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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第一部第2章
10/32

存在

本質を求め。

本能を求め。

自我を捨てる。

 彼の思想は他の生徒と違って達観していた。

 彼の言動と行動と思考は淀みなく――そう。淀みなく歪んでいた。

 救済はなく、慈悲もなければ憐れみもなく、憎悪もない。ただ無機質に引き金を引き、目の前の人間を殺していった。

 それが私には強烈で、印象的で、信じられないと思いながらも彼という存在に引き付けられ、惹かれていった。

 今まで出会ったことのない人間だ。日本IMIに入学した時、同年代でこれほどまでの人間がいるのかと。

 同時に、彼は十年余りの人生をそれだけに注ぎ込んできたのだろう。自分の理想を追い求め、アメリカではなく日本という島国に一人でやって来るほど情熱的で、追求者で、狂っているのだろう。

 事実、彼は人を簡単に殺した。何十人もの犯罪者を一度に単身で突撃し、埃を払うかのよう簡単に殲滅させる。

 彼は強い。実際かなり強い。周囲には誠二や恵、長谷川や他の者がいたおかげでも、彼は肉体的にも精神的にも強くなった。そして今も強くあり続け、飽きを感じさせずに求め続けている。

 それが例え、自分を壊してしまって本当のガラクタになってしまうとわかっていても、彼は求め、進み続けるのだろう。

 そんな彼のことを、私は心配するようになっていった。

「いつか疲れちゃうよ」

 気遣っても彼は同じ言葉を返す。

「大丈夫だ。わかってる」

 いつも私は笑顔で答える。

「そっか。無理しないでね」

 と。

 だが、本当ならば泣きたい。彼の為に泣き、彼が壊れぬよう優しく抱き締めたいのだ。

 彼の肉体と精神は、彼が思っているほど頑丈ではない。肉体と精神の強度など簡単に変動してしまう。

 私自身の強度が変わったのも、死んでも良かったと嘆きながらも世話をしてくれたあの人のおかげで変わった。あの人が凶弾で死んでも変わらずに存在し続けられた。

 もっと強くなれると信じれたのは彼のおかげだから。彼のおかげで立ち直り、技術を習得してようやく同じ土台に立てた。私はずっと助けられていた。

 だから今度は助けたい。彼を――智和を助けたい。新しい仲間の彼女――ララも助けたい。皆を助けたい。

 強くあり続ける人だから。

 簡単に自分を捨てられる人だから。

 それでも私を助けてくれる人だから。

 だから今度は、私が助けたい。

 優しく抱き締め、私の胸で全て吐き出して泣いて欲しい。

(――――そう、思ってたん、だけど……な)

 瑠奈はそんなことを考えながら、セナによる激しい責めで五回目の絶頂を果たした。


――――――――――◇――――――――――


 彼女の第一印象はどうでもよかった。どちらかと言うなら、嫌だった。

 いつも笑顔を浮かべているが、ヘラヘラしているようで気に食わなかった。実際に、話してみても語尾が伸びて間抜けだと思っていた。

 だが違う。彼女と接し、共に行動し、そこら辺にいる同年代とは違うと知った。

 彼女は実力もあり、俺の思想を理解した上で反論した。

 ――そして、こんな俺を心配していた。

 歪み過ぎて、それが正常であるかの如くにまで歪み過ぎて、無機質な存在であった俺が“まだ壊れていない”証拠だ。

 俺が壊れなかったのは彼女――瑠奈のおかげだろう。誠二さんや恵、他の者もそうだろうが、瑠奈の存在がまだ歯止めを利かせている。

 瑠奈がいなければ俺は俺でいなかっただろう。ただ殺戮機械となって、戦場から戦場へ渡り歩いていただろう。

 瑠奈がいたからこそ今の俺がいる。ならば謝らねばならない。感謝せねばならない。

「悪かった」

 と。

「ありがとう」

 と。

 こんな自分を心配し、頼り、いつも横にいる瑠奈は、なくてはならない存在なのだろう。

 ――それが、神原・L・智和が抱く草薙瑠奈への感情だ。


――――――――――◇――――――――――


 智和は目を覚まし、まだ少し重い体を起こした。

 確か恵と模擬格闘戦をした後、瑠奈に膝枕されながら眠ったところまでは覚えている。

 そういえば瑠奈は?

「…………どこ行った?」

 瑠奈はお節介きだ。耳掻きをしたがるほどの世話好きだ。膝枕して眠ったとしても、彼女なら起きるまでその場にいる。そういう性格なのだ。

 だが瑠奈はベンチにいない。

 周囲を見渡せば、チラホラと中期生達が寮へと向かっている。腕時計を見ると、午後の四時半を過ぎていた。二時間程、眠っていたらしい。

「あークソ……」

 目覚めが悪い。ベンチで寝ていたせいで節々が痛いが、それが原因ではない。

 何故あんな夢を見たのだろう。

 あの夢は瑠奈に対する智和の感情だ。見た目にしても喋り方にしても嫌っていたものが、接して捉え方が変わった。

 今なら、瑠奈はかけがえのない存在だと断言できる。

 何故そんな夢を見たのだろうか不思議でならず、また不吉だった。

 智和はジンクスやら占いやらの類いは信用していない。虫の知らせというものも同じだ。

 だが、あの夢は胸に突き刺さるものがあった。オカルトを信じない智和に訴えかけてくる。

 鼓動が早い。嫌な予感がする。

「智和!」

 ベンチから足を下ろした時、何者かが智和の肩を押さえ込むように手を置いた。

「……何してんだよ、ララ」

「それはこっちの台詞よ!」

 ララが予想外の反応を見せたことを訝しく感じた。よく見れば少し汗をかいており、口調も荒く、表情もどこか切羽詰まっている。

「ケータイに電話しても出ないし何やってるのよ本当に!」

「あ?」

 携帯電話を開けば、確かにララから着信がある。最初は一時間前に、その後何度も通話を試みていたらしい。

「何の用事だ」

「瑠奈がいない」

「は?」

「だから瑠奈がいないのよ!」

 ララは今まで溜め込んでいた苛立ちや焦りを、ここぞとばかりに吐き散らかした。

「敷地内を探してもどこにもいない。手当たり次第に探しても見つからない。寮に帰ってないどころか、テーブルの上に学生証が置かれてた! あの子、IMIから姿を消したのよ!」

「…………最悪だ」

 先程見た夢のせいで余計に気分が悪くなってしまった。あまり思考が働かない。

 瑠奈が、いなくなってしまった。

 何故いなくなったのか理由を探ってみるが、それはすぐに思いつく。おそらく、瑠奈に似た人物を探しに行ったのだろう。

 だが居場所を突き止めていない。瑠奈がいったいどんな手を使って居場所を割り出したのか知る由もないのだ。これでは探そうにも探せない。

「黙ってないで何か言って!」

「煩い黙ってろ! 今考えてる!」

 怒声にララが怯む。

 そして智和は後悔した。自分の責任であるのに、ララにぶつけてしまった。

「……悪い」

「……いいえ。私もごめんなさい。貴方から瑠奈のことを言われていたのに目を離したから……」

「責任追及は後にしよう。今は瑠奈の居場所を突き止めるのが先だ」

 早く瑠奈の居場所を探さねばならないが、同時にそれは瑠奈に似た人物の居場所を探すことと同じ意味である。

 半日調査しても無理だったものを短時間で探すなど、正直言って無理に等しいだろう。

 だが、探さねばならない。

「なに大声出したり項垂れたりしてるのよ」

 そこに恵が通りかかった。

 智和と模擬格闘戦をした後も体育館に居残っていたらしく、シャワーを浴びたのか髪は下ろしてしっとり濡れている。首にはタオルを掛け、いつも使っているバックを持っていた。

「瑠奈がいなくなった」

「ああ、そう」

 素っ気ない一言。部隊の一員で共に過ごした仲間に対して、ララは冷た過ぎるのではと苛立ち混じりに睨む。

 だが、これが新井恵の反応なのかもしれない。智和や瑠奈から素っ気ない性格だと聞いていたので、苛立ちを抑え、溜め息で我慢した。

「目星は……その様子だと、わからないようね。長谷川先生に集合かけられた時の話題と関係してるの?」

「ああ。……あ?」

 携帯電話を見続けていた智和は気付いた。

 自分が眠っていた時間帯の着信履歴にはララの他、もう一人いた。

 長谷川から、一件の着信履歴。しかも留守電などではなく出ている。おそらく、瑠奈が出たのだろう。

 智和の記憶では、長谷川は強希や琴美、中期生達と準進行不可区域へ課外授業という名目で探索任務をおこなっていた。今の時間は知らないが、電話してきた時間ではまだ出ている。

