すべての始まり
私、アリス・L・エドモンドがアステリア王国で社交界デビューをした時、全てが始まった。
国王陛下に挨拶に向かう時はまだ、普通の令嬢と同じだった。
「国王陛下、王妃様、アクレシア王女様、本日はお招き頂き、誠にありがとうございます。そして、この度は王女様のご婚約おめでとうございます」
「アリス嬢も、大人の仲間入りだな。ご両親に似て利発そうじゃないか」
「王都まで遠かったでしょう。ゆっくり楽しんでくれたら嬉しいわ」
優しそうな国王夫妻に歓迎の言葉を頂く一方で、アクレシア様は不機嫌丸出しだった。
(…本日の主役なのに、幸せそうには見えないわ…)
壁の花となる事に徹していると、本日の主役であるアクレシア王女様は、婚約者である男性にエスコートされて現れる。しかし、相変わらずアクレシア様は不機嫌むき出しで、婚約者の男性も表情が消えていた。
(えっ…この2人、どう見ても幸せそうじゃないっ!)
近くにいた年配のご婦人に事情を聞いてみると、初めての社交界だから、と扇で口元を隠しながらも大まかな事情を教えてくれた。
「親子喧嘩、と言うものかしらね。原因は分からないけれど、最近陛下とアクレシア様の言い争いが頻発しているらしいわ。婚約者は、レイモンド様。オーラント公爵家の次男で、アクレシア様の王配として不足ない殿方なのだけど、陛下が取り決めた婚約ですからね…アクレシア様が変な気を起こさなければ良いのだけど…」
アクレシア様がヒールの音を鳴らし足を止めると、公衆の前で高らかに言う。
「わたくし、アクレシアは、レイモンドとの婚約を破棄致しますわ!」
突然のアクレシア王女様の婚約破棄宣言に周囲はざわめく。彼女の目の前に立つアクレシア様の婚約者だったオーラント様は、怒りを隠しながらも静かに問う。
「なぜこの場でこのようなことを?」
「それはこの国にとって有益になる、あるお方から求婚を受けたからよ。ソルエナ帝国第二皇子ハミルトン様からね」
ソルエナ帝国。アステリア王国の隣にある大きな帝国で、財政も軍事も周囲の王国と比べて頭ひとつ飛び抜けている。そこの第二皇子との婚約は、確かに有益だろう。帝国側の方に問題なければ。
「帝国の第二皇子…?あちらの国情を知ってのご判断ですか?」
「ええ。和平としての政略結婚ですもの。頭の堅いレイモンドには解らないでしょうね」
嘲笑を浮かべるアクレシア様にオーラント様は眉間に皺を寄せる。そんなオーラント様を見て、アクレシア様は挑戦的に言う。
「そこまでわたくしの判断に不安を持つなら、王令としてあなたに命じるわ。レイモンド、北のエドモンド辺境伯の娘、アリス嬢と結婚なさい!断れば王族への謀反と見なす」
◇◇◇◇◇◇
「アリス嬢、うちの娘の出任せに巻き込まれて、本当にすまない…」
夜会は急遽中止となって、王宮には両陛下とアクレシア様、レイモンド様、そして私…と、当事者は取り残されてしまった。
「あ、いえ…お構い無く。しかし、社交の場に出ていきなりこのような事態なので、宜しければ状況をお教え出来ますか?」
「そうだな。巻き込まれたからにはそれなりに事情を知る権利がある。まず、エドモンド家の領地である北の辺境は帝国との国境の側にあることは?」
「はい、父から教わっております」
「ソルエナ帝国の国情はご存じかな?」
「…存じ上げております。昔から帝位が変わる度に内乱を起こし、迷惑を被ってるので…」
うっかり本音が出てしまい、慌てて口をおさえるが、陛下はそんな私を見て、同情の眼差しを送る。
「だろうな。一応、貿易関係で帝国とは繋がっているが、私も極力巻き込まれたくない、というのが本音だ」
国王陛下も多少お口が悪くなってるが、事実、ソルエナ帝国は面倒な国であることは間違いないのだ。
財政も軍事力もそれなりに高い帝国には、1つ問題点がある。後継者関係がとてつもなく泥沼。今時珍しい一夫多妻制で、王家の男子は帝位の取り合い、貴族の娘なら皇帝の寵愛をめぐっての激しい戦いが繰り広げられているのだ。
「私の容態が少し悪かった時アクレシアが帝国との国交を代行した事があるのだが、その時のお客がハミルトン皇子だったそうだ。何をどうしたのか、アクレシアはハミルトン皇子に惚れ込んでしまってな。それ以降ずっと私とアクレシアは結婚について喧嘩状態、と言うわけだ」
「お父様が折れればすむ話でしょう!?それに一方的じゃなくて、ちゃんと相思相愛なの!私がハミル様と結婚すればこちらの国には攻めないと約束してくださるし、財政も融通聞かせてくれると、良い話ばかりじゃないですか」
「それが罠かもしれんとなぜ分からんのか!?こちらは以前より、レイモンド君と許嫁の関係を守ってきたと言うのに、今さら反故に出来るか!」
ギャイギャイ言い合う国王陛下とアクレシア様を余所に、オーラント様は、虚ろな目をしている。まあ、親同士で決められた結婚だからと受け入れて、王配教育も必死に受けてきた筈なのに水の泡になりそうだものね…
「オーラント様、あの…オーラント様はどうしたいか、お聞きしても、よろしいですか?」
私から訊ねられると思わなかったのだろう。オーラント様は、目を開き、私を見つめた。初めて間近で見た彼の顔は憔悴していながらも顔立ちが整っており、流れるような青銀の髪とエメラルド色の瞳が印象的で、今にも吸い込まれそうだった。
「私は…」
今にも潰れそうな細い声で言おうとしたようだが、何か決意したようで背筋を正し、陛下達に聞こえるような凛とした声で言う。
「陛下。私を気遣って阻止してくださってありがとうございます。しかし、此度の夜会で求婚という言葉により、ハミルトン皇子と王女に何らかの関係があることを多くの貴族に聞かれてしまいました。下手に私との婚姻を進めるのはよろしくないかと思われますし、今の王女とうまくやれる程、私の器は大きくございません。どうか、婚約を破棄して頂けませんか?」
彼の決断が決め手となってしまったのだろう。陛下はオーラント様を見て、溜め息をついた。
「レイモンド君から言われては仕方ないが…しかし、ありのままを伝えても、お前のあの家が納得できると思うか…?」
陛下の言葉に耳を疑う。えっ、王女様との婚約破棄以上にオーラント公爵のお家に問題アリなの?
