Fligit35‐王者の手が迫れども
私と美海様達の間に立ち塞がる一つの人影。
その影は、口に咥えた煙草を早々と灰にしながら、気に入らない笑みを浮かべていました。
「……さて、どうしてくれるかな」
「当主」
「おお、和倉シスターズ。随分といい格好になったもんだな」
美空様の声に笑顔で答えるのは、権力と財力の世界における重鎮であり、武力と暴力によって敵対する者を蹂躙する男――四谷源蔵。
このお方、は好戦的かつ気紛れの多い者として世界の舞台裏に広く知られ、各方面の権力者から恐れられています。
「もう少し肩が開けとれば、いい趣味したやつらが喜びそうな絵になりそうだが……駆、お前はどう思う?」
「取りあえず、礼儀として挨拶を致しましょう。お久し……」
「つまらん返しはいらん」
「でしたら、その口にくわえているものを逆さにしてみてはいかかでしょうか。他人が行わないことを行うことは楽しいことでしょう。それで貴方の口数が減るのなら、こちらとしても助かります。ただ、その程度の熱では舌を消し炭にできないでしょうから、実行する際はライターオイルを口に含むことをお勧めいたします」
「長い」
「ならば、先ほど申し上げたいことを限界まで簡略化いたしましょう。私は貴方に死んでいただきたい」
「それは無理な相談だ。そんなことより、ワシの質問に答えろ。それとも、今の露出程度でムラムラしておるのか?」
「前言を撤回させていただきます。私に貴方を殺させていただきたい」
「お前にワシが殺せるとは思えんがの」
「駆、あのペースにのまれるな」
「分かっております」
誇らしげな笑みを浮かべるその顔を殴りつけたい衝動に駆られながらも、玲様の忠告を受けあらゆる意志でそれを押さえつけた私は、一度解けかけた緊張を今一度体中に張り巡らせました。
そして、血の色に染まっていない隻眼で対象を捕らえ、この場で最も適確と思われる質問を口にします。
「で、源蔵様。貴方はなぜここにいらしたのですか? 私が知る限りでは、貴方が夜中に外出する場合の行先は、キャバクラかクラブか風俗街と相場が決まっていますが」
「そうそう、最近お気に入りのキャバクラで、入ったばかりの可愛い子猫ちゃんがいての。あの子の売り上げのために、昨日も同伴出勤……って、なんでお前がそんなことを知っとる!?」
「失礼ですね。これでも私は貴方に仕えていた身でございますよ。なに不自由なく貴方の行動を把握できる場所にいたのですから、興味がなくともそれぐらいのことは知ってしまうのです」
「ったく、壁も障子もあったもんじゃないの。重宝していたものほど、手から離れると厄介だ」
「そうですね。源蔵様にとって、私は特別に厄介な存在なのかもしれません。しかし、私は厄介でしかない。そして、この場の貴方は私にとって――絶対的な脅威」
普段の源蔵様は、年齢を無視した好色を持つ迷惑極まりないふざけた中年男性であり、その言動に巻き込まれることも少なくありません。
その際、苛立ちを我慢できずに拳を振るってしまうことも少なくありませんし、源蔵様も文句をいうだけであり、本気で止めようとすることはありません。
しかし、ここは世界の舞台裏。
この場にいるのが『伊達駆』でありながら『三十日八雲』であるように、この場にいる源蔵様は普段の源蔵様ではございません。
彼の方は、世界の舞台裏に存在する有象無象の化物の中で、頂点の一角として君臨する――いうなれば、四牙八爪の巨虎。
そして、その虎の牙の先は間違いなくこの場に向けられています。
「ですから、私は貴方の一挙手を危険視し、一投足を警戒いたします」
「まったく、相変わらずタマの小さいヤツだの、お前は。まだなにもしとらんというのに、一人でビビりおって」
「必要ならばさらに恐れ戦きましょう。それが私の脆弱さを曝け出すことに繋がったとしても、貴方に隙を見せることを望みません」
「いや、ワシはただ遊びに来ただけだぞ」
源蔵様の言葉で、この場に完全な静寂が訪れる。
それは、源蔵様を除いた全員がその言葉を否定した結果といえます。
評価を受けた本人は、自らが引き起こした静寂をため息で破壊しました。