「……ララ。お前、瑠奈のパソコン使ったって言ったな?」

「ええ。でもあれ、メールは削除したし、簡単に復元されないようウイルスを仕込んだわよ。友達から教えてもらった付け焼き刃提出だけど」

「瑠奈はそこに目をつけたわね。となれば……」

「……新一か」

 すぐさま新一に電話する。この時間帯は寮でゲームをしているだろう。

『なンスか智和さん。ちょっと手離せないンスけど』

「率直に言う。瑠奈がパソコン持ってメール復元しろって頼んだだろ」

『メール……あー。頼まれましたよ。解析してメール復元しましたし』

 やはり。解析作業を新一にさせてメール内容を見られた。

「今から出る準備しろ。十分以内に第一車庫に市街戦装備だ。恵のもだ」

『は? え、ちょっと、待っ……今マジでいいとこなンスけど』

「黙れ殺すぞ」

 殺意丸出しで電話を切ったが、すぐに電話がかかってきた

 相手は新一ではない。倉田という同年代の諜報科生徒であり、エリク事件の際に智和と一触即発になってしまった男子生徒からの電話だった。

 電話に出る。

「何だ?」

『今から諜報保安部前に来れるか? 話したいことがある』

「後にしてくれ。忙しい」

『瑠奈が来たんだよ。無許可で』

「……わかった。今行く」

 通話を終えてベンチから立つ。

「着いてこい。瑠奈絡みだ」

 早足で諜報保安部の建物へと向かう。入ったことはないが場所は知っているので問題ない。

「こっちだ、こっち」

 諜報保安部の建物前には倉田と女子生徒――藤井がいた。藤井はどこか申し訳なさそうな表情で俯いている。

「瑠奈がどうした?」

「無許可で諜報保安部に入った。詳しくはコイツに聞け。話せ藤井」

「あ、はい……」

 顔を上げた藤井は智和と目線を合わせることを極力避けながら、事情を説明し始める。

「瑠奈さんから調べて欲しいって頼まれて、諜報保安部のシステム利用して調査しました」

「その内容は?」

「ロイ・シュタイナーという研究者と、瑠奈さんによく似た人物の調査です」

「どんな手段で調査したの?」

 ララからの質問に藤井は顔を向ける。

「街中のカメラ映像を取り寄せて二人の行動を分析しました。ロイ・シュタイナーは一度限りで不明ですが、瑠奈さんに似た人物の行動分析は割り出せました。出入りしていた建物や行動範囲をリストアップした後、瑠奈さんはすぐ消去を要求しました」

「すげぇな。中期生で高期生の目を盗んでハッキングするなんて。有望な後輩だな倉田」

「すぐバレたけどな」

「そんなことより」

 ララは話を戻させ、再び藤井に聞く。

「そのデータはすぐ復元できる?」

「可能ですが時間がかかります。それよりだったら監視カメラの映像を私が見て、瑠奈さんを見つけたほうが早いです」

「そこで俺から提案だ」

 藤井から倉田に話が移る。

「諜報保安部には今、俺と藤井ともう一人しかいない。時浦も別件でいない。システムを無断で使える」

「何が言いたい」

「取引だ。瑠奈の居場所を捜し出すのと、無許可で入ったこととIMIから出ていったことをなんとか揉み消してやる。後はお前次第だ」

「できるのか?」

「できる」

 考える必要はなかった。

「引き受ける」

 即答だった。

「必要なことは?」

「問題は長谷川を通してないことだ。部隊任務として取引はしたが、長谷川を通さず了解した。あとはまぁ情報の受け渡しだな。電話で伝えてもいいんだが、バレるのはまずい。できればIMIのサーバーに繋がってるのが望ましいな。簡単に伝えられる」

「そんなのあるわけないじゃない」

 IMIのネットサーバーに繋がっているなんて、諜報科にあるパソコンか教師達が使用するパソコンぐらいだ。

「……いや、ある。移動できるネットサーバーがある」

「輜重科から大型車でも借りる気?」

「長谷川の車を借りる」

「長谷川? あの人の車、IMIのサーバーに繋がってるの?」

 嘘のような話で俄かに信じられない。

「それより長谷川はまだ帰ってないでしょう。貴方が言ったことよ」

「帰ってくるらしいよ」

 発言したの恵だった。

「電話があった。あと十分もすれば戻ってくる」

「というより、貴方は何を求めるのかしら? 取引と言ってるぐらいなのだから要求はあるのでしょう」

 ララの言う通り、倉田は取引と言った。まだ具体的な要求はしていない。

「取り敢えず口止め料金。調査協力料金。根回し料金。三人合わせて結構な額。あとは」

「まだあるの?」

「――生徒会の尋問に関する場面において、関与否定または証言しないこと。これが重要だ」

 その発言で、ララと恵の目付きが鋭く変わる。

「智和。お前が動けば生徒会は目をつける。その際に俺達の関与を否定するか、証言はするな。これに加えて料金を要求する」

「舐めてんじゃないわよ、倉田」

 恵が倉田の襟首を掴んで引き寄せる。声には明らかな怒気が含まれていた。

「アンタ、智和をわざと生徒会にぶつけるつもりね。諜報保安部から注意を逸らさせる為だけに」

「俺達がしてることは犯罪スレスレだ。生徒会に捕まると作戦自体が水の泡になる。当然の要求だ。仮にお前達が生徒会に尋問されても、校則違反で事が治まる」

「舐めきってるわよ、ねそれ。その為だけに、私達売るつもり?」

 諜報保安部は言い換えれば犯罪者集団。手段を問わずに任務を行う彼らは、非合法に手を染めている。

 一番の秘匿性を持つ諜報保安部はIMIでも情報が少ない。それ故、規律を重んじる生徒会に目をつけられたら厄介事になるのは間違いない。

 特に、現在遂行中の作戦は今のところ監視だけであるが、外部に漏れるのは避けたい。それはIMIとて例外ではなく、諜報保安部と学園長だけに留めておきたいのだ。

「もういい恵。離せ」

 今にも殴り飛ばしてしまいそうな空気の中、智和が続けて言う。

「お前達の要求を受ける。だから恵、離せ」

「……馬鹿よね、智和。アンタって本当に馬鹿」

 呆れてやる気が削がれたのか、眠たそうな目に戻った恵は手を離す。

「気を悪くするな」

「俺達だって犯罪スレスレだ。公然と殺してるんだからな」

「それもそうだ」

「ところで」

 無理矢理に怒りを抑えているらしいララは、腕組みし言葉を強調させて問う。

「長谷川浩美って言う鬼教官が、簡単に車を貸してくれるとでも思ってるの?」

「…………」

 問いに答える者は誰もなく、ララの怒りは更に増すだけになってしまった。


――――――――――◇――――――――――


 十分もせずに長谷川は中期生と、後から呼び寄せた展開部隊と医療部隊を引きつれてIMIへと戻っていた。

 医療部隊の生徒が、トラックから慎重に死体袋を運び出して地面に並べる。

 その数は二十。準進行不可区域を歩き回って、行方不明者と同じ数の奇怪死体を発見した。これから医療部隊が警察と共に死体を調査すれば、おそらく合致するだろう。

「医療部隊は死体を運べ。他の者は解散してもいい」

 ――長谷川が指示を出していた時、離れた場所から様子を伺っている二人がいた。

 その二人は智和、ララだ。恵は新一と別行動である。

「長谷川が琴美さんのほうに行ったな。チャンスは一度だぞ」

「……何してるのかしら私。本当に馬鹿みたいね」

「仕方ないだろ。方法はこれしかないんだ。強希には連絡して話はつけてる。後は琴美さんだ」

「ねぇ、本当にあの人連れて行かなきゃ駄目なの?」

「お前がIMIのネットサーバーにバレないようアクセスできたら必要ない。それに、リスク考えれば俺が危ないんだからな」

「わかった。わかったわよ。連れて行けばいいんでしょう。だから貴方も失敗しないでよね」

「それでいい」

 呆れて溜め息を漏らすララだが、今は落胆している場合でも校則違反を恐れる場合でもない――校則違反などドイツIMI所属時から幾度としているが――。

 瑠奈を助けなければならない。今の彼女を動かすのはその意思だ。

 様子を伺っていると、長谷川は死体を運ぶ医療部隊へと向かった。長谷川の車は停車しているが、教師専用の駐車場に停めなければいけない為、おそらくキーはつけたままだろう。なくともなんとかできる。

