第ニ話 疑念(6)
イストはフードを深々と被り直すと、セーブルの後を追った。俺も二人の後に続く。アトラスのいる部屋に辿り着くまでの道中、大勢の負傷した兵士や避難民の姿を目にした。自分だけがイストに命を救われ、周りの人間には手を差し伸べる事も出来ずにいる。俺は何とも言い表せない焦燥感に駆られていた。叶うならば、アトラスだけでなく全ての者を救って欲しい。俺はどうにかして皆を救ってやれないかとイストに耳打ちしてみたが、イストは頭を振って「ごめん」と一言呟いただけだった。
◆◆◆
「こちらの部屋です」
ある一室の前まで辿り付くと、セーブルは中には入らず入口で立ち止まった。
「イスト様、貴方のお力が真のものか知る為に、グランディスには一度アトラス卿の状態を見て頂こうと思います。構いませんか?」
「うん、治療する現場さえ見ないのであればそれは構わないよ」
ありがとう御座います、とイストへ一礼をすると、セーブルは俺に目配せをし、部屋の扉を手のひらで指し示した。俺は頷いて扉の前に立った。御丁寧に取り付けられている叩き金を数回鳴らし、取っ手に手をかけた。扉を開くと、中にはアトラスを看病しているのであろう数人の兵士が驚いた様子でこちらを見ていた。
「はっ……!ぐ、グランディス隊長!?おお……ご無事でしたか!」
一人の兵士が声を上げたが、今の俺にはこの人物が誰なのか、勿論分からない。が、今はそんな事はどうでも良かった。
「アトラスの様子を見せてくれ」
俺は声を掛けて来た兵士の横を通り抜け、無駄に広い部屋の奥のベッドでぐったりと横になっている人物の元へずんずんと歩んだ。遠目から見ても酷い状態であるのは分かったが、間近で様子を見て愕然とした。全身に殴打痕があったのだ。上半身は包帯でぐるぐる巻きにされており、包帯の下からは血が滲んでいた。額からは大粒の汗が流れている。
「殴打痕……これは……」
「人の仕業、だね……」
いつの間にか隣にやってきていたイストが呟いた。
「暴徒化した兵士によって襲われたようなのです。出来るだけの処置は行いましたが、酷い切り傷を負っており熱も下がらないのです。このままでは非常に危険かと……」
アトラスの傍らで看病していたもう一人の兵士が状況を説明した。
「わかった。じゃあ早速治療に取り掛かるよ。グラン、スノウをお願い」
イストの肩に乗ったまま殆ど動かなかった白い塊は、イストの言葉に応じて久しぶりにその翼を広げた。そしてふわり、と俺の肩に飛び乗った。
(そういやいたんだったな……大人し過ぎてすっかり忘れてたよ)
「あ、あの……一体何を?」
これから何が始まるのか、状況を理解していない兵士達の背を押して、俺は部屋の外へ追いやった。そして自分も部屋の外へ出る。扉を閉める瞬間まで、イストはこちらをじっと見つめていた。
◆◆◆
ネピリムの奇跡とは一体どれ程大層なものなのだろうか。おとぎ話に出てくる魔法のように、力を使う瞬間に派手な光を放ったりするものだと思っていた俺は、何事も無かったかのように静かに扉を開けて隙間から顔を出したイストに少し拍子抜けした。
「終わったよ」
「もういいのか?まだものの数十分だぞ」
「随分呆気ないですね」
イストは「どうぞ」と言わんばかりに扉を大きく開いた。俺とセーブルは顔を見合わせ、部屋の中へ入った。ベッドの上で眠っているアトラスの身体は包帯が解かれ、先程確認した時とはまるで別物のようにかすり傷一つ無くすっかり綺麗になっていた。顔色も良くなっており、額に手をやると体温も異常無しといった感じだ。
「す、凄い……一体どうやって……」
ちらりとセーブルの方に視線をやると、先程まで全く表情を変えなかったセーブルが露骨に動揺していた。顎に手をやり、しげしげとアトラスの事を観察している。
「信じられません。こんな……跡形も無く治るなど……正しく奇跡だ」
「あの、二人共ちょっといいかな」
アトラスに目を奪われていた俺達は、イストの方を振り向いた。