「……まったく、ワシもほとほと信用がない。まぁ、そんなものはクソくらえだがの……おい、駆。そこに転がっとる野郎だが、まだ生きておるだろうな?」
「……こちらである程度の名を知られている方なら、ショック死など乗り越えているはずです。ですが、流れ出る血液の量と百爪様のこのまま止血しなければ、五分程度で死んでしまうでしょう」
「チッ。スマートな仕事ができんやつだ……ほれ、いけ」
源蔵様が煩わしそうに顎で百爪様を指すと、その後ろから一つの影が跳びだす。
影は私と玲様を驚くべき跳躍で飛び越え、百爪様の傍へと着地いたしました。
そして、命のリミットが削られていく百爪様に対し迅速な処置を行い始めました。
……私はもちろんのこと、美海様達や玲様も周囲への警戒を怠っていたわけではありませんが、源蔵様の指示で動くこの方は、私達の意表を衝くことで行動を封じました。
それほどまでに、この方の出現は突然でした。
人間としての気配を消し、生物としての存在を消し、物体としての存在を消すことで、あらゆるものからの認知を不可能とする、不意打ちや闇討ちに最も適した能力。
つまり、この方は――俺と同じもの。
「紹介しよう。これが本当の 四谷最強の代理だ」
美海様と美空様の表情が凍ります。
源蔵様の言葉はつまり、『俺』の後釜がお二人ではなかったということを意味し、同時に二人が四谷の下にいた時間の根底を打ち崩すことなります。
ですが――美海様達の心は、その程度では堕ちることはない。
「……なるほど、私達は踊らされてたってわけですか」
「姉さん?」
「美空。ここは私に任せて戦いに備えてくださいです。どう転がるかは分からないですけど、この場がなにも起こらずに終わるなんてことはないですからね」
美海様の言葉に、源蔵様が感嘆を含んだ嗜虐的な笑みを浮かべます。
――やっと、楽しくなってきおった。
そう、源蔵様の笑みが語っていました。
「それに、もう四谷に従う必要はなさそうですし。いえ、本当は従う理由なんて最初からなかったんですよね」
「そうだな」
飾り気のない肯定。
ですが、装飾のない言葉の切れ味は人を刺せるほど鋭く、その使い手は一筋縄ではいかないというのが世界の盤石とされております。
源蔵様もそれに漏れません――むしろ悪い方向に漏れているのではないでしょうか。
「よく分かったのう。ワシと結んだ雇用契約が偽物だと。さすが、若くして二つ名をもっとるだけはあるといったところか」
「明け透けなお世辞はいらないですよ。あなたが意図的に上げてくれた功名ですから」
「謙遜なんぞせんでいい」
「源蔵さんこそ、ここまできてとぼけなくていいですよ。私達が欲しいのは、肯定か否定だけです」
「それはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。あなたは私達の質問に答えてくださいです。簡単な質問ですから、答え方も簡単でいいです。だから、余計な言葉はいらない」
美空様の目に、今までにない殺意と敵意の暗い光が灯る。
対した源蔵様は、相変わらずの笑みを崩すことなく無言。
そして美海様の後ろでは、指示に従い待機している美空様が、呼吸によって集中力を高めながら同質の視線を私に向けていらっしゃいました。
その視線に返すべき言葉を持ち合わせていない私は、笑みなど浮かべずに無言。
徐々に、しかしながら着実に高まってゆくこの場の緊張感。
きっかけさえあれば、あらゆるものが転がり落ちてしまうでしょう。
そんななか、源蔵様の態度を肯定ととった美空様が問いを紡ぎます。
「あなたはセンパイのいう通りに私達を雇って……いや、雇ったふりをしてたですね?」
「あぁ」
「なら、センパイから計画のすべてを聞いてるですか?」
「そうだな」
「センパイが百爪を殺させなかったのはあなたの指示ですか?」
「まぁ、そうなるかの」
お二人の問答を視界に収めながら、私は閉じた左瞼の上を伝う血液を左手で拭い、同時に自らの状況に対して内心で悪態を吐きます。
右腕は玲様の応急処置を受けたとはいえ動かせる状態ではありませんし、体には数多くの傷が絶えることなく血を流し続け、現在保てている意識もいつまで持つか分かりません。
