婚約破棄された大公殿下がそろそろ結婚しようとか言ってきたんだがお気を確かに
「結婚しない?」
午も過ぎ日差しがだいぶ傾いてきた。窓から差し込む光が黒白をくっきりと分かち、麗しの殿下の姿に哀愁を加える。
顔が良い。宮廷詩人とかが何かごちゃごちゃ乗せて殿下を讃えんと日夜奮闘しているが、殿下の美しさは永遠ではあるが秒ごとに移り変わりゆくわけで、言葉に留めることは難しい。
故に私はあえての一言に納める。顔が良い。
「は。私、ですか」
「そう」
ふ、とため息を吐きながら物憂げに視線を上げてくるそのさまは、やはり顔が良いの一言では収まりきらなかった。睫毛が七色に光を弾いてますけど。どうしたら良いんだこれ。もう存在が美麗。同じ空気を吸ってて大丈夫?無礼者って手打ちにされない?
「殿下のご命令とあればやぶさかではございませんが」
「そう、良かった。ルードレット卿ならそう言ってくれると思っていたよ」
そう言ってくれるも何も、勅命だろうこれ。
執務補佐官の婚姻に指定を入れてくるということは、殿下の政治的な判断なのだろう。わざわざ臣下の基盤を固めねばならぬほどの大仕事があるということか。心してかからねば。
「しかし殿下の肝入りとはいえ、私のような領地も無い者と結婚しても良いとは酔狂ですね。お相手はどなたか伺っても?」
殿下が目を通し終えた書類を渡してくる。その手の角度まで完璧である。相変わらず綺麗に整えられている爪だ。
確認して、担当省の部署ごとにまとめ直す。郵便係に渡すために封筒に入れてシーリングしてゆく。殿下の執務室の印である歯車と鍵穴。
ワックスは青藍色。殿下の瞳のお色である。
「ワタシ」
「ワタ氏? 申し訳ございません。寡聞にして存じ上げないお名前なのですが、どのような部門の? もしや他国の……。いえ、殿下のこれからに必要なのでしたら」
「いやいや、ワタシ」
殿下はヒラヒラと揺らめかせていた手を翻し、人差し指をすうっと立て自分の鼻の上にちょんと置いた。
「オルドノム公爵クラウス·スティウゼ。俺です」
美しい上に可愛いとか全人類の財産、目に納めるのが私一人で許されるのだろうか。
「は? 投獄されますか私」
「どうしてそうなるかな」
殿下の可愛いを独り占めした罪は国家転覆より重いのでは。だが言い訳ぐらいは聞いてほしい。ここには殿下と私しか居なかったんだ!!
「殿下直々のハニートラップであるならば、臣下としては引っ掛かるべき……。いや、諌めるべき、くっ」
「ハニートラップとして効果があるようで安心した。騙して無いし、投獄もないよ」
「それはようございました。ところで確認をさせて頂きますが」
「うん?」
「私の記憶違いでなければ、殿下にはご婚約者さまがいらっしゃるはずでは?」
そう。
国内最高峰の美女と名高い、トランファム侯爵家の一の姫。レディ·フレイア·コールドノー。生まれた時から決まっている、筋金入りの婚約者である。
クローバー蜜のような淡い金髪と春の萌野のような爽やかな若緑の瞳。内側から光を放つような、明るく溌剌とした笑顔。
殿下と並び立つとそれはもう、神の恩寵とはこの二人のためにあるのだと膝をつき涙を流しながら祈りを捧げそうになるという夢のような方々なのである。私はお二人のお茶会に同行する度、美しさに感謝する祈りを捧げている。心の内で。
「うーん。これは内密に頼みたいのだけれど、レディフレイアからは婚約破棄の申し出があってね」
「はあ。婚約破棄」
バキバキ。
手の中のワックス棒が細切れになったのだが。
「え、正気ですか? 」
「ルード、備品は大切に使うんじゃなかったの」
「後で溶かし直します。そんなことより、婚約破棄? は? 婚約破棄? 正気ですか? 」
「二回も言わなくても。俺は正気ですよ」
「殿下の精神が崇高なことなど当たり前のことです! トランファム侯爵家ですよ! たかが、地方領主が! 公爵との婚約を破棄! 向こうから? しかも破棄! 解消ではなく破棄! 」
「前々から思ってたんだけど、ルードはちょいちょい俺を神聖視しすぎるよね」
「殿下はご自分のお姿を眼できちんと見られるとよろしいですよ」
「ワタシが魅力的なのは知っているけれどね、ルードが見ている俺と俺の思うワタシとがちょーっと違いすぎるかなーって」
「いいえ! 殿下はご自分の魅力を解ってない!」
「うーん」
「殿下の麗しさは通常運転ですから今はいいんです! 問題は婚約破棄の方ですよ! 向こうから。トランファム侯爵家からの申し入れでもなく、レディフレイア個人から?! これを正気と言えますか? 」
「若い娘さんとしては至極真っ当な言い分だと俺は思いますよ。二十以上も年の離れたおじさんと結婚なんて嫌でしょう」
