたことに智和は残念そうに溜め息を漏らす。対してララは勝ち誇ったように笑っていた。
「さっさと燃やして帰ろう」
移動して、畑からコカノキを全て引っこ抜く。最善の注意はしているが、飛び火して山火事にならないよう土を深く掘ってコカノキを入れる。抽出途中や、抽出精製されたコカインも全てだ。全てを燃やし、灰になったことを見届けて埋めた。適当に土を被せただけだ。
その後はテントに戻り、下山の準備を手早く済ませる。作ったシェルターを壊す。無線で撤収を伝える。テントを片付け、バックパックを背負う。回収地点までは銃を持ったまま移動するが、人目につかないルートを通るので問題ない。
数十分歩き、回収地点となる拓けた場所に到着。そこにIMIが所有するUH-60ブラックホークが、けたたましい爆音と共にやってきた。二人を回収し、すぐに飛び去った。
パイロットは金髪の男子生徒。二人と知り合いで、同じ部隊に所属する神埼強希だ。
「ようやく寝れる」
「シャワーも浴びれる」
「それよりもまず飯が食いたい。トマトヌードルは暫くいらないな」
「ちょっと。遠回しに私を貶してるわよね、それ!」
移動するヘリコプターの中、二人は他愛ない雑談をする。この時だけは、二人は年相応の若い反応と表情をしていた。
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《7.12事件》の被害地となったのは江東区・江戸川区・北区・足立区・墨田区・葛飾区・荒川区の九区。日本IMIが設置されたのは江東区・江戸川区の約89.0k㎡にも及ぶ区域だ。行事などの催し物がなければ関係者以外立ち入り禁止であり、敷地内に入るとなれば厳しいチェックを受けることになる。
任務を終了した智和とララは、まず自室に戻った。部隊担当教師である長谷川浩美に無線で報告した際、身なりを整えてから来るように指示された。二人を気遣った指示なのは言うまでもない。
お言葉に甘えて、部屋に戻った智和は荷物を置いてシャワーを浴びた。二日間程度、それなりに充実した装備での泊まり込みだが、汚れを落としてさっぱりしたかった。
シャワーを終えて、IMI指定の制服に着替える。黒を基調としたブレザー型の制服はまるで軍服のような威圧があるものの、今は七月なので夏服仕様だ。
半袖のワイシャツにネクタイを着け、日本IMIの上位部隊である《特殊作戦部隊》所属を示す黒いネクタイピンを着ける。黒一色なら実力を認められて所属する証であり、横に銀色の線が引かれていれば正規訓練にパスした証。智和のネクタイピンには銀の線がある。
まだ時間があったので、冷蔵庫の中にあったトーストを食べることにした。IMIの寮部屋は一人部屋か四人部屋であり、広さと部屋数に違いがあるが設備は同じだ。
オーブンでトーストを二枚焼き、マーガリンを塗って食べる。一緒にコーラも飲む。台所で立ったまま済ませ、食器を洗い、飲み干した缶を持って部屋を出た。缶は寮の一階ロビーのごみ捨てに捨てた。
普通科校舎に向かおうと寮を出れば、丁度良く女子寮からララも出てきた。
ララもシャワーを浴びて体を洗い、制服に着替えて身なりを整えている。美人なだけに服が変わるだけで雰囲気も変わる。――のだが、IMIの生徒という以上、右太股にワルサーP99拳銃を納めたホルスターを装備してしまっている。おかげでせっかくのイメージが台無しだった。
「貴方も今行くところ?」
「ああ」
二人で普通科校舎へと向かう。
寮から普通科校舎は近い。だが、それはIMIの敷地内にある施設を考えた場合、他の施設と比べれば比較的近い部類だということだ。江東区と江戸川区の二区丸々を使って専用施設を建設している為、普通の常識で考えればかなり広大である。
よって、大概の生徒は移動手段を確保している。自転車で移動する生徒がいれば、車輌や航空機の運転又は整備などを学ぶ輜重・航空科の運転免許を所有する生徒は車で移動したりもする。馬鹿馬鹿しいが、そうでもしないと面倒なのだ。
そんな面倒な道を歩いて二人がやってきたのは、自分達が所属する普通科校舎。中期・高期の生徒が戦闘全般を学ぶ校舎は、他の科の校舎に比べれば一番大きい建物である。
午後の校舎は生徒が疎らにいるものの静かだった。IMIの授業日程は午前が普通授業、午後が軍事授業となる。各科や専門ごとに別れての座学や訓練となる為、射撃施設などに集中するのだ。また、土曜日にも授業はある。
階段を上がって四階にある職員室へ。部隊担当教師を見つけて移動する。暑くて上着を脱いで腕捲りしていた部隊担当教師の女性は、二人に気付くと手を止め、向きを変えて足と腕を組んだ。
「戻ったか。智和、肋骨の調子はどうだ?」
「響く。今度からは展開部隊にやらせろ。もしくは新一に」
「それだけ文句を言えるなら大丈夫だな」
智和の言葉を簡単に受け流した教師は、元気そうだということを確認して笑みを見せた。
長谷川浩美。ショートカットの黒髪に目付きが鋭い。黒のレディスーツを身につけている為か、雰囲気も相俟って更に厳格な印象を与える。対して体型は出るところは出て、引き締まるところは引き締まっているグラマーな体型の為に、人によっては妖艶さも感じ取れるかもしれない。
強気。勝ち気。口調。女性らしくは思えないが、黙っていれば最高の美人と言える。そんな人間が日本IMIの《特殊作戦部隊》担当責任者及び、智和達のチーム1《クロウ》の担当責任者。ならびに、高期一年A組の副担任である。
「任務は無事完了したようだな」
「ああ」
「お疲れ様。報告書は早めに提出しろ。しばらくはゆっくりできる。夏休みも近い」
「にしては、随分と忙しそうね」
ララの言葉に長谷川は「そうなんだよ」と顔をしかめる。
「展開部隊の所属訓練が延期になってな。その為のスケジュールを組み直してる」
「何で延期に?」
「“先日のこと”で影響が及んでな」
その言葉だけで、智和とララは理解したと同時に再び思い出した。
先日。IMIの諜報部隊である《諜報保安部》の生徒二名が、監視任務中に拉致された。一人は死亡し、一人は命に別状はないものの重傷で、精神状態が不安定になってしまった。
今までは秘密裏に処理していたが、今回の事件で、日本IMI初めての、任務中における死亡が公に出てしまった。
日本IMIが選択した行動――監視対象であった民間軍事企業の完全なる殲滅作戦を遂行。殺害し、拉致して拷問した人間も海に捨てた。
殲滅作戦はテロリスト制圧という名目で処理はされたが、都市部における銃撃戦は日本政府や世論とマスコミを敵に回した結果となった。今でもIMI反対派が正面入口前でデモを起こし、テレビではIMI必要論やらが繰り返し放送されている。
とはいえ、実行した本人達は何一つ後悔していない。仲間を傷つけられ、殺されたのだから。それが当たり前のことだと思っていたのだから気にしてはいない。
ただ、死んだ生徒とIMI敷地内の精神治療施設に入所した生徒が、毎日のように他愛ないことで遊んでいたグループの一員だということを思い出すと、胸が締め付けられる感覚を覚えた。
「佐々木彩夏が死亡してしまったこともそうだが、祖父母も死んでしまったことが大きい。マスコミの格好の餌だ」
「毎日飽きないものね。まぁ、そこは世界共通といったところかしら」
「その為に所属訓練を延期にする。夏休み期間は二ヶ月だからいいが、後半に実施するとなれば一から練り直さねばならん。また会議もある。おかげで疲れがとれない」
「長谷川は女子担当の責任者だったか、そういえば」
「そうだ。それと二人にも補助員をやってもらうぞ。林先生から推薦されている」
「聞いてない」
「言っていない。今言った」
酷いことを言われ、二人はあからさまに顔をしかめる。
「だからゆっくりしていろ。会議にも出てもらわなきゃならなくなるから、忙しくなるぞ」
「相変わらず酷い教師だ」
「昔から知っていただろうに。ほら、さっさと報告書を作成して提出しろ」
「わかったよ」
「それと智和、保管所から借りた銃は壊してないだろうな?」
「壊してねぇよ」
壊し癖のあることは智和本人も理解しているが、何人も同じことを聞かれると嫌になってきた。職員室の去り際、少し声を荒くして出ていく。ララは少し礼をしてから出た。
それを見て長谷川は「まったく」と溜め息を漏らし、作成途中の書類に手を伸ばした。
再開しようとした矢先、内線電話に着信が入る。正面出入口の警備室からの着信で、デモ隊がまたなにかやらかしたと考えて苛立ちを感じながら受話器を取った。
「高期IMI担当の長谷川だ」
『正面出入口警備室の野中です。ご苦労様です』
「またデモ隊が何かやったのか?」
『いえ。ちょっと確認したくて連絡しました』
予想に反した内容に安堵しながらも、わざわざ確認する必要があることに疑問も感じた。
「何だ?」
『先程、一人の女性がIMIの通行許可証を持ってきたんです』
「だったら通してやればいい。問題ない」
『そうなんですが……その許可証、日本IMIから発行されたものではなくて』
「は? じゃあどこが発行した?」
『アメリカIMIジョージア地区から申請されて、ノースカロライナ地区を経由してIMI本部へ。IMI本部はそれを承諾したらしく、許可証にはジョージア地区、ノースカロライナ地区、IMI本部の承諾サインがあります。
これだけ揃っていれば通行させるんですが、今までなかったことだったので確認を、と。長谷川先生は何か聞いていますか?』
「……いや。知っているどころか、私もそんな仰々しいことは初めて聞くんだが」
原則として関係者以外立ち入り禁止となっているIMIだが、通行許可証が発行されればIMI敷地内に入ることができる。
一番早く確実な方法が、入りたいIMIの関係者から話を通してもらい、簡易的な許可証を発行してもらうことだ。敷地内にいる時間や行ける場所はかなり限定されるが、一番の利点は早く安心に発行できることにある。
身内にIMIの関係者がいれば、事前に話を通してさえいれば簡単に通行できる。当日でも問題はない。警備室の係員に名前と目的を言って、話が通っていればランクの低い通行許可証のカードを渡す。もし話が通っていなくとも、係員は連絡する義務がある為に必ず確認する。
大抵の場合は話は通っており、問題なくスムーズに通行できる。話が通ってなくとも、確認がとれれば指名した関係者を呼んで再確認し、合致すれば通行許可証が発行される。
他の方法としては、事前にIMIへ連絡し、必要書類を送る方法がある。これは送る場所によっては時間が掛かり、また厳正に審査される為、問題ありと見なされると通行不許可の返事が出されることもある。チェックが厳しい分、敷地内の滞在時間や移動場所の制限も緩和される。
連絡の事例としては、後者の部類だと長谷川は考える。だが、日本IMIに入る為にわざわざジョージア地区、ノースカロライナ地区、本部の三つから承諾を得るなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。手間が掛かり過ぎている。
「その女性はIMIの関係者か?」
『いいえ』
「では身内にIMIの関係者が?」
