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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第一部第3章
20/32

成れの果て

暴力に縋って何が悪い。

 午前九時を過ぎた頃、IMIでも少しずつ異変を察する生徒が増えてきた。二時間目の授業に入って急遽自習になり、各クラスの担任がやってきて「台風による影響」と説明して帰宅となった。

 ここまで来ると、中期生はともかく大方の高期生が気づき始めた。何かあった、と。問題が起きて寮に待機させるのだ、と。

 それに、特殊作戦部隊の面々がいないことも把握している。余程の問題だと理解した。

 IMIに二台のランドクルーザーが到着。どちらも真っ先に衛生科の病棟校舎に向かう。

 千夏は治療室へ。死体袋に入れられた彩夏は、遺体安置所に運ばれた。

 長谷川から任務完了の報告を受け、武装解除をしてからの自由行動を許可された。

 武装解除した恵は真っ先に病棟校舎に戻り、治療中の千夏の様子を見守っていた。

 他の面々も第一車庫で武装解除して部屋に戻った。次の出動があることは全員考えていたものの、すぐではない。

 確保した一人は時浦に引き渡した。情報を聞き出す為には時間が掛かるだろうし、拉致作戦担当のチームが帰ってくるまでは待つしかない。

 智和は部屋に戻ってシャワーを浴びた。十分も掛からず、私服ではなく替えの制服に着替えた。冷蔵庫からコーラの缶を取り出して、その場で立ったまま飲んだ。

 携帯電話にララから着信がきた。

『テレビ見てる?』

「見てない。何だ?」

『速報で私達のことを放送してる』

 ララに言われてテレビの電源を入れる。速報ニュースとしてIMIが新宿ビルで戦闘したこと、負傷者が出ていることを放送していた。教育番組など一部のチャンネルを除いて、『IMIの部隊がビルに突入して銃撃戦』と報道している。

 監視カメラは押さえており、野次馬の撮影も問答無用で押さえた。現場維持も別部隊が到着しており、警察に引き渡すと同時にビルを解放して引き上げた。

 問題は、IMIの独断による作戦遂行と都市部ビル内においての銃撃戦、そして負傷者が出たことだ。

 映像では職員や警備員、関係者から話を聞いていたり、現場を映したりしていた。智和達三班が突入した窓も撮影していた。

 職員が「担架に二人の女の子が乗せられて、血まみれだった」と言うと、スタジオにカメラが戻った報道関係者が、IMIから病院に連絡があったことを言う。「何故近くの病院ではなくIMIに向かったのか」と言っており、都合よく変えられていたことは相変わらずだと感心した。

「相変わらずの偏向内容で安心すら覚える」

『馬鹿言わないで』

「わざわざこんなの見せる為に電話した訳じゃないだろ」

『当たり前よ。ちょっと瑠奈がね。あまり元気ない』

 理由は簡単にわかった。彩夏を助けられなかった。

 救う為にずっと応急処置を施し、彩夏の苦痛を見て聞いていた。温もりがなくなっていくことも感じていたし、なにより自分の処置が間違っていたのか疑っているのだろう。

 希美もそうであり、瑠奈もそうだ。彼女の性格を考えれば無理もない。

『私や他からも言ったけど、貴方からも言ってあげられないかしら。できれば会って』

「今どこだ」

『食堂。皆もいる』

「すぐに行く」

 電話を切ってテレビを消し、コーラを飲み干して部屋を出た。


――――――――――◇――――――――――


 竜崎は準備を終えて寮の自室から出た。

 授業には出ず、今まで淡々と必要書類を作成していた。作成し終えた直後、時浦から作戦終了と同時に彩夏の死亡を伝えられた。

 取り乱すことも泣くこともなく、ただ冷静に話を聞いて受け答えできていたことを思い返した竜崎は、今更ながら自分は人でなしになった気分だった。

 現実味があろうがなかろうが、仲間であった彩夏が死んでしまったことを何も思えなかった。やるべきことに集中していたこともあるが、度を越して何も思わなかった。悲しくもなければ怒りもない。“何もないのだ”。

 一階のロビーに出た時、丁度良く高期生三人と出会した。三人が険しい表情をしていたので、先に口を開く。

「全部聞いた。間に合わなかった、と」

「……悪い」

「謝る必要はない。やるべきことをやった結果で、なってしまったことはどうしようもない」

「……孝則、お前――」

「ああ、そうだよな。こうなってしまった結果を悔やんでも仕方ないんだ。前に進むしかないんだ。どうするべきか、考えるしかない」

「おい、孝則」

 いつになく饒舌で、それでも淡々とした台詞を聞いていた三人は、少し怯えを見せて竜崎を見ていた。

「……怖ぇよ。お前」

 人殺しになんの躊躇もない三人が、竜崎に初めて恐怖した瞬間。

 竜崎はそれも、なんとも思っていなかった。


――――――――――◇――――――――――


 彩夏の遺体を安置所に移した千夏は、病棟校舎の休憩室にいた。

 壁に凭れ、購入した飲み物を飲み干して深い息を吐く。一息入れると今まで抑え込んでいた感情が爆発し、紙コップを握り潰すと壁に叩きつけた。溜め込んでいたモノを吐き出すように、ゴミ箱も蹴りあげた。

 どこで何を間違えたのかわからなかった。

 突入するタイミングが早ければ助けられたのか。煙幕が立ち込める中でも撃つべきだったのか。無理をしてでも近くの病院に向かうべきだったのか――。考えればキリがない。どんな選択肢が正しかったのか最早知ることはないものの、苦悩し続ける課題であった。

 それに、一番苦悩しているのは彩夏の治療をしていた瑠奈と希美だ。尚更、彼女達二人の気持ちを考えると怒りが沸いた。

 誰にでもなく、自分自身に。

「千里」

 自動販売機を殴った時、声をかけられて振り返る。入口に立っていたのは大輔だ。走ってきたのか息は切れ、ずぶ濡れになっていた。

「……誰が、運ばれた?」

 声を震わせて、もう一度問う。

「彩夏が、死んだのか?」

 大輔の問いかけに、千里は俯くしかできない。それが答えだと理解した大輔は入口に力なく凭れる。

「……案内する」

 静かに口を開いた千里は、ゴミ箱を元に戻し、紙コップを捨ててから休憩室を出た。その後に大輔が続く。

 会話などする気にはなれず、また何を話せばいいのかわからず、二人は無言のまま安置所へと向かった。

 普段の安置所は鍵が掛かっていて出入りは無理だ。衛生科の教師に頼むか、鍵を借りるしかない。安置所に着くとまだ教師と生徒がいたので、彩夏の遺体を確認させるよう頼む。大輔と彩夏の関係を知っていたので快く応じてくれた。

 滅多に使われる機会のない場所で、大輔は恋人の亡骸と対面した。

 ただじっと、二度と瞼が上がることのない顔を見続けていた。

 長い沈黙の後、弱々しい声で大輔は問う。

「彩夏は、何か言っていたかい?」

「謝ってくれ、と。それと紹介できなかった、と言っていた」

「……夏休みに、彩夏の祖父母に会いに行く予定を聞いていた。多分、そのことだろう」

「私は何もできなかった。ただ手を握って励ますことしかできなかった。――すまない」

「……千里のせいじゃない。不運が重なったんだ。仕方なかったんだ」

「それでもッ」

「頼むから」

 大輔は声を震わせ、感情を必死に抑えていた。それでも我慢できず、天井に向けた顔を天井を覆う。

「そういうことにしてくれ。そうでないと俺は、千里や他の皆を責めたくなる。殺した奴らを殺したくなるんだ。

 でもできない。憲兵科云々よりも、友達で、ずっと一緒にいた。彩夏も望んでいない。俺は千里達を嫌いになんかなりたくないんだっ。だから――」

 ――黙って、出ていってくれ。

 千里にとっては、死刑宣告のように辛い言葉だった。

 どうせなら殴って欲しかった。それで気が済む訳ないが、自己満足で千里自身がいくらか楽になるのだから。

 そんなこともされず――“できない”と言った友達に、千里は何も言うことはできなかった。

 嫌いになってくれた方がまだいい。

 ただ溜め込むだけの大輔に背中を向けて、千里は安置所から出ていった。


――――――――――◇――――――――――


 作戦結果の報告をするべく、長谷川と時浦は学園長室を訪れていた。

 民間軍事企業アックスの社長ポール・ジャクソンと社員一名を確保。五名の社員を殺害。拉致された阿部千夏と佐々木彩夏を保護したものの、搬送中に佐々木彩夏が死亡したこと。全ての経緯を報告した。

 二人の報告を如月は椅子に座り、隣では吉田が石像のように黙って聞いていた。

「一人、助けられなかったか」

 沈黙を破った如月の言葉は軽いものだった。

 背凭れに体を預けた直後、机の済みにある電話が鳴った。吉田が出ようとするが、如月が拒んで自ら出た。

「私だ」

『内藤だ。IMI連盟局局長と副局長、ならびに日本IMI学園長が首相官邸への招集をかけられた。独断による作戦遂行の内容と結果を求められる』

「随分と早い招集じゃないか。そして、無駄に大事だな」

『私も同感だ』

「お前は素直に動くのか?」

『招集をかけられた以上、無視することはできない。身の回りは私自身が行う。IMIにも企業にも手は借りない。副局長には連絡済みだ。今すぐに出る』

「そうか。私もすぐに出る」

『そうしてくれ』

「苦労が続くな」

『ああ。だが、それも後少しの辛抱だ』

 疲れきった内藤の声を、如月は初めて聞いた気がした。問うより先に内藤が電話を切ってしまい、仕方なく電話を元に位置戻して座り直した。

「急用ですか?」

「ああ。報告の為に首相官邸へ行かなければならなくなった」

 吉田の問いに如月は答え、肘をついて指を絡ませるように手を合わせる。

「少なくとも、私が首相官邸にいる間はIMI範囲外での行動は不可能だ。余計に事を荒らしても意味はないが、釘を刺された」

「つまり、指揮権のある私でも作戦執行は無理……と」

「そうなってしまう。それにマスコミも煩い。いつもなら別にかまわないのだが、今回は死人が公になってしまった。しばらくは動けないだろう。

 ご家族の方には既に連絡したのか?」

 時浦が答える。

「既に電話で報告し、クラスの担任教師に迎えに行かせました」

「そうか」

 事態の進行具合を確かめるように頷いた如月は、すぐ横に置いてある杖を握り、立ち上がる。

「私はこれから出る。指示はしたが、その間、マスコミを入れず、“範囲外”での行動は控えるように」

「わかりました。失礼します」

 範囲外。

 つまり、範囲内ならば何をしてもかまわない。範囲内の行動は指示をされていないのだから。

 如月の台詞を思い出す必要もなく、長谷川と時浦はすぐにやるべきことを見つけ、学園長室を後にした。

 手早く身仕度を済ませた如月と、横にぴったりと並ぶように吉田が歩く。普通科校舎を出て車に乗り、正面出入口へ向かう。

 正面出入口には、スクープのネタを嗅ぎ付けてハイエナの如きマスコミ陣が群がっていた。警備員達は一切相手にしておらず、学園長を乗せた車を見て黙々と仕事をする。

 警備員に足止めされるマスコミ陣は、聞こえもしない追及を口にする。如月はおろか、吉田でさえ何も感じていなかった。


――――――――――◇――――――――――


 少し経って、彩夏の祖父母を乗せた車がIMIに到着した。

 担任教師に案内されながら病院校舎を歩き、安置所に着き、変わり果てた遺体と対面した。

 彩夏だとわかった瞬間に祖母は泣き崩れ、祖父は涙を我慢して祖母の肩に手を置いた。

「こういうことになると、少なからず考えてはいました」

 落ち着いた祖父が、目尻の涙を拭って口を開いた。諦めたような、悲しい表情で。

「考えたくないですが、考えてしまっていました。いつか彩夏がこうなってしまうんだと。家に帰ってくる度に安心しては、出ていく度に不安になるんです。その不安がもう辛くてたまらないのです。

 息子夫婦が死んで、今度は孫まで死んでしまった。もうなにもないんです」

 酷い表情のまま祖父は担任教師に向きを変える。

「先生。私達はどうすればいいんですか? 彩夏がいなくなって、なにもなくなってしまった私達に、まだ何か残されたものはあるのでしょうか?

