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初めてのコンビニに行く

今は近所にあることが当たり前で、完全に日常生活の一部となっているコンビニだけれど、少し前、そう、笑っていいともが流行っていたころ、そしてスマホなんかはまだなかったころには、いったいどこに出店してくるのか興味津々だったり、その品揃えが意外で驚いたり感心したりしていた時代があった。

これはその頃に僕が体験したお話だけれど、こんなコンビニが今もどこかにあったって、おかしくはない・・・

 その日は、朝からなんとなく頭が重かった。

 風邪だろうか。ま、ともかくその日はバイトを休むことにした。何も無理して出掛けることもない。そんなことをして風邪をこじらせるのも不愉快だし、とろとろ仕事をしてバイト先の先輩に怒鳴られるのも馬鹿馬鹿しい。

 それよりも、そう、これは神様がくれた休暇なのだと思って、少しのんびりしてみよう。そんなわけで、いつもは絶対に見れない「笑っていいとも」なんかをぼんやりと見ながら、けだるい時間を過ごしていた。


 その日のことは良く思い出せない。しかし、食欲はなかった気がする。が、何かは食べなければいけないとも思ったはずだ。なにも風邪薬を飲むためではない。しっかり栄養を取って早く元気にならなければなどと殊勝なことを考えたわけでもない。

 ただ、生きていることの確認として、ここは何か食べておかなければいけない、そんな事を漠然と考えていたのだろうか。食欲がないけれども何かを食べたい、ということは決して矛盾しないのだ。


 そんなわけで、よろよろと立ち上がり、いつものコンビニへ向かった。


 このあたりが、ちょっと説明に窮するのだけれど、どうも僕は食堂というかレストランというか、要するに飯を食わせるところが苦手なのだ。

 もちろん、一人ということから生ずる古典的問題もある。つまり、注文をしてから野菜炒定食なりハンバーグカレーなりなんでもいいのだが、それが出てくるまでの間何をしていようか、食べてる間は目線はどうしとけばいいのだろう、といったようなことだ。

 ただ、本件に関しては、すでに研究が尽くされたと見えて、大体一人で食事にくる人間が多い店では、天井のあたりに油にまみれたテレビがあって、野球やら何やら、要するにどこから見はじめてどこで止めてもいいような番組を流している。さらに、漫画、週刊誌、スポーツ紙が無造作に積んであって、ただ食べるという行為だけをしているのではないのだぞ、といいわけができるような仕組みになっている。ついでに言うと、ファミリーレストランなんかはこうした配慮がまったく欠けているので、間違って一人で入ったりするとたちまち後悔することになる。


 じゃあ店を選べばいいじゃないか、と言うことになるが、問題はその先にもある。

 それは、そう、どう説明したらいいか、つまり、今日、どうにか生物的な活動ができているということは、昨日食べた夕食のおかげだ一応言い得ると思うのだが、そうだとすれば、例えば、夕べ行ったラーメン屋のおばちゃんに今ばったり出くわしたりすれば、一体どんな挨拶をすればいいのだろう。万一、そのおばちゃんが突然ハンドマイクかなんかで「この人はねエ、夕べ、ウチでチャーハンとギョーザを食べたおかげで、今こうして生きてるのよオ!」などとわめかれたら、僕はその場で舌を噛み切って死ぬしか道がないような気もしてくる。

 それだけではない。例えば、ごくごく普通のラーメンを頼んだとする。当然、焼豚は一枚である。それをどんな風に食べたのか、最後の最後までとっておいてフィニッシュに使ったのか、半分ずつ2回に別けて食べたのかなんてことは、絶対に他人に知られてはいけないのだ。


 そう、食事というものはプライバシーの根幹を成すものであって、そういう情報をだれか他人に握られていると言うことが、僕を物凄く不安にさせることがある。もちろん、いつもというわけではないけれど。

