転生執行トラック野郎
「うーっし!今日も張り切って轢き殺すか!」
2tトラックを前に、先輩は背伸びをしながら言った。なんとも物騒極まりない発言だけれど、紛れもなくこれが仕事だった。
今日から働くことになった転生執行屋リンネエンタープライズの事業は、依頼された人物を規定の方法で殺すこと。つまりは殺し屋である。
特別なのは、転生させることを目的とした殺しである事。なんでも依頼は異世界の神から来ているらしく、無理やり良い言い方をすればスカウトに近い。魂の誘拐という表現の方がしっくりくると会社のほとんどの人間が思っているが、「いやいや殺人ってこと忘れていませんか」なんていう人はいなかった。
「えーと。今日は一日荷台から見学してもらって、明日以降本部から依頼が渡されると思います。ところでお名前なんでしたっけ。」と茶髪の細身の男が愛想よく年上に見える新人を案内する。
「佐藤孝です。よろしくお願いいたします。」
「あ、佐藤さん。よろしくお願いします。まあ今日は見学なんで気楽にしてください。血とか衝撃とか初めてだとなかなかショッキングだと思いますが、一回見て慣れてもらえればとおもいますんで。」
「はい。」
孝はこれまで一度も死体を見たことは無く、血もせいぜい採血とか擦り傷で見たくらいだった。
今日のターゲットは至極普通に見える男子高校生だった。今から彼をトラックで轢き殺す。そう思うと喉がキュッと閉まって、続く言葉が出てこなかった。
「ま。始めは緊張しますよね。すぐ慣れます。ダイジョブ。じゃあ早速行くので荷台に隠れてください。小窓があるのでそこから見てもらって。道中で仕事のイロハとか説明しますんで。」
「はい。」
先輩は運転席へ、孝はトラックの後ろへ分かれた。これが真っ当な人間へ引き返す最後の分岐点だと思ったが、逃げる勇気は持ち合わせていなかった。
大きな扉を開くと箱型の荷台の中は薄暗く、四方に一つずつ付いた手のひらほどの大きさの小窓から光が差している。天井からは紫色のロープが何本も垂れ下がっており、小学校にあった藤棚のようであった。
乗り込んで内側からと扉を閉めると、床や壁に張られた分厚い緩衝材のふわふわとした浮遊感と薄暗さが合わさって、夢でも見ているかのような感覚に襲われた。
見学者の安全配慮として張られた緩衝材は、これからターゲットに行われる蛮行との扱いの差を明確に表していて孝は苦笑した。
荷台の奥からバンバンと車体を叩く音がした。
「ちゃんと乗れましたか?内側からちゃんと閉めてくださいね。」
「あ、はい。ちゃんと閉めました。」
音がした前方に駆け寄って小さな小窓を覗くと先輩と目が合った。
「じゃあ、行きますんで。ちゃんとロープ掴んでてくださいね。」
「掴みました!」と金属の壁の向こうに聞こえるように大きな声で返事をすると、ボロロンと重苦しい音を立ててエンジンが始動し、トラックはゆっくりと走り始めた。
「予想目的地までは一時間くらいで付きますんで、その間になんか聞きたい事とかあったら遠慮なく聞いてください。それと、こっからはあんま大きい声出さないでくださいね。一応搭乗者は俺一人ってことになってるんで。」
「自分がいるのがバレるとマズいのですか?」
「うーん。バレたところでどうにかなるってわけじゃないですが、事故った時の言い訳に居眠りしてましたとか使いにくくなるじゃないですか。だから一人ってことにしてます。いつも。」
「なるほど。いきなり連続で質問して申し訳ないのですけど、”予想目的地”って何ですか?」
「質問が多いのはやる気の証拠ですから大歓迎ですよ。そんで”予想目的地”ってのは文字通りの意味です。その時間その場所に行けばターゲットにエンカウント出来るって予想されている地点です。基本的に百発百中で当たりますんで。なんせ神様の予言なんだそうで。」
「神様の未来予知ですか…」
「まあ、深いことはあんま考えない方が良いですよ。どうせ俺たちには分かりっこないんでね。それとあくまで予想なんで、こっちの動き次第では当たらなくなりますよ。ターゲットに気付かれるようなマネすると当然逃げられて違う場所に行っちゃうんで。」
「神様っているんですか…」
「佐藤さんは無宗教?神は信じてない感じですか?」
「ええ、まあ。神様が救ってくれたことなんて一度もありませんから。」
これまで生きてきて幸福の総量よりも圧倒的に苦悩の方が多くて割に合わないと孝はいつも思っていた。こんな非倫理的な仕事に流れ着いたのだってその苦悩の結果でもある。だからこそ孝は神なんて信じていなかった。
「あー。言いたいことは分かりますけど、俺たちのクライアントは紛れもなく神様なんで、そこんとこはお忘れなく。これから行うのは一見すると殺人ですけど、神様の代行として救いをあたえるんです。ってなことを事前講習で聞きませんでした?」
「死は救済であるってやつですか?」
「はは、そうそうそれそれ。だったら今救ってくれよって俺も講習受けた時に思いましたけどね。こんな汚れ仕事を人間に押し付けてまでやる事かって。」
