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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第一部第3章
15/32

二ヵ月前

交差して、交差して、交差して。

彼らは出会うべくして出会ったのだ。掌の上で転がりながら。

 目覚まし時計のアラーム音が早いリズムで部屋に響き、ララ・ローゼンハインを眠りから解き放たせた。

「…………うぅん」

 怠さが残る体を起こし、倒れないようベッドに手を置きながら、もう片方をの手を目覚まし時計へと伸ばしてアラームを止める。

 ようやく止まり、部屋は再び沈黙に包まれる。二度寝しそうになりながら時間を確かめると、午前十一時を少し過ぎていた。

「…………準備」

 ほとんど寝ているような独り言を漏らし、目覚まし時計を元の場所に戻してララは両手を上げて大きく背伸びする。

 ここはドイツIMI高期女子寮の一人部屋だ。寮の間取りは基本的に各国のIMIと変わらない。

 IMIの制服を普段着としているララは私服はもちろん、寝間着もない。必要ないと思っていた。その為、寝る時も制服のまま。

 さすがに上着とリボンは外しており、ワイシャツは袖と襟のボタンを外している。スカートは履いていない。下はショーツ一枚だ。

 普段の生活からして服に無頓着――というより面倒臭いだけ――なララの部屋には、代わりに物騒な物がズラリと置かれている。

 枕元にはワルサーP99拳銃。それを手に取って歩いていく傍らには、MP7やG36ライフルなどが立てられた大きな鉄籠があった。マガジンは装着されておらず、鍵をかけて厳重に管理されているのは流石である。

 眠り目を擦りながらバスタオルを持ち、洗面所へと向かう。反対の手に拳銃を持っているのが些か恐ろしい。

 洗面所は脱衣所でもあり、洗濯機が置けるスペースもあるので一人部屋にしてはなかなか広い。小さなラックに置いてある、これまた小さな箱に拳銃とバスタオルを置く。

 そこで着替えを持ってきていないことに気付くが、取りに行くのが面倒、一人だから別に問題ないという結論を出した。脱いだワイシャツと下着を洗濯機へと投げて浴室へ。

 ララは基本的にシャワーしか浴びない。浴槽に溜める時間や浸かっている時間が勿体ないと考えているが、常に緊張感を抱いているように張り詰めているのだ。

 寝ている時、シャワーを浴びている時など様々な時間と場面で、警戒を解くことがない。逆に増してしまう。「常に誰かから狙われているのではないか?」という、一種の強迫観念に捉われてしまっているかもしれない。

 幼少期は普通だった。おかしくなったのは、兄のレオンハルトに憧れてIMIに入学してからすぐだ。

 レオンハルトは優秀だった。諜報科でありながらも様々な科を受講。二年飛び級して首席で卒業。情報解析の個人企業を設立――ララ本人は後から知ることにはなるが、在学中から既にBNDとの接触があり、本職は諜報員である。

 ここまで優秀な人材は稀だ。ドイツIMI内では「レオンハルトの妹」というだけで簡単に注目が集まる。期待や称賛、嫉妬や憎悪も簡単に集まってきた。

 レオンハルトに対する他者の感情など別に良い。だが、それが自分に向けられることが気に食わない。意味がわからない。私は私、兄は兄なのに。

 レオンハルトへの誇りと憧れを持って入学したララは、意識せずとも彼に追い付こうとした。並ぼうとした。追い抜こうとした。必死に努力し、座学にしても実技にしても優秀だった。

 それが仇となった。

 レオンハルトに良い感情を持たない上級生から、ララは格好の標的だったのだ。優秀な兄に優秀な妹。頭脳明晰で容姿端麗。

 苛立つ存在だった。

 その為、ララはよく絡まれた。最初は言い掛かり、悪戯など小さなものだった。しかし私物を隠される、知らない噂を囁かれているなど内容が次第にエスカレートしていき、最後には「授業の一貫」として人気ひとけのない場所に連れていかれ、水をかけられたり、殴られたり、拘束されたり、閉じ込められた。

 目隠しされて、近くに置いた飲み物を撃たれた時などは死ぬと覚悟した。それ程に恐かった。弾け散った液体が自分にかかった時、自分が撃たれ、自分の血だと錯覚して泣き叫んだ。言い表わせないほど怖くて――とても怖くて、失禁しながら「助けて」と懇願した。上級生は面白がって笑っていた。

 存分にイジメられて解放されたララは、その日から異常な「誰かから狙われている」強迫観念に捉われ始めた。寮部屋のルームメイトさえ敵に思えた。

 ルームメイトを無視し、授業に出ず布団に隠れるようにくるまって、どうすべきかを一日中考えた。教師に相談すべきか。家族の下へ逃げ帰るべきか。

 最後の最後で、ララはどちらでもない選択肢を選んだ。――いや、今まで気付いていなかっただけだったかもしれない。

“ねじ伏せればいい”。

 そう選択したのだ。

 性格。というより、血筋。

 普段は温厚なレオンハルトも、実技に関しては人が変わったようだった。格闘術の授業では相手を徹底的に叩きのめし、授業でも躊躇なく急所を狙う。おかげで相手をした生徒は大概怪我をする。

 父親に関しても、おそらく彼の影響だ。KSKに所属している父親は仕事に厳格で一切手を抜かない。徹底していたのだ。

 そして、どちらも実力主義だった。

「人間は何かしらの能力を持つ。どこまで伸ばせるかはその人間だけ」との独自な信条を持っていた。故に父親とレオンハルトは“暴力”を伸ばした。

 ならば、ララがそんな選択肢を決断するのはなんら不思議ではなかった。逆に優し過ぎたとも言える。

 イジメてくる上級生はレオンハルトに嫉妬や憎悪を持っているが、本人にぶつけられず仕方なく妹のララにぶつけている。言い換えれば、レオンハルトに勝てないから。だからララをイジメることしかできない。

 それ以前に。

“ララが上級生より弱いと誰が決めたのか”。

 今までは上級生だからと無抵抗で従っていた。だがそれは自分の肉体的・精神的な苦痛を与え、死への危険性をも与えられた。次は死ぬかもしれない。

 頼れるのは自分だけ。行動できるのは自分だけ。自分を救えるのは自分だけ。

 それに、上級生をねじ伏せればレオンハルトに一歩近づくかもしれない。まだ格闘術を“実戦”で試したことはなかったと、ララはベッドの中で呟いた。

 そして翌日。決意を決行した。いつもの普通科校舎裏で。

“実に簡単なことだった”。

 五人のうち、最初の一人目の顔面に拳を叩き込んだ。呆然としていた二人目の顔面を殴り、格闘術の座学授業で習った柔道の背負い投げを“見よう見まね”で実行。コンクリートに叩きつけられて全身を強打。特に頭を強く打ち付けられて動かなくなった。

 三人目が危険と判断し、折り畳みナイフを取り出すと同時に刃を向ける。しかし単純な突き攻撃なので、体の向きだけを変えて躱す。伸ばされた右腕の関節を狙い、肘と膝で叩き潰すように骨を折った。

