長谷雄理のユウ鬱3
季節は冬。
場所はN大学の最寄駅。
「そうか、これでこの式が……」
あれから年をまたぎ、新年ムードも終わりつつあった。夜9時半過ぎ、通勤客も消え人がまばらになってきている地下鉄駅のホームで少年がぶつぶつとつぶやいていた。少年の名は長谷雄理。
「……で」
長谷の指がくるくると回る。いつものように計算をひも解いているのではない、イライラしたような仕草だ。
「なんでお前たちまで来てるんだよ!」
長谷は友人に小さく吠えかかった。
僕達は北高生外伝「長谷雄理のユウ鬱3」
「まあまあ。そんな怖い顔しなくてもいいじゃんかよ」
「俺はやめとけって言ったんだぜ?でも坂元が……」
「お?俺のせいにするのか秋葉?」
「はぁ……やれやれ。計算外だよ」
長谷の周りには、秋葉と坂元がいた。彼らにはこの日にN大学へ忍び込むことを言っていないはずなのに、なぜかついてきていたのだ。
「というか、なんで今日俺がここにいること知ってんだよ」
「ん?ああ。なんか知らんが昨日の夜に女の子から電話が掛かってきててな。長谷がN大学に忍び込むっていうから秋葉と連絡してどうしようかって」
坂元の「女の子」という言葉で、長谷はすぐさま桜庭のことを思い出す。
「『大事なら、あの機械でひとりで実験しちゃダメ』……か」
「なんか言ったか?」
「いや、何も。まぁ、来るのは構わないけど、俺のやりたいことの邪魔だけはしないでくれよ」
「そりゃわかってるって」
「……ならいいけど」
駅のホームにいても地上から降りてくる風が吹いておりひどく寒い。
「そろそろ警備員が交代する時間だ。頼むから邪魔だけはしないでよ」
「わかったって」
長谷は何度も友人2人に釘を刺し、駅を発った。駅から大学まではそう遠くなく、すぐに正門までたどり着いた。他の通用口はすべて閉鎖されており、帰宅する職員や、遅くまで勉強していたのであろう学生はひとりひとり閉ざされた大きな門の通用口から警備員の目を通して帰っていく。
「おぉ、警備は万全なんだな」
「まぁ、一応研究機関も置かれている大学だからね。24時間正門には警備員が配置されてるんだ」
「じゃあ裏口からいけばいいんじゃねぇの?」
「裏口を含め正門以外すべての通用口には抜け目なく監視カメラがついてる。だけど正門には警備員がいるからカメラの設置が甘いんだ」
「なるほど」
「だから交代の時間を待って……!!」
長谷が口をつぐむ。その目線の先には立ち去る警備員の姿があった。時計を見ると10時5分前を指している。
「交代だ!」
長谷が嬉々として走り出す。それにつられて秋葉達もついて行った。
――――――――――――――――――――――――――――――
正門から最寄りの棟へ逃げ込む長谷達。ドアを閉め、窓から顔をだし、バレていないか確認すると、大きく息をついた。
「よし、バレてない」
「難なく侵入できたな」
すこし息を荒げ壁にもたれかかる秋葉。
「ああ。これでようやく俺の実験がやれる」
「実験ってなにするのさ」
「……まぁ、研究室に向かう間に説明するよ」
長谷は外の様子を伺いながら、ゆっくりと歩き始めた。
「俺は以前、おじさんからシミュレーターをもらったんだ。宇宙がどう広がるのか、地球が生まれ生命が生まれ現在に至るまでのデータが入ったシミュレーターをね」
「ふむ」
「俺はそれを改造して、宇宙の広がり方をランダムにしてみたり、まったく広がらないようにしてみたりしたんだ。そうしたらなかなか面白いデータが取れてね」
「面白いデータ?」
「このシミュレーターはいわば『世界』なんだ。例え現実の宇宙や地球と同じ挙動をしても、現実の宇宙や地球とは異なる。つまり、俺達の住む『世界』とは違う『世界』って訳」
「つまり、シミュレーターの中の世界は長谷が作った世界な訳だ」
「そう。俺は世界の創始者になった気分だったね。シミュレートしている間はとても気持ちが良かったよ。だけど、だんだんこれだけじゃ足りなくなってきたんだ」