このような満身創痍の体で、どこまでできるでしょうか。
「そうですか……これが最後の質問です」
美海様の双眸に宿る光に鋭さが生じ、源蔵様を射抜きます。
幼い容姿にはおよそ似つかないほどの冷徹な瞳は、油断なく源蔵様の反応を観察しながら、一瞬ですが私に視線を向けました。
その様子を見て、私の直感が自身に告げます。
次で――全てが動く。
「あなたは、センパイの指示で私達に仕事をさせたんですか?」
今まで美海様の問いに対し、表情一つ変えずに短い解答を返していた源蔵様ですが、この問いに関しては他と違いました。
目を閉じた源蔵様は、なにかを押し殺すかのように一度だけ喉を鳴らし、いままで私と美海様達を視界に収められる立ち位置から動き、私に対して背を向けました。
そして、短くなった煙草を素手で握り潰しながら、もう一度喉を鳴らし――笑う。
「――愚問だな。そこのつまらん男が、そんな愉快なこというと思うか?」
喉を鳴らすことをやめた源蔵様の発言は、美海様達が持つ殺意の矛先を自らに向けることに繋がる。
それを理解していながらも、源蔵様はあえて真実を語ります。
敵意を望み、殺意を愛し、害意を楽しむ――この方はそういう方なのです。
「そうですか……それはよかったです」
源蔵様の答えを聞いた美空様達の表情に変化はありません。
ただ、静かに口を開く。
「これで――あなたを殺す理由ができた」
言葉をいい終える前に、お二人の姿は闇を裂く軌跡となります。
それは、地を這うような低姿勢での猛烈な突撃。
突き出された黒き剣と白き盾の先が捕らえるのは――四谷の当主。
その捨て身に近い双撃に対し、源蔵様は避けるすべがない――いや、避ける気がない。
美空様達が無防備なその懐に入る寸前、夜風に背中を撫でられた私は咄嗟に視界を閉じる。
そして――それだけで、世界は変わった。
――――――――――――――――
それは、一瞬の出来事といっていいだろう。
和倉姉妹の突撃を皮切りにして、俺には把握できないような速度でなにかが起こった。
そして、その一瞬の事後が四谷源蔵の前で形を成していた。
四谷源蔵に襲いかかった和倉姉妹は、揃って義手を背中で捻じり上げられながら地面へ組み伏せられている。
百爪に処置を施していた謎の存在は、一瞬のうちに四谷源蔵の元へ移動して和倉姉妹を追撃したらしく、現在は二人の義手を器用に両膝で極めながら一対の大型ナイフをその首筋に添えていた。
それは、命を断ち切る瞬間。
ただ、その手を引きさえすれば完結してしまうだろうその一瞬は、一つの手によって時間に置いていかれたかのように静止していた。
和倉姉妹の上に乗った者の顔面を片手で掴み、頭蓋を握りつぶさんとする――駆の手によって。
「――テんメェ」
小さな呟きとともに、しなやかな体がひねりあげられ、頭を掴んだ左手が振われる。
その動作だけで、駆は自分より体格のいい男を投げ捨てた。
これほどの力は遠呂智の駆には出せない――いや、俺の隣にいた時点で、和倉姉妹の死の瞬間に間に合わない。
しかし今、駆の紅き左眼は閉じられ――開かれた右眼は金色に輝いていた。
「人の後輩になにしてくれてやがんだッ!!」
空虚的な遠呂智では考えられないほどの感情を発露した叫びは、人の怒号というよりも怒り狂う獣の咆哮。
その咆哮の先には、投げ捨てられた人物がなにごともなかったかのように立っていた。
無駄な装備のないスーツを着ているが体のラインに特徴がなく、顔の殆どを拘束具のようなもので覆っているため、人としての特徴を掴めないどころか性別を判断することさえままならない。
ただ、妙に希薄な存在感でありながら、その存在感のすべてが殺す意思によって形成されているような――まるで刃に付随した影。
あれが黒猫の代理……確かに、影を印象づけさせるこの暗殺者は、和倉姉妹よりは黒猫に近い存在といえるだろう。
「……随分と個性がねぇヤツだな。こんなつまんねぇヤツが俺の後釜かよ」
「人を見かけで判断するな。それに、血を拭うふりをしてコンタクトを外す小細工よりは面白いぞ」