 教えてください先生。彩夏が、あの子が生き甲斐だった老いぼれ二人は、どうすればいいんでしょうか?」

 声を震わせ、意味をなくした二人の懇願に、担任教師はなにも返す言葉が見つからず黙り続けた。


――――――――――◇――――――――――


「それでは、私は準備にかかります」

 学園長室を出た長谷川と時浦の二人は、歩きながら会話をしていた。

「その為、少しの時間は連絡がとれないと思うのでご了承を」

「そちらについてはわかっています」

 如月の言葉の意味を理解していた二人は、今からすることを口にすることなく理解していた。そもそも、初めから決まっていたのだから今更確認する必要はなかった。

「では私はもう一人を」

「すいませんが、それは変更させていただきます」

 急な変更だが、そんなことは日常茶飯なので問題はない。

「代わりに誰が?」

 聞いた時、階段で誰かが上がってきて二人が立ち止まった。上がってきたのは竜崎だ。

「まさか彼が?」

 気付いた長谷川は半ば信じられない表情だが、時浦は笑みを見せていた。

「適役です」

「確かに適役ですが……」

「心配は要りません」

 竜崎は淡々と口を開く。

「生徒会の干渉はありません。自分の立場も同じです。事後処理もすぐに終わります」

「……まぁ、お前なら確かに大丈夫だろう」

 諜報保安部責任者の時浦と、元諜報保安部の竜崎ならば確実に仕事はこなす。安心して任せられる。

「とはいえ、生徒会を干渉させないのは“尋問”だけです。他のことについてはそのままですし、なにより独断の作戦遂行について動く奴はいます」

「生徒会の動きを私が指示することはできない。憲兵科担当教師でなければ面倒だ」

「それも自分がします。代わりに特殊作戦部隊から数名借りたいのですが、大丈夫ですか?」

「かまわない」

「あと、探すのを手伝っていただければ」

「それもいいだろう」

 長谷川が智和に電話をかけ、食堂に向かっていることを知った。時浦とは途中で別れ、長谷川と竜崎の二人は食堂へと向かった。


――――――――――◇――――――――――


 智和がエレベーターに乗った時、携帯電話に長谷川から電話がかかってきた。

『今どこだ?』

「寮を出て、食堂に向かう途中だ」

『手を貸せ。食堂で待っていろ』

「ああ」

『それと、学園長が首相官邸に招集された為に、本格的に行動することはできなくなった。少なくとも今日は無理だ。待機するしかない』

「わかった」

 手短な長谷川の話を終えて、丁度良く一階に着いた。

 首相官邸に招集がかかったとなれば、作戦遂行の情報が政府にも伝わっていたということだ。波のように次々と伝わるのではなく、時間差のない情報伝達。

 あまり時間差がないということは、おかしいことだった。マスコミから知った訳ではないだろうし、警察や自衛隊が偶然関わっていた可能性も否定はできない。

 関わっていたとしたら、それはIMIか、それとも《アックス》なのか。どちらに注目していたかが問題だろう。

 ――と、智和は考えているが、正直なことを言うとどうでもよかった。智和の立場では考えるだけ無駄であり、それを探るのは諜報保安部の仕事である。その諜報保安部が動けない今となっては、どうやってもわからないことになってしまっているが。

 他の生徒達がロビーや渡り廊下にいた。おそらく早めに授業が終わったのだろうと簡単に思いながら、智和も渡り廊下を歩く。

 食堂には既に生徒達がいて、早めの昼食を済ませようとしている者もいた。そんな中で特殊作戦部隊の面々が見えず、見回してララを見つけて歩きだす。

 途中でララが気付いた。

「長谷川から連絡があった。当分は動けない」

「そう」

「他の連中は?」

「昼食を済ませて部屋に戻った。私達も今から食べる」

「瑠奈は?」

「あそこに」

 ララが指差したテーブルに瑠奈は座っており、昼食をとっている最中だった。智和は頷き、ララと一緒に昼食を選んでからテーブルに行く。

 残っていたのは主に智和のチームであるララや瑠奈、強希や新一の他に、希美や数人の生徒だけだった。

「隣いいか?」

「うん、いいよ~」

 変わらない口調と笑顔で答える瑠奈だが、確かにあまり元気がなかった。

「残念だっとしか言いようがない」

 開口一番に智和の言葉を聞いて、ララは「もっと気を使え」と言わんばかりに顔をしかめていた。見たかどうかは知らないが智和は続ける。

「近くの病院に行っていれば助かったかもしれない。指示を出した俺の責任だ」

 あの時、長谷川の報告を受けて咄嗟に指示を出したのは智和だ。一刻も早く搬送しなければならず、迷っている暇はない状況だった。

 後から考えれば、近くの病院に行くべきだった。対応云々の話ではなく、無理にでも行くべきだったのだ。

 だから彩夏が死んだのは、智和に責任がある。――と、責任転嫁させるように言った。

 部下の責任は隊長の責任である。

 瑠奈は忠実に仕事をしただけであり、なにも間違ったことはしていない。間違ったのは智和であり、なにも恥じることも悔やむこともない、と。

 智和なりの気遣いであり、逆に言えば智和でもそんなことしか言えなかった。

「大丈夫だよトモ君~。心配してくれてありがとう~」

 瑠奈はいつもの笑顔で礼を言うが、やはりまだ苦悩と後悔が消えていなかった。

「ただ、あの時の選択が本当に良かったのか……それだけがいつも苦しくて悩み続けて、後悔する」

 負傷による応急処置。どんな結果であれ、応急処置という過程を担当した者は、長い間苦悩する。あの時に施した応急処置が、はたして本当に良かったのか、と。もしかすれば別の選択肢があって、そうすれば助かる可能性が増えたのではないか、と。

 例え間に合わずとも、選択を間違った故に間に合わなかったかもしれない。そうやって後から選択肢を思い返し、他の選択肢を探り、自分の選択肢が間違っていたことを後悔しては苦悩する。衛生兵とはそういうもので、切っても切り離せない永遠の苦悩だ。

 だから衛生兵は、そういった経験を積んでいく。間違いのない選択肢を見出だす為に学び、実践し、本当の意味で救うのだ。

 瑠奈と希美は永遠に苦悩しては永遠に追求し続ける。今度こそ、確実に救う為に。

 わかっているからこそ、苦悩と後悔をし続ける。

「悪かった」

「謝らなくてもいいよ~。励ましありがとう~」

 瑠奈に最初から励ましだとバレていた智和は、まるで自分が励まされているように思えて苦笑した。

「おい、テレビを変えろ。そんな鬱陶しいニュースなんか消してくれ」

 先程からIMIの強襲事件と生徒が負傷したニュースがテレビに映し出され、的外れなコメントが出ていて不快だった。智和が叫ぶと、近くにいた生徒がリモコンで子供教育番組にチャンネルを変えた。

「日本語でも学んでくれ」

「そりゃどうも」

 チャンネルを変えた生徒は知り合いではないが、大体の事情を把握していた生徒の一人だ。故になにも言うことがなければ、なにも問うことはしなかった。

 食堂にいる生徒の大半がそんな生徒だ。中には状況を把握できていない生徒もいて、ニュースでしか情報を知ることができなかった。それでもなにも聞くことはなかった。IMIからの報告をただ待つだけだ。

「長谷川から連絡があった。学園長が首相官邸に召集されて、今日はもう動けない」

「今日は、ね」

「ああ。今日は、だ」

「随分と大袈裟になったな。何でだ?」

「というより、そっちもそうだがマスコミに伝わるのも早くねぇか?」

「だよね~」

「現場にいた人でも、早すぎるよね」

「もしかすれば第三者がいたかもしれないな」

「面倒臭ぇことになってンな、オイ」

「とは言っても、自分達のやることは変わらないッスよね?」

「当然だ」

「当たり前だろ、チビ」

 各々は会話と食事をして状況と気分の整理をつけ、直に下される命令を密かに待ち続けていた。

 智和達が話している時、にわかに食堂が騒がしくなって原因を探った。

 ざわついているのは周囲の生徒で、皆が入口に顔を向けている。入口を見ると生徒会副会長の三浦と三人の生徒会役員が立っていた。

 食堂に生徒が来るのは当たり前だ。だが生徒会役員の雰囲気を見る限り、少なくとも昼食を済ませに来た訳ではない。

 三浦の瞳が、特殊作戦部隊の面々を睨んでいた。智和達もそれに気付き、溜め息を漏らしたり舌打ちしたりと人によって反応は様々だった。

「飯の最中に邪魔するのはマナー違反だぞ」

「特殊作戦部隊が独断遂行した作戦内容についての調査を行う」

 近づいてきた三浦のあからさまな機嫌を損なう発言に智和は再度深い溜め息を漏らし、それでも手を止めなかった。腹が減っていたのは確かなので仕方がないのだが、こうも無視されると反抗したくなった。

 強希が「あぁ?」と怒気を含んで立ち上がろうとしたが、隣に座っていた新一が宥めて座らせる。それ以外は特になにも言うことはなかった。

「それは今やらなきゃならないことか?」

「ああ」

「学園からの指示か、生徒会顧問からの指示か、生徒会会長からの指示か」

「関係ない。集団個人に関係なく調査するのが生徒会の役目だ」

「関係ある。指示なしだったらお前らだって俺達となんら変わらない。寧ろこっちは指示されてる」

「指示されているかされていないかじゃない。これが仕事だからだ。問題があるかないかの調査を」

「しつけぇな。今じゃなくてもいいだろ」

「佐々木彩夏が死んだからこそ必要だ」

 智和の手が止まり、空気が凍った。

 三浦の発言に、食堂にいた生徒達が一斉にざわつき始めた。瑠奈と希美は俯き、他の特殊作戦部隊の生徒は生徒会役員を睨み付ける。

 彩夏が死亡したことを知っているのは作戦に関わった生徒や教師の他、衛生科の生徒や教師も把握している。三浦はそこから事態を把握して、“わざと”その事実を食堂で言った。生徒達がいるこの場所で。

 勝負を吹っ掛けてくるのは別に良いが、こんなのは勝負ではない。ただ喧嘩を吹っ掛けてきただけだ。

 喧嘩を異常者集団である特殊作戦部隊に売るなど、それこそただの馬鹿だ。異常者集団は買うに決まっている。それも暴力事なら尚更。

 智和も同じ心情で売られた喧嘩は買うのだが、こんな時に問題にはしたくない。冷静を装いつつ、昼食に手をつける。

「おい副会長。そろそろ黙ってくれ。その冗談が通じる程、特殊作戦部隊は馬鹿じゃない」

「黙って見ている程、俺は優しくない。“それが仕事だ”」

「仕事熱心はいい。時と場所を選べ」

「時と場所を選んだ結果だ」

「諜報保安部とのいざこざだけじゃなく、特殊作戦部隊ともいざこざを増やしたいのか?」

「承知の上だ。別に全員一斉に調査するつもりはない。まずはララ・ローゼンハインから行う」

 ララの名前を聞いて、今度こそ智和は表情を変えて三浦を睨み付けた。対してララは溜め息を漏らしただけだった。

「何だ、その目は」

 睨みに臆することなく、三浦は智和を見下ろした。

「前に言っただろう。ララ・ローゼンハインの調査を行うと。ドイツIMI所属期ではなく、日本入国から今までの彼女の行動の調査だ。ララ・ローゼンハインはエリク事件での行動が問題視されている」

