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Fligit34‐すべての役者は導かれ



 まるで、近代的なイルミネーションのような、青白い光を放つ一本の柱。

 透明な特殊強化アクリルを素材として、筒状に形作られた柱の中には、光と同色の液体が満たされている。

 構造的に、それは柱でなく水槽というべきなのかもしれない。

 だが、俺はそれを水槽とは認識しない。

 水槽とは、液体を貯蔵するためのものであると同時に、水生生物を鑑賞する際などに用いるものである。

 しかし、目の前のそれは、満たされた青白い液体の貯蔵が目的ではなく、内部で水生生物が泳いでいるということもない。


 ただ――人の形をしたものが浮いているだけ。


 肉体の至る所を切開、もしくは表皮を切り取られ、標本のように内部を晒され、その上で何十本ものケーブルを突き刺されたそれは、何度見たところで慣れるものではない。

 それは元々人だった……正確には人の死体だった。

 その証拠に、手のひらほどに切開(ひら)かれた胸部から見える、胸骨と肋骨に抱えられた心臓は止まっている――本来、肺に隠れている心臓さえも、ケーブルを接続する際に邪魔という理由で肺が肋骨の一部と共に切除され、脈動のないその姿を外に晒していた。

 そんな、人の死体から逸脱したそれを液体と共に入れているものが、入れたものを観賞(・・)するために用いる水槽と、同じ並びでいいのだろうか?



「……和泉センパイ。質問して、いいですか?」



 電子機械の独特の稼働音が静かに満たされた空間に、作り出された一つの波。

 その声のする方を見ると、俺の顔を見上げている和倉姉がいた。

 先ほどまで、目の前のものを見たショックにより、放心にも似た状況だったはずなのだが、現在その目に揺らぎはない――やはり、この和倉美海という人間は強い。

 その雰囲気や行動から、和倉妹を姉と勘違いする者もいるようだが、人間としての強度や完成度は和倉姉の方が圧倒的に上だ。

 現に、和倉姉の隣にいる和倉妹の方は、腰が抜けたように地べたに座り込み、俯いているだけであり、本当に放心してしまったようである。

 光は、部屋に入ってから数分足らずで外へと出ていった。

 ある意味、それが正しい反応なのかもしれない。

 しかし、俺も和倉姉妹もこの部屋から出ることはしなかった。

 なぜなら、俺はすべてを語るためにここにいて、和倉姉妹はすべてを知るためにここに来たのだから。



「無論。俺がここにいる理由の一つは、全ての疑問に答えることだ。俺はこれから嘘や偽りのない真実と、変わることのない事実だけを述べることを、ここに確約しよう」



 俺は自分の言葉に対して、表情に出さない冷笑を洩らす。

 それは、俺が真実を口にすることが裏切りであり、それを自らの意思で行っている自分自身に対する嘲笑。

 だが、俺が事実を語ることかわりはなく、迷いはない。



「……なんで、パパがここに?」



 俺の言葉から一拍置いて、和倉姉の重みのある問いの言葉が目の前で紡がれる。

 あれが自分の父親と思えるのか……その言葉を、俺の口から出すことはなかった。



「それは、四谷に潰された企業に雇われていた和倉空海が、四谷の管理下にあることへの疑問か? それとも、和倉空海の肉体が、四谷のサーバーのシステムとして利用されていることへの質問か?」

「両方です」



 言葉だけでも感じることのできる、強く重い意志。

 和倉姉妹は、両親の仇を討つために数多くのものを切り捨て、暗い世界へとその身を捧げてきた。

 その数年間の痛みや苦しみ、悲しみや恨み……そのすべてがつまっている言葉に対し、俺は感情の入る余地のない、事実だけを口にする



倭国(わのくに)影人(かげびと)の忍、和倉空海と和倉美莱(みらい)は、ある企業に雇われた。その使命は、四谷財閥の当主である四谷源蔵の暗殺。その企業は数年にわたり四谷に対抗していたが、四谷はさほど不利益を生まないその企業を相手にすることはなかった。逆に、四谷によって殆ど利益が生じないその企業は、その状況に対して痺れを切らし、二人を筆頭に数多くの刺客を雇い、直接的な攻撃を仕掛けることを決定した。しかし、四谷はそれを予知していたかのように、ハッカー――遠呂智を動かし、その企業の機能を完全に掌握。外部への連絡を封じられ、一時的に身動きが取れなくなった所で、四谷は容赦なく更なる手駒――黒猫を送りつけた。結果的に企業の重役は全員が死亡。重役警護も兼任していた二人を含む数名の刺客も、例外なく殺害された。この出来事は四谷によって隠蔽され、闇に葬られた……これが、和倉妹から聞いた情報であり、俺が遠呂智に協力して意図的に流した情報だ」



