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不都合な幻覚  作者: 阿波野治


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薫香と置物

 母さん。

 僕は幻覚否定派だ。こう見えて現実的な人間だから、その手のオカルトは突きつけられるだけで蕁麻疹が出てくる。いくら宇宙の形がそうである可能性も否定できないと言われても、実在が証明されていない以上はオカルト。したがって、並行宇宙も眉唾だと思っている。

 とはいえ。

 徳島市にいるはずのない母さんがいる現実を論理的に説明できず、心は大混乱に見舞われていた。

 俺が出会った母さんの存在は、幻覚、あるいはその他のオカルト現象によって出現したものなのか。それとも、正真正銘母さんなのか。

 当時から時間が経った今でも、俺は白黒つけられずにいる。

 だから母さんに訊きたいんだけど、あの母さんは幻覚だったの? それとも本物の母さん?

 幻覚否定派としては、母さんは本物。したがって、俺と部屋で過ごしたひとときのことは記憶しているわけだから、手紙でわざわざ長々と報告する必要はないわけだけど、それでも俺は書く。今回ばかりは、もしかしたら本当に幻覚なのかもって疑う気持ちがあるんだ。それに、たとえ重複になるのだとしても、俺がなにを考えなにを思いなにを感じたのかを知ることに、なんらかの意味があると俺は信じているから。

 そう思いたいだけなんじゃない?

 正面切ってそう指摘されたとしたら、俺はあっさりと白旗を挙げただろう。

 ようするに、俺は書きたいんだ。

 デジタル機器が跳梁跋扈するこのご時世に紙とペンで手紙なんか書いている人間は、必要だからそうしているか、物好きか、そのどちらかだ。

 俺は蒼から変人と呼ばれた男だ。物好きなんだ。だから、書く。

 そういうわけだから、もし読みたくないんだったら読み飛ばしてもいいけど、一つ母さんに訊いておきたいことがある。手紙の途中ではあるけど、ぜひとも母さんに訊きたいんだ。

 俺を部屋に招き入れてくれた母さんは、幻覚? それとも、本物の母さん?


 部屋は薫香に満ち満ちていた。俺は関心を寄せなかったけどなじみ深いにおい――母さんの趣味のアロマの芳香。

 通された八畳くらいの部屋は、ほんの少し少女趣味っぽかった。総合的に見れば年齢相応の女性の部屋なんだろうけど、見た感じ陶製だろうか、木製のキャビネットの上にユニコーンやマーメイドなどの幻想生物の置物が並べられている。それらがすべてピンク色や水色など、女児向けのオモチャによく使われているカラーリングだったから、そんな印象を持ったんだと思う。

 違和感があった。

 母さんは人形の類を蒐集する趣味はない。かわいい見た目の小物とか、キャラクターもののグッズとか、日常で使う範囲、部屋にちょっと飾っておくために購入はしていたけど、収納棚を別途用意してコレクションを飾るほどの熱意はなかった。

 性格を考えれば、今まで趣味をひた隠しにしていたとは考えにくい。俺と別居してから蒐集欲に目覚めた可能性もなくもないけど、なにかしっくりこない。それとも、母さんが幻ではないかと疑う気持ちが、母さんにまつわるあらゆる事実を疑ってかからせているのだろうか?

 母さんが紅茶を淹れているあいだ、陶製の幻想生物たちを眺めながらそんなことを考えた。明らかになった事実は、置物はどれも精巧な造形で、菓子のおまけにくっついているような稚拙な代物ではない、ということだけだった。

「お待たせ」

 湯気が立つ二杯の紅茶を筆頭に、その他もろもろをのせたトレイを手に、母さんが戻ってきた。

 ティーカップに入った紅茶、スティックタイプの砂糖、小さなカップ入りのミルク、銀色のティースプーン。さらには茶菓子。トランプを横に半分に切ったくらいのサイズの厚みのある白黒のクッキーが、底の浅い純白の皿にぞんざいに盛られている。

 カップとスプーンははじめて見る。高級品ではないけど、百均で買ったような安物でもないという感じ。

 金に余裕がないわけじゃなさそうだな。ティーカップとスプーンだけで決めつけるのは前のめりなのかもしれないけど、そう思った。

 母さんはローテーブルの向かいに腰を下ろす。トレイにのせてきたものを一つ一つ天板に置き、その手で髪の毛を耳にかける。さらには自分のカップに砂糖を投入しながら、

「ぼーっとしないで、飲んで食べれば。クッキー、安物だけど、あまり甘くなくてわりとおいしいよ。……なんか晴太、遠慮してる?」

「いや、別にそういうわけでは」

 白いほうを手にとってかじる。ごく普通、なんの変哲もないプレーンのクッキーだ。

「砂糖とか、足りないなら追加で持ってくるけど。ていうか、晴太って紅茶に砂糖入れる派だっけ? ミルクはどうだった? なんか離れて暮らしているあいだに、息子のことをすっかり忘れちゃってるな。いけない、いけない」

「出されたときは入れるよ。一人のときは面倒だからなにも入れないかな。ていうか、紅茶自体飲まないかも。ペットボトルのやつを買ってきて飲むとかはあるけど」

「ああ、思い出した。晴太はコーヒーはブラック派だったね。大人ぶっているだけかと思っていたけど、ブラックなのはそれが理由?」

「そう、面倒だから」

 このあたりで、互いにカップに入れるものは入れ終わっていたと思う。母さんは苦笑気味の表情で紅茶を一口すすって、

「晴太のこと、分かってるようで意外と分かってないな。見事にぼろが出てる」

「いや、そんなものじゃない? 俺も母さんの好みとか趣味とか、全然知らないから。紅茶はミルクも砂糖も入れる派だとか、置物をコレクションしていることとか」

「コレクションっていうほどの量かな? あたし的には、目についたものは積極的に買うようにしている、くらいの感覚なんだけど。他人から見たら『おっ!』って思うものなのかもしれないね」