「それはドイツIMIが対応した。既に処置された事案だ」

「だとしても彼女の問題は見過ごせない。ドイツIMI時期の上級生に対する殺人未遂然り行動然り、日本IMIに編入した時点で再び問わねばならない問題だ。“保護者なら子を叱るのが当然だ”」

「その口を閉じろ、副会長」

「智和。もういいわよ」

 三浦の挑発に智和が抑えられなくなる直前、ララが声を掛けて制止した。更に脛を蹴っていた。

「承知してた。いずれ調査されることは覚悟してたし、それだけのことはしたわ」

 全て受け入れて笑みすら見せているが、どこか悲しそうな表情をしている。そんな表情を智和に向けた。

「という訳よ、副会長さん。私が素直に行けばいいのよね?」

「ああ。そうしてもらえば助かる。だがなララ・ローゼンハイン、事によっては“重いぞ”」

「覚悟の上」

 そう言って食べ掛けのパンを置いて立ち上がった時だ。

「まぁ、ちょっと待てよ」

 静かな言葉に三浦が振り向いた瞬間、智和は飲んでいたコーラを三浦の顔に掛けた。怯んだ隙を逃さず、立ち上がり左手で首を掴んでテーブルに叩きつけ、右手はベルトに装備していたベンチメイドのナイフを握り、三浦の眼前に降り下ろした。

 三浦の右の眼から球数センチという僅かな先に、黒い刃先がピタリと止まるが殺意はまだ消えていない。

「止めろ神原!」

 周囲の生徒が悲鳴を上げる中、生徒会役員の抜いた拳銃が智和に向けられる。智和は気にすることなく、無表情で三浦を見下ろしていた。

「ナイフを下ろせ!」

「拒否する。ララの調査を取り消さなければ、最悪コイツの眼球を突き刺してやる」

「馬鹿な真似は寄せ神原……生徒会じゃなくIMI本部から審査委員会の人間が来るぞ」

「馬鹿な真似? 馬鹿はお前達だろうが生徒会諜報保安部のいざこざの為に俺が使われるならまだいい。だがな、どこかの馬鹿議員みたいな解決済みの問題を掘り起こしてまで関わろうとするお前らはどうだ。馬鹿どころか哀れだぞ」

「お前ならわかるだろっ。ララ・ローゼンハインやお前や、特殊作戦部隊なんかじゃない。諜報保安部が消し去ろうとしている。“特殊作戦部隊に非難がいくように、諜報保安部は工作している!” お前はそれが許せるのか!?」

「だからって、利用していいことじゃないんだよ。今の時代、正直者が馬鹿を見るぞ」

 三浦がナイフを素手で握って押し返す。更に悲鳴が響き、比例するように握る手が強く力を込めて、指の隙間から血が流れる。

「だったら俺は馬鹿正直で結構だ。それが憲兵で、それが生徒会だ。平等に審査し、平等に調査し、平等に尋問する。俺が許せないのは他人に投げ出したままの諜報保安部なんだよ!」

「“だとしても、俺には関係ないんだよ”」

 ナイフを振り抜いたことで三浦の手からナイフが逃げ、それが更に切りつけて鮮血が飛び散る。智和は三浦に頭突きをして力任せに伏させた。

「止めなさい智和!」

「もう止めてトモ君!」

 ララと瑠奈の悲鳴。ナイフを振り上げた智和が刺そうとしたから上げたが、ナイフの刃は肉を貫かず、三浦の顔のすぐ横を掠めてテーブルに刃先が突き刺さった。

「どうした、生徒会の役員共」

 無表情で三浦から視線を離さず、智和は拳銃を構える生徒会役員に問う。

「何故撃たない?」

 本当ならば、智和がナイフを振り上げた直後に発砲されてもおかしくなかった。例え十代の少年少女だろうがここはIMI。人を殺す武器を持っているのだ。相手が特殊作戦部隊や諜報保安部、強襲展開部隊などに所属する生徒ならば既に撃っている筈だ。

 だが生徒会の役員は引き金を絞っていない。“撃てないのだ”。

 生徒会は調査し、審査し、尋問する。IMIの秩序とならねばならない。秩序がむやみやたらに暴力を振るっては意味がなく、むやみやたらに人を死なせることはしないしさせない。

 だから生徒会の役員達は引き金に指を掛けても、命令でもされなければ絞ることが完全にできない。

「殺す間際だってのに、撃たないのは本当に馬鹿だぞ」

「いい加減にしなさい智和! 私だったら大丈夫だから――」

「何が大丈夫だ。生徒会の尋問で発覚した事案はIMI本部まで報告される。お前の事案はドイツIMI内で解決されただけだぞ。本当の意味で無法者になるだけだ」

「だけど!」

「黙れ。命令だ」

 力任せにララを黙らせた智和は、ナイフを抜いて握り直す。

「もういいだろ。ララの居場所を奪うな」

「こちらとて奪いたくない。だが突破口になる。“死人が出るかに比べたら本望だ”」

「だから生徒会に協力するのは嫌なんだよ。本気でそう言いのける」

「佐々木彩夏の死を無駄にするつもりか、神原。今こそ諜報保安部を解体して新しくしなければまた死人が出るぞ」

「俺達とお前達の立場が違うだろうが。お前達が内側に対応して、俺達が外側に対応しなきゃならない。今のこの国じゃあ、俺達が汚れ仕事やらなきゃならないんだよ」

「それこそまさに問わなければならない。法治国家が子供任せ? いずれ潰れるのが目に見える」

「いっそのこと、もう潰れろよ。全部、潰れればいいんだよ」

 本気でそう思い、智和はナイフを逆手に握り直した瞬間。リボルバーの轟音が食堂内に響き渡った。

 リボルバーを撃ったのは長谷川だ。隣には生徒会会長の竜崎もいる。

 天井に向けていたリボルバーをホルスターに納め、問題の渦中となっている場所に歩いていく。かつかつとハイヒールの音が、いつもより強くなっている。長谷川の表情もいつにも増して厳しく、怒りに満ちていた。

 智和がヤバいと悟った直後、反応できない速度で長谷川の右足がこめかみに直撃していた。蹴り飛ばされた智和はテーブルと椅子と共になぎ倒され、ナイフは床に落ちて悲しく音をたてる。

 それだけではまだ足りず、長谷川は胸ぐら掴んで無理矢理立たせると頭突きした。先程の智和が三浦に頭突きした時よりも鈍く、重いと思わせる音が鳴り響く。

「馬鹿は貴様だ、智和。何くだらない挑発に乗っている。怪我までさせて、本当に馬鹿と阿呆の極みだな、貴様は。反省文二十枚に謹慎処分だ。テーブルと椅子の片付けもしろ。貴様が刺したテーブルも支払え。馬鹿者が。

 貴様らもさっさと部屋に戻れ! 馬鹿のせいで、見ての通りしばらく食堂は使用不可だ!」

 散々なじって顔に痣を作った智和を投げ飛ばし、周囲の生徒達を解散させた。生徒は従うしかなく、長谷川の素性を知った生徒がいれば、改めて危ない教師だと再認識する生徒がいるなど様々だった。

「ちょっと、生きてる……?」

「トモ君……大丈夫?」

 ララと瑠奈に先程まであった緊張感が、智和が蹴り飛ばされたことによって心配と哀れに変わり、智和の傍らについていた。

「何だよアレ……クソ痛ぇ……!」

 ボロ雑巾のようにされた智和は苦痛の表情を浮かべ、頭突きされた額を押さえながら体を起こす。こめかみに重い一撃を与えられたせいで、脳が揺れているような錯覚を感じた。

「どうすりゃあんなのできるんだよ……マジで意味わかんねぇ」

 瑠奈はハンカチを水で濡らし、智和の額にあてる。

 そこに竜崎がやってきて、三人の前に片膝をついてしゃがんだ。

「災難だったな、神原。悪気はないと知って欲しい。生徒会はそういう立ち位置なんだ。厳格に対応し、何者にも平等でなければならない。俺のミスだ。すまない」

「教師とは思えない鉄槌を食らったんだ。本当に災難だ」

「馬鹿か、貴様は」

 未だ怒りが治まっていない長谷川が口を開く。

「行動するなと言った直後にこれだ。間抜けめ」

「一方的過ぎるだろうが。損な役回りだ」

「そういう立場なんだよ、お前達は」

 ようやく怒りが呆れへと変わった長谷川は溜め息を漏らす。

 立ち上がった竜崎は長谷川の横を通り過ぎ、テーブルに座っていた三浦と集まっていた役員生徒達の下へ行く。三浦は刃を掴んだ手に、自分のネクタイを包帯代わりに巻いていた。

「指示はしていなかった」

 竜崎の冷たい言葉に、三浦はただじっと聞いていた。それ以外の役員生徒は俯いていた。

「動くなと指示していなかった俺の責任だ」

「会長。俺は――」

「命令だ。終着するまで動くな。生徒会役員の行動はさせない。お前は保健室に行け」

「……わかりました」

 なにも言わず、ただ我慢して三浦は食堂を後にした。竜崎が役員生徒に着いていくように指示し、小走りで後を追う。

「神原。ローゼンハイン」

 静寂が残った食堂で、竜崎は静かに振り向いた。

「今から言うのは生徒会会長ではない。諜報保安部の許可を経て、学園長から直筆でサインを貰った。証拠として残さず、生徒会にも報告しない。闇に消す頼み事だ」

「二人は私と竜崎に着いてこい。他は寮に戻れ。昼食は部屋で済ませろ」

 発言の意味を重く理解した智和とララは了承。他の特殊作戦部隊は寮に帰り、待機するよう長谷川が指示した。瑠奈が心配そうに見ていたので、ララが「大丈夫」と言葉をかけてから食堂を出た。

 外に出て、停車していた長谷川の車に乗る。

「ポール・ジャクソンの尋問を行う」

 助手席に乗った竜崎の言葉に、後部座席の智和とララは少し驚いた。確保したことは知っていたが、尋問は先になると思っていたからだ。

「許可が出たのか?」

「非公式だが、学園長は理解している。学園内なら何をしても良いと」

 車を雨の中で走らせる。

「でも首相官邸に呼ばれたのでしょう? 学園内だろうと国が関わると厄介じゃないの?」

「海外ならそうだが、日本IMIは違う。国との密接な関わり合いはないし、関わらせることもさせない。異常に発展しているからできる。それに“存在しなくなる予定の人間”をどう扱おうがかまわない」

 竜崎のその発言を聞いて成る程と頷いた。確保した二人はそういうことにするらしい。おそらく諜報保安部が総出で情報抹消をしている筈だ。

 一人か二人消してしまうことを、諜報保安部はなんとも思わない。経歴を見た限り犯罪者であるのは間違いなく、消えて喜ぶ人間も多い。そもそも仲間を殺した人間の仲間なら、喜んで作業するのだろう。