 俺の言葉に対して、和倉姉に驚いた様子はない。

 どうやら俺の語った真実は、和倉姉にとって予想の範囲内だったようだ。

 長い前置きに対して、目立った反応を見せない……和倉妹は人の話から知るタイプのようだったが、和倉姉は人の話から汲み取るタイプらしい。

 ならば、曖昧な言葉を使う必要はない。



「しかし、事実はそうではない。和倉空海と和倉美莱が企業に雇われたのではない。企業が二人を雇うように仕向けられた」

「……四谷の意志で、ですか」

「その通り。二人は元々四谷に所属していた。四谷の障害を簡単に潰すために、相手の手駒となって内部情報を収集する密偵であり、最終的にはその背中を刺す暗殺者だった」



 『白獅(はくし)』――和倉空海。

 『色葉(いろは)』――和倉美莱。

 同族であり、同士であり、夫婦であり、兄弟であった二人は、特異な才能――異能を有した刺客。

 俺は四谷との契約上、直接顔を合わせる機会はなかったが、二人が得た情報の整理等など行うためそれなりの接点はあり、その有能さはよく知っていた。

 隠密性や迅速性、技術力や戦闘力、任務成功率を含め、あらゆる面において二人は一流であった。



「和倉妹から聞いているとは思うが、当時四谷に所属していたハッカーは遠呂智ではなく俺だ。故に、俺は当時の状況を知ってはいるが、実際にその現場にいたわけではない。そして、遠呂智は和倉空海と和倉美莱を殺害していない。このことを前提として話を進めるが、問題はないか?」



 和倉姉は無言。

 しかし、俺の問いに対する回答は、その貫くような視線が充分に果たしていた。



「では、手短に話そう。一時的とはいえ四谷に対抗する力を見せた企業に対し、なにかしらの興味を持った四谷源蔵は、その企業を蹂躙せずに支配することを決定した。俺は企業側に忍んでいた和倉空海と和倉美莱にその命令を伝え、二人から内部状況を受け取った。その数日後、雇った刺客が一ヶ所に集められ、企業が自分達の有する力を確認したことによって、緊張の糸が微細な緩みを生んだあの日。四谷は企業を傀儡(かいらい)とするために、その場に嘘吐きを送り込んだ」



 催眠や精神攻撃に耐性を持たない者に対して、遠呂智の虚言は絶対的ともいえる効果を発揮する。

 それをうまく利用すれば、交渉や脅迫をすることなく相手を思い通りにすることが可能であり、力でねじ伏せるより容易で効率的であるのは明白。

 企業の機能を奪う俺にとっても、一時間程度で終わる簡単な仕事のはずだった。

 しかし、企業内部の監視カメラがいくつもの赤く大きな血の池を映したことで、俺の仕事は予定していた時間の半分も経たずに終わった。



「企業重役十一名はただの廊下にまとめて山にされ、刺客二十三名は半数が集められた地下会議室内で死亡。残り半数の殆どが企業内部の各所で死体となっていた。遠呂智が送り込まれた時点で息があったのは和倉空海のみ。無論、初期の計画は断念。俺は有益なデータを吸いだした後、企業の電子系統をすべて破壊。遠呂智はその場を清掃部隊に任せて即帰還。それが上から命令だった。しかし、遠呂智はその命令を無視して行動。その途中で俺に一つの計画を持ちかけてきた。そして、俺は計画に乗った。その計画によって、この四谷サーバーの生体統合システムは作られた」