 それに、これはまたちょっとちがう話になるが、ある人の作ったものを食べるということは、本当は、よほどその人を信用していなければできることではないはずなのだ。

 つまり、要するに、食べるという事は、人間が生きていく上にいってみれば不可欠の、根源的なものであって、そんな神聖な場にあかの他人を踏み込ませていいのか、ということになると、どうしてもこだわりが消えないというわけなのだ。

 おわかりいただけるだろうか。


 その点、コンビニは多少ましである。

 もちろん、何を買ったかが一目瞭然なのは問題なしとしない。だから、焼肉弁当とシジミ汁にしようと思った時も、わざとカップ麺なんかを一緒に買って、相手の目をくらませてみたくなる。それでも、レジで「お弁当、温めますか。」と言われて思わずうなずいてしまおうものなら、もう何の言い逃れもできないように思う。

 ただ、救いなのは、すべてが一瞬にして終わることである。レジのバーコード読取機(と言うのだろうか)が「ピッ」となった瞬間に、僕のおなかを満たすものは手早くビニール袋に入れられて他人の目の届かない状態になり、ホッと一息付くことができる。少なくとも、食べているその現場を見られることは有り得ない。

 そして、コンビニにいる店員は、決して詮索する事はない。視線すら合わせず、最低限のダイアローグで事が済むし、その店員にしてもしょっちゅう変わるらしく、逆に言えば、決してこちらの顔を覚えられないという安心感がある。べつに、逃亡中の犯罪者ではないのだから、心配することはないはずなのだが、要するに、自分の世界の中に他人の踏み込めない領域を持っていなければ、という、これはいわば生き方の問題なのだ。


     1


 前置きが長くなってしまった。

 とにかく、僕は何か食べるものを買おうと、いつものコンビニに向かって歩き出した。

 平日の昼間に、アパートの近くを歩くなんて久し振りだ。

 僕のような、もうじき三十の大台にのろうとしている男が、まあ一応社会的にまともな日常生活を送っていると、自分の住んでる場所については、朝のほんの限られた時間と、夜の何時間かしか見てはいない。いちばん身近であるべき町が、そのごく一部分しか姿をあらわしてはこないことになる。

 もちろん、休日はある。しかし、休日とウイークデーでは、これまた町の様子もまったく違って見えるものだ。歩いている人が違う。開いている店が違う。が、それよりも何よりも、そもそも、平日と休日では、そこを流れている時間の早さというか密度というか、要するに、質が違う。

 そんなことを確かめるように、その日、僕は、わざとゆっくりゆっくりと歩いていた。そして、そのテンポに合わせるように、街路樹がゆったりと風にそよいでいた。通りをいく人々を行く人の動きものんびりしている。

 いつもと同じはずの町並みが、まるで舞台の書き割りのように存在感が稀薄に見えるのは、やはり風邪で熱でもあったのだろうか。


 と、目の前に見慣れないコンビニエンスストアがあった。いつも行く店はもう少し先の、そう、喫茶店の角を左に曲がったところだ。こんなに近くにまた別の店がオープンしたのだろうか。

 そもそも、ここは、前はなんだったのだろう。いったん建物ができてしまうと、その前が空き地だったのか何かがあったのか思い出すのはとても難しいものだ。まして、その日の僕は頭がボーッとしていたから、まるでその店が蜃気楼か何かのように思えただけだった。

 その店は、どうも見慣れない名前だった。今までに知っている系列の店ではない。でも、間違いない。いかにもコンビニらしい名前、デザインで、ガラス張りの中に見えるレイアウトも、よくあるものだった。

 とにかく、今までより少しでも近いところにコンビニができたということは歓迎すべきことだ。こんな近いところでは、いかに成長産業とは言え過当競争で大変だろうなどと思うのは大きなお世話だろう。

 そんなわけで、僕は、さっそくその店に入ってみることにした。

 初めての店に入ると言うのは、いつもそれなりに心地好い緊張があるものだ。これが床屋や歯医者では、心地好いなどとのんきに構えてはいられないが、コンビニならば何の問題もない。