「つまり、俺もそいつもテメェのツラにはかなわねぇってわけだ」
黒猫との会話を鼻で笑うだけで絞めくくった四谷源蔵は、駆達に背を向けながら暗殺者の方へ悠々と歩いていく。
四谷源蔵が歩む間、俺は警戒しながら黒猫の後ろにたどり着く。
「玲、あいつが誰だか……いや、あのクソジジィのことを考えればロクでもねぇっことは分かり切ってる。そんなことより、そこのチビどもはどうなってる?」
「一寸待て」
黒猫の言葉に従い、和倉姉妹の傍で膝を折り様子をうかがう。
幸い、百爪によってつけられたもの以上の傷は見当たらず、無駄な抵抗をする暇もなく地面に叩きつけられた二人は、満身創痍の体も相まって意識を失っていた。
しかし――相手もそれほど甘くないようだ。
「気絶しているが命に別状はない。だが――義肢が破壊されている。」
和倉姉妹の二つ名の所以でもある黒白一対の義肢は、内肘部を刃物で一突きされた後に捻り上げられたことで、上腕と義肢との接続が断たれているようだった。
この義肢が痛覚を伝えるならば、俺の耳は間違いなく二つの発狂を聞くことになっていただろう。
ただ、その痕からこぼれ出る液体が鉄臭くないのは救いか。
「そうか――」
周囲の闇がさらに深く濃いものへと変異してゆく。
それは、 先程の叫びよりも黒猫らしい怒りと殺意の表現方法。
「――なら、手足の三本や四本はもらってもかまわねぇな」
和倉姉妹が傷つけられたことで、黒猫は目の前の暗殺者を完全な敵として認識した。
だが、現在の黒猫は左腕が殆ど使用できず、全身につけられた傷からの出血も無視できるものじゃない。
これが朔望月相の欠点――遠呂智の死は黒猫の死であり、黒猫の死は駆の死である――それが死でなくとも、紅き嘘吐きの負う傷は同時に黒き暗殺者の負う傷となる。
遠呂智と黒猫は元をただすまでもなく駆なのだから、当然といえば当然のことだ。
しかし、虚言という言葉によって世界を歪める遠呂智にとっての左腕と、気配の操作と高速の打撃を武器として敵を沈黙させる黒猫にとっての左腕では、意味が大きく違ってくる。
対して、あの暗殺者……俺の推測が正しければ、四谷最強の代理に相応しい歪みと共に対抗しうる身体能力を有しているはずだ。
そして、黒猫を知り尽くした四谷源蔵をバックにつけ、満身創痍の上に俺達を庇う黒猫の前に立っている。
単純な状況整理をする限り、黒猫にとって不利なものばかりが並び、覆りそうにない結果がすぐそこまで浮かび上がってくる
だが――
「まぁ、お遊びはこんなものにしとくかの」
しかし、この二者を唯一にして確実に止められる者が一人だけいた。
その男――四谷源蔵は、魂を握り潰すような黒猫の殺気を意に介することなく、新たな煙草に火を点け……一服。
ただその動作だけで、四谷源蔵という強者は誰がこの場を掌握しているかを周囲に知らしめる。
「まったく、依頼主に盾突くとは……相変わらず噛みつき癖が治っとらんようだな」
「黙れ、クソジジィ。相変わらずなのはその頭と腹の腐り具合だ」
黒猫の機嫌がより一層悪くなり、比例するように殺気の圧力も増してゆく。
だが、四谷源蔵はその様子を見て満足そうに鼻で笑うだけ。
「ふん――傷つくほど強靭となり、追い詰められるほど研鑽され、背負うほど勇壮に――か。教え込んだワシがいうのなんだが、随分とふざけた性質だの。下手すれば鎧袖一触の英雄よりも厄介だ」
厄介という言葉とは裏腹に、四谷源蔵の声色は弾んでいた。
それは、自らが鍛え上げた黒猫の強さに喜んでいるのか、潰し甲斐のある対象を前にして血が騒ぐのか。
そして、煙草をくわえ――体を翻し、こちらに背を向けた。
「……なんのつもりだ」
「見て分からんか? この場はこれでお開きになるってことだ」
そう言って、四谷源蔵は歩き出し、俺達から離れてゆく
もう、自分の出番は終わったとばかりに、この場を去ろうとする。
「お前が大切に重ねとる嘘を台無しにしてやろうかと思って、ここまできたんだがの。しかし、これ以上お前を追い詰めると猫と蛇を同時に呼び出しかねん。さすがのワシでも、人の道を半分外したような化け物とやり合うのは御免被るわい」