「それが、夏にやってたあの実験だな?魔法がどうとかって言ってた……」
「うん。例えば、もしも、世界の中で魔法が使えるような人がいたら……ってプログラムに書き換えると、宇宙のあちこちに魔法使いが誕生する。もちろん地球上にも誕生するんだ。で、俺が今からやりたい実験ってのはここからなんだ。この先向かうところにある機械と、このSTPを接続する」
「接続するとどうなるんだよ。おっ、見ろよ秋葉、水泳部のこのねーちゃんボインボインだぜ!」
坂元がどこからか持ってきていた大学のパンフレットをぺらぺらとめくりながら聞く。
「……真面目に聞いてるなら説明するけど。まぁいいや。接続すると、俺の理論上は、その機械がSTPが生み出した世界を作ってくれるはずなんだ」
「機械が世界を作るって言うのか?」
「理論上ね。だからそれを実験するんじゃないか。もし成功したら、俺達は魔法使いになれるかもしれないんだ。どうだい?面白そうだろ?」
「確かに面白そうだが、失敗した時のリスクは考えないのな」
「ああ、そこは大丈夫。失敗してもSTPが強制終了するだけだから。これまでもずっとそうだったんだ。それに、失敗を恐れていては、実験は成功しないからね」
廊下を曲がり鉄製の扉を開けると、古びた研究棟に入る。長谷の叔父の研究室がある研究棟だ。長谷は鍵を取り出し、研究室を開ける。
「誰もいないな……?」
辺りを見渡し、見回りの警備員や居残りしている職員がいないかどうかを確かめる。唯一、2つ隣の棟で、実験を行っているのだろうか、蛍光灯の明かり以外にもパチパチと光の点滅が見受けられただけだった。
「よし、秋葉、坂元、見張りを頼む。俺は機械を起動させる」
そういうと、古びた木製の棟には似合わないほど厳重に管理されてある実験室の扉を開ける。そこには高分子核加圧式原子計測器が置いてあった。
「とうとうこの機械でひとりで実験する日がやってきた訳だ……」
「おおぉ、パンフにも載ってたがなんかすげぇ機械だ。爆発したら大変なんじゃないか?」
「大丈夫。ここは頑丈だから」
そういうと長谷は部屋の壁をコンコンと叩く。この部屋の上下左右の壁は全て分厚いコンクリートで出来ており、放射線を通さない仕組みになっている。電源を入れ、スイッチを押すと、重低音が鳴り響き、機械中央の動力装置が青白い光を放ちまわり始めた。
「これ、アレみたいだな、アーク・リアクター」
「それに近いよ。起動時に小さな電流を流し、中の小さな核反応を起こして、それを連続で反応させることで放出されるエネルギーを元に動くんだ。だから一度起動してしまえばそのエネルギーを消費し切らない限り電力は必要としない」
「ほへぇ~」
こうしちゃいられない、と長谷はつぶやき、持ってきたSTPの内蔵されたメモリーカードを高分子核加圧式原子計測器に挿入する。
「あとは小さなプログラミングをするだけだ。秋葉、坂元、ちゃんと見張りやっててよね」
「お、おう。実行するなら言ってくれよな」
しばらく、高分子核加圧式原子計測器の静かな動力音と、長谷のタイピング音のみが古びた研究棟に響いた。幸い誰かがやってくるようなことは無かった。
5分が経過した後、長谷がキーを叩く音が消えたのを見て、秋葉達が長谷の元へ駆け寄った。
「どうした、終わったのか?」
「……ああ。プログラム自体は既に終わってる。後は実行するだけだよ」
「へぇ。じゃあ見せてくれよ。お前の実験とやらを」
黒い画面に光るΩの文字を点滅させながら、長谷は秋葉と坂元を見た。
「その前に。世界が変わってしまう前に。秋葉と坂元に言っておきたい。俺はお前達とは違うっていつも思ってた。見下してたとかそういう訳じゃない。お前達が言っていた『世界を変える』なんて、そんな大それたこと出来る訳がないのに、どうしてお前達はそう空想の世界を楽しめるのかわからなかったんだ」
