人生の選択肢に(物理的に)向き合う
(第一章)
人生というのは、無数の選択肢の繰り返しであると、昔に何かで読んだ気がする。
例えば、子供の頃、誰に声をかけて最初の友達になるか。大人になって、どんな仕事に就くか。仮に、全く同じ者が二人いたとしても、騎士と商人になることをそれぞれ選んだなら、その後の彼らの人生は、当然変わってくるはずだ。私たちはみな、日々における無数の選択肢の果てに、今ここに立っている。だが、あれはあくまで比喩だ。比喩のはず、なんだけれど……。
私は、目の前に浮かんだ文字を見つめた。ちょうど、私の前に立っている相手の頭上5センチほどに浮かんでいる、四角い枠の中に表示されているそれ。
⇒『結婚を受ける』
――END『死出の旅路』が解放されます
『なんとかしてはぐらかす』
「なあ、エレノア。俺と結婚してくれ、って言ってからもうしばらく経つんだが、あとどれくらい待てばいいんだ?」
「ごめん。ちょっと目の前の現実を受け入れるのに忙しくて……もう少し待ってくれる?」
すると、目の前の相手、幼馴染のオーヴィルは、頷くように顎をかすかに引いてくれた。
オーヴィルありがとう、不愛想だけど優しい。あなたのことは好きだよ、ただし友人としてだけれど。……うん、それはともかく。どうしてこんなことになっているのか。まずは、ここに至るまでの経緯を振り返ってみたい。
突然ながら、私、エレノアには前世の記憶がある。こんなこと、他人から言われたら一発でドン引き案件なのだが、事実なのだから仕方がない。
前世の私が何をしていたかはいまいち私自身でも曖昧なものの、日本で普通にOLをしていたような気がする。ちなみに今いる世界は、地方ごとに領主がいたり、移動が主に馬車だったり、建物が煉瓦造りだったりと、どこか中世ヨーロッパに似ている雰囲気の世界だ。ただし、知らない地名しか存在しないところから、違う世界の可能性が高い。
さて、私は、この地方の結構裕福な商人の家に生まれたらしく、のんびりと過ごしていたのだが……そんなある日、私は唐突に前世を思い出した。12年くらい前のことだ。現在17歳なので、私が5歳の時。鏡を見て奇声を上げて走り出し、庭をぐるぐると全速力で駆け回る幼い私を見て、両親は悪魔がとりついたのではないかと真剣に心配したそうだ。
そして……私は前世があることを誰にも話したりしなかった。
信じてもらえるか不安だったというのも、もちろんだし……。何より、どんな顔して話したらいいのかわからない。ドン引き案件というのは、聞く方も覚悟がいるが、話す方にも覚悟がいる。
そんな中、オーヴィルと出会ったのは、私が7歳のときだった。初対面の彼は、領主のおじさまから息子だと紹介され、気弱そうに母親の陰からこちらを窺っていたっけ。私が笑顔を向けるとさっと身を隠されたあの日のことは、未だに私の胸に消えない傷跡として刻まれている。
そんなほろ苦い初対面を果たした私達だったが、意外にもすぐに仲良くなれた。というのも、彼はこの地方の領主の息子であると同時に、普通の男の子でもあったのだ。わかりやすく言うと、原っぱを一緒に駆け回ったり、棒を振り回して遊ぶ相手に飢えていた。
そこで私が登場する。だって私、前世では普通に田舎暮らしだったし。我が家は一般階級だったけれど、親の仕事の関係上、私と彼が顔を合わせる機会も頻繁にあったのだ。
よって、私は、彼と一緒に侍女の包囲網を抜け出し、優雅に野を駆け回ったり、山奥に2人しか知らない秘密基地をお上品に作ったりと、幼少期を大体一緒に過ごして育った。彼は2歳上だったにもかかわらず非常に気が弱かったため、たいていどこに行くにも私が先頭だった。
彼が領主のスパルタ教育に耐えかね家出してきたときは二人で基地に籠城したし、周囲のプレッシャーが辛いと弱音を吐く彼を朝まで慰めたこともある。ぶっちゃけ、異性では一番の親友だと思う。姉でもあるけど。何せ、前世も含めたら私の方が大人だしね!
そんな彼は、成長期を迎えると、雨後のタケノコのようにすくすくと背が伸びた。そのすらりとした姿形に、元々が端麗な顔だったことも相まって、今の彼は領民に非常に人気がある。学校から見える範囲をひとたび歩こうものなら、男女問わず、全校生徒が窓に張り付く勢いであった。……いや、キリンが校庭に現れた、とかならわかるけど、オーヴィルだよ?