「行くぞ」

「ええ」

 何気なく歩きだした二人は平静を装っているが、醸し出す雰囲気はどこか威圧的である。周囲に人がいれば気圧され、自然と道を開いていくだろう。

 智和は早足で車に向かう。ロックされておらず、キーは刺さったままだった。

 運がいい。なかった場合は窓を叩き割って侵入し、ナイフを使ってエンジンをつけるつもりだったが、その手間は必要なくなった。

 運転席に乗り込み、ララが琴美を連れ出すタイミングを見計らう。

 ララはゆっくりと琴美に近づいていく。気が張り詰め過ぎているのか、無意識で足音をたてていなかった。

「あら、ララちゃん」

 それでも声をかけたのは琴美だった。足音はたてていなかった筈なのに気付いたということは、もしかすると彼女は諜報科も受講しているのではと思ってしまう。

 しかし今はそんな場合ではない。

「ちょっといいかしら」

 ぎこちない笑みを見せ、わざとらしく腰に手を置いた。これが“合図”だった。

 智和がキーを回すと、馬力も底上げされたランサーエボリューションからはけたたましいエンジン駆動音が鳴り響く。

「おい。おい、智和!」

 ようやく気付いた長谷川は運転席に座る智和を見て声を荒くする。

 そんな声など届かず、ハンドルを巧みに操ってララと琴美の傍に寄せた。

「乗って!」

「え、ちょっと、ちょっと!?」

 事情を把握できない琴美は慌てふためき、そんな彼女をララが後部座席に押し込めて乗り込んだ。

「出て!」

 後部座席のドアを閉めると同時に車は急発進。あと少しで触れたであろう長谷川の右手が遠ざかる。

 手が届かなかった長谷川は立ち止まり、愛車が遠退いていく光景を呆然と見ていたが。

「無線機を貸せ!」

 すぐに正気を戻し、トラックに搭載していた無線機で、警備員が使用している周波数に合わせた。

「こちら長谷川。聞こえるか」

『こちら正面入口警備室。どうしましたか?』

 長谷川と警備員達は飲み仲間でよく連絡を取り合うのだが、無線機で連絡するなど初めてのことだった。

「今そっちに私のランエボが通る。停車させろ」

『はい?』

「なんでもいいから停車させろ」

『停車、ですか……。そうなると長谷川さんのランエボ、粉砕になりますけど……?』

「…………」

 正面入口の侵入防止機能は、教師である長谷川はよく知っている。真正面から行けば、間違いなく粉砕されることも。

 そうなると、愛情込めて改造したランサーエボリューションを傷物にはしたくないという気持ちも出てしまった。

「……なんとか停車させろ。傷なしで」

『了解しました。……何だ?』

 警備員が苦笑から疑問に変わる。

『あのハンヴィー、こっちに猛スピードで…………っておい! 待て! って、あ! ランエボ!』

「…………」

「あの、長谷川先生」

 無線機の先での光景が簡単に想像できて固まっていた長谷川に、輜重科の加藤が素っ気なく話し掛けた。

「強希さん。ハンヴィー乗ってどっか行っちゃいましたけど、何かの指示ですか?」

 最悪過ぎて頭を抱えた。気絶したほうがまだ楽だった。


――――――――――◇――――――――――


 正面入口を突っ切ったハンヴィーとランサーエボリューションは、IMIから離れた場所で一旦停車した。

「もっとマシな車なかったのか」

「いや、手頃な場所にあったからよ」

 呆れ気味の智和に対し、強希はなんのこともないように話す。このハンヴィーは加藤が整備する予定だったが、智和の連絡を受けた時に借りてきた。

 中では新一と恵が銃の点検をしているのが見える。

 そしてランエボの後部座席では、ララが琴美に事情を説明し終えたところだった。

「……そう。そうだったの」

 琴美は深い溜め息を漏らし、少し悩んでから結論を出した。

「わかった。IMIのネットサーバーに繋いでみる。でも智和君、生徒会はこれを機会に私達をマークするよ。私は逃げ道を用意してるからいいとしても、他の皆は大丈夫?」

「一応の準備なら。あの二人は大丈夫だ。ララに関してもなんとかする。強希は……慣れてるからいいだろ」

「うるせぇよ」

 生徒会の対策を簡単に話し終えて智和が倉田に連絡でもしようかとした時、携帯電話に着信が入った。

 相手が誰なのかは確認するまでもない。すぐに着信ボタンを押した。

「長谷川か。遅いな」

『どんな気分で電話してるのか察して欲しいんだがな』

 冷たく、無理矢理に怒気を押さえ込んだ声は、初めて聞いた生徒ならば震え上がるだろう。

 だが、智和は怯むなどしない。逆に向かっていく性格である。瑠奈のことならば尚更引くことなどできる筈がない。

『何故あんな無茶をした?』

 瑠奈がいなくなったことや、諜報保安部の協力など包み隠さず全てを話した。

 聞き終えた長谷川は長い沈黙の後、呆れたような深い溜め息をいた。

『…………何故、私に相談しなかった?』

「相談する暇なんてなかった。それに寝てたしな」

『威張ることではないだろう……』

「冗談はここまでだ。それで長谷川、俺達をどうするつもりだ?」

 長谷川の立場を考えるならば、力尽くにでも引き戻さなければならないだろう。担当する部隊が許可なしにハンヴィーを持ち出し、挙げ句は教師の車を盗んで正面入口を突破したのだから。

 生徒の責任でもあるが、部隊の責任は最終的に担当教師にある。IMI本部に通達されれば短期間聴取を強要され、仕事に支障をきたしてしまう。。

『私の車で何をするつもりだ?』

「IMIのネットサーバーに繋いで、諜報保安部から直に情報を貰う。生徒会の目を諜報保安部に向けさせない為の配慮だ」

『身代わりになるつもりか?』

「瑠奈の居場所がわかるなら。俺は身代わりにでもなるし、誰でも殺すぞ」

 受話器の向こう側からまた溜め息が聞こえた。

『…………瑠奈は学生証を持ってないのか?』

「持っていない」

『……それじゃIMIのネットサーバーに繋いでも、ただ生徒会に犯罪行為を見せびらかしているだけだ。諜報保安部と情報伝達するなら、私のパスワードを使え』

「なに?」

『私のパスワードを使えば問題なくネットサーバーに繋げる。それどころか教師特権でどこから繋いでも生徒会には干渉はされない筈だ。私の車は本来、非常時における“移動可能な通信施設”の一つの役割を持っている』

 長谷川の車が何故これほど武装しているのか。ララが疑問に感じていたが、それは移動可能な通信施設を理由として改造された。

 本来、IMIは公共機関と連携はしている。しかし非常事態となった時――例えばテロ行為などによる場合、公共機関と連携できない可能性が考えられる。それどころか、公共機関が全く機能しない可能性もある。

 その為に考案されたのが、教師が使用する移動車の通信施設化だ。

 テロに限らず、災害などにて生徒が広範囲で活動すると、どうしても管理能力が低下してしまう。教師の統制を基本とする組織構造のIMIでは、管理能力低下は致命的となる。

 そこにIMIネットサーバーに接続された移動車があった場合、IMI本部などの連絡も可能となる他、生徒の管理も格段にしやすくなる。

 何故、IMIネットサーバーに接続していれば生徒を管理できるのか。

 これは学生証に組み込まれている超小型マイクロチップに、GPS機能が備わっているのが理由である。

 学生証には生徒の個人情報が詰め込まれている他、IMI内の活動には欠かすことのできない重要な存在だ。貨幣機能やロック機能などを備え、個人情報全てが電子化されて一枚のカードとされている。