 更にララは止めず、鳩尾に肘を入れ、顎に掌底を放つ。後ろに仰け反ってよろめいたところを、回し蹴りで放たれた右足が側頭部を直撃。意識を刈り取った。

 四人目が逃げようとしたので、膝を狙い奪った折り畳みナイフを投げた。膝の裏ではなく太股に刺さったが、痛みに耐えられずに倒れた。

 四人目を放っておき、五人目に意識を向ける。顔を向けた瞬間、頭に重い衝撃を受けて視界が揺らぐ。拳銃の台尻で殴られたのだ。

 意識がなくなりかけたが、根性だけで耐える。痛みはある程度耐えれると、皮肉にも上級生が“教えた通り”だった。

 踏ん張り、歯を食い縛って五人目の顎に肘打ち。相手がよろめいた隙に拳銃を叩き落とし、まずは金的。前屈みになって頭を下げたところに膝蹴り。更に頭を掴んで固定させ、何度も膝蹴りする様は、格闘技選手のヴァンダレイ・シウバのようだった。

 顔を血塗れにし、骨を砕いて地面に倒しただくでなく、最後のとどめとしてもう一度顔面を力一杯に殴った。

 まだ視界が揺らぎ、左目に液体か何かが入った。右手で押えると生暖かいべっとりした感触。頭から流血していた。おそらく殴られた時だろう。

 その程度にしか考えず、叩き落とした拳銃を拾う。そしてゆっくりと、呻きながらナイフが刺さった足を引き摺る四人目に向かう。

 歩きながら拳銃を両手でしっかり膝を狙い、発砲。躊躇なく引き金を引いたのだ。銃声と悲鳴が共に谺する。9mm弾が膝を打ち抜いた。

 倒れた四人目を仰向けにさせて銃口を向ける。失禁しながら泣いて助けを乞いていた。全く同じで、自分を見ているようで腹の底から怒りが湧いた。

 同じ立場になって命乞いしたことにではない。あの時、“何が面白くて笑っていたのか全く理解できなかった”からだ。

 初めて死ぬかもしれない危機を体験し、恐怖を覚え、命乞いと失禁をして恥辱も味わった。笑っていた上級生の立場が、今では真逆になっている。ララは笑う立場だ。

“何が面白い”?

 イジメだろうがなんだろうが、あの時、初めて死を体感したのだ。上級生をねじ伏せた時も死を体感した。殺しても殺されても仕方ないと。

“それの何が面白いのだろうか。何故笑えるのだろうか”。

 それがララには意味がわからなかった。

 腸が煮え繰り返るほどの怒りを覚えた。何が面白い、何故笑えるのか。笑ってみろと言ってやりたかった。跪かせてやりたかった。

 引き金に指が掛かる。憎悪で震える。「絞ってしまえ」と脳が叫ぶ。

 殺してやりたかった。

 だが――殺さなかった。

 構えた拳銃を空に向けて全弾撃ち尽くした。銃声が轟く。薬莢が地面に落ち、転がる音が虚しかった。

 騒ぎに駆け付けた教師に押さえ付けられた。抵抗などしなかった。する必要がない。これでララの決意は終わったのだから。

 上級生五人のうち一人が鼻を折る軽傷。膝と太股を負傷した生徒が重傷。顎を骨折し、脳震盪を起こした生徒も重傷。残る二人は死にはしなかったものの致命的で、背負い投げされて頭を打った生徒と金的された生徒には麻痺症状が残り、二度と銃を握ることはできなくなった。普通の生活を送ることが困難になってしまった。

 ララはIMI本部にて処罰を審議され、八ヶ月の謹慎処分並びに期間内のIMI所属を取り消し。更には精神鑑定を受けることになった。

 正直なところ、かなりの大事なのにこれだけ軽い処罰となったのはララとして驚きだった。IMI――特にドイツIMI――では、騒ぎ自体を素早く沈静化する必要があった。世論に知られれば困る為に、さっさと片付けてしまった。

 おかげでララは八ヶ月間。寮の一人部屋、病院の精神科、実家という三ヶ所を往復していた。

 家族はなにも追及しなかった。両親やレオンハルトはなにも触れず、ただ普通の会話をして普通に接していた。妹と弟は、ララがいることに喜んでいた。

 精神科はIMIが指定した個人経営の精神カウンセリングだった。担当が女性なのは嬉しかった。全て話した。気が楽になったのは確かだ。今でもたまに訪れる。

 ララにも変化が訪れた。決意の決行を機に、彼女の考え方などが変わった。それが現在のララ・ローゼンハインを確立し、ゲシュタポのようなやり方へと変わっていく。

 とは言え、やり方がゲシュタポなだけで性格は元々純粋だった。変わったのは成長した為である。

 友達などいない。情報提供者などの知り合いや担当医がいるが、ララが一人なのは間違いない。ララ自身、必要ないと感じていた。

 同時に、「誰かから狙われている」という感覚も生まれた。

 上級生をねじ伏せた。同級生だけでなく、上級生や新入生からも畏怖され敬遠された。別に良かった。だが、命の危機に瀕したあの鋭い感覚が未だに忘れられない。

 自分の血だと錯覚したあの感覚が忘れられない。

 怖い。単純に怖い。ただただ怖い。

 それを忘れることができず、ララの日常生活は常に張り詰めてしまっていた。

 十分足らずで髪と体を適当に洗い、シャワーを終える。バスタオルで拭き、着替えはないので体に巻き付ける。拳銃を持ってリビングへ。バスタオルだけの姿に拳銃という、なんともミスマッチな組み合わせだ。

 そのままお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れて飲む。その間も拳銃は握り続けている。誰もいないというのに。

 コーヒーを淹れたマグカップを持って再び寝室へ。銃の整備作業用机とパソコンが置かれているだけの小綺麗な机の二つあり、小綺麗な机にマグカップを置く。そこで初めて拳銃も置いた。バスタオルを外して椅子の背もたれに掛ける。

 裸になってクローゼットへ。クローゼットを開ければ下着を収納する小さな棚があるが、それよりもIMIから至急された装備一式や、自分で購入した銃や弾薬に照準器や光学機器。そして趣味で集めた各国軍隊のレーションが山積みになっていた。他にもIMI指定制服やワイシャツが何着もビニールに包まれて下げられている。

 下着を身につけ、新しいワイシャツを取り出してビニールを破って着る。スカートと上着、リボンは壁に掛けている物を使う。

 身なりを整え、次は装備を整え始める。拳銃をホルスターに入れて、ホルスターを右太股に装備。左太股には三本のマガジンを入れた自製のホルスターを装備した。

 靴下を履いて時計に目をやる。まだ“終了時間”まで間があるので充分間に合う。

 財布や鍵など必要な物を持ち、コーヒーを飲み干してマグカップを台所に置き、ララは寮部屋を後にした。


――――――――――◇――――――――――


 ドイツIMIベルリン地区は、建設を市内にするか市外にするかで論議された。単純に、銃を扱い実戦を行う学校を市内に建設して良いのか、ということだ。どこの国でも同じことが起こった。

 論議された結果、校舎や寮を破壊された市内に建設し、実戦訓練などを行う場所はベルリン校外のズムター湖近くに建設された。市内に校舎や寮、市外に訓練施設を建設する他国も少なくなかった。

 寮を出たララは少し歩いて地下鉄に乗った。ベルリン市内は公共交通機関を利用しやすく、バスの他にSバーンと言う近距離電車やUバーンと言う地下鉄が蜘蛛の巣のように市内を網羅している。乗車券の利用時間が決まっているが、乗り換えの度に買ったり料金の加算などがない。

