これからのために
「はぁ……。どんなかおしておばさんにあえばいいんだろう……」
未だ寝室に居るフレイシアだが、そろそろ朝食の時間である。
自分の事を話すにしろ、秘匿するにしろ、叔母とは話さなければならない。
この世界で生きていくためには、叔母に頼るほか選択肢がない。
「はぁ……」
纏まらない思考に頭を抱える。
「フレアー? 起きたー?」
朝食の支度が終わったのだろう、リビングの方から叔母の声が聞こえた。
叔母は、フレイシアの事を、フレアと呼んでいる。
「うっ……もうそんなじかんかぁ……。はーい!」
声を掛けられ、僅かに心臓が跳ねる。
今日は食べたくないなぁ、と思いながらも、今まで何度となく心配をかけ、その都度自分を気に掛け、側に居てくれた叔母に、これ以上心配を掛けたくなかったため、重い腰をあげリビングへ向かう。
寝室を出てリビングへ踏み出す足は重く、気が滅入るばかりである。
考えはまだ纏まっていない。
フレイシアはリビングの扉を開ける。
すると、薄い青色でゆるいウェーブの掛かった長い頭髪をした、叔母の姿が目に入った。
長寿のエルフ故か、その容姿は若々しく、美しい。
「おはよう、フレア」
フレイシアがリビングへ入ると叔母は挨拶をしてきた、いつも通り優しげに――いつものように。
この人物の容姿、声音、温もりに、何度救われてきただろうかと、フレイシアは思う。
何も知らないこの世界で、顔見知りの居ない環境で。
この叔母の側だけが――ただ一つの、心安らげる場所だった。
そんな叔母に話せるだろうか、自分は一度死んだのだと、自分はこの世界の人間ではないのだと。
話せば嫌われるだろうか、気味悪がられ捨てられるだろうか。
否応なく不安ばかりが頭をよぎっていた。
「…………」
ただの挨拶さえ、満足に出来ないほどに、心が乱れていた。
「あら、顔色が良くないわね。体調が悪いの?」
やはり不安を隠せていなかったようだ、顔から血の気が引いていたのである。
叔母に悟られてしまった、そう思ったフレイシアの心に、さらなる荒波が押し寄せる。
なんと答えればいい? どんな顔をすればいい? 今取り繕って誤魔化しが効くだろうか。
フレイシアには分からなかった。
地球で生活していた頃から、嘘をついたり、感情を取り繕うのは、あまり得意な方ではなかった。
上手くこの場を切り抜けて、この世界で生きていくために、叔母の助力を得られるだろうか。
いまフレイシアの中には、焦りと不安がひしめいて、繕いようのない――今にも泣き出しそうな表情だけが現れている。
それでも、やはり隠したかったのだろう。
唯一の心の拠り所である叔母に気味悪がられ、嫌われ、捨てられて、何も知らないこの世界で、一人きりになってしまうのが怖かった。
話してはいけないと――そう思ったのだが。
「……ッ、ちがうよ! だいじょーぶ! ……あの……これは……えっと……うっ……ぐすっ……うああああぁ」
――決壊してしまった。
これまでの二年間。
自分の心が壊れるのを防いでくれた叔母を騙そうとした罪悪感に耐えることが出来ずに。
話したい――それが正直な気持ちである。
すべてを話して、そしてその上で、自分を受け入れて貰いたい。
叔母の気持ちを裏切って、のうのうと生きていくなどということは、出来そうにない。
出来ない、したくない、話したい、聞いて欲しい……。
すでに心は決まってしまている――それでも。
「フレア!? どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
腰を落とし目線を合わせ、そっと抱き寄せながら叔母はそう聞いた。
いつも良く泣く子ではあるが、今日はひどく危うい感じがした――何かが違う。
寂しくて泣いているわけでも、子供らしく、構って欲しいから泣いているわけでもない。
どこか絶望に満ちているような、何かを諦めて嘆いているような――そんな予感がした。
子供が流す涙というのは、こんなにも重く感じるものだろうか。
何がこの子をこれほどまでに追い込んで居るのだろうか。
大事な何かを見逃しているような――そんな不安が止まらない。
「…………」
叔母は掛ける言葉が見つからなかった。
抱き寄せたこの小さな少女は、何を思い悩んでいるのだろうか。
理由がわからなければ、慰めることも、一緒に泣いてあげることも出来ない。
今までにこの子が流していた涙の意味を――自分は本当に理解できていたのだろうか。
姉から預かったこの子に注いた愛情は本物のはずだった――我が子のように愛したはずだった。
それなのに、この小さな肩が背負っている不安一つ、自分は理解し、取り除いてあげれないのだろうかと――叔母は無力感に苛まれていく。
「……めん……んさい……ずずっ……ごめん……なさい……ごめんあさい……ごめんなさああああい!」
