くっきーがすき
ステリア・ハート――フレイシアの叔母である。
現在彼女は七十歳。
エルフは長寿のため、二百歳を超えると、歳を数えなくなっていく者も多いようで、彼女もあと百年ほどしたら、数えるのを止めそうなタイプである。
元冒険者で、数年前にパーティを解散し、冒険者としての活動を終え、故郷へ帰ってきた。
ステリアの故郷であり、フレイシアが暮らすこのエルフの町の名はミクス。
エイド王国の統べるホーン列島の南端に位置するホイープ森林の奥地にある。
この町では、エルフだけではなく、他の種族も共に生活している。
このホイープ森林はカカオの原産地で、エルフ達はこのカカオでチョコレートを作り、売り出しているため、森林の外との交易も盛んだ。
ハート家の――フレイシアにとって、曾祖父母に当たる人物達が生み出したこのチョコレートは、ハートショコラと呼ばれ、そのなめらかな口溶けと程よい甘さにより、国内外問わず人気なのだ。
カカオの加工場は、未だ曾祖父母が取り仕切っており、従業員は種族を問わず弟子として雇い入れ、跡取りに血筋は関係ないと公言している。
その御蔭で、ステリアも自由に生きてこれたのである。
ハートショコラは、この国の王族にも非常に人気であるがゆえ、エルフ達は王国と盟約を結び、ミクスの町は王国の庇護下に置かれ平和に暮らしている。
冒険者活動を終え、故郷に戻ってきたステリアは、このハートショコラを使ったスイーツを出すカフェで働いていたが、フレイシアを育てるために、現在は休業し子育てに専念している。
子育てに必要な資金は、ステリアが実家に頼み支援を受けている。
余談だがハート家の家族関係は良好だ。
その子育てのターニングポイントを迎えたステリアは、フレイシアとの朝食を終え、本日の予定を伝える。
「お菓子を作りましょうか」
本来二歳児の幼児と菓子作りなどまだ早いと思われるが、体の年齢は二歳児とはいえ、フレイシアは前世を含めて十二年を生きているのである。
簡単な作業くらいなら手伝えるのではないか、というステリアの考えであった。
「おかし!? 作る! なに作るの?」
「そうねぇ。今日はクッキーにしましょうか」
「やったー! クッキーたべたい!」
「ふふふ、随分嬉しそうね、そういえば、フレアの居た世界にもクッキーはあったの?」
「うん! 大好きだったんだぁ」
「そうなの、それじゃ準備しましょう!」
「はーい!」
それからステリアは二人分のエプロンを持ってきた。
一つは子供用のエプロンだった。
これは、いつの日か、フレイシアと一緒に菓子作りをするために用意しておいたものだ。
予想していたよりも早くにその活躍の場が来て、ステリアの機嫌もいいようだ。
「はい、エプロンはこれを使ってね」
「かわいい~! かってくれたの?」
作ったのよ、と言いながら微笑んで、フレイシアにエプロンを着付けてあげるステリア。
少し大きめのようだが、子供はすぐに大きくなる、じきにちょうどいいサイズになるであろうと、フレイシアの成長を楽しみに思うステリアであった。
さておき、次は材料の用意をする。
「それじゃあ材料を用意するから少しまっててね」
はーい、と元気に返事をし、リビングの椅子に座り、まだかまだかと楽しそうに足をプラプラさせるフレイシア。
今は随分といい笑顔で、気分も軽いように見える、心のケアも順調のようだ。
材料の用意に入ったステリアは、フレイシアの笑顔に、心が暖かくなるのを感じていた。
けれども、ステリアは完全に安心しているわけではない。
何かきっかけがあれば、フレイシアの心は、再び不安定な状態になりえる。
デリケートな問題であるがゆえ、迂闊な言動は出来ない。
この菓子作りにしても、ステリアにとっては一つの賭けであった。
もし、菓子作りというものが、フレイシアにとって、前世の大切な思い出に関わっていようものなら、今のように楽しげに笑えたわけではないのである。
ステリアは事前にエプロンを用意してしまう程に、フレイシアとの菓子作りを楽しみにしていた。
その為、一番に確認したかったのである。
前世のフレイシアは、母親や友人と菓子作りをした思い出が無かったため、いたずらに心を刺激するようなことにはならなかった。
そういう訳で、ステリアは少しホッとしている。
さて、材料の準備が終わったようだ。
