03
励ましの言葉が刻み込まれた試験管。
受け取ったのはいいのですが……。
あれから毎日のように、ウォルスさんはハピュレの森へと顔を出すようになりました。
私が見ているのにもかかわらず、隣の花屋で買った花束を、「今日も君は、この束ねられた花々よりも美しいよ」なんて歯の浮くような全く似合わないセリフを、まるでサプライズでも狙ったかのように臆面もなしに人前で口にします。
いったい何が彼をこうさせたのでしょう?
確かに嬉しい気持ちは大いにあるんですよ。この街に来てから、初めて励ましの言葉を他人からいただきました。
それに試験管のプレゼント。想像していた物とは違いましたけど、それなりに嬉しかったんです。
でも、私は別にウォルスさんの想いに答えたわけでもありませんし、そもそも、なぜ好かれているのかさえ分かりません。
彼はよく街でナンパをしているそうです。いえ、していたそうです。
それがなぜか、あの日以来パタリと噂さえ聞かなくなりました。
まったくの謎ですね。こうも気味が悪いと、なにか企んでるのではないかと勘ぐってしまいます。
「う~~ん」
悩みの種が一つ増えましたね。
これ以上悩み事を増やしたくないのですけれど……。
「お、シャルよどうしたんだ? 悩み事か」
「――って、どうしてウォルスさんが当たり前のようにこのお店に入り浸ってるんですか!」
調合用のテーブル椅子に腰掛けたウォルスさんが机に肩肘つきながら、怠惰極まりない格好で声をかけてきました。まるで自分の家であるかのような傍若無人な振る舞いですね。
ついつい声が荒ぶります。
「どうしてって、そりゃあお前、あれだろ……」
「なんでそこで口ごもるんですか」
「お、お前、どうしても俺の口から言わせたいのかよ! 地味な外見に似合わず意外とドSだな!!」
「言わなけりゃ分かんないでしょうが……それに、地味は余計です」
男のくせにうじうじと、あーもうムカつきますね。はっきり言ったらどうなんですか。
今すぐにでもはたきをかけたくなる突発的な衝動を、なんとか理性と知性を以ってして無理やりにでも抑えます。
傍目から見ての完璧な淑女を目指す私になら、可能なはずですので。
あれこれ考えやきもきしていると、ウォルスさんが恥ずかしそうに頬を掻きながら口を開きました。
「だってお前、そりゃあ……恋仲、だから?」
「いつなったんですか私は了承した覚えもお返事した覚えもありませんしあなたが勝手にやってきて勝手にプレゼント渡しただけでしょうそれに人を好きになるのは別に否定しませんけどねはっきり言ってお仕事の邪魔ですから早々にお帰りくださいお願いしやがります」
はぁはぁ……ひ、一息で言い切りましたよ。
あらかじめ考えておいて正解でしたね。
これに懲りて当分顔を出さなくな、るんじゃないかと思い――――。
ふと視線を戻すと、ウォルスさんと目が合ってしまいました。
寂しそうな色を湛えていた瞳は、次第に憐れむようなものへと変化し、そして、
「なあシャルロット、お客、いつ来たんだ」
目を垂れながらそんなことを口にしました。
それは同情ですか! そんなものでおまんまが食べられますか!
認めたくはない、ですが彼の言うとおりお客さんが一人もいらっしゃってません。
ウォルスさんに試験管を押し付けられたのが五日前です。
それ以降、一人もまだいらっしゃられない。
「……来てませんがなにか? 文句でもおありですか?」
「文句なんてものは、ない。あるわけないだろう?」
いったん言葉を区切ったのが意味深ですね。本心とは違うということでしょうか。
だんだんと、イライラしてきました。
「なら何も言わないでください。それとも、ウォルスさんが客呼びでもしてくれるんですか?」
少し冷たく言い放ちます。
すると私の態度の変化にようやく気づいたのか、ウォルスさんは申し訳なさ気な顔をすると、姿勢を正して言いました。
「なにをそんなにカリカリしてるんだよ、シャルロットらしくないじゃないか」
誰のせいですか……いえ、他人のせいにして責任転嫁するのはよくないですね。
誰のせいでもない、私がいけないんです。私がヘマばかりしてるから、自信がないにもかかわらず大きく見せようとして。って胸の話じゃないですよ?
