エピローグ
狂気の日常。それは変わらず、変わることなし。
陽が昇る前。東京湾に一隻の小型船が浮かんでいた。
その小型船は漁船ではなく、貨物船でもない。そんな小型船に乗っているのは大人と、十代の子供だった。
「せーの」
声を掛け、二つのドラム缶を海に落とす。浮き上がってはこず、二つのドラム缶は深い海底へと沈んでいった。
それもその筈。ドラム缶にはコンクリートが流し込まれている。更に言うなれば、手足の指を切り落とされ、歯を折られ、顔を潰された遺体がそれぞれ一つずつ入れられ、コンクリートを流し込んで固めている。
「見つかりますかね」
「見つかるさ」
生徒の問い掛けに教師は答える。どちらにも、罪の意識が感じられない清々しい調子だった。
「だが、当分は先になる。その頃には忘れてる。人の噂も七十五日だ」
「二ヶ月ちょっと。消すには丁度いい時間ですね」
そんな会話をして、小型船は消えていく。ドラム缶の中身は、ポール・ジャクソンとその部下だ。しかし今では、存在していない人物である。
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事件から初めての休日。IMIの生徒は普通に過ごしていた。彩夏と関係を持っていた一部の生徒も同じだったが、まだ違和感を抱いていたことは事実だ。
高期女子寮の『422』号室。そこには二人の生徒が住んでいた。新井恵と阿部千夏だ。自他共に認める仲の良さだった。
そんな二人の部屋は、綺麗に片付けられていた。千夏の荷物は既に運ばれており、既になにもない。好きだった料理道具は全て捨てた。千夏自ら拒絶した。
なにもなくなり、千夏は適当に確認して車椅子を進める。傷はまだ癒えていない。松葉杖なんて無理だった。
残った恵は、確認に来た千夏をただ見ることしかできない。二人の思い出が詰まっていた部屋で。
ストレス障害による強い恐怖感と無力感。傷の治療は表向きで、千夏が寮を去る本当の理由は精神障害とトラウマによるものだった。今のままでは諜報保安部の活動どころか、諜報科授業や一般生活にまで支障を来す。急遽、IMI本部から精神科医を呼び寄せて、千夏と共に平屋に住まわせることにしたのだ。
千夏は不安定だ。いつも無気力で瞳が死んでいる。突然何かに怯え、鎮痛剤を服用する。鎮痛剤の量が日に日に増えていくのが、恵には心配でたまらなかった。
「薬、あまり飲まない方がいい。時間がかかってもゆっくり治す方がいい」
千夏は答えない。包帯が巻かれた手で扉を開ける。
「待ってる。いつまでもここで待ってる」
恵の言葉に動きが止まる。言葉が詰まり、肩が震えた。それでもなにも言わず、“なにも言えず”、黙って部屋を出た。
沈黙が残った部屋。恵はリビングのソファーに寝転び、猫のように丸まった。
こんな時、どうすればいいのかわからない。どんな言葉をかければ良かったのかわからない。知らず知らずのうちに智和の名前を呼んでいた。
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「休日に呼び出してごめんなさい」
セナの担当である精神科医の藤井は謝って、淹れたばかりのコーヒーを並べていく。
「いえいえ~。私もセナちゃんに会いに来ましたから~」
瑠奈は相変わらず間延びした口調で、コーヒーを一口飲む。隣に座るセナも嬉しそうにしていた。
雑談もせず、藤井は本題に入る。
「前に、DNA鑑定をして欲しいと言ったわよね。本当に姉妹かどうか」
藤井の発言に、二人の様子はすぐに変わった。
「率直に言うと、貴方達は一卵性双生児の可能性が高い」
「――それって」
「双子の姉妹に限りなく近い、ということよ」
「やったぁ!!」
一番に声を上げたセナが笑顔で、床に転びそうなほどの勢いで瑠奈に抱き着く。
「お姉ちゃんと血は繋がっているんでしょ。だったらセナは妹だよ。正真正銘の姉妹だよぉ! セナは間違ってなかった。パパも間違ってなかったぁ!」
「……ええ。そうね」
瑠奈が安堵し、セナが笑っている。だが藤井は、無理をして笑みを作っていた。
ロイ・シュタイナー。彼は天才的な研究者だ。脳だけでなく遺伝子も。で、あれば、DNA鑑定が無意味に思えてくることも無理はない。
彼の最高傑作がセナなのだ。“脳と遺伝子を組み換えた最高傑作の実験作”なのだ。今更DNA鑑定しようが、意味がないのではと思えて仕方がない。
セナを治療する意思は変わらない。ただ、瑠奈とセナが本当に姉妹かどうか。それは最早、死んだロイ・シュタイナーに聞くしか真相はわからない。そのロイ・シュタイナーは、セナが殺してしまったが。
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智和とララは、相変わらず屋内射撃場にいた。何事もなかったとはいえ、智和は骨にヒビが入っている。
屋内射撃場には二人しかいない。二人はHK416ライフルをただ撃ち続けていた。確実に急所をターゲットに当てているが、どこか闇雲に撃っている感が否めない。
指定したマガジン全てを撃ち尽くし、ようやく銃声は止んだ。
「智和」
空薬莢を掃除して、ライフルの掃除をしながらララが問う。
「正面入口のデモ隊。煩いわね」
「仕方ない。あんなことがあったからどうしようもないだろ」
事件を受け、正面入口にはIMI反対派のデモ隊が毎日こぞって集まっては、拡声器越しに否定の言葉を投げ続ける。
大半の生徒は耳を貸さない。中には迷いを生じる生徒がいるが、それはほんの一瞬に過ぎない。上の人間にすれば煩わしいとさえ感じる。
「警備員と憲兵科、生徒会は難儀していると思う」
警備員だけでなく、憲兵科を含めた生徒会も正面入口に立ってデモ隊を防いでいた。彼らとて思うことはある。ましてや死人を出すなど、彼らほど望んでいないことも珍しい。
無くす為に戦っていた。それが無くしたくないものを無くし、無くしたいのに無くせなかった。
「この後、長谷川から呼ばれているのよね?」
「ああ、任務だ。千里達の予定はキャンセルだ」
「別にかまわないわ。思うところはあるけれど、数が揃うまではバスケをしておくことよ」
「お前もあしらい方がわかってきたじゃないか」
「貴方の真似をしてるのよ」
掃除し終えたライフルをケースに片付け、そのまま普通科校舎へと二人は向かう。いつもと同じように、何事もなかったかのように。
烏は蔑まなければならない。
蔑まれるから、そうなのか。
または、蔑まれる為にそうするのか。真意としては後者が望ましかった。
少年は戦いを知る。そこでしか生きられなくなる度に、戦いを知っていく。
少女は恐れる。失いたくはなく、傷つけられたくもないが故に恐れていく。
少女は救いを望む。己を捨てて救いに逝く。救って死にに逝くと理解しても。
それは願望。途方もない願望。蔑まれる程に強い願望。
――だから、烏達は蔑まれるのだ。