「そんなもん簡単だぜ。空想なんてものは考えりゃその通りになるんだ。現実じゃなくても、現実にあると思うだけ。あとはそれをどう楽しむかってだけだろ」
「うん、言葉では理解してるつもりなんだ。でもどうしてもわからなかった。だけど、この実験をやってみて思ったんだ。俺はお前達と同じなんだ、空想を楽しんでいるんだって」
「ちょっと規模が違うけどな。それを現実にしようと大学に乗り込んで実験するなんて俺達もやったことねぇ」
「ははっ、確かに言えてる」
「でもよ。すっきりしただろ?俺達は北中生。今は中二病真っ盛りで、ちょっと常識から外れた行動をしなくちゃ気が済まないってさ」
「……ああ」
長谷は小さく笑い、ずれていたメガネを直した。
「実行する前にいっこだけ教えてくれ。STPってなんの略なんだ?」
「世界を作り変えるプログラム、の略さ」
「だっせーネーミング!」
「うるさい!」
長谷がエンターキーを押すと、高分子核加圧式原子計測器が轟音を立て動き始めた。動力炉の青白い光が眩き始める。研究棟が大きく揺れると同時に周りの景色が歪んでいく。
「……じゃあな、今までの世界!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
長谷が目を覚ますと、見渡す限り白い世界がそこにはあった。あたりを見渡しても何もない。秋葉も、坂元もいない。
「ここは……?実験は成功したのか?」
暗い研究室とは打って変わって、眩い光が差し込む世界。上を見上げると満天の青空が、足元を見ると、白い靄が立ち込める床にガラス細工のような大小ばらばらの大量の球体が転がっていた。
「これは……?」
長谷はソフトボール大の球体を一つ手に取ると、中を覗き込んだ。しかし、その球体の中に何か描かれていたが、雲のようなもので白く濁っており、中の様子までは見られなかった。
「それは『世界』。規模は小さいけれど、立派な時間軸をもった世界です」
「だ、誰だ!?」
声がした方を振り向くと、胸部と臀部、最低限にだけ白い布を身にまとい、光に包まれた女性が立っていた。その女性は腰まである髪を靡かせ、長谷のもとへ歩み寄った。
「ようこそ。私はΩ。といっても、これが私のすべてではありませんが……」
「オメガ……?ここはどこなんだ」
「ここは……そうですね、貴方達の言葉を借りるなら『神の世界』とでも言いましょう。貴方は神の世界に住む私に会う、その為に実験を行いました。本当ならば、人間のような小さな構成物質では認識することすらかなわない世界です」
にっこりとほほ笑むΩを長谷は訝しげに見る。
「お、俺はただ俺達の世界を変えたいと思っただけで」
「そう、その『思い』の結晶が貴方の作り出したSTP。そして高分子核加圧式原子計測器、でしたっけ?それが作り出す反常識的空間。それらが合わさって貴方がこの神の世界に誘われたのです」
そういうとΩは自らの足元にある黒くくすんだ珠を掴みとった。長谷は屈んだΩを見て目をそらした。
「例えば。この世界は貴方と同じような人類が魔族と共存し住む世界です。しかしある些細なすれ違いから、人類と魔族の争いが起こり、結果双方が滅び、生物が死滅した。それを見ていた…………(長谷には聞き取れなかった)がこの世界の滅亡を望んだのです。その結果、世界が滅んだ」
「……すまん、なんだって?」
「ああ、そうですね。貴方達の言葉で言うなら、『暗黒物質』と言っておきましょう。物を構成する「物質」があるように、それは世界を構成する「物質」だと考えてください」
「物質が望む?」
「ええ。貴方の世界では物質に思考が無いという考えが主でしょう。もちろん、ほとんどがその通りですが、ごく一部に、人間を凌駕する思考や意思を持ち、人間が超能力と呼ぶ力を持つ物質も存在します。それが、暗黒物質」
Ωは手に持つ黒い珠を落とすと、珠はゆっくりと地面に沈み、消えた。
