カレーとお父様と黒魔術と
「リグレット、塩取ってもらえます?」
「どうぞ」
ぱらぱらと塩を振り、私は大鍋の中を覗き込んだ。ふむ、カレー粉がなくても意外にカレーらしくはなるものだ。ガラムマサラっぽいスパイスを探すのはなかなかに骨が折れたけれど。
私は、今、オーヴィルの屋敷の台所で、カレーを作っている。実家にいるときもこれまで何度か試作したもので、キャンプといえばカレー、という私の固定観念から生まれた一品であった。しかし、作るたびに、カレー粉が莫大な企業努力によって作られていたことを思い知らされる。だってこれ、すっごくすごく面倒くさいもの。
なぜそんなものを他人様の台所で作っているのか。それはひとえに、先日奢ってもらったパフェが高かったのではないかという罪悪感が私を苛んだことに由来する。つまり、お礼だ。
「にしても、オーヴィル様ってこれ食べられるんですかね?」
「辛いの好きだからいけるはずですけど……無理だったら、リグレットと私で食べましょ」
すると、リグレットは、うへぇ、という顔で、私がかき混ぜている鍋を眺めた。
「大鍋1杯分あるんですけど。2人じゃ無理じゃないですか? ねえ、聞いてます?」
「私、カレーうどんにもいつかチャレンジしてみたいんですよね」
「あ、聞いてないですね」
この前いきなりやって来たばかりのよくわからない人間が見たことのない料理を作り始めたとあって、さっきから台所の入口に何度も人が顔を見せている。覗き込む使用人たちは、一様に不審げな顔をしていた。私はちらりとそちらにも視線を向ける。
「あの人たちにも食べさせて、たまにはカレーもメニューに組み込んでほしいんですよ。自衛隊みたいに毎週金曜日とは言わないですから」
「だからこんなにいっぱい作ってるんですね。後半は言ってる意味わかんないですけど」
「この世界のプロがどうアレンジするかも気になりますし。……よし、これで完成かな」
私は、ふう、と額ににじんだ汗をぬぐった。台所あっつい。しかし、その甲斐あって、大鍋の中でぶくぶく泡を立てるカレーはなかなかにおいしそうだった。カレーですよ! って感じのスパイシーな匂いで空間がふわりと満たされる。ご飯も鍋で炊いて……と。
「うん、お米もあって何よりです」
「ていうかご実家から取ってきたんですよね」
「今のはこの世界にも米があったことへの感謝です。私、やっぱりパンよりお米派なので」
「感謝のレベルが壮大すぎますって」
お父様に誕生日祝いとして買ってもらったお米が残っていてよかった。なんでもこの世界では、遠くの国から輸入するしかないそうで、おいそれと買えるものではなく、お父様が仕事でよく外国に行くから手に入ったようなものだ。お父様ありがとう。
パンならこの世界には溢れている。しかし、私はカレーを米で食べたいのだ。
「にしても、いいんですか?」
「何がです?」
「オーヴィル様に手料理なんて振舞ったら、ますます2人の仲は誤解されるような……」
私が手をピタリと止めると、リグレットは呆れたような顔で溜息をついた。
「今初めて気づいた、みたいな顔しないでください」
確かに。リグレットの言うとおりだ。嫁入りした先で手料理を作るなんて。だがしかし、せっかく作った料理を無駄にしたくないのも事実……。
「ま、何とかなるでしょ。カレーを食べれば、きっと結婚とかどうでもよくなるはずです」
すると、リグレットがなぜかさっきより青ざめた顔で、私と鍋を交互に見比べた。
「やたらいろんなハーブ入れてましたけど、まさかこの料理って……そういう……」
「いや、ち……違いますよ⁉」
さて、カレーをオーヴィルに振舞うべく、私は台所でスタンバイし、リグレットに呼びに行ってもらった。すると、リグレットに続き、オーヴィルと領主様夫妻が厳粛な面持ちで食堂に現れたので、私は肝をつぶした。そっとリグレットを台所まで手招きし、事情を確認する。
「なななななんでおじ様たちまで来てるんですか⁉」
「いや、それがエレノア様が料理を作ったって聞いたみたいで、ぜひ食べたいと。あなたたちの分はないんです、って言えませんでした。すみません……」
