ディアブロの目覚め
ステリアが中林楓と記憶を同期することで、フレイシアは間接的に母親と再会することが叶った。
神が手渡してくれた小道奏からの手紙を読むことで、フレイシアは友人との別れを受け入れた。
そもそもフレイシアが旅に出ようと思ったのは。
母と友人がこの世界で転生することを願い――信じ込み。
再会を果たせたなら、この世界を自分が案内してあげようとういう現実逃避から来ている。
案内するためには世界を知らなければならない。
知るためには自分の足で世界を回り、自分の目で世界を見なければならない。
同時に各地のポートストーンを解放することで、のちに案内をする際、旅の負担を減らすことが出来るという打算もあった。
しかし今、フレイシアの現実逃避はすでに鳴りを潜めている――失くなったと言っても良い。
ついに己の愚かさを克服したフレイシアに、旅に出る理由はなくなった……ということは無かった。
フレイシアは純粋にこの世界を見てみたかったのだ。
二度めの人生を送る世界を。
前世とは違うこの世界を。
厳しいようで優しくもあるこの世界を。
フレイシアは肌で感じだかった。
世界を見たいフレイシア。
見聞を深めたいミーラン。
姉達と離れたくないエルアナ。
後ろめたさを抱いて旅に出ることはない。
彼女たちはただ旅に出る――それだけだ。
ただそれだけのことなのだが――
◆◇◆
フレイシアの十歳の誕生日から半年ほど、もうじきエルアナは八歳の誕生日を迎える。
エルアナの八歳の誕生日を控えている今、焦りを感じている人物がいた――母親であるベアータだ。
ベアータが焦っている理由、それは――エルアナが、未だエレメンターとして覚醒できていないからだ。
戦闘訓練も順調、魔力も十分に保持している。
しかしながら。
エルアナの眼前には、何か大きな壁でもあるかのように。
見えない何かに阻害されているかのように。
一向に覚醒する気配がないのだ。
猶予はあと二年。
もしも期限がないのであれば、エルアナが覚醒する可能性は十分にある。
十年――いや、五年もあれば、必ず成し得ることが出来るとベアータは確信していた。
だがベアータは言ってしまった――信じてほしいと。
二人に約束してしまった――必ず期限までに育て上げると。
フレイシアとミーランは、エルアナを信じて待つと約束してくれた。
もう時間はない。
なんとかしなければ、とベアータは頭を悩ませている。
なにが原因なのか――本当は分かっていた。
あくまでも可能性の話――ディアブロ族の言い伝えなのだが。
不意に思い出したその言い伝えは――今の状況と酷似していた。
――巻角族。
それがディアブロ族の原点であり、本来の在り方であった。
心優しく、平穏を望み、平和を愛し、そして――最も臆病な種族だった。
奴隷制度が禁じられる以前。
巻角族を愛玩用に乱獲しようとする者達がいた。
一族は窮地に陥り、臆病な種族達の心を――恐怖が満たしていった。
そんな中、一人の巻角族が――自らの精霊を取り込んだ。
その巻角族は桃色だった瞳が深い紫色に変化し、背中にはコウモリの羽が生えた。
心優しい臆病な種族のたかが外れ――狂人となった。
その力は絶大だった。
恐怖に怯え、縋るものがなかった他の巻角族も後に続いた。
後は散々なものだ。
絶大な力を以て、他種族を蹂躙していった。
ディアブロ――悪魔と呼ばれるようになるまで。
虐殺に虐殺を重ね、殺しに殺した。
だがそんな時代も長くは続かない。
代を重ねるごとに血が薄まり、ディアブロ族は本来の在り方に近づいてきた。
羽こそ失くなりはしないが、狂人の血は確実に薄まっている。
長い時間を掛け、失った信頼を取り戻していった。
よほど愚かなものでない限り、ディアブロ族を虐げるものもいなかった。
一時は忌み嫌われたディアブロ族だったが、信頼を取り戻してからは平穏な日々を手に入れた。
現在を生きるディアブロ族は、平穏な日常に身をやつしてさえいれば心穏やかに生涯を終えることが出来る。
それ程までに、その血は浄化されている。
だが、ここからが本題だ。
巻角族が狂人となってから数代の間、新たに生を受けた者に宿った精霊は、決して心を許さなかったという。
いま正に――エルアナが陥っている状況のように。
――先祖返り。
いく代か前の先祖の血を色濃く受け継いだ者。
それが何代前を差すのかは分からない。
数代前ならまだいい。
だが。
もし万が一、初代ディアブロの血を色濃く受け継いでいようものなら。
嘗て、エルアナのように精霊との親和性を高めることができないディアブロ族の若者がいた。
そのディアブロ族の若者もエレメンターに憧れていた。
鍛錬の末、十分な戦闘経験、多量の魔力を宿した若者だったが、覚醒することはなかった。
ある時、若者は窮地に陥った、命を失うほどの――全てを失うほどの窮地に。
若者の心を恐怖が埋め尽くしていた。
その昔、一族ごと窮地に立たされた巻角族のように。
若者の顛末は押して叱るべしだ。
ベアータの懸念はここにあった。
旅の途中、何かの切っ掛けで内に眠るディアボロが目覚めてしまったら。
エルアナだけの問題ではない。
最悪の場合、共に旅立つフレイシアとミーランの命に関わるかもしれない。
