叢雲山の四月(下)
上、中、下、同時投稿です
後書きにイラスト追加しました。
不要な方は、お手数ですが画像表示をオフにしてください。
小鬼達は歓声をあげて、手にした盃も高く上げた。
静音先生も真似をする。
傍を見れば、さゆりちゃんはジュースらしきものを、おばあちゃんは透明な清酒らしきものを、それぞれに目の高さまで持ち上げていた。
先程、たしかに同じ瓢箪から注がれていたのだが。
「いちばん好きな飲み物がいただけるのよ」
不審に思う静音先生に悪戯そうなウィンクをしながら、うんと小さな声で、おばあちゃんが教えてくれる。
楽しげな音楽が皆の表情を明るくする。黙って聞く鬼、手拍子する鬼、そんな様子を描く鬼。小鬼達は思い思いに楽しんでいる。
曲の途中で、黄色い小鬼は喇叭を降ろして歌い出す。これがまた素晴らしい。ダミ声ながらにハリのある心に響く声だった。
しわがれ声が山の木々を跳ね回る。それからまた、喇叭が丸い音を弾ませる。
じっと聞く者、お喋りする者。そこには、静かにお行儀よく聞くだけでは得られない、いきいきとした喜びがあった。
静音先生は、彼等を黙ってニコニコと見つめている。時々、小さな盃に唇を寄せ、琥珀色の酒を舐める。
奥行きのある良い酒だ。華やかな音楽によく合う、心を満たす酒である。
合間に水を含めば香りが際立つと言う人もいる。ビールを口休めにして味の幅を楽しむ人もいる。しかし、静音先生はチェイサー無し。そのままちびりちびり舐める派である。
演奏を終えて、拍手喝采の中を黄色い小鬼が静音先生に近づいて来た。静音先生の盃は、空になっていた。
「いい曲でしたねえ。鬼の里に伝わる唄ですか?」
「ありがとう!俺のオリジナルで『叢雲山の四月』って曲さ」
「あなたの曲でしたか!」
驚く静音先生に、黄色い小鬼は大きな口をにいっと広げて、とても嬉しそうな様子を見せた。
小さな牙が真っ白く覗く。口の中まで黄色なのが、静音先生にはなんだかちょっと可笑しかった。
「俺、らっば!」
黄色い小鬼はそう名乗ると、手にした楽器を皆の座る布の上に置いた。それから、近くにいた先程の茶色い小鬼から飴色の瓢箪を受け取る。そして、らっばは静音先生の盃に琥珀色の酒を注ぐ。
「これはありがとうございます」
静音先生は、満面の笑みで飲み干した。
普段はちびちび派だが、こういう時の作法もさらりとこなす。静音先生は、滅法酒に強いのだ。
「お返し、おひとつ」
らっばは先生の差し出す盃を受け取り、飴色の瓢箪を差し出す。
「えっ」
静音先生が受け取るなり、瓢箪はみるみる大きくなった。中肉中背の静音先生が抱えるほどの大きな瓢箪になってしまった。
「不思議よねえ」
「ねっ」
おばあちゃんとさゆりちゃんが、楽しそうに言った。
「どうぞ」
静音先生は、気を取り直してらっばに返杯を注ぐ。
「ありがとう」
らっぱも先生と同じように、自分の盃をぐいっと干した。
「さあ、食べて食べて」
「呑んでばかりじゃ悪酔しますよ」
銀色角をした水色のおばさん小鬼と、灰色角を持つ若そうな白い娘さん小鬼がご馳走を勧める。
どちらも10センチ位である。ここの小鬼達は皆、同じ身長だ。きっと生まれた時からずっと同じ大きさなのだ。
「せんせい、くだものおいしいよ」
さゆりちゃんもお勧めを教えてくれた。
「らっぱ、食べる?」
黄色い小鬼が、角も体も緑の小鬼から小皿を勧められている。
「俺は酒だけでいいよ」
「じゃあ、貰うよ」
「うん」
らっぱはおつまみいらない派のようだった。緑の小鬼が大人しく小皿を引き受ける。
和やかな会話がどこへともなく流れてゆき、やがて川辺のおばあちゃんが腰を上げる。
「それじゃ、そろそろお暇しますね」
さゆりちゃんも、ぽんと立ち上がる。
「またねー」
静音先生も席を立って裾を払う。
「また来いよ」
「そうだね、来るよ」
らっぱの小さな黄色い手が、静音先生の人差し指を握る。
「じゃ」
「じゃ」
石の鳥居まで来ると、つららが盃を大きくしてくれた。3人とつららがゆったりと乗れる大きさだ。
「来るときは、ばあちゃんと一緒にな」
「その羽が無いと里には入れないのよ」
「これね、おばあちゃんのなの」
「虹色の羽は、一年に一本しか抜けねえのさ」
「らいねんは、あたしのばん!」
どうやら、さゆりちゃんは持たせて貰っているだけで、自分の分は来年貰える約束のようだ。
「先生は、再来年な」
「はい、ありがとうございます」
静音先生は、遠くの街から来たのだけれども、もうすっかり住み着くつもりだ。
「さあ、乗ろう」
来た時と同じように、3人とつららは盃に乗り込む。
盃が浮き上がると、鳥居の向こうから虹色の光が溢れ出た。光は見る間に鳥の形をとり、音もなく盃へと迫る。尾の長い美しい鳥だ。
「やあ、雲鳥さん、お見送りありがとうよ」
「ばいばい」
「雲鳥さん、さようなら」
さゆりちゃん達が口々に言う間、静音先生は感心したように虹色の鳥を眺めていた。盃と同じくらいの身体を、大きな羽と尾が悠然と運ぶ。
ちらり、と皆を見やると、虹色の鳥は羽ばたきと共に更に高く昇って行った。
見上げると、黄色く夕方を告げる太陽を遮り、ゆっくりと大きく旋回し、そのまま空へと溶けてしまった。
「先生、ご遠慮なさらずいつでもおっしゃってね」
「はい、よろしくお願いします」
「またいこうね!」
「そうだね」
「らっぱ、じょうずだったねえ」
「ええ」
「そうだねえ」
さゆりちゃんは、覚えたばかりの『叢雲山の四月』を口ずさむ。途中でふっと、音が消えた。
「あれっ、忘れちゃった」
麓を目指して飛びながら、3人は、四月の空に透き通った笑い声を響かせるのだった。
(完)