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妖しな家族  作者: 奏白いずも
人間編
2/34

二、散歩は夜に限る

 闇夜に蠢く影一つ。物陰に身を潜めては念入りに周囲を窺っていた。

 だが、どうか安心してほしい。まるで泥棒のように暗躍はすれど、彼女は日ノ宮家の令嬢桜子本人である。

 窮屈な生活に疲れ、ちょっと外の空気が吸いたくなっただけのこと。もはや日課となっている夜の散歩に出向く最中だった。

 桜子は太い柱の陰へ、滑り込むように隠れた。体だけではなく、護身用に帯刀している薙刀もしっかりと隠さなければならないので注意が必要である。

 その際に翻った着物の袖は淡い桜色。袴は桜の刺繍が入った物を組み合わせ季節感たっぷりに、足元を彩るのは流行りの革靴。どれもこれも、闇に埋もれて良く見えないのが残念である。

 動きに無駄はなく、実に手慣れていた。その視線の先には母屋へ続く渡り廊下がある。人気がないことは入念に確認済、家の者は寝静まっているとしても油断は禁物だ。


 あとは一直線に走るだけ――!

 はい、到着。

 

 桜子は裏庭へとやってきた。

 無駄に広い日ノ宮家の敷地内において最も人目につかない場所。この方角に屋敷の窓はなく、周囲は人の背より高い塀に囲まれている。

 何があるのかといえば、そこには一本の桜の木が、どこかさびしそうに植えられている。太い幹に、佇む姿はどこか威厳を感じさせるが、残念なことに枯れているのだ。蕾を付けたことはおろか葉を茂らせることもない。枯れた枝は、ただ儚くそこに存在しているだけである。

 それは長女の誕生祝い――すなわち桜子の誕生記念に送られたもの。けれど土に馴染めず、この十六年花が咲くことは一度もなかったという。さすがに当主長女の生誕記念樹を切るわけにもいかず、長年放置されている。今では見栄えが悪いとの理由から裏庭へ押しやられていた。

「こんばんは。月は見当たらないけれど、星が綺麗な良い夜ね」

 桜子はいつものように木へ話しかける。

 馴染めない、しかも人目を避けるようなこの待遇。まるで自分のようだと、いつしか親近感を抱いていた。だから意味のないことだとしても、つい語りかけてしまうのだ。

「今日は、久しぶりに先生と薙刀の稽古をしたの。筋が良いと褒めてくださったから、もっと頑張らないとね」

 いつしか木が聞いているような錯覚が芽生えていた。友達が少ないとでも、なんとでも言えばいい。実際、少ないどころかいないのだから。

 自分の分身、なんて失礼だろうか。いつもこの木に助けられているので、もはや愛着のようなものが湧いていた。

「今日もよろしく頼むわ」

 根元にある大きめの岩を足場にして、ぐっと手足に力を込める。はしたないのは承知の上、おもいきり足を開いて木に登った。

 日ノ宮桜子といえば、近所ではちょっとした有名人だ。

 父である日ノ宮紀仁は有力な政治家であり権力者、家は豪邸。彼女の身分はれっきとした良家のお嬢様である。けれど公の場どころか、近所でも顔を見たものは少ない。とくれば、生まれつき体が弱く病弱で外出は最低限。そんな設定が出来上がっても不思議ではないだろう。

 そんな彼女を幸運にも目にした者は、口を揃えて『美人』もしくは『大人しそう』と形容する。とりわけ長いまつ毛に彩られ、悩ましげに伏せられた瞳(深夜外出で寝不足気味)が印象的だったと言う。色白で手足も細く、日に当たれば倒れる。ましてや数歩歩けば力尽きるとか……。やがて、そんな噂が独り歩きしていた。

 そのご令嬢様が、夜な夜な木登りに興じているなど誰が想像するだろう。まして豪快に足を開いた姿など、とても人様に聞かせるどころか、見せられたものではない。

 枝に足を掛け、塀の上へと降り立つ。初めのうちこそ高さに脅えていたが、数をこなすうち見晴らしの良さに快感を覚えるようになっていた。高くなった視線は、見馴れたはずの景色を違う場所のように錯覚させてくれる。それは桜子の密かな楽しみだった。

 塀の上を数歩進むと角には電柱がある。まずは薙刀を塀に立て掛け、打たれている杭を足場にして今度は電柱を降りる。もはや手慣れたものだ。

 地上までの距離を目視し、十分な距離だと判断した桜子は飛ぶ。そして今宵も華麗な着地を決めた。

(今日も無事、外に出られた)

 満足げに、乱れまくっていた着物を直す。

(遠くまで出歩いたりしません。ほんの少し、少しの間だけです。だから、どうか許してください……)

 父の部屋がある辺りを見上げ、今日もまた届くはずのない言い訳を紡ぐ。

 長い塀をぐるりと一周するだけの短い外出。それでも自由のない桜子にとっては、ささやかな楽しみとなっていた。

(右よし、左よし、背後よし! さあ、誰もいない!)