「もう一人は時浦が担当する」

「諜報保安部の責任者がわざわざやるのか。本気だな」

 聞き出すことは聞いて、殺す気しかないことに智和は苦笑した。時浦の全部を知らないが、諜報保安部を発展させ、なにより竜崎を育て上げた人物だ。危険な人物に間違いない。

 噂の一つに時浦は元公安だというものがある。本当ならば特徴のない覚えづらい顔も、常に腰は低いものの何故か油断できないことも納得できる。

「ポール・ジャクソンの尋問を俺がやる。二人にはその補佐を任せたい。千里にも承諾を得た」

「かまわない」

「私も」

「そこでだが、ローゼンハイン。正直に答えろ。ドイツIMI時代に、何人拷問した?」

 突然の追及にララの表情が険しくなる。竜崎は変わらない。

「把握されてないと思ったか? 生徒会の調査はしつこい。だが安心しろ。報告はしないし、一切合切の情報を全て消す」

「……本当に?」

「ああ」

 ララは観念したように溜め息を漏らす。

「……ざっと百二十程度」

「多すぎないか、おい」

「三桁いってることは知らなかった」

「お前なぁ……」

「仕方ないでしょう。別に善良な市民や無関係だった人間は拷問してない。全員マフィアやクズな人間ばかりだし、問題ないわ。私用でやったのは数人程度で、ほとんどは依頼されたからよ」

 つらつらと言うあたり、ララは本当に些細なこととしか考えていなかった。

「手慣れた人間にも聞きたい。時間が少ない。何か効率的な方法を知らないか?」

「効率的、ねぇ……」

 背もたれに体を預け、少し考えて口を開く。

「今日出した死体はどうするの?」

「火葬して無縁仏の墓に納骨する。身元確認はしてるが、諜報保安部が情報抹消するなら報告もしない。海外なら尚更で、失踪扱いにするだろう」

「臓器提供はする?」

「しない」

「じゃあ、一人好きにしてもいいかしら?」

「かまわない」

「解剖器具と人手がいる。あとミキサーも数台」

「私と智和が手伝おう。智和、いいな?」

「ああ」

「お願いね」

「……というか、ミキサーって何に使うんだ?」


――――――――――◇――――――――――


 ブライアン・アトリーは目を覚まし、まず始め頭に鈍痛を感じた。何があったのか整理して、IMIの女子生徒に鳩尾と頭を殴られて気絶したことを思い出した。あれが女子の力かと疑うほど重く、ハンマーのようだった。

 そして今の状況を少しずつ理解してきた。仰向けでベッドか何かに拘束されている。手首や足首だけでなく、腰や首、頭をも拘束されているらしく身動きができない。天井を見上げる体勢で頭が動かせず、目だけを動かしても全身が見えない。服などはなにも着ていない。

 暗い部屋。広さがわからない。蛍光灯が眩しくて、顔を逸らせないので目を閉じるしかできない。

 IMIに拉致された。そう考えるのが妥当だ。

 運がなかったと言えばそれだけだが、だとしても酷い話だ。ただ飲み物を買いに途中の階に立ち寄っただけで、嘔吐しそうな打撃を食らう羽目になるとは。

 扉の開く音。革靴の足音が近づいてくる。

「良かった。目は覚めている」

 眼鏡をかけた顔を覚えにくい日本人が、営業に使うような作り笑いで見下ろしていた。


――――――――――◇――――――――――


 尋問室に向かう最中、時浦は相手の情報を頭の中でもう一度確認する。

 ブライアン・アトリー。三十四歳。マイアミ州出身。元アメリカ海軍。性格は激情型でムラがある。DVによって離婚。二歳と六歳の娘二人の親権は妻へ。以降は犯罪多数。脅迫、恐喝、強姦。アメリカでの逮捕歴四回。そのアックスに所属。

 正直言うと、揺さぶるだけの材料はなかった。揺さぶることなど微塵も考えていなかったが、こうも使えないものばかりだと溜め息が出る。

 やはり痛め付けるしかない。

 拷問は禁止されている。それは世界の常識だ。苦痛を与えた末に得た情報は、苦痛から逃れる為の嘘の可能性もある。

 だが世界の現状で、拷問という手段はなくならない。CIAでは水責めを拷問ではないとしていたこともある。

 聞き出す常套手段として、人格を否定したり精神状態を歪ませる。視覚をなくす。大音量の音楽を流して寝させない。狭い箱に無理矢理閉じ込める。服を与えない。尿や糞を垂れ流さしにさせる。“思考させなければいい”。そうやって鞭を与え続け、時々、ほんの少しの飴を与える。

 どちらも苦痛に代わりなく、ただ人体が目に見える損傷を与えているかいないか程度だ。

 最もな考えとして、人が人を支配する要因を、時浦は恐怖だと思っている。

 苦痛による恐怖。相手から抱く恐怖。

 尋問室の隣には監視室もあり、カメラで録音・録画している。だが監視しているのは生徒会ではなく、諜報保安部の生徒だ。ただ形式に沿って行い、終われば廃棄するだけだ。

 八畳程の尋問室は薄暗く、蛍光灯が唯一の明かり。部屋の中央には裸のブライアンが、天井を見上げるように仰向けで拘束されている。

「良かった。目は覚めている」

 作り笑いを浮かべて、時浦はブライアンを見下ろした。

 ブライアンには、時浦が普通のセールスマンに思えた。ただそれだけの薄い印象しかない、どこにでもいそうな一般人のような人間。一般人だと思えないのは、変な作り笑いが気味悪かったからだ。

「単刀直入に聞きますが、貴方達のアジトについて教えていただきたい」

 予想していた通り、ブライアンは自分が尋問の為に拉致されたことを理解した。

「くたばれ」

 短い罵倒に、ブライアンが込められる全ての憎悪。そんな言葉は時浦には届かず、ただ溜め息しか漏らさない。

「だと思った」

 そう呟き、部屋の隅のテーブルに置いてある携帯型バーナーを持った。温度を百三十度に設定。火が槍先のように吹き出て、激しい燃焼音が聞こえる。

「おい、何だ。何するつもりだ」

 音だけしか知ることのできないブライアンは、途端に怖くなって声を上げた。聞く耳を持たない時浦は右手で性器を握ってずらし、バーナーの火を玉袋に当てて燃やし始める。

 熱い、などではない。言葉にできない激痛がブライアンの敏感な股間を襲い、玉袋が燃やされていく。悲鳴が響き渡るが、部屋は完全な防音となっていて漏れることは決してない。誰にも聞こえなかった。

 時浦は入念に玉袋を焼いていく。陰毛と皮膚が燃やされ、肉が焦げていく。性器の根本も燃やして数十秒、ようやく火が離れた。

「準備した拠点はどこだ。武器の数は」

 ブライアンは答えない。答えても助かる見込みはないが、答えないままでは死ぬより酷いことをされる。時浦には躊躇がない。痛め付けることをなんとも思っていないのだ。

 答えないまま、時浦は火を止めて再びテーブルへ。バーナーを置き、隅に置いていた機械を持つ。

 コの字型の万力のような機械は小さなポンプに繋がり、ブライアンの右足の股と膝の間に固定。壁から伸びているコードを機械に取り付ける。頭を拘束していた器具を外してやり、ブライアンはようやく取り付けられた機械を目にした。

「これは粉砕機だ」

 小さなリモコンの電源を入れた時浦は静かに言う。

「油圧式ポンプで、ボタンを押せば一気に大腿骨を砕く。力加減を変えてゆっくり砕くこともできる」

「待て。待ってくれ」

「こんな機械、中東じゃ作れない。IMIだから作れる。電気や針は面倒で、薬を使うのは“もったいない”」

「待て、やめろ。やめてくれ!」

 時浦がスイッチを押した直後、万力は一気にブライアンの大腿骨を押し潰した。懇願は断末魔に変わり、ブライアンは涙を流すしかなかった。

「俺の足……ああ、俺の足が……」

 男の象徴である性器と、使い物にならなくなった足を目にすれば、誰であろうと子供のように泣き出す。ブライアンのようなムラのある激情型の人間は、プライドを壊せば当分立ち直れない。

「松葉杖での生活は不便だろう。もう一本粉々にして車椅子に乗るようにしよう」

「品川、品川の雑居ビル。倉庫用として借りた!」

 時浦の非情な言葉を聞き、泣いたまま声を上げた。

「武器は進行不可区域の商人から買った。コピー製品のハンドガンやアサルトライフルだ。人数はそっちで把握してるだろ!」

 品川。確かに尾行させた岡嶋が品川の雑居ビルを特定し、長谷川経由で時浦にも届いていた。間違いはない。

 ならばもう一つ。聞いてみることにした。

「日本に来た目的は何だ」

「進行不可区域の調査だ」

「どんな調査だ」

「全部だ、全部。社長から区域内の様子を事細かに調べろってだけで、後は役割決めて調べてただけだ」

「依頼者は誰だ」

「知るかよチクショウ! 危ない橋渡る時なんて、俺みたいな下っ端達が依頼者なんか知ることはねぇんだよ! 余計なこと知って死んだヤツもいたからだ! 本当だ、頼む信じてくれ……」

 着々と、粉砕機を左足に取り付けていたことでブライアンの意識が正常に保てなくなっていた。よく喋るが、黒幕がわからない。

 ――とはいえ、何者が黒幕かということを、時浦はだいたいの察しがついていた。

「言うことは信じよう」

 時浦のまさかの言葉にブライアンは驚きを見せたが、すぐに安堵した。

「だがお前は私の生徒を痛め付け、永遠に傷を残して、殺した。加わってようがなかろうが関係ない。お前達が殺した。ギリギリまで生かしてから、殺してやる」

 ――恐怖と絶望にうちひしがれて、大腿骨が粉砕されるとブライアンは再び断末魔を上げた。


――――――――――◇――――――――――


 雨でずぶ濡れになりながら、千里は諜報保安部の建物に走ってきた。入口では諜報保安部の女子生徒が待機しており、千里を中に入れた。

 案内されたのは尋問室ではなく着替え室だった。とりあえず身なりを整えるよう言われ、用意された替えの制服に着替える。タオルとドライヤーもあったので髪を乾かした。

 竜崎の指示だとすぐにわかった。潔癖だとか、心遣いでそうさせた訳ではなく、相手になにも思わせない為の準備。濡れたままよりも、いつもの状態で尋問させることが竜崎のやり方。

 着替えを終えて、案内されたのは竜崎のいた部屋だ。智和もいる。

「お前もか」

「ああ。ララも呼ばれて、ちょっと準備している」

 他にも手を借りると言っており、妥当な人選だと考えた。何故自分を選んだのか、千里自身悩んでいたが。

「ポール・ジャクソンの尋問は俺がやる。二人は補助をしてくれればいい」

「補助って、何をすればいい?」

「押さえてくれればそれでいい」

 至極簡単な答えを言って、竜崎は部屋を出た。智和は千里に怪訝な表情を見せる。

「要らなくないか?」

「要るんだよ」

 あまり納得できない智和と、知っているからこそ短く終えた千里の二人は、竜崎の後を追って部屋を出た。


――――――――――◇――――――――――


 目を覚ましたポールが真っ先に感じたのは、全身の痛みだった。よく思い出し、自分は何者かに暴行された。ゴロツキのようなやり方だったが、ゴロツキにしては手慣れていたように思える。

 ぼんやりと、自分がどこかの薄暗い部屋にいることを理解した。更には裸にされて、机に伏すように手首がテーブルの脚に縛られ、足は座っている椅子に縛られている。

 ゴロツキならば殺している。これはゴロツキではないとすぐわかった。だとすれば拉致した相手は――

 答えを導き出そうとした直後、扉から三人の少年少女――竜崎、智和、千里が入ってきた。

「IMIか。お前達」

「ポール・ジャクソン。元アメリカ海軍少佐」

 ポールの言葉など聞こえていないように、竜崎は部屋の隅にある道具の準備を淡々と進める。

「横領、賄賂、密輸などで軍を追われた後、民間軍事企業アックスを設立。元海軍少佐や賄賂していた軍人を利用して密輸に荷担し、時にはソマリアに援助して共に金品を奪った挙げ句、人質を射殺。死体は全て海に捨てた。今や《アックス》は民間軍事企業じゃなく犯罪の温床だ」

