バンビーナ
フレイシアが初めて魔装を使ってから半年が経過した。
この半年のフレイシアは、魔法の練習をしたり、ステリアと町を散策したり、一緒にお菓子を作ったりなどをして、穏やかに過ごしていた。
とはいえ、相変わらずスノーナイトの連射はまだまだ扱えそうにない。
エルフ族は成長が早いため、身長は順調に伸びていて、年が明けることには一メートルには届きそうだ、短かった髪も、肩に掛かり始めた。
今は十一月で、この町は十二月の中頃に、ハートショコラの加工場主催で感謝祭――ハートフェスタが開かれる。
そのため、住人たちもどこか浮ついた気持ちになってきている。
フレイシアもこの感謝祭に参加するのは初めてとあって、楽しみにしているようだ。
この町では、この感謝祭を目一杯楽しみ、その余韻を以て年末の年越しイベントまで、のんびりと過ごす風習があるため、大掃除などは十一月中に終わらせるのが一般的なのだ、それはフレイシア達も例外ではなく。
「実はねフレア……私はもう一軒、家を管理していて、今日はそっちの掃除をしに行こうと思うの」
「他にもお家があるの!? おばさんお金もちなんだね!」
この半年で成長したのは身長だけではなく、話し方も大分上達しているフレイシアである。
「そういう訳じゃないのよ……前の持ち主が居なくなってしまったから、いまは私が預かってるの、いずれ本来の持ち主に返す予定よ」
ステリアはどこか寂しそうな顔でそう言った。
聞かないほうが良かったかなと思ったフレイシアは話を戻すことにした。
「そっか……じゃあ綺麗にしないとね! 私も手伝うよ!」
「ふふ、ありがとうね、フレア」
そういう訳で、今日はステリアが預かっているという家の掃除に励むこととなった。
掃除に必要な道具はそちらの家に置いてあるので、二人は弁当を持って家を出た。
「そのお家ってここから近いの?」
詳しい場所を聞いていなかったため、道中にフレイシアが尋ねた。
「少し歩かないといけないの、でもうちからマーケット位の距離よ、三十分もかからないわ」
そんな風にステリアと話している内に、目的の家が見えてきたようだ。
その家が見えた時、フレイシアは既視感を覚えていた。
「おばさん、私って、このお家にきたことあったっけ?」
知っている場所だと断言は出来ないが、フレイシアはどこか懐かしい感じがしていたのだ。
「――ッ!? 覚えてるの……? フレア……」
ステリアは何故だか動揺を見せた。
「ん~……なんか懐かしい感じがするの」
フレイシアのその言葉は、ステリアの琴線に触れたらしく、涙ぐみながらつぶやく。
「……この家はね……フレア……あなたが産まれた場所よ……」
「え……おばさん、それじゃあ……」
「ええ……ノーリン姉さんが亡くなった場所でもあるわ……」
――そう、この家はフレイシアが転生した場所であり、その生みの親が死んだ場所でもある。
「ここが……そっかぁ……」
言い出せなくてごめんね、と目尻に浮かんだ涙を拭いながらステリアが言った。
「ううん、謝らなくていいよ。それより、ちゃんと綺麗に掃除してあげないとね!」
「ありがとう、フレア……。そうね、ピカピカにしてあげましょう!」
そう言ってステリアは、閉ざされていた門の鍵を開けた。
「うわぁ、お庭も草がすごいね~」
ステリアはフレイシアの世話があったため、昨年の十一月から一年間放ったらかしだったのだ。
「はぁ……これは片付け甲斐がありそうねぇ。――ッ!? 待ちなさいフレア!」
これは一日では終わりそうにないと思ったステリアだったが、この庭に違和感を見つけたようで、歩き出したフレイシアを自分の後ろに下がらせた。
「どうしたのおばさん?」
「足跡があるわ……ほら、草が踏まれた跡があるでしょう」
フレイシアは目を凝らして見てみるが、見つけられなかったようだ。
ステリアは考えていた、侵入者が居ると仮定すると、エレメンターとはいえまだ幼いフレイシアを連れて足跡を追うことは危険すぎる。
そのため、フレイシアと共に門の外まで引き返した。
門から出たところでフレイシアに告げる。
「フレア、一度この家から離れるわよ、安全を確認するわ…………ボルト!」
そう言って、家から離れ物陰に身を潜めた後、ステリアはエレメントのサンダーボルトを呼び出した。
『足跡を追って正体を確認してくればいいんだな?』
「そうよ、わかってるとは思うけど相手に気取られないようにね」
狼であるサンダーボルトにとって、追跡はお手の物である、そして彼は、音を立てずに駆けていった。
「……あの家に誰かいたの?」
ステリアが普段は見せない険しい顔をしているのを見て、フレイシアは不安になったようだ。
「おそらくね……悪人でなければいいのだけど……」
足跡は家の中に向かうものだけで、外に出る足跡が見受けられなかったため、ステリアは十中八九、家の中に侵入者が潜んでいると睨んでいる。
偵察に出て然程時間は経っていないが、サンダーボルトが血相を変えて戻ってきた。
『大変だステア! 産まれるぞ!』
「「……は?」」
脈絡のないサンダーボルトの物言いに、ステリアだけでなくフレイシアも気の抜けた声をあげた。
「落ち着きなさいな、正確に、順を追って説明なさい」
ステリアはとりあえず、サンダーボルトを諌め説明を促した。
『す――すまん。ふぅ……オレ、アシアトオッタ、ワレタマドミツケタ、ナカニハイッタ、ニンプミツケタ――』
――ゴチン!