 十分ほど乗って降りて再び歩く。住民と観光客に溢れるベルリンは、ヨーロッパの中では比較的に安全な都市だ。だがそれでも観光客狙いの犯罪は多い。

 目的地の小学校前に到着。時間を確認して、そろそろ来るだろうとベンチに座って二人を待った。

 そして午前授業が終了し、低学年が帰ってくる。また今日は高学年も午前で授業は終わる。

 わらわらと出てくる生徒達の中に、ララの姿を見付けて手を振る小学生がいた。

 二年生の弟アダムと、五年生の妹ローラである。

 二人に気付いたララはムスッとしている表情を、この時だけほんの少し微笑ませて小さく手を振り返した。

 ララは今日、二人の姉弟を迎えに行き、ついでに昼食を済ませて欲しいと母親に頼まれた。父親は軍人でほとんどは基地に、母親も商業関係の職で働いている。

 低学年だと学校は午前で終わる。アダムは程近い親戚の家で午後を過ごし、ローラが迎えに来て一緒に帰るのが日課だ。

 しかし今日はどちらも午前で授業が終わり、また親戚も用事があって行けない。その為、ララが二人を迎えに行って昼食を食べさせて欲しいと頼まれた。

 頼まれたのが昨日の朝。抱えていた任務が大体片付いたのが日付が変わる時間帯で、ララは十一時近くまで寝ていた。

 授業などは既に充分な単位を取得しており、座学もほぼ出席しなくても良かった。

 授業よりも、大きくなる姉弟と一緒に食事する方が楽しい。

「お帰りなさい」

「ただいま。ララお姉ちゃん」

「お姉ちゃんただいま」

「アダムも元気そうね。何を食べたい?」

 ベンチから立ち上がったララの両隣を姉弟は歩き、自然と手を繋いで街の中を歩いていった。

 アダムがケバブを食べたいと言ったので、ケバブ屋のレストランを探す。すぐに見つけるが店内は満員だったので、仕方なく路上販売車で買うことにした。

 香辛料やヨーグルトで下味をつけた鶏肉を使い、サラダと一緒にパンで挟んだケバブを三つ、オレンジジュース三つを注文。そのうち一つのケバブにはチリソースをかけてもらう。これはララの分だ。

 十八ユーロ五十セント出すと、何故かドーナッツが二つ差し出された。注文していないが、店主が無料でローラとアダムに渡してくれた。

 店主にお礼をした後、近くのベンチでケバブを食べる。

 食べ慣れているケバブであり、販売車ということもあってあまり期待していないララだったが、意外と旨かった。香辛料のきいた鶏肉、レタス、スライスされたトマトを辛めのチリソースが際立たせて絶妙なバランスを生み出していた。ローラとアダムも口を大きくして頬張り、あっという間に平らげてしまった。

 ローラがドーナッツを手に取ると、半分にちぎってララに手渡した。遠慮せずに受け取って食べる。柔らかい生地に砂糖がたっぷりでかなり甘く、子供受けには充分なお菓子だ。

 まだ時間はある。その場でしばらく話をすることにした。

 学校で美術館に行ったこと。ティアハイム――動物保護施設――のメンバーになり、犬の散歩ボランティアをしたこと。その犬を引き取るかどうか家族で考えていること。父親が帰ってくること、など。色々話した。

「お父さんが帰ってくるから、その時はお姉ちゃんも帰ってくる?」

 ローラの素朴な疑問にララは悩んだ。仕事が片付いても次の仕事があるかもしれない。

「なるべく帰るようにするわ」

「本当に?」

「ええ。努力するわ。母さんにそう言っておいて」

 ララの言葉にローラは顔を綻ばせる。

 腕時計を見れば一時間ほど経っていた。そろそろ二人を帰さなければならない。ララも“個人的な仕事”の時間がせまっていた。

 二人を駅まで送り、ちゃんと電車に乗ったことを確認。ララはバスに乗って二人とは別の場所へ向かった。

 五分程走った距離でバスを降りたララは、表通りから小さな路地へと歩く。

 両端の路地には自動車が隙間なく駐車されており、三車両分は余裕のある路地がかなり狭く感じられる。ララはこの光景を見る度、よく駐車できるなとつくづく思う。駐車ルールではなく、僅かな隙間を残して縦列駐車していることに、だ。

 その通りを歩いて更に小さな路地へ。人通りはなく、陽の光もあまり入らない。そんな路地にある小さな建物の扉を開けて中に入る。ここはアパートだ。

 螺旋状の階段をのぼり三階へ。廊下の一番奥の部屋の前に立ってノックする。

 数秒の沈黙を経て、中から鍵を外す音がした。その後はなにも反応がないので、玄関を開けて部屋に入る。

「何か進展あった?」

 部屋に入るなり、ララはそんな言葉を口にする。

「んー、まぁ、ちょっとぐらいかな」

 ララの前を歩くブロンドヘアーの女性は素っ気なく答え、リビングへと向かう。

 リビングは広かった。物があまりないこともあるが、寝室の壁を取り除いた為にかなり広い。キッチンもリビングと同じ空間にあるが、まったく邪魔になっていない。

 リビングには薄型テレビとベッドの他、大きなテーブルに置かれているモニターやらノートパソコンが印象的である。

「シャノンのおかげで監視はできてるけど、決行するのはわかんないままねー」

 ブロンドヘアーの女性――イザベラは甘い紅茶を飲みながら片手でキーボードを操作する。

 本名はイザベラ・エーベル。情報の収集・解析を仕事にしている情報屋であり、このアパートの一室がイザベラの職場でもある。拠点はこの他にも用意している。

 イザベラはマフィア絡みでララと出会い、危うくナマス切りにされて捨てられそうになったところを助けられた。ララは命の恩人だ。それ以降は本職以外にも、ララの“個人的な仕事”に手伝うようになった。

「だいたいねぇ、ちょっと面倒過ぎるでしょ。これ」

「やるのは貴方じゃないから楽な方でしょうに。一番面倒なのはシャノンの方。方法やら監視やらの準備で忙しそうだったわよ」

「私は一日中監視だけど」

「どうせ寝てるでしょ。その紅茶美味しい?」

「当たり前よ。ママのイギリス旅行のお土産。ララも飲む?」

「要らないわ。甘いの苦手」

 基本的にララは甘い食べ物が苦手だ。ローラに差し出された甘いドーナツに顔をしかめることもなく食べたが、それは姉弟だからだ。姉である以上、そんな苦悩は関係ない。見せることなど以ての他だ。家族以外は別だが。

 イザベラは「あっ、そう」と受け流し、甘い紅茶を飲みながらキーボードを操作し続ける。

 モニターの一つ。ディスプレイには遠くから撮影した男の画像が数枚表示された。白髪になり始めた、少し小太りな中年男性。

「予定は変わんないんだけど、どうするのかぐらいの方法は考えてるの?」

「射殺」

「うわぁ……即答しちゃうか、それ」

「麻薬密売人に遠慮なんて要らないわよ。消してくれって言ってるのだから」

「ベルリンで堂々と銃を使うのはララだけよね。IMIもヤバイの育てちゃって」

「余計なお世話よ。残りは見つけたの? 拠点は?」

「ああっ、もう。そんな急かさないでよ。ちゃんとあるから」

 小さく溜め息を漏らしたイザベラだが、十本の指は軽快にキーボードを叩いている。ララが銃を体の一部のように扱ってきたように、イザベラにとってキーボード操作は呼吸するに等しい。