 自動ドアが開く。

 右側に並ぶ雑誌から一番奥の冷蔵庫の中の飲物まで、よくあるコンビニのレイアウトが気持ちを落ち着かせ、初めての店と言う違和感がまったくない。

 また話はズレるけど、スーパーはなぜ野菜のコーナーから始まって、その後に肉や魚のコーナーが続くのだろうと思ったことがある。まずメインの料理を決めて、それがトンカツならキャベツだし、鶏の唐揚げならレタスなのであって、決してその逆ではないはずだ。先にネギと春菊を選んでしまった後で、すき焼き用のいい肉がなかったら一体どうするのだろう。それに、始めに大根なり白菜なりを籠にいれてしまったおばあさんの悲惨さといったら、どう同情したらいいのか分からない。

 その点、コンビニはそう言った疑問が生じる余地はない。

 というよりも、コンビニの商品のレイアウトは、物凄い研究やら試行錯誤やらの結果確立された一種の芸術品だとか誰かが言っていたような気もする。


 それはともかく、その日僕は、まずカップ麺のコーナーに行き、何にしようかと迷い始めた。本当ならラーメン系が好みなのだが、今日のところは風邪かもしれないから、どちらかと言えばうどん系の方が無難かな、とか、生麺系もいいが、開けなきゃいけない袋がいっぱいあると作るのが面倒だな、切り口はちゃんとついているのかななどと思いながら、並んでいる商品を次々に手にとってはまた棚に戻したりしていた。

 すると、突然、

「お客さん、そりゃあいけませんよ。」

 という声が聞こえた。

 驚いて振り向くと、五十くらいの男が、年恰好に似合わないコンビニのユニフォームを着て、そばに立っていた。

 この店の店長だろうか。買いもしない商品をあんまりいじっていて文句を言いにきたのだろうか、でもそんな事でいちいち説教されてもかなわないよな、と思って睨み返した途端、

「あなたは風邪をひいているのでしょう。そういうときは消化のいい物を食べなきゃだめですよ。

 はい、こちらにお湯だけでできるお粥がありますからこれにしましょう。」 

そういうと、その固めのビニールに入ったお粥を手にどんどんレジのほうへ歩いていく。

 こんなお節介なコンビニは見たこともない。大体が「いらっしゃいませ」もだれに向かって言ってるのか分からないように控え目で、こちらから聞かない限りは何も言わず、必要最小限度の会話で成り立っているのがコンビニの世界と言うものではないのか。

 とはいえ、その男の言い方には不思議な迫力があったし、本当を言えば、今までは食べたことがなかったけれども、そのお粥にも魅力を感じたので、まあいいか、などと思いながら、気がついたら、そのままレジまでついて行っていた。


「驚きましたか。

 でもね、うちはそのお客さんが本当に必要なものを売るのが仕事なんです。ま、当たり前の事かも知れませんがね。やっぱりどこかよそと違うサービスをしないとね。今は生き残り競争が厳しいですから。」

 その男は、こちらの考えていることが分かっているんだか分かってないんだか、口に一杯唾を溜めながら、一生懸命しゃべっている。

 単なるお愛想なら、曖昧にうなずいておけばいいのだが、どうもこの男は自分の言うことに確信を持って説得しようとしているようだ。

 議論をする気などさらさらないし、これ以上近付いたら嫌な口臭をおもいっきり吹き掛けられそうな気がして、ぼんやりと異星人でもみるようにその男を見ていると、もう勝手にお粥を袋にいれながら、にやりと笑ってさらにこんなことを言った。

「本当はね、お客さんが買うべきものを真っ先に手に取れる場所に置いとかなきゃいけないんですけどね、今日はお客さん初めてだから、仕方ないですよね、勘弁してください。次からは気をつけますからね、またご贔屓にお願いしますよ。」

 次々と繰り出される予期しない言葉に、僕はほとんど考える力を無くして、気がついてみたら、そのお粥を買って店の外に出ていた。

 外は、相変わらず爽やかな昼下がりだったが、やっぱり熱があったのだろうか、太陽がやたらと眩しく、その場に倒れたら溶けてしまいそうなけだるさを感じていたことは覚えている。

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