 またIMIの生徒が事件に巻き込まれて行方不明になる、ということは珍しくない話である。生徒を探す際にGPS機能を使って居場所を突き止めるのだ。

 絶対に手放すな。教師が言い続けてきたこの言葉には、これだけの理由があったのだ。

『学園長には私から反論しよう。お前達は自分の力だけで生徒会に対処しろ』

「……いいのか?」

『こうなってしまっては仕方がない。もうネットサーバーやら私の装備やら好きに使ってもかまわない。琴美を連れたなら私が伝えよう』

 何度聞いたかわからない溜め息の後、強い口調で命令を下す。

『絶対に助けだせ』

「感謝する」

 電話を切り、長谷川の願いを託された智和は早速指示を出す。

「琴美さんは今から長谷川に連絡を。長谷川のパスワードを使って諜報保安部と通信してくれ」

「わかったわ」

 助手席に移った琴美は席を下げて充分なスペースを確保し、携帯電話を肩と顔で挟んでキーボードを操作する。

「新一と恵は強希のハンヴィーで後ろから着いてこい。絞り込んだら場所を指定する。新一と恵はそこを狙撃する準備を」

「マジッスか。滅茶苦茶近いッスよね」

「屁理屈言わない」

 恵に強く言われた新一は愚痴をこぼすことなく、渋々と銃の整備を続ける。

「ララ。装備は?」

「一応は」

「お前は俺と一緒に来い」

「私からお願いしたいわね」

「そりゃ良かった」

 智和とララは装備を確認する。二人は拳銃であるが、もしもの為に長谷川の装備は使用できるし、新一の援護もある。充分だった。

「作戦を開始する」


――――――――――◇――――――――――


 携帯電話を閉じた長谷川は、もう一度深い溜め息を漏らした。

 瑠奈がIMIから姿を消した。

 耳にした時、それほど衝撃はなかった。瑠奈ならばいずれ調べてしまい、こうなってしまうと思っていたのだ。

 瑠奈の実力もそうだが、周囲の交友関係が調査の幅を更に利かせている。面倒見のいいお節介な性格がそうさせている。

「……しかし、どうしたものか」

 相手をどう対処しようか。こればかりは長谷川の独断はできない。

 数日前に不可解な資料を受け取ってすぐに対象が現れ、ろくな下調べもできず智和に放り投げてしまった。

 長谷川が責任を負ってはいるものの、受け取った資料がIMI本部からの情報ということは、明らかに面倒事だろう。

 それが学園長から渡されたとなれば、ほぼ確実に面倒事で、企業の意思があるのは間違いない。

 考えているうちに携帯電話に着信が入る。琴美からだ。

 今は瑠奈を救出しなければならない。

 頭から不必要な思考を投げ捨て、長谷川は電話に出て琴美にパスワードを告げた。


――――――――――◇――――――――――


「繋がった」

 長谷川から聞いたパスワードを打ち込み、数秒でIMIネットサーバーへと接続できた。

 教師専用回線ということもあり、特にファイアウォールを突破することなく諜報保安部へと接続し、外部が監視することはほぼ不可能となる。

 唯一懸念すべきは内部。IMIの人間に気付かれないかどうかだ。長谷川が対処してくれるとは思うものの、許容範囲を越えている場合は自分達でなんとかしなければならない。

「諜報保安部とも繋がった。回線は良好。通じるよ」

 琴美から渡されたヘッドセットをつける。最初はノイズばかりだったが、すぐ鮮明に聞こえた。

『手短に済ませる。既に瑠奈の場所は突き止めた。今送った』

 倉田の言葉に応えるかのように、ディスプレイの地図上に赤い点で表示された。

「準進行不可区域に近いな」

『準進行不可区域に近いって理由だけで潰れた会社だ。四階建て屋上あり。その付近はもう人は住んでいない。隠れるには最適だ』

「新一!」

 運転席の窓から身を乗り出し、横に停車するハンヴィーの扉を叩きながら叫ぶ。なにも装備していない銃座から新一がひょっこりと顔を出した。

「なンスか?」

「ポイントF―14―28。ここをどこなら狙撃できる?」

「ちょっと地図で確認するッス。無線機の周波数は?」

「顔出したら教えてやる」

 顔を引っ込めて一分ほど。また銃座からひょっこりと顔を出す。

「西の方角。F―10―8。距離270メートル。六階建てビルの屋上からならいけるッス。遮蔽物なし。ところで周波数はどうするッスかー?」

「ほらよ」

 智和から新一に二つのヘッドセットが投げ渡された。

「それなら問題ない。恵と強希に渡せ。細かく状況を伝える」

「了解ッス。強希さーん、発進していいッスよー!」

 運転席の窓を閉めた智和は車を発進させる。新一が顔を引っ込めた直後に、ハンヴィーが狙撃ポイントへと向かう。

 とは言うが、目的地は違えど同じルートを辿る為に二台は一緒に猛スピードで道路を走り抜ける。

 危険な追い越しを続けていき、準進行不可区域へ近づくにつれて人や建物が少なくなってきた。

『智和。次の交差点で狙撃ポイントに向かうから離脱する』

「了解」

 後ろから着いてきたハンヴィーが道を外れる。

 瑠奈がいる場所までは近い。スピードを落とし、目的地から150メートルほど離れた場所に車を停めた。

 準進行不可区域から200メートルもないこの場所は人の姿が見当たらず、ゴーストタウンの静けさを持っていた。これは準進行不可区域に近い、という理由だけの風評被害だ。

「琴美さんはここで待機していてください。倉田や長谷川から何か連絡があるかもしれない」

「わかった。気を付けて」

「行くぞララ」

「ええ」

 ここからは歩いていく。活気のないこの場所では遠くからでもエンジン音が響くかもしれないが、今はそんなことを考える余裕はない。

『こちら恵。狙撃ポイントについた』

 100メートルを過ぎたあたりで恵からの通信が入る。

「様子は?」

『一階の様子はわからない。二階はちょっと見えづらい。その上の階は良好。どのタイミングで撃つ?』

「許可するまで撃つな」

『は? 殺すんじゃないの?』

「訳ありだ。できれば生きたまま確保したい」

 瑠奈とよく似た人物はロイ・シュタイナーの居場所を知っている筈だ。長谷川から託された任務では所在を突き止めることが必要となる。

 恵が意を反したのは、単純にロイ・シュタイナーのことを知らないからだ。知っているのはララと長谷川に琴美ぐらいである。

『…………了解。そう伝えとく』

「悪いな」

 長い沈黙の後に渋々といった感じに答えた。

 恵のことだからちゃんと新一に伝えるであろうが、撃つ本人は状況によって引き金を引くだろう。

 そうなる前に釘を刺して片付ける予定だが、果たして上手くいくかは智和自身でさえわからない。

「建物前に着いた。見えるか?」

『見える』

「準備は?」

「いつでも」

 ララがワルサーP99を持って安全装置を解除したことを確認し、智和も手にしていたFN5-7の安全装置を解除した。

 因みにララには言っていないが、ナイフを一本装備していた。別に特別なナイフでもなく、通販で購入した手軽なごく普通のナイフだ。IMI内にいる時はこのナイフを常備している。

 窓から中を覗くがよく見えない。結局入口から中に入った。鍵はかかっていない。ガラスを叩き割る必要はなかったが、正面から堂々と行くのは反撃やら待ち伏せを考えると嫌だった。

 だがそんな予想は外れ、何事もなく建物内に入れてしまった。

「建物内に入った」

 一階はなにもなかった。机やら棚やらの備品はなに一つなく、コンクリート剥き出しの床や電灯のない天井が無機質な印象を与えてくる。

 入口から見渡すだけでなにもないとわかり、二人は上の階へと行く。

 二階は少し違っていた。奥の方にベッドが一つある。そこには人が寝ていた。寝ている、というよりは拘束されているように見える。その人物は、その少女は――

「瑠奈!」

 ベッドに拘束されている瑠奈を見たララは駆け寄る。

 その瞬間を、狙われた。

「あっははははははぁっ!」

 後ろを取られた智和が振り向いた瞬間、瑠奈によく似た人物が右手を振り下ろしているモーションになっているのが見えた。

 反射的に左手で振り下ろされた右手首を掴み、右手に持つ拳銃の銃口を相手の腹部に向ける。

 しかし相手の膝蹴りが先に智和の腹部に直撃。思った以上の重い攻撃に怯んだ隙を突かれ、左手で拳銃を叩き落とされた。

(この女どっから出て来やがった!?)

 日本IMIの最高峰である特殊作戦部隊に所属する智和は、任務時だけでなく平常時でも気配を感じる第六感という特異体質を持っている。

 それは獣などという域を越え、もはや精密機械だ。センサーを張り巡らせて僅かな危機でも反応するようなものだ。

 だがこの少女――セナは背後から襲い掛かった。センサーに引っ掛かることなく、右手に持っていたナイフを振り上げていたのだ。

「あはは、あははははははぁっ! 来ると思ってた思ってた!」

「ッ……なんつう馬鹿力……!」

 智和の力でも拮抗状態を作るのが精一杯だった。

 智和が押し倒される不利な態勢ではセナに力負けするのも時間の問題であり、証拠にナイフの切っ先が顔面に近づいてきている。

「くふ、くふふふふ、うはははは」

「ンだよコイツ……! マジで似てやがるな……!」

 顔だけではない。体型や髪型、声までも瑠奈に似ていた。

 それでも手加減することなどない。

 この少女は瑠奈ではない。似て非なる別の人物だ。

「この……!」

 ララは拳銃を構えて発砲。智和が押さえ付けられているが、かまわず引き金を引くのは流石と言うべきか。

 しかしセナは銃口を向けられる前に智和から離れ、階段を駆け上がっていった。

「智和!」

 ララが駆け寄る前に智和は体を起こし、落とした拳銃を拾う。

「クソ……!」

 苛立ちというよりは怒りの感情が沸き上がってきた。

 セナの姿が瑠奈とまったく同じということに怒りを感じていることもあるが、ただ純粋に遅れをとったことに怒りを感じていたのだ。

「瑠奈を解いてやれ。俺はあいつを追う」

 ヘッドセットを投げ渡して立ち上がり、蹴られた腹部に手をあてて確かめる。痛みはもうない。

「恵にまだ撃つなって連絡入れとけ」

「馬鹿じゃないの!? まだ確保しようとする気!?」

 智和の真意を即座に理解したララは声を上げた。

 ララもわかっているのだ。あれは危険な存在だと。それなのに智和はまだ任務を遂行しようとしている。

「今、ここで殺すべきよ」

「駄目だ。確保する。“確保しなければならない”」

 そういうや否や智和は階段を駆け上がる。ララはその後を追えず、瑠奈の拘束を解くことにした。


――――――――――◇――――――――――


 ――あの女は確保しなければならない。

 智和の行動を突き動かすのはそれに尽きるだろう。

 セナを確保すればロイ・シュタイナーの居場所がわかるかもしれない。もちろんそれも理由の“一つ”だ。

 もう“一つ”は、それによって瑠奈の過去が判明する可能性の為に。

 瑠奈は自分の過去を知る為にここまで来たのだ。おそらくこの後も引き下がることなく、この場から退却してもまた出ていくだろう。

 ならば、今ここで終わらそう。

 瑠奈が真実を求めるならば否定はしない。

「逃げないんだな」

 三階。相変わらず無機質な部屋には、似合わない二個のキャリーケースが開かれていた。その中身はソードオフされたショットガンや、MP5などのサブマシンガンが詰められている。