「おまたせ、準備できたわよー、始めるから手を洗ってらっしゃい」
「うん! いってきま~す!」
フレイシアがトテトテと走り去っていくのを確認し、ステリアはリビングのテーブルに材料と器具を揃えていく。
「あらってきたよ~! なにからやればいいの?」
フレイシアが戻ってきて、いよいよ菓子作りの開始である。
まずは、常温で柔らかくしたバターに砂糖を合わせすり混ぜる。
中々力のいる作業のため、ステリアはフレイシアに手を添えて一緒に混ぜ合わせる。
次に卵を割り入れるのだが、これもフレイシアに手を添えて一緒に割った。
「あ~、たまごが手についちゃった……」
「あらー、この濡れ布巾で拭きなさいな」
手に付いた卵を拭き取り、次は粉類をざっくりと混ぜ合わせた。
そこで、あるものを取り出すステリア。
「フレア、今日はチョコチップを入れるわよ」
「おお~! それ……ちょっとだけ味見したいなぁ~」
上目遣いでおねだりするフレイシアの愛らしさに負け、ステリアは喜々としてチョコチップを与えた。
「ん~! おいすぃ~! おばさんも、あ~ん」
――その時、稲妻が走った。
もはやステリアに拒むことは出来ない。
この二年間で溜まっていた何かが溢れたかのように――
――パクリ
フレイシアの小さく柔らかい指とともに口に含んだ。
「んもぅ! ゆびはたべちゃダメ!」
「あ――ごめんなさいね、つい……」
ともあれ、その後はつつがなく進み、しばらく生地を休ませる工程に入った。
「生地を休ませてる間は休憩にしましょう」
「ふぅ……。どんなかたちで焼こうかなぁ~」
「抜き型は、丸と星、それにハートがあるわよ?」
待ち時間の間に、ステリアは抜き型を取り出していた。
その抜き型を見つめながらフレイシアはソワソワしているようだ。
それから三十分程経過してから、ステリアが生地を伸ばし、フレイシアが型を抜いていく。
丸い型で抜いた生地には、チョコチップでニッコリとした顔を書いているようだ。
そしていよいよ焼き上げである。
この焼成に使うオーブンであるが、これは魔道具で、中には幾つかの魔法陣が仕込まれており、外に付いているダイアルをいじると中の魔法陣が切り替わり、数段階の温度調整が出来るものだ。
「あ~、いいにおいぃ~! まだかなぁ~」
フレイシアは椅子を台にしてオーブンの窓を覗き込みながら、今か今かと楽しみにしている。
そんなフレイシアの愛らしさに見惚れながらも、使用した道具を片付け始めるステリア。
しばし待って、焼き上がりである。
「さて、そろそろいいかしらねー?」
ステリアはそう言って焼き加減を確認し、クッキーの乗った天板を取り出した。
いい塩梅ね、とステリアは満足げである。
「焼けたわよー、でもまだ熱いから、冷めるまでまってね」
「ん~!! まだまたないとだぁ~……ふぅふぅ!」
早く冷まそうと頬を膨らませ息を吹きかけるフレイシアを見て、何故かステリアの唇も徐々に尖り始めるが……なんとか自制が効いたようである。
ともあれ、ステリアは団扇のような物で冷ますのを手伝い、まだ暖かいが口に入れても問題ない温度に冷めたクッキーを手に取り、フレイシアの口に近づけていく――余談だがハート型のクッキーである。
「あ~ん…………んん~! おいふぃ!」
サックリとした食感を楽しんでいると、まだ温かいチョコチップのほんのりビターだが優しい甘さが口の中に広がり、フレイシアは蕩けそうな表情だ。
「あー! もう可愛いわぁ~!」
「ちょわ!? おま……!」
とうとう辛抱たまらなくなったステリアが、フレイシアを抱え膝の上に乗せて、後ろからギュッと抱きつき始めた。
「うぅ~……おばさんどうしたのぉ」
「フレアはクッキーを食べていていいの! 私のことは気にしないで!」
「たべずらいよっ!」
などと、この後も他愛無い会話を交わしていく二人。
菓子作りを通して、二人の間にあったわだかまりも、すっかり無くなったようであった。
◆◇◆
「ちょっと食べ過ぎちゃったわね……」
「うっぷ……。今日はおひるいらないかも……」
朝食の後に作ったクッキーを食べているうちに、いつの間にか昼時になっていた。
調子に乗って食べすぎたようで、二人共昼食は食べれそうにない。
今は紅茶を飲みながら一息ついているところである。
「そうねぇ。この後はどうしましょうか」