「はいはい。これ」

 画像の上に表示された数々の情報データや地図にララは顔を向ける。

「郊外にあるこの地点。この地点に廃屋があることをシャノンが発見してる」

「根拠は?」

「週に二回。トラックが出入りしては多数の人間が荷物を下ろしてる。中身はこれ」

 そう言ってイザベラはテーブルの下に張りつけて隠していた物を出した。

 ガムテープがくっ付いたままの掌サイズの袋。中身は純白と言って良いコカインがパンパンに詰められていた。

「かなり良質なコカインだって。700gはある。うまくやれば依頼金より稼げるわよ」

「取ってきたの?」

「中身確認でシャノンが持ってきたのよ。小遣い稼ぎしたっていいじゃない」

「呆れるわね本当に……。それは押収してIMIに引き渡す」

「待ってよ。私とシャノンの持ち分よ!」

「IMIでも幾らか出るから全額渡すわよ。それで紅茶でも飲みなさい」

 駄々を捏ねるイザベラを適当にあやす。ローラとアダムぐらい簡単に言うことを聞いてくれるなら楽なのにと、そう思って小さく溜め息を漏らす。

「それで人数と装備は?」

「最低で八人はいる。六人の見張りをつけて、中に見えたのが二人。配達人とか出入りした奴も合わせれば十五人近くいるかも。

 装備は拳銃や短機関銃、散弾銃。突撃銃や手榴弾みたいな類はない」

「装備の詳細は?」

「MP5系の短機関銃にポンプアクションの散弾銃。拳銃は9mm口径から45口径、マグナム弾とか幅広く考えるべきね。防弾チョッキは着てないでしょ」

「そこまで知れば充分よ」

 会話を遮るように電子音が鳴る。別のモニターに携帯電話のマークが表示され、下に『シャノン』と書かれていた。

『あ、あー。こちら《赤》。聞こえるか?』

「聞こえてるわよシャノン。というか《赤》って何?」

『店員の下着の色』

「馬鹿なことに通信使ってんじゃないわよ。ララ聞いてるからね」

『マジかよ』

「マジよ」

 くだらない情報にララは溜め息を漏らす。こんな女好きの男が元CIA局員なのかとつくづく考えるのだが、仕事の成果は確かなものだ。現に監視や敵の情報には抜かりなく、徹底的な証拠隠滅や実行手段などはララも感心しっ放しである。

 そう考えると、女を見る目がないのは何故だろうと毎回思ってしまう。

「……で、何かあったの?」

『朗報だ。監視対象の予定がわかった。今日の夜から五日間、ニーデルンベルクにある別荘へ行く』

「他に誰が?」

『女と』

「殺していいの?」

『売春婦だ。殺しちまえ。どうせ未来なんかない』

「じゃあ早速片付けるわ。移動の準備よろしく。あと、貴方のセーフハウスに預けてたのでやるから」

『それがいい。じゃあ後で密売人達の情報を送るから、準備して待ってろ』

「早くしてね。イザベラも監視よろしく」

「そっちもガンバんなさいねー」

 早々に会話を切り上げたララは、イザベラへの挨拶を適当に済ませてアパートを出た。またバスに乗り、シャノンがいくつも用意しているセーフハウスへと移動した。

 ララが来たのは古ぼけたアパートで、イザベラが住んでいるアパートより古い建物だ。隠していた合鍵を見つけて部屋に入る。

 狭い部屋だが、一人で生活するには充分な広さはある。しかしシャノンはいくつもセーフハウスを持っており、ここより格段に利用しやすい場所もある。このセーフハウスは本当に緊急時用に用意しており、普段は物置部屋に等しい。実際、テープすら剥がしていない段ボールだらけだ。

 そんな物置部屋の隅にあるライフルケースとハンドガンケースを開ける。ライフルケースの中にはSIG SG552ライフルが、ハンドガンケースにはグロック22拳銃が入っていた。

 SG552ライフルはスイスのスイス・アームズ社が開発したSIG551をコンパクトにしたアサルトライフルで、元々の射撃性能が高い上に室内戦などでも取り回しやすい良い銃だ。グロック22拳銃は、スミス&ウェッソン社が開発した40S&W弾を使用する。45ACP弾と同じくらいの威力且つ装弾数が多い。

 マガジンに弾薬を入れていき、ライフルに照準器などを取り付ける。ストックを折り畳んでリュックに入れる。一通り準備ができたので、シャノンの連絡を待つことにした。

 準備した銃や弾薬などはララの所有物だが、IMIで購入した物ではない。シャノンや銃の密売業者に頼んで購入したのだ。

 IMIを通せば幅広い種類の銃や装備が買える。だが未成年者が銃を買って所持することを危惧して、全てに関してチェックされる。所属する各国IMIとIMI本部、銃器メーカーは身分証明書を確認し、製造番号や購入した日付、数量、使用意図など事細かくチェックされて通るのだ。購入した商品が本来の意図で使用されているのか、犯罪に使われていないか、などがすぐにわかる。

 その為、指定した任務や訓練以外で使用すれば簡単に足がつく。

 ララは、IMIを通して購入した任務用と、“個人的な仕事”用の二種類の装備を持っているのだ。

 何故そんな危険を冒してまで“個人的な仕事”を行うのか。まずその内容は、簡単に言えば殺し専門の何でも屋だ。

 しかし誰彼構わず殺すのではない。殺し専門であるが、基本的には何でも屋だ。情報の収集や解析、監視、尾行など、探偵屋とも言える。シャノンを窓口とし、イザベラが情報担当、シャノンが窓口、立案、監視や尾行、調達を担当し、ララが殺し専門及び補佐だ。

 一番重要なのは目的。金ではない。イザベラやシャノンはわからないが、IMIに所属するララには金銭問題などなかった。任務での報奨金などで賄える。

 目的は、情報を掴むことだった。

 ララは一匹狼の気質故に単独行動が主だ。ドイツIMIでは常に一人であり、集団任務など参加しない。教師に煩く言われて面倒に思いながらたまに参加する、ぐらいだ。おかげでララの情報網は狭過ぎる。

 単純に言うなら、協力者がいなかった。

 使えるものは何でも使う主義のララにとって、諜報科に忍び込んで情報を漁ったりなどしたかったのだが、使いたがっていた情報のレベルは高過ぎた。故にIMIでの行いがすぐにバレてしまい、憲兵科で組織された生徒会によって尋問される羽目になる。

 ララが手に入れたかった情報は、銃と麻薬の密売ルート、違法業者や売春・奴隷売買組織にマフィア組織の活動。政治家や資産家、上流階級の情報。のみならず、他国にまで及ぶ情報を欲した。

 単独行動は動きやすいが、裏世界では勇気や度胸だけでは長生きできない。情報を持つだけでも同じだ。それをどう利用し、どう行動するかという賢さを持っていなければならない。

 ララには賢さがあった。イザベラやシャノンもいた。あとは情報を掴むだけだった。情報は最大の武器だ。時には銃より強く、そしてえげつない威力を持っている。使い方によっては情報で人を殺せる。

 このマフィアはあそこの海外マフィアと組んでる。あのマフィアは邪魔されたくないからもっと麻薬ルートを増やしたい。この場所なら売春できる。このルートなら密入国できる――

