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52ヘルツの救済

作者: なつかげ

 目が覚めると、頭上を小さな鯨が泳いでいた。魂だけの存在となった鯨は本来の大きさよりずっと小さくなっていて、ぬいぐるみくらいの大きさにまでしぼんでいる。カーテンを開けると、白く半透明な鯨越しに雲ひとつない青空が見える。

 私の元に辿り着いてくれてよかった。数日前に近くの浅瀬に迷い込んでいた鯨が息を引き取った、というニュースを見たので、そろそろだと思っていた。

 時折、私の家にはこうして迷子の海洋生物の魂が現れる。大抵は鯨やイルカなど、群れで行動する哺乳類が多いが、1ヶ月ほど前にはリュウグウノツカイが現れた。家の中をゆらゆらと泳ぐリュウグウノツカイの姿は見ていて美しかった。

 魂が現れたときは正しい場所へ還れるように、案内をするのが私の役目らしい。仕事はフリーのライターをしているので、比較的時間の融通が利く。今日は差し迫った仕事もないし、すぐに連れて行けそうだ。「ちょっと待っててね」と言って、コーヒーとトーストの軽い朝食を済ませ、出かける準備をする。鯨は私の朝食には興味がなさそうに、天井の近くを悠々と泳いでいた。


 平日の昼間とあって、人通りは少ない。私は海洋生物の魂が見えるけど、水族館の大きな水槽の如く、町の中を魚の大群が泳いでいるように見えるということはない。魂の居場所が違うんだろう。今日のような晴れ渡る青空を色とりどりの海洋生物が泳ぎまわっていたらきっととても綺麗だろうに、と想像し懐かしい気持ちになりながら歩いていく。

 太陽の光に照らされて輝く鯨は私の歩くペースにあわせ、時々尾びれを大きく動かしながら後をついて来る。人間の子供であれば決まった場所へ連れて行くのは大変なのだろうが、幸い魂たちは寄り道せず私の後をついてきてくれる。目的地は徒歩と電車で1時間ほどだがあまり苦労はなく、私のほうが時々寄り道をしてしまうほどだ。

 電車を下り、駅前の喫煙所の横を通りかかると、明るいグレーのスーツを着た若い男性がタバコを吸っていた。男性の近くを小さなイルカが泳いでいて、時折男性に向けてバブルリングを吹きかけている。タバコをすうしぐさのまねをしているのだろうか。微笑ましいなと思いながら見ていると、男性と目が合ってしまったので小さく会釈をする。

 時々、好奇心なのか縁があるのか、人間のそばに留まる魂がいる。還りたい場所がある魂は自然と私のそばへ来るようなので、町で魂を見かけても無理に連れて行ったり干渉したりすることはしないようにしている。

 目的地に辿り着いた。水族館だ。

 

 水族館には魂たちが行くべきところに繋がっている「抜け道」がある。海洋生物がたくさんいるから見えない道が繋がりやすいのかもしれない。本来は海に連れて行かなければならない魂たちに「抜け道」を使ってもらえば海に連れて行かずとも行くべきところへ案内できるので助かっている。「抜け道」は日によって場所が変わるが、この水族館の中に一箇所もなかった、なんて日はない。入り口で年間パスポートを見せると、スタッフさんは笑顔で「いってらっしゃい」と手を振ってくれた。

 入り口を入って、サンゴ礁のコーナー、チョウチョウウオがたくさんいる水槽、エイやさまざまな種類の魚が泳ぐ大きな水槽を抜け、トンネル状の水槽にクラゲがたくさん漂っている幻想的なコーナーを覗くと水槽の奥に小さなゆがみが見えた。「抜け道」だ。鯨に「あそこだよ」と目を向けると、心なしか嬉しそうに「抜け道」へ泳いでいく。言葉も交わさないし一緒に過ごすのは短い時間なのに、いつも別れの瞬間は自分の欠片が持っていかれるようで、少し寂しい。

 魂が「抜け道」を通る少しの間、「抜け道」の先が私にも見える。かつて私も海の中を漂っていた。とても孤独だった。気がついたら、何の因果か私は人間に生まれ変わっていた。でも、孤独ではなくなって幸せに毎日を過ごしている。

 孤独ではなくなったけど、一人になってしまう苦しみはよく知っている。また迷子になってしまっても、私が何度でもみんなのところへ連れて行くよ。そう伝えたいけど、きっと私の声はあの鯨には届かないだろう。

 鯨の姿が「抜け道」に吸い込まれて見えなくなるまで、52ヘルツの歌を口ずさんでいた。

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