枯れた涙を誰も見ない
学園長の私有地。
学園の南門から結構歩いて、山を登る。さっき走り込みをしたばかりで体力を使っていたから、辿り着く頃にはヘトヘトになっていた。
「ぜぇ、へぇ……す、スクボトルさぁん……き、来ました……げほげほっ」
「あぁん?」
私有地について、見ればスクボトルさんは空き地にソファを置いて、そこで寛いでいた。手に持っているのはグルメ雑誌。
雑誌から顔を上げてこちらに顔を向けてきた。ゴーグルがあるため目は見えないが、なんだか呆れている雰囲気だった。
「……早くねーか? 時間にルーズってのは遅すぎても早すぎてもダメなんだぞ」
「すっ、すみません。しかし学校の方で、色々ありまして……予定を早めたいんですが。ホーネットさんはいないんですよね」
「なんだ? あの人に用事があんのか?」
「いいえ、そう言うわけではなく確認のために。それで、お願いしてもいいですか」
「ふーん……」
鼻を鳴らすと雑誌をソファのすぐ横に置いてから、立ち上がる。そしてこっちに近づいて来て……顎を大きな手で持ってきた。
クイッ、と顎を持ち上げられて、スクボトルさんの顔を見上げる形になる。
「………」
「あ、あの……」
ゴーグルの奥の視線が俺を観察している。
見下ろされて、見つめられて、いたたまれなくなる。
「運動量はよし、だな」
「え?」
「だがここに来るまでに少し無理をしたな。休憩を取るタイミングがわからないと見た。それではまだまだだな」
「えっと……」
「今日はここまでだ」
ぽいっ、と顎を離されて、バランスを崩してしまい尻餅をついて倒れる。
「えっ⁉︎ こ、ここまでって……」
「また明日」
ぶっきらぼうにそう言ってスクボトルさんはまたソファの方に戻ろうとする。
慌ててその背中に手を伸ばす。
「ま、待ってください! これで終わりって、まだ何もしてないですよ! 修行は……!」
「ここまで、と俺は言った。従え」
バサッと雑誌を広げ、足を組んで座り込んでしまった。
もうこちらに目も向けない。
「な、なんで……理由は! 頭ごなしに言われて納得できるわけ……!」
俺は立ちあがろうとしたが、途端に足から力が抜けてガクンとまたも地面に倒れ込んでしまう。
なんだ、これ?
「はあっ、はあっ……あ、あれ?」
汗が止まらない。
息が苦しい。
足が震えて、まともに立ち上がる事ができない。
「休め、馬鹿者」
スクボトルさんから鋭い罵倒が飛んでくる。
「はあ、はあ……な、なんで……」
「貴様はまず“休憩”を学ぶべきだ。人間、動くと休むの両方できてこそ一人前」
「で、でもオ……わ、私は! 早くBクラスに上がって、会うべき人がいるんです!」
「それは半人前のままで達成できるものなのか?」
「っ」
「言っただろう、一人前になるためには休む事を学べと」
彼の意見は揺るがない。
もうこれ以上の特訓や修行はやらないと言う強い意志があった。
確かにこんなクタクタの状態で何かできるはずがないのは、自分でよくわかっている。
今の俺の格好は体操服とは違う、胸周りと腰回りにぴっちり張り付くツーピースのスウェットのようなインナーに、胸下までの短い丈の半袖シャツと、軽い素材の半ズボンを着てきている。
汗で濡れた服が胸にベッタリ張り付いて少し気持ち悪い。
「………でも、その、このままじゃ帰れないんですが」
「それは杜撰な体力管理の代償だ。キッチリ身を持って苦しめ」
じゃ、じゃあこのまま体力が戻るまで地べたに座り込んだままか……⁉︎
「ちょうどいいじゃねーか。人間、プライドが邪魔して泥の味なんて知る由もないもんだ。こうやって泥をすする機会ができただけで丸儲けだろ」
「は、はあ……」
なんかはぐらかされた?
……というか、回復するまでスクボトルさんと二人きりって事か?
