ほんとうの家族
夕食と入浴を済ませたフレイシアとミーランは、共に寝起きすることになった私室にいた。
「ふあぁ~……そろそろ寝よっかぁ」
「むにゃむにゃ……なの」
時刻は夜の十一時すぎである。
入浴の後から二時間ほど話をしていたのだが、流石に眠くなったようだ。
ミーランと相部屋になるにあたって、今まで一緒に寝ていたステリアは、元々使っていた自分の部屋に戻ることになった。
カレットはステリアの部屋の片隅にドールハウスを設置してその中で寝泊まりしている。
子供と分かれて眠ることになった二人は少しだけ寂しそうな表情だったが、折角出来た友人なので、フレイシアとミーランの意志を尊重したのである。
「ミーちゃん、おやすみ~」
「スリープタイト。シア、いたずらしないでね」
フレイシアの節操の無さを少しだけ心配しながらも、ミーランはすぐに寝息をたて始めた。
(ミーちゃんもう寝ちゃった……寝顔もかわいいなぁ! どれ……)
心のなかでそう言って、フレイシアはミーランの頬を指でぷにぷにし始めた。
(わ~お。柔らかいぜぇ! ほっぺをぷにぷにされてもぐっすりだねぇ。ふへへ~、これは癖になっちゃうねぇ~! ……ふぅ……ありがとうミーちゃん。ミーちゃんと出会えて本当によかったよ。……ずっと一緒にいようね)
フレイシアにとって、ミーランという存在はすでに大きなものになっていた。
ステリアだけでは埋まりきれていなかった心の隙間が、ミーランとの出会いによって埋まっていくような気がしていたのだ。
意識が途絶えるまで、フレイシアは今日の出会いを喜んでいた。
――この日からフレイシアに日課が出来たのは余談だろうか。
◆◇◆
「という訳で、本日はエルちゃんに来てもらっています」
夜が明け、朝食を済ませたフレイシアとミーランは再び私室に集まり、今はベッドの上に座り、向かい合っている。
「ぅあ~ぅ、あ~ぅ」
エルアナはまだ首が据わっていないため、フレイシアに抱かれている。
「どういう訳で赤ちゃんを誘拐してきてしまったの……」
さも当然のようにエルアナを連れてきたフレイシアをミーランが咎めた。
「ちがうよ! ちゃんとお姉ちゃんにお願いしたもん! 三十分だけだよ! 今日は三人で遊ぼうと思ったの!」
フレイシアがエルアナを預かっている間、大人たち三人もリビングで談笑している。
子育てについての相談をしているようだ。
古馴染みのステリアとカレットはともかく。
ベアータは二人との関係が浅いため、親睦を深めてもらおうというフレイシアなりの気遣いでもあった――最も、エルアナを堪能したいという願望もつよかったようだが。
それはさておき。
「ジョークなの。シアは慌ててる顔が可愛いの」
もちろん、フレイシアがベアータからエルアナを攫って来たわけではないと分かっていたミーランだが、つい魔が差してフレイシアをイジってしまったのである。
「ミーちゃんのいじわる! そんなこと言うなら、エルちゃんを抱っこさせてあげないよ~!」
「鬼なの! シアは鬼なの?! プリーズ……お願いなの……ちょっとだけでいいの……」
ちょっとした冗談でお預けにされては堪らないと、ミーランは必死に抗議する。
「ふふ~ん! じょ~だんだよ~! はい、そ~っとだよ……」
軽く仕返しを済ませたフレイシアは、エルアナの頭に手を添えながら、慎重にミーランへ受け渡した。
「キュートベイビー、エル。はぁ……いい匂いがするの」
ミーランは赤子独特の香りがお気に入りのようである。
「いいよね~、優しい匂いだよ~」
フレイシアもだらしなく表情を緩めている。
「ちっちゃい羽も角も可愛いの」
エルアナにもディアブロ族特有の角と羽が生えている。
とはいっても、まだ生後二週間ほどのためそれほど大きくはない。
ミーランがエルアナを可愛がっている様子を見ていたフレイシアは、そろそろ本題に入ることにしたようだ。
「実はね……エルちゃんを連れてきたのは、ベアータお姉ちゃんとおばさん達に、ゆっくりお話してもらいたかったからなの」
「……シアは気にしすぎだと思うの。ママ達はもう仲がよさそうに見えたの」
そう、大人たち三人はすでに打ち解け、傍から見れば十分に仲がいいように見える――事実三人の関係は良好である。
しかし、フレイシアはどうしても引っかかっていた。
彼女には分かっていたのである。
ベアータの心が不安定になりつつあることを。
愛した夫に裏切られ、身籠ったまま一文無しで着の身着のまま逃げてきたベアータ。
行く宛もなく、頼る宛もなく、暗闇を歩いてきた。
無我夢中で暗闇を進み続け、気がつけばあれよあれよという間に救われていた。
そして今――麻痺していた感情が徐々に蘇り始めている。
割り切れるはずがなかったのだ。
彼女の心には、ポッカリと穴が空いているはずである。
そんな状態で、彼女はエルアナを独りで育て上げねばならないというプレッシャーまでも抱えている。
このままではいつか壊れてしまうと、フレイシアは本能で感じていたのだ。
フレイシアの頭のなかに警報が鳴っていた。
下手をすれば――エルアナさえも愛せなくなってしまうかもしれない。