『それが、提示してもらったパスポートの名前で検索しても、日本IMIの身内にはヒットしないです』
生徒や教師がIMIに所属する際、必ず家族構成を記した書類を提出する。これにより身内を判別し、簡易許可証を発行する際に生徒及び教師の身内だと確認できるのだ。
「検索に引っ掛からないとなればその人の勘違いか、こっちの不手際のどちらか、だな。女性の通行目的は?」
『身内との面会です。智和と』
「智和? あいつに?」
『はい。綺麗な人ですよ』
「ふぅん。…………ん?」
智和はいつの間に会いに来させるような女を作ったのか、と思いながら、ふと警備員の野中が言った言葉を思い出した。
「パスポートを出したのか?」
『はい』
「海外旅行者ということか?」
『その様です。アメリカのサンノゼから』
「ちょっと待て」
アメリカのサンノゼからの海外旅行者。身内である智和との面会希望。
長谷川はデスクトップパソコンを操作し、生徒の個人情報を閲覧。智和のページを開き、家族構成を確認する。
「名前は?」
『神原サユリ。小さいに花の百合で、小百合です』
「今そっちに行く。パスポートは返していい。それと、もう一つパスポート持ってないか聞け」
『はい?』
間抜けな返事を聞く前に長谷川は受話器を置き、ハイヒールだろうが器用に走って職員室を出ていった。
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職員室を出た智和とララは寮に戻った。昼食は既に済ませて――チキンラーメンのトマト煮込みはあまり口に合わなかったが――いたので、食堂には行かなかった。
ララと別れ、智和は部屋へ戻る。荷物を片付け、M4A1ライフルと拳銃の掃除と整備を行う。ベンチメイドのナイフも手入れする。衣服の洗濯もして、片付けが一段落したのでもう一本コーラを飲む。
二口飲んで、そのまま寝室へと向かう。寝室にはデスクトップパソコンを置いた机と、銃の整備や作業用の机の二種類が壁と向き合っており、パソコンが置いてある机についた。
任務の報告書を仕上げなければならない。ゆっくりするのはそれからだった。
電源を入れる。すると無料インターネット電話のアイコンに、アメリカにいる家族から二回の着信が入っていた。任務中だったが、時差を考えると少し申し訳ない気持ちになった。
次にメールアイコンを開くと、メールが何通か届いていた。ミリタリーサイト関係のメールや、銃器会社に注文した部品の発送状況確認メールなど。いかにも智和らしいメールばかりだった。
その中でも、家族からメールがきていた。姉からだ。
「……何かあったのか?」
コーラを飲んだ時、携帯電話が鳴った。相手は長谷川だ。特に気にせず電話に出た。
「報告書は今からだぞ」
『そんなことはどうでもいい。今すぐ正面出入口に来い』
「デモ隊の相手は警備員に任せてろ」
『違う。お前に面会だ。早く来い』
「わかった」
長谷川の要求に溜め息を漏らすが、承諾して電話を切る。面会など予定はなく、相手もいないので不思議に思いながらも、コーラを置いてさっさと部屋を出た。
同じようにエレベーターで一階に降り、ロビーを抜けて寮を出る。管理人は特に気にする素振りは見せなかった。
正面出入口までは距離がある。その間、面会相手について考えてみた。
智和の外の交流関係については、多くはないがいないという訳でもない。かといって、わざわざIMIに足を運んで面会を申し込むような相手は、考えた限りでは少なくともいない。
まったく検討がつかず、首を捻るばかりだった。
考えていると、いつの間にか正面出入口に着いた。
片側二車両、計四台分の通行スペースを上下式のゲートが封鎖している。向かい合うように警備室が設けられ、ライフルやショットガンで武装した警備員によって守られている。現在はデモ隊がIMIの周囲を回っており、時々叫び声が聞こえていた。
「やっと来たか」
警備室から長谷川が出てきた。暑いので、冷房のある中に避難していたのだろうと思えた。
「面会って、誰が?」
「あの人だ」
長谷川が顔を向けた方向を見る。警備員二人と、麦わら帽子を被っている女性が一人。キャリーケースを引いていた。
女性が気付いて顔を向けて微笑みかける。
「…………あ?」
どこかで見たような感覚ではない。ここにいる筈ではない驚きが智和に生まれ、よく目を凝らして女性を見る。長谷川は何が面白いのか笑いを堪えていた。
身長は低いが、履いているハイヒールサンダルで少しでも高くしようとしていた。すらりとしているが胸も程よい大きさを持っている。ホットパンツ、黒のキャミソールの上に首の開いた白いTシャツを着こなしていた。
セミロングの黒髪はさらりとしていて、母親似の柔らかい顔立ちを印象づける。それが微笑みによって更に強調されていた。
「久しぶり、智和。元気にしてた?」
女性が話しかけてきたことで、智和はようやく理解した。何でここにいるのかわからないが、とにかく目の前には“実の姉”がいることを。
「なにやってるんだ。姉さん」
動揺を隠しきれないまま、智和は姉の小百合に言葉を放った。
「来ちゃった」
「来ちゃった、じゃねぇよ。いきなり何の用事で来てるんだよ。というか大学もどうした?」
「あ、この麦わら帽子どうかな? こっち来た時に見つけて買ったの。似合ってる?」
「質問に質問で返すな」
「ぷっ、あはははははは!」
二人のやり取りを見ていた長谷川は、堪えていた笑いを我慢できずに声に出した。警備員も面白がっている者がいれば、苦笑している者もいる。
「お前とはまったく似てないな」
「性格が母親似だ。天然というか、マイペース過ぎる」
「酷いなぁ。久しぶりの会話がそれなんて」
「だったら質問に答えてくれ。何してる」
「智和に会いに来たの」
「だから、その理由を聞いてるんだろうが」
なかなか話が進まないことに苛立ちを覚えた。任務をした直後で疲れており、充分に寝ていないせいなのだが。
見かねた長谷川が智和を宥める。
「まぁ気を荒くするな。おい、本人確認はできたんだ。通せ」
警備員はゲートを開け、小百合がIMIの敷地内に入る。渡された通行許可証はカードで、ホルダーに入れられている。警備員になくさないよう念を押されて、頷いた小百合は首から下げた。
その通行許可証は簡易許可証ではなく、許される限りの規制が緩和された上位の許可証であったことを智和は見逃さなかった。
「IMI本部に書類申請してたのか?」
「加えてジョージア地区とノースカロライナ地区からのサインもあった。国外IMIからの了承だとしても充分過ぎる」
「ジョージア地区とノースカロライナ地区? どういうことだ?」
智和の問いに、今度こそ小百合は答える。
「ティナちゃんにやってもらったの」
「ティナ? まさかクリスティーナが?」
クリスティーナとは、智和がまだアメリカにいてIMIジョージア地区に所属していた時期――いや、それよりも古い幼馴染みだ。もう一人の男の子を含め、いつも三人だった。
父親達が仕事仲間で、家族のように接していた。
アメリカを離れてからは、まったく連絡はとっていない。数年前のIMI派遣部隊にて、男の子の方とは中東で会っていた。クリスティーナとは会っていない。
正直、忘れていたと思っていた。だが彼女は覚えている。今でも家族ぐるみの付き合いをしていたことを知り、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「IMIって厳しいから、確実に通れる方法でティナちゃんから申請してもらったの。ジョージア地区は智和がいたから、お世話になってたバーナード先生に頼んで」
「あのクソジジイまだ生きてるのか」
「こら。ノースカロライナ地区からは、お父さんとデイヴィッドさんから掛け合ってもらったの。知り合いにIMIの関係者がいたから。それで、また更にそこからIMI本部まで通してもらったの。凄いでしょう?」
「……いや、確かに凄いんだが」
アメリカ国内ならまだしも、わざわざ国外IMIの敷地内を通行する為だけに、二つの地区と本部から許可を得たことのはかなり大掛かりだ。それも一人に会う為だけに。
智和の正直な意見として、馬鹿だと呆れていた。
「何で止められてた? それだけ許可得れば身元保証だけで済むだろうに」
「これのせいだ」
そう言って長谷川は智和に二冊のパスポートを差し出した。
中身を確認すれば、どちらも小百合のパスポートである。
だが、違う点があった。国籍と名前だ。一つは日本国籍で名前が神原小百合。もう一つはアメリカ国籍で、名前はSayuri・Evansになっていた。
「チェックする時、間違って日本国籍のパスポート出しちゃって。登録してる智和の家族構成には、日本名で登録してないから。それで引っ掛かっちゃって」
「電話を取ったのが私で良かったな。他の先生方だと相手にされないか、怪しまれて小百合さんに迷惑をかけることになる」
「……だとしても連絡ぐらいはしろよ」
「ちゃんとしたよ」
少し怒ったように頬を膨らませ、智和の言葉に反論した。
「でも智和、気が向かないとネット通話出ないじゃない。メールもしたよ。日本に行くって」
そんなメール、と言いかけたが、先程確認したメールを思い出す。
「それ、もしかして二日前のか?」
「うん。ちゃんと見た?」
「遅ぇよ! そもそも任務中で見れねぇよ!」
「智和がネット通話出ないのが悪いじゃない! ちゃんと出てくれれば伝えられた。それなのに、時差とか考えてもまったく出ない。私やお母さんが何回かけたと思ってるの?」
思い出せない数の通話を無視していたことを、今更言っても火に油を注ぐだけなので黙ったままにした。
「そもそも、智和は気を遣い過ぎてるの。時差考えてたり、忙しいことを考えて連絡してこないし」
「いや、姉さんと母さんは実際忙しいだろ」
「それが無駄な気遣いって言うの。家族で、弟の貴方が気を遣う必要なんてないの。わかった?」
「だ、そうだぞ、弟君。何か反論は?」
「……わかった。わかったよ。スゲェ気圧されて、なんだか肋骨も痛くなってきた」
素直に非を認めた智和は溜め息を漏らす。
「それで、本当に何しに来たんだ? まさか、わざわざ顔見る為だけにそんな大袈裟なことした訳じゃないんだろ」
「うん。あのね、短い期間でいいからアメリカに帰ってこられない? 久しぶりに家族皆が揃うの。だから、智和にもできれば来てほしいの。それに、お母さんが智和に会いたがってるから」
小百合の要求に智和は頭を抱える。
確かにアメリカには、日本IMIに所属してからは帰っていない。それどころかまともに話すらしていない。この機会は良い機会ではある。
だが、話が唐突過ぎた。智和が悪いことは確かだが、急に言われても当然準備などしていない。そもそも、まだ学校は長期休みではないのだ。
「いいじゃないか。行ってこい」
悩んでいる横から、長谷川は予想外の言葉を投げてきた。
「日本IMIに来てから帰っていないし、そもそもジョージア地区に所属してからロクに家族と過ごしてないだろう。良い機会だから帰って安心させてやれ」
「授業はどうする。単位はともかく、午前の一般科目授業はまずいだろ」
