第一話 赤目のネピリム(4)
「ぎゃああああああああああ!!!」
突如、頭上から悲痛な叫び声が聞こえ、思わずびくりと肩を震わせた。と、同時にドン!と大きな音を立てて一人の男が落下してきた。全身を強打し、首や四肢がおかしな方向を向いていたが、右脚が付け根から食いちぎられたかのように欠損していた。頭部と右脚から大量に出血しており、ピクリとも動かない。武器や防具を身に着けていなかった為、すぐに騎士団の者ではなく民間人である事が分かった。
(空から……エミーラが言っていた奴の仕業か!?)
そう思い、男が降って来た空を見上げる。そこには、何も居なかった。いや、もしかしたら想像以上に速いスピードで移動いるのかもしれない。ふと、先ほど襲ってきた化け物の事が気になりそちらを見やった。刹那、全身から血の気が引くのを感じた。
「ラティオ」
「…は!えっ?うわあああっ!!!」
唐突に落ちて来た男の姿に唖然としていたラティオだったが、こちらが声を掛けて我に返った様子だった。そして俺達の目前にいる化け物を目にして思わず悲鳴を上げた。
「逃げろ!!!」
「ひいいっ!!」
腰が抜けたのか、ラティオはその場に尻もちをつき後ずさりをした。
「何してる!早く!!」
俺はラティオの片腕を引っ張り、立ち上がらせようと試みた。が――
「あ、脚が……動かない……!」
震え声のラティオを見て俺は腕から手を離し、咄嗟にラティオの前に立ち剣を構えた。勿論、庇い切れるとは思っていなかったが、ラティオをその場に置いて自分一人だけ逃げる訳にもいかなかった。
剣を持つ両手が震えている。こんなに恐怖を感じたのは初めてだ。罪人に対しては何度か剣を抜いた事がある。だが、化け物を相手にする日が来るなどと……そんな事誰が考えるだろう?
「エ゛エ゛エア゛ア゛ア゛ア゛アアアアゴオ゛ゴコオオオオ!!!!」
至近距離から化け物の雄叫びを喰らい、思わず剣から手を離し両耳を塞いぐ。酷い耳鳴りとめまいがした。街中は火の海だというのに、体からは冷や汗が流れているのを感じる。緊張で呼吸も自然と荒くなった。
地面に落ちた剣を拾い上げ、化け物の目のようなものを見据えた。弱点らしきものが目のようなものしか見当たらなかったからだ。あそこを狙えば多少は怯んでくれるだろうか……?
剣を構え直す。が――
(?何故攻撃して来ない……?)
化け物は相変わらずこちらを凝視しているが、特に何も行動を起こしては来なかった。少しの間睨み合っていると、またも上空から何やら轟音が響いてきた。空を見上げようとした瞬間、何やら黒い大きな塊が、もの凄い勢いで化け物の丁度背後に落ちて来た。その衝撃で地面が割れ、大きく揺れた。
「なっ……!?」
俺はラティオを庇う様に覆いかぶさり、地面の揺れが収まるのを待った。
「た、隊長……!自分の身を案じて下さい……!」
「……言ってる場合か!」
恐る恐る落ちて来た大きな塊に視線をやると、それは目の前にいる化け物よりも一回り大きな化け物だった。コウモリのような翼が生えており、例えるならばそう――おとぎ話に出てくるようなドラゴンのような感じだ。とは言っても、こちらも臓器や骨のようなパーツで構成されており、かなりグロテスクな見た目ではあるが。
そしてその背には、あろう事か人が乗っていた。少年少女のような姿、水色の髪……顔は伏せていて良く見えなかったが、どう見てもネピリムだった。
「いやはや、ようやく見つけ出せたよ。思っていたより時間が掛かった」
その声を聴いて、俺は動揺した。とても懐かしい声だったからだ。
「い、イスト……?なのか……!?」
「えっ……!?」
ラティオが驚いたように俺とネピリムの方を交互に見やる。ラティオには自分の過去の話を沢山聞かせてやった。勿論イストの事も。
「そう見えるかい?」
顔を上げ、ネピリムは俺の顔をじっと見つめた。やはり、顔もイストにそっくりだった。だが……
「その赤い目……お前は……イスト?いや、そもそもネピリム……なのか?」
ネピリムと言えば青い瞳が特徴だ。赤い瞳のネピリムの存在など聞いた事もない。
「どうでもいいだろう、そんな事」
赤目のネピリムがそう言い終えると、ドラゴンのような怪物は俺達の方へと歩み始めた。
「どうせお前はもう死ぬんだから」
道は先ほどの衝撃で崩壊してしまい、これ以上逃げ場が無かった。俺はラティオを守るようにして立ち塞がった。
「隊長!!やめてくれ!!」
「イスト!!お前、イストなんだろう!?何があった!?何故街を――」
鋭い大きな爪がこちらに振り下ろされたかと思った瞬間、全身が熱くなった。次いで痺れるような感覚と、脱力感が全身を襲う。
「隊長!!!」
俺は立っていられず、膝から崩れ落ちた。聴覚がおかしい。ラティオの声が遠く聞こえた。何が起こったのか理解できずにいると、たちまち視界に赤いものが映った。今度は胸から腹にかけて肉がえぐられたような妙な感覚と、全身に急激な寒気が走る。だが、不思議と痛みは無かった。
「脆過ぎる。何の為にお前は誕生したのか、理解不能だ」
最後にイストに似た声が遠くで聞こえたかと思うと、俺の意識は深い深い闇の底へと落ちて行った。