ステリアはサンダーボルトに拳骨を落とした。
『――っつ! 何しやがんだステア!』
「アンタ、いい加減にしないとチギルわよ」
座った目でステリアが言った言葉である。
『――ひぃ!?』
サンダーボルトは尻尾を畳んでプルプルと震えだした――トラウマでもあるのだろうか。
「で? 家の中に妊婦がいたって?」
『そ――そうだ! あの分だと今日中に産まれるぞ! しかも妊婦は気を失っていた!』
いったいどんな訳でフレイシアの実家に身を潜めていたか分からないが、妊婦が――それもあの家で苦しんでいるとあっては、ステリアもフレイシアも心は決まっていた。
「「急ごう!」」
ステリアはフレイシアを抱え、全速力で家の中に入っていった。
◆◇◆
『こっちだ!』
二人はサンダーボルトの先導で入った部屋で、倒れている妊婦を発見した。
その容姿は、長い灰色の頭髪で、その頭には羊のような巻角があり、背中にはコウモリのような羽の生えた、二十代に見えるディアブロ族の女性だった。
ステリアはフレイシアを下ろし、ディアブロ族の女性に近寄る。
「……まずいわね……このままだと母子ともに危険だわ……」
「――ッ!? おばさん! 私に出来ることはないの!」
ステリアの見立てに慌てるフレイシア。
フレイシアとしては、この世界の生みの親であるノーリン・ハートが命を落としたこの家で、今度は母子揃って命を落とそうとしている親子がいる。
この状況を何としても打開したかった――眼の前の女性と子供を、絶対に助けたかった。
「――そうだわフレア! おばあちゃんを呼んでちょうだい! ユイに飛んでもらうのよ!」
フレイシアの祖母はこの町で医者をしている。
何度か赤子をとりあげたこともあるのだ。
なのでステリアは、空を飛べるユイに、祖母の診療所へ行って貰おうというのである。
「そっか! おばあちゃんなら助けてくれるよね! ユイ!」
『診療所には遊びに行ったことがあるから任せて! それじゃあ行ってくるよ!』
フレイシアが呼び出すと同時に、状況を察していたユイは窓から飛び出していった。
「とにかく、いつまでも床に寝かせておくわけにはいかないわ、ベッドに運ぶから、フレアは布団をどけてちょうだい」
妊婦の体に余計な刺激を与えないように、ステリアは慎重に女性を抱え、寝室に移動していく。
ステリアが女性を寝室のベッドに寝かせたところで、女性が意識を取り戻した。
「うっ……うぅ……ッ!?」
女性が気だるげに瞼を開けると、灰色の頭髪とは対象的な、桃色の瞳が垣間見えた。
「意識が戻ったようね、大人しくしていなさい。その子が可愛そうでしょう?」
目を覚まし、ステリアの姿を見て警戒した女性が体を動かそうとしたため、ステリアは努めて優しく語りかけた。
「う……あなたは……?」
子供に負担を掛けないために大人しくベッドに体を預け直した女性だが、未だ警戒は解いていないようである。
「私はステリア・ハートよ。その子はフレイシア、私達がこの家の持ち主よ」
「大丈夫だよ、お姉さんもその子も絶対に助けるから! もうすぐおばあちゃんも来てくれるし!」
フレイシアは、女性の桃色の瞳を真っ直ぐに見つめながらそう言った。
それが女性の警戒を緩めたようで。
「勝手に家に上がり込んでごめんなさい、行くところが、なかったんです……」
「今はここに居た理由はいいわ。それより安静にしていなさいな。お水は飲めるかしら?」
女性が落ち着いたことでステリアは水を差し出した。
「ありがとう、ございます。……申し遅れましたが、私はベアータと申します。家名はありません」
受け取った水を飲み干し、女性はベアータと名乗った――ディアブロ族に家名はないのである。
「そう、よろしくねベアータ、ところで陣痛はどう?」
