むにむにで気持ちいい
「うぐっ……うぅ……よが……ったあ……! ……ずずっ……」
――無事出産が完了してからすでに三十分が経過している。
「え……っとお……フレイシアちゃん……? そろそろ放してくれませんか?」
かれこれ三十分の間、フレイシアは赤子の手を人差し指と親指で摘んで、むにむにしているのである――すすり泣きながら。
「あがぢゃん……かわいい……ずずっ……やわらが~い……うぐっ……」
「よっと! ……ちょっとフレア、そろそろ落ち着きなさいな」
なかなか摘んだ手を放そうとしないフレイシアを、ステリアが抱き上げた。
「ああ~! あかちゃ~ん!」
さながら仲の良い姉妹を無理やり引き離しているような気がして、ステリアが無駄に罪悪感を覚える羽目になった。
「気持ちは分かるけど、赤ちゃんもベアータも疲れてるのよ? 休ませてあげましょう」
フレイシアが隣で泣きじゃくっていたにも関わらず、赤子の方はスヤスヤと眠っていたのである。
とはいえ、いつまでもフレイシアに摘まれているのも休まらないだろうと、ステリアはフレイシアを諌めた。
「…………わかった。後でまた触らせてね?」
フレイシアはどうしてもむにむにしたかったため、しばらく休んだら、また摘ませてもらおうとベアータに懇願した。
「え――ええ、もちろんですよ。この子もお友達がいた方が嬉しいでしょうしね」
少しだけ躊躇したベアータだったが、無事に出産させてくれた恩があるため承諾した。
そこに頃合いを見計らってミケットが会話に入ってきた。
「さあさあ、しっかり休みなさい。起きたら色々と説明してもらわないといけないしね」
ミケットが言ったとおり、ベアータがこの家にやってきた経緯を未だ聞いていないのである。
「はい。きちんとお話します。改めまして、この度はありがとうございました」
ステリアはどういたしまして、と微笑みかけながら赤子をベッドに寝かせ、上体を起こしていたベアータにも横になるように促した。
◆◇◆
ベアータと赤子が寝付いてから、フレイシア達はリビングに移り相談をしていた。
「あの娘さんは窓から入っていたんだってね?」
ミケットが聞いているのは、ユイと共にこの家に向かう道中、フレイシアの実家の掃除をしに行った二人が、窓から入ったであろう侵入者の妊婦が気を失っているのを発見した、というところまでである。
「そうよ母さん、いま分かっているのは、ベアータがディアブロ族で、何かしら事情があるでしょう、って事だけよ」
「そういうのを何も分かっていないと言うのさ……」
ステリアに話を聞いても、結局は自分の持っている情報と大差ないことに呆れて肩を竦めた。
「しょうがないでしょう。今回は色々と切羽詰まっていたんだもの」
「はあ……分かってるのかい、事情によっては追い出すことも考えないといけないんだよ」
ベアータが無害な人物であればステリアの家で匿えば良いのだが、フレイシアやステリア、もしかしたらこの町そのものに悪影響を及ぼす可能性もある、というのがミケットの懸念である。
「――ッ!? ダメだよ! 追い出すなんてひどいよ!」
ミケットの言葉を聞いて、フレイシアは声を荒げた。
とても悪人に見えなかったベアータと、まだ産まれたばかりの赤子を追い出すなど、フレイシアには許容できない話であった。
「フレア……。私だってそう思うわよ? でもね、あなたやこの町に悪いことが起きることだってありえるの」
納得がいかない様子のフレイシアに、ステリアが優しく語りかけるが、それでも納得は出来ない。
「絶対わるい人じゃないよ! せっかく赤ちゃん産まれたのに…… お姉さんも嬉しそうだったのに……」
フレイシアは悔しそうに瞳を潤ませながら、ベアータの潔白を説いた。
しかしながら、本人に話を聞くまでは何を言っても埒が明かないため、ステリアとミケットはベアータが無害であった場合の方針についての話に切り替えることにした。
ステリアもミケットも、本心ではフレイシアと同じ気持ちであったため、一先ずはベアータを信じるのであった。
