【かぐつち・マナぱ先生のイラスト貰ったよ】恋愛小説のアクセス実験
かぐつち・マナぱ先生から「お仕事と家事と執筆に追われる令嬢様」というタイトルのイラストを頂きましたよ!
……なんていうかさ、いいよね。
ウオノターナ城に絵画を飾る老執事と貴族令嬢・黒い安息日の姿が目に浮かぶ。誰かコミカライズかアニメ化してくれないかな、この二人の生活を。需要?んなもん知らんわ私が見たいんや。自分で金出して作れやって?いや絶対に売れませんやん、赤字やん 。
さて、四日連続で恋愛をテーマに小説をかいたんだけど、全話にクトゥルフ神話を混ぜているのはともかく、それなりに実験と自分のベンチマークも兼ねていて、なぜ書いたかの理由を含めその結果をまとめてみたい。
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第三王子の絵と顔に傷のある男 ~評論家気取りの醜い貴族は、無様を晒して引き下がる~
【一作目】
ポイントはずばり、タイトル。目を引いてアクセスを稼ぐ実験。内容は文才の無さゆえに恥ずかしい評価が全てを現わしているが、アクセスは膨大で初日24時間で500を超え、現在もぽつぽつと足跡が絶えない。なぜ新着から遠く離れた今もアクセスがあるのか分析できないのが残念。
興味深いのが、73%以上がスマホからのアクセスで、特に初日はこの傾向が顕著だった。そしてスマホユーザーは面白いことに一切評価をしない。ということは、あのランキング上位の作家が持つ膨大な評価数とブックマークはいったい?謎は深まる、なろうは本当に面白い。
この作品はちょっと時間をかけて書いた。最低でも2時間はかかったと思う。ただし投稿後の執拗な推敲による修正は全作品に言えることなので割愛するが、いくら頑張って内容を練っても作品を閃いた瞬間のインスピレーション、あの輝きを超えることが出来ない。ゆえに私の長編作品は目を覆わんばかりの結果なのだ。そこが理解できただけでも挑戦した価値がある。
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顔に傷のある娘と、目が不自由なピアニスト
【二作目】
一作目があまりにも作家性に乏しいと感じたので、コンセプトは引き継ぎつつ自分の書きやすい作風に寄せた。最初は「醜い女と盲目のピアニスト~〇〇〇〇~」的なタイトルにして再びアクセス獲得を試みるつもりだったが、あまりに品が無く、なんだか気が乗らなくなり変更した。
剣と魔法のファンタジックな異世界は、テンプレと揶揄されるほどバランスが良く最適化が極まっている。私はそれが悪いこととは思わないが、創作の世界に足を踏み入れた泡沫の作家として、可能性の拡大に貢献したい。なんの影響も及ぼさないが、そこが尊いんじゃないか。選挙の投票と同じだ。
そういうわけで、フランス革命後の世界観を取り入れた。学が無い、具体的には学歴が無い私にもフランス革命という人類の偉業は知っている。アテナイの民主主義も素晴らしいが、フランス革命には及ばない。それはともかく、混沌としたフランス革命後の悲劇と狂気と興奮をファンタジックに表現したかったのだ。
個人的にはニトロプラス風に書けて気に入っているが、アクセスと評価が散々だったのは言うまでもない。まあ私の実力だとそんなもんだろう。初日で170くらい。スマホ率は64%、私の作品にしては相当高い比率である。
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菜々子と洒音~意地悪なあの娘に口づけを~
【三作目】
ここまで来ると、実験の目的が変わり始めている。もはやアクセスは気にせず、苦手な恋愛小説を照れることなく、楽しんでコンスタントに書く練習である。コツを掴んだか、本作は書いていて楽しかった。架空の日本を舞台にした異世界というコンセプトもモチベーションが上がる。
実は事実上のSF作品であり、それでいて主題を科学に置かない。小道具として使うが置き換え可能な言い訳としてのマクガフィンという訳でもない。かつて書いた稚拙なSFに恩人に指摘した「いかにもな言葉を並べただけ」という批評は正しいし、自覚もあった。ゆえに腹が立つ (笑) 本作くらいのSF濃度が一番良いと私は感じる。
もう一言だけ述べるなら、なぜ自覚があったかというと、子供の頃に読んだ井上ひさしの「吉里吉里人」で作中にあった駄作の話をそのまま自分がやらかしていたからである。恩人、というか彼女の審美眼は恐ろしい。言っとくが別に媚びてない。名前も出さないし、この内容を本人に伝えるつもりもない。
そしてアクセスだが、悲惨を通り越して定期的に投稿する貴族令嬢シリーズ以下である。評価に至っては悲しさを超えて笑うしかない。24時間で100人くらい、スマホ率は50%。余談だが、このエッセイ「黒い安息の日々」のスマホ率は38%である。
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てけりり!~テメエと蹴散らす理性と倫理~
【四作目】
いきなりアクセスから語るが、現在60人。スマホ率30%。評価人数3人。読むどころか見るに値しないと現実を突きつけられているのが実情である。筆を折る作家さんの気持ちが痛いほどわかる。それでも書き始めた半年前に比べたら、毎回感想や反応を頂けており、それが支えになっている。
なろう作家同士のなれ合いを嫌う風潮がある。しかし「無関心が一番こたえますからね」とかぐつち・マナぱ先生が私の活動報告で述べられたように、誰にも読まれない作品を書き続けることは不可能なのだ。なんなら作品が無くても読まれたいという思考が新たな境地に至り、感想欄のみで活動する方々もおられよう。読み専やスコッパーなど悟りの人だ。
私は読むより書きたい。なれ合いが嫌いではないが、部外者に拒否感を感じさせる可能性を考慮すれば、それを作品として昇華させるしかない。現実と虚構を織り交ぜ、作家性とエンタメを両立したい。「貴族令嬢シリーズ」とは別の方向で、お約束と恋愛を軸としたまだ見ぬ読者とのなれ合いを求める作品群が「ロマンチックトゥルフ」である。
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「風の谷のナウシカ」や「カリオストロの城」も上映当時は失敗作であり、多額の借金と酷評に宮崎駿も苦しんだ。手塚治虫に至っては面白 & 酷すぎて到底ここでは語れない。富野由悠季も岡田斗司夫も失敗作の宝庫である。
そんな偉大なクリエイターが苦しんで、困って、這いつくばって、血を吐いて作品を作り続けたというのに、地方都市でのんびり自宅で生活のかからない作品を、お金もかけず仕事や家事の合間にキーボードを叩くだけの作業で文句を言うなど烏滸がましいにもほどがある。
数多のなろう作家が切り開いた道を歩きながら、テンプレだらけだね、などと私は言えない。遠距離攻撃と後出しジャンケンしかしない私が、戦果が上がらないと苛立つ姿は滑稽だ。明日もきっと、明後日もきっと、何かを書くだろう。休みもするが、戻りもする。猫が好き。




