不適合者
俺はやんちゃなクソガキだった。ただし、自覚は乏しかったよ。走り回るとか、仲のいい友だちといっしょになってふざけるとかが好きだから、欲求の赴くままにそうしていただけであって。
ただ、問題児扱いはされていなかった。要領よく立ち回って罰を逃れるんじゃなくて、越えてはいけない一線は越えないタイプ。道徳観があるとかじゃなくて、臆病ゆえにね。
やんちゃな時代は長続きしなかった。せいぜい小四までじゃないかな。精通するまでと言い換えてもいい。
やんちゃなガキからなにに変身したかというと、積極性を欠いた怠惰な少年だ。もう少し具体的に言うと、なにをするにもやる気を出さない少年。出そうとしなかったし、そもそも出なかった。インフルエンザウイルスが猛威を振るう季節にも風邪一つひかない健康体のくせに、なぜかいつも体がだるかった。そして、何事にも冷めた態度、乗り気がしない態度をとるのがかっこいいって思い込んでいた。
ようするに若気の至りってやつだけど、大人になって当時を振り返ってみると、ださいの一言だよな。笑うに笑えねぇ。
蒼は相槌も打ってくれないけど、内心「だっせぇな、こいつ」って思っているよな、きっと。思っていないとおかしいし、むしろそう思ってほしい、軽蔑してほしいくらいの心情なんだよ、俺は。仮に思っていたとして、実際に感想を口に出すのを希望しているかというと、それは話が別なんだけど。
俺は当時の自分を「冷めた態度」って評したけど、きっと俺がそうしていた動機と、蒼が今みたいな態度をとる動機は違うんだろうなって思うよ。なんていうか、蒼の態度は徹底しているもんな。染みついているっていうか。変える動機がないのか、変えたくても変えられないのか……。
蒼が今の蒼になった理由、考えれば考えるほどマジで気になるけど、質問はNGだからこのへんでやめておくよ。自発的に語ってくれれば疑問も解けるんだけど、君は今のところその気はなさそうだからな。
ちなみに言っておくと、君のその態度や姿勢をどうこう文句つけるつもりは毛頭ないぜ。責めるつもりはない。そもそも責められて然るべき行為だとは認識していないからね。最初は戸惑ったし、変人の俺ですらも変なやつって思ったけど、もう慣れたよ。会うのはこれがまだ三回目なんだけど、そのわりに適応が早かった気がする。やっぱり、変人同士だからか? 煎じ詰めればそういうことなんだろうな、きっと。
とにかく、お前の無感情でそっけないところ、俺は結構いいなって思っているぜ。こうやって語りたいことがあるときは、黙って大人しく耳をかたむけてくれるっていう利点もあるし。
話が逸れているから戻すと、忘れずに言っておきたいのは、充実した子ども時代じゃなかったってことだ。
そういう態度がかっこいいと自分では思っていたけど、だいたい想像がつくとおり、そういうガキって傍目から見れば魅力に欠ける。友だちになりたいとは思わない。たまに俺なんかにも仲よくしてくれるもの好きが現れたとしても、良好な友だち関係を続けるのが面倒くさく感じられて、好意を撥ねつけてきた。
子ども時代の自分を一言で言い表すなら、孤独。
内心では人並みに友だちが欲しいなって、変人どころか凡人の思考回路で求めているのに、二重の意味で積極的になれなくて、積極的に状況を改善するための行動をとろうとしない。結果、不承不承孤独に甘んじている。内心では欲しがっているくせに、虚勢を張って、本心を偽って、そんなものはこれまでも欲していなかったし、これからも欲しませんよって面して。
悲惨だろう? でも、安心してくれ。これからもっと悲惨になるから。
ただ、身構えてほしくはないかな。まだ注文した料理が届いていなから、それまでの暇つぶしだと思って、肩の力を抜いて聞いてくれ。俺にとってはむかつく話だけど、人の不幸は蜜の味って言うだろう。まあ、オードブルみたいなもんだな。他人の不幸という名の甘い、甘い蜜をたっぷりと使用した、食べ応え抜群のオードブル。
そういう当時の俺みたいな、己の意思で周りの人間とはちょっと距離を置いて、何事にも冷めた態度をとるのがかっこいいと信じきっていて、なおかつ実践しているやつがクラスにいたら、小学生とか中学生くらいの年齢のガキはどう思う? ……ああ、これも質問か。蒼のプライベートを探る意図はないんだけど、質問ばかり闇雲にしているといつか引っかかりそうで、怖いな。
