二十七、桜子の主張
佳境です!
ですがまだ続きますので、もう少しお付き合いくださると嬉しいです。
コハクは桜子を背に乗せ疾走する。苦もなく屋根の上を駆け、街並は瞬く間に移り変わった。
振り落とされないよう桜子は首にしがみついている。
(どこまで行くの?)
問いかけたくても舌を噛みそうで何も言えず。
どれほど待てば目的地に付く? 本当に間に合う? 明確な答えがなく不安になる一方だ。
(間にあって、お願い! まだ伝えていない。文句も、本当の気持ちも!)
祈りながらコハクを信じるしかない。
再会は終幕の合図、それでいい。何も伝えられず一方的に終わらされるのが気に入らなかっただけだ。
もう一度会えたなら、それが最後。全部伝えて離別する。互いのためであり、別れの時は迫っていた。
「桜子様、着きましたよ!」
弾むコハクの呼びかけに閉じていた目を開ける。桜子の目に飛び込んできたのは見馴れた宵闇家の屋敷だった。
目の前にあるのは玄関とは正反対の壁と窓。窓が近づくにつれ玄関ホールで向かい合う人影が無月と苧環であると確信する。
(間に会った!)
だが安堵に浸る暇もなく窓が迫っていた。そろそろ減速しなければ惨事が目に見えている。
「ねえ、まさかとは思うけど……!」
コハクは勢いを止めない。
「え、なんですかー?」
「きゃああああ!」
止める隙さえなくコハクは窓に飛び込んだ。
桜子はとっさに両腕で顔を覆い、少女の悲鳴と窓が割れるのは同時だった。
「――なっ、桜子!?」
ほんの僅かではあるが無月と桜子の視線が交わり、無月に春の訪れを錯覚させた。
薄い黄色は山吹のように優しく、そこに描かれた満開の桜はこぞって咲き誇る。彩度の低い落ち着いた桃色の袴と足元には白い足袋が覗き、可憐な着物を体現するように少女は春風となって舞い降りた。実際窓が割れて隙間風が入って来たという指摘を無月が抱くはずもない。
娘の帰宅に驚き、さらには見惚れて固まった無月。
盛大な物音に驚いては、どこから入ってきたと驚愕している苧環。
これから叱られるだろう現実に怯えるコハク。
桜子もまた、勢い勇んで乗り込んだはいいが窓を突き破るという荒療治を体験した後で声が出ない。
――突然の状況に誰もが言葉を忘れていた。
しばしの沈黙、その間も乱入した桜子とコハクは視線を釘付けにしている。
「コ、コハクちゃん。……あり、がとう」
切れ切れの呼吸を宥め、ようやく桜子は言った。
火事に飛び込んだことが人生一番の無茶だとしたら、妖の背に乗って街中を疾走した挙句、屋敷の窓を破って突入したことは二番目に挙げられることだろう。そして二度と御免だと思う。
コハクから降りた桜子は一つ、深く息を吐いて階段上から無月に向き直る。
「お父様!」
階段上から見下ろし堂々と言い放った。
「お前、それにコハクまで――」
愛しい娘の姿は望んだ幻。獏のくせして夢かと疑っては傍に寄りそうになる己を呪った。
「何故、ここにいる!」
「わたくし来るなとは言われていません。コハクちゃんにしても、ただ家に帰ってきただけのことでしょう?」
にこやかに言い切ると、人型に戻ったコハクが背後で顔を覗かせているようだ。どうして連れて来たと、無月が視線で責め立てている。
威嚇するような眼差しにも桜子は躊躇わない。家族なのだから遠慮は必要ないと、とっくに開き直っていた。
「放っておけないわ」
「コハクに連れられて来たということは、聞いただろう? それがどうして、何故戻った!」
「何故? 何を言うのかと思えば……。わたくしの家はここ、宵闇家。家に帰ることに理由が必要?」
「お前の家は日ノ宮の家だろう」
「呆れた。初めて会った時の、あの一方的な自信は何だったの? そうね、わたくしたち話足りないのよ。だから戻ってきた。……わたくし家族を助けに参りました。何故って、家族を助けるのに理由なんて必要ないでしょう?」
無月は盛大に驚いた顔をしているので意図は汲んでいるはずだ。かつて桜子がそうしたように、かつて無月がそうしたように……あなたは家族なのだと告げていた。