「それは…私は大丈夫ですよ。勘当はされると思いますが、もう大人の男ですし、慎ましく暮らせば平民として過ごせますから」
オーラント様も否定しない…!?
「え…オーラント公爵家は、納得してくださらないのですか…?レイモンド様は何も悪くないのに…」
「アリス嬢…貴女は優しいのですね。私の両親は有能ではあるものの、仕事と私の双子の兄にしか関心がなくてね。私を王配にすると言う価値を陛下がくれたことで両親はまともに育てたようなものだ。だから、王女様に婚約を破棄される事を聞いたら、両親にとっての私はただの恥さらしなんだ。恥さらしと思ってくれるだけまだ良い方かもしれないね」
「そんな…」
私は頭をフル回転して考える。この状態を打開する策を。
1番誰も傷つけない方法を考えても、あれしか見付からなかった。
アクレシア様を見ると目が合い、彼女はほくそ笑む。もしかして、そこまで読んでこんなことを…?アクレシア様は、女王になるだけの賢さを持ち合わせているのかもしれませんね。
「あの…レイモンド様が王女様との婚約を破棄されるのでしたら、彼は、私の家に来ていただく形でよろしいでしょうか」
私の言葉に両陛下とオーラント様は目を丸くする。まあ、まさか私が王女様の意見と被るとは思わないでしょうけど、最善がこれだもの。
「あら。アリス嬢は、私の意見に賛成するのね」
「彼との婚約を破棄してまで他国…それもあの物騒な帝国の方とご結婚されるのは賛成出来かねますがね。王女様のご結婚については両陛下とじっくり話し合ってください」
初めての社交界の少女に、ここまでばっさり切られるとは思わなかったのだろう。アクレシア様は唇を噛み、両陛下はなぜか笑いを堪えている。オーラント様が困惑されているので、もし…と唱えて話を続ける。
「もし…王女様が押し切って結婚なさるのならば、北の辺境は帝国との架け橋となる重要な土地です。今は私の両親が仕切っていますが、子供は私1人でいずれは婿が必要となります。レイモンド様が来てくださるなら、エドモンド家次期当主としては心強いのですが…いかがでしょうか。
あ、でも、この案だと、王女様の王令と変わらないですね。レイモンド様が嫌でしたら、この話は聞かなかったことにしてください!」
勝手に話を進めるのは申し訳ないので逃げ道は作っておく。しかし、話の筋が良すぎたのか、オーラント様は、驚きの表情を隠さずに私を見つめる。話を聞くことに専念した王妃様が、話をまとめてくれた。
「国の動きを読み、王国の橋となり砦となる。アクレシアの王令の理由がどんなに馬鹿らしいとはいえ、次期当主のアリス嬢と王配教育を受けたレイモンドが夫婦となり、王国の門である辺境を守ってくださるならば、安心して任せられるのですが、レイモンドはどうなさいますか?」
王妃様は、オーラント様に確認する。色々急展開はしているけれど、オーラント様にとっても最悪の要素は免れた結論だった。
「国王様、王妃様…私は、お二人のご期待に応えられず、アクレシア様との婚約を破棄してしまうような男ですが、そのような処置で本当によろしいのでしょうか」
「元はと言えば、アクレシアがバカな事を言うからこうなっただけだ。結果としてアクレシアの言葉に近い形となったが、レイモンド君を婿として迎え入れようと思ったことは後悔しておらん。何なら公爵家への根回しは私自らやっても構わんぞ」
「お父様もお母様も、わたくしを馬鹿呼ばわりして!」
怒り狂うアクレシア様と対照的にオーラント様の表情が柔らかくなる。今まで憔悴した表情しか見れなかったけど、こんな表情も出来るのね。
「何から何まですみません。両陛下のお心遣い、感謝致します」
国王夫妻、凄く寛大なお方なのですね。あら、オーラント様が私の方に向き直った。
「アリス嬢も、最大の配慮と、突然の事態に対応してくれて、ありがとうございます。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
あ、そうだった…オーラント様と王女様の婚約がなくなると同時にオーラント様は私の夫になる…のよね。書類とか諸々時間は掛かるけど、王女様の横暴な王令として片付けられると思われるから、下手に横槍が入ることもなく、確定事項だろう。
「こ、こちらこそ、至らない部分はございますが、よろしくお願いしまひゅっ…」
噛んでしまった…恥ずかしい…。そんな私を余所に、王家一家は先程の険悪な雰囲気はどこへ行ったのか、和やかな笑顔を見せる。
「おっ、アリス嬢も、やっと年相応の表情になったか」
「大人の仲間入りと言っても、まだ15ですものね」
「年下の癖に妙に大人びてるから、ムカつくけどね」
王家の証人により、初めての社交の場でいきなり婚約者が出来てしまいました…。
 