俺のほうから正解を言っちゃうと、目をつけられるんだよ。で、いじめられる。あいつらからすれば俺は「なんかよく分からないけど、いけ好かないやつ」っていう認識だったんじゃないかな。言語化しづらい部分で癪に障る存在だっただろうね。
だからって、そいつらに「俺のどこが嫌いなの? なんで俺をいじめるんだ?」なんて、情けないことこの上ない質問をぶつけるなんて、したことはないけどね。したいと思ったこと自体、たぶんなかったと思うし。
訊かなくても、なんとなく分かるんだよ。伝わってくるんだ。あいつら、俺に対する悪口が抽象的なんだよな。「なになにがむかつくから、どこそこが気に入らないから、死ね」とかじゃなくて、「むかつくから、死ね」でコンパクトに完結しているんだよ。はっきりした理由を添えて俺を罵倒したことなんて一回もないんじゃないか。誇張表現でもなんでもなくて、マジで一回たりとも。
だから、これはあとになって思ったことだけど、暴力や暴言を恐れずに「俺のどこが気に入らないのか、言ってみろ」って反問していたとしたら、あいつらは案外まごついて、口ごもっていたかもしれない。俺に危害を加えたい欲求はいくらかは萎えていただろうね。まあ、「むかつくものは、むかつく」で終わっていた可能性もあるけど。
たしかなのは、当時の俺にその勇気がなくて、いじめは地域に根差した伝統行事かなにかみたいに脈々と続いた、それだけだ。
俺がそういう態度をとるのって、突き詰めて言えばそれがかっこいいと勘違いしているからで、いわば演じているわけだよな、理想の自分ってやつを。つまりは虚像、砂を必死こいて固めて作った城も同然だから、外部からの刺激にはもろいんだよ。すぐにぼろぼろと崩れてしまう。
かっこつけてはいたけど、悪口を言われたり暴力を振るわれたりすれば、俺は決して平然とはしていられなかった。表面的にはともかく、内心では激しく動揺してしまって、怖くて、泣きたくて。隠してもしょうがないから言っちゃうけど、授業中の教室で大泣きしたことだってあるぜ。精神状態がそうとうやばかったんだろうな。堰を切ってあふれ出して、止まらなくて――あれはすごかった。自分で自分を制御できないくらいだから、頭の中はほぼ真っ白で、なにがスウィッチとなってあふれ出したとか、周りの反応はどうだったとか、どうやってその場がおさまったとかは、ほぼ記憶には残っていないんだけど。
でも、学校に通ったことがある人間は誰しも心当たりがあると思うけど、教師って無能だから、その程度の小事件が起きただけでは問題解決に着手してくれないんだよな。鉛でできているみたいに腰が重いんだよ。だから、号泣事件のあとも俺に対するいじめがやむことはなかった。
惨めな青春時代だよな。楽しかった季節なんてどこにもなかった。桜の花びらが舞おうが、雪が舞おうが、焼けつくような日射しが空から降り注ごうが、黄色や赤色の落ち葉が地面に積もろうが、心はずっと灰色だよ。
でも、自殺しようとは考えなかったな。一度たりとも、なんて言うつもりはないけど、その選択肢が浮かんだとしても、ことごとく泡みたいに儚く秒で消えたよ。一時の気の迷い、とでも言えばいいのかな。死ぬなんてとんでもないって、頭を振って即刻打ち消していた。何事にもやる気がないのが当時の俺だったけど、生きる意味なんてないから死にましょう、みたいな方向性の怠惰ではなかったね。
ようするに、楽をして生きていたかったってことなんだろうな。まあ、今でもそうなんだけど。
中学卒業後の進路を選ぶさいには、揉めたね。学校というものがトラウマだったし、勉強はできないし、したくない。嫌な思いをしてまで叶えたい夢や目標なんかがあるわけでもない。
とにかく学校には行きたくなかったんだけど、だからと言って就職して社会人になりたいわけでもなかった。だって、俺は楽をして生きていきたい人間なんだから。働かなくても、親から支給される小遣いである程度好きなことができている今のほうがいいに決まっている。永遠にだって続けていたいよ。
……蒼のその顔、情けないやつだって内心では思っていそうだな。ごもっともだけど、自分でもそう思うけど、しょうがいないだろ。それが俺のありのままの本音なんだから。
揉めたっていう意味では、あの時期が一番両親と揉めたね。