壊れそうな程に、酷く儚げに泣いていたフレイシアが、突然何かを謝り始めた。
誰に対してなのか、何に対してなのか。
このままではマズイと感じた叔母だったが、情報が足りなさすぎた。
心を読むことが出来ればと、そんな有りもしない力を欲してしまう自分を嘆くが、今はそんな場合ではない。
フレイシアが産まれてから、今日まで、一番近くで見守ってきたはずなのに、どうして分からないのか、今まで見えていたものは何だったのか、本当の意味で、彼女の心に触れたことは無かったのだろうか……。
抱き寄せて触れ合って、見守るだけでは――足りなかった。
ただ泣いている彼女を抱いて、落ち着かせるだけでは。
心に触れることが――未だ出来ていなかったのだ。
こんなになるまで、気が付かなかった――気付いてあげられなかった。
きちんと話して正面から向き合うことが出来ていたなら。
「……ごめんなさい! ……ごめんなさい!」
――まだ間に合うだろうか。
と。叔母は思った。
まだ、やり直すことは出来るだろうか。
ここから始めることは出来るだろうか。
ここで踏み込まなければならない。
今を逸らかしてはいけない。
姉から託されたあの日、絶対に守ると、大切に育てると誓ったのだ。
二年間の生活の中では、彼女も時折笑顔を見せることもあった。
俯き、泣きじゃくるだけでは無かった。
その笑顔を見る度に、どれだけ心躍ったことか――どれだけ満たされたことか。
ここで引いては、もう二度とあの笑顔を見ることは出来ないかもしれない。
彼女は、二度とその身を委ねてはくれないかもしれない。
心を開いてはくれないかもしれない。
――そんな不安を抱いてしまえば。
「フレア教えて! 私には分からないの! あなたの気持ちが知りたいのッ! ……お願い、フレア……」
気づけば叔母は涙を流していた。
フレイシアと暮らし始めてから、こうまで取り乱したのは初めてであった。
こうまで余裕がなくなってしまうことは無かった。
だがそれでも。
大人として、親代わりとして――彼女の心に踏み込まなければならないと、叔母はそう思った。
偽ってはならない、繕ってはならない、真っ直ぐに、先ずは自分の想いを伝えなければ。
「ねえフレア……」
叔母はフレイシアの両頬をそっと包み、目を合わせて、ゆっくりと語りかけた。
「……大丈夫よフレア。……私はいつだってあなたの見方だわ。……何があっても見捨てたりしない……だから、何でも話して」
「うう……ぐずっ……おば……さん……」
その言葉は、フレイシアの心の楔を、少づつほどいていった。
「ゆっくりで良いわ。あなたの想いを……聞かせてちょうだい」
「でも……」
「私はあなたの母親のつもりよ。……愛してるわ、フレア」
そっと額を合わせ、言った言葉は本心だった。
フレイシアも、次第に落ち着きを取り戻し始めた。
「……ほんと?」
「ええ、姉さんに誓うわ」
「……きもちわるいって……おもうかも……」
「どんな話でも――私が受け止めるわ」
「……おばさんに……きらわれたくないよ……」
「私の想いをなめないでちょうだい」
「…………うん。……おばさん……きいてほしいことがあるの」
フレイシアは信じることにした――疑うのは裏切りだと思った。
ここまで言ってくれる叔母に報いるために、少しずつ言葉を紡いていく。
自分がフレイシアでは無いこと、前世で死んだこと、神により、この世界で転生したこと、母と友人に会えない哀しみも、あるとも分からない希望に縋ろうとしている思いも――
溜め込んだ思いを吐き出し続けた。
叔母はそれを黙って聞いている。
信じると決めたものの、フレイシアは話の途中から叔母の顔を見ることは出来なかった。
叔母はどんな顔をしているだろうか、この選択は間違っていただろうかと、やはり不安はあった。
そして話終わり、フレイシアは俯いたまま、叔母の言葉を待った。
「そういうことだったの……。話せなかったはずだわ」
叔母の反応はあっさりしたものだった。
フレイシアの話は、叔母の心にストンと落ちていたのだ。
始めこそ、二歳児とは思えない話しぶりに戸惑いはしたが。
だがそれでも。
何よりも――初めて、フレイシアの本当の心に触れたような、そんな気がしたからだ。
――彼女の話に嘘はない。
そう直感していた。
「しんじて……くれるの……?」
あまりにも予想と違った反応だったため、フレイシアは少し拍子抜けしてしまったようだ。
「ふふ、そもそも、二歳の子供がそんな作り話を出来ると思う? そんなに上手く話せると思う?」
「あ――そっか……」
「心配しすぎよ……もちろん、信じるわ!」
「そっか……そっかあぁ……」
安心したからだろうか、フレイシアの目尻に、またも涙が溜まっていた。
「フレアは知らないかもしれないけど、転生者の伝承っていうのも、この世界には残っているのよ?」
「――ええっ!?」
