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妖しな家族  作者: 奏白いずも
人間編
7/34

七、十六年前、望まぬ約束

(なに、が、起こって……)

 目の前の事態に、押し留めた悲鳴が体内をめぐる。

 無月は難なく刃を受け止めていた。刀を防いでいるのは銀に光る物体、銃だ。

 侍が帯刀していた時代は終わりを迎えた。銃を目にする機会など桜子にはないが、それが人を殺める道具という知識は持っている。

「お父様、どうされたのです!」

 銃という道具は人の命を奪う。身を危険に晒している父を一人にしてはおけない。けれど自分に何が出来るのか、加勢を迷ううち紀仁は塀まで弾き飛ばされてしまった。背を打ちつけ細いうめきが漏れる。

 桜子は靴を履くことも忘れ庭へ飛び出していた。

「ご無事ですか!」

 手を貸そうとすれば、不要だと言わんばかりに払われた。乾いた手の音がやけに耳に痛い。

 紀仁は刀を杖のようにして一人で立ってしまう。それならばいっそ、娘の手を取ってくれても良いのではと歯痒かった。

「貴様、貴様を始末すれば!」

 幾度となく紀仁は斬りかかる。けれどその度、軽くあしらわれるのだ。

 決して紀仁が脆弱というわけではない。日ノ宮家の者は皆、鍛練として武術を学んでいる。文武共に完璧であれという家訓があり、その風習を汲んで桜子は薙刀を学んでいた。一族の中でも紀仁は師範級の腕前だと母から教えられているのに……まるで赤子のようにあしらわれている。

 紀仁はいよいよ力を失ったのか動かない。

 無月の革靴が土を踏みしめた。この得体の知れない妖と同じ場所に立っていることが恐ろしくてたまらない。

「あ、あなた酷いわ! それは、斬りかかったのは父ですが。けど、こんな……とにかく酷いと思います!」

 沈黙が一層恐ろしくて、もはや何を言っているのかさっぱりだった。

「紀仁に非があると承知しているならば、俺に酷いという言葉は当てはまらない。俺に罪はない。そもそも十六年前――」

「黙れっ! それは、それだけは!」

 紀仁は声を荒げて言葉を遮る。切実な叫びにも無月は反応する素振りはなく、興味がなさそうに見降ろしているだけである。

「止めろ! いや、止めてくれ、頼む!」

 冷静沈着な紀仁が取り乱している。それは異様な光景で、この場に在りながら桜子は遠くの光景を見ているようだった。

「紀仁、それはお前の都合だろう。桜子は事態を把握していないようだな。かといって俺はお前に斬られるつもりも、桜子を諦めるつもりもない。真実を語って聞かせるほかあるまい」

 唇を釣り上げる仕草が、やけに意地悪く様になっている。はたして桜子の心境のせいか、もしくは本当に意地が悪いのかは不明だが。

「見せてやろう、あの日の夢を」

 深紅の瞳が桜子を射抜く。

 全身が金縛りにあったように硬直し、指一本動かせない。瞬きすることも忘れ深く魅入られていた。


 闇に落ちていく――

 

 目眩を覚え足場を失った。宙に放り出された感覚を味わうと、すぐに見知らぬ場所へ降り立っていた。

 長い廊下に覚えはなく、窓から窺う外は暗い。部屋の数だけ連なった襖は全て閉じられている。明かりの洩れる部屋もあれば、人の気がないものもある。

 突如、景色が歪んだ。物が揺れる不気味な音がいたるところで鳴り、次第に大きくなっていく。大地が揺れ、合わせるように建物も震動し軋みを上げている。

 いたるところで一斉に悲鳴が上がった。

 関を切ったように、逃げ惑う人々。それを追うように、休む間もなく火の手が回る。轟々と燃え盛る勢いは、瞬く間に周囲を包んでしまった。

 障子は開け放たれ、途絶えぬ悲鳴が新たな恐怖を生む。

 取る物も取らず逃げ惑い、押し寄せる人波にぶつかる――、そう意識したはずが、彼らは桜子をすり抜けた。

(あの日の夢と言っていた、これは本当にただの夢?)

 火の海も、まるで熱さを感じない。それは夢、幻と呼ぶに相応しいだろう。

「――っ」

 ほとんど聞き取れない、言葉にもならないものが聞こえた。辺りは騒々しいのに鮮明で、桜子は自然とその場所を目指していた。そうしなければならないと突き動かされていた。


 これは、ここは――

 それこそ十六年前だとでもいうのか。

(まさか、お父様なの? 火が、早く逃げてください!)

 煙が充満し、倒れている紀仁に動く力は残っていないようだった。

 何度も呼びかけるが、まるで聞こえた様子がない。これ程近くにいて無視できる距離でもないだろう。

(そんな、どうして? 助けたいのに、触れることが出来ない!)

 透けた手は紀仁の身体に触れることを許さない。助け起こすことも、肩を貸し共に逃げることも叶わない。

(誰か――!)

 そう願った時、背後の床板が軋んだ。

 弾かれたように振り向いた桜子が目にしたのは、今と変わらぬ容姿の無月だ。これが仮に十六年前の出来事だとしたら、彼の姿はとんと変わっていないことになる。違いといえば軍服が和服になっているくらいだ。

「誰でもいい。頼む、助けてくれ」

 紀仁はかすれる声で乞うた。

「まさか俺に言っているのか? 慈善で人間を助けるつもりはない」

 呆気なく見放されるも、紀仁は諦めていなかった。この男に頼らなければ待つのは死だと直感している。

「金を、望むだけくれてやる!」

「金など、欲していない」

「では何が欲しい! 何を差し出せば助けてくれる? 私に何が差し出せる!」

「……お前、子はいるか?」

 嫌な予感が桜子を襲い、まさかという予感が駆けめぐる。

「子、だと? 妻が、身ごもってはいるが……」

「それは娘か?」

「生れてみなければわからない」

「娘ならば寄こせ」

 紀仁は一瞬言葉を失い、信じられないという形相で抗議を発した。

「子を、生贄にしろというのか!」

「娘だったらで構わない。拒否するならば、それまでだな」

 退路を塞がれた紀仁に選択肢は存在しない。それ以外に交渉の余地はないと無月は促す。

 もとより悠長に迷っている暇はなく、すぐにでも屋敷は崩れ落ちるかもしれない。火の勢いは収まらず助けが訪れる保証はない。

(お父様……)

 桜子には黙って見ていることしか出来なかった。これは声も届かぬ過去に起こったことで、紀仁が告げる言葉はもう決まっているのだ……。

「了承、しよう」

「契約成立だな」

 満足そうに笑う無月を最後に景色が揺れる。けれど揺れているのは建物ではなく、今度は桜子の視界が歪んでいた。


 いずれ、迎えに行く―― 

 最後に耳にしたものは残酷な未来の約束。

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