しかし、たかだか二歳児の自分に何が出来るだろうか。
その穴を埋めることが出来るだろうか、その闇を取り去ることが出来るだろうか。
フレイシアは、その役目は自分ではないと思った。
役不足を自覚していた。
だからフレイシアは、ステリアとカレットに託したのだ。
ベアータを一人で戦わせないために、孤独に潰させないために。
朝食の前に、すでにステリアとカレットには根回しをしてある。
――後は信じるだけだ。
「なんかね……嫌な予感がしたんだよ……お姉ちゃん……壊れちゃう気がして……」
「シア……」
ミーランは、これもフレイシアの資質なのかと思ったが、すぐに首を振った。
資質なんてものではない。
これは――フレイシアの、フレイシアだからこその、育まれてきた優しさなのだろうと、ミーランは思った。
「家族は血で繋がるんじゃないよ……心で繋がるんだよ」
家族を失ったフレイシアだからこそ、心の絆を重要視しているのだ。
「オーライ、シア。大丈夫なの。ママ達なら上手くやってくれるの。エルを迎えに来る時、ベアータ姉さんは――きっと笑ってるの」
「うん。私も信じてる……」
そうして二人は、エルアナの世話を焼きながらベアータがエルアナを迎えに来るのを待った。
◆◇◆
フレイシア達が本題に入っていた頃、ステリア達の話も佳境に入っていた――
「ねえベアータ、エルちゃんの子育ては順調?」
しばらくの間歓談していたところで、不意にステリアが切っ掛けをだした。
「はい、おかげさまで。確かに初めての子育てで大変ですけど、大事な一人娘ですから」
「あー、わかるよー。やっぱり初めての子供は可愛いよねー、でも、旦那の面影があるから……ちょっとだけ寂しく思う時もあるよ」
カレットが出した“旦那”というフレーズ。
これはベアータの感情を引き出すためのトリガーである。
「――ッ! そ……そういえば、カレットさんの旦那さんは……」
自分の感情は押し殺し、ベアータはカレットを気遣う素振りを見せる。
「うふ、気にしなくていいよー。だけど、私もベアちゃんみたいに旦那とケンカ別れでもしてれば、もう少し気が楽だったかもねー」
ベアータが簡単に本心を吐き出すとは思っていなかったため、カレットはあえてベアータの感情を逆なでする。
「そうよねぇ。あそこまで腐った旦那だったら簡単に切り捨てられるわよね」
「…………」
さらにステリアも追撃を加える――ベアータはまだ言葉を発さない。
「ほんとほんと。体だけが目当てな男なんてサイテーだよ」
「どうせ、女なんて自分の道具くらいに思ってたんでしょうね、借金のカタにするくらいだもの」
「……がい……ます……」
嘗て愛した自分の旦那を貶され、ベアータがボソリと呟いた。
「「ん~?」」
「違います……あの人は……仕方なく……」
「仕方がなく? 仕方がなければ、愛する妻と、お腹の子を売り払おうとするのかしら?」
「でも! 愛しているって、言ってくれたんです! 妊娠がわかった時だって、一緒に頑張って育てようって言ってくれたんです!」
「口では何とでも言えるよー。どうせ口先だけでベアちゃんを騙してたんだよ。その証拠にエルちゃんの事も、ベアちゃんに押し付けてるでしょ?」
「……そんな……こと……。私独りだって、エルの事は立派に育ててみせます!」
「――いまのあなたには、無理よ。自分を騙した男を忘れられず、何でも独りで抱え込もうとしているあなたには。エルを幸せにすることも、あなたが母親であることもね」
「じゃあどうしろって言うんですか! 私が愛してあげないと! あの子まで独りにする訳にはいかないじゃないですか! 私が育てるしか無いじゃないですか!」
「ねえベアちゃん。エルちゃんを言い訳にしちゃダメだよ。ベアちゃんは感情のない人形じゃないんだよ? 辛い時は辛いって言って良いんだよ? ……もう、独りじゃ無いんだよ?」
「――ッ!?」
ベアータは言葉を失っていた。
エルアナを無事に産ませて貰って。
行く宛のない自分を住まわせてもらって。
生活の世話まで焼いて貰っておいて。
そのうえ、自分の悩み等、話せるはずがなかった。
煩わせるわけにはいかないと思っていたのだ。
ベアータが言葉を失ってから、テーブルを挟んでベアータと向かい合っていたステリアとカレットは席を立ち、ベアータを挟んで左右に座り直した。
「全部吐き出しちゃいなさい。……あなたはもう、私達の家族なのよ」
「そうだよベアちゃん、頼って良いんだよ」
そしてとうとう――ベアータの感情が爆発した。
「うわあぁぁぁぁ! 好きだった! 本当に好きだったのに~! 三人で幸せになろうって約束したのに~! ……うあああぁぁぁ!! あんなのヒドすぎるよぉ~……寂しいよぉ~……独りでなんて……無理だよぉ……うぅ……」
溜まっていたものを、抱え込んでいたものを、ベアータは吐き出し続けた。
ステリアとカレットは、そんなベアータの肩をそっと支えていた。
◆◇◆
しばらく後。
泣きはらした目元だが、魅力的な笑顔をしたベアータが、フレイシア達の私室へ、エルアナを迎えに来た。




