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妖しな家族  作者: 奏白いずも
人間編
8/34

八、無情な現実

いつもより少し長いのですが、どうかお付き合いくださると嬉しいです。

「理解したか? お前は生まれながらに俺のものだ」

 無情な宣告が桜子を現実に引き戻す。

 文字通りの夢を見せられただけと思えれば良かったのに。反論する気が起こらないのは傍らの父が青ざめていたからで、あれが過去の出来事だと察するには十分だった。

「……宵闇無月。あなたは、何なの?」

 せめて、それくらいは知っておきたいと思う。

「何者かを問われれば俺は獏だ。人の言葉で表すのなら妖、妖怪、あるいは物の怪か、呼び名は多い」

 獏とは何か、深く追求するという考えはない。どうせ深く知ろうと迎える結末は変わらないだろう。

「つまり、人間ではないということね」

「ああ、違う」

 淡々と告げられる言葉が胸に突き刺さる。自分はこの異形の所有物、その事実が心を冷やしていく。

「桜子……」

 放心していた桜子は呼ばれていたことに気付いていなかった。手に温かいものが触れたことでようやく視線を落とす。

 桜子の手には紀仁の手が重ねられていた。

「お父様!?」

「桜子、私は過ちを犯してしまった」

 しかも紡がれたのは自分の名と同じ響きのように聞こえる。その目に映して名前を呼んでと、何度願っただろう。こんな場面でなければ夢が叶ったことを素直に喜べたのに。

「あの日、自分が助かりたいばかりにお前を差し出してしまった!」


 夢であればと目を逸らして生きてきた。けれど生きていることが何よりの証、この十六年は後悔に押しつぶされながら生きてきた。

 やがて妖のものになる我が子。まだ見ぬ子ならば差し出そうと問題ない。そんな非道な考えが過ぎってしまったのは変えようのない事実だ。

 十六年前、春の夜――

 息子であれば、そんな淡い期待を抱いていた。

 けれど生れたのは娘だった。我が子を抱える妻を前に、酷く後悔したのを覚えている。必死に息をする姿を見て、確かに愛おしさを感じた。なんてことをしてしまったのだろう、罪の意識に囚われた瞬間だった。

 妻に顔向けできず、ましてや娘に会わせる顔がない。誰にも明かすことは出来ず、一人で娘を守ろうと誓った。誰に怨まれてもいい、憎まれても構わない。自分一人で全て背負うつもりでいた。

 家から出してはいけない。あの妖に見つからないよう大切に囲っておこう。窮屈な思いをさせてしまうが不自由をさせるつもりはない。そしてもし奴がやってきたならば、今度こそ命と引き換えても護る覚悟を決めていた。

 それなのにどうしたことか、十六年経っても奴は現れない。桜子は立派な女性に育ちつつある。やがて子どもという括りでは収まらなくなるだろう。人と交わした戯言など忘れてしまったのだろうか、そんな都合の良い解釈をしては油断していたのだ。


「奴を狩れば、全て終わる。お前をこんな所に隠しておく必要もなくなる。こいつが、こいつさえいなくなれば! お前は私の娘、浅ましい妖になどやりはしない! お前が食われるなど耐えられない! 私の罪に、お前を巻き込むわけにはいかないんだ」

 けれど無月によって痛めつけられた体は虚しく崩れるばかりだった。

「お父様、無理なさらないで」

 桜子は紀仁の背中に手を添える。初めて触れる父の背はとても小さく感じた。

(わたくしは妖の物、だから隔離されていたのね。やっと、わかった……)

 出来るなら、もっと早く知りたかった。父がそれを罪と呼ぶのなら共に背負いたかった。共に苦しみ、悩み、支え合うような――家族でありたいと思った。

「お父様、あの妖を狩るつもりですか?」

 紀仁は弱々しく頷いた。けれどそこには、しかと強い意志が込められている。

「心配するな。刺し違えてでも始末してくれる! お前は私が守ろう」

 妖を見据えて言いつ姿を前にして、桜子は泣きたい衝動に駆られた。心が震えたと言ってもいい。どれ程追いかけても振り向いてくれなかったのに、こんなにも大切に扱われていたなんて。

 そんな家族の感動的場面だというのに、無月は空気も読まず歩みを進める。いい加減、じっとしているのに痺れを切らしたようだ。

 桜子は紀仁を庇うように前に出る。押し寄せる不安を押し留め、薙刀を握った。

「近寄らないで! これ以上、お父様に危害を加えることはさせない」

「逃げろ、桜子!」

「嫌です! ……お父様、わたくしなど守る必要はありません。ここからは、わたくしがお父様をお守りします」


 ――とは言ったものの。

(ど、どうしよう! わたくし、どうしたら!?)