「そうですよね。神の力があるなら、なんか超常の力で転生させればいいのにって思いました。」
「ですよねー。ただどうにも神様は人間社会に影響を与えたくないらしくて、こうやって人をこき使うんですって。俺も自動運転ロボットとかでやれば良いじゃないですかって課長に言ってみたことあるけど、企業とか世論とかが絡んでリスクが高いんですって。人を使う方が結局安いらしいです。人が事故を起こしてその人をしょっ引かせるのが一番シンプルなんですよ。交通事故なんて毎日どこかしかで起きてますし。」
「神様は勤勉なのか怠惰なのかよくわかりませんね。」
「まあなかなか恩恵を実感できないですからね。でもこうやって割が良い仕事をくださってると思えば、ね。」
「トラウマにならなきゃ良いんですけど……」
「ダイジョブですって。数回やればなんも思わなくなります。それに神様が付いてますからなんとかしてくれますよきっと。このナビなんて神様パワー使ってますし。ほら、ターゲットの位置がリアルタイムで丸わかり。すごいでしょ。」
「GPSですか?」
「いや、電波届かないとこでも見えるから違うはずです。たぶん。あとはこのフェイスパック。見てください。つけると顔が変わるんですよ。まさに神の御業って感じです。それに警察に捕まったら身代わりのホムンクルスなんて出てきますから。本物見るとびっくりしますよ。あ!曲がるんで揺れますよ。」
トラックが左折して、足が慣性で飛ばされそうになった。孝は堪えるためにロープを手繰り寄せたきり、返答を忘れた。
先輩は無音が苦手なようで、しばらくするとジャングルと呼ばれるレゲエ音楽をかけ始めた。揺するような低音が荷台にも響き、夢心地を加速させる。
小窓から見える先輩は音楽に身を委ねて、軽快に頭を揺らしている。これから前途ある若者を殺すというのに気後れなんて微塵も見せない姿に孝はブルりと体が震えた。
小窓の光がオレンジ色に染まり、ランドセルの集団とすれ違った。着実に減ってゆく予定時刻までの時間と反比例するように孝の体が強張っていった。
「あと五分ぐらいでつきますんで。ターゲットは予定通り学校出たみたいなので、橋の上で接触します。よく見といてくださいね。一瞬ですから。」
返事は出来なかった。代わりにガチガチと震える顎の音が煩く思えた。
「ダイジョブですって。俺もプロですから一撃です。それと、衝撃に備えて前方の壁に張り付いておいてください。川にそのまま落ちないように急ブレーキかけるんで。」
まだ少し時間があったが言われたとおりに頬を小窓の枠に押し当てて、ヤモリのようにへばりついた。
「あとの段取りですけど、高校生は川に転落させます。俺はすぐに降りて警察が来るまでちょっと探す芝居したら連れてかれますんで。佐藤さんはトラックに待機してください。レッカーされて所の保管所に行きますが、付いたら迎えの人が開けてくれるのでそのまま帰宅してください。まあちょっと時間がかかりますが、日付が変わる前には帰れると思うんで我慢してください。携帯トイレ持ってきてるでしょ?」
「……はい。」
ナビに表示されたターゲットの赤い点もまた動いていて、示し合わせたかのように互いが近寄ってゆく。
「あ、この橋です!行きますよ!」
ガタンと橋のつなぎ目を超えると、対岸から自転車に乗った黒い詰襟の青年が見えた。視線は前輪近くの地面を見つめていて倒れそうなほどに遅い。表情は暗く、瞳には希望がないことが遠目でも分かった。何が青年をそうさせているのか分からないし、知ったところでどうにかできないことくらい理解できた。
「……死は救済なんだろうか。」
孝が小さくつぶやいたと同時に、先輩は大きく左にハンドルを急旋回させた。
縁石を超える大きな衝撃で、体が浮き上がった。
衝撃音に青年が顔を上げた。
小窓を通して、孝は青年と目が合った気がした。
瞬く暇もなく、いままで聞いたこともない悍ましい轟音が響き、孝は衝撃で壁に押さえつけられた。
大きな黒い塊が水風船のようにグネグネと形を変えながら橋の手すりを越えて消えていった。
「じゃあ、またあとで。」そう言って先輩は、軽い身のこなしでトラックを降りて行った。
そのあとは先輩の言ったとおりになった。警察が来て現場を確認して、先輩はパトカーに乗って消えた。
レッカーされるまで、保管所に着くまで、迎えの担当者が扉を開けるまで、孝は何度も何度も衝突の場面を回想した。
歩きと変わらないゆっくりと走る自転車。絶望で染め上げたように黒い制服に黒髪。こちらを見た驚きを表した大きな目。
そしてもう一つ。微笑んだ口元。
あの瞬間、青年は何を思ったのだろう。その疑問がぐるぐると頭の中を回り続けた。
「どうでしたか?やれそうですか?」迎えの車の中、運転手の女が聞いてきた。
とてもじゃないができないって言いたかった。しかし、返事を待たずして女はさらに続けた。
「ショッキングですよね。分かります。私も初めて見た時は恥ずかしながらその場で吐いちゃいました。迎えが来るまで酸っぱい臭いが充満した荷台から出られませんでしたからね。最悪でしたよ。ご飯も丸二日くらい食べられませんでしたよ。」と機嫌がよさそうに女は笑った。
