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妖しな家族  作者: 奏白いずも
人間編
3/34

三、憂鬱な朝

 障子越しに太陽の気配、朝日が部屋を明るく照らせば健やかな朝の始まりである。だが桜子の気分は憂鬱の一言だった。

 それと目が合った瞬間、さっそく深いため息が出た。昨夜の出来事が夢なら良かったのにと、億劫な一日の始まりである。

「はああ……。ある!」

 あれは夢で、目が覚めたら手元にそれは存在しなかった!

 そんな夢オチを期待していたのだが、三面鏡を兼ね備えた机の上には差出人不明、謎の男から預かった封筒。主張するような純白の白が鬱陶しく、さしずめ桜子にとっては不幸の手紙か。

「これをお父様に? わたくしが? 簡単に言ってくれるわ……」

 それが簡単に出来たらどれほど素晴らしいだろう、虚しくて笑えてくる。

「でも重要な内容だったら……」

 責任感と保身の葛藤。夜着姿のまま、鏡の中の自分と相談が続いた。

「よし!」

 掛け声と気合いを入れて、桜子は夜着を脱ぎ捨てる。

 着物は明るさを演出してくれる紅色、袴は全体を引き締める効果を持つ黒、リボンは清潔さを取り入れて白に。

 すぐさま見立てをつけ、袖を通すと気合が入った。巷では洋装、ワンピースやブラウス、スカートという衣服が流行しているらしが、自分にはまだ着物の方がしっくりくる。もちろんいつか着てみたいという願望もあるが、日ノ宮家は古き良き文化を愛する家柄なのだ。

 最終確認は念入りに、鏡の前で上から下へと視線を移動させる。そこに映る姿は完璧で問題は見当たらない。これならばと、桜子は意気込んで部屋を後にした。


 桜子が暮らしている場所は『離れ』と呼ばれる敷地内の別宅で、母屋に足を踏み入れるのはいつぶりか。その行為自体を禁じられてはいないが、好ましく思われていないのは明白である。家の者に見つかれば、暗黙の了解のように視線を逸らされ良い顔はされない。

 極力気配を消し、音を立てぬよう慎重に歩を進めた。

 当主の娘たる桜子がまるで――というより本当に隔離され、軟禁生活を強いられているなど世間の誰が想像しよう。だからこそ病弱設定が一人歩きしているのだ。

 理由? そんなもの、本人が一番知りたがっていた。

 ただ一つ、はっきりしていることがある。当主は娘を嫌っている、ということだ。

 桜子にとって紀仁という父は、完璧を重んじる厳格な人。他に知っていることといえば、政治家として期待され人望も厚い。そういった世間的な、人伝に聞いた内容しか知らない。紀仁という親を、桜子はまるで知らなかった。

 十六年前、桜子は産声も上げずに生れた。

 その夜、暦の上では満月の予定だというのに月は姿を消していた。まるで闇に祝福されるように生れた娘だったと。

 桜の子。読んで字の如く、桜の季節に生れたから桜子。この名は母、八重が付けたもので、父は生れた子を見るや名を付けることも放棄したそうだ。現在もその名を呼ぼうとしない。

 未だに外出を禁じられ、学校へも通わせてもらえず。母も兄も、時折父の目を盗んで会いに来てくれるが――それだけだ。


 この時間であれば紀仁は書斎で書き物をしている。顔を合わせることを避けるため、相手の行動は把握していた。

 桜子は何度目かの溜息を吐く。それが目に見えたとしたら道々には桜子のため息が大量に転がっていることだろう。障子一枚が分厚い鋼鉄に思えた。

「失礼します。お父様、桜子です」

 障子越しに呼び掛けるも、案の定無言。沈黙が痛い。

 何を言っても無視をされ、存在しないかのように扱われる。きっと父と呼ぶことも許されていないのだ。実の親子であり、家族なのに会話も意見もままならない状態である。

「部屋まで訪れたこと、申し訳ありません……。お父様宛ての手紙を預かりました。その……十六年前の、約束の時が来たと」

 桜子が口にした瞬間、畳に何かが落ちる鈍い音がした。静寂の中では、やけに大きく聞こえてしまう。

 紀仁は力任せに障子を開け放ち、膝を着いていた桜子は急な事態に父を見上げる形となる。

 驚愕の眼差しで見降ろされていた。これまで目にしてきた表情はだいたいが無表情で、感情を曝け出す場面に遭遇したことはなかった。それがどうしたと言うのか、たった一言告げただけなのに。

 開かれた部屋の奥、文机の下には筆が転がっていた。墨が畳みだけでなく紀仁の着物まで汚し、動揺を物語っている。

 父の視界に映っていることに安堵したのも束の間で、紀仁は我に返って視線を逸らした。

(ああ、やはり……)

 予想通りではあるが、やはり堪える。

 桜子は無言のまま封筒を差し出す。ここで何かを発言することは望まれていないだろう。

 紀仁は力任せに奪い取り乱雑に封を切った。文面を読み進めるたび表情は強張っていく。

 グシャ――

 あっけない音を立て、紙が握りつぶされる。

「どこで、これを!」

 きつく問い正され、桜子は身震いする。やはりあんな不審者からの手紙を取り継ぐべきではなかったと後悔に押しつぶされながら、あらかじめ用意していた言い訳を告げた。

「庭を散歩していたら門から声が聞こえたので、軍服の男が当主に渡せと……」

「今後、門から顔を出そうなど思うな」

「そんな!」

「反論を聞くつもりはない」

 ぴしゃりと言い切られ返す言葉が見つからず桜子は頷いた。本当は納得など出来るはずがないのに。

「いいか、今日は部屋から出ることは許さん」

「でも、わたくしは――」

「いいな!」

 会話は終いだと、一方的に障子は閉ざされる。

 桜子はしばらく立ち尽くしていた。胸元で握りしめた手、ほんの少し動かせば障子を開けることは簡単だ。鍵はついていないのだから、反論があるなら食い下がればいい。理不尽な言いつけだ、反論しても許されるのでは――けれど、どうしてもその勇気が持てずにいた。これ以上疎まれるような行為をするべきではないと諦めている自分がいる。

 結局、顔を伏せながら離れへ戻った。そうすることしか出来ない己を情けなく思いながら、また逃げ帰るのだ。

 昨夜の鬱憤を晴らすため薙刀の稽古に勤しむ予定が、大人しく部屋に籠もっているしかないだろう。

(それにしても、どうしてしまったの? 急に部屋から出るな、なんて……)

 感じたことのない不安が桜子の胸に巣食い始める。

 よほど怒らせてしまったのか、部屋から出るなとは穏やかではない。一切の外出を禁じられるなど、門から顔を出したという言い訳が不味かったのだろうか。

 ……いくら考えようと所詮、真意が掴めるはずもなかった。

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