殿下は奇跡の御歳四十二。レディフレイアは花の十七歳。ご令嬢が十八になったら婚姻を結ぶ予定であった。
「承知の上での話でしたでしょう。向こうの方が乗り気でしたよね」
「侯爵がね。周りが言ってるだけで、フレイアは現実味無かったでしょうよ。生まれた時から知ってるおじさんでしょう。しかもこちらはあの娘のおしめを替えたこともある」
覚えていますとも。殿下付きになって初めての仕事がトランファム侯爵家へのお供だった。
「殿下が赤子の世話をしてみたいなんて言い出すから」
「仕方ないじゃない。あのときはタム夫人が手を使えなかったし、他に大人が居なかったんだから。まさか本当に婚約者になるとは思ってなかったからねえ。すっかり親戚のおじさんのつもりでいましたよ」
侯爵家には殿下の従姉妹が嫁がれている。その従姉妹の娘が婿を取り生まれた娘がレディ·フレイア。あ、相関図的には孫も同然じゃないか。
「サグス公爵家のレディ·アリスは三十離れている将軍と嬉々としてご結婚されてましたが」
「これこれ。他人と比べるんじゃありません。レディ·アリスはほら。野心に溢れてるから……」
「そうですね。あの方はいろいろアレでいらっしゃいますね……」
レディ·フレイアと同年代の子女の成功例として上げてみたが、特殊例であった。
「とはいえ、ワタシが来年結婚することは決まってしまっているからねぇ。相手が居なくなるのは都合が悪い」
そうだ。殿下のご結婚となると国の行事である。数年前から計画が練られ、来賓などそれとなくいつ頃のご予定がよろしいかなんて打診されている。そしてもう一年を切った。国教会の枢機卿も、周辺各国の大使の来訪も、内々ではあるがすでに調整されてしまっている。
今さら取り止めることは、様々なところに波紋を起こす。出来ない事はないが、主催としては最終手段でありたい。経済的にも対外的にも損失が大きすぎる。
子供の言い出したことでは済まされない規模なのだが、殿下はそうしてしまうおつもりなんだろうなー。可愛がってはいるものなあ。私とて、レディの花の顔が恐怖に青くひきつるのなど見たくない。
「トランファム侯爵とはもう話は付いてる。両家合意での抹消になった。そのように進める」
公式記録から婚約があったという事実ごと消しておくということだ。それでも人々の記憶には残る。
「正式な招待状を送る前で助かったね~。相手の名前を書き換えるだけで済む。ははは」
「ははは、じゃありませんよ。だからといって誰でも良いわけ無いでしょう」
「勿論だ。だからルードレット卿、貴方に打診した。色好い返事を貰えて嬉しい」
したりと頷くんじゃない。こちらは白目剥いて泡を吹きそうなんですが。
「いやいやいや。それこそ誰でも良いの極みじゃん! いや、待ってください」
「うん? 」
「貴方がおじさんであるならば」
「うん」
「私もおじさんなわけですよ」
「ルードはワタシより七つも年下だろう。若いじゃない」
「三十五は世間から見たら立派なおじさんなんです! そうじゃない! この場合は年齢でなくて、おじさんだってことです」
殿下はおじさん。私もおじさん。
おじさん×おじさん。
つまり男性同士である。
「我が国では同性婚は認められておりません。ご存知のはずです。たとえ法務局員全てが殿下に魂を抜かれ奴僕と成り果てようとも、法を冒すことは王族でも禁忌」
「ははは。ワタシだってそこまで横紙破りなつもりは無いよ。卿は俺を何だと思ってるの。酷いなぁ」
蕩けるような笑顔。そのなかに、ほんの少し申し訳なさそうな遠慮がちな翳りを漂わす。このお顔を向けられると全て殿下の言うとおりにしたいと思わされてしまう。恐るべき魅了の力を持つ顔面なのだ。直視してはいかん。囚われる!
私は絆されてはならんぞと、視線を殿下の肩の辺りへ逃した。
あまり意味が無い事は知っている。殿下はお顔だけでなく全身が魅了異常なので、何処を見たってその存在感に魂を引きずり出されそうだ。私の魂の戦いを知ってか知らずか、殿下は更なる火種をぶちこんできた。
「ワタシはαだし、ルードはΩだろう。異性だから問題はどこにも無いよね」
あー、そこねぇ。
我が国では同性婚は認められていない。しかし肉体性別と生殖性別のどちらか一方が異性となるなら、その限りではない。
そもそも今この国の王は女性型αで、その配偶者は女性型Ω。殿下のお姉様と嫁いできた遠国の姫である。αとΩなら、肉体性が同性でも婚姻を結べる。
第二性別が違うなら問題は無い。そう見える。
だからこそ私においては問題になるのだって。殿下もご存知のはずだろうに!