「ちょっと自分には……」意を決して断ろうと口を開くと、女は言い終わることを待たずに割って入った。
「ああ、断れませんよ。この仕事。この会社の存在を知ったからにはもう逃げられません。雇用契約にも書いてあったはずです。」
冷徹な言葉に返すことは出来なかった。言葉を紡ごうという意志すら存在せず、この仕事に就いた後悔もどこかに置き去りにされたかのように頭に浮かぶこともなかった。
「大丈夫ですよ。すぐ慣れると思います。私もそうでした。それにたまの仕事でがっぽり貰えますから悪くないですよ。」
家に帰っていつも通りにシャワーを浴びて、いつもの寝巻に着替えて布団に潜り込んだ。
静かになると、ドクドクと心臓の煩さが際立った。耳も指先もすべてが心臓になってしまったかのようで、眠ることなどできなかった。その間も飛んで行った大きな水風船の事が頭から離れなかった。
朝日が大きな窓から差し込んで、お腹が減っていることに気が付いた。
冷蔵庫前に放置されたビニール袋から、割引シールの貼られた甘い蒸しパンを食べた。きめ細かいパンはすんなりと喉を通り、あっという間になくなった。
「目の前で人が死んだというのに、自分は思っていたよりも薄情な奴だな。」とショックを受けた。
しかしそれからというもの孝はいつもと同じ日常に戻った。食事も喉を通るし、夜にはちゃんと眠ることもできた。合間合間に青年が頭をよぎったが、何か別のことをしているときには思い出さないということが分かると、それから暇なときはずっとだらだらとスマホでゲームをしていた。
会社から呼び出しがあったのは三日後だった。出社すると簡単なカウンセリングを受けた後、トラックの実習が待っていた。
人を轢き殺すための運転技術、追突に怯えないための繰り返しの訓練。2週間の間、毎日何台ものトラックを潰しても、次から次へと代わりのトラックを与えられた。
そして何度も繰り返される「死は救済」という教え。トラックに乗るたびに言わされた。
実習の翌日は早朝に来るよう指示があり、会社に着くと先輩がいた。
「お!佐藤さんおはようございます。ちゃんと飯食えてるっぽいですね。」青年を殺したことなんて気にも留めていない様子で、愛想のいい笑顔を浮かべた先輩が駆け寄ってくる。
「おはようございます。思っていたより自分は薄情者みたいです。」
いまだに青年を思い出しては口の中が苦く感じるが、四十を目前にした孝は人と話せる程度の対人スキルは持ち合わせていた。
「薄情者ならなおさらこの仕事向いてますよ。期待の新人じゃないですか。」先輩はそう言ってケラケラと笑った。明るい先輩を見ていると自分まで気が軽くなるように思えてきた。
とりとめのない雑談をしていると先輩は不意に本題を滑り込ませてきた。
「で、今日なんですけど。この間とは立場逆で本番行ってみましょう。」
先輩のまっすぐに向いた目が、冗談でないことをありありと語っていて、背筋がゾワりと痺れ上がった。
「えっえっ、いきなりですか。」
「実習は終わった直後に実践しないと忘れちゃいますからね。ダイジョブですって。簡単な依頼です。」
オロオロと戸惑う孝を置いて先輩は仕事のあらましを説明し始めた。
今回はシニアカーに乗ったおじいさんがターゲットで、予定時刻は30分後とのことだった。
「ほら急いで、早くしないと時間になっちゃいますよ。遅れたら登校中の子供たちに惨劇を見せることになっちゃいますから。」
先輩に煽られ、忌避感を置き去りにあれよあれよと運転席に座らされる。
「じゃあ、早速行きましょ!時間がないですよ。」そう言った先輩は両腕に違うロープをつかんでぶらぶらと揺れている。仕事を楽しめるのは素晴らしいことだが、この状況においては少し嫌悪感を抱いてしまう。
キーをひねってギアを2速に入れるとトラックは走り出してしまった。
変速するたびに呼吸は荒くなり、息苦しく感じてくる。体が火照って暑い。窓を開けると早朝の冷たい風が首を冷やして、頭が明瞭になるような気がした。
「実習で習ったと思いますけど、気後れしちゃだめですよ。合力を考えてまっすぐ正面に飛ばすイメージで。変に方当たりとかすると回転が付いてスプラッターになるんで気を付けて。必ず一撃必殺ですよ一撃必殺。苦しめたら可哀そうですからね。」
先輩は浮かせた足で壁を蹴って遊んでいるらしく、タンタンと衝撃が背中に伝わってくる。
「それと3か条覚えてます?一、依頼内容は絶対に成し遂げなければならない。二、一に反しない限り必要以上の苦しみを与えてはならない。そんで三は一、二に反しない限り社会規範を守らねばならない。つまり交通ルール順守ですよ。スピードは法定速度より遅すぎるのもダメなんですよ。ほらアクセル踏んで踏んで。」
これから人を殺める。それで気後れしない人なんているのだろうかと先輩に対してわずかに怒りに近い感情が湧いてきた。
「死は救済」と何度もつぶやいて「これは仕事」と自分を納得させるが、忌避感は消えそうにない。