「貴方の世界には4つ、その暗黒物質が存在します。どれも人の意思に関わらず、世界を終わらせる程度の力は持っているでしょう」
「……で、何が言いたいんだ」
「貴方は世界を変えたいと言った。では私がその望みをちょっぴり叶えてあげましょう。そう言いたいのです」
Ωの手が長谷の胸に触れる。長谷よりも少し背の高いΩはまたにっこりとほほ笑むと、纏う光が強くなっていった。
「……そうですね。貴方に、蒼を授けます。これからどうするか、楽しみですね」
Ωの言葉を最後に、長谷の意識は遠のいていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
長谷が実験室で目を覚ましたのは起動から4時間が経過した後だった。午前2時。窓から差し込む街灯も消え、高分子核加圧式原子計測器の電源も落ちていた。気絶する前に何が起こっていたのか思い出そうとするが、何も思い出せない。
「実験は失敗したのか……?起動させるまでは覚えているんだけど……」
「よぉ」
暗闇から声が聞こえ、音のした方を振り向くと、そこには秋葉がいた。だが、長谷の知る秋葉ではない。既に何年か経過したような、成長した秋葉だった。
「秋、葉……なのか?」
「ああ。正真正銘秋葉だぜ」
「それにしては大きくなってるような……」
「まぁな。俺はお前の良く知っているこの時代の秋葉じゃない。未来の秋葉とでも呼んでくれ。理由はまた後で説明するから、今は気になっても聞くなよ」
未来の秋葉は手に持つ懐中電灯の明かりを拡散させ、実験室の全貌を照らした。
「大学の電源が落ちてるからな。こうでもしないと真っ暗なんだ。でもこうすればわかるだろ?実験室に入るまではあった「何かが」ない、って」
未来の秋葉の言葉に疑問を覚え周りを見渡した長谷は、あることに気付いた。
「秋葉と坂元がいない……!?」
「正解。なんでいないかわかるか?」
「……わからない」
記憶が混沌としている中現れた未来の秋葉。長谷は考えるのを放棄したくなるほど、新たな情報がなだれ込んできている。
「お前の実験が、あいつらを消したんだ」
「消した?殺したのか?」
「いや、生きてはいるよ。現に今の俺の未来がここにあるんだからな」
「あ、そうか……で、どこに消したって言うんだ?」
「今から連れて行ってやるよ」
そういうと未来の秋葉は長谷の手を取り、高く飛び上がった。
―――――――――――――――――――――――――
地面に足がつく寸前、1と0が2人の頭上から降り注いだ。そう、これはこれから数年後に秋葉が経験する、時間移動だ。
「ま、な、なにが起こって……うぅっ」
「喋ると時空酔いしてゲロ吐くぞ、やめとけ」
落ちているのに、上がっていく。そんな矛盾した感覚が長谷を襲う。
「俺はお前を答えに近づける仕事をするだけだ。そこでお前がどう答えるかは、お前次第なんだよな」
―――――――――――――――――――――――――
突如、1と0が消えたと同時に、長谷は地面に叩きつけられた。
「ぐあっ!」
「はは、俺もお前も同じなんだな」
「何言って……」
長谷が反論しようと起き上がると、そこに未来の秋葉は居なかった。自分自身がいたのだ。長谷の進学希望である、北高校の学ランに身を包んだ自分自身が。周りを見渡すと、一度見学に訪れた時とさほど変わっていない、北高校の理科室の中だった。
「よっ。俺は未来の長谷雄理。ちょいとお前に教えておかなくちゃならんことがあるからな、昨日未来の秋葉にそうやって言われたんだ。さぁ、質問コーナーだ。なんでも聞いていいよ」
そういう未来の長谷に、長谷は掴みかかり、捲し立てた。
「……なにがなんだか分からない。俺は何をしたんだ?俺の身に何が起こっている?どうして秋葉達は消えたんだ?さっきの秋葉は何者なんだ?お前はいつの俺なんだ?教えてくれ」