「うん。逃げないよぉ」

 少女――セナはステップを踏むように向きを変えた。

 その髪、その顔、その体、その表情、その声。

 見れば見るほど、聞けば聞くほど、この少女は瑠奈だと認識してしまいそうだった。……否、もはや双子とさえ感じた。

「やっとセナはセナを理解できたんだもぉん。逃げる訳ないよぉ。“逃げるなんてもったいない”」

 まるで性欲が満たされているかのように頬を赤く染め、満面の笑顔を智和に向けていた。

「セナはずっと勘違いしてたんだぁ。セナが満たされるのは殺しの過程だと思ってたのに、あ、でも過程は合ってたんだよぉ。ただ方法がね、違ってたんだぁ」

 嬉しそうに、楽しそうに、満たされたように話すセナは静かに、ゆっくりとキャリーケースからショットガンとサブマシンガンを手に取った。

「“死に逝く過程”じゃない。殺すことだよ。ただ殺し合うのが唯一セナが満たされる……“戦闘行為がセナの存在する意味”」

 安全解除からセミオートに設定した時、智和は左手で腰に装備していたナイフを抜く。元々は右手で抜くことを想定して装備していた為に左手だと抜きにくかった。

「セナは戦いたい。戦いたいだけなの。だからね、セナは逃げるなんてしない。君みたいな“強いのに会ったから、逃げたくないの”」

「戦闘狂め」

「そうだよぉ。貴方だってそうでしょうぉ? セナにはわかる。すっごくわかるよぉ……君はセナと同じ。戦わないと気が済まない。殺し合わないと気が済まない……同じ同じおぉんなじぃなんだよぉ!」

 だからね、と。

「セナは君を殺したい。もういたぶるとか遊ぶとかセックスとか関係ないの、セナはセナはねッ、君を殺したいのッ。ううん違う。君と戦いたい戦いたい戦いたい戦いたイ戦イタい戦イタイッ! それがセナの存在だからそれがセナの意味だからァッ!」

「…………勝手に言ってろ戦闘狂」

 セナが自制できなくなったことで穏便に済ますことはできなくなったが、初めからそんなことは無理だと知っていた。

「勝手に狂ってろ。聞きたいこと聞いたら、勝手に死ね」

「酷いなぁ……こんなに楽しくて胸がドキドキするのにぃ…………あ、そうだ。君はお姉ちゃんとどんな関係?」

「あ? お姉ちゃん?」

 最初は誰のことを言っているのかわからなかったが、少し考えて瑠奈だと判断した。

 黙り込む智和にセナは告げる。

「お姉ちゃんの味。美味しかったよ」

 刹那。FN5-7の銃口から連続して火が噴いた。

 僅かな動作を盗み、勘で反応したセナはその場で伏せてショットガンを撃つ。

 智和もセナと同じように僅かな動作を盗み、勘で反応して右に飛び込む。

 しゃがみ込んだ態勢から一気に踏み込んで距離を詰める。まずは厄介なショットガンを潰すのが狙いだ。

「あははははははぁっ! 怒った? 怒ってる? 怒ってるよねぇ!」

 挑発混じりに高笑いするセナはサブマシンガンを向けて引き金を引く。

 ほぼ同時、智和はまた右に飛び込んで躱した。

 ――セナの狂喜が獣のように狂っているならば、智和は殺す為だけの精密機械だ。両者は第六感を持っている。それは今の行動から見て明らかであり、否定できない特異体質だ。

 セナの第六感は荒削りの獣。対して智和は洗練された精密機械。常に張り巡らしているのは同じだが、与える印象は違う。

 有機質なものと無機質なもの。

“感情あるものと感情ないもの”。

 ただそれだけの差だ。

 だが、その差は経験と技術の差だ。

 今まで人を殺すだけでの経験と、殺したり殺されかけたりの修羅を経験し尽くしてきた経験の差。

 ――どちらが上回っているかなど、簡単に区別できるだろう。

 セナの左を取った智和は引き金を引く。数メートルもない距離で構えはしないものの、室内での銃撃戦を想定した訓練は怠らずにやってきた。肘を曲げたまま、自分の腹部にかなり近い位置での射撃も同様だ。

 連続の発砲。だが至近距離だというのにセナは躱した。獣のようにその場を飛び跳ねて銃弾を避けたのである。

 だがショットガンとサブマシンガンを手放した。二丁の銃は銃弾に直撃し、グリップや銃身を木っ端微塵にされてしまう。

 これで武器は持っていないが、まだキャリーケースにも予備がある。セナを狙わず、武器を破壊することを優先させた。

 智和が扱うFN5-7は5.7mm口径拳銃であり、装弾数は二十発と多い。使用する弾薬は5.7mm×28 SS190。この弾薬はP90と同じであり、FN5-7はP90用サイドアームとして開発された。

 恐るべきはその貫通力だ。小銃用弾薬をそのまま短くしたような形状を持つ弾薬は、例え100メートルの距離があろうがレベルⅡ規格ボディーアーマーを貫通してしまう。

 凄まじい貫通力と二十発という弾数により、キャリーケースはズタズタに引き裂かれたように撃たれてしまった。当然、中にあった銃は使い物にならない。

「あははっ! 凄い凄い! 強い強過ぎるよ君っ、楽し過ぎるよぉっ!!」

 空気混じりの笑い声を無機質な空間に響かせながら、両手をレッグホルスターに納めていたグロック17拳銃に伸ばす。

 ロングマガジンが装着された拳銃は装填されていたらしく、すぐさま銃弾が飛んできた。

「何で!? 何で当たらないの!? いいなぁ。凄いなぁ!」

二丁拳銃などという、実戦を考えれば馬鹿としか思えない戦い方だったが、セナのそれは洗練されていた。訓練で鍛えられたのではなく、殺し合いの中で身についた戦い方である。

(気を抜けば自分が死ぬ……!)

 躱し続ける中でマガジンを交換。最後の一本だ。

 いつまで銃弾を躱し続けるなどできる筈がない。智和はそんな超人の訳がなく、何発か擦って血が滲んでいる。

(もったいないが仕方ない!)

 意を決し、拳銃をグリップではなく銃身に持ち変えると、手投げナイフの要領で力一杯投げ付けた。

 単調過ぎる愚策のように思えたが、セナの意表を突くには充分な奇策となった。

 縦に回転しながら迫る拳銃を撃つ、という選択肢はあった。だが撃てばグリップを貫き、マガジン内の弾薬が暴発する可能性がある。この至近距離では致命傷を負いかねない。

(躱すしかない!)

 体を右に寄せて顔面スレスレに躱す。躱された拳銃は壁に叩きつけられたが暴発はしなかった。

 その僅かな隙で充分だった。

 ナイフを右手に持ち変えた智和は間合いを詰め、懐に潜り込んでいた。

「く……そ!」

 セナは拳銃を向けるが右手のグロックは叩き落とされる。

 ナイフの鋭い突きがセナの死角――左脇腹を抉りにくる。

「なめんなクソがぁ!!」

 叫びながら拳銃のロングマガジンで、ナイフの切っ先を受け流した。少しだけ切り付けられたが致命傷には程遠い切り傷だ。

 セナが腰から何かを取り出そうと回しており、智和は突き出した右手を素早く引っ込めて、一度様子見としてバックステップする。

「らああああぁぁぁああああああっ!!」

 獣の咆哮にも等しいものを口にしながら、セナの右手が右から左へ振り抜かれる。

 手にしていたのはメリケンサックとナイフが一体となったナックルナイフ。

「なっ……!?」

 ナックル部分が智和のナイフを直撃すると、セナの馬鹿力によって智和の手からナイフが離れただけでなく、刃が半分に“折られてしまった”のだ。

 いくら通販で購入した安物だろうと、刃が叩き折られるなど考えたこともない。ましてや、叩き折ったのが少女ならば尚更驚きを隠すことはできない。

 セナは完全に無防備となった智和を、ブーツの細くて長いヒールで突き刺すように蹴り飛ばした。

 派手に蹴り倒された智和はすぐに起き上がることができない。セナの拳銃が向けられ、人差し指が躊躇なく引き金を絞る――“直前”だった。

「があっ!?」

 部屋の西側――セナの前方にある一枚の窓ガラスが突如、ハンマーで衝撃を与えられたかのように粉々に弾け飛ぶと、セナの左肩にも重い衝撃が与えられた。

 左肩を一発の銃弾が貫いた。左肩の後ろ側からは血が噴き出し、肉と骨が砕かれて弾け飛ぶ。

 衝撃の重さに耐え切れず拳銃を手放し、後ろに転倒。傷口を押さえるが血は止まることなく流れ続け、瞬く間に赤い水溜まりを作っていった。

 焼けるような、初めて味わう言い表わせない痛みを今、セナは味わっている。

(――――狙撃!)