引き受けた以上逃げることは許されない。もし逃げれば依頼主である神から天罰を受けるのだという。”死よりも怖い天罰”これも実習で何度も言われたことだった。
やるしかない。でもやりたくない。板挟みで行き場のない心情が早く終わらせたいとアクセルを強く踏み込ませた。
「スピード超過もダメですよ。」さすがにイラっとしてしまった。
「分かってます!」反射的に出た返答が刺々しかったことに自分でも驚いた。そして大人げないとすぐに反省した。
「お!殺気立ってますねえ。いいですね。」ひょうひょうと言い放つ先輩はやけに嬉しそうだった。
先輩の露骨な煽りで、イラつかせて迷いを消す教育方針があるのだろうと予想できた。
現場まではもうすぐだった。
「もうフェイスパックつけた方がいいですよ。道沿いに防犯カメラ付いてたらリークされるかもしれないんで。まあ報道なんてされないでしょうけど、最近はSNSとか恐いですからね。」
信号で停車すると言われたとおりにフェイスパックをつけた。サイドミラーを覗いて自分の顔を確認すると、全くの別人になっていた。
二回ほど曲がってナビを見ると、二つ先の信号に赤い点が映っていた。見通しのいい直線の道路だった。
遠くに横断歩道で信号待ちをするおじいさんを視認できた。シニアカーと言われていたが、電動車いすだった。
「よーし、いよいよですね。慎重に焦らないで。」
背中を蹴る振動は消え、先輩の声が近く感じる。
「あと、逃げれば天罰。分かってますね。」先輩の一言は逃げ出したい心に氷のように冷たく刺さる。
目的地の信号が赤に変わり、車いすの車輪が回り始めた。近づくと、おじいさんには両足が無かった。
アクセルを踏んでいる足首に力を込めて固定する。このままのスピードで突っ込む。これ以上スピードを上げればおじいさんの体はバラバラになってしまうだろう。かと言って遅すぎては苦しめてしまうかもしれない。
孝は強く奥歯を噛んで呼吸を忘れた。目には涙が滲んできている。ハンドルを持つ手が震えだして、思わず手を離した。誰かに首を絞められているかのように衿が窮屈で苦しく感じた。
ここまで来てしまった。孝がハンドルを切らない限り、このまままっすぐ行けば衝突する。「自分は座っているだけで、トラックが勝手に当たるのだ」と責任転換の思想に走った。「現実ならトロッコ問題は傍観するのが最善」と自分に言い聞かせた。
衝突に合わせてブレーキを強く踏み込んだ。
衝撃が走り、開いたエアバックが顔を叩いた。
視界はエアバックで真っ白になり、前方の様子は確認できない。ABSが作動してトラックはガクンガクンと進み続け、止まるまでのたった数秒がとてつもなく長く感じた。
「おー!ど真ん中。佐藤さんさすが。完璧ですよ。」
エアバックが急速に萎んで前方の様子が見えてきた。空っぽの車いすが遠くに転がり、タイヤが空転している。
おじいさんを見つけるのに少し時間がかかった。痩せたおじいさんの体は軽く、更に遠くへ飛んでしまったいた。
車いすから投げ出されたおじいさんはピクリとも動かず。頭の下には鮮血が溜まっていた。元より足は無かったが手足がちぎれたり、臓物が飛び出したりしておらず、幸いというべきか即死しているのは明らかだった。
煩かった心臓はより一層拍動が強まって、呼吸が浅く早くなった。
「じゃあ、佐藤さん。後は段取り通りに。人命救助と警察呼んでください。ほら早く。」
「は、はい。」
シートベルトを外してトラックから降りると、足早におじいさんへと向かった。
自分で轢き殺して置きながら救助の芝居をするのがあまりにおかしくて、「フフッ」と小さな笑いが零れてしまった。それがあまりにも道徳に反した振る舞いであったと心の中で自分を強く非難して、どうしようもない嫌悪感に見舞われた。
おじいさんの左腕は見たこともない方向へと曲がっていた。骨が折れているのは確実だったが、皮膚を突き破ってるかどうかは服で隠れて見なくて済んだ。頭の出血は地面側の方が明らかに多く、きっとトラックよりも飛ばされて地面に強く打ったのだろうと見て取れた。
紛れもなく、おじいさんは死んでいた。
目を見開いて、今も何かを見ているようだった。孝はその目に居たたまれない恐怖を感じて、そっと手で瞼を閉じさせた。
警察に電話をかけると「事件ですか事故ですか」と機械のような声がして、一問一答を繰り返すと数分でワンボックスとセダンのパトカー二台と救急車が来た。
縁石に腰かけて、警察官の応対をしている間もずっと手の震えが止まらなかった。目の焦点が上手く合わず、警察官の顔がよくわからない。離れた救急隊員が早送りしているかのようにせわしなく動いて、気が付くとおじいさんは消えていた。
パトカーに乗せられ手順通りに留置場の金網の部屋に入れられた。身代わりを待つまでの間も、ずっとふわふわとしたもの悲しさが脳を席巻していて、不思議と罪悪感やおじいさんへの憐憫を感じることは無かった。これが自然であるとさえ思えてきて、ただボーっと呆けるばかりだった。
「取り調べ室に向かいます。」警察官が来て孝を連れ出す。
