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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

盆栽がスペインに行く夢を見る話

作者: 残映

 日も昇らぬ朝6時から、人間のみなさんおはようございます。今日は盆栽のぼくが、盆栽職人の一日を紹介したいと思います。


 まず、起床です。いつものように6時ぴったりの目覚ましアラームが鳴って、盆栽職人のマツモトさんがポッドから起きてきました。

 低血圧のマツモトさんにとって冬の朝は大変厳しいそうですが、朝早くからお仕事があるので起きなければなりません。

 一方のぼくはこの時間にはすっかり起きていて、早く動きたくてうずうずしています。


 盆栽職人が朝起きて一番にすることはなんだと思いますか? 

 それは、歯みがきでも着替えでも洗顔でもなく、盆栽を頭に装着することです。

 今日も小気味よくカチッという音がしました。ちゃんと装着しないと事故につながりかねませんから、ポッドから出てすぐの裸でも、部屋の寒さに耐えつつしっかり確認します。

 以前マツモトさんが小僧に語っていたのですが、「もたもた装着するとそれだけ頭に空けた穴からばい菌が入る可能性が高くなるので、ポッドから出たらすぐに盆栽を装着しなければならない」らしいのです。だから、盆栽職人の朝はみなさんが思うよりずっと命がけです。


 いつのまにかマツモトさんは盆栽工場の制服に着替えていました。頭に盆栽が生えてても着たり脱いだりできるよう、上着は全て前開きになっています。

 歯をみがいて顔を洗って、ぼくを傷つけないよう気をつけながら髪の毛を剃ります。多分これも盆栽が関係しているのでしょう、盆栽職人はみんな坊主頭にしています。今年30歳になるマツモトさんの剃り跡は青々しいです。

 その上に、赤松のぼくが植わっています。高さ20センチ、幹の直径1センチほど。赤松なのに幹が赤くもなく、太くも長くもなく、曲がってもいないという、自分でも恥ずかしくなるぐらい未熟者の松です。

 マツモトさんは鏡の前に立って、ぼくの葉のみずみずしさや幹の乾き具合をチェックします。そして時計に目をやったあと、あわてて部屋を飛び出していきました。

 もう朝食を配り始める時間だったのです。親方は時間に厳しく、遅れると食い損ねてしまいます。





 マツモトさんはぼくを揺さぶらない程度の早歩きで廊下をわたります。まだ頭に盆栽を生やしていない小僧たちが雑巾がけをしていて、マツモトさんに元気よく挨拶してきました。

 窓から見える空は、眠ったような青から少しずつ白んできています。小僧がさっき拭いたばかりの窓の()()は、消えかかるオレンジの外灯を反射して、ステンレス製なのに木でできたみたいに膨らんで見えました。


 おいしそうなご飯の匂いがしてきたら、もう食堂です。

 今朝が特別寒かったせいでしょうか、配給に並ぶ列はいつもより短く、すぐ朝ごはんを貰えました。マツモトさんの朝食はここ数年ずっとご飯、納豆、みそ汁の三種類だけで、今日もその三つを頼んで席につき、食べ始めます。


 食堂には小さいテレビもついてますが、職人たちのほとんどはいつもラジオから流れる盆栽情報に耳を澄ませています。

 中東で違法な盆栽人間の手術をした工場の摘発。被害は戦争孤児など数百人に及び、元に戻る見通しは立たず……ニューヨークでは盆栽の世界大会を一ヵ月後に控え、カウントダウンボードが設置される……雪の降る地域は必聴、ロシアの盆栽越冬術。このあと7時から……今日の天気、西高東低の気圧配置によって……。


 気がつくと隣にマツザキくんが座っていました。マツザキくんはマツモトさんの同期かつ一番の親友で、頭にはぼくと同じぐらい若い黒松を生やしています。


「おはよう。今日は遅かったじゃないか。しかもお前、髪剃ってないだろ」


「おはよう。いやいやいや、ちょっと今朝は寒すぎてさあ。ポッドの中でちょっとボーっとしてたらもう飯の時間だよ。剃る暇も無い」


「さっきラジオで天気予報をやってたけど、あと一週間はこの調子で冷え込むらしいぞ」


「うわ、そりゃ嫌だねえ……お天道様が出る時間も短いし、もう春が待ち遠しいよ」


「本当にな。まあ、血圧高いんだし頑張って起きろよ。俺より遅いってのは無しだぜ」


「いや、俺の高血圧はシャレにならんから」


 こんな下らないことを話しながら、二人とも朝食をどんどん食べていきます。食器を片付けた頃には、窓から白い朝焼けの光が差し込んできました。





 食堂に親方がやってきました。

 親方は頭に太い五盆松を生やした、昔かたぎな盆栽職人といった感じの人です。多くを語らず、すぐ怒り出しますが、この工場の職人全員から尊敬されています。

 特にマツモトさんは小僧のときから親方の下で修行しているので、親方を人一倍慕っているようです。


 点呼のあと、親方が今日の予定を話します。

 それを聞いたマツモトさんは、思わず顔を引きつらせてしまいました。昨日にひき続いて今日も『植え初め』で午前がつぶれるからです。

 植え初めとは、人間の頭に穴を開けて盆栽の苗を植える、つまり盆栽人間を生まれさせる、大事で大変な仕事です。そんな仕事を二日連続で任されるマツモトさんは、若手の中でも期待のホープだと分かります。