 間違いない。セナは撃たれた。遥か西側から狙撃されたのだ。

 どこから撃っているのか探ろうとするが、西日によって遠くの建物全てが影になっておりまったく見えない。

 この状況はまずい。

 狙撃されたということは、敵の領域内だということだ。距離など関係ない。実際に当ててきた。一秒にも満たない僅かな動作で左肩を撃ち抜かれた。

 連続して撃ってこないことに疑問を覚えたが、そんなことはどうでもいい。狙撃されているこの状況は逃げなければならない。ナイフ一本でどうにもできる筈はなく、左腕は使い物にならないのだ。勝ち目などある筈がない。

「動くな」

 セナが倒れて狙撃手がいることを確認した間に、智和は投げた拳銃を拾って馬乗りになるように覆い被さってきた。ナイフは叩き落とされ、右手は手首を掴まれて床に押さえ付けられた。

 冷たい目を向ける智和は忠告する。

「妙な真似をしたら、鉛玉をぶち込む」


――――――――――◇――――――――――


 西の方角。約270メートル離れた六階建てビルの屋上にて、新一は引き金を引いた。

 なんのこともない狙撃だった。270メートルなど難しい距離でなく、新一に言わせてみれば簡単だ。この距離ならば弾道予測を計算する必要はなく、頭の中だけでできるほど染み込んでいるのだから問題はない。

 発射音もサプレッサーを装着しているので住民に聞こえない。この近くに住民がいれば、の話だが。

 恵がスポッターとして隣にいるものの、別にいなくとも問題なく仕事はこなせた。

 胡坐でMk14EBRを、持ってきたリュックサックに銃身を乗せるような体勢で構え、高倍率スコープで智和とセナを見続ける。

「にしても恵姉さん」

「なに」

「あの瑠奈さんそっくりの人のパンツ、黒でやたら細くてエロいッスねー」

「死ねクソチビ」

「痛ぁっ!?」

 恵に頭を叩かれ、その反動で眼鏡とスコープをぶつけた。更に鼻にかかっている部分が圧迫されてしまった。

「マジで痛いッスからやめてくださいよ! スコープ壊れたらどうするッスか!?」

 ズレた眼鏡を掛け直し、納得する体勢に戻して再び構え直す。

 隣にいる恵は三脚を取り付けたスポッティングスコープを覗いたまま。

「何で頭狙わなかったの?」

「智和さんは捕まえるって言ってるンスよね。左肩撃ち抜いて問題ないッスよ。7.62mmですけど応急措置すれば大丈夫ッス」

「そういう問題じゃなく、あいつは危険因子よ。殺したほうが早い」

「そう言ってもッスねー……智和さんが無力化しろって言ってるンスから、自分はただ命令に従っただけッスよ」

 確かに新一は智和の命令に従っただけだ。セナを捕まえる為に無力化し、今はそれを監視している。

 さすがに7.62mm弾が左肩を貫通した時、左肩が吹き飛ぶかと悩んだが無事に繋がっているのでそれも問題はない。

「にしても本当にエロいッスねー! スッゲェテンション上がってきてマジヤバいッスよ! 瑠奈さんそっくりッスからマジで!」

「これ以上言ったら全部の骨叩き折って突き落とすから。黙ってろクソチビ。というか死ね」


――――――――――◇――――――――――


 馬乗りになった智和の目には恐ろしいものがあった。

 冷たい。冷た過ぎるほどの無機質な殺意。

「智和」

 階段からララが姿を見せ、状況を把握したのか拳銃をホルスターに片付けた。

「瑠奈の拘束を解いた。琴美を呼んで、今は下の階で瑠奈と一緒にいる」

「そうか」

 素っ気なく答え、数秒の沈黙の後に再び口を開く。

「よく聞け。必要なことだけ喋れ。ロイ・シュタイナーはどこだ?」

 セナの口から拳銃を抜く。絡まった唾液が糸を引き、顎や喉に垂れて汚す。

 智和の瞳を見つめるセナはにやりと口端を吊り上げる。

「お姉ちゃんとしたことある?」

 直後、拳銃を左肩の銃創に向けると智和は躊躇することなく発砲。ほぼゼロ距離で5.7mm弾が撃ち込まれて再び肉を抉り、セナの悲鳴が部屋中に響く。

 痛みで体を暴れさせるが智和が馬乗りになり、右手を封じられている為に無駄だ。

「聞くぞ。ロイ・シュタイナーはどこだ?」

 無機質な者は再び問う。

 荒い呼吸を整えるセナはまた無邪気な笑みを浮かべた。

「したことないんだ。スッゴく気持ち良かったよっ」

 二発目の銃声。セナの悲鳴。

 今度は肩ではなく左手。これで左腕は完全に使い物にならなくなった。

 出血量も多くなってきている。そろそろ応急措置しなければ出血多量でショック状態を引き起こす筈だ。

「最後だ。ロイ・シュタイナーはどこだ?」

 最後の忠告は、覆しようのない判決に等しい威圧感があった。

「…………う、うふふ、うふふふははははは」

 それでもセナは笑みを絶やさない。“瑠奈と同じ笑みを見せ、瑠奈と同じ声で笑う”。

「お姉ちゃんのは最高だったよ」

「死ね」

 もはや不必要。役立たずはゴミ同然と判断した瞬間。

 拳銃をセナの顔面に突き付ける。

「――――駄目っ!!」

 引き金を絞る直前、横から瑠奈が飛び出して智和を押し倒してしまった。

 不意を突かれて体勢を崩した智和が持つ拳銃は、セナの顔ではなく天井に向けられた時に発砲。

 空薬莢が床に転がり、甲高い金属音を響かせる。

 その場にいた全員が唖然としていた。智和やララだけでなく、セナも例外ではない。

「…………っ!?」

 ララはセナが逃げ出さないかと考えた瞬間に正気を戻し、ホルスターから拳銃を抜いて構えた。

 だがセナは逃げることはおろか、起き上がることや痛みに喘ぐこともなかった。ただ目を丸くして、天井から瑠奈に視線を移す。

「……何、してんだよ」

 押し倒された智和の声が怒りで徐々に震え、拳銃を握り締める右手に力が入ってみしみしと音を鳴らしていた。

「何してるんだお前は……!?」

「それはこっちの台詞だよ!」

 智和の威圧に負けじと声を張り上げる瑠奈。その表情は今にも泣きそうで不安そうな表情だが、まだ挫けていない強さを持っていた。

「こんなことして死んだらトモ君は戻れなくなるんだよ! それに、それにこれは……“私がしなきゃいけないこと”なの……」

「……」

「だから、ここからは私に聞かせて」

 これは、瑠奈の問題なのだ。

 任務によって智和は行動している。正確に言うなれば自発的な行動ではない。命令による行動だ。

 対して瑠奈には、セナを追い求める理由がある。問い詰める理由がある。何故ならセナが瑠奈と関連していることは明らかなのだから。

 長く考えずとも、智和はセナを尋問する資格などないと理解できた。その資格は今、瑠奈にある。

「……勝手にしろ」

 重い沈黙を破った智和は瑠奈を退けさせ、拳銃を持ったまま立ち上がった。

「ありがとう。トモ君」

「…………」

 笑顔を見せる瑠奈を智和は直視できず目を逸らす。

 智和ならばわかってくれると思っての行動だった。琴美に止められながらも、まだ下半身に痛みと痺れが残りながらも階段を駆け上がる意味はあったと、瑠奈は安堵する。

「……ぐぁ……あっ……」

 撃たれた左肩と左手が再び痛みだして、セナは苦痛の声を漏らす。先ほどまでアドレナリンが過剰分泌されていた為に瞬間的にしか感じなかったが、出血や時間経過などによって痺れが痛みに変わってきた。

 セナの変化に気付いた瑠奈は傷を確かめる。顔色が青ざめて唇が震えている。失血性ショックを起こしかけていた。

 左肩と掌の貫通射創――銃弾が貫通して生じた創――。どちらも銃弾は抜けているが、出血が酷く、おそらく内部損傷も酷い筈だ。

「トモ君」

 その一言で瑠奈が何をしようとしているのか理解した智和は、深い溜め息を漏らして拳銃をホルスターに片付けた。

「ララ、無線機」

 投げ渡されたヘッドセットで通信する。

「琴美さん。後部座席の下に医療道具がある。黒の大きいリュックサック。それをここに持ってきてくれ」

「ちょっと智和」

「強希はこっちに来い。搬送準備。担架持って三階に」

『マジかよおい』

「智和!」

 ララの怒号が響く。

「まさか助ける気?」

「ああ」

 もはや呆れるしかない。これが瑠奈の望むことだとしても、犯した相手を助けるなど自分は到底できない。理解できない。

 だがそれでも、智和の命令ならば逆らうことができない。

「ララ、琴美さんから医療道具を持って来い」

「…………ああもう。本当に何してるのかしら」

 全部が嫌になってしまった。


――――――――――◇――――――――――


 意識は闇を彷徨っていた。

 前後も、上下左右もなく、平行なのかすらわからない。

 重力を感じず、感覚を感じず、温度を感じず。

 ――――ああ。そうだ。セナはこうやって生まれてきた。

 前者の記憶と行動原理と細胞を基に造られ、新たな研究と理解明の為の布石となるべくして生まれた。パパであるロイ・シュタイナーが愛して生まれた。

 ――――“前者の”?