えーと、どんな話すればいいのか。このまま黙ったままってのも、居た堪れなくて居心地悪いし。
「あ……そうだ、スクボトルさんって出身どこですか?」
「あぁん?」
「すみません。ちょっと気になったもので」
「……ふん。俺の生まれなんぞ聞いても何にもならないだろ」
一瞥しただけして、すぐに雑誌に目を戻された。
ただ俺が出身を聞いたのには理由がある。
「スクボトルさんはガドガドって子、ご存知ですか? この辺の出身でしたら、もしかしたら知ってるかもと」
「ガドガド……?」
俺はガドガドの事を聞いてみる事にした。
今は彼女のことが気になっている。しかし情報はない。だから誰でもいいから聞いて見たかったのだ。
するとスクボトルさんは雑誌から顔を上げて、目を上に向けて何かを思い出すような素振りを見せた。
「………ああ、知ってはいるな」
「本当ですか⁉︎ もしかして会った事とかも?」
「———いいや、ないな」
「まあそうですよね」
ここでスクボトルさんが会った事あるなんて言ったら、逆に疑っていたかも知れない。素性を知りたい女の子と、顔見知りの人がこんな近くにいるなんて、そんな都合のいい事あるわけないよな。
スクボトルさんは雑誌を、開いたままソファの上に置いて、組んでいた足を開いた。
「なんでそんな事聞いてきた?」
「え? いえ、その……実はさっきの学校の方での色々あったと言うのは、そのガドガドの事でして。朝起きると布団の中にいて、そしてどう言うわけか私にピッタリ引っ付いて回って」
「引っ付いて……?」
「はい。走り込み中もずっと隣にいて、一緒に走っていました。まあガドガドはBクラスなので、体力とか負けてたんですけど」
「…………」
(……?)
スクボトルさんは両腕を膝の上に置いて、体を前のめりにして、地面を見つめたまま何かを考えているようだった。
地面。
あ、そうだ。ここは学園長の私有地。そしてそこにいるスクボトルさんは、もしかすると学園長と知り合いかも知れない。
「聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「ガドガドは学園長とも関わりが深いようでして。もしスクボトルさんが学園長の事を何か知っていたら……」
「———いや知らないな。ここはホーネットに誘われて、借りた場所だ。学園長の許しも彼女が取ってきた」
「あ、そうなんですね。じゃあガドガドの事は何もわからないと……」
「いいや、言っただろう。知ってはいる、と」
体を起こすと、ジッ、とこちらに視線を向けてくる。
その目に、一瞬気圧されかけた。なんだか威圧感を感じたが、しかし真っ向から見た目返す。
「……なんですか」
「……話をしようと思ってな。貴様、14年前に魔物達による侵攻があったことを知っているか」
「いいえ、知りません」
「その魔物の“群れ”の中には、オーバーロードと呼ばれる牛の怪物の姿があった」
オーバーロード!
それって。
「ガドガドの……」
「信じられない事に、群れの中の牛の腹の中には、子供がいた。それも人間との間の子ってんだから驚きだ」
それが……ガドガドなのか。
「どこで孕んだのか知らないが、確かにその牛の化け物からは人間の姿形をした子が出て来た。解剖し、摘出した医者は、それはそれは驚いたと言う」
「解剖……? じゃあガドガドの母親は」
「お前、家に侵入してきた空き巣をそのまま家に居座らせるか? もてなして歓迎していくらでもウチのもの取っていって下さいと言うか? 当然対処する。相手は“敵”だ」
「つまり、死んだ……と」
「いいや殺した。“群れ”に対抗するため編成された、陸軍の軍隊でな。俺からしてみればそのガドガドって小娘の母親は、殺されるべくして殺されたと納得できる。それがこの国を守る軍隊の役目だ」
殺されるべくして殺された?
……頭では理解できる。この国は魔物や魔族に対して戦う訓練をしている。力をつけている。何より勇者がいる。
だから魔物たちは敵だし、殺すべき対象なんだろう。
でも……。
「納得なんてできるか」
「なに?」
「納得なんてできるもんか。ガドガドの身になって考えてみれば、簡単な答えだ」
「! ……お前」
俺は立ち上がる。
いつの間にか疲労はなくなっていて、簡単に立ち上がる事ができた。
「修行はないんすよね。なら、俺は行きます」
「……どこへ?」
「決まってるでしょう」
一度もスクボトルさんの方は振り返らずに、学園に向かって歩き出す。
「一人の女の子の、涙を止めるため」
俺は一度もガドガドの涙を見ていない。
けどそれでも。
どうしても彼女の泣き顔が頭から離れない。