年不相応肉
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、ちょっと買い物に出ただけなのに、あたりはすっかり真っ暗ね。秋の日がつるべ落としなら、冬の日は垂直落下ね。太陽だけじゃなくて気温も駄々下がりだし、体調を崩す人が出てくるのも無理ないわ。
つぶらやくんは、どれくらい厚着してる? 私は生地にもよるけど、5枚は着ないと夕方に出歩くことできないわ。ちょうど掛け布団と同じくらいの枚数ね。まあ元気な人は元気な服装なんだけど。小学生とか。
……そういえば、服装で思い出したけど、うちのおじさんも昔、妙な服装というか恰好をした人を見かけたっていってたわ。つぶらやくんに、おあつらえ向きの話題だと思うんだけど、興味ないかしら?
おじさんは小さい頃から寒がりで、年が明けると通学時にはコートに手袋、耳当てが欠かせなかったと話していたわ。みんなが比較的薄着をしている時だってそうなのだから、陽がかげって気温が低い時なんだ、地獄だったようね。
その日も学校からの帰り道。すでに辺りが暗くなりかけていて、おじさんは手袋をはめた手をごしごしこすり合わせつつ、肩をいからせながら家へと急いでいたの。
けれど、その帰り道でおじさんは見てしまう。道路を挟んだ向こう側にある洗車場。いくつかの敷居で区切られて、機械の中で車たちが四方八方からブラシの洗礼を受けている。それを待っているだろう、人のひとりがほぼ裸だったらしいのよ。
寒中水泳をするかのような、ふんどし一丁。こちらに背中を向けたまま両手を万歳させながら、風を受け止めている。先ほども話したように、おじさんは身を縮こまらせなくてはいけないほどの、寒風を感じていたわ。思わず「正気か?」と視線が釘付けになってしまう。
じっと動かないふんどしの人。がたがた震えながらも、動こうとしないおじさん。その均衡は二人の間で――とはいっても、歩道も挟むから十数メートルは離れているのだけど――車が何台か行き来してから崩された。で、おじさんの顔もちょっと引きつったものになる。
横を向いたふんどしの主は、隣の家に住んでいるおじいさんだったのよ。いまだ髪がほとんど白くならないから若く見えるけど、孫がおじさんとほぼ同じ年齢。ここのところ、背が縮んできたとかきていないとか、聞いていたような気がする。
てっきり、こんなところで裸になるということは、身体がすごいんじゃないかとおじさんは思っていたみたい。ボディビルダーのように、ムキムキなマッチョの姿を想像していたとか。
でも、その体格は貧相そのもの。脇にはあばら骨の浮かぶ、やせぎすな身体がそこにあったの。おじさんとしても、「ちょっとみっともないなあ」と感じてしまうぐらい。
おじいさんの車も、ちょうど洗車が終わったところ。車の中に服を積みっぱなしだったららしく、ドアを開けると中から下着類を取り出し始める。変なものを見ちゃったかも、と思いつつも、おじさんはまたも寒さを感じ出し、改めて家へと足を向けたの。
それから数日後。家でくつろいでいたおじさんは、私の祖母にあたる母から回覧板を回してくるよう、お願いされる。おじさんの家の次は、例のおじいさんの家だ。
洗車場でのことを思い出してしまい、ちょっと顔をしかめるけれど、すぐに帰れば大丈夫さと、そそくさと玄関で靴を履く。このわずかな間でも、防寒の準備はばっちりだ。
その日はよく晴れた日だった。わずかに雲がかかっているけれど、ほとんどが青い部分。家の門扉を出れば、わずか数歩で隣のおじいさんの家。そこでインターホンを鳴らし、出てくるおじいさんに回覧板を渡して、即撤収……のはずだった。
いたのよ、おじいさんが外に。それも裸で。今回はさすがに下はジーンズを履いていたけれど、上半身は素っ裸。そして家の前に車を止め、今度は伸ばしたホースの先にシャワーのノズルを取り付けて、自分で車に水をかけている。
――めちゃくちゃ、声をかけづれえ……!
おじさんも、どうしたものかと、つい動きが止まってしまったわ。車道と歩道を挟んだあの時と違い、今度は目と鼻の先。いやでも貧弱な低身長ボディが、網膜に映り込んでしまう。
少し、時間を置いてからにしよう。おじさんが踵を返しかけたところで、不意に足元に転がり落ちるものがあったの。
それは手に持っていたはずの回覧板。片手とはいえ、しっかり握っていたものが、今は玄関前のタイルの上で、かたかた震えている。落下した時の衝撃が、まだ残っている証拠。
その握っていた指もおかしい。結んだり、開いたりができないの。回覧板を放してしまった時の手の形で、こちらも震えが止まらなかった。しかも、心なしか皮膚がみるみる青ざめている気がする。いや、それどころか無事なはずの手の甲から、おのずと皮が破れて、血がにじんで、肉が垂れ始めて……。
「おっと、そのまま引っ込まん方がいいな。そこにいなさい」
声に振り返ると、隣のおじいさんが水を出しっぱなしのシャワーを手にして、門扉の前に立っていた。もちろん服をまとわぬままに。
そのおじいさんが、さっと軽く身体にシャワーからの水をかける。そのままシャワーを放り出すと、おじさんに向けて万歳の姿勢を取る。あばらも、薄い胸もおしげもなくさらけ出し、おじさんは戸惑いを隠せない。
けれども、手に感じていた痛みが引っ込んでいく。見ると、溶けかけていくかとさえ思えた皮が元通りに。破れた部分も、色を失いかけた部分も、ビデオの早回しのように戻っていく。やがては、指の自由だって。
「もう大丈夫かな?」とおじいさんが声をかけてくる。しばしあっけに取られていたおじさんだけど、これ幸いと回覧板を拾っておじいさんに渡したわ。
その時、おじいさんが話してくれたのだけど、人の身体ってひんぱんに、自分だけの力じゃ代謝が上手くてできない時があるらしいの。先ほどのおじさんなんかは、その極端な例。あのまま放っておくと、血肉が骨からはがれていって、しまいには骨まで溶けて、身体が肉だまりと化してしまうとか。
だからおじいさんは、ひんぱんにひと肌脱いでいる。文字通り、身を粉にして周囲に飛ばすことによって、代謝の手助けをしているの。その際、自分の身体を運ぶのに最も適しているのが、水のしぶきなのだとか。
半信半疑のおじさんだったけど、実際、亡くなられるまでのおじいさんは、年々、背を縮め続けていたみたい。ひょっとしたらお年寄りの背が小さくなるのは、背骨が曲がるとかとは違う原因があるかも、と考えているのですって。