 だけでなく。

 あの政治家はゲイで、しかもそいつと不倫している。あの資産家は子供愛好家で、人身売春組織から高値で買い取っている。あの投資家は美人を見つけてはセックスし、コカインを鼻で吸って快楽に浸っている。あの社長の妻は部下と不倫し、社長は二人を殺そうとしている――

 などといった、プライバシーもへったくれもない、社会や人生から抹殺できる情報を掴み、弱味を握りたかった。

 そうでなければ裏世界は生きられない。

 どうせ屑な人間だから死んでもいい。ララはそう思っていた。

 暇になって弾薬の先端を指先で遊んでいた時、携帯電話のアラームが鳴った。シャノンからの連絡だ。

「もしもし」

『密売人達と配達人が拠点に集まる。商品の受け取りだ。準備は?』

「もうしてる。暇よ」

『悪かったな。そこのセーフハウスなら、ボロいスーパーの前で待ってろ。すぐ着く』

「わかった」

 電話を切り、リュックに拳銃と予備マガジン、自前のワルサーP99拳銃も一緒に入れて部屋を出る。合鍵は同じ場所に隠した。

 歩いてすぐ、集合場所のスーパーがあった。古ぼけていて、野菜はあまり良くないスーパーだということは知っている。「あり得ない」とシャノンが嘆いていた。

 言葉通りに、シャノンは高級スポーツセダンである黒のレクサスIS・Fでやってきた。愛車の一つで、メタルボディは艶やかで鏡のようだ。

 リュックを抱えるよう助手席に乗って車は拠点へと走りだす。

 ベルリンから北に向かって郊外へ出る。舗装された道から外れて山道へ。途中に水溜まりがあり、泥が跳ねて車体を汚した。シャノンは小さく愚痴をこぼす。

 しばらく進み、山道の途中で停車した。シャノンは運転席の窓を開け、腕を出してある方向を指差した。

「ここを真っ直ぐ行けば拠点をよく見ることができる」

「森の中突っ切れ、と」

「このまま進んで蜂の巣にされたくないんでな。それにここからはお前の仕事だ。銃声や薬莢の心配はいらない。ああ、そうだ。これ着ろ」

 シャノンは黒のパーカーをララに渡した。シャノンが着るにはサイズが違う。

「イザベラから借りた。その姿だと、万が一ってあるからな」

 どうやら、ララがIMIの制服を着たまま仕事をすることを危惧しているらしい。こんな山奥ではあるが、もしもの場合も考えての提案だ。

 理解したララは上着を脱いでリボンを解き、ワイシャツの上にパーカーを着る。スカートは仕方ない。流石のララもショーツでは殺したくない。

「五分ぐらいで戻るわ」

 リュックを肩に下げ、山道から木々が生い茂る無法地帯を歩いていく。

 拠点の位置とその周囲の地理は、シャノンから地図を使って説明を受けていたので問題はない。だが初めて立ち入る場所の為に警戒を怠らず、パーカーのポケットの中でグロック22拳銃を握る。

 引き抜く必要は今のところなかった。拠点を監視できるポイントまで到着。しゃがんでリュックを下ろし、SG552ライフルを取り出す。膝射――片膝をつく――体勢でライフルを構え、ライフルスコープを覗く。

 レンズ越しに廃屋が見えた。元々は個人が好きで開業した自動車修理場らしく、自宅も隣接している。その家主は既に他界しており、全てを引き払っていたのでもぬけの殻だ。それが現在では麻薬の保管に使われているのだから迷惑な話である。

 廃屋の玄関からすぐ右に二人が椅子に座り、酒や煙草をしながらラジオを聞いている。更に右へ30メートルほどの粗末な金網の門には、一人が煙草を吸っている。そこから反対方向、廃屋から左に50メートルほどには、一人が酒を飲んでいる。見張りは四人。武器はMP5系統の短機関銃や拳銃。イザベラの情報通りだ。

 廃屋の隣の平屋が自動車修理場らしく、使い古されたトラックが無造作に突っ込んでいた。荷台には肥料袋が詰まれている。あの中身が麻薬なのだろう。全て麻薬ならかなりの量だ。

 スコープを覗いたまま、今度は廃屋の中を見る。窓からチラチラと男が数名見えただけで、何をやっているかまではわからない。

 十人強の人数はいると考えることにしたララはライフルを下ろし、装備を整える為にリュックから色々と取り出した。

 まずはSG552ライフルの標準装備として装着していたライフルスコープを外した。アイアンサイトでも80メートルもない距離からならば頭に当てられる自信があるので、別に必要なかった。ライフルスコープのままでは倍率が高過ぎて逆に見えない。

 次に取り出したのはサプレッサー。銃声なんて気にするな、とシャノンは言ったが、まずは見張りを片付けなければいけなかった。となれば、やはり音を消すほうが望ましい。

 サプレッサーを装着し、半透明のマガジンを取り出す。このライフルはGwPat.90 5.6mm専用弾を使用するが、5.56mm弾も使用できる。今回は5.56mm弾だ。専用弾を使わないのは、精確な射撃が必要でもなく、密売人に使うには金額的にも惜しいからだった。

 マガジンは加工せずに複数連結できる。二本連結したものが二つ。その一つには赤いテープが貼られていた。サブソニック弾である。

 こういった用意は絶対に怠らない。様々な状況を考えているからこそ、ララは準備に抜かりがないのだ。

 もう一つのマガジンをパーカーのポケットに入れ、余分な装備をリュックに片付ける。ワルサーP99も片付け、代わりにグロック22をホルスターに入れた。

 リュックはこのまま置いて更に進む。足音をたてないよう注意しながら、姿勢を低くゆっくりと。

 80メートルもない距離で止まり、木の陰に隠れて膝射の体勢になる。ライフルには、赤いテープが巻かれたマガジンが装着されている。

 四人の見張りがバラけるまで少し待つが、まったく動こうとしなかった。

 仕方ないので、まずは廃屋から左に50メートル程の位置にいる男を狙う。頭を狙い、酒瓶を地面に置いたタイミングで引き金を絞る。セミオートで撃つと、「ピシィン」と細い音が漏れた。弾丸は迷いなく、吸い込まれるように男の頭蓋骨を砕き、脳髄を掻き回して貫通。右に揺れ、膝から崩れ落ちた。

 男が倒れ、銃が落ちた音で廃屋前の二人の見張りが顔を向ける。右に30メートルの場所に立つ男は気付かずに煙草を吸ったままだ。

 流れるように狙いを定め、今度は頭ではなく胴体を狙い、ダブルタップの要領で引き金を二回素早く絞る。頭ではなく胴体を狙ったのは、構えた瞬間に撃つので狙いを定める時間はないと判断した為だ。

 一発目は右肩から左肩へ。二発目は右脇腹から左脇腹を抜けた。小刻みに揺れて「ヴッ!」と、悲鳴とは言い難い声を上げた。まだ息があるのでもう二発撃ち込み、今度こそ死んだ。

「何だ、撃たれたのか!?」

 二人の見張りが酒瓶を投げ捨て、テーブルに置いていた短機関銃を手にする。廃屋に入られると厄介なので引き金を何度も絞り、狼狽えている二人の男が撃ち抜かれる。弾丸が当たる度に体が揺れる様は、下手なダンスを見ているようだった。

 サプレッサーを装着し、ちゃんとサブソニック弾を使えば素晴らしい減音効果を発揮する。このように、どこから撃たれたのかすらわからない。気付かれないで殺すというのは、なんとも良い心地だ。