よくも悪くも常識人、四角四面で融通がきかない父親とは、以前からたびたび衝突してきたんだよ。そういう真面目人間と、俺みたいなやる気のない人間って、相性最悪だからね。犬猿の仲、水と油ってやつ。
父親は、家庭の問題は妻に任せるっていう古風な考えの持ち主だから、急に出しゃばってきた感はあったね。我が子の進路っていうのは、親からすればそれだけ重要事項ってことなんだろうけど、俺は気に食わなかった。こまかな意見というよりも、いやそれもむかつくんだけど、とにかく急に方針転換してきやがったことが一番気に食わなかったな。
一方の母親――母さんはどうかっていうと、母さんは子育てに関してはよくも悪くもいい加減なところがあって。愛情がなくてネグレクトしていた、という意味じゃないぜ。俺のことは愛しているんだけど、愛の深さで言ったら明らかに父親以上なんだけど、でも放任主義なんだよ。なにか考えがあってというよりも、性格に起因する方針なんじゃないか? ちゃんと尋ねてみたことは一度もないけど。
こうやって蒼に話していて気がついたんだけど、うちの両親は広い意味で似た者同士だね。青くさい反抗も若者には時には必要、一線を踏み越えたら看過はしないけど、最低限のルールを守る分にはなにをやってもよし、みたいなスタンスだった。
でも悲しいかな、しょせんは常識人の範疇なんだよな、母さんは。
もちろん、それ自体は悪いことじゃないよ。常識的なところがあったからこそ、こてこての常識人の父親と結婚できたんだろうし。
でも、本当の意味で俺を理解してくれていたわけじゃない。
それは悲劇だよ。明らかな悲劇だ。
話が逸れかけているから戻すと、進路の問題が家族のあいだで持ち上がったとき、母さんのその常識的な部分が急に強くなった。大切な息子の人生の岐路ゆえにそうなった、という解釈で正しいんだろうね。深読みすると、母さんは高卒だそうだから、自分の学生時代に進路の件で親と揉めたとか、あるいは選択をミスしたという意識があって、だからこそ息子にはちゃんとしてほしい、みたいな思いがあったのかもしれない。
ようするにどうなったかというと、俺が学校に行かないし働きたくもないという主張に対して、母さんは激怒したんだ。そんなことは許さない、嫌でもどちらかを選ばなければいけない、十五歳にもなって甘えたことを言うな――一言一句は覚えていないけど、とにかくそういう意味のことを言われてね。
あとになって振り返ってみると、至極常識的でごもっともなことしか言っていない。でも、そのときの俺はショックを受けたし、反発もした。まあ、無理もないよな。俺の生き方を全面的に肯定してくれていた人間が、急に正反対のことを言い出したんだから。裏切られたって思ったし、絶対に屈してなるものかとも思ったよ。
それからの日々は四六時中両親と言い合いをしてた。学校でもいじめられているってのに、今までは安楽に過ごせていた家の中でもそうなったんだから、俺からすれば最悪だよ。学校と我が家以外の逃げ場なんて知らないし、探す気力なんて今さら湧くわけがない。
いじめの記憶もそうだけど、嫌な思い出っていうのはよい思い出よりも記憶に残りやすいものだ。親子喧嘩にまつわるエピソードは、こまかいやりとりとか、いつどこで発生したのかとか、詳細をやけに覚えていて、思い出すたびにむかむかしていたな。今だってむかむかしているし。はっきりと覚えている。だからこそ、こうして蒼に話しているわけだけど、
(ここまでしゃべったところで、ウエイトレスが俺たちの注文した料理をテーブルまで運んできた)
料理、食いながらでいいよ。ていうか、もともとそのつもりだったし。蒼だって同じだろ? 食いながらなんとなく話を聞いている、くらいの雰囲気を出してくれれば、俺は満足だから。もちろん俺だって、なるべく君の印象に残るような愉快な話をするように心がけるし。
俺の中学卒業後の進路を巡る親子間のエピソード、話そうと思えばいくらでも話せるんだけど、長くなりそうだから涙を呑んで端折るよ。すべて話しきる前に食事が終わっちゃいそうだしね。話すためだけに席に居座るのもありだけど、蒼、食事が終わったら絶対に「もう帰るね」って言い出すだろ。なんかそのシーン、むちゃくちゃ鮮明に思い描けるんだよな。むちゃくちゃリアルに。
だから話を先に進めさせてもらう。注文した料理を食べながらね。少々行儀が悪いけど、口の中はその都度空にしてからしゃべるから、大目に見てくれ。