第71話 閑話 宮田琴歌
また二、三週間後かと思ったそこのあなた。一時間半後でした!()
初めにおにぃを意識したのは、多分小学三年生の頃。今から二年前、琴歌はお父さんとの些細な喧嘩で家出をした時。
思わず家から逃げた先は、歩いて十五分くらいで行ける小さな公園のベンチ。時間は夕方を少し過ぎたくらいだったから暗くなり始めていて、街灯が公園を照らしていたのが何だか心細かった。
三十分もしないうちに、琴歌は怖くなって泣いてしまった。このままずっと一人だったらどうしよう。もう一生お父さんに許してもらえなかったらどうしようって。
でも、そんな中琴歌を見つけてくれたのはおにぃだった。
その頃おにぃは中学三年生の時。友達と何かあったのか、夜ご飯の時はいつも楽しそうに学校での話をしてたおにぃがパッタリと話さなくなった、そんな時。
“琴歌! こんなところにいたのか! ダメだろ、勝手にいなくなっちゃ……!”
見つけてくれたおにぃの姿は今も目に焼き付いている。全身に汗を滲ませながら、まるでガラス細工のお人形さんを扱うように琴歌を丁寧に抱きしめてくれた。
あの時から、おにぃはずっと琴歌のヒーローだ。
◇
おにぃから逃げ出して辿り着いたのは、やっぱりいつかの公園のベンチ。嫌なことがあるといつもここに来てしまう。
今はまだお昼過ぎだから、琴歌より少し小さいくらいの小学生の子達が楽しそうに遊んでいる。
「……っ……」
……ダメ。気を抜いたら泣きそうになっちゃう。琴歌はぐっと堪えて唇を噛み締める。
スカートをぎゅっと握って下を向いてると、誰かが琴歌の前に立ち止まった。誰だろう、さっき遊んでいた子かな……。
恐る恐る顔を上げると、前にいたのは高校生の女の人。身長は多分低めだけど、女の子らしいスタイルの可愛らしい人。
……道でも迷ったのかな?
「泣きそうになってるけど、どうかしたの? わたしで良かったら話聞くよ?」
「……大丈夫、だもん」
お姉さんは屈んで聞いてくれる。素っ気なく断ったのに、小さく微笑んで琴歌の隣に腰を下ろした。
「ふふ、じゃあわたしの相談に乗ってもらって良い?」
「お姉さんの……?」
「わたしね、この前好きな人に振られたんだ」
「……!」
振られた……! 琴歌と同じだ……!
「その人はわたしの先輩だったんだけど、他に好きな人がいるって言ってたの。……厳密には好きとはわからない、だったかな?」
「好きとはわからない……?」
「うん。先に理想の相手と出会ってしまった、って。その二人は二人にしかない秘密もあって、そこにわたしは割り込めないんだ」
「……琴歌も」
「!」
お姉さんは琴歌が話そうとすると目を丸くする。別に名前しか言ってないんだけど、何か驚くようなことあったかな……?
「琴歌もね、割り込めないの」
「……凄い偶然だなぁ」
「? 何が?」
「ううん、こっちの話」
お姉さんの大きくて丸い目はどこか遠くを見ているよう。吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳。
「好きな人に振り向いてもらえないのって、とても悲しいことだよね」
「……うん。もし関係が違ってたら、って何回も思った」
「ふふ、似た者同士だね」
「お姉さんも?」
「何で歳下だったんだろうとか、何でもっと早く出会わなかったんだろうとか。どうしようもない後悔はいっぱいあるよ」
……好きになってもらえたら、なんていつも思ってる。だから隠してたのに。
「琴歌ちゃんはその人を好きになったこと、後悔してる?」
「……好きじゃなかったら、こんなに悲しくならなかったもん」
「そっか。わたしは後悔してないよ」
「え? でも振られたんじゃ……?」
「うん。ちゃんと告白して、ちゃんと振られた。振ってもらえた」
振ってもらえた……? 振られるのは悲しいことなのに、何でそんな風に言えるんだろう……?