 遠呂智は和倉空海の遺体と和倉美莱の遺灰を回収し、俺に二人の娘達の居場所を調べさせた。

 二人が四谷に所属していたため、その住所を突き止めることに何の苦労もない。

 俺は遠呂智情報を教え、翌日四谷の者に両親の訃報を伝えに行かせた時――そこは、もぬけの殻だった。

 その後、俺は倭国の影人が二人を連れだしていたことを調べ上げ、遠呂智に伝えた。

 しかし、それが分かったところでなにが起こるわけではない。

 その頃の駆は独断行動が許されるほど自由ではなく、四谷は死人の親族の行方などに興味はない。

 しかし、嘘吐きは納得しなかった。

 だから、嘘吐きは抗った。

 その哀れな足掻きが生み出したのが生体統合システム……そして、嘘吐きの立てた計画の鍵。

 遠呂智に託された鍵を、俺はこの場で使うことに決めていた。



「和倉美海。和倉美空。俺が二人をここに連れてきた理由は二つ。一つは、俺が知りうる事実を教えること。もう一つは……これを渡すためだ」



 和倉姉の瞳が驚愕に揺らぐ。

 それでも、声を上げず俺と目線を交わし続けた。

 それに応じるように、俺も言葉を絶やさない。



「無論、こちらで人の形に修復してから渡すことになる。証拠管理の関係上、譲渡より二十四時間以内に解析不可能状態にしなければならないが……この場合は火葬でいいだろう。そちらには土葬の文化も残っているようだが、肉体が残る形式は認められない。火葬の場合は必要なものをすべてこちらで用意しよう」

「……」

「だが、そちらに受け取る気がなければ、新しいサーバーシステムを導入する際、他のサーバーシステムとともに破棄する。保留はなし。受け取るか否か、この場で判断してもらうこととなる」



 俺の一方的な話が終わり、和倉姉は俺から青い光の方へと視線を移す。

 この中にあるものが自分の親であったなら、どういった感情を持つのだろう……ふと浮かんだ思考を、俺はすぐに放棄した。

 一方的な加害者である俺に、和倉姉妹の想いを考える権利はない。

 だから、青い光を迎えるその瞳がなにを映し、なにを考えているかは俺の知る範疇ではない。

 しかし、和倉姉のように冷静さを失っていない者は、最終的に同じ回答をするだろう。

 だが――



「……け……なっ」



 突然、頭を揺さぶる衝撃。

 なにが起きたのか分からないまま、自分の体が背中から倒れていくことだけは感じ取る。

 そのまま床に腰から背中にかけて鈍い衝撃が駆け抜け、瞬間的に後頭部を打つことを覚悟した。

 しかし、寸前に胸倉を引っ張り上げられ、後頭部の代わりに首を痛めることとなった。



「ふざけるなッ!! 人をこんないじくり回して、何年もこんな場所に閉じ込めて、こんな姿を曝させて……いらなくなったら私達に渡すって……」



 そのような衝撃を受けながらも落ちることのなかった眼鏡のレンズ越しに、俺は目の前で怒りを剥き出しにした和倉妹の表情を見た。

 いたって真っ当な反応。死者に対し斬り捨てて野晒しにするよりも残酷で傲慢な仕打ちを行った者に向けられるべきは嫌悪と憎悪。

 それが、嘘吐きの願いを叶えるために必要なことであり、どれほどの覚悟を要したかなどは関係ない……結果がすべて。



「……これが人のやることかッ!? それでも人かッ!?」

「ふざけてこのような話はしない。こちらもそれ相応の覚悟を持って行動している。だが――正解だ、和倉妹。如何なるどんな理由があろうが、如何なる覚悟を持っていようが、死を冒涜した俺達は人でなしだ。その事実を繕う気はない」

