一木一草
コツ、コツ。
ギシ、ギシ。
バイクブーツの靴底が鳴る、革が軋む。
広大な学園を、目的地を目指して真っ直ぐ進む。工業部が使う物作りのための機材や器具が置かれたトタン屋根の小屋に辿り着いて、そして辺りを見回す。
小屋の裏に気配がある。回り込んで見ると、バイクのそばで、緑と黒の髪色をした少年が地面に座り込んでいた。
「どーした、何のようだ」
向こうもこちらの接近に気づいていたようだ。
バイクを見つめているその目を動かさずに、声をかけて来た。
「ジュピター、話、いいかしらァ?」
少女、ミカライトは素直に尋ねた。
「話くらいなら構わねーが、時間はねーぞ?」
「あらァ、お忙しいの。また同世代の生徒の実力観察? それとも研究?」
「そのための時間が一割、バイクが八割」
「まァまァ、全くもう。残りの一割は?」
「学園長から呼ばれた。なんでも、勇者グループが動いて何かを行おうとしているらしい。詳しい話をこの後に聞きに行く」
「そうなの? 一体何かまだあなたはわからない見たいだし、これ以上聞きはしないけれどォ………学園長……ね」
「ん?」
含みを持たせた声色に、そこで初めて顔をミカライトの方に向けた。
「なんだ? 学園長がどうかしたか?」
「さっきガドガドの話をしていてねェ……」
「オーバーロードの娘か。アイツの力は凄いぞ。オーバーロードとしての“特徴”は出ていないが、しかしあの細い体でとてつもない力を有している」
126代目勇者パーティ候補の事となると、うるさくなる。ずっと調べているから仕方ない所もある。
それに少し面倒臭さを感じつつも、気になった点を聞く。
「……オーバーロードとしての特徴、と言うのはなに?」
「筋肉や体の大きさもそうだが、何よりツノと、毛深さだな。アイツのツノは額の右っ側に一本だけしか生えてねぇ。それと毛深さも重要だ。異世界から来た勇者達が、オーバーロードを初めて見た時こう言った。『バッファローのようだ』と」
「バッファロー」
「オーバーロードには種類がある。オーバーフローに、オーバーヒート。どれも牛の種類が違う。オーバーフローはアンコーレ・ワトゥシ。オーバーヒートは……あー、なんだったか。忘れたが、とにかく牛としての独特の特徴があって……それがガドガドには見られない」
「不完全ってこと?」
「あん?」
講釈していたジュピターは口を止めて、目を向ける。
ミカライトの拳が握り込まれているのに気づいた。
「その不完全さは、パパが解剖なんて手段で無理やり腹から出したせい……だとしたら?」
「……知らねーよ。そもそも完全不完全を考えた事は俺の人生で一度も無ぇ」
少し考えたがジュピターはハッキリと答えた。
「俺は、最強なんだよ。有象無象は雑草と同じだ。だが雑草ってのは一つ一つ個性がある。個性には弱点がある。その個性の群れから突出するためには、一つ一つを吟味し、手にし、そして擦り潰して俺の力にする」
それが同級生達を“全員”調べ上げている理由。
その道を選んだ時点で、もはや完全への道など無い。弱点があるものが完全であるはずもない。
ただその道の先にこそ、【最強】と言う玉座がある。
「で? お前はなぜ完全不完全を問う?」
「……はあ。アンタに聞いたのが間違いなのかもねェ」
「んじゃ、話もここまでか」
立ちあがろうとした彼に、慌てて声を出す。
「私は、間違ってる?」
「……お前の戦闘の分析結果でも聞きたいか? 前のB級争奪戦での為体を聞く覚悟があるならな」
「結構よ。茶化さないで」
「茶化したつもりはないが。どうやら、ガドガドの件で頭を抱えてるってところか」
「そんなん、でもない……つもりィ、なんだけどさ」
珍しいな、とジュピターは思った。
ここまでしおらしい彼女は初めてかもしれない。
「つまり、お前は父親がガドガドの母親を殺したのは正しかったのかどうか、わからなくなったってとこか」
「……パパは英雄よォ。勇者達の代わりに王国の領地に侵入して来た魔物達を倒したんだからァ……でもその陰で、悲しむ女の子がいた」
「お前の今の気持ちは? どうなんだ?」
「……私はずっと、正しいと思って来た。だってそうでしょォ? この国を守ることが軍人の役目なんだからァ」
「そうだな。俺も、そう教えられて来た」
ジュピターの父親も軍人だ。
だから軍人達がこの国を守る使命を持つことは知っている。そのために攻め込んできた魔物達に同情なんてしない事も。
したら自分達の命や、彼らが守る国の人々と、家族が危ない目に遭う。
だからこそ戦う。
「俺はお前の親父が間違ったことをしたなんて思わねぇな」
「それは軍人の教えを子供の頃から教わって来たから?」
「確かにそれもある。だがそれだけじゃねぇ」
もっと簡単な話だと、ジュピターは続けてこう言った。
「魔物と戦ってる時に『もしかしたらこの魔物の腹には子供がいるかも知れない。だから殺したくない』なんて考えがあったと思うか?」
「……」
「そんなわけねーよな。あるのは、相手を殺してやるって勇気だけだろ」
「“勇気”………」
ミカライトはそれを、先ほど聞いた。
「お前の親父は守るために命懸けで戦ったんだ。その守りたいものの中に、お前自身もいる事を忘れるな」
「そのせいで女の子が泣いていたとしても?」
「生まれて来なきゃ泣くことだってできない」
「なら何もないってこと? 責任も、責められる事も、何もかも、何にも無いってことなの⁉︎ だったら私のこのズキズキ痛むものはなんなのよォ!」
「お前も人の子だ」
泣きかけた彼女の肩に手を置く。
「一つ、気になる部分がないか?」
「え?」
「どうして学園長は、ガドガドを引き取ったんだろうな」
「学園長……?」
「きっとその意味は、人の世界で、人として生きて欲しかったからじゃねーか?」
通り過ぎざまに背中を叩く。
「お前の親父の勇気で、一人の女の子がこの世に誕生した。だったら次はお前の勇気で、その女の子を人として過ごせるようにしてやればいいじゃねーか」
そのまま歩き出して、学園長室へと歩を進める。
ミカライトがその後どうなったのか、すぐには分からなかった。だがすぐに知る事になる。同級生達にアンテナを向け続けているジュピターの耳にはすぐに届く。
「一木一草、感情のない人間なんてどこにもいない。だから昔からの風習やら、軍人としての決まりを信じ切れない異端が出て来たって不思議じゃねぇ。疑問を持ってこそ人間の価値だ」