今も、なぜか学校のそばを歩いているオーヴィルがにこやかに校舎に向かって手を振っている。すると、私の隣で、友達のモニカちゃんが、興奮したように私の腕をぐいぐいと引っ張った。
「見てよエレノア、オーヴィル様が歩いてる!」
ついにオーヴィルは歩くだけで称えられる存在になってしまったらしい。しかし口には出さず、私は無難な感想に留めておいた。
「あー、確かにオーヴィルって最近視察に来ること多いですよね」
ちなみに私は学校では思いっきり淑女の猫を被っているため、誰に対しても敬語である。他に淑女のイメージが私の脳内に存在しなかったとも言う。
すると、モニカちゃんは頬に手を当て、熱っぽい溜息をついた。
「はあ……クールで素敵よね……」
「単に口下手なだけだと思いますけどねぇ」
「何言ってるの。去年の卒業式の来賓あいさつ、とっても素敵だったじゃない」
頭はいいから、シナリオ覚えるのはできるんだよね。その卒業式、挨拶のセリフを全部チェックした後、リハーサルに夜通し付き合わされたのが私だ。
さて、そんな超人な彼は、なぜか女性関係にだけは恵まれていない。交際まではとんとん拍子にいくのに、私が知る限り、交際期間は最長でなんと1週間である。1週間て。セミの寿命かな?
ということで、「あやつ実はどぎつい性癖でも隠し持っているのではないか」と私は睨んでいた。まあ、そのうち耐えきれるくらいの誰かが現れ、彼の隣で領主の奥方に収まることだろう。それよりも、今の私には考えるべきことがあった。
私は、視線を窓の外に移し、風に揺れる木々を、物憂げに見つめた。木々はみな新緑に染まり、春がもうすぐ訪れることを教えてくれている。春、つまりは卒業の季節。
「進路、かぁ……」
私は、1月後に迫った卒業後の進路に未だに迷っていた。学校から進路を提出するよう言われ、無視すること既に1週間。先生からの視線は、日々鋭さを増す一方だった。あれは獲物を狙う狩人の眼だ。哀れな獲物の私にできるのは、せいぜい視線を逸らすことくらいであった。
ということで、私は授業そっちのけで、自分の未来に思いをはせた。しかし、どうにもイメージがまとまらない。……それもそうだ。その程度でまとまるようなら、とっくの昔に提出できている。
他の人にも話を聞いてみたけれど、参考にはならなかった。ここが主に貴族が通う子弟学校なだけあって、家を継ぐ子が大半らしい。でも、うちは兄様が継ぐだろうから……。
そのとき、不意に、ぽん、と頭を軽く叩かれる。私が振り返ると、先生が呆れたような顔でこちらを見ていた。講堂の中の生徒は、いつの間にか私1人になっていた。
「よう、急用で掃除の係が一人欠けるってよ。すまんがお前、どうだ?」
この先生は教師にしてはざっくばらんな口調だけれど、家柄によって贔屓もしないため、私は結構好きだった。そうか、私が恩を返せるのも、もうあとわずかしかない。
「私、手伝いますよ。ちょうど暇ですから」
「毎回悪いな。いいのか?」
先生が軽い口調ながら気遣ってくれたので、私は微笑みながら見上げた。
「私って試験直前に現実逃避にマンガ読んじゃうタイプなんです」
「お、おう。お前の言ってる意味って最後まで分からねぇままだったわ……」
そのとき、講堂の入り口から、顔見知りの後輩がひょっこりと顔を出した。何やらぶんぶんと手を振っている。
「エレノア先輩! すみません、掃除の後、図書館の棚卸し手伝っていただけないですか?」
「いいですよ。ちょうど、卒業旅行の行き先を考えようと思っていたところですから」
「とりあえず引き受けるその癖やめた方がいいぞ。あと旅行の前に進路出せよ」
とりあえず、先生の言葉の後半部分については記憶から消去し、私は教室の掃除を終えた後、後輩と図書館で棚卸し作業に従事した。色々なジャンルの本をひたすら箱に詰め、書庫から持ってきた新しい本を棚に並べる。立ち仕事であったので、終了する頃には、鉛のような重さの疲れがじわりと私の全身を包んでいた。
しかし、その甲斐はあった。というのも、作業が終わるころ。私は、早くも進路についての答えを手にしていたのだ。今までの悩みが嘘のようだった。情けは人の為ならずとはきっとこのことだろう。私が晩年に自伝を記す際は、今日この日を私の人生が変わった1日目としたい。
……さて、肝心の話。図書館の棚を改めて整理してみた結果わかったことだが、この世界には、観光用のガイドブックのようなものが少なすぎる。地図のような味気ない書物しかない。これはいけない。私みたいな現実から逃げたい者が困ってしまうではないか。