「ッ!!」



 俺の言葉に、和倉美空の顔は怒りの色を濃くし、白い左腕が振り上げられた。

 自分に向かってくるだろうその腕を、ただ眺めるように見る。

 下手に当たれば死ぬ可能性もある真の鉄拳は――俺の髪を揺らすだけに終わった。



「ねえ、さん……?」



 白い拳は、後ろから伸びた和倉姉の左手によって掴まれ、その動きを止めていた。

 義手と手のひらの間から赤い液体が滲みだし、腕から拳の先までを鮮やかな一本の線が結ぶ。

 姉の行動に驚きを隠せない和倉妹。和倉姉の表情はその影となって確認できない。



「――それが、理由なんですね?」



 和倉姉から乾いた驚愕の声色で紡がれる言葉。

 その一言で、すべてが伝わった。

 そして、俺は沈黙によって和倉姉の考えを肯定する。


 ――液中で静かに浮かぶそれは、和倉空海の肉体を四谷の徹底した証拠隠滅から逃すため、四谷への利用価値を持たせた結果。

 だが、それだけならここまでする必要はなかった……和倉美莱のように灰に還す選択肢もあった。

 しかし、駆はあえて選んだのだ。

 和倉姉妹のためにその肉体を残すとともに、和倉空海との約束を果たすため、悲惨で非道な選択をした。

 そして、和倉姉は駆の意図に気づいた。


 和倉妹が後ろを振り返ろうとすることで、隠れていた和倉姉の姿が俺の視界に入る。

 その顔は人でなしに対する軽蔑でも、親への屈辱による嫌悪と憎悪でも、痛みからくる苦悶でもない、穏やかさに満ちていた。



 そして、和倉姉は――頷いた。



「……受け取るんだな?」

「はい」

「受け取りの日時は後日連絡する。なにか要望はあるか?」

「火葬の手配をお願いしたいです。できるなら、お墓も作ってあげたいんですが」

「了承した。その際、こちらで保管している和倉美莱の灰も、骨壺に入れ直して受け渡す」



 俺と和倉姉の間で交わされる口約束の契約。

 何の証拠も残らないが、こちらに契約を破る気などは一切ない。

 和倉姉は俺に対して一度頷き、自らが制止した妹へと視線を移す。

 それにつられるようにして視界に入れた和倉妹の顔には、行き場のない驚きと怒り――そして悲しみが満ちていた。



「姉さん……どうして」

「先輩を離すですよ、美空」

「姉さんはいいの? コイツが憎くないの? コイツが……コイツ等が、パパをこんなにしたんだよ?」

「……」

「ねぇ、なんで黙ってるの……ねぇッ! なんで!! 答えてよ、姉さん。でないと、私、分かんない……分かんないッ!!」



 困惑が困惑を呼び暴走する。

 自分の意図しない動きによって、和倉姉の持つ白い義手が振れることで傷が広がり、流れていた赤の勢いを増す。

 しかし、和倉姉は気にする様子も見せず、暴れだそうとする和倉妹の背中に自然な動作で腕をまわし、自らの方へと引き寄せ、その体を抱きしめた。

 不意に硬直する和倉妹の体を、温度のある左腕が優しくもしっかりと背中から包み込み、黒い右腕が不自然な動きをしながらも、同じ色の髪を撫でる。



「ねぇ、美空。パパはお昼寝が好きだったですよね。ポカポカしてるお日さまの光を浴びながら、気持ち良さそうに寝てたです。私達も一緒に寝たり、寝すぎだってママに怒られたりもしてたです。でも、最後にはママも一緒になって寝ちゃうんです」



 和倉姉は抱き寄せる妹の肩越しに、青白い光の中に浮かぶものを遠き日の記憶を懐かしむ瞳に映しながら、その耳元で暖かな言葉を囁く。

 それは子供をあやす母親のように、全てを受け止めるような限りない暖かさを持つ抱擁。

 その腕の中で、和倉妹は力なく顔を肩に埋める。

 衝動は震えに変わっていた。



「美空……パパを眠らせてあげるですよ。日の当たる場所で、ママと一緒に」

「……」



 その言葉に小さく、けれどハッキリと縦に振られた和倉妹の首。

 同じ体躯であるはずの双子の姉妹だが、俺の目には和倉姉が大きく見えた。

 震える妹の背中を優しく叩きながら、姉は視線を俺へと移した。



「よろしくお願いするです」

「……了解した」



 俺に向けられた視線には、様々な感情の渦が見え隠れしていた。

 和倉姉も妹と変わりない悲しみや怒りを抱えている。

 それでも、妹の前では気丈に振る舞うその姿は、俺の記憶に残る和倉空海と和倉美莱の姿を彷彿とさせた。

 お互いがお互いに支えあう……駆は知っているだろうか? 自らがその関係を望み――同時に避けていることを。



「話すべきはあと一つ――和倉空海と和倉美莱を殺した者に関してだ」



 俺の言葉に和倉姉の体が硬直し、和倉妹の震えが止まる。

 長年、和倉姉妹にとって両親の仇は黒猫と遠呂智――つまり、駆の事だった。

 しかし、それは駆に頼まれ俺が流した偽りの情報であり、和倉姉妹を自らの所へと導くために仕掛けた伏線。

 そして、今から俺が断ち切ることとなる、駆に絡みつく過去のしがらみ。



「……和倉空海と和倉美莱の実力は、過大評価なしでも充分なものがあった。四谷最強と言われた黒猫としての駆でさえ、二人同時に相手をすることは敗北を意味するほどに。その二人が命を落とした理由は、倭国の影人の特性。倭玖羅の血脈。近親相姦による、濃厚な血の繋がり――血族の結束を逆手に取る裏切りの刃」