部屋に入ると早々に警察官は「おっと、調書を持ってこないと」とつぶやいて出て行ってしまった。
間を開かずに警察官ではない人間が入ってきた。その姿は身の丈も孝と瓜二つで、フェイスパックはこの人のをコピーしたのではないかと思えるほど自然だった。だが、これは事前説明でもあった身代わりのホムンクルスであり、人間ではないことを孝は知っていた。
本物を目の前にして関心からまじまじと見つめて呆けていると、神によって作られた人間もどきが「うんん」と咳払いをした。「代わるからどけ」と言いたいのだとすぐに理解して、席を譲った。
「扉を出たら左に言って突き当り右の非常階段から出てください。水色の軽自動車が迎えの車です。」と椅子に座ったホムンクルスは無表情で告げた。
孝が扉を出る時、振り返ってみるとホムンクルスはただ机の一点を見つめ、何の表情も浮かべておらず、道端の草のようにこれがさも当然の状態であると言っているように見えた。
日が暮れる前には家に帰ることができた。シャワーを浴びて、カップ麺を食べた。喉が嚥下を拒むことも無く、強い塩味もしっかりと感じた。だらだらとスマホでゲームをして、いつもより少し早く布団に入った。
夢は見なかった。悪夢にうなされることもなく、朝を迎えた。
賞味期限切れの菓子パンとコーヒー。洗濯乾燥機を回して、ゲームをする。ウインナーともやしを入れた焼きそば。4リットルペットボトルの焼酎をウーロン茶で薄めに割って、夕方までちびちびと飲みながらまたゲームをした。
近所のスーパーへ行って、出来合いの食べ物と少しの野菜を買い込み、また夜まで少しずつ食べ続けた。
長い時間の飲酒が眠気を誘い、シャワーを浴びて床に就く。
そんな日が3日続いた。
人を殺したというのに、何かが変わることは無かった。
恐ろしいほどに薄情だなと思ったが、不思議と自分への嫌悪感を抱くことは無かった。
前日の夕方に会社から連絡があり、翌朝向かうとニコニコの先輩がいた。
「佐藤さんおはようございます!いやー先日の仕事はほんとにお見事でした。俺の最初に比べたらもう雲泥の差ですよ。もしかして昔やってました?」
「おはようございます。やってたって人殺しをですか?そんなわけないじゃないですか。」
「ははは。冗談ですよ。今日も期待してますから。」と先輩はケラケラと笑っていた。
上がった口角をそのままに、先輩は「こっちです」と言って、車庫へと向かう。
「今日はコイツです。狭い道なのでちょっと小さいやつ。真ん中に当てるのがほんの少し難しいですが小回り効くんで俺はこっちのが得意です。」そう言って、配達でよく見る大きさの中型トラックの荷台をバンバンと叩いた。
詳細の資料が手渡され、目を通したのち回収される。
「今日は住宅街なんで、ポイントとしては塀に挟まないようにすることですね。もしそうなると最悪ですよ。グロッキー大根おろし。想像したくもないでしょ?」
いたずらっ子のような笑顔を見せて先輩は続けた。
「それと今日で俺の同伴はおしまいです。一人前って事ですね。それと俺は転属になるんで最後のトラックです。門出を祝して今日は派手にお願いします。」
悠長に歓談する時間も無いので早速乗り込んで、走り出した。先輩の様子を小窓から覗いてみると、両腕にロープを掴んで宙返りして遊んでいる。急ブレーキでも踏んでやろうかといたずら心が芽生えたが、時間を無駄にすることは出来なかった。
「転属ってどこに移られるのですか?」
会社には多くの部署があるのは知っていたが、せいぜい迎えに来る人くらいしか面識がなく、会社のことをよく知らなかったので、どんな仕事があるのか興味が湧いた。
「通り魔班です。あっちのが仕事が少ないわりに給料はべらぼうに高いですからね。前々から希望出してたんですけど、やっとですよ。」
殺し方もオーダー次第で様々なのだろう。直接手にかける通り魔の仕事が高給であるのは納得できる。
「直接ってのはきつそうですね。」
「結局トラックと大差無いと思いますよ。取り押さえられる時にちょっと痛いくらいですよ。連れてかれるのも早いんで、帰りも早いはずです。まあ技術がいるってのがなんとも難しいかもしれないですけど、なんせ給料倍以上ですからね。佐藤さんも興味あります?」
「いやあ、血があまり得意ではないのでちょっと遠慮したいです。それに今以上の給料を貰っても使い道があまり無いので。」
「えー夢が無いですね。俺は今落としたいキャバ嬢がいて、とにかくブランドもの欲しがるんですよ。いくらあっても足りないですね。」
「それは難儀ですね。」
個人的にはあまり良いお金の使い方ではないと思ったが口にすることはしない。趣味嗜好を他人がとやかく言うべきものでは無いと孝は常々思っていた。それでもこの会話を続けるとどこかで地雷を踏みぬいてしまいそうだったので、早々に話を打ち切った。
予想目的地までの距離はみるみる減っていった。
そうして孝は、また人を殺した。
前回と同じように家へと帰って眠った。
2週間後に呼び出され、また一人殺した。一人になってもやることは変わりなかった。