「お前の成績なら一週間かそこら休んでも平気だ。なにより今は夏休み前のテスト週間だぞ。帰ってきてからテストを受けてもらえればそれでいい。
一週間から十日。ゆっくりしてくればいい。話はつけてやる。今からすぐ準備して行ってこい」
「……悪いな」
長谷川からの許可を得たことで、小百合は嬉しそうに笑う。智和は再び溜め息を漏らすが、長谷川の計らいに笑みを溢して礼を言った。
――――――――――――◇――――――――――――
準備する為、長谷川の了承を得た智和は小百合を連れて部屋に戻った。寮の管理人に説明し、特別に通してもらった。見られれば質問責めにされるのは容易に想像できたので、今が授業中で本当に良かったと安堵する。
部屋に入れて、取り合えず小百合をリビングのソファーに座らせた。
「綺麗にしてるね」
「三年も住むようになれば自然とそうなる」
洗濯機の中に入れていた戦闘服は洗い終わっていたのでリビングに干した。
クローゼットの中から、滅多に使わないキャリーケースを引っ張り出す。十日間、アメリカへ行くことになる。チケットは小百合が前以て購入していたので問題はない。
着替えに資金、IMI学生証。正直このぐらいの物しか必要ないと感じていた。武器携帯が義務付けられているものの、空港に事前報告している訳ではないし、提出書類もない。持っていくのは無理だ。資金に関しては、IMIの行事で海外IMIへ行く機会があり、前々から準備していたものがあった。ドルは充分な数があり、いざとなればIMI学生証の電子マネーでなんとかできる。
装備していたナイフを机に置き、ついでにパソコンのメールを確認する。前々から銃の部品を注文しており、その到着予定日が書かれていた。
そして最後には小百合からのメールがあった。ちゃんと日本に行くことが記されており、ネット通話に出ないことを咎められてもいた。
改めて荷物を確認。携帯電話、iPad、充電器、サングラス代わりにシューティンググラスをバッグに追加した。
服は、さすがに制服から私服へと着替えた。ジーンズとTシャツだ。
パスポートをもう一度確認する。パスポートは二つあり、片方は日本国籍で神原・レナード・智和。もう片方はアメリカ国籍でTomokazu・Leonald・Evans。日本に来る際、母親の旧姓を使ったのだ。
パスポートをバッグに入れ、キャリーケースを引いて寝室を出る。
「随分早く準備できたね」
寝室から出てきた智和を見て、小百合は驚いた表情をした。まだ五分も経っておらず、荷物の少なさも気になっていた。
「本当に大丈夫?」
「ああ」
部屋を出てロックし、エレベーターに乗って再び一階ロビーへ。人目につきたくないから非常階段で降りたかったが、小百合や小百合の荷物のことを考えると無理だった。
ロビーを横切ってそのまま外へ。入口前には一台のセダンが停車しており、すぐ横には長谷川とピアスをつけている金髪の神埼強希がいた。
「何してる」
「タクシー代わりだよ。存分に使え」
「酷ぇ言われようだな、オイ」
「さっさと荷物を積んでやれ、運転手」
長谷川の言い方に苛立ちを見せる強希は、智和と一緒に荷物をトランクに積む。
荷物を預けた小百合に、長谷川が一歩前へ出る。
「先程は失礼しました」
「いいえ。私こそ、誤解を招く事態にしてしまって申し訳ありませんでした」
「運転手は輜重・航空科の生徒で、智和と同じ部隊です。運転免許も所有しているのでご安心を。存分に使って結構です」
「迷惑を掛けてしまいますね」
「それは違います。それに、智和に帰る機会を与えていただいたことに感謝しています。あいつは色々と重要な立場ですので、夏休みには働くことになってしまうのです。ですから、こんな機会でもなければ実家に帰らない。謝るべきは私の方です。申し訳ありません」
「それも含め、全て承知したからこそ、私と母は智和を日本に送り出しました」
小百合のその言葉を聞き、長谷川は変わらぬ調子で問う。
「後悔はしていませんか? こんな場所に送ってしまった、と」
「先程も申しましたが、私達は全て承知して送り出しました。何を後悔する必要がありますか? それに――」
一度、智和に目を向ける。荷物をトランクに片付け、強希と雑談していた。
「あの子が判断したことです。私達は見守るしかありません。導くのは父の役目ですので」
笑ってみせたその表情は、長谷川に眩しさを与えた。決意に満ち、胸を張って誇れる自慢の弟だと。そう言っているようにも聞こえた。
「不粋な質問でした。申し訳ありません。長旅、お気をつけて」
「ありがとうございました」
互いに小さく頭を下げる。小百合が歩いてきたことを見て、強希が運転席に乗った。智和は後部座席の扉を開け、小百合が乗るまで待つ。
「あら、エスコートしてくれるの?」
「この程度はエスコートとは言えないだろ」
後部座席に二人が乗り、空港に向かって車が発進。
遠くなって小さくなっていく車を見送った長谷川は、これから智和の公欠申請書類を作成すべく職員室へと戻っていった。
二人を乗せた車はIMIの敷地内を通り、正面入口から出ていく。通行確認の際、警備員が小百合に謝罪した。本人はまったく気にしておらず、笑顔で手を振っていた。
IMIを出て、まっすぐ成田空港へと向かった。
成田空港に到着したのが昼過ぎ。午後一時三十七分。離陸時間は午後三時五十五分で、二時間以上時間はある。
「どうせなら喫茶店で暇でも潰せ。高い飯でも食ってろ」
「そうする」
強希の意見を適当に受け流した智和は車を降り、トランクから荷物を出す。
「運転手さん。わざわざありがとうね」
降りる直前、小百合が強希に礼を言った。
「いや、別に。長谷川に頼まれただけだ」
「それでもありがとう」
強希としては、こうも面と向かって礼を言われることが苦手だった。小百合の真面目さがそもそも合わない。
智和が運転席側に回り、強希は窓を開ける。
「いい人だ。お前以上のお人好しと見える」
「間違っちゃいない」
「そういうのは自慢していいことだ。少なくとも、お前の姉はな」
「お前の妹もな」
「あいつは素直過ぎる。まぁ、楽しんでこいよ。それで、なンか土産物くれ」
「気が向いたらな。それじゃあ」
「ああ」
別れを告げて、強希は車を走らせる。車を見送った二人は成田空港第1ターミナルへと入っていく。
先に手続きを済ませることにして四階へ。チェックインカウンターでパスポートと航空券を見せ、搭乗券を受け取る。キャリーケースも預けた。
手荷物検査とボディチェックも難なく済ませ、今度は三階の出国審査カウンターへ。パスポートと搭乗券を掲示し、パスポートに出国印が押印される。これで出国審査は完了となり、日本を出国したこととなるのだ。
搭乗までの間、まだ時間はあったのでショップで暇を潰すことにした。第1ターミナル三階にはファーストフード店やカフェはもちろん、寿司屋やレストランもありデパートのような感覚で選べる。
二人は南ウィングにあるカフェへ足を運ぶ。特に意味はなかった。メニューを見ればワインやビールもあったが、選ぶことはしなかった。
智和はコーヒー。小百合はソフトクリームを注文。商品を持って空いている席に座った。
「なぁ、今更なんだが」
コーヒーを飲んだ智和は、美味しそうにソフトクリームをほうばっていた小百合に聞いた。
「まさか姉さん、アメリカから来てすぐ帰ることになってないか?」
「うーん。まぁ、そうかな」
まるで他人事のように言ってソフトクリームを舐めるものだから、智和は呆れて溜め息も出なかった。
「前々から気付いてたが、馬鹿だろ」
「酷ーい!」
「いや、馬鹿だ。日帰りに等しいのに荷物持ってきて馬鹿だろ」
「ちゃんと買い物はしたよ。秋葉原で友達から頼まれた基板買ったり、頼まれたお土産買ったり」
「今の時代、基板なんかそっちの方が揃うだろ」
「日本に来たついでに見たの。別にいいでしょ、楽しかったんだから」
楽しいに越したことはないが、日程的に考えればなかなかのハードスケジュールに智和は言葉を失った。それを感じさせずにソフトクリームを食べる小百合を眺めて、どうでもよくなってコーヒーを飲むことにした。
コーヒーとソフトクリームを堪能した二人は、時間を見て搭乗ゲートへと向かう。係員の案内に従い、ゲートを通って搭乗する。
席はエコノミークラスの窓側二列。小百合を窓側席に座らせ、智和は通路側席に座る。
乗客全員が乗り、離陸準備が完了。シートベルト着用アナウンスが流れ、飛行機はサンフランシスコ空港へと向かう為に離陸する。
飛行機が飛び立つ瞬間、智和は静かだな、と思っていた。訓練や任務でヘリコプターなどに乗っているせいだ。チヌークと比べれば、飛行機はとても良い。
離陸して、アナウンスが再び流れる。添乗員が飲み物などを聞きに回ってきたので、智和はコーラを、小百合はコーヒーを頼んだ。
「今思えば、二人だけで飛行機乗るのは初めてね」
コーヒーを受け取った小百合の言葉で思い出す。確かに、家族で数回飛行機には乗ったことはあるが、小百合との二人だけは今回が初めてだ。頻繁に乗るものではないが、なかなか新鮮なものだった。
そもそも、そんな経験も智和がIMIに入った辺りまでだった。IMIに所属してからは、智和は家族と会うことは稀になっていったのだから。
「生活はどんな感じ? 順調?」
「ああ。姉さんは?」
「私も大丈夫。大学は大変だけど楽しいよ」
任務で疲れてはいたが、久し振りの会話の為にすぐに眠ることはしなかった。眠ってしまえばサンフランシスコ空港まですぐなので、もったいないと感じていたのだ。
――――――――――――◇――――――――――――
「えっ。智和アメリカに行ったの?」
報告書を提出しに職員室に出向いたララは、報告書を渡した際に長谷川から告げられて目を丸くした。
「何だ、その顔は。間抜け面しているぞ」
指摘されて気付き、わざとらしく咳払いしたララは気を取り直す。
「……まぁ、別にいいんじゃない? 久し振りの帰郷なら、他人が口出すことでもない」
「それに関しては私も同意見だ」
報告書を受け取った長谷川は軽く目を遠し、不備がないかを確認する。確認とは言うが、丁寧なララの報告書には間違いなどなく、事細かに任務内容も記されていた。
「そういえば」
長谷川はコーヒーを飲み、報告書からことララへと顔を向ける。
「ララ、ちょっと頼み事がある」
「私には荒事の頼みしか聞けないわよ」
「物騒だな。まぁ、聞け。ある生徒のことでの相談だ」
長谷川が相談などとは珍しく、それも生徒に対しての相談にララは意外と思う。事情があると察し、腰に手をおいて体を楽にしてから素直に聞いてみることにした
「どんな生徒?」
「中三期生の女子生徒。外人生徒だ」
「私以外にもいるのね」
「それを言うなら二重国籍の智和も外人扱いになる。その女子生徒なんだが、実戦成績の幅があり過ぎるんだ」
「幅?」
「調子の波、と言うべきか。とにかく荒い。集団における作戦行動じゃ良くて平均だ」
「ポンコツなんじゃないの」
「酷い言い方をするものだな。まぁ最初は私もそう思っていた」
「思っていた?」
「これを見ろ」
長谷川が渡したのは、女子生徒の訓練内容における書類。どんな内容かはもちろん、使用した銃器や時間、弾薬数まで事細かにに記されている。