 和倉姉が歯を噛みしめ、和倉妹の左手に力が込められる。

 倭国の影人は一族の中だけで子孫を作り、近親者同士による交配も少なくなかった。

 いうなれば、一族全員が家族のような存在。

 そのため、倭国の影人は一族の人間に対して本能的に信頼を置く性質がある。

 その性質は連携行動において有効に作用し、和倉空海と和倉美莱の強さの一因としても挙げることができる。

 そして――それが最大の弱点でもあった。



「裏切りなんて……」

「ありえないとは言えないな。実際に不意を突かれて昏倒させられ、背中を刺されかけた身としては」



 和倉姉は言葉に詰まる。

 和倉妹はともかく、和倉姉は俺の渡した手紙を事前に読んでいなければ、無防備な背中に容赦ない刃が突き立てられていただろう。

 それが分かっているがゆえに、和倉姉妹はなにも言えなくなる。

 事実を知った和倉姉妹の中でどんな決意が生まれるか……残念ながら、それを待つほど悠長な時間はない。

 俺は一寸休ませていた口を再び開く。



「和倉妹は理解していない点があるようだが、他は後で話すことにする。まずはここから出るぞ。ここを戦場にするわけにはいか――」



 ――殺シ。



 突如、全身を突き抜ける危険信号。

 俺は咄嗟に歯を食い縛り、心と体を構える。

 そして襲い来る――黒い殺意。



 ――殺シ殺シテ殺シタ


 ――殺シ殺シテ殺シテ殺シタ殺シタ殺シ


 ――殺シ殺シテ殺シタ殺シテ殺シタ殺シ殺シタ殺シ殺シテ


 ――殺シ殺シテ殺シタ殺シ殺シテ殺シタ殺シ殺シテ殺シタ殺シ殺シテ殺シタ


 ――殺シ殺シテ殺シタ殺シ殺セ殺シタ殺セ殺シ殺シテ殺セ殺セ殺セ殺シテ殺シタ殺セ


 ――殺シ殺シテ殺シタ殺シ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺シテ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺シタ殺セ殺セ

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 ――殺セ


 ――殺シ


 ――殺ス



 ――殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス

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 ――殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス……