「わかったわ、ベアータを信じましょう。家にはまだ部屋が残っているから、落ち着いたら来てもらいましょうか」
「ほんと!? お姉さんも赤ちゃんも一緒に暮らせるの!?」
本人が望めばだけどね、とステリアが言えば、フレイシアは絶対よろこんでくれるよ、と疑いもなく言った。
いつまでも話しているだけでは仕方がないので、ステリアは受け入れの準備をしてくると言って一度帰宅した。
今フレイシアの実家には、フレイシアとミケット、そして、ベアータと赤子が残っている。
ミケットはベアータの経過を見守るために、今日はこの家に留まるつもりのようだ。
そして、機嫌を直したフレイシアは、ミケットの膝の上である。
「やっぱりおばあちゃんの魔装はすごいね~!」
「何言ってんのさ、その歳でエレメンターに覚醒するフレイシアも大したもんだよ」
ちなみに、ミケットはフレイシアの前世については聞かされていない。
フレイシアはステリア意外には話していないので、事情を知っているのはフレイシアとステリア、そしてそのエレメントだけである。
「私もおじいちゃんも、フレイシアの成長を楽しみにしてるよ。でも、無理をする必要は無いよ、あんたが怪我でもしたら、皆悲しむからね」
「わかってるよ~。でもおばあちゃんもおばさんもカッコイイんだもん。私だっていつかあんな風になりたいな」
フレイシアは、自分の魔装がニ丁拳銃だけで、まだまだ見栄えが地味だと感じているらしく、いずれは全身に纏えるような魔装を作りたいと思っている。
「誰だって最初から万能なわけじゃあないさ、私だって、今の魔装が完成したのは、三百歳を超えてからだからね」
「さんびゃく!? ……そういえばおばあちゃんって何歳なの?」
ミケットはフレイシアのほっぺをむにむにしながら、乙女に年齢を聞くのはマナー違反だよ、と言ってはぐらかした。
エルフ族は十歳ほどで成人の姿になり、その後何百年もほとんど老いることがないため、ミケットも見た目では何歳かわからないのだ。
とはいえ、ミケットは自分の年齢を数えていないだけなのである。
そんな風にフレイシアとミケットが戯れていると、ステリアが帰ってきた。
「ただいまー。ベアータはしばらくここに泊まるだろうから、着替えとか食料を持ってきたわ」
「おかえりなさ~い!」
「あらステア、おかえり。あの娘さんもそろそろ起きるんじゃないかね」
という訳で、三人はベアータの様子を見に行った。
――トントン
「は~い」
ステリアが寝室の扉をノックすれば、中から返事が返ってきた、ベアータはすでに目覚めていたようで、三人は中に入った、今は赤子にミルクを与えていたようだ。
「もう起きてたのね、赤ちゃんも食欲があるみたいで安心したわ」
「はい、皆さんにはなんとお礼を言えばいいか……」
と、そこで、いつの間にかフレイシアが赤ちゃんの手を摘んでいることに気がついた。
「抱いてみます? フレイシアちゃん」
その時――フレイシアは全身に雷獣(笑)が駆け回る程の衝撃を受けた。
「――ッ!? い……いただきまあ~すっ!」
とんでもなく喜んでいた。
「……やさしく抱いてあげてくださいね」
フレイシアは逸る気持ちを抑え損ないつつも、だらしなく口角を歪め、ベッドに腰掛け、少しだけよだれを垂らしながら、抱き上げる前に赤子の頬をむにむにとして、満を持して愛らしい赤子を抱き上げた。
「……ほわぁ~…………」
もう、胸がいっぱいである。
「私はフレイシアの将来が心配になってきたよ……」
だらしない表情でよだれを垂らし、恍惚とした表情で赤子を抱きかかえている孫の姿に、ミケットは言い知れない不安を感じていた。
ミケットが驚愕していると、不意にフレイシアが正気を取り戻した。
「そうだお姉さん、この子の名前は決めたの?」
そのあまりの正常な質問に、さっきまでの興奮は何だったのかと思う一同だったが、どこか安心したようで、ほぅとため息を付いて取り直す。
「はい、決めています。その子の名前はエルアナです」
「エルちゃんか~……えへぇ~……エルちゃ~ん! エルちゃんは可愛いでちゅねぇ~……はぁ、ハァ……」