「はぁ、もういいですよ」
「悩む年頃なんだな……」
二人して沈黙します。話題が尽きたようですね。
ところがウォルスさん、なにやら大きな鞄を物色すると、一枚の紙を取り出しこちらへ差し出しながら言いました。
「そうだそうだシャルロットよ、今週末の日曜日に、祭りがあるのを知ってるか」
目の前に提示されたくしゃくしゃの紙には、「フォロン三百年記念祭り」と題された祭事の名と、日時や場所がイラストとともに紹介されていました。
「そんなの私が知るわけないじゃないですか。まだここへ来て数週間しか経っていないんですから」
「ん? まあ、それもそうか」
ウォルスさんが言葉を紡ぎ出す前になんとなく釘を刺すため、私は言葉を続けました。
「それで、一体なんなんですか? もしかして誘おうとか思ってませんよね?」
「お、さすがシャルロット、恋――」
「生憎と私はウォルスさんみたいに暇じゃないんです、残念ですけれどお店もありますしお祭りにはいけそうにありませんよ」
恋仲だの恋人だのとそんなことだろうと思います――――頭のおかしなことを言おうとしていたウォルスさんの言葉を遮って、私は言葉を重ねました。
これで引き下がるだろうと考えていましたが、それでもなお食い下がろうとしているウォルスさん。
その顔はなぜか勝ち誇ったようなドヤ顔です。
「残念だなシャルよ。フォロンの安息日にある祭りの日はどこもかしこも店を休むことになってるんだ。そんな中店開けてたら、それこそおかしな目で見られるぞ」
「そうなんですか?」
それは知らなかったですね。そんな街が世の中にあるんですねー。
なるほど、だからそんな自身家のようならしからぬ表情をしていたわけですね。
……でも。
「じゃあ急用でお薬欲しい人とかはどうするんですか? 中央の薬局もお休みするんですよね? それにご存知の通り、私のお店は売り上げがまったくない状態です。それなのにお店休んでたら食いっぱぐれてしまいますよ」
「まあ、それもそうだが……店、開けるつもりか?」
「当たり前じゃないですか、ただでさえ人が来ないんですからお店は開けますよ。じゃなきゃ潰れてしまいますし」
「それは困る! 頑張ってもらわなきゃならんからな」
……なにがです? と今にも喉元から疑問の言葉が洩れそうになりましたが、そこは我慢して飲み込みました。どうせまたろくでもないことを考えているのでしょうし、これ以上話が長く、ややこしくなるのは勘弁してもらいたいので……。
「ですから私のことはお気になさらずに、どうぞ街の可愛らしい女の子とお祭りを心行くまで楽しんでくればいいじゃないですか」
「なんだそれは、俺がシャル以外の女と? 冗談はよせ」
不意に真面目な顔つきになったと思ったらウォルスさん、また鞄を物色し中から道具箱のようなものを取り出して言いました。
「よし、そんな頑張り屋さんなシャルロットに俺からのプレゼントその二だ!」
そう言って箱を開き見せられたものは、アルコールランプと五本の試験管、そして滅多に手に入らない上級の合成液五ミリリットルのセットでした。
箱を手に取った私はしばし硬直してしまいます。
「ん、どうしたシャルロット?」
「……いったい、なにを企んでるんですか?」
「ぶっ!! おいおい、企むなんてそんな高度なテクを俺が持ち合わせてるわけないだろう?」
……きたないですね。つばがかかったじゃないですか。
それとなく不快感を表情筋で表しつつ、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭います。
「だっておかしいじゃないですか、こんなに頻繁にプレゼントするなんて、好きでもないくせに!」