「ああ、お2人にも食べてもらうなら、もう少し辛さ控えめにしておくんでした……」
「後悔するところ、そこなんですか」
しかし、それでも領主様夫妻に食べてもらうのは緊張する。特に奥様の方とは私はあまり接点がないので。ひとまず、3人分を皿に盛り、私はカレーを食堂のテーブルに運んだ。
3人の視線が突き刺さるのを、私はひしひしと感じた。特に奥様からの視線がものすごい。柔和な美人なのに、なんか目力がすごい。自分の縄張りに入ってきた外敵を見るとき、動物はあんな目をするのではないだろうか。
「見慣れない料理だね」
「えー、今日の料理はカレーと言いまして、スパイスを使った食べやすい料理となります」
私が作ったので、シェフとしてテーブルの横に立ち、メニューの説明をする。うん、食べやすいと思う。カレーは飲み物って聞いたこともあるし。
「どうしてこのメニューにしたのかしら?」
ニコニコと、奥様が手を挙げて質問してくれる。うん、やっぱり優しそう。しかし、その目は一切笑っていなかった。
そう、私は知っている。上流階級の奥様は見た目通りではないということを。うちのお母様だって、外見だけ見たら儚そうなのに、実際はあれである。にしても、カレーにした理由……?
私のカレー愛を説いても理解してもらえそうな気はしなかったので、それ以外の理由を述べねばならない。あえて面倒なこのメニューを作った理由といえば……?
「オーヴィルが最近食欲なさそうだったので、でしょうか」
「あら」
たぶん、領主を継ぐからだと思うんだけど、寝不足みたいだし、ご飯も最近一緒に食べているんだけど、よく残しているし。……わかる。私も前世で疲れているときは何も食べず、ひたすら寝ていたかった。
作る候補としてお茶漬けも考えたものの、ちょっと栄養不足になっちゃう気がしたのでやめておいた。カレーは重いと思われがちだが、スパイスの効果か、意外に食べやすいのだ。
「あと、カレーを食べると元気になりますから。……さあ、温かいうちにどうぞ」
うんうん、といちいち頷いてくれる領主様。優しいので私は大好きである。そして、3人がスプーンを手に取り、カレーを口に運んだ。結構自信はあるのだけれど、緊張して見守った。リグレットも、台所の陰からひょっこりと顔だけ出し、こちらの様子を窺っている。
一口食べて、奥様は何度か小さく頷いた。
「まあ、悪くはないわね。後でうちの料理人にレシピを教えてくれるかしら?」
「……はい! ありがとうございます!」
よっしゃ! 私は心の中でガッツポーズを決める。どうやらカレーの力は世界を超えるらしい。同時に、リグレットが驚いたような「えっ」という声を上げた。……なんだろう。まさか私のカレーを信頼してなかったのか。後で聞いてみよう。
「エレノアの手料理なんて久しぶりだな。うまい。あまり見たことのない料理だが……」
「うん、けっこう試行錯誤したんだよ。大変だったけど、うまくいってよかった」
「それは、さっき言っていたように、うちの息子のためだけかい?」
全然まったくそうじゃないので、私はどう答えようか非常に迷った。でも、普通に答えてしまっていいか。だってオーヴィルのご両親の印象を気にする必要は、私にはないわけだし。
「いえ、半分くらいは、一番好きな料理を私も食べたいなと思ったからです!」
「あらあら」
「ふふ、なら、そういうことにしておこうか。元気でいいね。ごちそうさま」
領主様と奥様は、顔を合わせてニッコリと笑った。いつの間にか、お皿は空になっている。 一方、オーヴィルはお上品にちまちまとスプーンを口に運んでいる。あ、でもこっちも完食してくれそうな感じだ。よかった。
その後、使用人さん達にも食べてもらい、あっという間に大鍋は空になった。他の人が食べるのを阻止しようとしたオーヴィルが私にしばきあげられたことを除けば、概ね穏やかに食事会は終了し、私は満足して部屋に戻る。
すると、先に戻っていたリグレットが、なんだか青い顔をしていたので、私はさっき疑問に思ったことを尋ねてみた。なんでびっくりしてたんだろう。