 実際、マツザキくんはまだ一回も植え初めの助手をやらせてもらってないそうです。


「あとで何やったか教えてくれ」と言いながら、マツザキくんは食堂を出て行きました。マツザキくんの午前の仕事は外回りです。お客さまの盆栽のメンテナンスをしてきます。


 一方のマツモトさんは親方に連れられ、手術室に向かいます。

 青白いタイルを張った手術室は清潔だけど、ずっと昔に建てられたせいか昔の病院みたいな薄暗さがあります。さらに、どこか人間の内側の臭いがこびりついてるような気がして、マツモトさんは正直言って好きではありません。

 それでも植え初めは大事な仕事なので、手抜かりなく手術用の衣装を着て、ぼくもろとも手術用の帽子をかぶります。


 今日手術するのはマツモトさんの顔見知りの見習いでした。実直で、盆栽にかける情熱は並々ならぬものがあり、将来大物になりそうな青年です。

 麻酔をかけられ静かに眠る青年を見ると、自然と手にも力が入ってきます。失敗するわけにはいかない、とマツモトさんは思いました。


「昨日もやったし、その前もアホみたいにやってるから、お前ももう一人できるぐらい慣れたろう。そこで、今日はお前がメインで施術し、わしは助手だ。責任はわしがとるし、バカしそうになったら途中で殴ってでも止めるから、思いっきりやれ」


 いきなりの申し出ですが、昨日からの連続ということで何となく察していたのか、マツモトさんは動じません。


「分かりました。ではまず、術前検査の結果を再確認しましょう。植えるのは紅梅ですね。人間の方は……」


 手術はテキパキ進んでいきます。

 ぼくは脳を傷つけず頭蓋骨に穴を開ける方法とか、血があふれてきたとき素早くのぞく方法なんかに興味は無いので、ずっと植えられる予定の梅の苗について考えていました。

 今日は人間にとってだけでなく、盆栽にとっても記念すべき日なのです。ぼくも初めはちいさな苗だったのだな、と思いました。あの梅が成長してものを考えられるようになるまで、少なくとも3年は必要でしょう。





 正午までに大事な部分は全て終わりました。残りは時間がかかるだけなので、親方と交代の助手で始末をつけるそうです。一足先にマツモトさんは手術室を出ていきます。

 休憩所で一息ついたあと、食堂に行って肉を注文しました。朝を軽めに、昼を重めに、というのがマツモトさんの食のモットーです。あれだけ人間の血を見たあとですが、気にせずガツガツ牛肉のステーキを食べていきます。血に慣れていない盆栽職人はいません。


 午後には日光浴をします。これもちゃんとした仕事です。盆栽のぼくは適切な時間日光に当たることが必要なのです。

 ぼくは日光浴の時間が大好きです。太陽に当たると、根から葉まで芯から温まって、水が体内をかけめぐるような気がします。

 それにマツモトさんも、暗い手術室から冬の晴天に放りだされるとすがすがしい気分になるな、と思っているようです。


 工場の外には盆栽置き場のほかに、運動場、寝転がれる芝生、一般の人向けの美術館、庭園などがあります。ときどき、美術館に来た小さい子どもがこちらに手を振ってくるので、マツモトさんは愛想よく手を振り返してあげます。


 盆栽職人たちはみな、思い思いの方法で太陽の光を浴びていました。

 厚手のコートを着て寒さに耐える人(ときどき日に当たる角度を変えて)、鉢の盆栽に水やりしたり枝を矯正している人(頭の盆栽とぶつからないように)、肩こり解消のストレッチをする人(頭に盆栽を抱えているのでどうしても肩がこります)、屋外でこたつを動かして暖をとる若手と先輩方(親方に見つかったらめちゃくちゃに怒られますが、今日は植え初めの手術にかかりっきりだと分かっているので安心です)。


 こたつに入っていたマツザキくんは、マツモトさんを見つけると名残惜しそうに出てきました。

 ぼくは日光があまりに気持ちよくて聞いていなかったのですが、どうやら、朝の約束通りマツザキくんが植え初めについて質問しているようです。話はいつのまにか最近の開発された剪定の技術や、お互いの作品の批評に変わっています。とにかく盆栽の話が尽きることはありません。