この場を引っかき回して作り出した一触即発の緊張状態を、こうもあっさりと一方的に切り上げた……これぞまさに、傍若無人といわんばかりの四谷源蔵の行動は、見ていただけの俺でさえ二、三個の文句が浮かぶ。
まして、元々気性の荒いうえに現在の機嫌は最悪で怒りは最高潮、さらには神経を擦り減らすほど集中して臨戦態勢をとっていたなら――
――ブッツン
黒猫の方から明確な音として聞こえたその音は、血管もしくは堪忍袋の切れる音か。
いずれにしても、黒猫の怒りが振り切ったことに変わりない。
「……ッざけんじゃねえぞこのクソジジィ!! こんだけカマしてくれやがったクセに、この場は開きだぁ? テメェ、ホントになにしにきやがったんだッ!!」
夜闇を張り裂かんほどの怒号とともに、黒猫の姿が消失する――いや、恐ろしいほどの急加速で四谷源蔵の追撃に向かっていた。
自らが作り出す幻覚の黒霧を巻き込みながら、一直線に目標に迫り拳を振り上げる。
しかし、主人の危機に反応し、影がその暴力に立ち塞がる。
速度を上乗せした黒猫の左拳を、畳んだ右腕で受け切った。
その左手には大型ナイフが握られ、勢いを殺された黒猫へ鋭い一閃が振り抜かれる。
しかし、その斬撃が捕らえるのは黒猫ではなく、闇だけが満ちる空間。
不発の攻撃から、暗殺者は両腕を交差し折り畳みながら地を蹴って跳ぶ。
まっすぐ――こちらに向かって。
瞬く間に俺の前まで距離を詰めた暗殺者は、両腕を抜き放ち抵抗さえできない俺の体を斬り刻む――はずだったろう。
暗殺者の両腕を押さつけている足がなければ。
「テメェ、得物を持つと殺したくなるタチだろ。それを持ってから、テメェのウザったい殺気がダダ漏れてやがる」
暗殺者の襲撃を、片足で受け止める黒猫。
くしくも、それはついさっき行われた攻防の役違いとなっていた。
故に――黒猫は反撃をする。
「悪いが、コイツ等はテメェが触れていいもんじゃねぇんだ――下がれッ!!」
腕を踏みつけていた黒猫の足は、テイクバックを無視して腕に蹴りを放ち――暗殺者を容赦なく弾き飛ばした。
足から放たれる寸剄にも似た零距離の蹴りは、衝撃とともに和倉姉を昏倒させた黒夜の殺気を打ち込む。
同じように意識を闇に塗り潰された暗殺者は、衝撃に対して受け身も取れず、握っていたナイフを吹き飛ばしながら車に跳ねられたかのように地面を転がる。
――傷つくほど強靭となり、追い詰められるほど研鑽され、背負うほど勇壮に――
目の前の黒い背中を見て、四谷源蔵の言葉が思い出される。
派手に転がる暗殺者は、大きくバウンドしたと同時に空中で乱れた体勢を直し、主人の背後に着地する。
すぐ後ろまで吹き飛ばされて来た自らの影に対し、四谷源蔵は振り返るどころか歩みを止めることもない。
「なにを遊んどる。お前があれになにをしようと構わんが、ワシの下にいるなら最低限の働きはしておけ」
主人の言葉が終る前に、その影は動いた。
地を強く蹴り、こちらに向かい正面からの突進。
対し、黒猫は俺達を庇うために追撃ではなく迎撃を選択する。
しかし、暗殺者は黒猫の間合いに踏み込む寸前で――跳んだ。
まるでバネのような驚異的な跳躍は、黒猫だけではなく俺の頭上までも越える。
そして、暗殺者が着地した先にあるのは……意識のない百爪。
「それはワシがもらっていくぞ」
「テメェ、いい加減にしろよ。こんだけ挑発されて契約を破らねぇほど、俺がオメデタイやつだと思ってやがんのか?」
「契約? 違うな。これは、お前の大好きな約束だ」
四谷源蔵の言葉に、黒猫は押し黙る。
『約束』
この言葉は、伊達駆という人間にとってあまりに大きな意味を持っている……それこそ、約束のためなら自らが傷つくことさえ厭わないほどに。
四谷源蔵はそれを承知で……それを知り尽くした上で、あえて最初からではなくこの場をかき乱した後、悠々と退場するために利用した。
最悪で性悪なタイミングで切られたカードは、最大限の効果を発揮し、黒猫の行動を押さえつける。
その間に百爪の巨体を軽々と肩に担いだ暗殺者は、俺と駆の脇を通り四谷源蔵の背を追う。
今、その歩みを止められる人間は、この場にいなかった。