 無論、外出は無許可である。安全確認にも気合いが入るのは必然だ。

「おい」

「ひゃあ!」

 奇声が上がってしまったのは不可抗力だ。それを恥ずかしがる余裕はなく、本気で驚きすぎたあまり胸の鼓動が五月蠅い。けれど悠長に構っている場合ではなかった。

「ち、違うの、泥棒違う! わたくしこの家の者ですから、とにかく通報の必要はありません!」

 かえって泥棒くさい言い訳のような気もするが、事実なので仕方がないだろう。

 塀を越えてきた場面を見られているとすれば、色んな意味でゆゆしき事態である。乙女としても、容疑者としても!

「ほう、日ノ宮の者か」

 幸か不幸か、深く追求されることはなく、見知らぬ男はじっと桜子を見つめているだけだった。

(誰かしら? うちに用事……それにしたって、深夜に?)

 何者で何をしにという疑問から、桜子も視線を逸らせない。

 真っ先に上がった仮説は泥棒である。深夜、人気がない、加えて『日ノ宮の者』という言葉……疑うには十分すぎる。


 泥棒退治でもすれば、あの人は見直してくれるだろうか――


 そんな都合の良い幻想が脳裏をかすめた。そうなれば、少しくらいは外出も許可がおりたりしないだろうか。そんな、都合のいい夢を見ずにはいられない。

 そうと決まれば万が一取り逃がした場合、姿絵を作れるように特徴を覚えておかなければ。

(歳は若い。楓お兄様が二十歳で、この人はもう少し大人びて見えるから、二十代前半ほど? 髪色が特徴的ね。生え際は黒いのに、毛先にかけて色が薄くなっているなんて。瞳は赤く、つり目気味。顔立ちは無表情だけど整っているわ)

 何よりも男が纏う妖しげな雰囲気に惹きつけられてしまう。男性でありながら作り物めいた容姿には、うっかり余計な考察まで付けくわえてしまった。

(姿絵に顔の良し悪しは関係ないわ!)

 他に特徴をと、桜子は邪念を振り切り集中し直す。

(身なりは、とにかく黒。髪から服まで、深めに被った帽子も黒い。洋装――軍服というものかしら? ということは、どこかの軍人? ふさふさの襟着き軍服なんて、よほど偉い階級の人なのかしら……)

 闇に溶けるような色合いに、よくよく目を凝らす必要がある。その中で赤い瞳はやけに際立っていた。赤く、妖しい光を宿しているようで不気味だった。

 一通り観察を終えて、桜子は同性すら見惚れる噂の瞳を細め結論に達した。

(うん。怪しすぎる……)

 さり気ない仕草で立て掛けていた護身用具を引き寄せる。

 警戒されていると気にも留た様子のない男は、そっけなく手を差し出した。

「これを当主に渡してくれ」

 皮手袋に覆われた手、そこに握られているのは白い封筒で、宛名は書かれていない。

「当主というのは……紀仁様に、でしょうか?」

 桜子は緊張した面持ちで父の名を告げる。たとえ不審者からの届け物であるとしても、間違いがあっては困るだろう。

「そうだ。必ず本人に、直接渡して欲しい」

「えっ!?」

 封筒を受け取った桜子は、あからさまに動揺して固まった。せめて郵便受けに忍び込ませておこうと画策していたのに、先に釘を刺されてしまう。

「おそらく奴も、そう望むだろう」

 桜子は困り顔で男と封筒を見比る。ひとまず受け取った封筒を裏返せば、これまた真っ白で差出人の名も無い。

「あなた、お名前は?」

「お前に名乗る名はない。十六年前、約束の時が来たと言え。それで伝わる」

 十六年、それは奇しくも桜子の歳と同じ。

 桜子の視線は手元の封筒に向いていた。この男と父の間に何があったのか知る由もなく、どうせ父の口から聞くこともないだろう。

 それはともかくとして、人に物を頼んでおきながら、お前に名乗る名はないとは不躾な物言いである。親切心で聞いたと言うのにあんまりだと、文句を言ってやろうとしたのだが。

 丁度その時、街灯が火花を散らせた。バチッ――と不穏な音が頭上で炸裂し、瞬いた閃光に驚いて目を覆う。

 再び目を開ければ、灯りを失った通りは闇一色に塗り替えられていた。

「どこへ、行ったの?」

 ようやく目が慣れ始めた頃、すでに男は姿を消していた。それきり姿は確認できず、なんとも不気味な邂逅である。まるで闇に溶けてしまったようで、当然ながら申し出を断る間もなかった。

 なんだか怖くなって、桜子はすぐに引き返すことを決める。小さくとも異変が起きた、今宵の散歩は諦めるべきだと冷静な判断を下す。

 電柱をよじ登ろうとすれば、手に封筒を握っていたことを思い出した。

(邪魔ね……)

 手紙といい、差し出し人といい、どこまで自分の邪魔をしてくれるのだろう。恨みがましく見つめることしばし、手紙は丁重に懐へとしまいこまれた。

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