 結局のところ、マツモトさんもマツザキくんも盆栽が大好きなのです。盆栽が好きすぎて頭に盆栽を生やしてしまったほどですから。





 工場の味気ないドーム状の屋根も、美術館の黒くきらきらした瓦屋根も、太陽は地平線近くから平等に照らします。外灯がほんのりつき始めました。


 「日も落ちるし、そろそろ戻ろう」とマツザキくんが言ったちょうどその時です。遠くからピーポーピーポーという、サイレンの音が聞こえてきました。

 やがて、オレンジの寂しげな夕陽を浴びながら救急車が到着します。その中から降ろされたのは、介護ベッドに横たわるご老人。生命維持装置のチューブが体中に張り巡らされていました。そして、


「あの赤松、すげえ……」


とマツザキくんがつぶやいたように、ご老人の頭には大変立派な赤松が植わっていたのです。


 老人と共に歩んだ年月を象徴するように太くねじ曲がり、赤松の名の通り真っ赤に燃えあがった幹。

 一本一本が一つの木のように鋭くはねあがり、全体で森を成す葉。

 人為と自然の両方が作用した結果、人間も自然も越えて神域にまで至った枝の選択。

 これらを支え、また自分のいない空間さえ支える、思慮深い根。


 マツモトさんは何も言わず、ずっと見惚れていました。自分が目指す極致の一つが、そこにはあるのです。そして、赤松が死にかけのご老人と共にカランカランとベッドの車輪で運ばれていきながら、ご老人の上で太陽の赤に染まり、一層生をほとばしらせる姿は、いっそ幻想的でもありました。


 ああいう、自分が死んでも生き続けるような美しい盆栽を育てたいものだ、とマツモトさんは思いました。ぼくは、マツモトさんの名に恥じないあんな立派な盆栽になりたいな、と思いました。





 盆栽とご老人が工場内に運ばれてからも、マツモトさんとマツザキくんは感動しっぱなしでした。山もみじを頭に生やす先輩が、正気に戻すよう声をかけます。これから『植え替え』と『鉢作り・土作り』をやるからついてこい、忙しくなるぞ。

 我に返ったマツモトさんは一瞬恥ずかしく思い、それからマツザキくんを引っ張って駆け足で工場へと戻ります。


 手術室には大勢の職人がつめかけていました。

 まず、立派な盆栽を宿し育てたご老人に対し、黙祷が捧げられます。ご老人はこれからの作業で確実に死んでしまうからです。

 あるいは、死ぬためにここまで来たのでしょう。盆栽職人の死地は盆栽工場なのです。

 麻酔と安楽死用の注射は、病院で済ませたそうでした。


 親方の指揮で植え替えが始まりました。植え替えはそう難しいことではありません。

 ご老人の頭から完全に盆栽を抜き取り、ついた血や肉を洗い流して(ただし後で言うように流したものも捨てず全て保存します)、臨時の鉢に移すだけです。普通の盆栽でやる植え替えとほとんど同じでしょう。


 問題なのは鉢作り・土作りです。

 人間の頭に植えられた盆栽は普通の鉢と土で生きてはいけません。一週間ほど経つと、どれほど水をあげようと土に栄養があろうと次第に元気を失っていきます。

 盆栽が生きるためには、これまで育ってきたのと同じ環境を再現しなければならないのです。このようないきさつで、「人間の骨で鉢を作り」「人間の肉で土を作る」技術が発明されました。


 親方の的確な指示で、老人の身体の各所から骨が次々と取られていきます。

 その際出てくる血の一滴も無駄にはせず、吸い取り集めていきます。肉は切り分けられ、ひとまず真空パックで保存されます。


 手術と平行して、工場の機械が稼動し始めました。

 骨は乾燥器にかけてから焼却炉で焼き、遺骨のようにしてから粉砕機で細かく砕きます。そのあと骨と様々な化学素材と混ぜあわせ複雑な加工を重ねることで、鉢の生地ができあがります。

 鉢は盆栽とともに1000年後まで残るかもしれないので、鉢焼きの職人は腕を奮ってデザインを考えだします。ギリギリ1週間以内には鉢が完成する見込みです。


 昔と違い、今や土作りは機械が全自動でやってくれます。人間がするのは部位を切り分けること、機械が指定するタイミングで指定部位を入れ血を注ぐことの二つだけです。あとは機械が土をかきまぜたり発酵させたりしてくれます。

 こちらは3日で100年分の土を作ります。100年をかけて、徐々に血肉土の割合を少なくし、盆栽が普通の土でも生きられるよう慣らしていくのです。 



 こういった作業の中で、ぼくはふと、聡明そうな赤松は今何を考えているのだろうと思いました。

 盆栽は考えることができても喋ることはできません。あの赤松の気持ちは想像するしかないのです。


 赤松の盆栽は宿主が死んだあと、徐々にその緑の葉を赤くして、赤い葉しかつけなくなるといいます。それは悲しみのためでしょうか。でも、今どの盆栽よりも輝いて見えるあの赤松は、悲しんでいない気がするのです。もちろん、宿主から離れてせいせいした、という薄情な風でもありません。


