左ローからの右ハイは対角線上の攻撃で避けにくい
ところがその後も、オーヴィルは一向に動きを見せようとしなかった。じりじりと焦れる私。これも戦略の一つなのだろうか。かの宮本武蔵も巌流島の戦いでわざと遅れていったというし、いつの世も熟練の駆け引きとはこういうものなのかもしれない。
「ねえ、いつでもいいんだけど……こんな感じだと、かえって言いにくいとか?」
すると、オーヴィルは、朗らかな笑みを浮かべ、そっと窓の外に手を向けた。
「いや、いい天気だと思ってな。見てみろ。外があんなに晴れている」
「ごめん、そういう導入いらない。練習なんだから。ほら、私に早く告白しちゃって」
するとオーヴィルは目を閉じ、ついに何も言わなくなってしまった。こうなったら根比べだと私も口を閉じる。そしてその場に、たいへん気まずい静寂が立ち込めた。
その後、信じられないことに、オーヴィルはなんと三十分もの間、口を開かなかった。いや、正確には何か言いかけるんだけど、毎回諦めたように口を閉じる。なにこれ。
でも脂汗を浮かべてたり、苦悶してたり、頑張ってくれてる感は伝わってくるので、もう開き直って応援することにした。なんでそんなになってるかは分からないけれど。
「その、な」
「よしこい! 頑張って!」
私が両手を広げて応援すると、オーヴィルは俯いたり、天井を見上げたりしながらも、ぽつりぽつりと口を開き始める。
「その。俺はお前が。ずっと……」
「……うん、ずっと?」
えらい。気まずい雰囲気の中で自分から切り込むのは非常に勇気がいることである。もうここまで来たら、「お前がずっと好きだった」それさえ言えれば、彼は卒業としたい。
「お前が、ずっと右腕でいてくれると思っていたんだ」
「惜しい! なんか違う! ほら、それだと結婚とはちょっと方向性違わない⁉」
「……勘違いしないでくれ。決して、嫌いとかじゃないんだ」
「それ断るときのセリフ!」
「嫌いの反対というか…………一番嫌じゃない相手というか」
「そこまで言ったら好きって言っちゃいなよもう! ちょっといったんやめようか」
私はストップをかけた。なんだこれ。
「ねえ、これまでどうやって付き合ってきたの?」
「いつも相手が告白してきたから、俺が頷けば済んだんだ」
「……なるほど……?」
なんて贅沢なやつ……。いや待て。後輩のメリーちゃんが言ってたぞ。オーヴィル様がすごく素敵な愛の言葉を囁いてくれたのって。私にはわかる。こやつは嘘をついている。
そして、私がその事実を突きつけると、オーヴィルは見事に目を泳がせた。犯人は証拠を突きつけられると認めるか逆切れするかに別れると思うんだけれど、オーヴィルは前者らしい。
「あー、やっぱり私相手だとやる気出ない? 淑女っぽくないもんね」
「いや、違う。……逆だ。……お前が相手だから、こんな……」
「逆って、私が淑女すぎるってこと? 嫌味かな?」
でも、改めて考えると。こんなことに時間を使ってる暇なんて、この人あるの? 跡継ぎのタイミングがどうとか言ってなかった?
「なんだよ」
「いや、オーヴィルがどんな口説き文句を言ってきたところで、その気にさせられる気がしないなって。時間かかりそう……」
「いいんだ」
オーヴィルはそこで、ふわりと優しく微笑んだ。さすが容姿端麗なだけあって、思わず見惚れてしまうくらいに、綺麗な笑みだった。
「どれだけ時間が掛かっても構わない。これまでも、ずっと……待ってきたんだ。お前しか見てなかったんだからな」
「おお、今のはちょっといいよ!積み重ねをアピールするのは大事だと思う!その調子!」
「そ、そうか!」
しかし、その瞬間、この前の母のセリフが私の脳裏にほわほわと蘇った。『奇特な人』。
「あー、でもやっぱりさ、やめない? ほら、私って学校のダンスパーティーで1人余るくらいに人気ないんだよ? 形だけの結婚でも、私よりいい人なんて沢山いるでしょ」
あれは私の中でも特大の黒歴史として刻まれている。まさかスタンバイしている着飾った私に、ただの1人も寄ってこないとは。同情したオーヴィルが踊ってくれなかったら、ダンスと聞いただけで吐くという特異体質を身につけていたかもしれない。その意味では恩人である。
すると、オーヴィルは、また優しい笑みを浮かべた。そして、そっと私の頭にぽんと手を置いてくる。私の頭が下にあるからか知らないけど、非常にフィットする感じであった。
「お前よりいい人が沢山いることなんて、知ってるよ」
お、おう。いきなりディスってくるね。まあいいけど。恩人だからね。
「他に沢山いい人はいる、だろうが。それでも、俺はお前がいいんだ」
「……今、不覚にもときめいてしまった。やるねオーヴィル……」
ちょっと赤くなってしまったかもしれない。弟が、弟が成長を見せている。さすが高スペックなだけあって、すぐに上方修正してくるのが恐ろしい。
「結婚する気になったか?」
「私の判定でいいんだよね? うーん、あと一押し何かあれば、結婚してもいいかな……」
「わかった。じゃ、決まりだな。庭に行くぞ」
……いや、なんで庭?
すると、オーヴィルはふっと自信ありげに笑った。どうでもいいけど、人のベッドで寝込んだすぐ後にそんな勝ち誇られても、いまいち格好つかないよ。
しかし、その後発せられた彼の台詞は、なかなかに私の琴線に触れるものだった。
「だって、勝ったら結婚してくれるんだろ? 忘れたのか? それとも怖じ気づいたか?」
「……よし乗った!体調が戻ったら庭に降りてきて!勝ったら約束通り結婚してあげる!」
「よし! 今すぐ行ってやる! 今日がお前の初めての敗北の日だ!」
そして、庭で、私お付きの侍女のリグレットに審判をしてもらい。なんでもありの一本勝負に挑んだ私は、左ローキックからの右ハイキックで、オーヴィルを地面に見事沈めた。
メッセージボードに出た『死出の旅路』について私が思い出したのは、崩れ落ちるオーヴィルに駆け寄るその瞬間であった。その場のノリって恐ろしい。