少しだけまずいスイッチが入ったようで、もはやその表情は形容し難い。
「この子は……もう駄目かもわからんね……」
「母さん! 諦めないで! まだよ! まだ間に合うわ!」
そんな三人を見て、ベアータは逃げ込む家を間違えたかもしれないと冷や汗を流していた。
◆◇◆
――そして一年が経過した。
いや、体感ではそれほどの時間が経過しているような気がするが、実際は二十分程だ。
渋るフレイシアから赤子を奪取し、ベアータの懐に戻した後、ステリアが切り出す。
「ふぅ……そろそろ本題に入りましょうか」
そう――フレイシアの実家に侵入していた、ベアータの事情聴取である。
「はい。何から話しましょうか――」
ベアータが語った事情はこうである。
ここへ来る前、ベアータが暮らしていたのは王都である。
ベアータは、そこで出会った男性と恋仲になりまぐわった。
しかし、その男性はたちの悪い貴族に借金があり、あろうことか、その借金の返済に希少なディアブロ族であるベアータを差し出そうとしたのである。
その時すでに子を宿していた身重のベアータをだ。
たちの悪い貴族が、当時男性と二人で暮らしていた家にやってきて引き渡されそうになった時、ベアータはようやく事情を知った。
そしてベアータは――男性と貴族をぶっ飛ばして逃げてきたのである。
相手に戦闘力はなく無双だったそうだ。
あの時の爽快感は堪らなかったと、とてもスッキリとした顔でそう言った。
逃亡先にこの町を選んだのは、ポートストーンで飛べる主要都市の中で、最も王族に重用されている町だからだ。
この町で作られるハートショコラは、王族に熱狂的なファンが居るため、害をもたらす者は国家の名にかけて粛清される。
たとえ貴族であってもだ。
洒落にならない重罪なのである。
そもそも、この国では人身売買自体が重罪なため、貴族がこの町まで追ってくることは無いはずである。
そういう理由でこの町へ逃げ込んだは良いものの、彼女は着の身着のまま逃亡してきたため、宿をとる金も、頼れる伝も無いため、途方にくれていた。
肩を落とし歩いていた町で、恐らくは空き家であろうこの家を見つけ、藁にも縋る思いで忍び込んだのだという。
ところが、忍び込んだ矢先に陣痛が起こり、体力も消耗しすぎていたことも手伝って、気を失ってしまったのだとか。
以上がベアータがフレイシアの実家に忍び込んだ経緯である。
「よくやったわね!」
「ざまぁみろさ!」
「お姉さんつよい!」
――ベアータは三人に賞賛されていた。
男性と貴族に腹を立てた三人は、それを下したベアータをもはや疑うことはない。
歓迎さえしている。
「おばさん! やっぱり準備しておいてよかったね!」
「そうね、ベアータなら歓迎だわ!」
「これも何かの縁さ、子供に罪はない。この町で、その子をしっかりと育ててあげな」
「えっとぉ……」
三人の話が容量を得なかったようで、ベアータは首をかしげる。
「うちに来なさいな。行く宛はないのでしょう?」
と、そこでステリアが補足した。
「――ッ!? よろしいのですか?」
「うん! お姉さんも一緒に暮らそうよ! エルちゃんもね!」
「うちならかまわないわ、部屋も余っていることだし」
「あ……ありがとう……ございます」
安心して気が緩んだのだろうか、母子二人で露頭に迷う事にならずに済むとあって、ベアータは涙ぐみながら礼を言った。
「とはいっても、一週間はここで安静にするんだよ。ステアの家に移るのはその後さ」
「はい……よろしくお願いします」
そんな具合に、フレイシアに新しい家族が出来るのであった。
この赤子――エルアナは、フレイシアを姉と仰ぎ、生涯を共にすることになる。
◆◇◆
一週間と少し経ち、ベアータとエルアナの引っ越しが完了して新しい生活が始まった頃。
ステリアの古馴染み――元パーティメンバーの女性が尋ねてきた。
今は玄関の扉を開け、数年ぶりの再開を果たしているところだ。
「あら! 懐かしいわねぇ、急にどうし――」
「お願いステア! ここに住まわせて!」
――フレイシアの生涯の親友との出会いまで、もう間もなくだ。