 100メートルも距離がなければ、サブソニック弾でも楽々と貫通できる。木の板を張り合わせただけの壁など、障害物の役割にもならない。

 廃屋の中から怒号が聞こえる。貫通した弾丸が飛来したことに驚いたのだろう。悲鳴が聞こえなかったので、おそらく当たっていない。

 半透明マガジンなので弾数を確認できる。まだ残っているので使いきる。今度こそ悲鳴が上がったので当たったのだろう。

 立ち上がり、体勢を低くして廃屋の右に回り込むように移動。マガジンを交換し、50メートルの位置で再び木の陰から、今度は左手に持ちかえて膝射体勢で構える。

 この位置ならば廃屋の玄関が直線状であり、廃屋からは見えない位置だ。

 悲鳴が上がったままで、ララの移動はバレていないだろう。

 悲鳴を上げる者に誰かが「黙れ」と叫ぶ。ララはじっと待つ。扉がゆっくり開く。扉が軋み、数秒の沈黙。呼吸の荒い男がトーラスM1911拳銃を構えながら出てきた。ブラジルのトーラス社――タウルス社とも――が生産した拳銃だ。

 しかし使う機会など与えない。胴体に二発撃ち、倒れたところに更に二発撃つ。

 出た瞬間を撃たれたので、密売人達は出てこないだろう。それでいい。じっとしていれば楽に狙える。

 右手に持ちかえ、ゆっくり且つ素早くという矛盾に等しい足取りで廃屋に向かう。壁に耳を近づけ、微かに声が聞こえた。位置と人数はわからなかった。

 少し離れて、セミオートからフルオートに切り替える。そして左から右に水平移動させながら引き金を絞りった。一気にマガジンは空になり、廃屋からは断末魔が響く。

 玄関に移動しながら5.56mm弾のマガジンに交換。フルオートからセミオートに切り替える。使いきったマガジンはその場に捨てた。その場を離れた直後ショットガンで撃ったらしく、壁に大きな穴が空いた。

 しかし遅過ぎた。ララは既に玄関から突入し、ショットガンを別方向に構えていた馬鹿な男に発砲。弾丸が頭に当たって花火のよう真っ赤に“爆ぜた”。

 後は楽だった。密売人達は足や手を撃たれて反撃できず、ララはゴミ掃除をしている気分で撃っていた。

 だが、最後の一人を撃ったと思っていたら、隅に倒れていた男が立ち上がり、サバイバルナイフで襲ってきた。どうやら死んだフリをしていたらしい。

 意表を突かれたララは、SG552ライフルでナイフを受け止めた。だが男の左フックが見えない角度から振り下ろされて右頬を直撃。ライフルを手放してしまい、殴り飛ばされた。

 殴られたことはあるが、かなり重い一撃だった。これほどのパンチを持っている人間は格闘技出身だとすぐにわかった。

 踏ん張れず、脆い木製テーブルと一緒に横転。札束や商品の麻薬が舞い、酒瓶が落ちて割れた。

 背中から落ちるが、左手を床についてそのまま後転。同時に右太股のホルスターからグロック22拳銃を抜く。初弾は装填済みで、後転した時に安全装置も外した。

 男の腹部に二発撃ち込まれる。確実に致命傷だ。男は苦痛で顔を歪ませる。

 だが倒れなかった。逆にテーブルの脚を掴んで力任せに振り回したのだ。

「うぐっ!?」

 撃った筈なのに倒れないことで、今度こそ完璧にララの意表を突いた。反応すらできなかった。テーブルで右半身を叩きつけられ、また殴り飛ばされた。拳銃も手放してしまった。

 男はテーブルを放し、顔の前に両手を構える構えになった。ララは痛みに襲われながらも素早く立ち上がり、ボクシングのような構えをする。まさか近接格闘をする羽目になるなんて、まったく考えていなかった。

 口の中にじんわりと血の味が広がる。右頬と右半身はまだ痛みが残る。それでも冷静に男との間合いを計り、状況を確認する。

 190センチはある大柄な男の胸板は厚く、腕は丸太のようだ。筋肉の塊によってシャツがはち切れそうになっている。格闘技ならばかなり恵まれた体格だろう。そこら辺で死体になっている密売人とは訳が違う。

 仕掛けてきたのは男。踏み出すと同時に右のフックが顔に飛んでくる。速い。ヘビー級の図体の癖に、とララは思いながら後ろに体を逸らして躱す。

 今度は左のアッパー。これも速く、先程味わった重さを考えれば、簡単に顎を砕かれるだろう。

 だが、男の攻撃はあくまで格闘技の攻撃だ。KOを量産する、パワフルなボクサーの攻撃。

 対してララは格闘技など習っていない。体得しているのはルール無用の、殺しの技だ。金的、目潰し、何でもありの殺人術。格闘技の枠内から抜け出せていない攻撃を見切るのは、実に簡単だった。

 振り上げられたアッパーをバックステップで躱し、右肘を交差させるように男の左肘に引っ掛ける。そこを点として、踏み出している男の右膝に突き蹴り。回し蹴りは素人の喧嘩では効果はあるが、殺し合いでは使わない。使うならば一点に力が集中する突き蹴りだと、ララは考えていた。

 骨を折ったつもりだが、男が咄嗟に膝をずらしたせいで折れなかった。だが男の体は前へ崩れた。

 前屈みになった男の鳩尾へ、遠心力を最大限に利用させた左の膝蹴りを叩き込んだ。

 男性と女性では明らかな力の差が存在する。それは覆せるほど容易ではなく、常に女性が不利になってしまう。

 故に、工夫しなければならない。いかに効率良く、弱点を突くか。これが重要だ。目、鳩尾、股間などの急所をいかにして素早く攻撃するか。ララはこれにこだわった。

「い゛っ゛!?」

 鳩尾を突いた左膝から左足に、痛みが電撃のように走った。骨を折るどころか、逆に折ってしまったかもしれない。肉を突いた柔らかい感覚ではなく、壁を突いた硬い感覚だった。

 男がにやりと口を歪ませる。ララの膝の下に右手を滑り込ませて押し戻す。元々、超えられない力の差があるのだから、片足で耐えられる訳がなかった。

 壁まで押しつけられ、そこから床に叩きつけられる。100kgを超える体重がのしかかり、ララは背中を床に叩きつけられて息が詰まりそうになる。体を動かせなかった。

 男はシャツを脱いだ。そこでわかった。シャツの下に、プレート入りのボディアーマーを着ていたのだ。これでは蹴りどころか四十五口径も意味がない。第一、気付かないララが馬鹿だった。

「良いガキだ。ヤッてから殺してやる」

 興奮で息を荒くし、シャツを引き裂いてララの両手を縛って片手で押さえ付ける。空いたもう片方の手でズボンのチャックを下ろす。前戯すらしないで犯すつもりらしい。

 犯されて殺される。こんな状況でララは、恐怖を感じなかった。逆に殺してやると強く思った。

 それに彼女は、“ゲシュタポのように酷い女”なのだ。

 男が、既に膨張していた自慢の性器を出して、ねじ込もうとララの体から降りて足を広げさせたのが運の突きだった。

 ララは、テーブルが横転した際に落ちて割れた酒瓶を手にして、男の右目に突き刺した。引き抜くと同時に立ち上がり、顔面を膝蹴りで突いて倒し、酒瓶で股間を何度も突き刺した。

