作中の格闘表現について
なろうは底辺作家にとって孤独な戦いだ。
でも、いつか誰かが評価してくれる、いつかアクセスが急増する、そう信じて書き続ける愚行からは脱却した。その考えが正に愚考なのだ。
誰がどう見ても面白い、誰がどうやっても真似できない、そんな作品を書けるようになるのが先決だよ。評価の高い作品を読んで自分と比べるなど愚の骨頂。それより表現を極めるべし、ですよ。唯一無比の個性こそが武器と信じて私は書く。
実は週間ランキングに掲載されるメソッドを徹底研究してました。長編のタイトル変更やあらすじの書き直しも何十回も行ってアクセス数を観察したり、関係書籍も何冊か購入して読んだりしました。その辺をブラッシュアップした新作を書いて実行するつもりもあったんですけど、やっぱ止めました。書き溜めが性に合わないし、興味のわかないジャンルを書くのが苦痛すぎる。
そもそも私は恥ずかしくない程度の評価が欲しかっただけで、プロも目指してなきゃ書籍化も夢見ていない。そんな年じゃねーわ。それだったら荼毘に付した聖エスカルゴ学院を自費でアニメ化するから金くれや。同じ夢ならこっちが見たいわ。
小せえ、小せえぜ!
他人と比べて自分を曲げてよ!
私はなにをとち狂ってんだい!
私はなにを得ようってんだい!
全力疾走で我が道を行く、それが全てだバカヤロウ!
◇◇◇
私の長編小説見てもろたらわかると思うけど、格闘表現に死ぬほどこだわって書いてます。ただし内容が正しいかどうかなんて重視してません。リアルに感じること、読んでて本当に強くなれる気がすること、ここにこだわってます。
武道というよりプロレスです。アルゼンチンバックブリーカーやロメロスペシャルのような、一見凄いがよくよく考えるとツッコミ所満載の表現を目指しています。
小説の格闘表現は、その多くが作者の勉強不足かリアルにこだわり過ぎかに偏っているとお見受けします。夢枕獏の作品はその辺いいバランスだったと思いますが、そこまで詳しくないので語れません。
剣術小説はかなり読んだ方なので、ニワカなりに少々は語れますが、基本一撃必殺なので書きやすそうです。知らない技名が出ても好奇心が刺激されてサクサク読み進められます。ちなみに津本陽と池波正太郎と奈良原一鉄が大好きです。
ネタバレになるので言いたくないのですが、自作の長編小説に出てくる南木景樹は、奈良原一鉄の名作「装甲悪鬼村正」の主人公、湊斗景明をもじってます。あ、別に「装甲悪鬼村正」をおススメはしませんよ?あの名作を知らずにいる人はかわいそうだなぁ、って思うだけですから。
で、話を戻しますけど、格闘表現を正しく書くつもりがないからこそ、超真剣に書くべきだと私は思うのです。プロレスラーのコミカルで滑稽な技は、並みの格闘家では到底耐えられない猛烈なトレーニングと、文字通り血反吐を吐くような鍛錬の上で成立しているのです。
中牧昭二が某マイナープロレス団体に入門を乞うたとき、大仁田厚が出した条件は目の前でスクワット3000回ですよ?3000回?そんなこと出来る?そして、そこまでやって初めて入門ですよ?八百長だのバカバカしい技だの、全てこの鍛錬の上で成り立ってるんですよ?控えめに言って人間ではないです。
アントニオ猪木や大仁田厚、そして前田明は、このプロレスに現実社会を巻き込んだドラマを組み込むという偉業を達成しました。これはもう歴史と芸術の教科書に記すべきですよ。
虚構だからこそ、徹底的に現実にこだわる。
私もそんな格闘表現が書きたいです!