「今は落ち着いていますが……だんだん感覚が短くなってきてまして……さっきもそれで気を失って……」
ステリアはそれを聞いて、本当に間一髪だったのだと冷や汗を流した。
ユイが診療所から戻るまで、もう一時間も掛からないはずであり、このまま何もなければ、なんとか間に合う。
◆◇◆
四十分ほど経過した時、ユイに連れられてフレイシアの祖母――ミケット・ハートが到着した。
『フレアー! ステアー! ミケットを連れてきたよー! ……ッ!?』
一足早くユイが部屋に入ってきた――しかしユイの目に写ったのは、苦しそうな表情のベアータと、緊迫した様子のフレイシアとステリアの姿だった。
「ユイ! おばあちゃんは!? お姉ちゃんが大変なの! 早く連れてきて!」
フレイシアが急かしているのは、ユイが到着する直前にベアータの陣痛が来て――破水し始めていたからだ。
「大丈夫さフレイシア、あたしならここだよ」
室内の緊迫した空気をどこ吹く風と受け流し、貫禄さえ漂わせながら、ミケットが入ってきた。
「おばあちゃん早く早くー!!」
そう行ってフレイシアはミケットの手を取り、引っ張っていく。
「はいはい分かってるさ、産湯は用意してあるね?」
「ええ、ここに。お願い母さん……」
ベアータの手を握り声をかけ続けていたステリアが場所を譲り、後のことをミケットに託した。
「さて、始めるかね。仕事だよアリッサ」
『ふあぁ~……りょ~か~い……』
ミケットの呼びかけに応え姿を顕したのは――眠たそうな目をした宙を泳ぐ小型のイルカだった。
「さっさと目を覚ましな! ……アリッサ、《オペレーションキット》」
《オペレーションキット》、それは、ミケットを国内でも指折りの名医たらしめる魔装である。
各種手術道具を生み出すもので、これを用いたミケットに、直せない病は無いとまで噂されている。
とはいえ、あくまでもミケットの専門は、外科と内科であり、産婦人科ではないのである。
そのためノーリンの出産の際は、専門の助産師に任せ、娘を看取ることさえ出来ず後悔したのである。
それからミケットは出産についての勉強をして、何度か出産に立ち会ったこともある。
今では単独で分娩を行うことさえ出来るほどになり、更に非の打ち所のない名医となった。
さておき、ミケットの準備は整ったようだ。
「《エコーロケーション》」
ミケットは何やら聴診器のようなものを装着し、器具の先端をベアータの腹部にあて魔法を発動した。
この《エコーロケーション》は、音波を反響させ、体内の様子を粗方把握できるものだ。
その後も、ミケットの見事な手腕により、分娩はつつがなく進んでいった、そして――
――おぎゃああああああ!
「ステア、産湯につけてやりな。……母子ともに無事だよ、安心しな」
分娩が終わり、ミケットはステリアに赤子を渡そうとしたのだが、未だ不安そうな表情のステリアに無事を伝えた。
「……そう。……よかったわ……さあ、綺麗にしましょうね」
ミケットから赤子を受け取り、ステリアが赤子の体を洗っていると、フレイシアも近寄ってきた。
「可愛いねぇ、ちっちゃい角が生えてる! ちょっとさわっても良い?」
何やらソワソワしながら赤子に触ろうとするフレイシアに、ステリアから静止が掛かった。
「まあ待ちなさいな。まずはベアータに抱かせてあげないとね」
それならば仕方がないかと、フレイシアは一度身を引いた。
「ほらベアータ。元気な女の子よ!」
ベアータは差し出された我が子を抱いて、目尻を濡らしながら愛おしげにその頬をなでている。
「よかった……愛してるわ……私のバンビーナ」
その親子の様子を見ていたフレイシアも胸が一杯になったのか、よかったぁ……よかったぁ! と声を上げて涙を流していた。