「あと、お前の嫌いなワシからの忠告だ。お前、でかい傷は虚言と糸で塞いどるだろ。早く蛇に戻らんと、三流の嘘が剥がれ落ちるぞ」
「……テメェには関係ねぇ」
「お前にとっては関係ないとしても、ワシからすれば関係しとるんだよ」
黒猫は沈黙することで会話を断ち切った。
四谷源蔵からもそれ以上の言葉はなく、影を引き連れ夜の闇へ消えてゆく。
その姿が完全に見えなくなってから、俺は自分の体が緊張で力んでいることに気がついた。
同時に、精神的な疲労感が一気に押し寄せ、俺はため息を吐くことでそれを緩和する。
「……あれは、いったいなにをしに来たんだ」
つい、ため息で緩んだ口から心からの言葉が零れた。
これが四谷源蔵……四谷に関係していた俺は、その行動の不可測さは理解していたつもりだった。
しかし、今回の件でその認識は改めなければならないことが分かった。
四谷源蔵の行動は、予測できないのではない――予測したところで無意味なのだ。
勝手に始め、勝手に壊し、勝手に乱し、勝手に潰し、勝手に落とす。
遠呂智の自己暗示が自らを歪める最も馬鹿げた自己完結ならば、四谷源蔵の行動は世界を狂わす最もふざけた自己完結。
「あのクソジジィがなにしにきやがったのか――今考えれば、あの方は最初に言っておりましたね」
俺よりも長く四谷源蔵の向かう先を見ていた黒猫がこちらを振り向いた時、その右眼は閉じられていた。
代わりのように開かれた左瞳は紅く、立ち姿はすでに遠呂智のものへと変わっている。
「遊びに来ただけ……本当に、それだけなのかもしれません」
向ける先を失った怒りを、黒猫の人格とともに虚構の下に納めた遠呂智は、俺の両脇で倒れる和倉姉妹の傍にしゃがみこむ。
そして、左手で和倉姉の壊された漆黒の義手に触れる。
血が流れていない無機の腕とはいえ、不自然な方向に捻じ曲げられ、体から外れかけた姿は無残で痛々しい。
剣先から指先、手から肘へとなぞるように触れる遠呂智は表情を崩さない。
「ただ、あの方が百爪様の身柄を引き取ってくださったおかげで、私が美海様達に対峙する理由がなくなりました。そのことだけは、嘘でも感謝しましょう」
感謝の念を欠片も感じさせない声でそういった遠呂智は、義手に触れていた手を和倉姉の脇に入れ、よろけながらも立ち上がる。
そして、和倉姉の矮軀を荷物のように片手で抱える。
「すみません、玲様。美空様の方をお願いできますか。いくらお二人が小柄とはいえ、私の腕力で運ぶのは一苦労ですし、まして片腕の使えない今ではお一人を抱えるだけで手一杯になってしまいます」
「分かった」
俺は遠呂智の要望に従い、和倉妹を背負う。
百爪の攻撃に倒れた遠呂智を運んだ時にも思い知らされたが、意識のない人間は非常に重く。
決して力があるとはいえない俺は、その体を背負い切れず足先を引き摺るように運搬することとなった。
その経験があるからか、背負い上げた際に感じた和倉妹の体は存外軽く、安定しづらい重心にさえ注意すれば問題なく運べそうだ。
俺の準備が整ったことを確認した遠呂智は、紅い瞳で向こうを見る。
「脱線や邪魔もありましたが、舞台に掛けられたすべての幕は既に開かれ、そこに立つべき役者も漏れることなく揃い、嘘吐きは多くの罪を重ねてきました。では、参りましょう――疑心の戯曲の終焉へ」
仰々しい台詞を吐きながら、遠呂智は歩き出す。
俺は和倉妹を背負い直しながら、遠呂智が向かう先を見る。
そこには、俺と和倉姉妹が出てきた小学校の校舎が変わることなく夜の闇に佇んでいた。
忘れた頃にやってくるのが定番となってきた夷神酒です……いや、あの……申し訳ありません。
自分でいうのもなんですが、この遅さはかなり問題です。
なので、この和倉姉妹の話が終わり、少しコメディーらしい話を書いたら、この話を一旦完結とさせて頂きたいと思います。そして、ある程度の量を書き終えたところで連載再開することになります
ですが、まだ和倉姉妹の話が終わっていません。どれだけ先のことになるのかは私の執筆速度にかかっていますので、すぐすぐのことでないでしょう←ヲイ
では、また