「あの、お嬢様。そういったくだらない茶番は、さっさと切り上げていただけますか?」
「今忙しいの、黙りなさい!」
桜子は怒鳴りつける。苧環を相手に声を荒げたのは初めてだった。彼はいつも優雅で、感情を逆なでることとは無縁である。
「おや、そんな風に怒鳴ることも出来たとは。ただの小娘と、少々見くびっていたのかもしれませんね」
苧環は唇を歪める。
「そうね、見くびらないで。もう畏まって苧環さんなんて呼んでやるものですか。お父様に手を出したら許さないわよ、苧環!」
無抵抗で立ちつくす無月と彼の銃を踏みつける苧環。何が起ころうとしていたかを察した桜子は威嚇する。
「私が悪者扱いですか? それは誤解です。この方が死ぬつもりだと言うものですから、いらない命ならわらくしが貰おうかと。なにせ力の強い妖を食らうと、弱者も強者に近づける。所詮、化け猫の私には限界がありますので」
「言ったはずよ。黙っていて」
桜子の一括に苧環は怯みをみせた。所詮人の子だ、従う義理などない。そうさせたのは得体の知れない迫力があったからだ。
「桜子! お前は、今ならまだ――」
「お父様も黙っていて!」
「は? 俺も?」
娘の身を案じたのに一蹴された無月はやりきれない思いを抱く。有無を言わさぬ迫力で場を制した桜子に、男たちはこぞって口を閉ざした。
「わたくしのお父様たちは本当に勝手ばかり。一人で勝手に決めて、それがわたくしのためになると思っているの。はっきり言わせてもらうけど、そんなの自己満足な上に自分勝手だわ。誰が望んだの、わたくし? そんなはずないわよね? 行動する前に、本人に話を通しなさい! その口は飾り!? 事情を説明しなさいよ。生きているのだから、どうとでもなるでしょうに、どうして嫌われようとするの!」
桜子は苧環そっちのけで言い放つ。苧環までもが黙って聞き入っていた。
「まずコハクちゃんに謝って」
「なんだと?」
「そんなこともわからない? コハクちゃんだってあなたの家族でしょう。とても心配していたのよ」
「さ、桜子様! 僕は良いんです、そんな――」
コハクは桜子の裾を引いた。まだ堂々と前に立つ勇気はないようだ。
「コハクちゃん、今が絶好の機会なの。日ごろの鬱憤ぶちまけるべきだわ」
「そ、そりゃあ、無月様は無愛想で、突拍子もないこと言いだして部下使いが荒くて、鬼畜で……」
指折り数える少年、すぐに指が足りなくなった。
「コハク」
「はいいい! あ、いや、その……つい!」
低く名を呼ばれ全身で怯える。だが無月の口から紡がれたのは、少年の想像と違っていた。
「悪かったな」
恐怖で震えていたはずが、やがて歓喜に震えていた。というか驚き過ぎて大変なことになっている。
「む、無月様が素直になったああああ! ど、どどどうしよう!? それこそ人生の終わりって感じなんですけど! わあああああ!」
「お前な……」
呆れる無月に少しばかり空気が和んだように思う。
コハクは桜子の裾を放して隠れることをやめた。
「ごめんなさい!」
大声で謝罪を告げるが、無月に対してではない。コハクは潤んだ瞳で桜子を見上げている。
「コハクちゃん?」
コハクは桜子の前に立ち、守るように両腕を広げ背に庇う。
「ごめん、苧環。僕、裏切るよ。桜子様を殺させたり、しない」
「な、何? どうしたの?」
桜子の戸惑う瞳は小さなコハクの後ろ姿を映す。
「僕、桜子様のこと……嫌いでした。僕の大好きな無月様を夢中にさせるから、嫉妬、してたんです。だから靴を隠して苛めたり、針を仕込んだり、埃が残ってるわよーって、苛めてやるつもりでした」
多分その苛め方、違う。けれど黙っておこうと桜子も空気は読める方だ。
「それなのに、あなたは僕に優しい言葉をかけるんだ。僕の方が長生きなのに、人生の先輩なのに……まるで僕が子どもみたいじゃないか!」
嫌われていたことを桜子は初めて知った。どんな時でも笑顔を向けてくれたはずの少年は、ずっと我慢を重ねていたのだ。不満があっても主のために働いてきたコハクを想うと桜子は申し訳なくなってしまう。