その訓練の一つである作戦行動をシミュレーションで訓練するカリキュラムの結果を見て、ララは目を細めた。
「訓練中、馬鹿な生徒が教師の目を盗んでシミュレーションレベルをⅢからⅩの最大まで上げた。その時には八名受けており、女子生徒も受けていた。五十秒も耐えれずに七名は死亡扱いになったが、その女子生徒だけは三分九秒生き残った。
問題は、レベルⅩは《特殊作戦部隊》用の過剰想定訓練レベルだ。中三期生がどうこうできる訓練内容ではない」
シミュレーションレベルは最低Ⅰから、最高Ⅹまでの基準がある。中一期生がⅠに見合ったレベルであり、学年が上がるごとにレベルも上がる。Ⅶ以上は各部隊に対応しているのだ。
最高Ⅹレベルは、長谷川の言葉通り《特殊作戦部隊》用の仮想訓練であり、“過剰なまでの悪状況を想定した訓練内容”となっている。全てが悪い方へと向かうように、理不尽なまでの設定がされている。
《特殊作戦部隊》の一員であるララも、当然Ⅹレベルの訓練を受けた。酷い、などという簡単な感想ではない。溜め息が出るほどの訓練内容で、一つでも些細な間違いを起こせば死者が出る。終われば毎回、溜め息を漏らしていた。
中三期生となれば、適切レベルはⅢもしくはⅣ。ずば抜けているならばそれ以上だ。珍しいケースだが、そういう人間も稀にいる。
だが、長谷川が言う女子生徒は些か不可解だった。《特殊作戦部隊》用のレベルに数分でも耐えたならば、レベルⅥ以上の実力はある。しかし集団での行動訓練や内容を見る限り、酷い時は中二期生より劣る成績だ。
確かに波があり過ぎる。これではどれも信憑性はない。
「他にないの?」
「残っているものはそれだけだ。後は、自主的に成績を記録していることに頼るしかない」
「個人的な訓練成績ってこと?」
「ああ。かといって、ただの射撃訓練程度では意味はない。紙か人を撃つかの問題なんだ」
「少なくとも、その女子生徒には適性がある……と」
「ああ」
「もしかして、その女子生徒を訓練に参加させたいのかしら?」
問いを聞いて長谷川は、背凭れに深く体を預けて腕組みをした。
「三分程度だがレベルⅩの訓練についていけた。それも中三期生だ。担任教師や軍事教科担当からも良い評価は貰っている。ただ、確実性がない。その女子生徒がポンコツかどうかを確認せねば意味がない」
「それを確認しろ。私への頼み事ってそういうこと」
「ああ」
「人選ミスじゃないの?」
「お前の実力を認めてるからこそ確かめてもらいたいんだ。それに《特殊作戦部隊》の一人なら、後輩の面倒を見るのが当然になる。智和にも言うつもりだ」
「ふぅん」
誉められているのだが、長谷川の口ではあまり嬉しく思えないことに不満を見せた。
とはいえ、外人である女子生徒に少なからず興味を抱いたのは事実だった。中三期生でそれほど期待されているのなら、一度どんな人物か見てみたい、と。
「わかった。引き受ける」
「悪いな」
「ポンコツかどうかを伝えるだけでいいの?」
「長くて五日だ。訓練申込みの期限日が迫ってる」
「なにそれ。すぐじゃない」
「これでも延ばした方だ」
「はいはい。で、やり方は私が決めていいのね」
「かまわない」
「それじゃあ、シミュレーションシステムの使用許可証を書いて。人を殺せるかどうかは、あれが手っ取り早い」
「いいだろう。いつからにする?」
「今日の午後」
長谷川からシミュレーションシステムの使用許可証を貰い、女子生徒の担任へ連絡してもらった。
名前を教えて貰い、集合場所として第一屋内射撃場を指定。テストは終わっているらしいので、ララはすぐに向かうことにした。
すぐにとはいえ、任務を終えた直後だったので疲れていた。普通科校舎一階にある購買でカロリーメイトとスポーツ飲料を買う。購入に関しては学生証をクレジットカードのように提示する。
その場でカロリーメイトを食べて、スポーツ飲料を飲みながら射撃場へと向かう。
テストが終わった直後とはいえ、誰もいない道を一人で歩くのは気持ちがいいものだった。昼は過ぎているのでテストは軍事教科だろう。単純な射撃試験か、それと筆記か。ララはまだ受けていない為にわからなかったが、特に不安にはならなかった。あるとするなら、日本語を間違わないようにすることだけである。
スポーツ飲料を半分飲んだところで屋内第一射撃場へと到着。外からではあるが、生徒の姿が見えないことで使われていないと推測。女子生徒もまだ来ていないと判断して、暑い日差しの下で待つことにした。
「名前しかわからないわね」
長谷川から直接言われた訳でなく、渡された書類に記されている程度。名前と学年とクラスしかわからず、外人と言われてもパッとしない。ララからすれば日本人が外人なのだから。
仕方ない、といったふうに溜め息を漏らしたララは、長谷川に聞こうと携帯電話を取り出した時だ。
「あの……その……ララ、ローゼンハイン先輩っ、でしょうか……?」
横から声を掛けられ、携帯電話から顔を上げて振り向いた。
振り向いたが、顔が見えなかったので更に見上げた。
日本人の平均身長より若干は高いと自負しているララよりも高い身長。ヒールの高い靴を履いている訳でもなく、180cmあるかもしれない。
体つきも良く、鍛えて程よい筋肉がついている。ララより肉付きが良い。胸も大きく、ワイシャツの下から強調している。とてもではないが、中三期生の体型ではなかった。
対して顔は、年相応の幼いものだった。少し丸みがある。綺麗な緑色の瞳でくっきりと瞳孔が際立つものの、恥ずかしがっているせいか伏し目がちになっていた。髪は白に近いプラチナブロンドでショートカットにしていた。
「あ……えっと、高二期生か三期生かしら?」
「ち、違いますっ! 中三期生です、ローゼンハイン先輩の年下です、後輩ですぅ!」
慌てて否定する女子生徒に対して、ララはまだ信じられないような眼差しで、彼女の体を上から下くまなく眺める。
明らかに自分より大きい身長と胸――胸に関して、何故か自分と比較して舌打ちした――。気圧されたような感覚で、からかわれているのではないかと思うほどだ。
「貴方がイリナ・ヒルトゥネンで間違いないの?」
「は、はいっ。普通科中期三年C組のイリナ・ヒルトゥネン、です。よろしくお願いしますっ……!」
簡単な自己紹介をした女子生徒――イリナ・ヒルトゥネンは何度も頭を下げた。
「個人的なことを聞くけど出身は?」
「フ、フィンランドです。私はスウェーデン系フィンランド人で……」
「日本IMIに所属している理由は?」
「両親の仕事の都合です。電気通信機器メーカーに勤めていて、アジア地域の担当になってこっちに……」
「スマートフォンとか?」
「は、はい。日本は海外に比べてまだ普及していませんし、韓国には大手企業が競争相手ですし、中国はマーケット拡大の狙いがあるので……」
「……で、貴方は着いてきて日本IMIに所属した、と。でもフィンランドにIMIって設立されてないわよね?」
ララがそう言った途端、イリナは俯いて表情は暗くなった。
「……か、通っていたのはロシアIMIです。モスクワ地区IMI」
「ロシア? どうして?」
「祖父にロシアの軍人の知り合いがいたんです。……しょ、正直、私は行く気はなかったんです。べ、勉強して大学に行きたかったんです。でも為になるからって祖父が話をつけてしまって、紹介される形でIMIに入ってしまって……」
特に珍しい話ではない。職業軍人を通してIMIに所属させるということはよくある話だ。本人が望まないだろうが、押しに押されて所属してしまう――そういうケースがある。
だが、イリナは更に表情を暗くして、重い口を開いた。
「……ロシアIMIに入って、イジメられてたんです。小さいことはスウェーデン系フィンランド人であることから言われて……小学生の頃から体が成長してそれでもイジメられて……寮でもイジメられてました……」
「……あー。まぁ、あそこは、ね。慣れというか、酷いものは酷いからどうしようもない」
イリナの告白にララは納得しながら言葉に詰まり、溜め息を漏らす。
IMI内でのイジメも珍しいことではない。実際、ララもそうだった。集団生活をしているならば必ず起きる問題だ。
特にロシアIMIでのイジメは、軍と同じように酷いものだと聞いていた。ララが知っている限りで酷かったのは、ベッドが丸ごとトイレに置かれて、シーツや枕が便器の中に捨てられていたこと。更にそれを自分の責任にされているのだから、生徒にも担任にも問題がある。もちろん全員ではなくほんの一握りだが、悪いイメージが強く出る。
「一年経って両親の日本行きが決まって、私も着いていくことにしました。……他の学校に行くことも考えましたが、IMIの入学金や費用を考えると辞められず、一応は世話もしてくれているので日本IMIに……」
「そんなところよね。やっぱり」
イリナが送ってきた数年間を考えれば、自然に溜め息が漏れることは間違いない。ロシアIMIから逃げるように出ていき、日本IMIへとやってきた。辞めようにも辞められず、居続けることを選んだ。
これだけを考えると、イリナの人生には苦難の連続が続くとさえ思える。
「余計なことを聞いたわね」
「い、いえ……」
「早速で悪いけど、呼び出された内容は理解してる?」
「……はい。成績のことで、と」
「詳しくは中で話しましょうか」
二人は射撃場に入る。広いロビーの奥には受付カウンターがあり、そこには老人の係員がラジオを聞きながら新聞を読んでいた。
「おお、来たか。待っとったよ」
気付いた係員は新聞を片付ける。ララは向かい合うなり許可証を提出した。
「話は聞いてるでしょう」
「ああ。準備は出来てるよ」
カウンターに『係員不在』と書かれた札を出し、老人は奥の部屋へと二人を案内する。
『許可なしの立入禁止』と書かれた扉にはセキュリティが施されていた。まずは係員がカードキーをスラッシュさせ、暗証番号を打ち込めば解除される。
重い扉が開かれた先には広い空間の中心に機械と、前後左右に天井から下ろすスクリーンがあった。機械は円形のランニングマシーンのようになっている。
仮想戦闘行為シミュレーションシステム。Imagination Combat Simulation Systemから、通称ICSSと呼ばれている。使用者は専用の装備を身に付けて円形の機械に乗ることで、前後左右のスクリーンに映し出される映像を元に訓練を行うことができる。最も簡単に言うなら、FPS(一人称視点)ゲームのようなものに近い。
「どうする?」
「とにかく、やって確かめるのが一番よ」
係員の問いに即答したララは装備を確認。イリナも着いていく。
装備は訓練用に改造されたM4ライフルとM9拳銃。実物より重いが、訓練で使うならば問題はない。それとベスト。ベストには交換用のマガジンも納められている。
円形の機械は最大八つある。同時に八人まで訓練可能だ。今回は二つだけで充分。
二人がベルトの上に立つと『操作室』と書かれた部屋に係員が入る。直後、二人から15メートル程離れた位置の天井からスクリーンが、前後左右から降りてきた。スピーカーから係員の声が響く。
『どのレベルでやる?』
「ⅢからⅣをお願い」
レベルを指定すると部屋が暗くなって、まるで上映前の映画館のスタジオにいる雰囲気になった。
