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叢雲山の四月(中)

上、中、下同時投稿です



「あのね、これから、おやつたべるんだよ」

「鬼の里で取れる珍しい果物なんですよ」

「さゆりちゃんが、先生も呼びたいってさ」


 静音先生は、突然の事にどう答えたら良いか解らなかった。戸惑っているうちに、さゆりちゃんとおばあちゃんは、道幅いっぱいに止められた鮮やかな丹塗りの盃に再び乗り込んでいた。


「しずねせんせいも、のって」


 道にはいつの間にか、ちょうど良い高さの踏み台が置かれていた。

 さゆりちゃんに促されて、静音先生は恐る恐る盃に乗り込む。


 盃の底には見事な筆致で徒良ゝ《つらら》、と金泥の文字が書かれていた。

 おばあちゃんが盃から身を乗り出して踏み台を回収すると、いよいよ出発だ。


 静音先生は、踏み台が消えるかと思ったが、盃の底に置かれただけだった。きっと、取り出す時にはうっかり見逃したのだ。



 ふわり、と巨大な盃が四月の空に浮かぶ。


「ふふっ、驚いたでしょう?」

「おにのさかずきだよっ」


 さゆりちゃんは得意そう。

 悪戯そうに笑う、川辺のおばあちゃんの短く整えた白髪が風にそよぐ。

 おばあちゃんは、たまにさゆりちゃんを迎えに幼稚園まで車で来る。静音先生とも気さくに話す。


「ええ」


 静音先生は、それ以上言葉が出てこなかった。



 眼下に煌めく美澄川を遡り、今来た道を何倍も速く戻って山頂に着く。

 緑色の芍薬みたいなまあるい小山の頂上は、静音先生達がお昼を食べた時よりも鳥居の影が少しだけ長くなっていた。


 そのまま地面に降りることなく、大きな盃は古い古い石の鳥居を潜る。


 言葉も無く目を見開いた静音先生の袖を、さゆりちゃんが伸び上がって引っ張った。


「しずねせんせい、おにのさとだよ!」



 そこでは四季の花々が美しく咲き乱れ、色鮮やかな鳥達も地味な色合いの小鳥達も、みな嬉しげに鳴き交わしていた。


 高い木々は遥か頭上に枝を差し交わす。木漏れ日を浴びたリス達は、身の丈よりも大きな尻尾をゆさゆさと揺らしながら、幹から枝へ、枝からうろへと駆け回る。


 ごつごつと木の根が絡まる地面には、仄かに光るキノコが生える。苔の上に広げた柔らかな薄布には、宝石のように輝く見事な野菜が並んでいる。


 生のまま眼にも艶やかに盛り付けられたもの、見たこともない果物と共に煮込んであるもの。

 どれも見ているだけで心が弾み、食欲が湧く。


 里の入り口で鬼の盃を降りる。盃はしゅうっと小さくなった。つららは、その手に乗る程に縮んだ盃をポケットにしまう。



「しずね先生かい」


 布の上で賑やかな宴会を繰り広げていた、体長10センチ程の鬼たちが立ち上がって寄ってくる。


「きたな」

「たーちゃんから聞いてるよ」


 たーちゃんとは、川辺さゆりちゃんの渾名だ。自分の名前である「さゆり」がうまく発音出来ず、時々「たーり」「たうい」となってしまう。

 それでも、入園したてだった2週間前よりは、だいぶ言えるようになってきた。子供の成長ははやいものだ。


「ほら、突っ立ってないで」


 面倒見の良さそうな、水色のおばさん小鬼が静音先生のズボンを摘む。小さなツノは銀色で、虎縞ワンピースを着ている。

 今日はよく服の端を引っ張られる日だ。

 静音先生は、そんな関係のないことを考えながら、促されるままに宴席に加わる。



「それじゃ、おひとつ」


 つららと呼ばれる赤い小鬼が、お猪口のような小さな盃を差し出す。先程乗った不思議な盃より明るい朱色の酒器だった。


 静音先生が親指と人差し指で挟むようにして受け取ると、磨き込まれた飴色の瓢箪がひょこひょことやってきた。口に紫の房紐を巻きつけた瓢箪は、ちょうど小鬼たちの背丈程である。



 朱色の小さな盃を受け取った時の腰を曲げた姿勢のまま、静音先生は動く瓢箪を凝視する。

 やがて傾く瓢箪には、にゅっと茶色い手が生える。尖った爪の小さな片手が、瓢箪の口に差さった口栓に伸びた。



 きゅぽんと小気味良い音を立てて、口栓が抜かれ、瓢箪は更に傾いた。

 すると飴色に光る瓢箪の陰から、上等な漆器のように艶々とした黒い角を持つ茶色い小鬼が現れた。

 瓢箪は、この鬼が持っていたのだ。



「ん」


 無口な職人風の小鬼が、静音先生の盃に香り高い琥珀色の酒を注ぐ。


「これはこれは。清酒かと思えばウヰスキーですね?」


 静音先生は、思わず正しい発音をしてしまう。それ程よき酒であった。


 や行のいはwiである。属に言う重たいイである。だが、通常嫌がられるので、静音先生は普通に発音するように気をつけていた。



「あは!いい耳だねえ」


 集団から出てきたのは、ギョロ目の黄色い小鬼だった。ピンクの縮毛に真鍮色の小さな角が埋もれている。草臥れた喇叭みたいな渋い色の角だ。

 口は他の小鬼達より大きく、全体的にユーモラスな雰囲気である。


 手には、何やら喇叭のような物を提げている。


「ねえ、もしかして、歌う人?」

「え、いや、音痴だから。カラオケ程度はたまに」

「ふうん?勿体無いなあ」


 ピンク巻き毛の小鬼はそう言うと、少し離れた岩の上に登る。それから、すっと喇叭を口にした。しばらく音を出して調子を確かめたあと、小さな楽器からは想像も出来ない華やかな音が、小鬼の里に響き渡った。


お読み下さりありがとうございます

続きもよろしくお願い致します

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