平均して2、3週間おきくらいで人を轢いた。
時にはベビーカーごと追突し、またある時には四肢がバラバラに飛んでいってしまったこともあった。
気が付くと二年が過ぎていた。
ガレージの付いた広い平屋に移り、2シーターの国産のスポーツカーを買った。トラックとは違う運転席から見える長いボンネットが、仕事から離れているという安心感を与えてくれていたが、その恩恵は次第に薄くなっていった。
金は余るほど持っていた。しかしあまり派手に使うと税務署の人間が来るから注意しろと会社からの教えもあったので溜まる一方だった。
キャバクラにも行って散財したこともあった。しかし、「お仕事は何をされてるんですか?」と聞かれて嘘を付くのが面倒になってすぐに行かなくなった。
いつの間にかスマホゲームもやらなくなった。画面が様々なゲームアプリで埋め尽くされ、忙しささえ感じていたが、あるとき急にすべてが同じように思えて、アプリを開かなくなってしまった。
それからはもっぱらパチンコに通うようになり、持ち込んだ小さなウイスキーの瓶が空になるまで、回る数字を眺めていた。パチンコの仕組みが変わって、玉が出ずに自動集計されたカードが最後に出てくる方式になってからは、カードを取らないまま帰路についた。
お昼すぎに出社して、いつも通り仕事の段取りを確認しているとふと違和感が芽生えた。今日のターゲットは健康そうな小麦色の肌に爽やかな笑顔を乗せた少年だった。
「死は救済だ。」いつしかつぶやくのが癖になっていた。しかし今回は意図的に声に出した。
仕事は幾度となくこなしてきたが、ターゲットの情報に貼られた顔写真は一様に陰鬱な気配が宿っていた。だからこの言葉が免罪符となり得てきた。
しかし、今回の少年の写真を見るといつも安心感を与えてくれた言葉が安っぽい自己暗示に聞こえてきた。
「だからどうした。仕事だろ。」と自分に言い聞かせてトラックを走らせた。
ナビの赤い点がゆっくり動いている。予想目的地は最初に先輩に連れられた橋と同じ位置だった。
少年は紐の付いたネットに入れたサッカーボールをポンポンと蹴り上げながら歩いてくる。
以前と同じ段取り。斜めに歩道へ侵入して、縁石を乗り越え跳ね飛ばし、ターゲットを川へと落とす。
違うのは自転車に乗っておらず、背も低いため上手く跳ね飛ばさないと橋の手すりを超えられない。だから縁石を乗り越える衝撃を上手く利用して、上へ押し上げるような力も加えなければならない。
非常に繊細な運転技術が求められる仕事だった。しかし孝はプロだった。これよりもっと小さな針に糸を通すような仕事も沢山あった。
失敗するなんて微塵も思わなかった。
イメージ通りにハンドルをきって、トルクを出すためにギアを下げた。
縁石を乗り上げ、少年のぶつかる鈍い音が響くはずだった。
トラックが止まった時、少年は消え、川へと落ちていた。
開かないエアバック。無傷のフロント。
ぶつかる寸前、少年は自ら手すりを越えて川へ飛び降りた。
驚異的な反射神経と判断力だった。そして避けられるなんてことは初めてだった。
慌ててトラックを降りて川を覗き込むと、濁った川を悠然と泳いで岸に向かっていた。
「失敗した。失敗した。」急速に脈拍が早まり、呼吸が苦しくなった。
”死よりも恐い天罰”が頭をよぎる。何が行われるのか孝は知らなかった。それでも久しぶりに恐怖を感じた。
いつしか孝にとって死は恐怖の対象では無くなっていた。日常的に触れる死と「死は救済」という暗示が、死という通常では理解できない恐怖の対象に明確なイメージを与え、理の範疇であることを理解させていた。
自分もいずれは自分の意図しないタイミングで死を迎えるのだと分かってからは、ただの人生の転機だと受け入れていた。
死は最も恐いものと以前考えていた孝にとって、死の恐怖を乗り越えた今、恐いものなど一つもないとおごりがあった。
「どうする。どうすればいい。」あわあわと右往左往して本当に事故を起こした人のように慌てていた。
「岸に上がった所をトラックもろとも川に突っ込ませるか。そうだ。それしかない。”依頼内容は絶対に成し遂げなければならない”そのためならどんな非行も非道徳もしなくてはいけない。」
トラックに飛び乗り、橋の手前から土手に伸びる道へ進み河川敷に入った。
少年は緩やかな流れに乗って少し下手からじゃぶじゃぶと岸に上がってくる。
ギアを2速に入れて、クラッチを繋ごうと思ったが、また失敗するのではと恐怖が頭をよぎった。
歩道のように岸辺は歩道のように狭くない。避けようと思えばいくらでも避けられる。それにこの距離ではトラックはあまり速度を出すことは出来ない。そしてトラックは確実に浸水して動けなくなる。
無理だと悟った。
視線を落とすとナビには新たな指示が表示されていた。それは思わず身震いするほど凶悪極まりないものだった。
今までは凶悪なトラックを自分が操作して、”トラック”が人を殺していた。だが、この指示は違う。”孝”が直接手を下すに等しい内容だった。
それでも強烈な失敗への恐怖が孝に拒む選択肢を取らせなかった。