 男の悲鳴が断末魔に変わり、抜いて刺す度に響き渡る。銃声より煩く感じた。

 何度刺したかわからないが、とにかく沢山刺した。股間は血だらけで、細かい硝子の破片が突き刺っている。自慢の性器は引き千切ちぎられたように無惨だった。

 それだけでは足りなかったので、シャツを解いてから転がっていた椅子で男の頭を数回叩き潰し、グロック22拳銃を拾って股間に二発撃ってから頭に二発撃ち込む。それでも満足しなかったので、潰していない左目に二発、残り全てを股間に撃ち込んだ。

 ようやく終わった。撃ち尽くしてスライドオープンした拳銃をゆっくり下ろすが、足音がしたのでパーカーのポケットからマガジンを取り出して交換。

「待て待て待て。俺だ、下ろせ」

 シャノンだった。右手には3インチのS&W M60リボルバーを持っている。

「十分近く経って、銃声がしなくなったから森の中を突っ切ってきた」

「そう」

 素っ気なく言ったララは拳銃を下ろした。口の中に血が溜まって気持ち悪く、床に吐き出した。

「コイツあれだ。UFCに出てた奴」

 シャノンが言う。ララは聞き流してSG552ライフルを拾った。

「首のタトゥーがダサくて、試合が面白くない底辺レベルの選手だ。あー可哀そうに。もう使い物にならねぇ」

「無駄口叩かないでさっさと行くわよ」

「わかってるよ」

 ララが苛立っていることに気付いたシャノンは素直に従う。自分も無惨な姿になりたくなかったからだ。

 ライフルと拳銃の空マガジンを拾い、リュックを回収したララは静かだが、苛立ったままだった。下着越しに男の性器の先端が自分の性器に触れて、耐え難いほど不愉快だったからだ。


――――――――――◇――――――――――


 大方片付き、二人はベルリンに戻った。別のセーフハウスに行き、傷の具合を確かめる。と言っても口の中を切り、プレートで痛めた左膝も骨は折れていなかった。比較的軽症だ。

 治療を終えて少し休んだら夜になっていた。腹が空いたので適当に買って、シャノンが運転する車の中で済ませた。

「イザベラの報酬は減らす」

 買ったケバブを食べている途中、ララは口にした。

「何で?」とシャノンは問う。ついでに、口の中が切れているのに、よく甘辛いソースのケバブを食えるな、と思った。

「防弾チョッキはないとか言った。半分に減らす」

「酷いもんだな。その半分は?」

「必要な経費に回して、余ったら貴方が貰っていい」

「ありがたいね」

 ララはオレンジジュースを飲み、目的地までラジオを聞きながら休む。

 連邦道B469号線を使い、ニーデルンベルクに到着した頃には、日付が変わっていた。

 ニーデンルベルクはバイエルン州ミルテンベルク郡にある町で、ミルテンベルク郡では最も北に位置している。東西を丘陵きゅうりょうに挟まれたマイン川に面していた。昔から冬に発生する洪水と戦い続けてきた、森の豊かな町である。

 ホテルを予約しているが、先に仕事を片付けた方がゆっくり休めるので、ホテルではなく目的地の別荘へ向かう。ハイリゲン通りを使って町を出て進むと、大きな三階建ての別荘がある。そこが目的地だ。

 脇に車を停車させる。グロック22拳銃にサプレッサーを装着。予備マガジン一本を持って車を降り、別荘まで歩く。別荘の前には高級車のメルセデスベンツが停まっていた。

 本当に誰もおらず、見張りすらいない。玄関に鍵がかけられていたので裏に回る。キッチンの扉には鍵がかかっておらず、音をたてずに中へ入った。

 外から見て、二階の一部屋は灯りが点いていた。おそらく寝室だろうと推測し、注意しながら階段を上がる。他に誰かいないか警戒していたが、シャノンの情報は正しいらしく誰もいなかった。

 二階の廊下を歩いていると、男女が快楽を貪る声が聞こえてきた。扉を少し開けて様子を伺うと、男の上に女が跨って激しく腰を振っている。

 もう少し扉を開けて、隙間からサプレッサー部分を出して撃つ。二発の弾丸が女の頭と顔を撃ち抜く。女が血を噴きながら倒れたことに男は驚きの声を上げる。ララは部屋に入って男の両膝を撃つ。真っ白な羽毛布団が、男と女の血で瞬く間に赤く染まった。

 騒ぎ立てる男に対して、ララは落ち着いた表情で男の前に立って銃口を向ける。

「誰だお前は!?」

「貴方を殺す者」

 茶化すつもりはまったくない。拳銃を構えたまま、パーカーのポケットから一枚の写真を取り出して男に見せる。

 写真には初老の男性と、二十代に満たない少女の二人が笑顔で写っていた。

「覚えてる? 覚えてないでしょうから教えてあげる。ドバイに住んで石油を扱う富裕層の人間よ。そしてその娘。娘に見覚えない?」

 男は反応しなかった。

「ここに来る前、フランスで麻薬を売ってたでしょう。旅行者だった彼の娘を拉致して、麻薬漬けにしてから売春婦として売り飛ばすつもりだった。だけど麻薬漬けになって死んでしまい、仕方なく遺体を処理した。

 娘の復讐代行よ。私は」

 旅行から帰ってこない娘を心配し、老人はフランスの警察やIMIに捜索願いを出した。フランスは特に警察、軍、IMIの協力関係が他国より強く、すぐに共同でフランスを捜索した。

 一週間もせず、湖からバラバラにされた娘の遺体が発見。繋がれてから老人へ届けられた。

 妻がいなかった老人は一人娘を失い、生きる意味を失ってしまった。持病の心臓病も悪化し、もう少しで彼は死ぬ。

 死ぬ前に、娘を無惨に殺した奴に復讐して欲しい。関わった人間も殺して欲しい。ララが依頼されたのはそんな内容だった。

「そいつの倍の金額を払う。だから治療して見逃してくれ」

「私は金じゃなくて情報を得た。政治家十七人分の個人情報に、石油関係のルートも貰った。貴方程度で払える金額じゃない」

 ララは更に脇腹へ二発撃ち、残り全てを股間に撃った。

「本当は拷問して欲しいらしいけど、貴方の部下のせいで疲れたからこれぐらいでやめとくわ。ゆっくり死んでね」

 そう言って部屋を後にして別荘を去る。空薬莢は回収しなくとも身元がバレることはない。

 ようやく仕事を終えて、安堵の溜め息を漏らす。こんなに疲れたの久しぶりだった。ホテルに着いたらシャワーも浴びずに眠りたかった。朝になってシャワーを浴びて、シャノンにコーヒーと朝食を奢ってもらうことにしようと考える。

「……家に連絡しなきゃ」

 父親が帰ってくる日に帰ろうと思い、ララは少し期待してシャノンが待つ車へと歩いていく。

 ――数日後、ララの前にエリク・ダブロフスキーが現れ、彼女は兄を追って日本に発つなど予想できなかった。


――――――――――◇――――――――――


 数日前。一人の外国人が東京駅前で佇んでいた。少し太り気味のビジネスマンに見えるが、それは間違いだ。筋肉と脂肪を程よくつけて鍛えている体が、服の上からだと太っているように見えるだけだ。

