叢雲山の四月(上)
上、中、下同時投稿です。
背景には、明るいジャズがお勧めです。
例えば、こちらは如何でしょうか?
On the Sunny Side of the Street(明るい表通りで)ジミー・マクヒュー作曲、ドロシー・フィールズ作詞1930年
サッチモことルイ•アームストロングの名演でお馴染みのこの曲は、ジャズのスタンダードとして色々な演奏が発表されています。
お好みの音源で流しながら、叢雲山で過ごす四月をお楽しみくださいませ♪
叢雲山は低山だけれども、4月の朝はまだ寒い。2年保育の美澄幼稚園では、この山で5月にある遠足の下見として、先生方が総出で春山登山を行う。
新卒の恵良静音先生は、柳和夫園長先生と話しながら緩やかな山道を歩いていた。
「どうですか。女性の多い職場ですから、男性は力仕事や高いところの物を取るのに大活躍ですよね」
「はあ。皆さん気さくな方で」
園庭の桜はもう終わりかけているが、この山ではまだ盛り。遅咲きの牡丹桜が枝も狭しと華やかに咲いている。
赤やピンク、白や絞りに咲き初めた躑躅が彩る単純な山道だ。倒木や地滑りを細かくチェックしながら、静音先生達はのんびりと登る。
後方では、女性教員3人が賑やかにお喋りしながら道々の写真を撮影している。
「ももぐみの子供達は、活発な子が多くて大変でしょう?」
「いえ、みんな可愛いです」
淡々としていた静音先生に笑顔が溢れた。
「それはよかった」
年少さんはももぐみ。年少さん園児は今年5人いて、近年では多いほうだ。美澄幼稚園は、私立の小さな幼稚園である。自然が豊かな美澄川流域に位置する以外には、これといった特色はない。
だいたい4歳のももぐみさんは、5人揃って活発だ。大人しくお教室で絵本を読むタイプが1人もいない。
静音先生は、活発な子供が好きだ。大人しい子はむしろ少し苦手である。こちらから働きかけるよりも、対応するほうが好きなのだ。
「可愛いですけど」
「疲れますよね」
「じっとしてない」
美澄幼稚園の先生方は、園医さん含めて全部で5人。穏やかなタイプばかりなので、突撃幼児が5人も揃うと少しうんざりしてしまう。静音先生の感じ方は、女性3人には共感されなかった。
「わあ、随分古い鳥居ですね」
山頂には、大きな石の鳥居があった。
「あれ?」
鳥居の影に、一瞬ももぐみさんの川辺さゆりちゃんが見えたのだ。今日は美澄幼稚園がお休みなので、叢雲山まで遊びに来ていてもおかしくは無い。
見かけたこと自体は不思議に思わなかった。
静音先生が気になったのは別のこと。確かに見えたのに、慌てて鳥居の奥に引き返したさゆりちゃんは、どこかへ消えてしまった。
鳥居の向こうには何もない。
「御社は遠い昔に無くなったみたいですよ」
静音先生が鳥居の回りを不思議そうに調べていたので、園長先生が声をかけた。
「そうですか」
静音先生は、何かが引っかかった顔をしながら、鳥居のこちらに戻って来た。皆と合流して、お昼である。
ハイキングにはよいお日和だが、頂上には美澄幼稚園の先生方しかいない。広々とレジャーシートを広げる。
たわいのないお喋りをして、早々に下山する。時間配分や水分休憩のタイミングについて話すうちに、麓の駐車場まで来た。
報告書は明日でいいから、と流れ解散になった。
朝乗せて頂いた柳園長先生の運転する幼稚園公用車に誘われたが、静音先生は遠慮した。
なんとなく、もう少し歩きたくて断ったのだ。
「そう?それじゃまた明日」
それぞれの車が走り去り、静音先生も歩き出す。日はまだ高い。春先のおやつ時だ。
川沿いの道をぶらぶら歩く。叢雲山から流れ下る美澄川は、春の長閑な陽を照り返しながら遥かな海を目指す。
川風が水と苔と土の匂いを運んできた。ハイキングで汗ばんだ額に心地よい。
静音先生は、首にかけたままにしていた登山用の速乾タオルでぐるりと頭ごと汗の滴を拭く。
「んんっ?」
汗拭きついでに見上げた空に、変なものが飛んでいた。それほど高い位置ではないが、静音先生の頭よりは上だ。
それは、視界いっぱいを塞ぎ空を隠す、丹塗の平椀か盃のようなものであった。糸底だけでも静音先生の頭がすっぽり潜ってしまいそうだ。
「しずねせんせー!」
「さゆりちゃん、危ねえよ」
ももぐみの川辺さゆりちゃんの元気な声と、何だかおじさんみたいな声がする。丹塗の盃から下を覗くさゆりちゃんを支えるように、上品な老婦人が手を添えていた。
その人は、ご夫婦で「民宿川辺」を営む、さゆりちゃんのおばあちゃんだ。おじさんの姿は見えないが、中に座っているのだろうか。
見ているうちに、盃が降りてきた。地面に着くと、さゆりちゃんが飛び出す。青い燕の飾ボタンで作った、自慢のヘアゴムが二つ結びの髪と一緒に跳ねる。
さゆりちゃんは、30センチもあるかと思われる虹色の羽を一本、右手にしっかりと握っている。
続いておばあちゃんが降りてきた。爽やかな白いレース編みのチュニックを、活動的な濃紺のスラックスに合わせている。
「せんせー、さっき、おやまにいたでしょ」
「うん、いたよ」
「みんなをよんできたら、もういないんだもん」
「みんな?」
「いまはいないよ」
4歳児の説明は、根気よく聞かないと解らない。ももぐみさん皆で登山したのかもしれない。
「誰がいたの?」
「つららと、みんな!」
「つらら?」
静音先生がわからなそうに聞き返す。
「つららだよ!」
さゆりちゃんは、両手に何かを乗せて突き出してきた。ぬいぐるみだろうか。体長10センチ位の赤い鬼のようなものだ。
「よっ!つららだ。よろしくな」
小さな体からは想像のつかないような、おじさんそのものの声がした。氷のように透明な角が生えている。もじゃもじゃの黒い髪の下で、陽気な笑顔を見せていた。
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