スクリーンに映像が映し出される。東京都を元にしているが、架空の都市部を一から作り出して映しているのだ。そのクオリティーは映画のように繊細で、立体感や距離感を感じることができる。
『都市部に武装集団が出現。無差別に市民を発砲し、殺害している。現在はデパートに立て籠り、人質を取っている。人数は八人。アサルトライフルを装備。二人は警官隊とは別に行動し、武装集団の殲滅を行え。以上』
アナウンスによって目標を指示され、ララは歩行を始める。イリナが遅れて歩行する。
歩行中、機械はさながらランニングマシンのようにベルトが動く。違うのは様々な方向に対応できることだ。それによって前後左右の移動が可能で、全力での走行も機械が読み取ってくれる。
「右に曲がって。裏から回る」
「りょ、了解」
緊張した面持ちでイリナが続く。関係者用出入口に着くと、扉が勝手に開く。ここは実際のような突入はできない。
中に入り、細い廊下を進んでいく。敵に見つかれば格好の餌だが、これはⅢからⅣレベル。中三期生から高一期生のレベル対応だ。トラップもない。順調に進んでいく。
廊下を進んで関係者用出入口を出ると、デパート一階に出た。
「イリナ。貴方が前衛をやりなさい」
「えっ!?」
「早く」
意見を言う暇なく、イリナは慌てて前に出た。ララは後ろに下がる。
別に怖じ気ついた訳ではない。ララ程の実力なら、ⅢからⅣレベルは簡単にクリアできる。突っ込んでも、だ。それこそゲームのように。
これはイリナの腕を確かめる為の訓練なのだ。ララがでしゃばる理由はなく、最低限のカバーをするつもりで後ろに下がった。
だが、ララが後ろに下がった途端、イリナの行動は遅くなってしまった。判断が遅く、構えも遅い。目先のことに集中できず、周囲に注意が散漫となる。
「キョロキョロしないで前を見なさい!」
ララの声が響き、スピーカーから銃声も響く。
前方三十メートル程。物陰に隠れていた敵の頭が撃ち抜かれ、血飛沫を撒き散らして倒れる。
ICSSの訓練で使うライフルはレーザー式だ。銃口を向け、アイアンサイトから覗いて狙いをつければ当たる。距離に対して、風や地形といった設定も変えられる。
敵も同じように設定を変更できる。武装や人数だけでなく、身形や容姿、性別、老人や子供など事細かだ。更にグラフィックはゲーム会社のクリエイターによって作られ、限りなく人間に近いキャラクターとなっている。作戦内容は兵士達が実際に実行した作戦や考案した作戦を、脚本家と共に練り上げてシナリオを作る。キャラクターの行動も兵士の体験談だけでなく、薬物中毒者や狂信者による心理状況などを、心理学者が研究して作った。
これだけの手間を掛ければ金も掛かる。莫大な費用でICSSが作られた。言わば贅沢な訓練システムである。これが日本以外にアメリカのノースカロライナ地区などのIMI指定重要地区三区に。他はヨーロッパのイギリスIMIに一つだけだ。合計でも五台しかない。
システムはIMIに提供され、その情報は世界的軍事大企業GMTC社を通し、各国の軍に提供されていく。既にシステムは確立されており、試験運用ではなく正式運用としてのトライアル段階である。
今ララが撃ったキャラクターも、本物の人間が撃たれたように倒れた。血と肉を撒き散らして、膝から崩れ落ちた。
スピーカーから声が聞こえる。敵の叫び声だ。銃声を聞きつけ、こちらに全員走ってきた。
ララは素早く壁に隠れる。イリナは遅れてしまい、敵の銃撃によってその場にあったベンチに隠れてしまった。
イリナが釘付けとなってしまい、ララは仕方なく反撃に転ずる。一階に四人、二階に三人。だいたいの位置は把握していたので、顔を出した直後にその位置を撃つ。
一瞬しか目視できなくともララには十分。寧ろ一人で戦うことに慣れている。顔を出しては撃ってすぐに隠れ、また顔を出しては撃ってすぐに隠れる。この繰り返しだけで充分だ。
「走れ!」
数が四人まで減り、イリナは反対側に走る。
後は消化不良だった。ほぼ全てをララが倒した。イリナはなにもできず、引き金を絞った数は二桁もいっていない。
デパートに立て籠った八人の敵を殲滅し、訓練は終了。映像が消え、部屋に灯りが点けられてスクリーンが天井に上がっていく。
期待外れのような気分になったララは小さく溜め息を漏らす。イリナは俯き、ライフルを下ろした。
「ちょっと待ってて」
「……はい」
ララはそう言って操作室へと向かう。力なく返事をしたイリナはその場に座り込んだ。
操作室はシステム制御のパソコンが二台。更にモニターが四台ある。狭くもなく、大人四人が入ってもまだ広いスペースとなっている。
「全然駄目じゃないか」
係員の言葉を受け流すようにマウスを奪い、イリナの成績を画面に表示させる。
成績は敵を倒した数や時間はもちろん、発砲数や心拍数、歩数までも記録される。ⅢからⅣレベルでのイリナの成績は中二期生の標準より少し低い。
これではただの落ちこぼれ生徒だ。長谷川が気にかける必要性はなく、無駄な時間を掛けているだけの徒労でしかない。
「酷いもんだな。まだ中二期生の方がいい」
隣の係員の話が煩く聞こえ、殴って口を塞いでしまおうかと考えたが思い止まる。
係員の言い分はわかる。だが長谷川が気に掛けるからこそララも気に掛け、波のある成績を見たからこそまだ結論を出せない。
《特殊作戦部隊》用の訓練レベルは、運が良くて耐えられるというものではない。“悪状況に導かれるからこそ何が良いのか瞬時に判断し、行動しなければならない”。運が良かった、まぐれで生き残るなどは決してない。
故にイリナをポンコツにさせるのは、ララにしてみればもったいなく思った。まだ確かめる方法はある。
「IMIのネットサーバーに繋がっている?」
「ああ。成績になるから記録されているよ」
繋がっているならば、イリナの過去の成績が見れる。また、IMI専用のネットに繋がっているならば、イリナが受けた任務の結果も見れる。座学や実技も全てだ。
係員を退けて椅子に座り、イリナの成績を全て引き出す。パスワードは長谷川のものを使用している為に閲覧可能だ。個人情報ではあるが、ここまできて引き下がることはしたくない。
成績が画面上に埋め尽くされる。イリナ・ヒルトゥネン。普通科目と軍事科目の座学は優秀で普通科では一位。全ての科で比べてみても五位以内に入っている。
「凄いな。典型的な事務型だ」
「……これが事務型? 中二期生時の個人任務数五十八のうち五十六の成功が? IMI正規の任務じゃ、私より彼女が上よ。数も成功率も」
「ランク低いだろ」
「確かに中二期生が受けられるランクは低い。だけど中には危険な任務も含まれてる。去年のデパート人質立て籠り事件に偶然居合わせて、そのまま一人で解決してしまっている」
「嘘だろ?」
「適正がなきゃ銃撃戦なんてできないわ。適正なしでIMIを卒業する人間が何人いると思ってるのよ」
適正とは、危険な任務に対応できるか否かの判断だ。簡単な任務でも、時と場合によっては銃撃戦に発展することがよくある。だから中一期生にはボランティア活動しかさせず、中二期生から任務をさせる。
任務をさせる時に、適正があるかないかで区別するのだ。適正があれば戦闘行動への参加が許可され、適正がなければボランティア活動だけである。これは中期生だろうが高期生だろうが関係はない。
適正の確認はICSSの訓練によって行う。レベルに応じてランク分けがされ、危険な任務への参加が許可される。
つまりICSSの訓練を端的に言うなれば、“人を殺せるか殺せないかの確認”である。
銃を握る以上、撃つ覚悟と撃たれる覚悟が必要だ。殺す、殺される覚悟を持つことがいいのだが、中期生にはそこまで高望みはしない。長谷川が口にした紙を撃つか人を撃つかの問題とは、殺せるか殺せないかの問題でもある。
デパート立て籠り事件では、五人の武装した敵が映画館を襲撃して館内に立て籠った。イリナは一人で訪れていたと記録されており、そのまま解決してしまっている。
敵の武装内容はコピー製品のマカロフ拳銃。拳銃は暴力団を通じて入手していた。敵の身元は無職や暴力団員の関係者。資金に困り、計画性のない突発的な素人の行動。
とはいえ、イリナは武器を携帯していなかった。力で負ける男が五人もいた。それなのに彼女は拳銃を奪い、一名死亡、四名を重軽傷にした。人質がいる状況下で、敵以外を傷つけることなく。
立て籠り事件にしろ、ICSSの訓練にしろ、イリナは成果を出している。適正はあるのだ。波が激し過ぎる理由がどこかにある。
改めて成績を確認する。訓練や任務の内容、人数、時間、武装も全て。
そこでようやく、イリナの異常な結果を残しているのが一人だった時ということに気が付いた。デパート立て籠り事件では休日で、一人で映画館に訪れていた。任務も個人だけで遂行した際、必ず成功し、良い評価を貰っている。失敗している任務は全て集団行動しての任務だった。
「……そういえば、生徒が操作室に入ったって聞いたのだけど、教師や係員はいなかったの?」
「ああ。あの馬鹿共か。儂は受付カウンターにいた。担当教師は訓練スペースにいたよ」
「誰も操作してなかった、と」
「いいや。システムを起動してある程度設定すれば、リモコンで訓練開始や終了、簡単な設定変更もできる。まぁ、操作室のパソコンを使われれば意味はなくなる。まだ中期生で確認しながらの訓練だったから、仕方なくリモコンで操作してたんだろう」
リモコンで操作できると知り、イリナの実力を試す機会はそれしかないと考える。
「リモコンは訓練室以外でも使える?」
「一応は。リモコンと言ってもタッチパネル式の小型タブレットだ。掌サイズの」
「貸して」
係員が机の片隅に置かれていたタッチパネル式の小型タブレットを、コードを抜いてララに渡す。それをララはスカートのポケットに入れた。
「おい」
「訓練室に監視カメラは?」
「ある。ちゃんと返すんだろうな?」
「返すわよ。訓練室を出て監視室に行く」
「あの生徒は?」
「確かめる機会はこれしかない。ポンコツかどうか見極めるラストチャンス」
立ち上がり、二人は操作室を出る。扉が開かれるとイリナが顔を向けた。酷く不安そうな表情だ。
「休憩してからもう一度やりましょう。飲み物を取ってくるから、貴方はここで待ってて」
「は、はい……」
立ち上がりかけたイリナは再び座る。彼女を残して二人は訓練室を出る。自販機には向かわず、そのまま監視室へと直行した。
「無駄だと思うんだが」
「確かめるのに無駄もなにもないわ」
タブレットの画面をタッチして訓練内容を設定。都市戦闘として、まずはレベルⅢから開始。
果たして本物か偽物か。イリナを見極めるように、『訓練開始』を押したララは訓練室を映すモニターを睨み付ける。
――――――――――――◇――――――――――――
また、やってしまった――。深い失意の中、イリナは体育座りで俯いていた。
ふと、IMIに所属した当時を思い出す。ロシアのモスクワ地区IMI。小学四年生になってすぐ所属した。
その頃から既にイリナの成長は著しく、体型は小学生ではなかった。170cmを超え、胸の膨らみもDカップになっていた。