 格好をつけた手前、激しい動揺は誰にも悟られないように隠す。

 両手は力に充ち溢れているが、容易に動くことは出来なかった。だって、でも――。そんな矛盾した考えが消えない。

(これは稽古ではない。しかも相手は人間ではない。わたくし、本当にお父様を守ることが出来るの? それに――)

 いくら言い訳を並べ行いを正当化しようとしても、しこりのように疼く罪悪感が消えない。

 本当にこの場での正しい行動があるとしたら、それは大人しく妖のものになることだ。

(それでも……。妖に食われるなんて、恐ろしすぎる……)

 受け入れられぬ現実が目前まで迫り、もう後に引くことは出来ない。

 迷いほど刃を鈍らせるものはないと学んだくせに生徒失格だ。武器を振る理由に迷いながら、ただ振りまわすなんて愚かな行為。だから当たるはずもないと高を括っていのだ。

 それなのに、無月は身動き一つしない。振り上げられた薙刀が振り下ろされるまでを静かに見ていた。刃は狙い通りの場所――肩に食い込む。

「なっ!」

 嫌な手応えを感じて薙刀を持つ手が震えた。討ち合いの稽古とは違う、藁を絶つような呆気なさとも違う嫌な感触。

「ど、どうして避けないのよ!」

 避けろと責めるとは、なんて滑稽なことだろう。

「なんだ、避けてほしかったのか?」

 刃の食い込んだ場所からは赤い血が滲んでいる。血はちゃんと赤いのか、そんなことを考えてしまうのはしかたのないことだ。

「違う、けれど……避けないなんておかしいわ! だってお父様の時は、さっきまで避けまくっていたのに!」

 それはもう最小限の動きで華麗にかわしていた。

「あれは紀仁の太刀だからな。受ける趣味はない」

「それは……。わたくしの刃なら甘んじると言っているように聞こえるけれど、聞き間違いかしら?」

「寸分も違っていない。お前は俺の特別だ。故にどんなものかと試してみたが、やはり気持ちのいいものではないな」

 どんな趣味だと反論する前に、痛覚があるらしいと判明したことを喜ぶべきか。

「肩を切られれば痛いでしょうね……」

 桜子は薙刀を引く。刃を伝う赤は生々しくて、こちらまで身を斬られたように痛い。

(妖だというけれど、流れるものは人と同じ……)

 手は微かに震えていた。

「では、娘はもらうぞ」

「こっ、来ないで!」

 桜子は慌てて威嚇するが同じことは起こらない。いとも簡単に薙刀の柄を掴まれ、ありったけの力を込めたが押すことも引くことも出来ずにいる。

 攻防を繰り広げていると思いきり引っ張られた。

「きゃ!」

 当然ながら、しかと握っていた桜子もそれにならう。いとも簡単に武器を取られ、挙句そのまま抱きすくめられた。

「これは邪魔だな」

 唯一身を守るための武器を奪われた。しかもその辺に放り捨てられるという雑な扱いである。

「なっ、離しなさい!」

 桜子は、あっさり肩に担がれてしまった。

「桜子! 待て、桜子を放してくれ!」

 悲痛な紀仁の声など気にも留めず、すたすたと無月が向かったのはあの鏡だ。

「人の部屋に土足で入るなんて! 今なら赦してあげてもいいわ。だから下ろしなさい! 早くっ――」

 桜子は鏡めがけて突き飛ばされた。乱暴だ、鏡が割れてしまうと懸念するも杞憂に終わる。

 鏡に触れたと感じた時にはもう沈んでいた。まるで水面のように吸い込まれていく。

「ひっ!」

 恐怖に支配された意識の中で、最後に目にしたのは疲弊した父の姿。痛めつけられて動くことが出来ないのだろう、けれど必死にこちらへと手を伸ばしている。

 紀仁の口が動く。四文字の音は、おそらく『桜子』と叫んでいるのだろう。応えるように手を伸ばしても許されるだろうか、そう考えてはみたものの、結局は遠慮から動けずに終わってしまった。


 沈んでいく――

 入ったことはおろか目にしたことすらないが、世界には海というどこまでも広がる水溜まりがあると聞く。浴槽に沈む程度でしか水を知らないが、海に入るというのはこんな感覚なのかもしれない。

 外の世界、あの山の向こう側には海があると母が話してくれたのを憶えている。いつか見てみたいと願ったこともあるが、もう無理だ。

 桜子は人生の幕引きを悟った。

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