エイプリルフール短編
夜に窓を開けても寒さを感じなくなった三月も末日の頃。初めてのレセプションが後処理も含めて無事終わり、いよいよ受験期の三年生を迎えるまでの僅かな余暇に、俺は一人自室で恋人である愛哩と通話していた。
『ねえ悟くん。明日みんなで行くお花見さ、せっかくエイプリルフールなんだしちょっと遊んでみない?』
電話越しの愛哩はいつもの調子でそんなことを言う。声色が少し弾んでる辺り、また変なことでも考えてるんだろうなぁ。
「一応聞くけどさ、元々の予定のお花見とは別に何かするってことだよね?」
『そ。お互いがついた嘘に全力で乗っかるゲーム。相手の嘘がバレたら負けだよ』
「……それって例えば俺が『実は女でした』とか言ったら簡単にゲームが崩壊しない?」
『そこはほら、反則負けみたいな?』
ルールが緩いなぁ。まあお遊びだからってことなんだろうけどね。
「別に良いけど……流石にとんでもなさ過ぎる嘘については他人のフリをするからね?」
『大丈夫大丈夫、度が過ぎるような嘘はつかないよ』
本当か……? こういう時の愛哩って意外とふざけるから心配なんだけど……まあ今考えても仕方ないか。
『じゃ、また明日ね』
「うん。おやすみ」
通話を切ると、俺は仰向けにぼふっとベッドへ寝転がった。
「……うーん」
「何唸ってるの? おにぃ」
声のする方へ目を向ける。そこには妹の琴歌が不思議そうな顔をしており、手にはプリントを持っていた。春休みの宿題が分からなかったのかな。
「……唸ってる理由説明するの難しいな」
「あっ! また琴歌のこと子ども扱いしたでしょ!」
「子ども扱いというかそもそも前提がというか……。……そうだ琴歌、明日はエイプリルフールだけど何か嘘はつく予定?」
「何その質問? ……そうだなぁ、おにぃなんて嫌い! とか?」
「反抗期はまだ早いよ」
「琴歌だって反抗期だもん!」
まあまだ早いっていうのは俺に対して言ったことだけどね。いつも仲良くしてくれてたのに急に舌打ちとかされたら多分すっごい落ち込む。何なら一人になった時泣くんじゃないかな。
寂しくなってちらっと琴歌を見る。
(……おにぃのことが嫌いになるなんて絶対にないけど!)
なんて心の中では嘘って思ってくれてる辺り、やっぱり琴歌に反抗期は似合わない。というか出来ることなら一生来ないで欲しい。この歳になって妹に泣かされるなんて恥ずかし過ぎる。
「……ん? そっか、エイプリルフールの嘘って相手を驚かせるって考えたら良いのか」
「まあさっきのはおにぃに嫌いって言ったらどうなるかなって思って言っただけだし、そうなのかも?」
こてんと小さく小首を傾げる琴歌。正直嘘なんてつき慣れてなかったからわからなかったけど、そういう方向性で考えたら何とかなる気がしてきた。
「ありがとう琴歌。参考になったよ」
「そう? だったらここ教えて欲しいんだけど……」
そう言って琴歌はプリントを見せてくる。やっぱり春休みの宿題だ。
いやまあ、それはそれとして。
「……春休みの宿題、まだ終わってなかったの?」
「べ、別にいいでしょ! だって間に合うんだもん!」
兄妹でもこういうところは結構似てないんだよな。俺は基本的にすぐ終わらせるし。
ベッドの隣をぽんぽんと叩こうとして、俺は手を引っこめる。
……確かこれは良くないんだったよな。あの一件から結構経つけど、未だにしてしまいそうになる自分を心の中で戒める。
「隣座りなよ」
そう言うと琴歌はパッと顔を輝かせて、意気揚々と隣に座った。
◇
翌日、天気は雲一つない快晴で、絶好のお花見日和というに相応しい陽気だった。
今日のお花見は現地集合だ。俺は言われていた場所へ丁度十分前に到着すると、そこには彩やかな桜を背景に既に場所取りを済ませた音心と未耶ちゃん、立花さんにそして愛哩がブルーシートに腰を下ろしていた。
「あ、悟くん。こっちだよ」
「遅いわよ」
「女の子を待たせるなんて何事ですか先輩!」
「それは謝るけど……ちなみに操二はまだ来てないの?」
「? アンタの後ろに居るじゃない」
「居るぜ!」
「うわぁ!?」
突然聞こえてきた操二の声に思わず仰け反る。その勢いでぼすっと操二の胸に抱かれた。
「どしたん悟クン熱烈なアピールなんかして。もしかしてオレのこと好きになっちゃった?」
「そんなわけないけど!?」
「……悟くん? 悟くんの恋人は誰?」
「男相手に嫉妬するのは違くない!?」
「お二人とも、変なことはしてないで早く始めましょうよ」
それまで静かにしていた未耶ちゃんは会話の間隙を縫って進行してくれる。本当、一年前とは比べ物にならないくらいしっかりしたなぁ。
俺と操二がブルーシートに腰を下ろすと、待っていたかのようなタイミングで立花さんが紙コップにお茶を淹れて渡してくれた。気の利き方が半端じゃない。
全員が紙コップを手に取ると、音心はコホンと咳払いをした。
「それじゃ、みんな乾杯!」
簡潔な音頭にみんなは紙コップで乾杯する。何年かしたらこれもお酒でしたりするようになるのかな。そんなことを思った。
……そして各々が口をつけると、奇妙な静寂が流れた。
(……これはあれよね、誰が一番最初に嘘をつくか)
(どうせみんな同じこと考えてんだろ? だったらオレから行こうかな)
(あずからするとまた弄られる……? ……いや、今日こそあずはみんなを弄るんだから! あずは小悪魔キャラであって弄られ後輩キャラじゃないんだから!)