おかげで周囲からは奇妙な目で見られていた。体のことでからかわれ、目立ちたくもないのに目立ってはイジメられ、休まる筈の寮でも休むことはなかった。
庇ってくれた人もいた。だが、その人にも迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「もう関わらないで」とイリナから離れていった。その人は悲しそうな目をしていたのをよく覚えている。
そんなことがあって、イリナは周囲が恐くなってしまった。いつも奇怪な目で見られているようで気になり、周囲の人には余計な気を遣って自分が駄目になっていく。
IMIに入ってからロクなことがない。積極的に任務をしているのは、ただ高期の単位取得の為だ。個人任務を探して選んでいる。
普通にいたいのに、IMIに入っているせいか普通になれない。前だってデパートでの事件のせいもあり、イリナは酷く周囲を避けていた。何を言われるか怖かった。教室で過ごすなんて授業中しかない。
本当に、自分が嫌になってきてイリナは泣きそうになった。今ではFカップある胸なんて重く、邪魔で、肩が凝る邪魔な物としか思えない。身長と体重も恵まれていると聞いたが、もっと小さい方が目立たなくて良い。お金が貯まったら整形手術で身長を低くして、胸の脂肪を切除してもらおうかと、本気で考えることもある。それほどに嫌なのだ。
今回の呼び出しも、正直に言うと行きたくなかった。行ってもまた失敗するだけと、最初から諦めていた。
本当に嫌になる。
「…………あれ」
泣きそうになっていると、再びスクリーンが下がってきた。照明も消えて部屋全体が暗くなる。
『建物内にテロリストが潜伏している。数は不明。テロに使用される爆弾を発見し、テロリストを殲滅せよ』
簡単な状況説明がスピーカーから流れる。スクリーンに情景が映し出され、訓練が開始されるのを待っている。
操作室には誰もいない。リモコン操作できることは授業で知っているが、部屋を出てまで操作できるかは知らない。そもそも何の意味があるのかすらわからない。
特に何も言われていない。休憩中なのだ。このまま何もせずじっと待っている方がいいかもしれない。これも何かのテストなのかもしれないが、する必要はどこにもないのだ。
……だが、イリナは立ち上がって機械の上に乗り、ライフルを構えた。訓練が開始され、ビルの内部が映し出される。
どうせ、やることもなかった。休憩中だ。誰も見ていない。リモコンを持っているようには見えなかったので、システムに不具合が出たのだろう。だったら気晴らしにやってみよう――そんな軽い気持ちで、訓練を開始した。
ビルの内部は詳細不明。階数もわからなかった。一部屋ずつしらみ潰しに探していくしかなかった。
三部屋目に敵と遭遇した。二人。入口に背を向けて何やら作業している。話している言葉はアラビア語のようだが、訛りが酷くて何を話しているのかわからない。
その二人を見てイリナはライフルの銃口を頭に向け、“躊躇なく、引き金を絞った”。
連続して響く銃声。一人を撃ち、反射的に振り向いた男の額を撃ち抜いた。血飛沫が舞い、部屋を汚す。
怒号が聞こえ、銃声を聞いて敵がやって来ると理解したイリナは部屋を出て前へ進む。セミオートのままライフルを構え、飛び出してきた敵を撃ち抜いた。
狭い廊下では圧倒的に不利の為、走って前を目指す。後退しても階段はない。追い詰められるだけだ。それなら敵を倒して前へ出る方がいい。これは訓練で、殲滅が目標なのだから。
撃ち続けてマガジンが空になった。マガジンを交換せず、拳銃に持ち変えて角を曲がる。案の定、敵がまだいた。一人だけだ。反撃などさせず、一つを使いきるつもりで引き金を絞り続けた。
血塗れになった敵が倒れ、ようやくマガジンを交換する。階段があり、上に続く階段しかないことを見るに一階だと判断。ならば手当たり次第に探すしかないと溜め息が漏れるが、それはそれで楽になれると思った。
単純なこと程、考えなくていい。一人の方が気楽でいい。とても動きやすく、誰も見ていない。敵を殺していって、清々しい気分にさえなっていった。
階段を上がり二階へ。三階もあるようだが、まずはこの階にいる敵を殲滅する。
ビル内は単純な構造で、まるでアパートのようだった。いや、イリナがビルと思っているだけでもしかしたらアパートかもしれない。
部屋に入り、人の気配を感じて銃口を向ける。だが、そこにいたのは銃を構えた凶暴なテロリストではなく、今から食事をしようとしていた家族がいた。
「…………あ、えっと」
まさかの出来事にイリナは戸惑った。そこへ家族の悲鳴が部屋内に響く。子供が泣き叫び、母親が宥め、父親が怒り狂っている。言葉がわからないものだから余計に混乱する。
「えっと、えっと……!」
アラビア語は話せない。話せたとしても、これはシステムなのだから言葉に応じて反応するかはわからない。
とりあえず銃口を子供から父親に変えた。ゆっくり後退り、部屋を出た。
「びっくりした……」
初めてあんなものを見て、イリナは思わず言葉を放つ。ICSSでの訓練は数回あるが、あんなシーンは見たことがなかった。
戦闘以外のシーンもあるのかと感心しながら、待ち伏せをしていた敵に銃弾を浴びせる。部屋に入り、隣の部屋に行ける小さな穴を見つけたので通り抜ける。通り抜け、敵を後ろから撃ち殺した。
まだ爆弾を見つけてはおらず、テロリストも殲滅していない。もしかしたら先程の家族もテロリストなのではと考えると、今から戻って殺そうかと考えた。結局戻らず、前を進むことにした。
――――――――――――◇――――――――――――
想像通り――いや、想像以上の結果にララは自然と笑みを浮かべていた。
一人だけにさせての訓練をさせてみれば、こうも上手くできる。既にレベルはⅥからⅦに上げた。行動が速い。反応も良い。これだけできれば文句なしどころか称賛される。レベルⅦまで対応できるなら、所属訓練への資格がある。
「凄いな、こりゃ」
「でしょう」
自分でやっている訳ではないのに、係員が目を丸くしているのが嬉しくてつい自慢気に返した。
ともかく、イリナは適性がある。それも想像以上の期待をかけられる程に。
彼女の波がある理由は、ある程度理解したつもりだった。それはララも経験していたことであり、一種の似た者同士ということ。だが、似た者同士ではあるが、それは表面だけ。中身は全くの正反対だということ。
口にする必要はない。今はイリナがどこまでやれるのか確かめたい好奇心で満たされ、タブレットの画面をタッチする。訓練レベルをⅦからⅩへと一気に上げて、監視映像で様子を見守った。
――――――――――――◇――――――――――――
強くなる違和感にイリナは首を傾げたくなるが、そんな余裕はない為に画面を見続け、足を止めることはなかった。
シミュレーションをこなしてきたが、どうも腑に落ちない。どういう訳か難しくなっている気がするのだ。
序盤ならまだしも、それ以降は理不尽が強く主張されているように思える。
敵の挟撃、一般人を装うテロリスト、ブービートラップなど、確かに現実では当たり前のことではある。だがこれは訓練で、中期生レベルを考えると内容には含まれていないものになっている。
イリナは中期生以上のレベルはやったことがないが、訓練の内容が明らかに違うことは理解していた。そもそもレベルが違うのだから当然とさえ思っていた。
歩いていると、いきなり扉が開いた。警戒して止まっていると、部屋から女が出てきた。イリナに理解できない言葉を投げかける。
助けてと懇願しているのかと思い、一歩踏み出す。しかし女に違和感を覚える。服の下から手を出さない。体が少し丸みを帯びている。
任務目標を思い出して息を飲む。どうするか一瞬で考えると、ライフルを構え直して女の頭を撃った。
女が倒れ、そこで迷いが生じた。本当に撃って良かったのか、と。自分の考えは間違っていたのではないか、と。そう考えると急に不安になってきた。
扉が開く音が聞こえ、振り向くとララと係員が訓練室に入ってきた。ICSSを勝手に使用していたことや、見られたことでイリナはあたふたし始める。
ララは手にしていたタブレットを操作して訓練を停止させた。
「あ、あの、えっと!」
「率直に聞くけど、今のは何故撃ったのかしら?」
静かに問うララに威圧を感じたのか、イリナは怒られたように縮こまってしまった。
とはいえ、無断でICSSを使用していたことを咎められず、何故訓練のことを聞かれたのか不思議には思っていた。
「別に怒る訳じゃない。撃った理由をただ聞きたいの」
「…………あ、うぅ」
「ちゃんと貴方の口から言いなさい。でないと、貴方の為にならない。“今後の為にならない”」
全てを見透かされているような口振りで、イリナの胸に突き刺さる。余計に口ごもってしまう。
だが、このままでは駄目だとイリナ自身も理解はしている。
「…………く、訓練は爆弾の発見と、殲滅でした。建物には一般人もいました。一般人は銃声を聞いたら部屋から出ないです。で、でも、さっきの人は出てきました……。
さ、最初は、あの……助けてって思ったんですけど、手を出そうとしませんでした。服の膨らみもありましたが、えっと……顔の肉つきはなかったです。細かった……です。それと、爆弾の発見と目標にあったので、もしかしたら自爆するかと思った……ので、咄嗟に、その…………撃ちました」
聞いていた係員は唖然とした表情に。対してララは表情を変えずにタブレットを操作。映像が消え、スクリーンが上がって電気が点けられる。
「合格」
ララの言葉が意味不明で、イリナは目を丸くした。
「え?」
「合格よ。充分。上出来。文句なし」
「こんな嬢ちゃんがこれだけ言うんだ。誇っていい」
「余計なお世話よ」
「あ、あのっ! ど、ど、どどどういう意味ですか……!?」
状況が飲み込めず慌てて、今にも泣きそうな表情で問う。
ララは笑顔で口にする。
「貴方の判断で正しい。あれは撃っていい」
「で、でも訓練のレベルを考えれば……!」
「ああ。レベルね。それも大丈夫よ」
タブレットの画面を操作して画面をイリナに見せる。『訓練レベルⅩ』となっていた。
「――――へ?」
今度こそ間抜けた声を出してイリナは固まった。
「自爆行為はレベルⅧからあるけれど、確認しづらい咄嗟の行動を必要とするようなものはレベルⅩしかない。今のも私が設定したわ。正直、引っ掛かると思ったのだけど……貴方、やっぱり才能がある。適性があるかないかの問題じゃない」
今までの訓練レベルは、言葉通りララが上げていた。イリナが順調に進むものだから楽しくなってきたこともあるが、やはり長谷川の目に狂いがなかったことを証明したかった。
殺しの才能がある年下の人物を、ララは久しぶりに見た。ドイツIMI所属以来の興奮を感じていた。
「それじゃあ、さっきの結果は何だ? あまりにも違い過ぎないか?」
「それもある程度予想はついてる。多分、他人が気になり過ぎてる」
「それだけ? それだけでこれだけ違うってのは無理があると思うぞ」
「貴方にとってはそれだけでも、彼女にとっては非常に問題なのよ。特に、ロシアIMIでの経験がね」
「…………はい」