 ぼくはためしに、マツモトさんが死んでしまった場合を想像してみます。とても悲しいです。そんなこと起こって欲しくありません。

 でも、盆栽のぼくより先に、人間のマツモトさんは死んでしまうはずなのです。


 ぼくもいずれ、あの赤松の気持ちが分かるようになるのでしょうか。





 作業が一段落すると、もう夜の9時になっていました。

 普段なら5時に仕事が終わり、そのあと町へ出てお酒を飲んだり、映画を見たり、女の子と遊んだりできるのですが(みなさんのご想像通り立派な盆栽を生やしている男の人ほど女の子は夢中になります)、今日はもう夕食を食べて終わりです。


 部屋に戻ってからマツモトさんは、難しい顔をしながらパソコンの画面を眺めています。モニターに映るのは、機械翻訳されたたどたどしい日本語と原文のスペイン語。最近、マツモトさんはスペインの盆栽業者から引き抜きの勧誘を受けているみたいです。

 引き抜きといっても親方に話は通っていて、あとはマツモトさんが一言「はい」と言えばスペインに行ける状況らしいです。マツモトさんの腕がそれだけ世界的に評価されていると思うと、誇らしくなります。

 親方が近頃マツモトさんに色んな仕事をさせているのは、日本にいるうちに自分の教えられることは全て教えてやろうという親心なのかもしれません。


 スペイン、一体どんな土地なんでしょう。

 盆栽が世界的な人気になって久しいですから、向こうの盆栽設備に不安はありません。むしろ、歴史あるこの工場より向こうの新築の工場の方が設備が新しくてよいのではないでしょうか。


 マツモトさんは親方にこれまで育ててもらった恩から、親方の元を去るのは義理に反すると思い、今まで勧誘を断ってきました。

 でも、最終的にマツモトさんが選ぶのは、スペインへの旅立ちだと思います。

 ぼくには分かります。マツモトさんがぼくを深く理解しているように。ぼくもマツモトさんのことを盆栽なりに分かっているつもりです。マツモトさんの盆栽の名に恥じないよう、スペインの空気にだって順応してやります。


 それに、ぼくは断然スペインに行ってみたいのです。

 ちょっと前、テレビでフラメンコという踊りを見ました。なんと激しく、情熱的な踊りでしょうか。盆栽のぼくですら夢中にさせる魅力がありました。

 できることなら、あの赤いヒラヒラのドレスを着て、フラメンコギターとカスタネットと手拍子の奏でるリズムに乗って、踊り狂ってみたいものです。

 もちろん、ぼくはただの盆栽なので踊れませんけど。





 いつのまにか10時になっていました。消灯の時間です。

 盆栽職人はポッドがお風呂代わりになって睡眠中に汚れが落ちますから、寝る前お風呂に入りません。マツモトさんは寝支度をすませ、全裸で鏡の前に立ち、ぼくの具合を確かめます。

 頭の横についたカバーを外しスイッチを押せば、カチッという小気味よい音とともにぼくはマツモトさんの頭から外れます。

 そうしてぼくを睡眠用の鉢に移しました。また目覚めるときまでしばしお別れです。

 マツモトさんは頭を庇いながら急いでポッドに入っていきます。

 おやすみなさいマツモトさん。


 「草木も眠る丑三つ時」という言葉があるように、月の光が差し込まない深夜、赤松は少しの間だけ眠ります。そのとき夢も見ます。


 夢の中で、ぼくとマツモトさんはスペインにいました。

 そして、ぼくはなぜかマツモトさんの頭から外れていました。姿も、今日見たあの赤松と同じような立派なものに変わっていました。


 スペイン語で「ピノ」と呼ばれる、大自然の中の荒々しい松たち。ぼくらはピノに囲まれた平原でフラメンコを踊ります。

 スポットライトを当てるよう真上から照らすスペインの熱い太陽。

 息をのんで見守る盆栽職人たち。

 かき鳴らされるフラメンコギターはクライマックスへ向かっていきます。


 血のように、あるいは太陽のように赤いドレスを着たぼくは、葉まで赤くなったようです。黒い工場の制服を着たマツモトさんと息を合わせます。

 マツモトさんとなら息を合わせられます。

 そうして向かい合い、フラメンコを踊りまくるのです。


 盆栽も人間も関係なく、自由に。






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[一言] あなたの思想体系は全くわかりませんでしたが、非日常と日常の混合がうまいと思いました。具体的には「頭の盆栽」という非日常と「手術」という日常(それともこれは現実と呼ぶが相応しいか)です。これが…
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