未だ嘗て、先祖返りの者が、その膨大な力を制御できたことはいない。
エルアナも例外ではないだろう――というのがベアータの見解である。
先祖返りについて、エルアナに話してはいない。
何が切っ掛けで暴走するか分からないからだ。
旅を諦めるように諭すことさえ出来ないでいる。
ベアータとしてもエルアナには幸せになってもらいたい。
姉と共にある事がエルアナの幸せであるのなら、諦めさせたくないという想いもある。
考えた末に、エルアナを除いたステリア家の四人に相談を持ちかけた。
特に強く協力を仰いだのはフレイシアだ。
ステリアと楓の同期が行われた際、フレイシアの転生について、そして――《調和の資質》の話も聞いている。
その資質を以てすれば――ディアブロの血を、エルアナに制御させることが出来るのではないかと考えた。
先祖返りでありながら血に飲まれず、その力を使いこなし、副次的に精霊との親和性も上がるかもしれない。
自分に任せろと豪語しておきながら結局は頼ってしまった――縋ってしまった。
そんなベアータの思いを知ってか知らずか、フレイシアを含め、全員が頷いてくれた。
家族の問題だからと、快く承諾してくれた。
それでも喜んではいられない。
これは賭けなのだ――何の確証もない博打。
負けた時の代償はあまりにも大きい。
自分とエルアナだけではない――立ち会う家族全員の命と、その未来が掛け金なのだ。
――失敗は許されない。
◆◇◆
この日はステリア家の六人全員で狩猟区に来ている。
「マンマ、今日はどうしてみんな一緒なの?」
いまのエルアナは黒を貴重としたゴシックドレスを身に纏い、甘えん坊なお姫様のようである。
灰色の長い髪はそのまま下ろしている。
再来月八歳のエルアナは随分と成長していて、ミーランよりはまだ小さいがすでに百二十センチを超えている。
フレイシアはいつの間にかミーランより背が伸びて百四十センチに届いた。
背丈を越されたミーランの表情はなんとも言えないものだった。
ミーランは少しずつ身長が伸び悩み始めたのだ。
さておき、この日の目的はエルアナだけが聞かされていない。
自分の訓練のはずだったが、何故か全員が揃っていることに、エルアナは首をかしげた。
「皆には見届けてもらうために集まってもらったの」
エルアナの心を刺激する役割は、母親であるベアータに任されている。
普段は敬語を使い、おしとやかなイメージのベアータだが、娘に対しては、そういう話し方はしない。
「見届けてもらう?」
エルアナはベアータの言葉を聞いても疑問が深まるばかりだった。
そしてベアータは核心に触れる――回りくどいやり方は好まない。
「エル…………旅を諦めなさい」
「――なんで! マンマもいっしょに行っていいって言ってたでしょ!?」
「あなたは弱すぎる……フレアちゃんと、ミィちゃんの足を引っ張るだけ――」
「――そんなこと無い! エルだって強くなってるよ! ぜったい邪魔になんてならないもん!」
「だったら見せなさい……旅に出たいのなら、私を倒してみせなさい……カプリス!!」
――シィィィィィ……
ベアータは自らのエレメントを呼び出した。
それは――黒い蛇。
「『黒蛇の武装』」
愛する娘を前に――ベアータは僅かに殺気を放ちながら、魔装を発動した。
ベアータが発動した《セルペンテ・ネーロ》、これは各魔装の総称――完全武装だ。
防具は腕、肩、腰、足、そして頭に、黒い鱗で作ったかのような鎧を身に纏う。
手に持つのは伸縮自在、漆黒の蛇腹刀。
「私に勝てないようなら旅を諦めなさい」
ベアータは冷たく言い放った。
困惑するエルアナはフレイシア達に目をやるが――手を差し伸べてくれるものは誰もいない。
――これ程の孤独を…………恐怖を味わったのは初めてだった。
否応なく、その小さな肩を震えさせる。
「マンマ……」
「……殺す気できなさい――いくわよ」
変幻自在、伸縮自在の蛇腹刀を以て、ベアータはエルアナを攻め立てる。
闇属性のエルアナは重力魔法を得意としている。
重力を軽減し、小柄な体を右に左に、上へ下へ移動させベアータの攻撃を躱し続ける。
初めてその身で感じる母の殺気に、エルアナは攻撃に転じる事ができないでいた。
「それがあなたの答えなの? いいわよ、そのまま指を加えて二人を見送りなさい。あなたは弱いのだから」
一向に攻撃に転じないエルアナをベアータは煽る――取り残される恐怖を煽る。
「いや……」
「この町に残れば甘えたまま平穏に暮らすことができるのよ? 二人がいないこの町でね」
「そんなの……いや……」
「いいじゃないの。二人だってたまには返ってきてくれるのよ? ずっと会えないわけじゃない」
「いや……ぜったい……いや……」
「あー、そうね。旅に出た二人は、あなたがいない生活に慣れて…………いつか、あなたを忘れるかもしれない」
「いやああああああああああああああああああああああ!!!!」
エルアナの恐怖が限界を超えた――理性を恐怖が上回った。
血が沸き、気が増幅し、膨大な魔力が生み出され、その身からあふれる魔力が辺りに撒き散らされる。
桃色だったその瞳は――彼の狂人のように紫に染まっている。
――眠っていたディアブロが目覚めた。