孝はトラックを降りて少年に近づいた。
「大丈夫か!?ごめんよ。ホントにごめん。おじさんの不注意で怖い思いさせて!ケガはないかい?」
ひざ下まで水に浸かったままの少年に、駆け寄ったが少年はじっと孝を見つめて返事をしない。
「車にタオルがある。風邪を引くから早く上がってとりあえず拭こう。」そう言って強引に少年の手を引いてトラックの傍に連れて行った。タオルを渡すと少年はTシャツを脱いで絞り、丁寧に体を拭き始めた。
「本当に悪かった。もう二度とないようにする。ごめんよ。何かお詫びをさせてくれ。」
これから殺さなくては行けないというのに、嘘を並べていたら本当に申し訳なく思えてきた。
「そうだボール!流されちゃったみたいだから新しいのを買いに行こう。それでおじさんに送らせてくれないか。家でいいかい。」
少年は溜息を付くとやっと口を開いた。
「何かを買ってあげるとかは誘拐犯だって、学校で習いました。親にも言われているので付いていけないです。」そういいながら、少年は右足をさすっていた。どうやら足首を痛めた様だった。
「そんなこと言わずに、おじさんにお詫びをさせてくれないだろうか。このままだとおじさんは罪悪感で潰れてしまいそうだよ。おじさんを助けると思ってどうか頼むよ。」拝むように手を擦り合わせ、これ以上ないほどに惨めな大人の姿を晒した。
少年はまた溜息を付くと「スパイクもつけてくれるなら警察に通報しないでおきます。」と言って助手席にすんなり座った。
大きなスポーツ用品店に向かい、「おじさんはサッカーよく知らないから好きなの買っておいで。」と少年に10万円を握らせた。
「スパイクとボールだけじゃなくて、濡れた服の代わりとか他に欲しいものがあれば何でも買っていいから。おじさんはトラックで待ってる。」そう言って少年を追いやると、孝は指示通りにトラックに小細工した。
戻ってきた少年は全身買ったばかりの服に変わっていた。ソックスも色が変わり、値札が付いたままのリュックサックに前の服を詰め込んでいた。
「じゃあ家まで送るよ。」
少年が言った住所をナビに入力し、トラックを走らせる。
荒くなる呼吸を嚙み殺して、気取られないように細心の注意を払った。
予定目的地だった橋に差し掛かると少年に「タオルを取ってくれないか」と頼んだ。
「君のシートの裏においてあるから、シートベルト外さないと取れないかも。」
「どれですか。」と言いつつ少年は素直にシートベルトを外し、後ろを向いて漁りだす。
「水色のやつ。下の方かも。」アクセルを踏んで速度を上げた。
「無いですよ。」シートの上で膝立ちになって懸命に探している。
「ごめんよ。」
左に曲がって、街灯に追突した。
助手席のエアバックは開かず、少年はフロントガラスを突き破って街灯の柱に後頭部を強打し、ぐるぐると回転しながら橋の手すりを越えていった。
孝は膨らんだ白いエアバックに顔をうずめて、叫んだ。何度も自分の腿を殴って痛むたびにまた叫んだ。
エアバックは形も柔らかさもすべて失い、ボロキレのように垂れ下がった。
ハンドルに突っ伏したままの孝は、いつものように警察に留置場に連れていかれた。
そしてまた、いつものように身代わりと入れ替わり、家に帰った。
孝はひどく疲れていた。
シャワーも浴びず、食事も取らずに布団に入った。
しかし、悪夢を見た。何か凶悪なものに追われる夢。飛び起きると時計の長針が半分ほどしか動いていなかった。呼吸が落ち着くと再び眠ったが、また30分ほどで飛び起きた。
もどかしさに耐えかねて、焼酎をそのままラッパ飲みすると、気持ちの悪い胃の痛みに襲われて嘔吐した。
寝ているのか起きているのか分からないまま、朝日が窓を突き破って飛んできた。
のっそりと立ち上がって、床に落ちていたビニール袋から値引きシールの付いた蒸しパンを取り上げた。
大口で頬張った瞬間、白く膨らんだエアバックが鮮明に思い起こされた。
たまらず吐き出して、持っていた蒸しパンを窓の外に放り投げた。代わりにコーヒーを特別濃く入れて、ドボドボとウイスキーを注ぎ、砂糖をこれでもかと突っ込んで一気にあおった。
パチンコに行って、落ちる玉を延々と眺めいると「閉店です。」と店員に追い出された。そこでようやく腹が減っていることに気が付いて、コンビニに入ったがどれにも食指が動かなかった。
パンにおにぎり、白いうどん。どれもまた今朝のようにフラッシュバックを起こさせるような気がして買うことが出来なかった。それでもせめて何か食べなくてはと思い、硬く茶色のせんべいを買ってボリボリと咀嚼した。
次の日もまたパチンコに行って、せんべいを食べた。食欲があまり湧かないが、不思議なことに特筆して憔悴しているとか、活力が無いなんてことは感じなかった。栄養面にもちゃんと気が回って野菜ジュースとチョコレート味のプロテインも飲んだ。
数日経つとまた仕事の呼び出しを受ける。いつも通りにトラックに座ると少し胃が気持ち悪く感じたが、いつも通りに人を殺して、エアバックに抱擁して、留置場を経由して家に帰った。悪夢はあの日だけで、それ以降見ることも無かった。