……やっぱりみんな同じことを考えてるなぁ。そう思うとエイプリルフールにお花見をすること自体がこれ目的な気さえしてきた。
くい、と右袖が軽く引っ張られる。いつの間にか隣に座っていた愛哩からだった。
(昨日の約束、覚えてるよね?)
(俺は愛哩の、愛哩は俺の嘘に全力で乗っかるんだよね)
(んふふ、絶対にやり通してよ)
(何を言うつもりなんだか……)
身構える俺を他所に、口火を切ったのはピンと手を挙げた立花さんだった。
「あず、最近思ったんです」
何を? と訊く前に立花さんは続ける。
「あずのこの可愛い小悪魔キャラ、ちょっと古くないです?」
「立花さん!?」
自分でそんなことを言うの!? というか別に思ったことないけど!?
「だからですね……じゃない、だからよォ!!!」
「ぷふっ!」
「なーに笑ってやがんだみゃーちゃんよォ!!! あず改めウチはこれからこれでやってくからそこんとこヨロシクゥ!!!」
凄い、オラオラしてるのに元々が可愛らしさの塊だから何一つ怖くない。あと人差し指立ててるけど多分それ中指の間違いだよ。
「……まるで男ね、梓紗」
「何だやんのかオラァ!!!」
「ふっ。だけどね梓紗、アタシは正真正銘の男よ!!!」
「は、はい?」
「今まで黙ってたけどね、アタシって男なのよ! だから悟にもスポーツ対決で勝てるの!!!」
「「「「「あぁ……」」」」」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何納得してんのよ!? アタシは男だけど今までは女だったんだけど!?」
そりゃ見た目は女の子だけど……何か妙に説得力があるというか……。失礼とはわかってるんだけどね……?
「……って、何でみんなもうあずのこと忘れてるんですか!? 音心先輩が男なんて薄々感じてたことじゃないですか! じゃない、だろォ!?」
「わかったわ梓紗。向こうで決闘よ」
「ちょっ!? ごめんなさいさっきのは冗談で……ちょ、力強くて抵抗出来な……! この怪力! ゴリラ! 男!!!」
「誰が男よ!!!」
「自分で言ってましたよね!?」
音心にずるずると引っ張られていく立花さん。立花さんはそうやってみんなに愛されてる時が一番輝いてるよ。それに結局嬉しそうにしてるのもみんな知ってるからね。
「……さて、悟先輩。わたし達のことについてみなさんに報告することがありますよね」
「ん? 未耶ちゃん?」
「……すみません愛哩先輩。実はわたし達……」
「エイプリルフールだよねそれ! エイプリルフール!!!」
「……だったら、良かったんですけど」
「みゃーちゃん!?」
「先に謝っておきますね。すみません、愛哩先輩」
「何の謝罪!?」
未耶ちゃんは本当に強くなったなぁ……。今では愛哩でさえも振り回せるなんて……。さっきもそうだったけどやっぱり成長を感じるなぁ。
「なー悟クン。オレが言うのも変な話だけどさ、どしたらそんなモテるん?」
「これはモテてるのか……?」
「ま、オレはそんな悟クンだから惚れたんだけどな?」
「は!?」
声を上げた時にはもう遅く、操二はすっと俺の肩を抱いていわゆる顎クイを決めた。勿論俺に。
「ちょっと高槻君!?」
「な、何やってるんですか悟先輩!!!」
「俺は別に何もしてないけど!?」
「……後でホテル行こっか? 疲れたっしょ?」
「い、行かないから! 絶対行かないから!!!」
「そっか、順序は大事だもんね? ならまずは手から繋いでも良い? つって、もう繋いじゃってるけどさ!」
「操二の嘘が一番キツいな!?」
「あ……アンタ……愛哩とか未耶が居るのに……よりにもよって……」
「あは、音心先輩が男になったから先輩は女の子になったんですかー?」
音心と立花さんまで帰ってきては悪ノリに悪ノリを重ねる。どう収拾つけたら良いんだ……。
……いや、待てよ? いつもなら一人のまま気の済むまで弄られるけど、今日に限ってはエイプリルフールだ。
そしてルール上愛哩は、絶対に俺の嘘に乗っからなければならない!