ならば、どうするか。答えは簡単、私が作ればいいのだ。短絡的であると笑うなら笑え。きっとこの世界の観光史には、私の名前が始祖として刻まれるだろう。現実逃避したい後輩たちよ、私が道を開く。諸君らは後に続け。
そんな思いを胸に抱きながら、私は夕焼けに照らされる石畳の坂道を勢いよく駆け下りた。ちょうどタイミングよく吹いてきた春の温かい風が、私の長い長い髪をふわりと揺らす。まるで、これからの未来を世界全体が祝福してくれているようだった。
そうして、父母を説得し、準備を整え。卒業したら私のお付きの侍女と旅に出るかと考えていた、卒業まで2週間となったある日のこと。私は、オーヴィルから突然呼び出された。オーヴィルが17歳になり、領主を継ぐ儀式が2週間後に迫った日のことであった。
しかし、呼び出しだけならいつものことなのだけど、今回は何やら様子が違った。というのも、真剣な顔をしたお父様から、領主名で発出された召喚状なる書面を手渡されたのだ。こんなものを渡されるのは、貴族がお家をお取り潰しにされる際に弁明するときくらいである。
私は、自分が犯してしまったであろう罪の重さに震えた。その日は非常に錯乱し、侍女が止めてくれねば危うく寝巻のままで登校するところであった。しかし、呼出しの理由については、とんと覚えがない。進路を提出しないことはそんなにも重罪であっただろうか。
そして放課後、私は、おっかなびっくり、待ち合わせ場所に顔を出した。呼び出されたのは、街外れの人気のない庭園で、以前私たち2人がつるんでいたときによく使用していた待ち合わせ場所だった。人が普段いない場所だということが今回どういう意味を持つのか、深く考えるほどに恐ろしい。私は物陰で息を殺して、周囲の様子をそっと窺った。
……あ、オーヴィルいた。待ち合わせ場所のベンチの前で、胸に手を置いて深呼吸している。どうやら、おっかなびっくりなのは向こうも同じらしい。よかった、ちょっぴり安心。
しかし、私がとてとてと駆け寄ると、オーヴィルは私を見下ろし、じろりとこちらを睨みつけた。だいぶ身長差があるからか、怖い。前から顔は怖かったけど、領主になることが決まってからはいつも怒っているような表情を浮かべているし。私のさっき抱いた親近感は、胸の内でさらさらと脆くも崩れ去る。
「エレノア。卒業したら旅に出るというのは本当か?」
「う、うん。私、自分のやりたいことを理解したの。観光業に名を残そうと思って。今は理解されないかもしれないけど、きっと何十年か後にはね、大勢の後輩が」
「俺は旅に出るなんて聞いてない」
もう、最後まで聞きなさい。私がそっと手で制すと、渋々といった表情ながらオーヴィルは口をつぐんだ。オーヴィルが聞いてないのにもちゃんと理由があるのだ。
「この前決まったばっかりだから。君も領主業大変だと思うけど、元気でやりなよ」
でもよかった、やはり進路の話だった。しかし、オーヴィルは既に知っていたらしい。家族と先生とモニカちゃんくらいしか知らないはずなのに、耳が早い。
しかし、オーヴィルの次の台詞に、私は自分の耳を疑った。
「行かないでくれって俺が頼んだらどうする? ずっとここにいてくれるか?」
「え、普通に行くけど」
すると、私が拒否した後、オーヴィルはなぜかしばらく押し黙った。しばらくというか、具体的に言うと、5分程度。今まで喋っていた相手が急に5分黙ると、人はどうなるか。私は、内心、大きな緊張に襲われた。迷った末、おそるおそる口を開くことにする。
「ど、どうしたの? 気分悪い?」
「……やむを得ない、か」
オーヴィルはそう言い捨て、どこかへ行こうとした。何がやむを得ないのか。そういう台詞を吐かれた時は良くない事が起こると私は経験上知っていたため、思わず呼び止める。
「ちょっと、どこ行くの?」
「いいから待ってろ」
そして、オーヴィルは振り向くことすらせず、ずんずんと大股で歩き去っていった。待て、って言った? ここで? せめて説明していってほしい。
その後、オーヴィルはなんと2時間ほど帰ってこなかった。いったん合流した後に相手を待たせる単位として「時間」はあまり出てこないと思う。私も何度も帰ろうかと思った。待っていたのは半分意地である。あと、召喚状のことが気になっていたのもある。
さて、ようやく現れたオーヴィルの姿を認め、私は野良猫と猫じゃらしで戯れるのをやめ、彼を迎えた。
「おかえり。で、どこ行ってたの? ていうか待ってた私に何か言うことない?」