 言葉が止まる。なにかをじっと見ていると思ったら、俺が一口かじったきり右手に持ったままだった、プレーンのクッキーだ。

 慌てて食べようとすると、母さんはテーブルに片手をついて身を乗り出し、もう一方の手でクッキーを奪った。一口で食べるには大きいそれを、無理やり気味に自らの口に押し込み、ぎりぎり下品じゃないくらいの音を立てて咀嚼する。

 なかなか食べないので怒っているのかと思って、軽く焦った。おずおずとうかがった母さんの顔に浮かんでいたのは、いたずら好きのおてんば娘の笑み。

 口いっぱいに頬張ったクッキーをひたすら噛み砕く様は、ある種のなまめかしさを感じる。歴とした大人が子どもらしく振る舞うゆえの色気、みたいな。

 母さんは口の中を空にして姿勢を正し、

「プレーンとココア、二種類あるんだけど」

「クッキーの味?」

「そう。晴太はココアのほうが好きだけど、なんとなくプレーンをとっちゃったから食が進まなかった。違う?」

「いや、味にそんなに極端な好き嫌いはないよ。よっぽど変な味ならまだしも」

「ありゃ、違ったか。ほんとなにも分かっていないなー、あたし」

「さっきも言ったけど――」

「いや、違うのよ、晴太」

 母さんは少し語気を強めた。

「子どもは別に、大人のことを分かっていなくても問題はないの。なんの問題もない。世間というものを知らないし、知識は浅い。大人だって、秘密にしたいことは隠しているんだから。でも、大人がそれではだめなの。子どものことは絶対に知っておかなくちゃいけない」

「そんなものかな」

「そんなものよ」

「でも俺、もう二十歳過ぎてるよ? 二十四歳。満年齢二十四歳は子どもとはいえないんじゃないかな」

「年齢はあまり関係ないわ。ていうかあなた、一人暮らしをしているというだけで、まだまだあたしが差す傘の下じゃない。だから、これは常々思っていることなんだけど、あたしは晴太の――」

 母さんはむせた。慌てて紅茶を飲み、照れ笑いをしてみせてから語を継ぐ。

「晴太のことをもっと知らなきゃいけないし、知りたいの。一人暮らしをはじめてからのことは特にね。最初の質問だけど、今の生活はぶっちゃけどうなの? なにか深刻な問題やトラブルは抱えていない?」

 金――真っ先にその一語が頭に浮かんだ。

 同一人物かもしれない母さんに送る手紙であることを踏まえて、どんな表現で書くのが正しいのか、正直かなり迷った。消し跡を見れば分かるように何回も、何十回も書き直している。でも、このままだと一向に埒が明かないから、開き直って、今みたいな単刀直入な表現を使わせてもらった。

 そう、金。

 あのときは言えなかったけど、手紙でも何度か催促しているように、俺は金がない。金に困っている。だから、金が欲しい。

 なぜって、働いていないから。

 母さんはたぶん、僕が母さんの部屋近くの外廊下でぼーっとしているのを発見した時点で、定職に就いていないんじゃないかって疑ったと思う。

 僕だって、母さんがそう疑っているって察していた。

 でも、言えなかった。

 なぜって、働いていないなんて、恥ずべきことだから。

 俺にその恥ずべき事実を告白させる一番簡単な方法は、「晴太って今は働いていないよね」とストライクゾーンのど真ん中にストレートを投げ込んで、それを認めざるを得ない空気を作り出すことだったのだけど、母さんはそうはしなかった。

 理由は、分からない。

 というか、分かるはずがない。

 俺たちは親子だけど、血の繋がりはあるけど、俺はあくまでも俺であって母さんじゃないし、母さんもあくまでも母さんであって俺じゃない。しょせんは別人なんだから、母さんの考えていることが分かるはずがないじゃないか。

 それを承知のうえであえて推理するなら――母さんは息子の俺に愛情を抱いているゆえに、俺を気づかって、その事実に気がついてないふりをして、そう答えた?

 そう信じたい気持ちはある。というか、かなりの高い確率でそれが真実のはずだ。

 ただ、万が一そうではなかったとしたら?

 ……もしかすると俺は、ずいぶん先走ったことを書いているのかもしれない。こんな表現を使うと大げさだけど、この世界の体裁が保てなくなる可能性だってないわけじゃないことを。

 真偽を見極めるには、今の俺はあまりにも冷静さを欠いている。現実逃避でしかないと承知のうえで、話を元に戻そう。目的地までは大幅な回り道になるのだとしても、きちんと舗装された道路を一歩一歩踏みしめながら進むべきだ。

 そういうわけだから、母さん、手紙の内容は途中からすべて忘れてほしい。忘れるべきはどこからどこまでなのかは、聡明な母さんにはいちいち伝えなくても分かってくれると思う。俺はあのときの会話の模様を現実に忠実に、俺の心理描写も交えながら忠実に書き起こしていくから、何事もなかったように読み進めてもらえると助かるよ。偉そうな言い方になるけど、それが結局、母さんの息子である俺をもっとも助けることになるんだから。

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