フレイシアは自分の前に転生者がいた事は神から聞いていたが、その転生者が、身近な人に転生のことについて話していたことに驚いたのだ。
初めから公表していたのだろうか、苦悶の末、打ち明けると決意したのだろうか、自分とはどう違ったのだろうか、その転生者の人生が知りたいと、フレイシアは思った。
「何百年も前のおとぎ話だけどね、この世界の発展には、異世界から転生した人が齎したものも多いそうよ? あなたの話を聞くまではただのおとぎ話だと思っていたけど……今なら信じられるわ」
「その人は……ここで、しあわせになれたのかな?」
「どうかしら……。その時代は今ほど落ち着いていなくて、戦争も耐えなかったらしいの……。あ――でもね! その人は信頼できる仲間を得て、最期まで生き延びたそうよ。戦いが終わってからは、きっと幸せになれたんじゃないかしら」
「せんそうがあったんだ……その人もひっしにたたかったんだね……」
見知らぬ世界で戦いに身を投じた転生者に、フレイシアは何を感じたのだろうか。
「そうね。生きるために、仲間を守るために」
「うん……」
フレアはしばし物思いにふけっていた。
「わたしは……だいじょうぶかな……」
魂の輪廻についても叔母には話した。
そして、母と友人の魂を待ち、この世界を自分が案内してあげたいことも。
その為に、この世界を旅して色々なものを見て回ろうと思っていたのだが、戦争があるなどということは知らなかった。
フレイシアは戦争というものを経験したことはもちろん無い。
そもそも、ただ生き延びるだけでも自分には無理なのではないだろうかと、不安にかられてた。
「フレアはこの世界を見て回りたいって言ってたわね、今はもう戦争も無くて、ある程度平和ではあるけど、全く危険がないってわけじゃないの。悪い人は居るし、モンスターだって居るわ。だから、先ずは強くならないとね、最低でも自分を守れるくらいには。私だって、フレアには傷ついてほしくはないもの」
「もうせんそうはないんだ……。でも、たたかうことはあるかもしれないんだね……」
「何も自分から戦場に行ったり、モンスターに挑む必要は無いわ。それでも、望む望まないに関わらず、戦闘に巻き込まれることだってあるの、あなたの居た世界がどうだったかは知らないけど、ここはそういう世界なのよ。ある程度の戦う力がなければ、大切な人たちを待ち続けることは出来ないと思うわ。……大丈夫よ、私が教えてあげるわ、これでも、元冒険者なんだから! ドンと任せておきなさい!」
叔母は自分の胸をトンと叩きながらそう言った。
「……そういえば、わたしがないてるときにもまほうを見せてくれたよね。ちきゅうにはまほうがなかったから、さいしょはびっくりしたよ」
「うふふ、泣いていたのに、急に目が点になってたわよね」
「だって! あっちではまほうなんておはなしの中のものなんだもん! ほんとに使えるなんて思わないでしょ!」
「そういうものかしら、こっちではこれが普通だもの、いまのフレアも使えるはずよ」
「ほんと!? ほんとにまほーが使えるの!?」
「ふふ、随分嬉しそうね、大丈夫、きっと使えるわ、あなたの精霊だって見たでしょう? そうね、今日はゆっくりして、明日少し試してみましょうか」
「うん! たのしみ!」
「ただし無茶はさせないわよ! ……さて、そろそろ朝食にしましょう」
「はーい!」
叔母は、徐々に未来の話題へ移していき、フレイシアの意識を未来へと向けさせていった。
輪廻の奇跡に縋るフレイシアの希望は、あまりにも儚い。
何としても自分の意志で――自分の力で歩けるようになって欲しい、というのが叔母の想いである。
今はただ流されるだけでも良い。
でもいつか……きっと。
今の自分に出来るのはこれくらいだと内心悔しげに歯噛みしながらも――叔母はそう思った。
◆◇◆
「おばさん……ありがとう。これからもよろしくお願いします」
朝食を食べながら、フレイシアは未だ伝えていなかった言葉を、叔母へ送った。
話を聞いても、いや、話したからこそなのか。
叔母の表情はいつものように優しく。
それでいて。
いつもより親しげに接してくれることに、心から感謝した――叔母の元へ送ってくれたあの神にも。
「どういたしまして。こちらこそよろしくね! ……えっと、そういえば、フレアって呼ぶのはどうなのかしら?」
「いいよ! フレアでいい……! わたしは、フレイシアってなまえで……ちゃんとがんばるよ」
そう、と言って、叔母は頬杖を付きながらフレイシアを愛おしげに見つめていた。
「食べ終わったら、今日は一日使って親睦を深めるわよ! ここから新しく始めましょう!」
「うん!」
この日、フレイシアは、異世界での再スタートを切った。
フレイシア・ノーリン・ハートとしての、始まりの日である。
読んで下さってありがとうございました。