「そんな立て続けに質問するなよ。一問一答がマナーだろ?まずひとつ。お前が何をしたか。お前は「実験」を行い、失敗した。否、失敗したと言うと語弊があるな……失敗ではなく、おっぱいだと思ってもらえばいい」
「……は?」
「冗談だ。「実験」とは、覚えていないかもしれないが、お前は「世界を変える為」にその実験を行った。だがしかしその実験の本質は「この世界に存在するとある物質を抽出する為」に変わっていたのさ、お前の知らないうちにな」
「とある物質ってなんだよ。まったく覚えがないぞ」
「そりゃあそうだ。今から説明するんだからな。その物質の名は「暗黒物質」。まぁ、ダークマターってやつだ。俺達の住むこの地球や宇宙、時間空間すべてをひっくるめて「世界」と言うんだが、その世界を構成している物質だ。この世界には4つ、黑、皓、蒼、碧の暗黒物質が存在する。それをお前が抽出し、蒼を自らに取り入れた」
「蒼……?」
「世界を変える能力。また、物質を変化させる能力。俺はそう未来の自分に教えてもらった。つまり、その時の俺は今のお前ってことだよ。さて、次の質問だな。お前の身に何が起こっているか。お前の体には「暗黒物質・蒼」が内包されている。まぁつまりお前は超能力者になれたって訳だ。自分が望んでいた、な」
長谷ははっとした。未来の自分の手が燃えている。だが未来の自分は熱がるそぶりもみせず、涼しげな表情でその炎を見つめた。
「物質が燃える時の化学式。例えばプロパンならC3H8。そのプロパンを己の手で反応させたいと念じれば、そのようになるって寸法さ」
「そ、それを俺もできるのか……?」
「あぁ。やってみるといい」
長谷は言われた通り、右手の平を見つめ、プロパンの燃焼を念じた。酸素は空気中にあるものを借りると仮定すれば、容易に化学式は完成する。……すると、長谷の手にも、未来の長谷よりも小さな炎が出来上がった。めらめらと燃え盛るそれは、左手で触れようと掲げると、かなりの熱量を放っていた。だが不思議と右手は熱くない。
「で……でき……た……?」
「おっ、上出来上出来。まぁ俺も相当練習したから、俺くらいになるにはまだかかるけどね。次行くぞ。どうして秋葉達は消えたのか、についてだ」
作り出した炎を見つめていた長谷は未来の自分の言葉に気付き、炎を消した。
「そうだ。俺はそれを聞きに来たんだ」
「俺が秋葉達を匿った。故に秋葉達は今この時空上にいるよ。だが……今のお前には渡さない」
そういうと未来の長谷は長谷に駆け寄り、腕をつかみ、首に物理の参考書を突き付けた。
「黑の所有者である秋葉を、総てを殺したくて仕方ない……そうだろ?蒼」
いきなり未来の自分が怖い顔で駆け寄ってきたのを、長谷は驚き、腰を抜かして倒れこんだ。……見上げると未来の自分は自分を掴みあげたままだった。さらに、自分(と思しき身体)は怪しく笑い、未来の自分の手を掴み返した。
『あぁ、そうだよ。黑を壊して俺のものにする』
「な、何が起こってる!?」
「能力を使用したことで、暗黒物質の浸食が始まった。お前が克服しない限りこいつはお前を蝕み続ける。お前自身が蒼に飲み込まれちまったら、長谷雄理という存在自体が消えてしまうんだよ!」
「俺が……消える!?」
どこに向かって話していいのか分からないのか、未来の長谷はあちこちキョロキョロしながら叫んだ。
「未来の俺!俺はどうすれば……!」
『無駄さ、お前の声はあいつには届いてない。勿論黑を喰らうが、もしこの未来の蒼を喰らえば……俺は、俺は……』
長谷の身体(以降「蒼」と表現しよう)は腕を振り、未来の長谷を突き飛ばし殴りかかる。未来の長谷はそれをひらりとかわし、足元に蒼と碧の入り混じった魔法陣を描いた。
『あぁ……蒼だ……碧もある……いい香りだ。堪らねぇ……!俺にもっと蒼を寄越せ。蒼が完成すれば俺は、この世界を、全てを手に入れる!!』
「はぁ、過去の俺はこんなんになってたんだな……その辺で腰抜かしてる過去の俺には気付けているかわからないが。まぁ、俺が覚えていないんだ、見えていないんだろうな」