「好きな人に精一杯告白して、好きな人が正面から向き合ってくれたんだよ。そんなの後悔するはずがない」
「……お姉さんは強いんだよ。琴歌はそんな風に思えない」
「ううん。だって琴歌ちゃんとわたしは似た者同士だもん」
隣に座るお姉さんはきゅっと琴歌の手を握ってくれる。柔らかくて温かいその手はおにぃのような頼れるしっかりした手じゃないけど、なぜだか心が落ち着いく感覚を覚えた。
「告白した言葉、言える?」
「そんなの……。……、あれ?」
「ふふっ、じゃあまだ琴歌ちゃんは告白してないんだよ。だったらまだわたしの気持ちは分からなくて当然だね」
「……でも、振られるのはわかってるのに」
「先人からの……は小学生じゃ知らない言葉かな。……うん、先輩からのアドバイスね」
握った手の力を強くして、お姉さんは琴歌と両目を合わせる。
「振られて良かったって思える告白ってね、実は存在するんだよ。自己満足でも何でもなくて、向き合ってくれたことが嬉しくなるような、そんな告白。琴歌ちゃんの好きな人はちゃんと向き合ってくれるよ」
すっと手を離して、お姉さんは立ち上がる。琴歌は静かに手をスカートの上に置いた。
握ってもらった熱が、何だか残ってる気がする。
「ふふ、良かったね琴歌ちゃん。迎えに来てくれてるよ」
頭にハテナが浮かぶ。琴歌はお姉さんの向く方を見ると、一人の男の人がこっちへ一目散に走ってくる様子が見えた。
その姿はまるでヒーロー。傷付いたお姫様を助けに来てくれるような、琴歌にとって一番カッコ良い存在。
「琴歌! やっぱりここにいたか……!」
おにぃは息を切らしながら肩で呼吸する。琴歌の前に立った時に、後ろから遅れて愛哩さんも到着した。
……愛哩さんを置いてきてまで走ってきてくれるなんて。痛いはずの胸が、ほんのり潤った気がした。
「じゃあ、後は任せますね。悟先輩」
「え……? ……え!? 何で未耶ちゃんがここに居るの!?」
「たまたまです。それより」
おにぃとお姉さんが知り合い……? おにぃは混乱した様子で琴歌とお姉さんを交互に見る。
「わたしにしてくれたように、琴歌ちゃんにもしっかり向き合ってあげてくださいね?」
「……ありがとう、未耶ちゃん」
お姉さんの言葉に琴歌はハッとする。
“わたしにしてくれたように”
似た者同士って言葉がそこで初めて重さを持つ。お姉さんは初めから全部知ってて、琴歌の相談に乗ってくれたんだ。
……初めにお姉さんから相談してくれたのも、琴歌が話しやすくするためだよね。
お姉さんはおにぃと、それから愛哩さんにペコリと頭を下げて公園から出ていく。最後に琴歌の方へ振り返って笑いかけてくれたのが印象的だった。
「……ねぇ、おにぃ」
「どうした?」
「琴歌の告白、聞いてくれる?」
今のが既に告白みたいだけど、そんなツッコミはしないで、おにぃは無言のまま頷く。
……手が小さく震える。これを言っちゃったら、琴歌はおにぃに振られてしまう。結果のわかった告白だけど、やっぱりどうしても緊張してしまう。
だけど、さっきお姉さんに手を握ってもらったから。その熱を思い出すと、怖かった震えはゆっくり収まった。
「……おにぃはおにぃだよ。シスコンで琴歌のことが大好きで、逃げ出した時はいつも見つけてくれるヒーロー」
声色が揺れる。涙が零れそうになる。
全部無視して、告白を続ける。
「血が繋がった実の兄妹ってことは知ってるよ。それでも、それでもね……」
頬に流れたのは小さな雫。それでも頑張って、琴歌は前に立つおにぃを見上げた。
「琴歌はおにぃのことが、好きです」