「ん~。……じゃあおうちの外のおはなしききたいな」
そういう訳で、ステリアはミクスの町とホイープ森林の話を始めた。
町については前述した通りである。
そして森林についてだが、この森林は三つの区画に分けて町の住人達が管理している。
町がある居住区、動植物を管理している保護区、それ以外は狩猟区だ。
居住区と保護区、そして、居住区から保護区へ続く道と、居住区から森の外へ続く道にも魔除けの結界が貼られていて、モンスターが寄り付かないようになっている。
「よーせいさん! よーせいさんが居るの!?」
ここまで話したところで、フレイシアが妖精さんに興味を示した。
保護区はドライアドと妖精であるフェアリー達が管理している。
「ええそうよ、あの子達は人懐っこいからフレアもきっと仲良くなれるわ。今度おやつでも持っていってあげましょうか。それと……姉さんのお墓参りもね」
保護区の入口付近にはエルフ達の墓所がある。
保護区にある墓所には、フレイシアを産んだ際に命を落としてしまったノーリンの墓がある。
保護区までは大人が歩いて一時間ほど掛かる距離があるため、幼いフレイシアは未だ墓参りに行けていないのである。
「そっか……。このせかいのおかあさんの……うん。おはかまいり行きたい」
フレアはまだ小さいからもう少し体力を付けてからね、と言ってステリアは話を戻す。
「こんな所かしらねぇ……後は森の外の草原くらいね、と言っても、グラスペコラやグラスムッカなんかの家畜を育てている酪農家の人たちが居るくらいなものよ」
ステリアの言ったグラスペコラは羊で、グラスムッカは牛のことである。
町から草原の牧場までは馬車で二時間ほどの距離だ。
おかげでこの町でも新鮮なミルクを手に入れることが出来る。
「まだお外には行ったことないから、聞いただけじゃよくわかんないや……」
「ふふ、それもそうね。少しずつ覚えていけばいいわよ、明日魔法の練習をする前に、少し町を見に行きましょうか、練習自体はお庭でやるけどね」
「はぁ……なんかドキドキしてきたぁ」
フレイシアが生まれた場所はこの家ではなかったのだが、すぐにここ、ステリアの家へ移り住むことになり、それから今日まで、ステリアの家で生活してきたため、窓から見える範囲意外に、未だ外の世界を知らないのだ。
外に出ることには、やはり不安のほうが大きいのだが、密かに楽しみでもあるフレイシアだった。
「町の中はそんなに怖い場所じゃないわよ。住んでる人たちも優しい人たちばかりだし、安心していいわ」
「うん。おじいちゃんとおばあちゃんもやさしいもんね」
フレイシアとステリアが二人で暮らすこの家には、数日おきに祖父母が食料などを持って様子を見に来ている。
二人暮らしのため、ステリアも中々外出することが出来ないので助かっていた。
曾祖父母達は月に一度顔を見せるかどうかというところだ、加工場の仕事が忙しいためである。
今まで、この世界の住人との接し方がわからず戸惑っていたフレイシアだったが、これからはもっと親しく接していきたいと思い始めている。
ところで。
この世界の暦だが、一年は十二ヶ月で、一月は三十日、四季のある土地もあるが、ホイープ森林がある土地は、一年を通して暖かい気候である。
この日は、この後もこの町にどんな店があるかや、ステリアが親しくしている人々の事を話して聞かせながらすごした――
◆◇◆
次の日、朝食を外で食べることにした二人は、外出の支度をしていた。
「朝ごはんはどこでたべるの?」
「マーケットパークに行ってみようと思うの。そこには色々な屋台や露店なんかがあるのよ」
この世界では、ある程度栄えている町や主要都市には、その中央付近の多くの人々が行き交う場所に広場が作られ、場所代を払えば、基本的に誰でも屋台や露店を出し、商売をすることが出来る。
そこでは、食べ物に限らず、様々なものが取引されているため、いつも賑わいをみせている。
マーケットへ続く道の両端にも色々な店が軒を連ね、マーケット通りと呼ばれている。
主要都市の中心部というのは、さながらショッピングモールのようになっているのが一般的だ。
今日はそのマーケットパークを見学するついでに、朝食を済ませようということである。
「それじゃあ、出発よー!」
「おおー!」
二人は朝の町へ繰り出した――
読んで下さってありがとうございました。