「未来の俺は何を……?」
自分の体を客観的に見られる、幽体離脱状態の長谷の目には蒼は長谷そのものだった。しかし、未来の長谷には蒼は「ドス黒い何か」にしか見えていなかった。
「まぁ、やることは同じ。あのとき未来の俺がやってくれたように、過去の俺が蒼に打ち勝つまで耐え抜くのみさ」
『耐え抜く?俺に打ち勝つ?……笑わせてくれる』
蒼は未来の長谷に手のひらを向け、光線を撃ち出した。未来の長谷はそれを右手ではじき、弾かれた光線は理科室の机に当たり、机がはじけ飛んだ。
「ふぅ、今のは当たったらやばかったな」
『チッ、外したか……だが、こいつはどうだ』
蒼が両手を大きく広げると、無数の光弾が蒼の周りから飛び出し、ふよふよと浮遊していた。未来の長谷はそれには気づいていないのか、物理の参考書を見つめ、なにやらつぶやいていた。
「み、未来の俺!見えてないのか!?」
『見えてるさ。絶望と言う名の未来がな!』
「まさか……」
『そうさ。奴はあきらめた。くらええぇぇぇっ!!』
蒼が両手を振りおろし、浮遊していた光弾が未来の長谷に向かって飛びかかる。
「……ESPクインク!」
ドン、そんな効果音が似合うだろう、蒼や未来の長谷がいない方角の机が音を立てて爆発した。次の瞬間、未来の長谷はその机の上に立っていた。光弾は未来の長谷が元いた場所に着弾し、床を大きくえぐっていた。
『瞬間移動か』
「そんな大層なもんじゃない。俺の姿を認識させつつ、移動した、それだけのことさ」
『味な真似しやがって!』
「おっと、悔しがってる場合かい?」
未来の長谷は指を小さく振ると、蒼の体がくの字に折れ曲がった。クインクと呼ばれた光弾が蒼の体に突き刺さっていたからだ。それと同時に、長谷の腹にも衝撃が走る。
『ぐふぉ……っ!』
「ぐえっ!」
「浸食してるから本体である俺にもダメージが入るんだよなこれ。痛かったなぁ……許せ俺。規定事項だったんだ」
未来の俺は苦笑いすると、蒼に歩み寄り、参考書を突き付けた。
「予定よりちと早いがトドメといこうか。ESP……」
『させるかぁ!!』
蒼の背中から蒼い羽のようなものが現れ、未来の長谷の腕に飛びかかる。未来の長谷は学ランを脱ぎ捨て、後ろに飛びのいたが、机にぶつかり、転んでしまった。蒼は転んだ未来の長谷をその蒼い羽で縛り上げ、宙に持ちあげた。
『一転攻勢、かな』
「くっ……!」
「やめろ!蒼!未来の俺に攻撃するな!」
『ハッ!』
長谷の声など聴かない蒼は宙に上げられ、首を締められた状態の未来の長谷に殴打を繰り返す。最初は抵抗していた未来の長谷も、だんだんとその手が降り、最終的にはその手が動かなくなっていた。長谷はその姿を見ていることしかできなかった。
『オラ、どうしたどうしたぁ!もうおしまいだってのか?ああ?』
「やめろ……!」
『あぁ?聞こえねぇな!俺はこの蒼さえ手に入ればいいんだ!俺の蒼だ!』
「やめろって……!」
『しつけーな、俺に乗っ取られている癖に』
「やめろって言ってるのが分からないかっ!!!」
長谷が大声を出した。その声は感情だけが切り離された幽体離脱状態の長谷ではなく、蒼の体から発せられた。蒼の羽が緩み、未来の長谷は解放され、地に落ちた。
「ゲホッ、ゲホッ……やっと戻って来たか。手を取れ、俺」
「あ、ああ……」
長谷は手を伸ばし、未来の長谷の差し出した手を取った。突如、真っ暗な世界に包まれ、長谷は気を失った。
―――――――――――――――――――――――――
長谷が目を開くと、そこは何もない世界が広がっていた。長谷は理解していないが、ここは長谷雄理の精神世界。つまり心の中である。
その精神世界の中で、長谷と黒い長谷の姿をした蒼が向かい合って立っていた。
『まだだ!俺は、さらなる力が欲しい、純度の高い蒼が欲しいんだ……だから俺を表に出せ。あの蒼を殺させろ』
「ダメだ」