「彼が目覚めて、ノアの居場所の手がかりを聞くまで、僕はこの部屋に留まる事にするよ。その後、ノアを探しに行くのは僕一人に任せて欲しい」
「何ですって?」
「そういえばお前、彼女に化け物退治の協力を仰ぐとか言ってたよな」
「どういう事です?」
セーブルがイストと俺を交互に見た。
「イストが各地のネピリムを引き連れて化け物を退治しに行くって言うんだよ。それに人間の協力は不要だと聞かなくてな。無茶だって止めたんだが……」
「イスト様、我々からノア様を奪うおつもりですか?」
セーブルが顔をしかめてイストの目を見据えた。
「化け物退治が終わるまで彼女を借りたいだけだよ。彼女が不在の間はアトラス卿に代わりを務めて貰いたい。ノアの代わりが出来るのは彼だけだって言ったのはあなたでしょ?」
「……成る程。どう転ぼうがノア様を連れ出すつもりではあったという事ですか」
「そういう事。それから、人間の力では化け物には敵わない。だからマーテルの人達には此処から非難する事に集中して欲しいんだ。ノアの救助は僕一人で――」
「ノア様を見つけ出してその足で出立されるとでも?あり得ません、お一人で行かせる訳にはいきませんよ」
だよな、と俺も心の中で同感した。
「ノアの安否が確認出来ればそれでいい?」
「いけません。必ず此処へお連れしてアトラス卿と皆にご無事な姿をお見せせねば」
イストは溜め息をつき、一瞬困った表情をして見せたが、すぐにセーブルの目を見返すと強気な態度で言い返した。
「あのさ、正直そんな事してる時間無いよ。あの化け物……リーパーというのだけれど、あれは時間の経過と共に増殖していくんだ。早く手を打たないと世界中が奴らで溢れる事になるよ」
「あれって増えるのか!?聞いてないぞ。この近辺からは退散してるんじゃなかったのか?」
俺は思わず口を挟んだ。
「たまたまこの辺りから姿を消しただけ。あいつらは自然消滅とかそんな事はしないから」
「……迂闊でした」
ぽつり、とセーブルが呟き、毅然とした態度から一変して肩を落とした。
「私としたことが……まだ悪い夢を見ているものだと……。これはまだ厄災の『前兆』だ。私もエミーラ君と同様に平和ボケしていたようです」
「じゃあ……!」
「はい、ノア様の救出は……イスト様に委ねます。ですが、貴方の安全の為にもせめて護衛の兵士をつけさせて下さい。そして出来れば彼らにノア様の安否を見届けさせて頂きたい」
「人数は出来るだけ少なめでお願い。何度もくどいようだけど、人間ではリーパーには勝てない。無駄に命を落とす事だけは避けたいんだ」
「……承知致しました。では二、三人程度でいかがでしょうか」
「まぁ……それくらいならいいか。うん、話が早くて助かるよ」
何処かで聞いたような台詞を返したイストにセーブルは苦笑した。
「ならば、護衛の一人を俺に担当させてくれ」
俺が名乗り出ると、イストは曇った表情で頭を振り、制止した。
「グラン、気持ちは嬉しいけど……君は病み上がりなんだから、ここで皆と一緒に居た方が賢明だ」
「そうは言うがな、この通りピンピンしてるんだよ。それにお前に恩を返したい」
俺がそう言い終えると、セーブルは俺の方をまじまじと見た。
「確かに具合は良さそうですが、剣の振り方は覚えているのですか?」
ああ、と俺は頷いた。
「武器の扱いや馬の乗り方は覚えてる。任せてくれないか?」
「私は構わないですよ。その前に君、装備を整えなくてはいけないですね。いつから半裸なんです……?」
セーブルがそう言い終えた瞬間だった。俺達の背後、部屋の入口の方から大きな悲鳴が聞こえた。俺達三人が一斉にそちらに振り返ると、そこには二人の兵士に両脇を抱えられ、今にも腰を抜かしそうになっている一人の若い男が立っていた。
「な、何だ……?」
俺が言うと、その男は俺を凝視しながら顔を左右に振った。
「何で生きてる!!?あ、貴方は……俺の目の前で死んだ筈だ!!!」