 ――ブラックアウトしていた視界が戻る。

 自分が膝を折り、床に手を突いていることを認識した瞬間、喉が絞まるような息苦しさを感じ、体が勝手に噎せるような呼吸を繰り返す。



「……これは、素直に気絶したほうが、楽だ………それにしても、敵以外への考慮を、したらどうだ」



 突然襲い掛かってきた殺意の濁流。

 一瞬で意識を根こそぎ流し尽くすような激流は、数秒の間に俺が悪態を吐けるほどまで落ち着いた。

 全身からねっとりとした汗がにじみ出るのを感じながら、和倉姉妹へと目線を移す。



「……美空、大丈夫ですか?」

「うん、問題ない……姉さんは?」

「私は、平気ですよ」



 和倉姉妹は俺と同じような状態だったが、二人で互いの心配をしているあたり、大きな問題はなさそうだ。

 なら、ここで時間を浪費する必要はない。

 心身への無理を承知の上で、力を込めて立ちあがる。



「行くぞ。あの馬鹿がすべてを終わらせてしまう前に」















―――――――――――――――

















 校長室の椅子に座りながら寝ていた光を放置して、俺達は校庭へと向かった。

 体中に纏わりつくような殺気は、校庭に近づけば近づくほど濃く、重くなっていく。

 そして校舎の外に出た頃、暗闇が支配する校庭の中に二つの人影を見つけた。

 人影の片方は、校庭の中心に佇む黒尽くめの大男――百爪。

 その片腕は和倉姉妹との攻防の際に負ったらしき傷によって力なく垂れ下がり、明らかに万全の状況ではないが、獰猛な気迫は剥き出しである。

 そして、その気迫のすべてを向けられている者も、黒い衣装に身を包んでいた。



「まったく……なぜ戦線離脱者がこんな所にいるのか、説明してほしいな」



 周囲を包む黒い殺気で息苦しい口から出た言葉には、なぜか呆れの色が出ていた。

 そんな俺の言葉に対して、百爪に対する者はこちらに向き直る。

 暗い夜と黒い殺気の中で、呪われた宝石のようにすべてを引きつける不気味な赤き輝き。



「離脱者とは失礼ですね――私は嘘吐きですよ」



 そこには遠呂智が立っていた。

 戦闘不能の重傷を負い、治療を受けていたはずの嘘吐きは、なにごともなかったかのようにそこに立ち、白々しい笑みを浮かべる。



「本当に、不可解だ」



 聞き覚えのない深く低い声。

 百爪といわれる男は、緊張状態において遠呂智に目を逸らされるという一種の侮辱を味わいながらも、指一つ動かさないまま言葉を続ける。



「致命傷ではないが、そうして平然とした姿で立っていられるほど生易しい傷を与えたつもりはない。しかし、そのようなことより不可解なのは、私の前に立つ者が眼鏡をかけていない(・・・・・・・・・)嘘吐きということだ」



 百爪の言葉は間違っていない。

 今の遠呂智には、特徴の一つであり嘘吐きに成るために必要であるはずの眼鏡がない。



「百爪様のおっしゃる通り、私は物凄く痛い思いをしましたし、大切にしていた伊達眼鏡もなくしてしまいました」



 遠呂智は虚構めいた口ぶりで話しながら、その体を俺達から百爪の方へと向ける。

 その口調、身振り、雰囲気……どれをとっても、それは遠呂智のものである。

 眼鏡がないならそれは嘘吐きではない別のもの……それが伊達駆か、新井月朔夜か、はたまた違うものかは分からないが、嘘吐きには眼鏡がなければ成れず、嘘吐きは眼鏡さえなければ封じることができる。

 そう本人がいい、俺が流した遠呂智の欠点――そう、あの嘘吐き(・・・)が吐いた自らの弱点。



「ですが――それがどういたしました?」



 周囲を支配していた黒い殺気が動き出す。

 背筋が焼けるように熱く、頭から血の気が失せる――うねる様な殺気の暴力に対し、意識より先に体が悲鳴を上げる。

 しかし、まだこんなものではない……この殺気は遠呂智自身ではなく、感情の高ぶりによって無意識に滲みだしたもの。

 つまり、これはなにかが現れる前兆であり凶兆。



「舌を抜かれたわけではないですので、私は嘘を吐けます。嘘をつける限り、私が嘘吐きであることに変わりありません。それに、たかが眼鏡がないところで、私の眼は赤く染まったままです。そのようなことだけで私を無力化したつもりでしたか? それとも――」



 遠呂智は言葉を切り、すっと、左手を自らの右目に近づける。

 指がその目に触れると、なにかが手のひらへと転げ落ちた。

 それと同時に、荒れ狂う殺気が霧散していく――いや、殺気が一点へと凝縮される。

 黒く、黒く、黒く……駆の周囲だけが、明けることのない常夜の闇のように深さを増していた。



「――そんなに()に会いたかったのか?」



 そして、右目に触れていた指を離した時、深い闇の中に見えたのは、小さく微かでありながら存在する一点の光。

 それは――金色の瞳。



「奇遇だな。俺はお前をブチ殺したくてたまらねぇ」



 嘘吐きによる疑心の戯曲に、夜の獣が放たれた。







 ――嘘を、吐きました。

 お久しぶりの夷です。そして、前回のあとがきにて『次回で決着だよ~』などど口にしていましたが……このとおり、伸びました。嘘吐いてゴメンなさい。反省はしている。後悔もしている。そして、たまたま正座しながらこのあとがきを書いているため、小説投稿の際にはPCにむかい土下座をしながらボタンを押そうと思っている。割と真剣に。けれど、反省や後悔が生かされることは(ry

 次回こそは決着といたしますので、両肘が両耳につく程度の首の長さでお待ちください。

 では、また。

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