「御容赦を。私はこの年齢まで何の症状も出ていないんです」
「うん。でもΩだ」
「正式には、因子保有者です。九割βなんですが」
「国にはΩとして届出が出されているね」
そうだよ! 家の親は何を考えたのか、私をΩ登録してくれやがったのだ。基本的に我が国では、第二性別は十五までに発現しないと公的記録には登録しないのだ。因子保持があるだけのときは、保持者とだけ明記しておけば良い。それなのに!
殿下の美しい御手が、私のガッサガサの手を包み込んだ。そういや最近ハンドケアサボってたな。乾燥しやすいのだ。
「ワタシの予定を全て知っていて、同じ予定で動けて、秘密が漏れない。そんな素晴らしい良い相手はルードレット。卿しか居ない」
「御容赦を。かけまくもかしこき殿下は遠くにありて推し進めるもの!! 近い!! 供給過多!!」
「ルードはあんなに俺を大好きなのに嫌がるよね。合法的にワタシが手に入るんだよ? 」
「推しとは崇めることが尊いのであって、自分のものにしたいとか思う事は無いんですよ」
「ふぅん? 愛でたいものなら俺は自分の膝の上に乗せておきたいけどね。まあでももう言質は取ったからいいか」
「良くない! 無効です! 私は格の釣り合う他家との婚姻のつもりだったんです。こんな騙し討ちは認められません!」
「おや。ルードレット。貴方の言を取るならば、たかだか宮中伯が公爵からの申し込みを断わるなんて正気を疑う話しなんだよね」
「ぐっ!」
強火発言が自分を焼き尽くす幻覚を視た。
「はっ。陛下! 陛下が何とおっしゃられるか」
王族の婚姻は惚れた腫れたでは済まされない。
大前提として、国王陛下の許可が必要なのだ。そも惚れてもいないが。
王弟である殿下が思い付きで、その辺に居たから臣下と結婚しまーすなんてまかり通るわけがない。良かった、道はある。
「陛下には今朝申し入れて来たよ。ルードレット卿なら勢力図に大して影響が無いからいーんじゃないもとい運命の番が現れたなら仕方がないとおっしゃっていたね」
「うっそだろ……? 」
塞がれた。
かくして政略結婚は無くなり、殿下は真実の相手とめでたく結ばれることになったのだ。
それがこの私。宮中伯爵子息ルードレット·タガー卿だ。
冗談ではない。
…………。冗談では無いよなー。
「運命の番って、素晴らしいねぇ」
「常日頃クソクラエとか言ってるくせに……! 無理が有りすぎます、殿下。何年お仕えしてるとお思いですか。十七年ですよ。その間に番だと判別出来なかったとか胡散臭すぎます」
「真実などそれらしければ良い。背景は人が勝手に思ってくれるよ」
「何て心強いおっしゃりよう。ふぅ~~っっ。あー……、ディベー医師でよろしいですかね」
訴えたいことはある。しかし飲み込むしかない。
殿下の望む設計図を喜んで引いてくれる人物はごまんと居るが、こんな阿保みたいなことに巻き込んで良い人は限られてくる。金で片をつけてくれて、そこそこ信用の置ける医者となるとあの変態ぐらいだろうか。
「いや。ミス·マグノリアの方が良いだろうね。二十二年前に卿が発行して貰った処方箋の写しを保管してある」
「さすが周到でいらっしゃる」
まるでこうなることが予想されていたような手際ですね殿下。いや、待て。二十二年前って殿下に初めてお目通り叶ったあたりじゃなかろうか。お仕えする前だろうに、何でそんな時期まで遡る必要がある。
ミス·マグノリアは殿下の信者だからな。殿下が黒と言えば、白を黒く塗り潰してくるぐらいには信者だ。その信仰心から、二十二年でも十七年でも処方箋なんて造り出すだろう。彼女は今年でご勇退される予定だから、万が一バレて糾弾されるとしても余波が及ぶのを最小限で抑えられる。隙の無い人選ですね殿下。
これで私が第二性の抑制剤を長年使用しながら殿下にお仕えしていたという事実が造られてしまった。
薬局長まで巻き込むことになるとは、とんでもねぇ大仕事もあったもんだなァァァあ。
「さて、これで問題は無くなった。ワタシと結婚できるだろう? 」
「っ……」
だろう? もなにも勅命だろこれ。
「殿下のご命令ならやぶさかではございません……」
誰か、殿下は婚約破棄されておかしくなったんだって言ってくれ!
捕捉
殿下の一人称がぶれてるのは仕様です。
「俺」は割りと本音寄り。「ワタシ」は建前寄り。
作中では公爵と表記されていますが、王族の爵位持ちなので区別するために公式には大公と呼ばれています。