「私は仕事を与え、実行したのは彼らだ。今回とて、同じだ」

「まぁ、とりあえず黙れ」

 唐突に、竜崎は準備していた電動ドリルの先端をポールの背中に押し付けると、なんの躊躇もなくボタンを押して“穴を開け始めた”。

 突如襲った激痛にポールは悲鳴を上げた。拘束しているとはいえ、痛みから逃げようと暴れだす。智和と千里がポールの頭を机に押し付けながら、暴れる巨体を取り押さえる。

 対して竜崎は、感情のない人形の如く作業していた。鋭く尖った螺旋状のドリルは肉を抉り、骨を砕き体内で破片を撒き散らす。血管も傷つき、竜崎の体はポールの返り血を浴びて真っ赤に染まる。それでも電動ドリルを作動し続けた。

 六ヶ所ほど、致命傷にならない程度の深さの穴を拵えて電動ドリルを抜いた竜崎は、二人が押さえていたポールの髪の毛を掴んで顔を上げさせた。

「誰に雇われた」

「知るものかッ」

 返答に対し、机に顔面を殴打。鼻の骨と前歯が二本折れた。また電動ドリルを作動させ、今度は両膝と両足を貫いた。どうせ言わないだろうからと、肘と掌も抉った。

 容赦ない尋問――という名の拷問――に、智和と千里は別になんともないが、マジックミラー越しに見ている生徒にとっては衝撃的過ぎた。竜崎のことを知っていた生徒ならまだしも、諜報保安部に所属したての生徒は言葉を失っている。

 竜崎は、千夏がやられたことをポールにそっくりとやり返している。ポールが関与していようがいまいが、関係はなかった。拠点は時浦が聞き出すのだから、ポールにしか知らないことを聞くのが望ましい。

 つまり、誰が《アックス》を日本に呼び寄せたのか。

 一人や二人ならまだしも、数十名もの人数の民間軍事企業が纏まって入国してきた時点で不自然だ。悪名高い《アックス》なら尚更で、更には進行不可区域に出入りしている。

 目的がなければ、そもそも日本に来る必要さえないのだ。

 諜報保安部の報告書を読んでいた竜崎は、すぐに第三者がいることを理解した。決定的な証拠はないが、無償で危険地帯には飛び込む筈がない。それは《アックス》でも、民間軍事企業に属している限り変わらない。

 故に竜崎は問う。

「お前達を雇ったのは誰だ。進行不可区域に出入りしていた理由は何だ」

 ポールは口を開かない。溜め息を漏らした竜崎はドリルを作動し、両太股に突き刺した。食べ物に箸を突き刺して遊ぶように。

「穴を空けるのはあまり効率的じゃないんだ。間違って血管を傷つければ簡単に出血が多くなる。だから指や股間を切り落としたりはあまりしない」

 代わりに、と言葉代わりに、ポールの股間にぶら下がっている玉袋をドリルで貫いた。

 ドリルで穴を拵え続け、竜崎の体は真っ赤になっていた。智和と千里も返り血を浴びている。床には、水に溶かした赤と黒の絵の具を撒き散らしたかのように飛び散っていた。

 ポールの悲鳴が響く。玉袋を貫いた時が今日一番の悲鳴を上げた。

 それでも口を開こうとはしなかった。竜崎にしてみれば理解不能だ。所詮は小銭稼ぎで請け負った仕事で、特に義理立てするような間柄でもない筈。結局はビジネスの相手。さっさと言えばいいのに口を開かないポールに、竜崎は呆れていた。

 ――竜崎の場合、怒りを通り越して呆れるのではなく、怒りの前に呆れて、怒りを通り越した先には殺す。例え尋問だろうが、殺す時は殺す。

 ポールが口を開かない理由としては、なんのことはない、ただの意地だった。

 どうせ話したところで死ぬしかない。早いか遅いかの違いだ。社員に責任を押し付けてやりたいが、それは最早叶わぬ夢。ならばいっそのこと、耐えるところまで耐えてやろう、と。

 時間が経てばマスコミや世論が騒ぎ出す。日本のマスコミは捏造と煽りが一級品だと誰かが口にしていた。流石のIMIもマスコミが騒げば動けない。国も介入すればそれまでだ。

 ざまぁみろ、とポールがほくそ笑んでいると、尋問室の扉が開かれた。

 入ってきたのはララだ。ポールにとっては一人増えただけにすぎないが、それにしては些か奇妙だ。

 制服が赤黒く濡れている。頬や手足にもべっとりとついていた。右手にはホームセンターで売っているような安物のバケツを持っており、それも血で汚れていた。左手には、口を強制的に開き続ける歯医者で使うような口枷と、直径二センチ、長さ三十センチほどの棒を持っていた。

「電動ドリル使ってるの?」

 開口一番に、そんな疑問を投げ掛けた。まるで世間話をするかのように。

「お前そのまま来たのか?」

「当然。これ着けさせて」

 投げて寄越した口枷をポールの口に嵌める。暴れるせいで嵌めづらかったので、千里が何度か顔面を机に殴打させた。口枷を着けさせると、テーブルに拘束していた手を後ろ手に拘束し直した。

「なぁ、こういった工具類だと他はどんな物を使うんだ?」

「ネイルガンで扉に張り付ける」

「えげつねぇ」

「マフィアよりマシでしょ。さてと――」

 ララは胸ポケットから写真を取り出し、テーブルに投げた。写真には一人の外国人が写っており、ポールを含め全員が知っていた。撃ち合いで死んだ一人だ。

 そして、テーブルに置いたバケツの中は、まるで大量のレバーをミキサーに掛けたような、泥状の液体や固形物が入っていた。

「これ、何だかわかる?」

 聞いてみるがポールの返事はない。「そうよね」と当たり前に頷いたララは続けた。

「率直に言うけど、一人をバラバラにした。臓器を取り出してミキサーにかけて、適当に砕いた。“これがそれ”」

 ――一瞬、ポールの思考が停止した。

「単純だけどなかなかキツいのよ、これ」

 理解したポールは暴れるが既に遅く、智和と千里によって天井に向けさせられる。竜崎がバケツを持ち、ララは棒を持ってポールの膝に乗った。

 バケツの中身はただの臓物。ミキサーにかけられた泥状の臓物がポールの口の中を満たす。異臭と異物、生理的嫌悪、強い血肉の味を飲み込めず吐き出そうとするが、ララが容赦なく棒で臓物を喉の奥へと押し込んでいく。吐き出したいの吐き出せず、吐いたとしても棒で押し戻される。

「五回耐えたら凄い。二、三回なら普通で、早くて一回で話したくなる」

「本当にゲシュタポみたいだな、お前」

「智和のそれにもいい加減慣れたわ」

「笑いながら言うな。恐ぇよ」

 顔を押さえながらララを見ると、異物を押し込んでいく棒さばきが手慣れていた。えづこうがお構い無しに突っ込んで嘔吐もさせない。

 当然ながら、人と食用の内臓はまったく違う。臭い、舌触りもそうだが、食用レバーと人の内臓とは決定的な違いとして、生理的と倫理的において拒否するかどうか。簡単に言えば道徳的に許容できるかできないか、の違いだ。

 食用の肉と内臓は食べられる。だが人間の肉と内臓は食べられないし食べたくない。それは法律以前の問題で、生理的かつ倫理的に自ずと拒絶し否定している。一部の人肉嗜好家達を除き、正常に考えるならば当たり前のこと。

 生きるか死ぬかの極限状態で迫られた選択ならまだしも、あいにくと今はそんな状態ではない。極限であることに変わりはないが、ポールはまだ正常に判断できる。

 社員の臓器を無理矢理に押し込まれる屈辱と絶望。生理的・倫理的に否定して拒絶しながらも、吐き出すこともできない。異物と異臭が口と鼻を刺激し、棒で突かれる度に食道を通っていくのがわかる。胃に落ちて、腸を流れて糞になって出ていく。考えずともおぞましかった。

 三分ほどして流し込んだ異物を押し込んだ。棒を抜き、膝に乗ったままララは問う。

「誰が貴方達を雇ったの?」

 静かに落ち着いた声は、まるで悪魔の囁きだった。

 ここでなにもしなければ、また社員の臓物を流し込まれる。バケツの中にはまだ充分ある。死体をまたバラしてくるかもしれない。

「もう一度流しましょう。今度は眼球二つ、先に押し込む」

「わかった。言う、言うッ!」

 結局、耐えきれずに叫んだ。

 こればかりは智和と千里はポールに同情した。二人は特殊作戦部隊の正式訓練で拷問に対する訓練をおこなったが、それより遥かに酷い。訓練用だということがわかるほど、ララの“これ”は酷かった。

 人を人としない、物とすら見ているか怪しい。でなければ、これ程冷酷になれる筈がない。

(今後、ララとはあまり喧嘩しないようにしよう。恐いから)

 特殊作戦部隊の隊長ともある二人が、同じタイミングで、同じ考えを持った瞬間だった。

 そんなこと知る由もなく、ララは膝から降りて智和の隣に立つ。竜崎が前に立ち、顔を正面に向けさせる。口と鼻から嘔吐物と臓物が混ざった液体が、だらしなく垂れていた。

「誰だ」

「内藤……内藤拓也だ。IMI連盟局局長と、その秘書だ」

 三人は些か驚きで表情を変えたが、竜崎は予想していた答えに眉すら動かさない。

 最近の学園長――如月の指示を考えれば、不可解なことが多すぎた。エリク事件の調査打ち切り。そんなことをするのは、身内に黒幕がいるからに他ならない。

「何をしていた。お前達は、何を頼まれて、何をしていた」

「調査だ。進行不可区域の調査」

「調査?」

「様々な観点からの調査を依頼された。この国が調べもせずに突き放したからと、詳細な調査を依頼してきた。経済、商業といった調査だ。あの男は進行不可区域を知りたがっていた」

 成る程、と思わず感心した。国だけでなく、IMIですら近付くことが困難な進行不可区域はもはや未開の地。ソマリアに等しい危険地帯は、把握しようにも把握できない状態だった。だから内藤は、わざわざ民間軍事企業を呼び寄せてまで調査させた。