「みんな聞いて! 俺実は前から操二にストーカーされててさ、今日のエイプリルフールにかこつけて迫ってきてるんだろうけど……正直辛かったんだ!」
「アンタ……中々えっぐい嘘つくわね……」
「本当だよ、音心ちゃん」
「え、愛哩?」
「長岡ちゃん!?」
愛哩の助太刀は予想外だったのか、珍しく操二も取り乱していた。
「昨日も悟くん、怖いって言ってばぶばぶ言いながら私に通話してきたんだよ」
「ぶふっ! さ、悟アンタ……!」
「……悟先輩、流石にそれはちょっと……」
「きっもぉ……」
「え」
「『愛哩ママ、怖いばぶぅ』なんて言ってたよね?」
「……ぐ、そ、そうだけど……!? それが何か……!?」
「ぶっは、悟クンまじヤベー!」
元はと言えば操二が……! いや俺の嘘か……? というか愛哩……? いや愛哩だ! 愛哩が悪い!!!
(ママに任せてね、悟くん)
(くっそ……!)
よくもまあそんな悪魔みたいな発想を思いつける……!
「だから私、昨日言ったんです」
「え、まだ続くの?」
「『ママにはなれないの、ごめんね。……わ、泣かないで? よしよし』」
「アンタほんっとに……」
「そんなことしてな……くないけど!? 別にばぶばぶしてたけど!?」
「情緒どうなってるんですか先輩……」
「『ママにはなれないけど、その代わりにお嫁さんになってあげるから、泣かないで』って」
またとんでもないことを言い出したけど、これ着地点あるのか? 放っておいても大丈夫なのか?
「それではいコレ、婚姻届」
「愛哩!?!?!?」
バッグから出されたのは綺麗な字で妻になる人の部分をビッシリ埋めた婚姻届。いや嘘のためにここまでする!? 行動力の化け物過ぎない!?
「……っべえわ……やっぱ長岡ちゃんには勝てねえな……」
「アタシもよ……なーにが実は男よ……こんなの勝てるわけないじゃない……」
「わ、わたしもこれくらい出来るようになれたら悟先輩と……!」
「……先輩、こんな人をどうやったら恋人に出来たんだろ……」
みんながそれぞれ好き勝手言う中、また右袖が引かれる。愛哩のいつもの合図。だけど今回に限っては純度百パーセントの恐怖を感じた。
(全力で乗っからなかったら悟くんの負けだけど良いの?)
(……年齢とか学生だとか、色々否定しようと思ったら出来るけどさ)
(んふふ、そうだね)
「そういうのはもっと大人になって、今度は俺からするよ」
「ちょっ、悟くん!? 何でそこだけ声出して……!」
「ひゅー! 熱いねぇ!」
「見て見て未耶! 愛哩の顔が真っ赤よ! 写真撮っときなさい!」
「もう撮ってます」
「わぁ……先輩すご……!」
「な、何で私が恥ずかしいことになってるの!? 思ってた展開と違うんだけど!?」
「ちなみに今のは嘘じゃないからね」
「わ、わかったからもうやめて!!!」
愛哩はばっと背を向けてぱたぱたと顔を仰ぐ。恥ずかしいのはわかるけど、愛哩気付いてるのかな。俺達は別に顔を見ずとも読もうと思ったら心が読めることに。
(もう……! 悟くんのくせに……! 恥ずかし過ぎて死んじゃうんだけど……!)
……よ、よし! 俺の勝ち!!! 正直言ってる俺もめっっっちゃくちゃ恥ずかしかったけど!!! これで彼氏の面目は保たれた!!!
「ぶっは! 悟クンもめちゃくちゃ顔赤いじゃん!」
「う、うるさいなぁ!」
強い風が桜を散らす。春を彩る桜吹雪が視界に広がった。
だけど春風は、火照った顔の熱を完璧には取り去ってはくれなかった。