 外国人の下にメルセデスベンツが停まる。約束の時間より十分早い。日本人は仕事熱心だなと思いながら、後部座席のドアを開けて乗り込む。

 隣にはIMI連盟局局長の内藤、運転席には岡田が座ってハンドルを握っている。二人は外国人に顔を向けることはなかった。

 再び車が出たが目的地はない。ただ適当に走らせるだけだ。

「ミスター内藤」

 流暢な日本語で外国人は話し掛ける。

「貴方が提示した条件は些か厳し過ぎる」

「それを含めての報酬だ」

 顔を見ようとしない内藤に、外国人も内藤の顔を見ようとしない。

「だとしても、我々のリスクが大きい」

「それはそちらの自業自得によって付け回る結果だ。紛争地で虐殺、所構わず女子供を犯して殺す輩を持つから困るのだ。民間軍事企業アックスのポール・ジャクソン社長」

「名前は出さないでくれ。煙草はいいかな?」

「窓を少し開けますので煙はなるべく外へ」

 岡田は後部座席左の窓を少し開け、外国人――ポール・ジャクソンはアメリカンスピリッツを吸い始めた。

 吐き出した紫煙を窓の外へと吐き出し、灰を落としながらポールは続ける。

「今回の依頼は極めて危険だ。状況不明の地に調査しに行くなど、イラクでIEDを探し歩けと言うことと同じことだ」

「少なくとも私達日本人には無理だ。だからこそ、外人であり対応する術のある者達に依頼する。他の民間軍事企業では引き受けない」

「当然です」

 吸い終えた吸い殻を放り捨てたポールは、初めて内藤に顔を向けた。ダークブラウンの瞳がどこか冷たさを秘めている。

「本来の民間軍事企業は荒くれ専門ではなく、警備や護衛、訓練などを主とした企業です。人を殺すのは最終手段。それが民間軍事企業本来の姿だ。貴方が所属していた《GMTC》とは訳が違う」

「ならば何故、軍から追い出された者を多く採用している? 首を絞めているのと同じだろう」

「彼らの多くは戦闘経験によるストレスや生き方に疑問を持って除隊した。だがアメリカの国内事情は知っての通り不況が続いている。新しい人生の為、親孝行の為、金が必要なんだ。だから仕事を与える為に雇う。彼らは異常者ではない」

「ではコイツらは何だ」

 内藤が数枚の書類を投げるように渡す。目を通したポールは内藤に敵意を露にして睨み付ける。

「ジョン・アンダーソン。マイク・ボーン。この二人は軍から問題ありとして追い出されている」

「経歴を調べたな」

「ああ。実に酷かった。ジョン・アンダーソンに至っては兵士と呼んでいけない屑だな」

 ポールを呼ぶ前に民間軍事企業アックスを調べた。活動はもちろん、社員の家族構成に至るまで。

 確かに社員のほとんどはある事情で軍を除隊しなければならず、生活できない為に入社していた――民間軍事企業に入社するほとんどが軍関係者だが――。言い換えるならば、彼らは“そういった世界に捕らわれている”のだろう。

 それは理解できる。内藤も“その世界”でしか生きられず、如月もそうだった。故に彼らの苦悩は理解できる。

 だが、この二名に関しては別だ。兵士としての自覚、価値を見誤り、私利私欲に走った屑の塊とも思った。いや、確実に屑だ。

「この二人もそうだが、社長もなかなかのやり手だな。屑を助けて、危険を冒してまで小遣い稼ぎがしたいのか」

「イラクやアフガニスタンでは二人のような人間も必要となる場合がある。それに腕は確かだ」

「実力がある、ないの話でないことはわかっている筈だ。これでよく経営していられるな」

 あからさまな敵意にポールは気分を害した。だが内藤が、自分の素性を把握していることと、二人に関する情報を握っているとなれば、下手な行動はできなかった。最悪、倒産の危機に陥る。

「密輸にも関わっているのだろう。テロリストと何が違う」

「脅迫か」

「それ故の条件と報酬を提示したのだ。全て終われば満足する見返りもある」

 内藤の言う通り、前にポールの下へ送付された書類には依頼内容と条件、報酬や入国・帰国方法、住居や準備金・必要経費など事細かに記載されていた。報酬は莫大だ。

 ポールが悩む理由は提示された条件だった。厳しい条件の上、身元が判明して監視などがつくことは避けたかった。ただでさえ問題児を抱えているのに、数日前も問題を起こしたのだ。変に目立ちたくない。

「武器類に関する持ち込みまたは購入、所持の禁止。生活行動などを除く依頼内容以外の行動は禁止」

「その二点。その二点を守るならば提示した内容の資金と住居は用意するし、必要ならばどちらも増加させる。そして、依頼を完遂したその時には、二人の汚点を消す手続きをする。これが私の出す条件だ」

「…………日本は完全な銃規制国。警察の目も厳しい。大人しく済ませれば良いだけの話」

「そうだ。入国・帰国に関しても、安全に済ませるよう約束しよう」

「わかった。ミスター内藤。依頼を引き受ける」

「良い返事をありがとう」

 取引が成立し、詳細は後日再び伝えることを約束したポールは、東京駅前で降ろしてもらった。メルセデスベンツが遠ざかり、完全に見えなくなると深い溜め息を漏らし、近くにあった喫煙所へと歩く。

 アメリカンスピリッツに火をつけて考える。依頼内容は調査ではあるが、進行不可区域と呼ばれる隔離区域。基本的な情報すらないのだ。ソマリアやバグダット、カブールのような場所になっていないよう祈るしかない。

 最も問題なのはジョン・アンダーソンだった。マイク・ボーンに関して言えば、確かにマイクも異常者だ。戦闘行動における際の尋問・拷問行為が問題となって軍にいられなくなったが、日常生活におけるマイクは社員の良き上司役だ。

 ジョン・アンダーソンは、本当の屑だと断言できる男だった。人を殺したいという理由だけで軍隊に入った男はイラクでの巡回任務中、呼吸するように民間人を殺した。軍を追い出され、この会社に入ってもやりたい放題。挙げ句の果てには麻薬にまで手を出しているらしい。

「くそ。酷い取引だ」

 愚痴をこぼすものの、受けてしまった依頼は仕方ない。まずは本社に連絡し、人を集める。そこからしなければならない。

 やることができたので、ポールはタクシーに乗ってホテルへと向かった。


――――――――――◇――――――――――


「よろしかったのですか。局長」

 ポールを降ろし、IMI連盟局へと向かう車内で、岡田は改めて聞いた。

「あんなならず者に依頼して」

「仕方ない。普通の民間軍事企業は引き受けない。社員のリスクを回避する為だ。引き受けるのは金に目のない人間か狂人。あるいは馬鹿だ」

 素っ気なく口にしている内藤だが、内心では不安要素を抱えてしまったことを疎ましく思っていた。岡田もそれに気付いていた。

 だがやらねばならない。あの糞溜めを根絶やす為に、破壊する為に、ことごとく殺し尽くす為に。

 内藤は窓の外を眺め続ける。過去を思い出し、記憶に浸りながら。

 結局のところ、内藤も捕らわれ続けているのだ。進行不可区域に。この国に。京子に。さやかに。後悔に。無念に。

 捕らわれていなければ、生きている意味を見出だせなかった。

 内藤は眺め続ける。雑多な街を眺め続ける。思い出が壊れた街を、眺め続ける。

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