再びイリナが俯き、ライフルを強く抱き締める。
「恐いです……。他人が何て言うのか、何を見ているのかが凄く恐いです。め、目立ちたくないのに目立ってしまって、それでも無理して皆に合わせて…………そうなると、もう訳がわからなくなってしまって、ぐちゃぐちゃになってしまって……。
とにかく、他の人と関わるのが凄く、恐いんです」
他人の目があるかないか。他人にとっては些細なことでも、イリナにとってはとても重要で、尚且つ最大の問題。
ロシアIMIモスクワ地区で、イリナは酷いイジメを受けてきた。出生や体のことなど全否定された。イジメた人間がどう思っていたかわかる由はない。軽い気持ちだったかもしれないが、イリナは尊厳を傷つけられた。それは間違いない。
極度の人間不信で、他人を信用できない。かといって目立ちたくないのに目立つものだから、余計に周囲の視線が気になる。視線の次はどう思われているのかが気になる。
イリナはそれをマイナスイメージとしか考えられないのだ。イリナ自身の性格も関係しているが、これは早急に解決すべき問題であることは間違いない。
似た者同士だが、中身は違う。ララも以前は集団行動しなかった。それは邪魔だとあしらっていた。イリナは逆に気を遣い過ぎて信用できず、自分のペースが掴めない。
確かに似た者同士なのだ。そもそも、集団行動を嫌う原因となったのは二人共同じだ。イジメという方法に限ったことではない、“恐怖”による原因だ。
恐怖は簡単に人を壊す。簡単に人を殺す。そういったものは、そう簡単に乗り越えられるものではない。
「イリナ」
ララが口を開く。笑顔がすっと消えた。
「貴方を《戦闘展開部隊》の所属訓練に推薦したいと思ってる。教師もよ」
初めて知ったイリナは驚きを隠せない。こんな自分を部隊の所属訓練に、あろうことか推薦するなんて。
「貴方には二つの選択がある。
一つ目は推薦を辞退すること。別に強制ではないから当然よね。“今まで通りの生活”を送ればいい。
二つ目は推薦を受けること。これは貴方にとってはとても厳しい。貴方の性格やそれを叩き直すことになる。場合によっては辛くなる。
選びなさい、イリナ。他人を気にしながら惨めに生活するか、他人を気にしないで進むか。どっちがいい?」
イリナにとっては悩む問いかけだ。
確かに、このままでは駄目だとイリナ自身もわかっている。自分を変えたいと願っている。
だが、願いだけで変え方がわからない。他人にすら頼れない。頼りたくとも頼れない。恐ろしく感じ、一人のままが気楽でいい。
――嫌だ。
ライフルを落とし、自分を抱くように両手を肩に回す。体が震える。
――こんな自分はもう嫌だ。
他人に見られ続けることは明白だ。最早体を変えても叶わぬ望みだ。
弱い自分を変えたい。変えられるものなら変えてみたい。惨めな自分を変えたい。
「……りたい、です」
涙を流し、途切れ途切れになりながらも、初めて自分の真意を口にした。
「変わりたい、ですっ……。もうっ……こんなの嫌なんですっ……!」
消え入りそうな程に小さかったが、イリナは確かに答えを出した。変わりたいと自ら選択したのだ。それは何物にも変えられない事実である。
「それが聞きたかった」
歩み寄ったララはイリナの肩に手を置く。消えていた笑顔が再び戻っていた。
「その気持ちを忘れなければ、貴方なら変われるわ。早速だけど明日から訓練をする。テストはまだ終わっていない?」
「……普通科目が午前に。それでテストは終わります」
「夏休みに入るわね。それじゃあ明日の十三時丁度に寮のロビーで待ち合わせましょう。必要な物は後で連絡する。電話番号を教えて」
イリナは携帯電話の番号を教え、ララも自分の番号を教える。
「今日はありがとう。明日からよろしくね」
「い、いえ。こちらこそよろしくお願いしますっ」
何度も深く頭を下げてイリナは訓練室を出る。目は泣いて真っ赤に腫れていた。外に出て、もう一度腕で拭く。
咄嗟に口にはしたものの、本当に自分は変われるのか不安で堪らなかった。今からそんなことを気にする必要はないのだが、イリナは気になって仕方がない。
とはいえ、「やっぱりやめます」と今更言えない。言う度胸もない。
「…………大丈夫かなぁ」
不安になりながら寮へと戻る。同じ部屋の同居人と顔を合わせるのが、何故か物凄く億劫になっていた。
――――――――――――◇――――――――――――
「嬢ちゃん。了承させるよう誘導しただろう」
訓練室。イリナが出ていった後、係員が問いかけた。ララはライフルを拾い、収納されている棚に戻す。
「別に。そんなつもりはない」
「あの言い方じゃ、そう思われても仕方ない」
「事実を言ったまでよ。克服しなければずっと惨めに生きるだけ。もしそうだったら彼女、飛び降りでもしそうな感じよ」
「本当だとしても、嬢ちゃんの言い方はそうだった」
態度では反抗していたものの、今考えれば確かにララの言動には偏りがあった。そのままを望むより、変化を望ませた。
別に、ララは選択を与えただけだ。事実を言ったまでだ。それ故にイリナは苦難を強いられることとなった。
ララや、智和達がいる世界の国境線を踏ませたのだ。それが本当に良かったのかどうか、最早わかることはない。
「で、どうやって治すつもりで?」
「知り合いに頼む。イリナには上のレベルで数を経験させて、慣れるしかない。反射的に動くまで。目標としては、最低でも戦闘行動中はさっきの訓練のように動けるようにしたいわね」
「難儀なことだな」
「他人事だから関係ないでしょう。ほら、返すわよ」
「投げて返すな。物は大事に扱え!」
片付けを終え、ララはタブレットを係員に投げて渡す。係員は声を荒くするが、ララは聞く耳を持たずに訓練室を出て寮へと向かった。
(……昔の自分を思えば、考えすらしなかったことよね)
知り合いに頼る――。自ら孤独になった当時と比べてみれば、頼るどころか知り合いがいることすら驚く。
知り合いは、いるにはいる。だが、ドイツIMI時代で共に仕事をしていたイザベラやシャノンは、知り合いというよりはただの仕事仲間。精神カウンセリングを担当した精神科医は、自分を立ち直らせてくれた恩人という立場だと思っている。故に、ここにくるまでは知り合いなどいなかった。
知り合いの定義がどうなのかララは考えたことすらなく、ただ他人を見ていなかった。ただ、精一杯だった。
寮に戻り、エレベーターで上の階へ。扉のロックを解除しようと学生証を出した時、既に開いていることに気付いた。同居人が帰っていた。学生証を持ったまま扉を開け、部屋に入る。
リビングに入ると、タイミング良く隣の寝室から同居人が出てきた。
「あ、ララちゃんお帰り~」
甘ったるい、語尾が伸びる口調。幼さが残っているのかと思えば、体はララと同じ年代とは思えない成長をしている。イリナにひけを取らない豊かな胸に、引き締まった太股や腕に腰。腰まである黒髪をツインテールに纏め、柔らかな表情と優しい丸い目をしている少女。
ララと共に住む同居人であり、同じ部隊に所属する草薙瑠奈が笑顔で出迎えた。
「ただいま」
「任務から帰ってきてたんだね~」
「瑠奈は今帰ったようね」
「そうだよ~。後は普通科目だけのテストだけ~」
同じ部隊だが、今回の任務は智和とララ二人だけの任務だった。残りは学校に残り、夏休み前のテストを受けている。
「瑠奈、ちょっといいかしら?」
台所に向かい、冷蔵庫から飲み物を取り出した瑠奈に、先程の頼みを聞いてみることにした。
「なに~?」
「明日の午後。手を貸して欲しい」
「いいよ~」
即答は嬉しいのだが、あまり考えていないように思えてしまってララは少し困惑する。
「まだ内容言ってないのだけど」
「頼んでくれること自体がないから、ララちゃんの頼み事だったら喜んで聞くよ~」
目を輝かせる瑠奈は、わかるように世話焼きの性格だ。ララがあまり他人を頼らないことを知っており、珍しく話してくれたことが素直に嬉しい。
そんな瑠奈のことを知っていたララは溜め息を漏らすが、これ以上ない頼りがいのある返答に笑みを見せた。
「一人の中期生の為に訓練をしたい。適性もある。慣れさせれば自ずと化ける」
「ララちゃんがそこまで言うなら相当だね~。いいよ~。私でいいなら喜んでララちゃんの手を貸すよ~」
「ありがとう。あと二人くらいは呼びたいのだけど、誰か候補はいる?」
「それじゃあトモ君とメグちゃん誘ってみよ~」
瑠奈の言葉を聞いてララは、智和は実家に帰ってしまったのだと今更思い出した。
「生憎だけど、智和はいないわ。アメリカに帰った。今頃は飛行機を待ってるんじゃないかしら」
「え? …………ええぇぇ~~っ!?」
笑顔できょとんとしていた瑠奈はララの言葉を理解していくと、表情も唖然としたものに変わっていき、最終的には驚愕に変わった。
大きな声を上げてしまい、ララは思わず耳を塞ぐ。
「トモ君アメリカ行っちゃったの!?」
「ええ……私も長谷川から聞いた。姉が来て、連れ帰ったそうよ」
「トモ君アメリカ帰っちゃったのか~……」
智和がいなくなったと知るや否や、瑠奈はがっくりと肩を落として溜め息を漏らした。
「そんな落ち込まなくてもいいじゃない。何か用でもあったの?」
その問いに瑠奈は「ないけど~……」と呟く。
「……アメリカ行くなら、お土産欲しかったな~って」
「電話しなさいよ」
どうでもいいことにララは呆れて溜め息を漏らした。こういうところも瑠奈らしいが、抜けすぎるのもどうかと考え直した。
瑠奈から了承を得て、次は恵に会いに行く。心配して瑠奈も一緒に着いていく。
恵が住んでいる部屋に着いてチャイムを鳴らす。反応がなかったのでもう一度押そうとした時、スピーカーから眠たそうな声で「開いてる」と聞こえた。
遠慮せず部屋に入る。四人部屋に一人で生活しているせいか、とても広く感じる。
リビングのソファーに横たわる黒のショーツにタンクトップ姿の女性が、無気力で横になっていた。
「メグちゃん起きて~」
「起きてる」
怠そうに体を起こした女性――新井恵は呟き、小さく溜め息を漏らして頭を掻いた。
瑠奈より少し大きい身長。眠そうな半目に、髪をポニーテールのように一つ纏めている。だが恵の一番の特徴は体だ。他の女子生徒達とは明らかに筋肉の付き方が違う。時々隙間から見える筋肉が逞しい。
彼女は《特殊作戦部隊》だけでなく、日本IMIの中でも格闘能力が高い屈指の実力者だ。ララですら未だ勝てず、智和も危うい。男だろうが女だろうが恵には関係ない。
そんな強者が、下着姿で寝惚けているように呆けている。それでもまだマシな姿だ。恵は普段からこんな服装だからだ。学校や訓練では制服を着用するが、寝る時は下着姿か裸である。今はもう暑いのでなにも着ていない。
「……何の用事?」
「貴方、明日の午前でテスト終わるでしょう。良かったら私に付き合って欲しい。正確には私じゃなく、一人の中期生の訓練に」
「断る。面倒」
予想通りの即答に瑠奈は苦笑する。《特殊作戦部隊》の一員がプライベートの時間を割いてまで、何故中期生の訓練に付き合わなければならないのか。恵の考えがすぐにわかる。
智和のようなお人好し――無自覚ではあるが――ならいざ知らず、興味のないことには関心すらしない恵にとってメリットは全くない。