 おかしい。おかしい。

 セナはセナなのに。

 セナは自分だけの筈なのに。

 何故同じ人物の記憶が入り混じっているのだろうか。

 そもそも何故、前者だと理解できたのだろうか。

 おかしい。おかシい。

 記憶が入り混ジッテいる。行動原理ガ把握サレていル。細胞が統一さレテいる。

 オカシイ。オカシイ。

 セナハセナなのニ、まるで違ウ存在が混ザリ合ったかノヨウに。存、在シ、テイ、ル。

 記記記憶憶ガ行行行動動動ガガガガガ細胞胞胞ガガガガガガガガが。

 セナハセナナノニ。

 マルデセナジャナイカノヨウニ。

 マルデタクサンノセナガコンゴウサレタカノヨウニ。

 ――――アレ。ワタシハ。

 いったい、私は誰なのだろう。


――――――――――◇――――――――――


 セナが目を覚まして最初に目にしたのは白い天井だった。ベッドに寝ていると理解した次に、ここはどこなのだろうと周囲を見回す。

「気がついた~」

 間延びしたような言葉を発したのは瑠奈だ。簡易椅子に座って看病していたのだろう。

「……あ…………えっと……」

 ようやく意識がはっきりとして、今の状況を把握できるようになった。

 左肩と掌を撃たれ、応急措置されながら意識を失ったのだ。右腕は点滴の針が刺されている。着ているのはゴスロリパンクの服ではなく、白の患者衣である。

 左肩と掌は包帯が巻かれている。動かそうとするが力が入らず、無理をすると鈍い痛みが襲ってきた。

「無理しないで~。どっちも動脈が切れてたけど、琴美さんが衛生科受講してたから応急措置がスムーズにいったから助かったよ~。意識なかったから良かったね~。

 それでも出血量は酷くて意識もなかったから、助かったのは奇跡的だよ」

 動脈が切れた場合の止血は、切れた動脈を探して押さえるしかない。出血多量で血圧が下がっているので、痛み止めにモルヒネを打つと心拍数を更に下げて呼吸が遅くなり、命が危なくなる。

 砕かれた骨なども血管や筋肉などに突き刺さっていたのだが、それでも助かったのは運とセナの生命力の高さが理由だろう。

「ここは……」

「IMIの敷地にある特別病棟だよ~。トモ君が無理矢理準備させて、衛生科の先生達が手術したの~」

 現段階で病院に搬送するのはまずいと考えていた智和は、IMIの教師達にセナの手術を頼み込んだ。

 個人が頼んで動くほど簡単なことではないが、ここでも長谷川の“助言”があってすんなりと手術してもらった。

 日本IMIのF区北側に位置している特別病棟は、衛生科が授業などで使用する他にも、軽重傷者が実際に入院している。一般病院に入院しても別段問題はないのだが、生徒の安全を考えてわざわざ敷地内に病棟を建てた。

 二人がいる部屋は個室で、他の入院患者は当然いない。右手側には窓があるが、白いカーテンが閉められている。無駄な物が一切なく、棚すらない。電気が点いているということはおそらく夜の時間帯だろう。

「…………あ」

 ふとあることを思い出し、瑠奈の顔を見ることなく問う。

「今は何時ぃ?」

 こちらも間延びした口調だった。相変わらず双子のように似過ぎている。

「午後十一時を過ぎたあたり~」

「そっかぁ」

 パパ――ロイ・シュタイナーへの定時連絡の時間を大幅に過ぎていた。

 だが今更そんなことを考えても意味はないので、もはやどうでも良いと腹を括った。

「殺さないのぉ?」

 長い沈黙を破ったのは、セナのそんな言葉だった。

「うん~。トモ君は手荒いけど元々は確保が目的だったからね~」

 ロイ・シュタイナーの居場所を突き止める為の手段。セナの確保理由はそれだ。

 面倒事ということに変わりなく、もしセナを殺せばおそらく有耶無耶となってなにも害はなかっただろう。

 だが智和は任務を選択した。同時に、瑠奈の為に最後の選択を残してくれたのだ。

 過去を知るか。

 過去を忘れるか。

 恐いことに変わりはない。過去を知ることも、過去を忘れてしまうことも。

 それでも瑠奈は選択を強いられている。

 何故なら、瑠奈がそう望んだのだから。

「……君の名前は~?」

「セナ」

「私は瑠奈。どこで生まれたとかわかる~?」

「わからない。セナはどこで生まれたとかわからないの」

「私もわからない。どこで生まれたのかわからない」

「なのに」と続けた瑠奈は笑顔を絶やさずに続ける。

「私と同じ姿をした人を見てびっくりしちゃった」

「セナは貴方を犯したんだよぉ。恐いと思わないぃ? 殺したいと思わないぃ?」

 セナの質問は至極当たり前なことだった。

 同じ自分ということもあるが、犯されたという性的暴力は一生忘れることはできない傷である。ベッドに入る、シャワーを浴びる、恋人ができる、そんなふとした瞬間にその傷が甦るかもしれない。

 一生付き纏うその苦しみが癒えるかどうかわからない。加害者を恐れ長年苦しみ続けるのか、それともすぐ立ち直って怒りで加害者に手を出すか。それが普通の人間だ。

「ううん~。私はそんな気はまったく起きないよ」

 だがこの少女は、平然と否定した

「私は皆を助けたい。そうしたい。だから私は気にしない。セナちゃんから犯されたとしても、私はセナちゃんを助けたい」

(――――ああ。そうか)

 返事を聞いたセナはすぐ理解した。

(セナや、トモ君とか言う男のように、この人も“狂っている”んだ。持っている正義そのものが壊れている)

 皆を助けたい。それが自己犠牲という行動で示されてしまっている。

 瑠奈はセナを助けるつもりなのだろう。だが同時に、それはセナからの行いを全てなかったことにしなければならない。

 瑠奈は心と体に傷を負った。

 それでも、セナを助ける。

 自分だけが苦しみ、他人を助ける。

 実際、瑠奈は智和に殺されそうになったセナを助けた。普通ならばそんな暴挙はしない。恐れてそのままか、怒りに任せて自ら引き金を引くかだろう。

 そんなことをせず、瑠奈はセナを助けた。あの場面で気付くべきだった。この無垢な少女の存在は、同じように壊れて狂って歪だった、と。

 セナが殺す過程に意味を見出すように。

 瑠奈は救う過程に意味を見出している。

 正反対の正義。正反対の意味。正反対の存在。

 だが一つだけ同じもの。

 見出したものが殺人であれ、救済であれ、それこそが個人を確立するという方法でしかないということだ。

 セナは殺すことでしか意味を見出せず、存在を確立できず、正義を示すことができず、自分を認められない。

 同じように。

 瑠奈は救うことでしか意味を見出せず、存在を確立できず、正義を示すことができず、自分を認められない。

 同じだ。

 まるで双子。

 たった一つしか違わない、双子。

「貴方は」

 瑠奈に顔を向けたセナは再び問う。

「自分のこと、知りたい?」

「知りたい」

 迷いのない返事。曇りのない瞳は直視することを躊躇うほど、決意を表していた。

 瑠奈が過去を知るならば。

“妹”である私も知らねばならない。

「わかった」

 ――何故、妹と思ってしまったのか。そんな疑問を一瞬だけ持ちながらも、こんな人が姉ならばそれも良いと考えてしまった。

「道案内をする」


――――――――――◇――――――――――


 病室の外では、ララが落ち着かない様子で扉と向き合っていた。隣のソファーには恵がリラックスした様子で座っている。

 腕組みをして、せわしなく指を動かし、睨むようにして扉を凝視していた。

「落ち着けば?」

「緊張を持てば?」

 罵るように冷たく放った一言に恵は眉をぴくりと動かすが、病室内の状況を考えれば仕方ないと割り切ってなにも言わない。

 瑠奈が付きっきりで看病するならまだしも、何故二人きりでなければいけないのかララは不思議でしょうがない。しかも瑠奈本人の意向だ。

 智和に至っては「本人の考えを尊重しろ」などと言い出すので、ララの苛立ちやら焦りやらが募るばかりである。隣にいる恵が寛いでいるのがまた腹が立つ。

 その智和は、セナの対処やらで長谷川と話し合っている。部外者――しかも犯罪者――を無断でIMIの敷地に招き、更には治療して施設にまで入れているのだ。もはや生徒会に知られるどころか、生徒一般にまで知られてしまうような危ない状況である。