「エレノア様、えらいことです。姑がレシピを持ち込むことを許すとは、すなわち家の厨房に入ることを認めたということ。つまり、嫁入りを許可したということになります」
「……えっ……そ、そうなの?」
やばい。なんか外堀を埋めてしまった感。しかし、私は後悔していない。今回は、カレーをこの世に広めるという使命を取った。それだけの話だ。
「ま、まあ何とかなるでしょう。カレーがおいしかったら、結婚なんてどうでもよくなるはずですから」
「声震えてるし、なんならその台詞2回目ですけど、大丈夫ですかね?」
食後、私は、与えられた自分の部屋で、リグレットと、定期となった作戦会議を行った。リグレットが深刻そうな顔で、現状について分析してくれる。
「領主様は結婚を勧めたくらいだから賛成。今回、奥様も賛成。エレノア様のご実家はもちろん賛成。ご友人も応援してくれている。反対しているのはエレノア様だけです」
「あらためてみるとひどいですね。あと私が結婚するって言ったら終わりじゃないですか」
「むしろ、言わなくても終わりくらいの勢いでは……」
「言わないで! まだ何とかなりますよ! 頑張りましょう!」
私が片手を振り上げて、えいえいおー、と気勢を上げると、リグレットも軽く片手を上げてくれた。すっごく嫌そうな顔してたけど一応乗ってくれるらしい。律儀。
「次に、旦那様の隠し部屋から見つかった日記の件です。ほぼ解読が終了しました」
「さすがリグレット! で、どうでした? 何か怪しい記述とかありましたか?」
「それが、ほぼありませんでした。日常の何気ない出来事を記しただけの部分が大半で。山に登ったとか、古くなった祠を修繕しただとか」
「ほぼ……というと?」
全然なかったなら、そういう表現はしないはず。リグレットは几帳面な性格だ。彼女がそう言ったからには、必ず何かおかしな部分がある。
リグレットは、しばらく沈黙した。何をどう言ったらいいのかと、迷うような表情で、ゆっくりと宙を見上げながら口を開く。
「旦那様は、黒魔術に凝っておられたようです」
……あなたの父親が黒魔術に凝っている。そんなことを言われた人間はあまりいないのではないだろうか。
「黒魔術、ですか。でもあれでしょ? お父様のことだから、明日晴れますように、とか、嫌いなやつが試験に落ちますように、とか、そういうやつでしょう?」
ね、ね、と私がリグレットを突っつくと、彼女は私の手を軽く振り払い、どこか重々しい表情で口を開いた。
「海外で集めた希少な呪物を使って、違う世界から、魂を呼び寄せるのだそうです。子供が生まれる前に、儀式を行い、うまく馴染むと、器となる子が生まれることがあるのだとか」
聞くだけで闇の儀式感やばい。お父様の海外趣味が危険な方向に出ちゃってる……!
「もうこの時点ですっごく嫌な予感するんですが、器となった子はどうなるんですか」
「屋敷の裏手に大きな山があったじゃないですか。あの奥に神の住む滝壺があるとかで、そこに沈めると、一族に永久の繁栄をもたらすのだそうです」
「ほら!ほらぁ! 山ってあれでしょ⁉ どうせ私が秘密基地作ってたとこでしょ⁉」
近くにあったよ川と滝! よく水汲みに行ってたもん。こっそり泳いだりもしてた。オーヴィルは泳げないので私1人で。やばい。器とか関係なしに、私が神様に罰を与えられそうな行動をしてしまっている。
「器となった子は神に呼ばれるらしいです。見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり。大丈夫ですか? 今のところ、変な声とか聞こえてませんよね?」
「今のところとか言わないで! それに私が器だって決まったわけじゃ……!」
最近見えるようになった選択肢のことを頭から排除して、私は懸命に主張した。
「ちなみに器かどうかを判断する基準は、髪が虹色に染まるかどうかだそうですよ」
「私だ……!」
その場にがっくりと崩れ落ち、両手を床について溜息をつく私の隣で、背中をリグレットがよしよしと撫でてくれた。優しい。




