旅立ちの形2
声の主は女性だった。
ちょうどスクルドの真後ろから、こちらに向かって小走りで駆けてくる。
(妊婦か?)
ゆったりとした服を着ているためあまり目立たないが、腹部のふくらみが確認できる。
妊娠四か月といったところだろう。
「ちょ、ちょっと!」
首を回して肩越しに女性を見たスクルドが、慌てたように宙に浮かんだままふわふわと寄っていく。
「って、なんだ? 二人いる?」
スクルドが壁となってあまりよく見えていなかったのか、スクルドと同じように浮かんでいる俺の姿を見た女性が困惑した表情で足を止める。
「ゲイルス! 走っちゃいけないでしょう!」
女性──ゲイルスの元まで辿り着いたスクルドが地面に着地し、そっと肩に手を当てる。
俺もノズルを格納し、着地して、二人のもとへと向かう。
「大丈夫だ。この程度の重荷で体勢を崩すような、柔な鍛え方はしていない」
「そういう問題じゃないでしょう」
スクルドが嗜めるが、ゲイルスは面白そうに笑うばかりだ。
「くくっ。あのスクルドから私を心配する言葉を聞けるとはな」
「もうあなた一人の体じゃないんだから。その子は将来、天才のわたしの教えを受けて、それなりの授業料を払い終わった末に優秀な魔術師になる予定なんだから」
「くくく。そう褒めるな。・・・・・・ん? なんで私の子が魔術師になるんだ?」
考えるのがあまり得意ではなさそうなゲイルスが自問の沼に嵌まる前に声をかける。
「ゲイルス、といったか。俺は欧州群機甲軍所属QWERTY部隊第二分隊隊長、コードナンバー020。通称ニードだ」
「ああ。兵士から話は聞いているよ。あのニーズヘッグを一撃で倒したとか。本来なら私が相手をするはずだったんだが、見ての通り戦えないからな。助かったよ。礼を言う」
「人間を守るのが俺の使命だ。当然のことをしたまでだ」
「それにしても、あの勇者一筋だったゲイルスがあっさりと結婚したことが、いまだに信じられないわ」
「くく。いつまでも夢を追いかけてはいられないということだ。情勢が情勢だったからな。これ以上ない武勲を立てたとはいえ、女としての仕事も果たさねばならん」
愛おしそうに、もう一つの命が宿った腹部を撫でる。
「くっく。スクルドもいいかげん、男の一人でも見つけたらどうだ。まあ、その性格では難しいだろうが」
「・・・・・・出来婚のくせに」
「うぐっ」
勝ち誇ったようなゲイルスだったが、返すスクルドの言葉にその表情が引きつる。
「その先見の明のなさで、いま現在役立たずですけどね」
「ぐぐうっ!」
ジャブからのストレートに、とうとう脂汗まで流し始める。
「まあ。ですからこちらのことはわたしたちに任せてください。さくっと行ってきますよ。あなたはそのうちわたしに払うことになる授業料を積み立てておいてください」
「スクルド・・・・・・。ん? なんで私がスクルドに金を払うことになるんだ?」
いい話だ。いい話だ。
もうそう思うことにしよう。
「スクルドお姉ちゃーん!」
また別の声がスクルドを呼ぶ。
今度は子供の声だ。
見れば、十歳程度の少女がこちらに駆けてくる。
「あの子は?」
「わたしの金ヅ────弟子ですね。優秀な子ですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
もう突っ込むまい。
その優秀さは支払い能力のことではないだろうなとか言うまい。
「スクルドお姉ちゃん。旅に出ちゃうって本当なの?」
燃えるような赤毛の子供だ。
その小さな体に、多くの魔力を纏わせている。
「ええ。少しの間出かけてきますよ、オルムル」
「あたし、お姉ちゃんに教えてもらったこと、まだなにもできないのに」
「そんなことはありません。あなたはわたしの弟子の中でもとびきり優秀ですよ」
「でも、せっかく空を飛ぶ魔法を教わったのに。まだぜんぜんだもん」
「あれは魔法や魔術ではなく、どちらかというと呪いに近いのですが・・・・・・。ふむ。一つアドバイスをしましょう」
スクルドは屈んでオルムルに体を寄せて抱きしめ、そっと耳打ちをした。
「恨みなさい。憎みなさい。この世界を。それでいて愛しなさい。悪を理解し、それでいて拒絶しなさい」
理解しきれず、困惑の表情を見せるオルムルに微笑んでからスクルドは体を離した。
「願わくば、あなたがこの呪いを使わなければならないような未来が訪れないように」
二人の様子を観察していると、ゲイルスが話しかけてきた。
「ニード。あいつは性格が悪いし、不遜だし、基本的に自分のことしか考えていないようなやつだが、そんなんでも私の仲間なんだ。私の代わりによろしく頼む」
「もちろんだ。人間である以上、なにがあっても守ってみせる」
「それと、あのバカをよろしく頼む」
それは同じ意味なのではないかと思ったが、その真意を聞く前に、ゲイルスは離れて一人の男と話し始めた。会話から推測するに、あれが配偶者なのだろう。
ゲイルスが去ると同時に、オルムルと話し終えたスクルドが戻ってきた。
「もういいのか?」
「はい。あの子ならば、わたしの言葉を無駄にはしないでしょう仮にも蛇の子供なのですから」
「蛇の子供?」
スクルドの言葉に、今は両親と思われる二人の成人と話しているオルムルを改めてスキャンするが、およそ蛇の要素は見受けられない。そもそも蛇の遺伝子を操作して人型にするような技術がこの世界にあるとは思えない。
「たぶん、ですけどね」
「・・・・・・?」
結局理解できないうちに、次の来訪者がやってきた。
「スクルド。いいかげん、もういいか?」
いや、本来の目的といったほうがいいだろう。
ヴァンランディ王である。
スクルドの寝坊によって儀式の開始が遅れたことを当然ながら不満に思っているらしく、その不機嫌な表情を隠そうともしていない。
「あ、その前に少しいいですか」
そんな怒気など気にもならないというように、スクルドが一切物怖じせず王に話しかける。
王の後ろにいる四十八名の兵士も一斉にジロリと睨みつけるが、まったく眼中にないようだ。
「魔王討伐の旅のことなんですけど、ニードも飛べることがわかりましたので、二人で飛んでいくことにします。ですから馬車は要りません」
その言葉に馬車の準備をしていた兵士たちが「え?」と振り向く。
「そうなると必然的に食料や着替えなどを多く持って行くことはできませんので、現地調達することにします」
スクルドは飛び切りの笑顔で、すっと両手を王に突き出した。
「金、よこせ」
カツアゲかな。
コソーリ。
旅立ちの儀?
そんなものはなかった。
次回更新は明日の朝9時過ぎです。
ホントです。
ではでは。