「だから俺はお前が好きだって前に言ったろ? それにこれはプレゼントだが、ちゃんとツケといてやるから実質お前が買うんだぞ?」
「あれ、そうなんですか? プレゼントじゃない? ……ってこの上級合成液なんて1ミリリットルで10000ガロもするじゃないですか! 高いですよ!!」
「好きの部分はスルーかよ……まあシャルロットらしいと言えばらしいか」
……私のなにを知っているんですか。と言う言葉もこの際飲み込んでおきましょう。
そんなことより、このたっかい合成液をどうするかです。
まさか私でもさすがにこれを使って失敗することはない――とは言い切れませんが――とは思いますが、これで失敗したらマシュマロのようなハートに傷がつきますよ? もしくは溶けてしまうかも。
「悩みますね……」
「なにがだ?」
「受け取るかどうかです」
「素直に受け取ればいいだろ、さすがにこれじゃ失敗しようがないと思うぞ?」
「ぐっ……さりげにマシュマロハートを抉るようなことをさらりと言ってのけますね」
しかもさわやかな微笑を湛えて……。
「マシュマロなのはハートじゃなくて胸だろ?」
なんですか、その悪気はまったくないようなあどけない笑顔。
あぁ、クレヨンで落書きしたくなりました。
といつまでもこんなことで時間をくってる暇はないんですけど。私には勉強しなければならないことがあるので。
「ところでウォルスさん、いつお帰りになるんですか?」
「ん? 俺がいたら邪魔なのか?」
「さっきそう言ったはずですが、あなたも行商っぽいお仕事があるのではないですか?」
「そんなものシャルと一緒にいられることに比べたら瑣末な問題だよ」
うっ、またこちらが恥ずかしくなるようなセリフを明け透けに……。
おかげで耳が熱いのですが、今日はやけに気温が高いですね。換気でもしますか?
「でも私は“独り”で集中したいんです。申し訳ありませんが今日のところはお帰り願えませんか?」
「そうか、まあ残念だが、俺も仕事があるしな。油売ってるわけにはいかないか……」
なんですか、やっぱりお仕事あるんじゃないですか。って何を期待してるようなこと考えてるんでしょう。
けれどものは言ってみるものですね。
ようやく納得したのか、ウォルスさんは鞄を背負うと、店の出入口まで歩いていきました。
「じゃあ、明後日の祭りの日にでもまた顔を出すよ」
「また入り浸る気ですか……」
「まあいいじゃないか、どうせ暇なんだろ?」
「…………」
言葉に、なにも言い返せない自分が少し情けないです。
「そ、そんなことありませんよ、きっと当日は繁盛しまくりですからね!」
意味のない虚勢を張ってみましたが、どうやらウォルスさんには堪えないようですね。
「ま、そうなることを心の隅っこで祈ってるよ、応援してるしな」
「応援してるなら隅っこと言わず、ど真ん中くらい言ってくれてもバチは当たりませんよ?」
「ははっ、まあそうだな! じゃあ、祭りの日まで、アディオス」
キラーン、と効果音が聞こえてきそうなほど眩しい笑顔で白い歯をこぼすと、勢いよく扉を開け放ちウォルスさんは店を出て行きました……。カランカランとベルの音が残響します。
って、扉は静かに開けてください!
「はぁ、どっと疲れました」
肩を沈ませそのまま椅子に腰掛けます。
「ああそうだ、お勉強しなくちゃですね……」
気が向きませんが、やはりやらなければならないお仕事なので。
少々くもり気味の眼鏡を外し、眼鏡拭きで丁寧にレンズを磨いたのち、私は薬学書を読み耽る作業に集中しました。夜の帳が下りる頃まで……。
その間、お店のベルが鳴ることは一切ありませんでした。