また半年が過ぎた。
仕事をこなし、日常を過ごした。
あれから柔らかいものは食べなくなった。せんべいやスナック菓子ばかり食べるようになったが、ベルトの穴は細い方へ2つも移動した。
仕事に向かうと車庫に無数に並んでいたトラックがかなり減って閑散としていた。それだけで何かおかしいと思うには十分だった。
そして依頼は、とてつもなくおかしかった。なぜならターゲットがいつも迎えに来る女だった。
女とは最初以来いつもあいさつ程度しかしておらず、仲がいいというわけではなかった。ただ、知っている相手を殺すというのは初めてだった。だからといって気後れするわけではないが、それでも「なぜ彼女なのか」という疑問が残り続けた。それは女を殺し終えても続いていた。
その日の迎えは、知らない人だった。でも、帰り道は同じであった。
3日と経たないうちにまた仕事の依頼が来た。
しかし今回の依頼は、疑問や違和感で済まされる内容ではなかった。
ターゲットは先輩だった。
明確に「やりたくない」と思ってしまった。けれども、依頼が来た以上やらなくてはいけない。
なんで先輩が殺されるのか。なんで自分がこの依頼を受けなきゃいけないのか。出口のない”なんで”が頭の中を駆け巡る。
頭が混乱していても、体は染みついた準備を淡々とこなして車庫へと向かった。
車庫には中型のトラック一台きりしか残っていなかった。孝にはとりわけトラックに好き嫌いはなかったが、先輩が中型を好んでいたのを思い出す。
ギアを2速に入れて発進させた。予想目的地は近いようで、15分後には先輩はもういないと先んじて感傷に浸る。
少し走っただけで、赤い点はすぐ近くまで迫っていた。先輩はバス停のベンチに座り、本を読んでいた。とても読書家とは思えないキャラだったのに、死ぬ寸前で一つ先輩への理解が深まってしまった。
せめてもの弔いとして、苦しませないようにしようと心に決めてハンドルをきった。
鈍い衝撃音と共に、視界が白でいっぱいになる。
大丈夫だろうか。一撃必殺だっただろうかと心配が募った。完全に停車すると、足早に先輩の亡骸に駆け寄った。
四肢はすべて付いていて、流血も少なく。先輩が見たら間違いなく褒めるであろう仕事だった。
仰向けに寝ているはずだが、折れた首が地面に突っ伏していて、顔を確認しようと屈んで手を伸ばした。
その瞬間。孝の背に出刃包丁が生えた。
「おはようございます。佐藤さん。お久しぶりです。」
その声は紛れもなく先輩だった。「なぜ」と言いたかったが上手く声が出なかった。それでも先輩には通じたらしく、ペラペラとしゃべり始めた。
「朝出社したらびっくりしちゃいましたよ。ターゲットが佐藤さんなんですもん。あまりにキナ臭いんでデコイのホムンクルス設置しておいたら、突っ込んできたんでまたびっくりしちゃいましたよ。」
なぜ自分がターゲットに選ばれたのかが知りたくて仕方が無かった。でも自分も今まで一度もターゲットがどうして選ばれたのか真相に迫ったことがないことを思い出すと、聞いても無意味だと悟った。
「あ、ここだけの話なんですけど、俺。佐藤さんで3人目なんですよ。同僚殺すの。なんでも近々うちの会社無くなるらしくて、そういうことみたいです。」
トラックが突っ込んだ時点で周りの人は遠くへ行ってしまい、誰もいないというのにうずくまった孝の耳元で、先輩からついさっき諦めたばかりの回答が告げられた。そんな些細なラッキーが可笑しくて笑ってしまうが、背中の熱い痛みで笑えない。
「苦しいですよねすみません。3か条で決まってますし、すぐトドメ差すのでダイジョブです。ただ一個だけ聞いてもいいですか?」
どうにか頷いて見せると、先輩は「ありがとうございます。」と言って話をつづけた。
「たぶんですけど、会社が互いに殺し合わせてるとして、片方は必ず失敗することになるじゃないですか。そしたら殺された側は、3か条の必ず執行って条項を破ったって事になりますよね。だからこれから佐藤さんには”死よりも怖い天罰”が来るはずなんです。でもここのままだと佐藤さん死んじゃうじゃないですか。おかしいと思いませんか。」
きっと先輩は自分に「そんなものはない」と言ってほしいのだろう。この先も社員が残り一人になるまで殺し合う中で、先輩は失敗することを恐れ苦しんでいる。
孝もまた、同じように天罰を恐れた。そんな中で、今まで殺していった人たちを思い出した。
驚きの表情で固まったおじいさん。おもちゃのように飛んでった少年。動かなくなった女。数えきれない死体。そのどれもが死んだ瞬間、彼らの中で時間が止まったようであった。先がない。幸福も無ければ苦痛もない。そしてそこにはきっと恐怖も存在し得ないのだろう。
孝は得体の知れない天罰を前に、死というものが希望に見えた。
「……死は救済」ひねり出した言葉が本当に音になっていたかは、もはや孝には分からない。
ただ、その言葉は孝の全身へ広がってゆくように感じた。
そして、背中の熱さが一息に深まり、孝の時間は止まったのだった。




