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5回目のコンビニ

     5


 昨日は、いつのまにか眠ってしまったようだった。

 今日は、バイト先からの電話で起こされた。

 「おい、おまえ、いったいどうしたんだ。風邪だなんていったって、来れないわけじゃないんだろ。

 いま、いちばん忙しいところだっていうの、わかってるはずじゃないか。

 今日は、這ってでも出てこいよ。そうじゃなきゃ、おまえのやる仕事、もうないぞ。」

 一方的にまくしたてて、電話は切れた。

 頭が、ガンガンしていた。

 気がついてみたら、昨日買わされた『退職願』の用紙と睡眠薬、それにカメラが、そのままの状態で床に転がっている。

 でも、よくみると、睡眠薬は少し減っているようだ。

 僕が飲んだのか?

 この部屋にほかの人間が入ってくることは有り得ないのだから、そうとしか考えられないのだが、まったく記憶がない。

 一体どの時点で何粒飲んだのか。

 幸いな事に、体のほうは少し軽くなっているみたいだ。

 しかし、こんなものを持たされてたらそれだけで何やら物騒だ。

 よし、あの店長に会って、全部突っ返してやろう。

 そう決めると、またも、例のコンビニに出掛けていった。


 自動ドアが開くと、真っ先に目に飛び込んできたのは、店の奥の壁に掛かっているロープだ。それもしっかりしたやつで、ご丁寧に一方の端が輪になっている。

 思わず、声を上げそうになった。

 こんな物は、今まで何回も来ているのに見たことがなかった。

 今までもあったのに気がつかなかっただけなのか、それとも今日新たに陳列されたものなのか。いずれにしても、まさか今日はこれを買えというんではないだろうな、と思いながらも、どうしたことか、足はそちらに吸い寄せられるように向かっていってしまう。

 ちょっと待ってくれ。こんな物はいらないんだ。

 その瞬間、あの店長が言っていたことを思い出した。

 『うちはね、あなたが買うべきものを用意しているんですよ。』

 いや、ちがう。僕はあんなロープを必要としてはいない、あんなものを買うべき運命にはないんだ。

 勘違いもはなはだしいぞ。


 よし、今日こそ、はっきりさせてやろう。

 店長を探して文句を言ってやろうと振り向いた瞬間、別の男が血相を変えて店に飛び込ん来るのが見えた。なにやら青白い顔をして不精髭を伸ばしたその男は、真っ直ぐにこちらに向かって大股に歩いて来る。

 こんな奴と関わり合いをもつのはやめよう、と、ほかの物でも探すふりをして体を横にしてよけると、その男は真っ直ぐにそのロープのところまで行き、すばやくそれをつかんだ。

 「あっ。」

 という声をやっとの思いで飲み込んでいると、その男はつかつかとレジに行って勘定を済ませた。前もいたバイトの女の子が無表情に「ありがとうございました。」と言う声が聞こえ、あっけにとられている間に、その男は店の外へ出て、もうどこかへ行ってしまった。


 僕は、呆然と立っているより仕方がなかった。

 「僕のロープ………」と、思わず声を上げそうになった。

 そんな馬鹿なことはない。これでよかったのだ。

 あの男が何者かは知らないが、これで助かったんじゃないか。

 あんな物、買うつもりでも何でもなかった。

 もしあの男が駆け込んでこなかったら、僕は、あの、一方の端が輪になったロープを買っていたのだろうか。そうだったような気もするし、そうでなかったような気もする。

 でも、とにかくあれはもうないのだ。僕は買わずに済んだのだ。

 なにか、大きな虚脱感が押し寄せてきていた。


 だが、次の瞬間、僕は難問にぶちあたったことに気付いた。

 そう、確かにあの忌まわしいロープは買わずに済んだけれど、それならば、今日は一体何を買えばいいのか。

 あのロープがなくなってしまった以上、その店の中で僕の目を引くものは何も見当たらなくなってしまった。

 僕は途方に暮れた。

 一瞬の事で、あまり良く覚えてはいないのだが、とにかく頭が混乱して、どうしていいのか分からなくなった。


「どうしました?」

 あの店長だ。

「いや……。」

「ご用がないのなら、そんなところに突っ立っていられては仕事の邪魔になりますから。」

「え?」

「今日は、お客様にお買い上げいただくものは何もございません。」

「何だって?」

「あなたにお勧めするものは何もないと言ってるのです。」

 その途端、何やら体の力が抜けていくような気がした。

 こいつ、今度は何を言ってるんだ。失礼な奴だ。

 そうか、もうこの店には絶対来ないぞ。

 そう思いながらも、この得体の知れない店長と喧嘩をする元気もなく、僕は疲労を感じながらその店を出た。

「ありがとうございました。」と言う声が背中から聞こえた。

 しかし、いつもの口調ではなく、なにか重々しい響きがあった。

 自動ドアが、閉まった。

 なぜか、もうほんとにこの店に来ることはないように思えた。

 その時、右の方から猛スピードでこちらに走ってくる車が見えた。

 続いて、急ブレーキの音が聞こえ、空が回ったような気がした。

(了)

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