「調査報告は月一で、周囲に悟られないようにしていた。会っていない。会ったのは依頼された時だけだ」

「どうして依頼を受けた」

「最初は断った。だが奴は会社を調べあげて、脅してきた。それ相応……いや相応以上の報酬に手を出すしかなかった。調査する際に条件をつけられたが、問題はない筈だった」

「条件とは」

「武器類の持ち込み、購入、所持の禁止。生活行動を除く依頼行動以外の行動を禁止。当然と言えば当然だった」

「……禁止されているなら、諜報保安部の生徒を拉致した理由は何だ。武器も所持していた。何でこんな馬鹿なことをした」

「私が知りたい。あいつらは頭のネジが抜けきった狂人共だ。まともな社員から報告を受けて問い詰めたが、もう武器を持っていたし、襲うつもりだった」

「止めなかったのか」

「止める? あいつらは止められんよ。ただ人を殺したいような阿呆共に、人の言葉はわからない」

「……ふざけるな」

 千里の声が震えていた。

「そんな理由で、彩夏は死んだのか」

 怒りで体も震え、無表情だった顔が歪んでいく。やりきれない後悔と、理不尽な理由による怒り。唇を噛み、ポールを睨み付ける。

 潮時だった。もはやポールからなにも聞き出せない。彼の行動は諜報保安部から報告を受けていたので把握しており、別行動していたことも当然知っている。

 ならばもう、時間の無駄でしかない。

 突如、尋問室にブザーが短く鳴った。四人はその意味を理解し、ポールだけ怪訝な表情をしている。

「わかったみたいだな」

「ああ。その様だ」

 時浦がもう一人を尋問して拠点を聞き出し、岡嶋の尾行によって見つけた建物を検証し、一致した。先程のブザーは《アックス》を突き止めた知らせだ。

 尋問室に六人の男女が入ってきた。皆、諜報保安部の生徒である。

「お前達は、お前達の役目を果たせ」

 至って単純な竜崎の言葉には、特殊作戦部隊に対する期待と《アックス》に対する憎悪が含まれていた。

 三人は頷いて尋問室を出る。

「何だ、これは」

 部屋に残った異様な空気に、ポールは呟かずには入られなかった。

「期待したものは出なかった。お前は最早用済みだ」

 竜崎は電動ドリルを、諜報保安部部の生徒はバケツや棒、部屋にあった拷問器具を手にして、無表情でポールを取り囲む。

「ただで殺すなんてしない。させるものか」

 電動ドリルは唸りを上げ、再び臓物を押し込まれるポールの体に捩じ込まれていった。


――――――――――◇――――――――――


 これ以上、録音と録画する必要と意味はないと長谷川は停止ボタンを押す。別のボタンをいくつか押して、ポールの断末魔が聞こえなくなり、カーテンがスライドしてマジックミラーを隠し、こちら側の部屋に電気が点いた。

 ララのやることがいちいち問題になることに頭を悩ませながら横を見ると、案の定、諜報保安部に所属したばかりの生徒は気分を悪くしていた。中には座り込んでいる生徒までいて、一緒にいた琴美が背中をさすっている始末だ。

「予想はしていたが、まさか本当に馬鹿連中を相手にしているとはな。……つくづく腹が立つ」

「この後、どうします?」

「……雇い主が内藤局長だとして、関連性はそれしかない。どうすることもできやしない」

 内藤が《アックス》を雇い、進行不可区域を調査させた。知り得ているのはこれだけであり、内藤を問い詰める材料としてはあまりに不甲斐ない。

 エリク事件で内藤が絡んでいたとしても、調査は既に打ち切られている。独自に調査していた諜報保安部の資料も、拉致事件が表沙汰になった時点で隠滅しなければならなくなった。

 内藤を問い詰めることは実質不可能だ。《アックス》との面識もある訳ではなく、エリク事件での関係者は死んでいる。レオンハルトはエリクにしか注目できていなかった――そもそも別の作戦と並行していた――。

「学園長が帰ってくるまで待つしかあるまい」

「ですね」

 琴美は苦笑し、衝撃を受けて泣いていた女子生徒の背中をさすり続けた。

 部屋の扉が開き、智和とララと千里が入ってくる。血まみれで生臭い、酷い姿だ。

「ご苦労」

「久しぶりに“あんなこと”したわ。確かにドイツにいた頃は私がやってたけど、尋問役だったし。それが得意な知り合いや、専門の業者に任せてたし」

「物騒過ぎるだろ」

「平気で生徒を蹴る教師に言われたくないわね」

 悪態づいて、肌や髪に飛び散った血を見て不快な表情をする。

「シャワー室借りていいかしら」

「ああ。着替えも用意させよう」

 長谷川の言葉を聞いて、琴美が棚に置いていた着替えをそれぞれ三人に手渡した。一日で何回着替えているのか、考えるのが面倒になった。

「前のララなら、そのままでも寮に戻ってたよな」

 ビニールに包まれた着替えを手にして、智和はふと口にした。

「今なら瑠奈がいる」

「人並みに常識を覚えたか」

「煩いわね」

 智和と長谷川に言われて顔を赤くするが、頬にも血がついていた為にまったくわからなかった。琴美だけは気づいて、苦笑ではなく微笑んでいた。

 着替えを受け取った三人は琴美に案内されてシャワー室へ向かう。三人は初めて訪れているのだが、何故琴美が知っているのかと同じことを思っていた。

 シャワー室まで案内した琴美は来た廊下を戻る。当然、男女で別れている。

 諜報保安部拠点のシャワー室は更衣室とシャワー室に区別されている。物は好きに使っていいと言っていたので、ララと千里は血まみれになった制服を籠の中に放り込んだ。臭いはわからないが、下着に血がついていないのが幸運だった。

 十二人まで使用できるシャワー室は、水がかからないようにと壁で仕切られ、最低限を隠す小さな扉の小さな個室仕様。特に意識もせず、二人は隣でシャワーを浴びた。血を落とすついでに体と髪を洗うことにした。

「彩夏がな」

 ふと、千里が口を開いた。

「搬送途中に、ララと話せなかったと言っていた。何か知ってるか?」

 髪を洗うララの手が止まり、思い出して深い溜め息を漏らした。おそらく、三日前の寮のエレベーターでの、ほんの僅かな会話のことだと。

「数日前、バスケした後に会ったわ。エレベーターまで一緒に帰って、その時、部屋に来ないかって。あの人、馴染めない私のことに気づいてたわ。だからもっと話そう、と」

「彩夏はよく見抜く。本人が気づいていないほんの僅かな仕草や態度でも。諜報科に行ったのも、時浦に引き抜かれたからだ」

 泡をシャワーで洗い流す千里。

「私の親は銀行幹部と専業主婦でな。IMIに入った理由が親への反発も合って、未だに仲が悪い」

「まぁ、ありがちね」

「それをな、見抜かれた。言ってもいなかった。あいつは人を見る目がある。だから諜報科変更は止めなかったし、大輔との関係だって応援したさ」

「世話好きだったのね」

「ああ。よくボランティアにも参加してた。家族のことも心配して、私達よりちゃんと将来を考えていた。――殺すしか脳がなくなった私達より、人の為に生きようとした彩夏が死んだ」

 シャワーを止め、毛先から雫が垂れる。初めて出会った時の自己紹介で、「人の為にできる人間になりたい」と言っていたことを思い出した。

「殺してやる。彩夏を殺した奴等を皆殺しにしてやる」

 ララも同意見だった。彼らが拉致し、殺した目的は許されることではなく、同情する余地もない。

 殺す。ただただ殺す。それだけしか、死んだ彩夏の手向けにはならない。

 シャワーを終え、濡れた体とタオルで拭き、髪を乾かす。渡された制服はピッタリだった。

 シャワー室を出れば、既に出ていた智和が携帯電話で電話しながら待っていた。二人が来たので会話を中断し、電話を切る。

「千夏の治療が終わった。今は寝てる」

「恵か?」

「ああ」

「傷の具合は?」

「肋が五本折れたが内蔵に損傷はなかった。至る所に内出血。命に別状はない。……が、掌と膝の傷痕は消せないそうだ。暫くは病院校舎、車椅子での生活が続く」

「そう。消せなかったのね……」

「こればかりはどうしようもない。長谷川が寮まで送る。指示があるまで待機してろ、と」

「わかった」

 三人は廊下を歩いていき、入口で待っていた長谷川の車で寮まで送ってもらう。雨の勢いは、少しだけ弱まっていた。


――――――――――◇――――――――――


 如月と吉田は首相官邸に到着し、四階の会議室に案内された。会議室には既に大久保俊明おおくぼとしあき首相と、防衛庁長官の波多野邦一はたのくにかず、陸上自衛隊一等陸佐の岸、IMI連盟局局長の内藤、副局長の零条哲也れいじょうてつやと、既に面々が揃って椅子に座っていた。周囲にSPが立っており、些か物騒な雰囲気が漂っている。

「どうやら最後のようだ」

「そうだな」

 内藤が皮肉混じりに告げて、隣の席を指差して座る場所を示す。

「すいませんが」

 SPの一人が吉田の行く手を塞ぐ。

「秘書の方は別室にて待機を」

「学園長は足が悪く、付き添いが必要です。事情は把握されているかと」

「他の方々もそうされています。特例はできません」

「拒否します。付き添いが不可能ならば、すぐに学園長を連れて帰らさせていただきます」

「かまわない。彼女の付き添いを許可しろ」

 岸がSPに向けて指示をする。どうやらSPは彼の部下らしい。

「その代わり銃と弾倉を預からせてもらう。如月学園長、よろしいですね?」

「千早、彼に銃を渡せ」

「はい」

 まるで父親と娘のようなやり取りだ。素直に返事をした吉田は上着の下に右手を伸ばし、ショルダーホルスターに入れているSIG SAUER P228拳銃とマガジン二本を渡すと、次は左手を腰に回してヒップホルスターのS&W M60リボルバーに、上着の内ポケットからリボルバー用スピードローダー二個をSPに渡した。

 如月を椅子に座らせ、杖を持った吉田は横で石造の如く微動だにしなかった。

「それで、召集した理由は何かね。大久保首相」

「そんなもの決まっている」

 大久保ではなく、波多野が口を開いた。

「IMIの独断による作戦遂行についてだ。都心における銃撃戦。どう説明するつもりだ」

「説明もなにも」

 如月は鼻で笑う。

「言葉の通りですが」

「独断遂行の理由は」

「生徒の命に関わることでしたので」

「それで、無事に終わったか?」

「一人は命に別状なし。もう一人は残念ながら死んでしまった」

 如月の変わらぬ口調と言い方に、波多野は少し苛立ちを覚えた。小馬鹿にしていることは別にいいが、生徒が一人死んだことをなんとも思っていないようで腹が立ったのだ。

「どう説明するつもりだ」

「どう、と言われると?」

「マスコミと世間にだ。一人とはいえ十代の子供が、監視任務中に拉致されて死亡した。非難をどう躱すつもりだ」

「躱すもなにも、受け止めるしかないでしょう。それは連盟局局長の仕事です」

「投げっぱなしにするのか」

「仕事ではないので。私の仕事は学園の統治と責任を取ることだけですから」

「確かに」と、岸が間に割って入ってきた。

「しかしIMIの行動は些か物騒過ぎやしませんか? 銃撃戦はともかく死傷者が出た。それは紛れもない事実。あまり派手に動くのはIMIの今後に関わりますよ」

「IMI反対派の意見かね。それは」

「私は別に反対でもなければ賛成でもない。ですが我々の仕事上で言えば、IMIは関わりすぎている。無駄に手が伸びている。優秀とはいえまだ十代の少年少女達には些か重い権限がありすぎる」

「成る程」と如月は頷く。岸の言葉にもそうだが、内側に潜む本音に気付いたからだ。

 本来、IMIとは国との関わりを強く持つことによって維持され、国との連携を強め、国の管理下に置かれる位置づけだ。アメリカを代表とする先進国のIMIはそうだ。行動する権限は持っているものの、実行するには国の許可がいる。大きくなればなる程に。

 だが、日本IMIは違う。国との関わりは最小限でしかなく、連携も必要な所としかしていない為に管理下に置かれていない。故に行動する権限も実行も全てIMIが所持し、行使できる。無茶が通るのはその為だ。

 岸は、日本IMIの存在そのものを縮小させるべきだと、そう言っている。

「与党と野党問わず、IMIの是非について快く思わない先生方がいるのは事実。何故IMIなどが存在しているのか理解しようともしない方もいますが、反対派が増えているのは確かですよ」