それでも引き下がる訳にはいかない。
「ICSSのレベルⅩで三分以上も生きていても、まだ興味ないかしら?」
ララの一言に恵は訝り、倒した体をもう一度起こして睨み付けるように顔を合わせる。
「そんな嘘は面白くない」
「嘘は言っていない。レベルⅩを三分以上も生き延びた。人間爆弾の引っ掛けもパスした。彼女は最高の原石よ」
便利だからと購入したばかりのスマートフォンでイリナの成績を表示。更には個人での任務成績も表示して恵へと渡す。
一つ一つ、真意を確かめるように吟味していく。見落とさないよう、慎重に。
「彼女は個人なら充分に結果が出せる。なのに、集団だと人並み以下となってしまう。瑠奈と一緒に彼女と訓練して、集団行動を一から教えて欲しい。高いレベルで教えれば、彼女はきっと役に立つ。私が保証するわ」
「随分と、期待してるって訳ね」
全てに目を通し、内容を理解した恵はスマートフォンを返す。
「いいわ。引き受ける。ララが期待する中期生、見てみたくなった」
「ありがとう。詳しいことはまた後で伝える」
「良かったね~。……ところで、メグちゃん」
一先ず話がついたところで、瑠奈は恐る恐る切り出してみた。
「部屋、そろそろ引っ越してみない~……?」
その言葉で三人の空気は重くなった。
恵の住んでいる部屋にはもう一人住んでいた。諜報科生徒で、諜報に長けた部隊《諜報保安部》に所属する阿部千夏。
彼女は、先日の事件で死亡した佐々木彩夏と共に拉致され、拷問された挙げ句に精神不安定となって部屋を移った。
恵と千夏は入学式から一緒で親友だった。親友が傷ついてもなにもできなかった。
「メグちゃん朝弱いから、私達と一緒なら心配なくなるでしょ~。一人だと何かしら不便だし大変で、だったら一緒に暮らした方が――」
「……ごめん。断る」
瑠奈の気遣いに感謝しながらも、恵は静かに拒否した。
「心配してくれてるのはわかってるし、ありがたく思ってる。
だけど私は部屋を移らない。移ってしまったら、今度こそ本当に千夏の帰る場所がなくなってしまう。中期生の頃の私が智和に入り浸りになってても、ずっと待っててくれた。だから今度は私が待つ。待たなきゃいけない」
全てが嫌になって智和と逃避していたあの時。千夏はずっと声をかけて心配して、待っていてくれた。
今の恵は千夏のおかげであるようなものだ。だから今度は、恵が千夏を待つ番だった。
――――――――――――◇――――――――――――
衛生科校舎の近くに第五屋内射撃場がある。その射撃場には研究室と銘打たれた場所があった。研究監視室と研究実験室の二部屋に区切られている。
監視室には、日本IMI学園長の如月隆峰と秘書の吉田千早。精神科医の藤井美紀もいて、他は衛生科教師数名が機械に向かって座っていた。
壁の一部が硝子張りにされていて、隣の研究実験室の様子が伺える。
そこにいたのは瑠奈だった。否、瑠奈と瓜二つの姿と顔を持つ少女がたっていた。つり目の少女は私服としている黒いゴシックロリータ基調の服を着ており、両手にはグロック17拳銃が握られている。更に周囲には人形のターゲットと、拳銃のマガジンやナイフ、トマホークなどの武器が無造作に置かれていた。
『何度もやっているが説明するよ。君が変なことをすれば、私は即座に有毒ガスを部屋に噴射させて君を殺す』
「わかってまぁす」
『それじゃセナ君。始めようか』
「はぁい」
瑠奈とソックリの髪型と体型の少女――セナは、気味の悪い笑みを浮かべたまま安全装置を解除した。
ブザーが鳴り、周囲のターゲットが自動で起き上がる。直後、セナの目が見開いてターゲットを撃つ。
頭や胸といった的確な射撃ではなかった。しかし今回の実験では特に重要ではなく、今までの結果を披露しているに過ぎない。もっとも、セナ本人にはそんな感覚はまったくないのだが。
次々と起き上がるターゲットを瞬間的に捉えて撃っては、すぐ別のターゲットを狙っていく。まるでゲームをしているかのように速く、的確で、“二丁拳銃などという馬鹿馬鹿しくてデタラメなやり方だ”。
八つのターゲットを撃ったところで弾が切れた。マガジンチェンジしようとしたが、“良い物”を見つけたので拳銃を放り投げるとそれに手を伸ばす。
掴んだのはトマホーク。両手に持ち、踊っているかのように華麗なステップで回り、遠心力を利用してターゲットを“破壊した”。
射撃訓練用の金属ターゲットであるにもかかわらず、セナはトマホークで一刀両断にしてしまったのだ。
「キャハッ」
楽しくて堪らず笑みがこぼれたら。年頃の乙女が恋するように、今のセナはこの瞬間に恋をした――いや、恋を、思い出した。
自分の意味であった殺戮衝動。懐かしの殺人。懐かしの暴力。それに恋い焦がれていたことを、思い出していた。
「――普段から脳にリミッターが掛けられていることはご存じですね?」
研究監視室にてセナに注意した男性衛生科教師が、如月に体を向けて口を開く。如月は「ああ」と答えた。男性教師は続ける。
「諸説ありますが、私達は普段20%の力しか使っていません。全力を出す時、それを火事場の馬鹿力という表現で発揮させています。リミッターを外す方法は幾つかあります。一つ目はシャウト(声)による解除。二つ目はイメージによる解除。三つ目は生命危機による解除です。
しかし、セナの研究をしていくうちに彼女はどれにも当てはまらない。いや、当てはまるには当てはまるのですが、どれも決定的とは言えないのです」
「と、言うと?」
「彼女は好きなタイミングでリミッターを解除できます。それも無自覚で、本能と言うべき感覚でリミッターを瞬間的に解除しては、目標を破壊してはすぐにリミッターを掛ける仕組みに近いということです。これは驚くべき事実であり、信じられない結果です。リミッターを無自覚で解除しているなんて」
「何か問題でも?」
「全力であり続ければ体の強度が持ちません。限界のまま動けば駄目なのです。だから私達は20%程の力しかないのです。
だがセナは考えもしなければ気にすることもなく、火事場の馬鹿力を出すことができます。些細な仕草をしなければならない、などではなく、唐突に、突然に発揮できます。呼吸法や自律神経、脳内麻薬といったことを無視しています。彼女は恐ろしい。無自覚で馬鹿力を発揮できる。まさに“才能と実験の最高傑作”です。ロイ・シュタイナーが作り出した甲斐がある」
ロイ・シュタイナー。かつて遺伝子医学の分野にて天才と呼ばれ、ノーベル賞候補にもなりながらも、遺伝子操作による人間の性格・容姿などを作れるかという研究を行い、追放された科学者。
彼は人間の本質を追い求め――“追い求め過ぎて”、脳を操作し、遺伝子を操作した。ロイ・シュタイナーは嫌悪するロバート・グラハムの思想を打破する為だけに、セナを作り上げた。
殺人と拷問と快楽の末、セナは己に潜む殺戮衝動を自覚し、ロイ・シュタイナーの“メモ書き”程度の存在だと認識した。
ロイ・シュタイナーを殺し、セナが今ここにいるのは、軍事大企業《GMTC》による思惑と司法手続き。そして、ロイ・シュタイナーの遺産である為の研究材料としてだった。
反発はあった。事件に当たった智和の部隊の担当である長谷川とも衝突したが、所詮は一人のIMI軍事担当教師に過ぎない。ものの見事に返り討ちにされた。
反発なら、ここにいる藤井美紀もその一人だった。
彼女は精神科医で、重度の精神障害者用の平屋にセナと共に暮らしている。
セナの殺戮衝動を、藤井は精神障害の一つだと捉えている。殺戮が人間の本能であるなどとは認めてはならないことであり、人間の本質はそんなものではない、と。
セナと関わった周囲の人間から「治療は無理だ」とよく言われる。
そんなもの、やってみなければわからない。藤井は密かに対抗心のようなものを抱きながら、セナの精神治療を献身的に行っている。
だから、目の前で行われているセナの研究には嫌悪しており、同時に、セナの楽しそうな表情を見ていると意志が揺らぐ。
“本当に、楽しそうにしているのだ”。
如月が藤井も研究に同席させたのが、セナは変わらないということを教えさせる無言の圧力を掛けるような気がして堪らない。精神疾患を治療する為に呼ばれたのに、それを疾患とさえ思わせない程に笑うセナの姿を。
藤井の気持ちなど知ることはなく、セナはトマホークでターゲットを叩き斬っていく。女子の力とは思えない怪力で、首の部分を刎ねていく。
「元々、セナの身体能力は高い。それがリミッター解除によって限界まで引き上げられる。リミッターを解除したら狂暴性も増す。これでは手がつけられない。彼女は獣だ。人の形をした肉食獣」
「獅子か豹、もしくはハイエナか。何にせよ、首輪を着けて鎖を握る飼い主がいなければならないだろう。まぁ、適役に心当たりはある」
「セナちゃんは、獣ではありません。人間です」
藤井が強い口調で言う。如月と衛生科教師の会話が不愉快で、つい口を挟んでしまった。内心で「しまった」と後悔する。
「失敬。そうだったな」
如月は静かに告げる。表情は柔らかい笑みを浮かべていたが、瞳は笑っていなかった。吉田千早の無表情も向けられて、藤井は怖くなって顔を背けた。
一刻も早くこんな部屋を出たかった。でなければ、藤井自身がおかしくなりそうで我慢ならなかった。
セナは本当は正常で、あれが当然なのだと。精神疾患は藤井の方なのだと。そう思えて堪らなく不愉快だった。
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イリナの為の具体的な訓練内容を考えていたララは作業を一時中断し、コーヒーを淹れて一休みしようと部屋を出た。
キッチンでインスタントコーヒーを淹れたララは一口飲む。安物のブラックコーヒーだが飲めれば何でも良く、特にこだわりも持っていなかった。
「まだ考えてたの~?」
瑠奈が声を掛ける。パジャマ姿で、ツインテールにしていた髪は下ろされていた。入浴直後で、まだ頬がほんのりと赤い。
「任務が終わって一日も経ってないよ~。大丈夫~?」
「平気よ」
そう言ってもう一度コーヒーを飲む。
「イリナちゃんって子のことが本当に気になるんだね~」
「ええ」
「ララがそんなに気になるなんて、やっぱり凄い子なんだね~」
「凄い……そんなのじゃない。“そんなものじゃ、ない”」
ララはイリナを思い出す。同時に、かつての自分を重ねて見てしまっていた。
孤独だった頃の自分とイリナが似ている。境遇が同じということもあるが、いずれ彼女はララのようになってしまう気がするのだ。
孤独にされて、孤独になって、求めてすらいないのに孤独に好かれる。そして一人ぼっちになる。
一人ぼっちになって自分を壊すか。それとも周囲を壊すか。ララは間違いなく後者で、イリナは間違いなく前者だ。
イリナをこのまま放ってはおけなかった。
ふと、智和ならこんな時に何て言うのか聞きたくなってみた。アメリカに行っていることを思い出して、馬鹿馬鹿しくてなって少し笑った。これは自分の問題なのだから、自分で解決しなければ意味がない。
とはいえ、気になることは事実だった。
「瑠奈」
「なに~?」
呼ばれた瑠奈は振り返る。
「お土産、注文しときましょうか」