「僕は無月様が大好きです。苧環が、桜子様を差し出せば無月様を殺すのは止めるっていうから……」
涙交じりに苧環へと語りかける。役者が全て顔を合わせてしまっては隠す必要もない。
「そうですね、確かに言いましたよ。あまりにもうるさかったので。こちら側になりかけの人間なら、多少は糧にもなるでしょうし」
彼もまた己の所業を白状する。
「だから、僕はあなたを連れてきた。見捨てるつもりで……。僕は桜子様を利用しようとしたんだ。僕を責めても良いんですよ」
桜子は首を振る。そこにどんな目的があったにせよ、行動するためのきっかけをくれたのはコハクなのだから。
「出来るわけない」
「ほら、優しい。だから僕は、無月様も桜子様も大切で大好き。お前に殺させたりなんかしない」
苧環は目を見張り、心底呆れかえっている。
「まったく、お前まで絆されるとはね。家族ごっこの延長ですか? 見ていられませんよ」
「苧環は黙ってなよ! さあ、桜子様。無月様に言ってやってください。悔い改めろって!」
「う、うん?」
コハクはいつになく強気だ。いきなり話を振られてた桜子は数秒考えてしまう。
「……お父様、わたくしにも謝っていただくわ」
「もとよりそのつもりだが、謝りきれない。償いきれるものではない。だから命で――」
「そんなものいらない!」
「いや、くれてやる」
「いらないわよ!」
「いや、お前のために――」
「だから、いらないと言ってるでしょう! 話し聞いていました!?」
桜子にとっては果てしなく不毛な言い争いで最後の方はもう怒鳴っていた。
「なら、どうしろというんだ!」
つられるように無月も日ごろでは見せないほど荒々しく言い募る。
「そんなの、簡単なことよ――」
無月の覚悟はしかと伝わっている。恥じらいに頬を染めている場合ではなく、本気でぶつからなければ止められないだろう。
命――、最上級の独占。かつて名も知らぬ女性に嫉妬したこともあったが、ここで桜子が望めば無月の全部が手に入るのだ。二度と嫉妬に焦がれることもないだろう。けれどそれは桜子が望んだものではない。
勇気は振り絞るほど難しいことではなかった。自然と苛立ちに紛れ言葉はすんなりと出ていたのだ。
「わたくしの一生を台無しにしたのなら、わたくしの一生を引き受ければいい!」
無月はまたも言葉を失くし、魅入られたように耳を傾ける。というより固まっていると形容した方が適切かもしれない。
「あなたの命なんていらない、欲しくない! あなたの命を背負って、わたくしだけ生きていくなんて悲しすぎる。わたくしは、ずっと一緒にいたかったのに……一緒にいたかった! だから――、傍に居られなくても生きていてほしい」
たとえ叶わない願いだとしても伝えるだけなら自由だ。
無月の頭が力なく垂れる。拍子に帽子が落ち、乱れた髪に表情が隠される。
何とも言えない沈黙が痛い。言いたいことを言い切った桜子は、誰か早く何か言ってほしいと切に願う。
小さな笑い声が漏れた。それは次第に大きくなり、無月は前髪をかきあげる。赤い瞳が美しく細められると桜子の胸は音を立て喜んだ。随分長い間見ていなかった、そんな懐かしさに包まれる。
「苧環、悪いな。娘がここまで言うんだ。俺の命はやれなくなった」
「お父様!」
ここまで真摯に訴えて考えが変わらないようならば「目を覚ませ!」と拳で殴ってやろうとも計画していたが、どうやら杞憂で終わりそうだ。
「まったく……」
怒り狂うだろうかと予想した苧環は落胆するだけだった。降参だとでも言うように両手を上げる。
「ここで戦ったところで勝てるとは思いません。お嬢様、どうしても命で償わせなくていいのですか?」
「駄目よ。わたくし、お父様には生きていてほしいの」
たとえ傍にいられない関係だとしても、どこかで笑っていてくれるならそれでいい。
――案外似た者同士だったのかもしれない。ただ違うのは、無月は沈黙を貫き、桜子は勇気を振り絞ったということだろう。