「待たせてすまない。話は通してきた」
うん、謝るのは大事だよね。許した。そして、気になることがある。
「ていうか、なんだかボロボロになってない? 大丈夫?」
彼の姿をまじまじと眺めると、なんだか2時間前と比べて服は破れているし、頬は腫れているし、なぜか鼻血も出た跡がある。
……どうしたんだろう。馬車に轢かれて修道院(この世界では怪我をすれば病院の代わりにみな修道院に行くのだ)にでも行っていたのだろうか。
「ちょっと殴られただけだ」
「次期領主なのに⁉ 誰に⁉ そんな狼藉者、この街にいるの⁉」
「なあ、それより。進路のことだけど、旅に行くのやめろよ。ずっと俺の隣にいてくれ」
2時間前もやったのにまたやるのこの下り……。殴られて記憶が飛んだとかじゃないよね? 私が内心心配になった、その時だった。
「そろそろ俺たち、結婚しないか」
突然、変な言葉が聞こえたので、私は思わず彼の顔をまじまじと見返した。すると、たいそう真面目な表情でまた頷かれる。いやわからん。今いったい何に同意したの。
よく意味が分からなかったので、疑問をそのまま口に出してみた。
「結婚って何?」
「夫婦になることだ」
「知ってるー! 意味じゃなくて! なんで急に君はそんなこと言い出したの⁉」
「いや、俺たちもそろそろかなって。跡を継ぐし、タイミング的にちょうどいいだろう」
「君のタイミングはいいかもしれないけど! 私には関係なくない⁉」
すると、オーヴィルは呆気にとられたような表情になった。ええい、未知の言語でいきなり話しかけられた、みたいな顔しおって! その顔したいのはこっちだってば!
「少し整理させて。結婚とは、好き合った者同士がするものである。ここまではいい?」
「問題ない」
ああよかった。いやよくない。とすると結婚とは何かを認識した上であんなことを言い出したことになるではないか。
オーヴィルは、私をじっと見つめ、こちらへ一歩踏み出した。ちょっと怖かったので、私も同じだけ後ろに下がる。するとオーヴィルはさらに距離を詰めてくるので、ひたすら後ずさる私と、前進するオーヴィルという、はたから見たら不思議な光景がしばらく繰り広げられた。
「エレノアのことが好きなんだ」
「だから、私も人間的には好きだけど、私たち、そういう好きじゃなくない? 私はさ、世界にガイドブックを根付かせる使命があるから。ガイドブックってわかる? カラフルで見てるだけで楽しい、でも実際行ってみると微妙、みたいな旅の全部が詰まった夢みたいな本でね?」
「エレノア。俺と結婚してくれ」
「うん、1回人の話聞こ?」
すっごく頑張って喋ったのにこのやろう。全然通じないと疲労感が半端ないんだぞ。でもわかった。今のオーヴィルはなんだかすごく余裕がない。
私が混乱しているのを収めるように、オーヴィルが優しく私の肩にポンと手を置いた。理解ある俺、みたいな空気を感じ、ちょっぴりイラっとくる。誰のせいだと思ってるんだ。
「安心してくれ。関係者に話は通してきた」
混乱の元凶にそんなこと言われても、なにも安心できなかった。
「だから肝心の本人に話が通ってないんだってば! あれ? じゃあオーヴィルを殴ったのは……」
「お前の兄貴だ。俺も殴り返した」
「狼藉者とか言ってごめん兄様! ていうかなんで人の兄と殴り合いしてるの⁉」
「だから聞いてくれ。もう何も障害はないんだ」
「ちょっと待って⁉ 兄様無事? 殺してない?」
さっきから発言の一つ一つが怖すぎる。というか次期領主を殴る兄様も恐ろしい。なんで殴り合うの? 錯乱してる人に「しっかりしろ!」ってビンタするあれみたいなこと?
一方、オーヴィルは心外だと言わんばかりの顔で穏やかに微笑んだ。
「落ち着け、俺の兄になる人を殺したりはしない」
「兄じゃなくても殺さないで? ね、オーヴィルこそ、ちょっと落ち着こ?」
混乱しながら、それでも「どうどう」とオーヴィルをなだめていると、その瞬間、私の正面ちょっと上の方から、「ポン!」というなんだか軽い音がした。
音のしたあたりを何となく見上げると、ちょうど、真正面に立っているオーヴィルの、頭上五センチあたり。一瞬前まで何もなかったそこがゆらゆらと揺れ、謎のメッセージボード(?)がいきなり出現するところだった。
「……待って⁉ なんか出てきた!」
(〜回想終わり〜)
たぶん20話くらいで終わります。
2日に1回くらい投稿するので(目標)、今年中には終わります
よろしくお願いします