「岸一等陸佐」

「何でしょう」

「もっと正直に言いたまえ。私や内藤局長、零条副局長も気にはしない」

「と、言いますと」

「IMIが邪魔だと、はっきり言えばいい」

 如月の言葉を機に、場の空気が一瞬にして凍った。様々な思惑が重なりあった決定的な瞬間である。

 波多野の視線がより一層厳しくなる。内藤は仕方ないと言ったふうに呆れ、零条や大久保は表情を変えない。岸は心なしか笑みを浮かべていた。如月も同じだった。

「君がここにいる時点で察しはついていた。作戦遂行中に担当教師へ電話していたことも当然知っている。成る程。君達にとって我々は邪魔な存在なのだろうな。

 いやはや、まったく、心が踊るよ。そうやって喧嘩を売ってきてくれる相手は。いつの時代もそうだ」

 いつの時代も、如月達の前には敵がいた。邪魔をしようがしまいが、それは敵であった。国を交えようが交えまいが、敵でしかなかった。

 如月の笑みが気味の悪いものになる。“やはり世界は素晴らしい。これ程までに狂気が満ちている”。

「逆に聞こう。君達の動きも前々から気になる。日本IMIではなく、本部IMIからでもない。《GMTC》からの報告だ。日本政府に特殊部隊の影あり、と」

 誰も何も言わない。

「防衛庁長官波多野邦一。陸上自衛隊一等陸佐岸俊彦。私は嬉しい。この国は変わりつつある。それも良い方向で。実に良い。実に素晴らしい! まさか、まさかあの日本が狂気に落ちようとは! なんとも感慨深い。当時がそうあっていれば、私は国の為に死んでいた。

 だから言おう。我らの邪魔をするな」

 特殊部隊。特殊作戦群とは別の、全く新しい特殊部隊。IMI本部や《GMTC》が把握できていない謎の群集。

 素晴らしい。素晴らしい。なんて面白くなってきた。彼らは等々、拳の降り下ろし方を決めたのだ。極秘ではあるが、それは極秘でなければならない。公に出てしまえばそれは、しゃんぼ玉のように儚く消える。

 なんて愉快。素敵で素晴らしい考え方――だからこそ、IMIの邪魔となる。

「暴力は我々の象徴だ。今更、役割を譲るつもりはない」

「如月学園長。貴方は子供達に人殺しをさせることを役割と抜かすのか」

 波多野の追及に如月は即答した。

「勿論。我々は正義の味方ではない。正義や忠義を掲げるならば、そんなものは国防学校に譲ろう」

「何も理解できていない子供達に人殺しをさせる。アンタが狂っている」

 波多野の口調が強くなる。

「いいか。殺しは所詮殺しだ。戦争だから、兵士だから、仕事だからと、高を括って思考放棄したとしてもそれはただの逃避だ。必要だと正当化する人間は、目先の事しか見ることのできない愚か者だ。戦争で世界は回らない」

「そうですとも。殺しは所詮殺し。犯罪に違いない。内紛、紛争、戦争、それら全てが愚か者が下した最後の手段だ。革命で生まれた国は革命で終わり。それの繰り返しだ」

「なればこその“我々”だ」

「納得はできませんな。それに、貴方達は些か勘違いしていませんか?

 IMI全員が理解していない? 成る程。確かに、理解できていないでしょう。ただの暴力である我々IMIの存在意味を。ですがね、ほんの一部の生徒は理解していますよ」

「――《特殊作戦部隊》、ですか」

 岸の呟きに如月は頷く。

「彼らは素晴らしい。自らの行いを自覚し、忌ましめると同時に、絶対的に必要な手段として理解している。全ての手段が尽きた時、何によって打開されるのか。――それが暴力だ。握り拳を全力で振ればなんとかなる」

「握り拳を全力で振るって、どうなる? 全力で振りすぎて、やがて肉が裂けて骨が出る」

「それはその時。使えるまで使い、使えなくなったらそれまでだ」

「ふざけるな!」

 波多野は拳をテーブルに叩きつけ、怒りに似た感情を表した。

「彼らが自覚しているならば彼らの救いは何だ。何が救いになる? 人を救った時か? 人を殺した時か!?」

「さて。私にはわからない。それこそ個々の違いによる」

「――――如月学園長」

 静かに、岸は調子を抑えて口を開く。冷静を装っていたが、その裏には波多野に似た感情があった。

「“そういった手段”を不必要とは思いません。現に隣国の脅威はそれに値し、アメリカやヨーロッパにも見せつける為に必要不可欠だ。アンチテロ、カウンターテロなら尚更。

 しかしですね、“そういった手段”は然るべき人間がやるべきなんですよ。だから我々が設立された」

「君達の働きには期待する。だが譲るつもりはない。暴力はIMIの象徴だ。これは何者にも譲らない」

「狂ってる。前々から知ってたが、アンタやっぱり狂っているよ。長谷川が下につく理由がわからない」

 最後の最後に岸は口調を崩し、私情を混ぜて呟いた。

 如月は最初から生徒のことなど気にしていない。ただIMIがあるべき本来の姿を維持している為に、懸命に働いているだけだ。それがわかるからこそ如月が狂っていると断言できる。死神だと断言できる。

 彼は死のうが関係ないのだ。逆に本来のIMIを、世論に与えつけるつもりだった。

 そうだ。そもそもIMIとは暴力なのだ。《7.12事件》を引き起こした《狂信の者達》を打倒する為だけに設立された、それだけの為の存在。

 故に如月の言い分に落ち度はない。本来のIMIはそういったものだから、なにも間違っていなかった。間違っていないのだが――だからこそ、波多野や岸、大久保は嫌悪する。暴力に長けるのは我々の役目であり、子供がするべきことではないと。

「如月学園長」

 この場で初めて大久保が口を開く。とても静かで落ち着きのある口調だ。

「事の始末を、どう片付ける算段で?」

「生徒一人が死亡してしまったことで会見を開かなければならない。だが私はこの身の為に人前には出られない」

「その役目は私が引き受ける」

 内藤が口を挟む。

「既に大方の情報整理は終えています。記者会見についても連盟局にて行います。何か不都合は?」

「いいえ。特に」

「話は纏まったようだな。それでは私は帰らせていただく。慣れない場所は体に障るのでね」

 受け取った杖をついて椅子から立ち上がる如月に、近くにいたSPが行く手を塞ごうと前に出る。

 しかし吉田が許さない。塞いだSPの顎に容赦なく掌底を放ち、常人ならば意識を失う一撃を、鍛えられたSPは視界が揺らぐだけで凌いだ。

 それでも立っているだけで精一杯なのだが、吉田はSPの頭を両手で掴むと俯かせ、顔面に膝蹴りを突き刺した。鼻が折れて鼻血が溢れる。

 邪魔な物を退かすように一連の動作を見せた吉田に、SPは警戒を強めて上着の内側に手を伸ばすが、首相官邸だということを理解していた岸が制止させた。

「随分と物騒な秘書ではないですか」

「私の役目は学園長の補佐及び警護ですので」

 岸に見向きもしない吉田は、テーブルに置かれていた自分の銃をホルスターに片付けると、如月の横にピタリと張り付くように並ぶ。

「如月学園長」

 大久保が再び口を開く。それには明らかな敵対心が含まれていた。

「我々はIMIを認めない。自衛の為ではない暴力を我々は許さない」

「他国からの侵犯を受けても、同じことが言えますかな?」

「国と国では大きすぎるが故に武力は最終手段。発展途上国一つと先進国一つが滅ぶとでは比較にならない。故に、我々は表には出させない。本当のテロ事件解決は、成功すら知らされない」

「素晴らしい。今後の貴方達に期待と憎悪をこめて、私はここを立ち去ろう。次会う時は、首を掻かれないようにしなければな」

 うすら笑みを浮かべながら廊下を進む如月に、まったく表情を変えない吉田。二人は対照的で不釣り合いのように見え、それが恐怖を込み上げる材料にもなっていた。

「我々の立場というのは」

 如月と吉田が去った部屋で、内藤は静かに口を開いた。

「ああいった集団の手綱を握ることです。暴力と武力の違いは統制されているかいないか。闇雲に拳を震えばそれはただの暴力で言い訳できないが、状況を見据えた一撃だけの拳ならば言い訳もできる。身を守る為の反撃だった、と――」

「だから民間軍事企業を殲滅しても良い――という訳にはいかないでしょう」

 苦笑混じりに岸が内藤に向きを変える。

「内藤局長。この問題は既に表に出ている。IMIでも問題は解決できるが、それはあまりにも理不尽だ」

「理不尽ではなく証明です。我々の役割というものは、我々の立場というものは、“こういったもの”だと。慈善事業やボランティアでひた隠しにしているだけの、非難されるべき愚行だと」

「その愚行の泥を子供達に被せるのか。貴方達は」

 余りにも理不尽で、余りにも非情な理念。

 確かに《狂信の者達》打倒の為には必要なのだろう。人材育成も必要なのだろう。だが実行理由がこんなことで良いのかと、戸惑いすら感じている。

 詰まる所、IMIはただの暴力装置。だがそれを自覚しているのはあまりにも少なく、また自覚していようとも――いや、自覚していることが問題なのだと彼らは思う。

「――IMIと烏はよく似ている。烏の特徴をご存じだろうか?」

「はい?」

 呟きに岸が反応するが、内藤はゆっくり首を横に振る。

「いいえ。独り言です」

 席を立ち、それを見て零条も立ち上がる。

「話し合いはここまででいいでしょう。記者会見の準備もしなければならない」

「それに関してはそちらに任せます」

「では」

 内藤と零条が三人に一礼して部屋を去る。いなくなり、波多野が愚痴を溢す。

「なんて奴等だ」

「あれがIMIですよ」

 岸が苦笑し続け、大久保は小さく溜め息を漏らす。

「今回の件では、防衛庁の部隊は動かない」

「ええ。メリットもなく、IMIと事を構えるとなれば損害が生じます。今は動くべきではありません。疑いのある内藤局長も、疑いだけでは拘束できない」

「そもそも公表されていない。日本政府すら確認できない特殊部隊ですから。

 それにしても、IMIを烏に例えるなんて、連盟局局長もなかなか」

 笑いを含む岸の言葉。烏に例えた内藤が的を射ている故に笑い、結局は彼も如月と同じ側の人間だと知って軽蔑した。


――――――――――◇――――――――――


 午前十一時五十七分。IMI連盟局にて記者会見が開かれ、生中継として連盟局局長である内藤拓也が発表。新宿のビル内に潜伏していたテロリストが監視していた諜報科生徒二名を拉致し、一名が死亡、一名が重傷。テロリスト四人を殺害。これによりIMIでは、テロリストがまだ潜伏しているとして警戒態勢に入ったことを発表した――。

 マスコミからの非難に近い質問に内藤は淡々と答え、また必要以上のことは話さなかった。《アックス》をテロリストと言い換えれば対応しやすく、またIMIも多少は動きやすい。

「責任として、辞任されないのですか?」

「辞任はない」

 ある記者からの質問に内藤は即答し、会場が一気にざわめいた。

「責任を放棄するつもりですか?」

「放棄もなにも、今辞任すれば誰が統制するというのでしょうか。そもそもの話、辞任することで責任が果たされると?」

「そういう訳では……。ただ、どうやって責任を果たすのかということで」

「辞任したとしても責任は果たせないし、許されるものではない。相応の行動と結果を示さねばならない。責任を投げ出す為には辞任した元総理大臣の方々には理解できないだろうが」

 そんな発言をしてざわめきが大きくなるが、内藤には関係なかった。事実を言ったまでであり、嫌悪すべき対象なのだ。

 それなのにこの国は、彼らを罰しようともしないことに腹立たしくさえ思っている。彼らの失敗の中には罪もあり、裁判所で裁かれるべきものさえある、と。内藤は彼らが嫌いだから、最後の最後にそう言ってやった。