 対処方法はララが意見したところで変わることはないだろう。ましてや、IMIが密かに行う任務など尚更だ。

 そこまで考えたところで病室の扉がゆっくり開き、瑠奈が何事もなく出てきた。

「トモ君呼んでくれるかな? セナちゃん、話したいことあるって言ってたから」

「私が行ってくる」

 恵がソファーから立ち上がって廊下を歩いていく。

 角を曲がって姿が見えなくなった時、ララが優しく瑠奈を抱き締めた。瑠奈はそのまま抱かれ、胸に顔を沈めた。

「……ごめんね」

「いいのよ。膝が震えるのは当たり前」

 ――怖くない筈などなかった。

 身も心も苦しめられ、恐れない者などいる筈がないのだ。怒りをぶつけなければ気が晴れないのだ。もしなにも感じないのならば、その者の精神は狂っている。

 瑠奈でさえ恐かった。初めての凌辱によって苦痛と恐怖を与えられ、与えた者と対面して話すことが。

 それでもやらなければいけない。

 自分が選択したことだから。

 智和やララに任せてはいけないのだ。

 もう子供ではない。自分のことは、自分で済ませなければいけない。

「――――もっと早く気付くべきだった」

「え?」

 瑠奈が胸にうずくまったまま、声を震わせながら言葉にする。

「私も歪んでるんだって気付くべきだった……。トモ君やセナちゃんを助けたいって、皆を助けたいって…………でもね、“皆助けたいってこと自体が歪んでるって理解しなきゃいけなかった”」

「瑠奈……」

 自己を犠牲としながら、他者を優先的に救済する考え方は良いだろう。

 だがそれは、自己を顧みず実行すること自体が歪んでいる。他者が助かるだけで良いなど、そんな都合良い感情が生まれる筈がないのだから。

 救済する人間にしても、救済することによってなんらかの感情を抱く。瑠奈は抱くことがないのだ。

 ただ助けたいから。

 ただ救いたいから。

 あの日見た、瑠奈を凶弾から守って死にに逝ったあの人の面影を重ねない為に。そんな光景を目にしない為に。

 それこそが瑠奈の恐怖だから。

 二度と目にしたくないから。

 二度とそんなことを起こらせたくないから。

 ただ助ける。

 ただ救う。

 自分を犠牲にして他者を救済する“だけ”の――言わば我が儘だ。

 瑠奈本人も薄々気付いてはいたのだ。自分の考えは狂っている、と。

 だがそれでも、瑠奈は助けたい。

 目の前で誰かが死ぬ――誰かが傷つく場面を、見たくない為に。

「…………迷惑かけて、いいのよ」

 ララの囁くような言葉に瑠奈は顔を上げる。

「貴方言ったじゃない。智和や瑠奈に迷惑かけてもいいって。だったら、瑠奈も私に迷惑かけてもいいの」

「ララちゃん……でも」

「でも、じゃない。私は無茶をするから貴方に迷惑をかけると同じように、貴方も私に迷惑をかける。同じじゃない。私が瑠奈を頼るように、瑠奈も私を頼っていいのよ。

 それに、貴方の思想は間違ってはいないのだから。自分を簡単に犠牲にできるなんていない。だから泣かないで。その考えは素晴らしいのだから」

「ララちゃん…………ありがとう」

 涙声で口にした次の言葉に、ララは驚きを隠しきれなかった。

「あの子を……セナちゃんを助けてあげて」


――――――――――◇――――――――――


 最初に指定し、“提供”された拠点にて、ロイ・シュタイナーは資料と実験成果に目を通していた。

「…………まだ足りない。不足し過ぎている。やはりまだ、“代を重ねなくてはならないのか……”」

 理解していたことだが、直視しなければいけないこの場合では、セナの制御や自分の制御の他にも機能全般に関する問題が生じていた。

 セナは代を重ねれば問題ない。ロイ・シュタイナーも代を重ねれば問題ない。だが、その為の機材やら準備が足りない。

 その為にセナの記憶と細胞に関するデータを採取しなければならない。いや、移動の為の準備をしなければならない。そもそも、全ての準備が足りな過ぎる。

「セナのデータを……否。そもそも私の“代替え”の準備が……嗚呼、足りない。足りない。足りない。私の研究が、私の追究が。駄目だ、駄目だ、ダメだ、ダメダダメダダメダダメダダメダ。私ガ、私の求める理性ガ、壊れようとしている……崩れヨウとしてイる……。

 駄目だ。理性を保たなければ。後三十九時間保たなければ……纏められない、研究が、成果が、追究が、纏められない」

 真の人間たる理性が何たるか。目にすることができないではないか。


――――――――――◇――――――――――


 日付が変わった時間帯のIMIの第一車庫。智和、ララ、強希、恵、新一、長谷川がいた。

 完全武装ではないが、長谷川がMP5短機関銃を準備していた。

「瑠奈は?」

 ララの問いの直後、車庫の奥から二人の少女が歩いてくる。

 一人は瑠奈。制服を着用し、短機関銃を持っていないがグロック拳銃を常備している。

 もう一人はセナ。患者衣ではなく、ゴスロリパンクの服に着替えていた。一応は保護扱いとしている為、拳銃などの武装はしていない。洋服に付着していた血は洗濯されて綺麗に落ちていたが、撃たれた左肩の布地は破れており、巻かれている包帯が見えていた。

 二人が並んで歩くと正に双子の姉妹にしか見えない。顔や髪型、体型、身長までが同じである。

「準備は?」

「大丈夫だよ~。セナちゃんも大丈夫だってさ~」

「そうか」

 セナが一歩前に出て智和と向き合う。

「セナの要求はぁ?」

「担当官と話し、了解を得た。お前が好きにすればいい」

「そっかぁ」

 安堵の溜め息を小さく漏らし、セナはくるりと回って瑠奈を見る。

「ごめんね」

 直後、セナの掌が瑠奈の顎を突き刺すように打ち抜いた。

 予想していない行動に瑠奈は反応することもできない。ララは咄嗟にホルスターから拳銃を抜くが、構えた時に智和が手を出して制止させた。

「ど……して……」

 一気に気を遠くさせる。その場に崩れ、弱々しい声で疑問を口にする。

 セナは膝をつき、優しく瑠奈を抱き締めて囁いた。

「心配してくれてありがとう。お姉ちゃんは、狂ってなんかいない。とっても優しいから。皆に優しいから。だから、狂っているなんて言わないで欲しい」

「……セ、ナ……ちゃん」

「だから……だから、知らなくてもいい。お姉ちゃんは知らなくてもいいんだよ。わざわざ傷つかなくてもいいから……“もう傷ついてるから”。

 お姉ちゃんは困ってる人を助けてあげて。セナよりも、助けてあげなきゃ人がいるから。

 もう、行かなきゃ――」

 ――ありがとう。お姉ちゃん。

 手刀が瑠奈の意識を刈り取り、気絶したことを確かめてから長谷川に任せる。

「どういうこと?」

 怒気が含まれたララの問いに、智和は平然とした様子で答えた。

「瑠奈をロイ・シュタイナーに会わせない。これが、ロイ・シュタイナーの所在を教える為の、セナが出した要求だ」

「貴方瑠奈が望むならって止めなかった癖に、今更になってそんなことするなんてどういうつもりっ!?」

 拳銃を下げたついでに智和の襟元を掴み、引き寄せて感情のまま怒りを爆発させる。

「瑠奈が望んだからコイツを生かして、コイツが望んだから瑠奈を気絶させてっ。貴方が瑠奈の望みを奪ったようなものじゃない! 貴方が瑠奈を弄んでいるじゃない!!」

「そこまでだララ」

 瑠奈を近くの椅子に寝かせた長谷川が口を開く。彼女もまた平然としていた。

「私の指示だ。ロイ・シュタイナーの所在を掴む為に、私が指示した。逆に智和は、最後まで瑠奈を同行させることを要求していた」

「……何で、瑠奈を同行させないの」

「傷つくから」

 振り返らないままセナは口にする。

「優しいお姉ちゃんには、パパと会うには危険すぎる。本当の意味でセナや、そこの男と同じように狂って、いつか死ぬ。人を助ける為に自分を犠牲にするから、誰よりも早く死ぬ」

 セナでもロイ・シュタイナーという存在が狂っているということは理解しているつもりだ。

 そして同じ――智和と同じで、歪み過ぎてそれが正常と認識してしまっている。

 瑠奈の過去は確実にそこにあるだろう。

 だが、瑠奈がロイ・シュタイナーと出会い、話し、同じように狂ってしまったのなら。

 間違いなく瑠奈は死ぬ。誰よりも早く、智和やセナよりも早く死ぬ。

 自分を簡単に犠牲にするから。

 自分を顧みないから。

 狂ったように人を助け、狂ったように死にに逝く。

 それがセナには我慢ならない。

 初めて出会った人種だった。初めて感じたその愛情と優しさは、きっと二度と感じることはない筈だ。

 瑠奈の慈愛。

「世界が、お姉ちゃんみたいな人間だけだったら、きっと平和なのにね」

 ぽつりと呟いたその言葉は虚しさを表し、まるでセナが求めていたかのような言い表わしにも思えた。


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