『何故だ!この力でこの世界を変えるんだろ?だったらいいじゃねぇか!』
「ダメだと言っている」
『理解できねぇな。お前が求めたんじゃないのか?世界を変えたい。そう思ったから俺はお前の身体に入れられた。だのに何故それを認めない?お前も望んでいるんじゃないのか』
「俺は世界を変えることを望んでいる。人殺しなんかじゃない。俺が望む世界を作るには蒼が必要なのかもしれない。だけど、俺は蒼に従う必要はない。力を使うのは俺だ。お前じゃない」
『ケッ!優等生ぶりやがって。俺はお前の中に「いる」んだ。お前の奥底に眠る心なんてわかってんだよ。なんなら今ここで言ってやろうか?』
「その必要はない。俺が望んでいることはただ一つだ。心の奥底なんて関係ない」
『ヘ、そうかよ。対した決心だ。だが今のお前は俺に浸食されつつある。ここからどう打開するつもりだ?無駄だとわかっているだろう』
「決して無駄なんかじゃないさ」
そういうと長谷の身体がどんどん大きくなっていく。
『げ、そんなに強い意志を持ってたのかお前……』
「これ以上未来の俺や秋葉を傷つけようとするなら、俺が許さない。お前が俺に従うんだ」
長谷は右手で蒼を掴む。蒼はじたばたと暴れるが、巨大化した長谷には何も影響が無かった。
『てめぇ!精神世界だからってなんでもアリだと思ってんじゃねーぞ!力を貸すだけじゃ物足りねぇ!』
「それは俺が死んでから言うんだね。俺は俺だ。長谷雄理なんだ。蒼でもなんでもない」
『……けっ。いつか後悔するぜ。この蒼を手に入れたことでお前に何が起こるか』
「そんなの関係ないさ。何が起ころうと俺は打開してみせる。それこそ、世界を変えてもね」
―――――――――――――――――――――――――
「……はっ!?」
長谷が目を覚ますと、そこは理科室だった。床に寝転んでいた。未来の長谷が長谷の胸に手を当て、蒼い光を放っている。
「ようやくお目覚めか。俺にしては遅かったんじゃないか?」
「同じ俺なのに」
「まぁそう言うなって。それにしても、蒼の味はどうだったかい?」
長谷は未来の自分の言葉に言葉を詰まらせる。自分が望んだ……その先が全く思い出せない。一体何をしてここにいるのか。未来の自分がどうしているのか。暗黒物質・蒼とは一体なんなのか。
「悪いがいくつか記憶を消させてもらった。これから先に明かされる事実を聞くとショックが大きいからね」
「それも規定事項、ってやつ?」
「まぁ、そうだね」
長谷は未来の自分と顔を見合わせ、小さく笑った。
「秋葉達は未来の秋葉が過去に戻しているよ。気を失ってたから適当にごまかしておいてくれよ。それと、未来の秋葉からの伝言。「その能力はいずれ必要となる時が来る。だが俺や坂元以外の人間には決して見せるな」……だってさ」
「そうか」
「そろそろ時間だな。未来の秋葉がタイマー式でお前を元いた時空に飛ばすから、動くなよ」
「あ、ああ。最後に一つだけ聞いてもいいか?」
未来の長谷は長谷から離れつつ頷いた。
「俺は……世界を変えられたのかな?」
「さぁな。自分の胸に聞いてみなよ」
長谷の周りに黑い魔法陣が描かれ、長谷は光に包まれた。
それから数日後。
「おーい長谷!坂元ん家でゲームしようぜ!最新作が出たんだよ」
「いいけど、後で行くよ。ちょっとやることがあってね」
「実験実験って言ってたのが終わったと思ったから誘ったのに。なんか用事でもあるのか?」
「ちょっちね。爪痕は残さないのが俺の主義なんだ」
鼻歌を歌いながら長谷が向かうのはコンピュータ室。マザーコンピュータを起動し、慣れた手つきでセキュリティソフトを解除する。
「なんでかあったあのファイル、ちゃんと消しておかないとな」
長谷の専用フォルダにあるSTPと書かれたプログラム。起動しようとしても起動しないこのファイルを教師に見つかってウイルスではないかと怪しまれる前に消しておこう、長谷はそう考えていた。
STP is Deleted.