 まだざわめきが残る中で記者会見を終え、内藤はその場を後にする。記者達の質問や野次などは、まったく耳に入っていなかった。

 局長室へと戻る廊下の途中で、零条とすれ違った。内藤より十歳は若く、それでいて厳かな表情を持つ零条哲也。大学を卒業してIMI本部に所属し、優秀な成績を残したことで異例の副局長という立場を手に入れた秀才。

「局長」

 互いに背中を向けたまま立ち止まる。

「貴方の行動は理解しているつもりです。IMIにおける単独行動も、これからも」

「それで、何か問題でも?」

「生憎と私は《GMTC》のような軍事企業の人間ではありません。IMIの人間です。IMIを、好きなようにはさせない」

「そうか」

 零条の言葉に内藤は素っ気なく返し、再び歩き始める。振り返った零条はその背中をずっと見続けていた。

 内藤は最早、連盟局でも孤立し始めている。零条という真人間を理解しているつもりではあるし、零条の考えも理解できる。

 だからこそ、内藤は進行不可区域などというものに捕らわれ続けていた。

 二十年。空白の、なにもない虚無感をただ憎悪でしか埋められなかった。その憎悪すら、今では萎えるように消えてしまった。

「永かった。本当に永かった」

 呟き、内藤は廊下を歩いていった。


――――――――――◇――――――――――


 千里と彩夏が知り合ったのは、本当に偶然からの始まりだった。

 入学式を終えて翌日の、銃器受け渡し後の扱い授業。担任が適当に決めた班で二人は一緒になり、また竜崎や大輔、特殊作戦部隊の三人とも知り合った。

 今思えば、なんて扱いづらい連中なのだろう、と周囲はおろか教師でさえ思われていた。制服着用や学生証所持以外は特に厳しくされていないので、両親への反抗もあり千里は入学式から金髪に染めていた。

 竜崎の不気味な印象や、遠慮のない三人。まともな彩夏や大輔でさえ、その連中と同類に見られていた。

 実際、そうだった。この七人は問題の中にいることが多かった。千里や三人を初めとして、後から竜崎や彩夏や大輔が参加する。そんな形が多かった。

 中期二年の冬。久し振りに実家に帰ったが、両親とはまったく話さなかった。実の子供とは思っていない、殺人者を見るような冷たい視線を向けていた。それもあって、千里は半日で出ていった。もう帰らないと決めた。

 寮に帰り、彩夏と会った。家族のことを教えていなかったのに、全部筒抜けだった。それでも何も言ってこなかった。彼女は誰に対しても優しかった。

 だから、諜報科への学科変更や、諜報科と憲兵科の確執を知りながらも大輔との関係を応援した。共に歩み続けようと互いに応援し合った。

 これから先も、そうなる筈だった。

 少なくとも、彩夏は、大輔は、そうなる権利があったのだ。

 もう、“そんな”関係ではなくなってしまった。

 なくなってしまったのだ。

「――――もしもし」

 ――寮部屋の寝室。ベッドに寝ていた千里は、携帯電話を取って電話に出た。相手は長谷川だ。

『第一司令室に部隊を集合させろ。作戦内容を伝える』

「了解」

 短く返答し、電話を切って体を起こす。

「殺してやる。必ず殺してやる」

 思い出すように、確かめるように、呟いた。


――――――――――◇――――――――――


 病棟校舎の一室で、千夏は深い眠りから目を覚ました。

 白い天井が視界に映り、ベッドに横になっていたことを理解するには少し時間が必要だった。

「千夏」

 呼ばれて顔を少し動かすと、恵が顔を覗き込むようにしていた。相変わらず無表情のようだが、千夏はその表情から疲労を感じ取った。

「…………ずっと、いたんだ」

「当たり前」

「気が付いたのね、阿部さん。先生呼んできます」

 待機していた衛生科の担当生徒が教師を呼びに出ていき、部屋には恵と千夏の二人が残された。

 意識がはっきりとしてきて、体を起こそうとしてみたが全身に痛みが走り苦痛で顔が歪む。慌てて恵が支え、ゆっくりとベッドに寝かせた。

「色んな骨が折れてる。無理しないで」

 ぼんやりと聞き流していた千夏は、点滴がされていない左手を上げる。掌には包帯が巻かれており、反対の掌も同じだとわかっていた。膝も、何をされたのか思い出した。

「……手と、膝」

「……傷痕は残る。しばらく車椅子が必要になる」

「気にしてないよ。覚悟はしてたから。――ねぇ、恵」

 無理に笑ってみせて、気になっていたことを口にした。

「彩夏さんは、大丈夫だよね……?」

 予想していた一言なのに、これほど重いものだということを恵は改めて認識した。

 こんな場面、彼女は数回体験した。その度に空気は重く、口は重く、言葉は重く、事実が重い。

 それでも恵は、いつも正直に言ってきた。先伸ばしにしても意味はなく、言わなくとも誰かが言う。それならば言うべきだと、彼女は常にそうしてきた。

 無論、親友に対しても変わることはなく。

「“死んだ。間に合わなかった”」

 非情な事実を告白する。

 千夏の表情が笑みを作ったまま固まった。状況がまったく理解できていなかった。

「――――え。な、んで。撃たれたけど、死ぬなんてことは」

「脇腹に四十五口径が二発。煙幕で見えなくて、敵が撃ったのが当たった。瑠奈や白井先輩が手を尽くしたけど無理だった。運が悪かった。でも助けられなかったのは、私達の責任」

 あの時、千夏はぎりぎりの状態だった。自分以外を気遣う余裕などない。特殊作戦部隊が突入してきたことで気が緩み、恵だとわかって安堵して気を失った。彩夏のことなど、わからなかった。

 撃たれたことなど、知らなかった。

 理解できないが故に。

 理解したくなかった。

「嘘、だよ……ね? 彩夏さんが死んだなんてそんなの、嘘だよね?」

 恵は静かに首を横に振る。それでようやく千夏は状況を飲み込み、驚愕したまま天井を見上げて自分の手を見た。

 穴を空けられた両手は震え、全身が震えた。

「…………の、せい。私の、せい?」

「それは違う」

 恵の強い言葉が部屋に響いた。

「あれは……運が悪かった」

「私が、私のせいで、私のせいで彩夏さんが死んだ。あの時他にやれることがあって、だから、だからっ、私のせいで……!?」

「千夏……!」

 状況を飲み込めたが理解ができず、狼狽して正常な判断ができなくなっていた。慕っていた先輩が無事だと思っていたら、何故か死んでいた。もう会えないし、料理もできない。何で自分が生きているのかわからなかった。

“自分が死ぬべきだった――と、強くそう思うことしかできなかった”。

「何をしている阿部!?」

 呼ばれてきた衛生科教師は部屋に入るなり、大声を上げて暴れる千夏に駆け寄る。連れてきた数人の衛生科生徒もベッドを囲み、必死に千夏を押さえつける。

「私のっ、私のせいで! 私のせいでっ!!」

「この馬鹿は……!」

 教師は千夏に鎮痛剤を打ち、生徒に恵を部屋から出すように指示した。傍にいたかったが、今の状態では邪魔になるだけなので「よろしくお願いします」と素直に出ていった。

 扉を閉めて、千夏の声が聞こえなくなる。廊下を真っ直ぐ歩いて休憩室に寄り、スポーツドリンクを買って飲む。紙コップ一杯分を一気に飲み干し、深い溜め息を漏らす。

 千夏の表情を今でも思い出す。いつものように朝起こして、同じ日の繰り返しをしていた。――いや、IMIだから、いつかは崩れるとは思っていた。

 やり場のない怒りが込み上げて、目を見開くと同時に紙コップを握り潰し、その拳で自動販売機を殴り付けた。空手の突きのようなそれは、怒りのまま全力でやってしまった為に、自動販売機がへこんでしまった。

「――――殺してやる」

 千夏から全部を奪った奴等を殺してやる。

 決意して、スカートのポケットに入れていた携帯電話に智和から電話がきた。

「もしもし」

『第一司令室に集合。瑠奈達には既に連絡した』

「わかった」

 手短に済ませ、電話を切って紙コップを捨てると足早に休憩室を後にした。

 やらなければならないことをやる。

 全員殺してやると、もう一度強く決めた。


――――――――――◇――――――――――


 呼び出された特殊作戦部隊の面々が、朝と同じように第一司令室へと集まっていた。違うのは表情と決意。躊躇はなく、切れ味鋭い刃のようだった。

 瑠奈や希美は既に気持ちを切り替えていた。言い方は悪いが、死んでいく様を見ることには慣れている。故に折れない心と挫けない意志を持ち、次なる場所へと向かうことができるのだ。だから瑠奈は人を救いたいと願う。

 ララはいつものように、冷静な面持ちだった。死を見てきたことも死なせてきたことも、ある意味では特殊作戦部隊と同等以上に体験してきた。それでも見知った者が死んだことで、少なからず戸惑いと後悔はあった。ただそれだけであり、今のララには不安がない。やるべきことを愚直に成すまでだ。

 智和も変わらず冷静だった。共にいた時間が長く、失ったものを悲しんではいた。だが彼は特殊作戦部隊のチームを束ねる隊長であり、全てにおいて冷静に対処しなくてはならない。ララ同様、やるべきことをやるだけだ。

 恵と千里は冷静に見えるが、内にはどす黒い憎悪を溜め込んでいた。吐き出すタイミングを今か今かと待ち続け、いつ暴発してもおかしくはない。それはただ純粋な、大切な者を傷つけられ、奪われた為の感情だ。許すことは決してできない、と。だから二人は決意する。全員殺すことが、二人への誓いになるのだと。

「全員集まったな。前方に注目!」

 長谷川の声でより一層緊張感が増す。部屋の電気が消され、前方に用意されたスクリーンに琴美が操作するノートパソコンの画面が映し出された。

「《アックス》十九名がいると思われる潜伏場所は、品川にある雑居ビル。問題を言うなら、周囲には一般人がいすぎることだ。施設が密集している」

 各自はスクリーンと、回されてきた資料を交互に見ながら情報を整理する。資料には地図と、《アックス》の社員十九名の顔写真が載っていた。

「施設密集により隠れられる場所が多いです。下手をすれば、逃げられるということも考慮してください」

「逃がしはしない」

 琴美の言葉を長谷川が否定する。

「施設に逃げても問題ないようにチームを配置する」

「開始予定時間は?」

「深夜。台風は弱まったが、まだ影響が出ている」

「装備は?」

「AT-4に、M2とMk19――ベルト給弾式の自動擲弾発射器――を備えたハンヴィーを用意させる。さすがにヘリは出せない」

「街中でグレネードポンポン撃つとか、まるで戦争だな」

「正面入口がまた煩くなるな」

「スナイパーも配置させる。各自、暗視装備を用意。街の配慮も、保守派のデモ隊への心配も必要ない。そんなものはクソ食らえだ。

 誰一人として逃がすな。一人残らず殺せ」

「了解」

 反論なんてなかった。

 ここにいる者達全員が、異常者として自覚し、異常者として生きている。

 異常者は正常者には理解されない。されたくもない。

 暴力を手に入れた異常者は、暴力の恐ろしさと頼もしさを知っている。己を殺すこともあるが、それは絶対的な守りでもある、と。

 故に暴力を振るう。

 だから異常者は――烏達は蔑まれる。理解しながらも暴力を行使する、異常な存在だと。

 別に正義の味方ではないのに、と彼らはいつも愚痴を言って。

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